陰の実力者になりまして……   作:柔らかいもち

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 前話のベアトリクスのローブの色をアニメに合わせて修正しました。


十五話 シドは逃げ出した

 ベアトリクスにペロペロされて彼女の涎で湿った首元が気になって仕方なくて、アンネローゼとの試合をすぐに終わらせてしまった。僕は自然乾燥派なのでハンカチを持ち歩かない。あんな美人の唾液を服で拭うと変態になりそうだし、ハンカチでやっても結局変態になりそうだったから水場に急いだ。

 

 廊下では予選でも見かけた水色の何かがまたいた気がする。お化けかな? 怖い。いきなり斬りかかって来るベアトリクスといい、いつの間にか隣で拍手していたローズといい、朝起きたら僕に覆いかぶさっていた姉さんといい、最近恐怖体験が多い気がする。

 

 水でぬるぬるを洗い落とし、まだ彼女に舐められた感覚が残っている気がする首をさすりながら特別席に戻ったら、見覚えがあるようでないようなおっさんが僕の席に座っており、隣のアイリスも怖い顔だったので扉をそっ閉じして帰宅した。

 

 そして翌日。

 

 僕は特別席のサービスを利用して無料のモーニングを楽しんでいた。トーストと卵のおしゃれな朝食。ドリンクにはミツゴシ商会が販売している最高級のコーヒー。僕の部屋に腐るほどあるそれに砂糖と牛乳を入れ、小刻みに震える指先によって攪拌させて飲み干す……うまい、気がする。

 

 些細な用事でもメイドさんに頼めばやってくれる。セレブ気分も味わえるし、慣れれば最高だね特別席! ……目の前にアイリスさえいなければね。

 

 ちくしょー。特別席でもすみっコぐらししていた僕を笑顔で一緒の食事に誘いやがって。しかもあーんまでしてきた。見ろよメイドさんの顔を、アンタに見えない角度から僕を約束をすっぽかした時の姉さん並に恐ろしい形相で睨みつけている。コーヒーの味がしないよ。胃を労わるために牛乳入れたけど、本当は飲みたくもない。

 

 それにね、朝食を終える頃になると重役出勤してくるセレブが続々とやって来るんだ。するとどうなるか? 試合が始まるまで王族に媚びを売るのに忙しい連中がアイリスに群がり、その近くにいる僕も囲まれて邪魔だなこいつ、みたいな無言の圧力を受けることになるんだよ。

 

 もちろん僕には入れそうにない話ばかりしている。ハブられると傷つくけど、そこに気を遣って入れようとされるともっと傷付く。だから僕に話題振って誘わなくていいんだよアイリス。『お忍び』で何を学んだんだ。

 

 試合が近付くとセレブ達も社交をやめ、自分の席に戻っていく。「わ…ァ…ァ」と怯える小動物のようになっていた僕も人間に戻る。そうして落ち着いた空気が流れ始めた中、特別席の扉が開く。

 

 誰かと思って振り返れば見覚えのあるローブ姿の女性が。間違いなくベアトリクスだ。彼女が僕に気付いて小さく手を振ってきたので、僕も軽く手を挙げて応じる。目は合わせない。よく考えたら凄いことしてるよね、僕と彼女。

 

 顔も合わせられずそわそわする僕とは逆に、ベアトリクスはどこまでも自然体だった。『武神』として紹介された時にセレブ達がざわついても微塵も動じない。アイリスの隣、本来はアレクシアのものだった席に誘われても軽く頭を下げ、椅子を持ち上げて僕の隣にやって来て座る。

 

 ……? ……!?

 

 思わず二度見した。何やってんだこの人。ベアトリクスに声をかけたアイリスも顔を引きつらせている。

 

「あの、ベアトリクス様……何故席を移動されたのでしょうか?」

「シドの隣がよかったから」

 

 そういう意味じゃないだろ。マイペースか。あとベアトリクスが僕の隣に来たらアイリスに挟まれることになるんだけど。肩身が狭すぎる。

 

 何だコイツ、という周囲からの視線と無言の圧力を一切気にせずベアトリクスは僕を見つめてくる。しばらく目を合わせてみたけど僕から逸らした。本当に何なの? 逸らした先では「何をしたんですか?」という表情をしたアイリスが。

 

「シドはエルフの匂いがして落ち着くんだ。初めて見た時から気になっていたけれど……どうやら私は君を気に入っているらしい。一目惚れというものなのかな?」

 

 爆弾発言やめてくれない? 周囲からの視線が痛い。

 

 その後もベアトリクスの爆弾発言は留まることを知らなかった。ヤバかったのが『ブシン祭』で誰に注目しているかをセレブが尋ねた時と、昨日僕の席に座ってたおっさんが特別席に入ってきた時だ。

 

 僕が彼女の剣を折ったことを話してすぐさま反射的な行動だと言い張った後の空気はそれはもう微妙なものになった。こいつ本物か……? センスのないこの男に剣を折られるとか偽物……? 反射ならあり得る……? といった感じで。彼女の実力を見抜けないのは仕方ないとして、僕の反射的な行動という言い訳に納得する彼等の頭が心配になる。

 

 もっとヤバかったのがオリアナ国王を伴ったおっさんが近くに来た時。「くさい」とおっさんに言い放ったベアトリクスは僕に身体を寄せて匂いを嗅ぎだした。離れようとしたら腕を掴まれた。アレクシアと付き合うことになった次の日と同レベルの視線が全身に突き刺さり、僕は恥も外聞もなく泣きそうになった。誰だ薬をやってるんじゃないかって言った奴。あのベアトリクスにくさいって言われたおっさんか?

 

 姉さんの試合はまだ途中だし、ジミナの試合も当分先だったけど、僕はトイレを理由に特別席を飛び出した(逃げ出した)。ベアトリクスが寂しそうな目で見つめてきたが、僕はもう二度と特別席に戻らない。

 

 ――平凡な少年が出て行った後。すぐに決着の付いたクレアの試合を見届けたアイリスが激励を受けながら部屋を出る。二人が退出してしばらく経ち……試合会場にアイリスとジミナが現れた。

 

 国民の期待を背負う王女は気合を漲らせながら剣を構え、地味な青年は剣を構えることもせずフラつきながら佇む。

 

「アイリス・ミドガル対ジミナ・セーネン!! 試合開始ッ!!」

 




 しばらくってどのくらいなんだ……一時間くらいか?
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