あの場の空気に耐えられず特別席を出た後も色々あって、僕は試合前から心も身体も疲れ果ててる。動きたくない。布団に潜りこんで目を閉じたい。
対戦相手のアイリスは気合も十分だし全身に力入ってるな。魔剣士学園のテロとか聖教の大司教殺人事件とかで自分には『王女』という鎧……守られて当然の立場しかないと思い知らされたからね。武力しかない彼女は政治方面では無力だった。だからこの『ブシン祭』で優勝して政治への足掛かりを手に入れるつもりだろう。『お忍び』で愚痴られたからよくわかる。
僕はアイリスと戦ったら帰る予定だ。勝っても負けてもどっちでもいい。王国で最も強いと謳われる彼女の力を調べたってことで目的を達したと言えるでしょ。姉さんとやるのも面倒だし、特別席でじっと観戦しているベアトリクスに何度も戦うところを見せたら正体を見抜かれるかもしれない。思い返してもジミナの試合は無観客以外は剣を見せずに瞬殺かロバの骨で戦っているため、この試合さえ乗り切ればベアトリクスが確信を得ることはないだろう。
そう試合場に入るまでは考えていたが……今の彼女には勝たせる訳にはいかないな。
以前よりもずっと目に映る焦りが大きくなってる。彼女は神輿として担がれることを嫌い、初めて自分の足で立ち上がったばかりだ。初めてのことが最初から上手くいくはずもないのに、『紅の騎士団』を設立して人も予算も想像以上に集まらなかったことが彼女の心を追い詰めている。
焦っている時ほど落ち着かないし、冷静じゃなければ視野も広がらない。慌てて先へ進もうとしなくていいということを教えるために、僕はアイリスに勝つ。
どうせアイリスは速攻で突っ込んでくる。ジミナがそういう戦いをしてきたからね。速さを活かす前に仕留めようとするだろう。アンネローゼよりもアイリスは強いから、彼女が認識できない速度で回り込んだとしても殺さないために加減した攻撃では反応されるかもしれない。故にカウンターで仕留める。
そう思いながら待ち構えているのだが……。
「――ァアアアアアッ!?」
急に半狂乱になって転がりだして怖いよ~。さっきから僕の間合いの直前で止まったり飛び退いたり転んだり……彼女の目には何が見えてるんだ。フェイント入れてるからそれで攻撃されてるように感じてるとか? ははっ、バトル漫画じゃあるまいしそんなことないか。
おっ、剣を肩に背負う感じで振りかぶりながら突っ込んできた。剣越しに首の近くに衝撃を叩き込めるしこれで決めちゃお。
ロバの骨が砕けた後に新調した安物の剣を振り抜く。魔力の伝導率が一割にも満たない鉄の剣では最高品質のミスリルの剣を砕くことはできずとも、余さず衝撃を伝えることはできる。
凄まじい衝撃に襲われたアイリスが仰向きに倒れる。剣を手放していないのは褒めていいが、もう手が痺れて碌に握ることもできないだろう。眼前に剣を突き付けながら「この程度か」と呟けば、諦めたように剣を落とした。静寂が会場を包み込む。
……よしっ、『ブシン祭』終わり! ベアトリクスの視線が気になって魔力で強化した聴覚が「戦ってみたい……でも、何か気になる……」という彼女の呟きを拾ったのだ。茫然としてへたり込んだままのアイリスを見ているのもいたたまれないし、これ以上こんなとこにいられるかっ、僕はバックレて寮に戻るぞ! でも静かな空気をぶち壊すのは無理だから誰か騒ぎ出してくれー。さっきアイリスに「一人でふらふら……ビビってんのか!」ってヤジ飛ばした奴でもいいから。
僕がアイリスを見つめながら脳内で一人漫才を繰り広げていると……コツ、コツ、僕の正面から、つまりアイリスの背後の真っ暗な選手入場用の廊下から足音が聞こえた。いや、沈黙をなくしてほしいとは思ったけどもさ、そういうホラーな感じじゃなくてね……。
身体を強張らせながら足音の主を待つ……ローズだった。
♦♦♦
何してんだアンタァ!? 僕はローズに叫びそうになった。
叫ぼうと思ったのは選手入場用の廊下から出て来たことについてじゃない。確かにあんな非常識な登場されたら僕も帰りにくくなるだろうがと思ったが、それじゃない。
僕が叫びそうになったのは、ローズが自分の父親の心臓を貫きながらドエムの腹も刺し、激高したドエムの配下に捕まりそうになった彼女が自殺しようとした光景に対してだ!
(ちょちょちょーい!? 僕の知らない所で死ぬのは構わないけど、感知可能範囲内で死ぬんじゃない! 寝覚めが悪くなるでしょうが!)
アイリスを倒して去ろうとしていたのをやめて、特別席にダイナミックエントリー。ガラスを破った時にジミナマスクが破れ、安物の剣もアイリスの剣に打ち付けた際に使い物にならなくなったのでどちらも破棄し、漆黒のロングコートに着替えてシャドウに化けながらスライムソードで薙ぎ払う。
「偽りの時は終いだ……」
よし、よっし! これはこの場での最適解なんじゃないか!? ローズは殺させない、どうせその辺にいるだろう『シャドウガーデン』のメンバーにこの状況を作り出すことが目的だったと思わせられる、明らかに悪者なドエムアンドモアーズを瞬殺して逃げられる。
気分が高揚する。最高に「ハイ!」ってやつだ。暗闇に一筋の光が差し込んだような気分だ。恥ずかしくて仕方なかった名乗りも今ならノリノリでできそうだ……!
「我が名はシャ……」
「スタイリッシュ盗賊スレイヤーさん!」
what?
「「「スタイリッシュ!?」」」
「盗賊スレイヤーだと!?」
やめろー! その名前をシリアスな顔で復唱するんじゃないィー!!
(うあああ失敗した失敗した失敗した!)
ローズにシャドウ=スタイリッシュ盗賊スレイヤーだとバレてしまった。正直全身をかきむしりながら転げ回りたいほどの羞恥に襲われている。学園のテロでもシャドウの正体がバレる可能性を摘み取るために彼女の前では剣を使わなかったのに。
もうシャドウの正体が僕ということもバレてしまっているだろう。僕限定で異常な感知能力を発揮し、聖堂で<悪魔憑き>を治してあげている時も物凄く見てきたもん。疑念は抱いていたはずだ。
仕方ない、この場を切り抜けたら全部話して『シャドウガーデン』に――と言うとでも思ったか。もうなんで『シャドウガーデン』を組織したのかを説明したり、知人が僕の狂信者になっていく過程を見るのはたくさんだよ!
(まだだ……まだだっ!)
こんなこともあろうかと! シェリーを『シャドウガーデン』に入れてしまった時から用意していたのだ。
くらえ、イータに騙されて実験台にされた脳ミソちゅーちゅー君! それをシェリーが改良と改造を重ねて小型化と性能向上に成功したオンリーワンだぁ! 狙った記憶を相手の魔力と一緒に吸い取ることで奪える。詳しい原理は知らん。奪える記憶はほんの少しだし、脳ミソちゅーちゅー君が壊れたら相手に記憶が戻っちゃうけどね。
ローズに逃亡を促す際にこっそり使用する。スタイリッシュ盗賊スレイヤーへの感謝を連呼しながら遠ざかっていく背中を見送って手元に視線を落とせば彼女の魔力が詰まった注射器のような物が。吸い取った記憶はシド=スタイリッシュ盗賊スレイヤーの記憶。これで一安心……できたら良かったのになぁ。
前を見たら臨戦態勢のベアトリクスが。あーあ、だから特別席には二度と戻りたくなかったんだ。
シェリーがいるので脳ミソちゅーちゅー君の性能がアップした。