(帰りたい)
僕の心はそれに尽きた。何故かって言うと眠いから。
アルファ達は世界規模のボランティアしてるみたいなものだから休憩を朝も昼も関係なく取れるんだろうけどさ、僕は学生の身分なのだ。遅刻しようものなら補習を受けさせられるし、授業で居眠りしても補習をさせられる。なのに僕は夜に不定期かつ頻繁に激しい運動をしている。疲れは溜まっていく一方なのに休めない。とても辛い。おまけに今は酒になってたジュースが身体を蝕んでる。
というかその酒のせいで流してしまったけど114人って何? 動員できる者全員でこれってことはもっといるってことだよね? 教団潰した後のことが憂鬱になって仕方がない。
そんなに動員しなくても『七陰』だけでいいじゃん、絶対そっちの方が強いし手っ取り早いじゃんと思いつつ、事件の解決が遅れたせいで『シャドウガーデン』から死傷者が出ないためにアレクシアの魔力痕跡を調査――ベータは途中でどっか行った――して、時間はかかったものの居場所を突き止めたのだが、
「……またジメジメしてそうな怖い場所かぁ」
なんで『ディアボロス教団』は悉くこんな場所を拠点にするのかね。いや、一般人が近付きにくくて隠れやすい所を選んだら必然的にこうなるんだろうけども! それでももっと明るい所、太陽の照り付ける広い草原に穴でも掘ってそこを拠点にしてほしい。そしたらさくっと突入してさくっと解決できるのに。
これならベータとはぐれなかったら良かった……シャドウの格好で無駄にカッコよく佇む僕の足元が揺れた。続いて大きな音が響く。また『シャドウガーデン』の無鉄砲特攻兵器デルタが建物を真っ二つにしたのかと呆れたが、揺れも轟音も断続的に響いている。
まさかデルタに釣られて馬鹿になった輩が現れた? そんな恐ろしい可能性に突き動かされて僕は周囲で一番高い建物の屋根に上り、音と揺れの発信源と思しき方向に目を向ける。
――化け物が暴れていた。醜悪な巨体で騎士団を脅かし、肥大化した血塗れの右爪を振り回し、アイリス王女を肉塊に変えようとする怪物が。大切な何かを抱きしめるような左腕が胴体と癒着し、斬り刻まれても再生する自分の身体が人間ではなくなってしまったことに泣き続ける<悪魔憑き>が。
しばらくの間アイリス王女とやり合っていた<悪魔憑き>だが、横槍を入れたアルファに斬られたことで遂に活動を停止する。少女ほどの大きさに萎んだ死体の左腕から短剣が零れ落ちた。
アルファが何かを言いながら白い霧の中に消えていくのを見届けることなく、シドは『ディアボロス教団』の拠点へと踏み込んでいた。
♦♦♦
凡人は天才に勝てない。自分がポチと呼んでいる男子生徒に説いた話を、アレクシアはその身に叩き付けられていた。
「君は姉のようになれない、凡人がいくら努力しようが所詮は猿真似。一緒に来てもらうよ」
蛇蝎の如く嫌い、ここにアレクシアを誘拐したゼノン・グリフィがあからさまにこちらを見下した目をした笑みを浮かべて近付いてくる。アレクシアはそんな彼を睨みつけることもできず、涙を流しながら震えていた。
つい先程まで彼女はゼノンと剣を交わしていた。使う得物が満足のいく物でなくとも、魔剣士としての才能がなくても、足りないものを埋める努力をしてきた自負を胸に戦った。だが、勝敗を決定付けたのはゼノンが繰り出した圧倒的な魔力を込めたとんでもない一撃で、それはアレクシアの心を打ちのめすのに十分だった。
砕かれた剣の柄がアレクシアの手から零れ落ち、乾いた音を立てる。その柄を踏み砕いたゼノンはアレクシアを無理矢理立たせるために手を伸ばしてくる。彼女の腕にゼノンの手が触れそうになったその時、
「なっ……消えただと!?」
掴もうとした手は空を切った。何が起きたのかを把握しようと油断なく目を走らせたゼノンは、すぐにアレクシアの姿を発見する。
しかし、そこにいたのはアレクシアだけではなかった。もう一人、彼女を横抱きの形で抱き上げる漆黒のロングコートを纏う男がいた。
「漆黒を纏いし者……。君が近頃教団に噛み付いてくる野良犬か」
ゼノンが鋭い眼光で漆黒の男を睨むが、シャドウは何も答えない。アレクシアの身体に走った細かい傷に青紫色の魔力を浴びせて治していく。
その態度がプライドを傷つけたのだろう。嘲るような笑みを刻んでいたゼノンの顔に青筋が浮かぶ。
「私を無視するか……どうやら小規模拠点をいくつか潰していい気になっているようだな。所詮は雑魚を狙っていい気になっている卑怯者、今日ここに教団の主力がいた不運を呪いながら死ぬがいい!」
「……教団の主力? それはどこにいる?」
深く、低い声を初めてシャドウが発した。ゼノンの顔が屈辱に歪み、唾を飛ばしながら怒鳴りつける。
「貴様の前にいる次期ラウンズ12席ゼノン・グリフィがそうだ! そんなことも見抜けないとは、やはり貴様の目は節穴のようだな!」
「……目の前には、四肢の一つを奪われていることにも気付かない間抜けしかいないように見えるが」
何を馬鹿なことを、と笑い飛ばそうとしたゼノンの息が止まる。ないのだ、アレクシアを掴むために伸ばしていた左手が。その左手が何故か地面に落ちている。そのことに気付いた瞬間、滑らかな断面から勢いよく血が噴き出し、ゼノンは激痛とショックで意味の分からない絶叫を散らした。
アレクシアはただただ戦慄するしかない。ゼノンが怒鳴った時、感情の昂りで漏れた魔力はアレクシアを心身ともに打ちのめした一撃以上のものだった。彼女の姉に匹敵するどころか凌駕するかもしれない男の腕を、シャドウは斬ったことも気付かせない技量で切断していたのである。
「くそがぁああっ、粋がるんじゃない、たかが不意打ちを成功させただけの卑怯者が! 例え腕一本だけになろうと次期ラウンズたるこの私は貴様を這いつくばらせることなど息をするより容易い! 手足を削いで蠢くことしかできない芋虫のように――」
「なら、手本として貴様が這いつくばれ」
「してや……る?」
ゼノンの言葉が途中で途切れる。いつの間にかゼノンの背後に立っていたシャドウが彼の背を軽く押した途端、彼の身体が傾いていった――膝から下の足を残して。
外から見ていてアレクシアだからこそシャドウがしたことがわかった。彼は怒りで視野狭窄になったゼノンの無意識を突いたのだ。まるでこれこそが本当の不意打ちだと言わんばかりのシャドウの絶技……あまり早くなかったが故に見えた『努力を積み上げた凡人の剣』に目を奪われた。
一方で現実を受けきれないでいるのはゼノンである。次期ラウンズであるはずの自分が剣を振るう所さえ目にすることができず、両足と片腕を奪われていることも認められないが、それ以上に認められないのがシャドウの存在。
この男がこの強さを表の世界で見せつければ富も名誉も思いのまま。なのにゼノンはシャドウのような強者を知らない。幼い頃から神童と騒がれ、数多くの大会で優勝し、剣術指南役に上り詰めても更なる地位や力を求めているからこそシャドウの力を隠す生き方が理解できない。
だからこそ彼は取り繕うのをやめた。過程や方法も度外視して結果を求める。残った右手で懐から赤い錠剤の入った瓶を取り出すとシャドウに見えないよう中身を一気に飲み込み、生えてきた手足を使って大量の魔力を迸らせながらシャドウの背中に飛びかかった。
「後ろっ!」
アレクシアが咄嗟に叫ぶがもう遅い。アイリス王女を確実に超える力を手にしたゼノンの剣は、無防備なシャドウを両断した……両断したはずだった。
「貴様の懐にその錠剤が入っていたのは気付いていた」
カツ、と。後ろから音がした。
「貴様がそれを身体で隠して飲むことも、傷が癒えたら即座に不意打ちすることもわかっていた。だが邪魔しなかった。何故かわかるか?」
動けない。ゼノンは息も剣も、まるで時を忘れたように止めていた。
「後でそれを使えなかったから負けたと言い訳することもできないよう、完膚なきまでに叩き潰してやるためだ」
シャドウの全身から魔力が噴き出していく。ゼノンの暴風のように吹き荒れる赤黒く太い稲妻のようなものと対極的に、青紫の細い線が光の模様を描く。あまりにも美しく練り上げられた魔力にアレクシアは憧れ、ゼノンは衝撃を受ける。
やがて魔力は螺旋を描きながらシャドウの手に出現した漆黒の剣に集まっていく。シャドウがゆっくりと突きの構えを取る。大地と大気がカタカタと震え、突きの対象となっているゼノンは自分の力が最強という考えを捨て去り、無様に命乞いをしようとするが、
「奥義――アイ・アム・アトミック」
解き放たれた光の奔流は全ての音を消し去り、ゼノンと<悪魔憑き>の研究をしていた施設を貫き蒸発させた。
♦♦♦
説明しよう、アイ・アム・アトミックとは!
僕は『シャドウガーデン』を半ば強制的に設立して『ディアボロス教団』の手勢を潰しまくってきた訳だが、その中には教団のおこぼれを預かったり利益をかすめ取ったりする連中もいた。地道に潰していくぐらいでは怯まない輩は大量にいる。
そこで! 僕は前世の記憶から抑止力になるものを考えた。その結果、僕が核兵器みたいな存在であることを主張できる技を編み出した。それが奥義『
……ダサいとかのツッコミはなしだ。僕の羞恥心と引き換えに不快な所業を目にする回数が減るならいくらでも撃ってやる……王都の被害総額ってどのくらいだったんだろう? ま、まぁ、奥義ってのはポンポン使うもんじゃないよね。
話は変わるが僕は学園の屋上に呼び出されていた。呼び出したのはアレクシア。少しだけ身構えていたが、彼女の話は誘拐事件のその後と剣を好きと言ってくれたことへの感謝だった。大分上からだったけど、僕はこっそり息を吐いた、もしかしたらシャドウの正体がバレたんじゃないかと危惧していたのだ。
ゼノン先生との戦いで僕は剣を見せないように行動した。太刀筋からバレる可能性もあるためだ。ゼノン先生は剣術指南役に選ばれるくらい凄腕だからね。「貴様、シド・カゲノーか!?」とか言われるのは防げた。ちなみにそんな真似ができたのは前世で人の視線が気になりまくってミスディレクションを学んだからさ!
まっ、警戒はしてたっちゃしてたけど、ドーピングしてたゼノン先生でも見抜けなかったものをアレクシアが見抜ける訳ないか! ハッハッハ!
「今、失礼なことを考えなかったかしら?」
「いいや、何にも」
やっぱり警戒しとこう。この女、あまりにも勘が良すぎる。長くこの場にいるのは危険だ。こっちは丸腰なのにあっちは何故か帯剣している。さっさと話を終わらせよう。
「それで、他には?」
「これまで付き合っているふりをしてきた訳だけど、今回の事件でゼノンが死んでくれたから」
「僕は用済みだよね」
「そこで一つ提案なんだけど」
なんかアレクシアがもじもじしている。言いたいことはオブラートも役に立たないくらいズバッと言う奴が言い淀んでも警戒しかできないぞ。
初夏の日差しのせいかアレクシアが恥ずかしがって赤くなっているように見える。まさかこれを狙ってクソ暑い屋上に呼び出したのか!? 暑さで若干僕も頭をやられたのかアレクシアが少しだけ可愛く見えてしまう……!
くっ、騙されるな。これは不良が捨て猫に優しくしているのを見てアイツ優しいのかと思ってしまう現象と、思わぬ優しさを見せられたら好感度が上がってしまう陰キャのチョロさの相乗効果に過ぎない! きっととんでもない要求をされるに決まっている――!
「もし、貴方さえよければ……もう少しこの関係を続けてみないかなって」
「はい?」