誰かを曇らせて死にたい少年の話 作:空色
「弟よ、人の価値とはどうやって決まると思いますか?」
夢を見ている。懐かしい夢だ。目の前には自分と姉がいる。
「………自分を含めた誰かから認められた時?」
「60点、他者に興味のない愚弟の意見です」
不満げな俺を見ながら姉は無邪気な子供のような、冷徹な女王の如き苛烈さで言い切った。
「答えは、どれだけの人に自分という傷をつけられるかです」
「………」
「憎まれてもいい、好かれてもいい。誰かの記憶に、魂に決して忘れない傷を作りなさい。他人の傷になれない人間は、ただの透明な亡霊です。水ではなく毒になりなさい」
その時の笑みを俺はきっと忘れないだろう。
風の音が聞こえる。朽ちた建物の瓦礫の隙間を焼けた風が吹き抜けていく。悲鳴が聞こえる。助けを求める声、恨み言を吐き出す声、疑問を吐き出す声が周辺の瓦礫に反響する。
少年は勇兵と呼ばれる存在だ。世界に溢れる怪物から人間を守り、奪われた領土を取り返すための兵器。魔力という特別な力を持ち、怪物から作られた武器を用いて戦い抜くことを求められる人間。それが、勇兵だった。
「体が痛えな」
ひび割れた天井ごしに炎に焼かれた空を眺めながら、少年はため息を吐いた。
外では巨大な触手を振り回す化け物が仲間たちを殺しているのだろう。血の匂いと絶叫が少年を襲う。雨が降っているが、血と炎が薄まる気配はない。
自分以外の勇兵はほぼ壊滅している。そもそも、勝てる想定ではないのだ。その作戦は失敗前提だった。成功する前提で建てられたものではなく、時間稼ぎでしかなかった。
都市の防衛ラインを一瞬で突破してきた怪物。上澄みの兵士を500名集めて、一夜押し留めるのが限界だった。対抗する戦力は現在、都市にはおらず、人類が誇る最強の勇兵部隊を呼び出すために必要な時間を作り出すための負け戦。
少年は生きて帰れないだろうと感じていた。自分の生にそれほど、執着はなかったし姉とのあの約束だけが、頭の中を滑っていた。だからできる限りは生きて帰ろうと思っていた。まだ、誰かに傷を残せていないから。自分は毒にも薬にもなれていない、亡霊。
それが、無茶な話でも、どれだけ現実的でない望みでもどれ程ありえない夢物語でも、絶対に諦めるのはやめようと感じていたのだ。
例え、万が一、自分が駄目でも自分がこれからの戦いの中に倒れ、戻ることができなかったとしても、別の戦場で戦っている仲間や故郷や各地に残してきた人々は無事であるようにと。
少年は剣を構えて、立ち上がる。雨を切り払うように剣を振り回し、怪物に突き付ける。飛沫が散り、血で染まった地面を濡らす。
「勇気とか正義とか、そういう綺麗な物じゃない。だけど、お前にはそれで十分だろ?怪物」
少年は力の限り、戦い抜いた。
ほとんど無限に再生する怪物を徹底的に破壊し、長い年月をかけて復活するまで動けなくなるようなところまで追い詰めた。
誰もが驚愕する善戦だった。しかしそれだけだ。禁忌の技を使った。そうでなければ勝てなかったから。自爆に等しい業を使った。そうでなければ倒せなかったから。それでも彼が生きていたのは寸での所で、少女が助けに入ったからである。史上最強を自称する勇兵が助けに入った。これが少年の分岐点だった。
「ワハハハ!瀕死だな、少年!だが、安心したまえー。このアストロメリア様に任せておけ!」
戦場に場違いな声が轟いた。桜色の瞳を輝かせ、少年を庇う少女が出現した。金色の髪をふわりと揺らし、燃え上がる闘志を手に少女は傲慢に胸を張る。
身体は細く、四肢の先までスラリと伸びていた。不気味なほどに美しいと思った。御伽噺の精霊のようだ。
「行くぞ!」
地面が爆ぜた。限界まで練り上げた魔力を前提にしなければ、生身では決して到達できるはずがない常識外の動きだった。
30歩以上あったはずの距離がわずか2歩で潰される。剣が振り下ろされ、怪物の胴体に鮮血が舞う。
踏鞴を踏む怪物が、巨大な体を宙に浮かし後ろに下がる。先ほどまで金色だった少女の髪は、腰まで届く長い深紅に変わっていた。くふっと小さく息を漏らして少女は、幼い子供のように無邪気に凄絶に嗤った。好戦的な笑みに怪物は怯む。
咆哮と共に怪物の触手が周囲を蹴散らしていく。少女は魔力を限界まで熾し、触手の嵐をくぐり抜け、何も考えていないような真っ直ぐな軌道で、正面から剣を突いた。
「おりゃあああああああ!!!!!!」
裂帛ながら、気の抜ける叫び声と共に怪物が宙に舞った。巨体を少女がぶん投げる光景を見れば、誰もが驚くだろう。しかし、彼に驚愕はなかった。
魅せられていた、どうしようもなく。彼女に。
少女の持つ剣の刀身が赤く輝く。そして、それは起こった。
「『アル・イグニ』」
灼熱の光線が空を穿った。気が付けば、怪物は一部の肉片を残し消滅していた。
「うむうむ、やはり私はさいきょーだな!少年も無事でよかった!」
天真爛漫で、自由で、眩しい少女だと思った。
同時に、その太陽のような笑みと漲る魔力そして瞳の奥に見える怯えを見て、少年は心に決めたのだ。
この少女の傷になって死にたいと。