2001年11月10日、トピアがこの世界に来てから20日目。
航宙工作艦インファクトリ級1番艦インファクトリは月の軌道上にスタンバイし、出撃準備を完了していた。その甲板には108機1個連隊の迅雷がずらりと整列し、周囲には同じく108機1個連隊のTOMが空中待機、それらの視線の先にはまた別の迅雷が堂々とした立ち姿を見せていた。
ターニャ≪総員傾注!≫
号令を掛けるのはターニャ・デグレチャフ少将。彼女は新方式の定型スキルである『術式』とその並列起動手法を開発(実際には前世の魔導知識を公開)した上にわずか1週間で地球選抜衛士達に再訓練を施して最低2並列起動が可能な魔術機甲連隊、多脚戦車機甲連隊、並びにこれらを統括する戦闘団を編成し、堅固な命令系統を確立。その手法を資料として提出したことで、功績を認められ早速1階級昇進していた。地球圏のBETA掃討が完了すれば全員1階級昇進予定なのでターニャは中将昇進まで既にほぼ確定している。実際には佐官や将官に上がるためには士官教育が必要なので昇進予約という形になる者もいる。
攻略するハイヴの数に対し昇進が遅い様に見えるが、今後攻略するべき数を考れば、安易に昇進させすぎるとみんな大将になってしまうのだ。
ちなみに匠衆戦闘班の軍事階級がどのような扱いかと言えば、マインが総軍大元帥なのはいいとして、代表のトピアが大元帥と暫定同格、ラリー、スコア、ステーク、九十九、聖騎士が暫定大将、百万人の星屑の聖十字軍が准将相当官になっている。
暫定というのはマイン以外が士官教育を受けていないためについているもので、今後みっちり教わることでこの暫定が外れる予定となっている。ただし成績によってはトピア以外は准将あたりに一旦降格される場合もある。ラリーが露骨に嫌そうな顔をしていたが、軍事階級というのはそもそも個人の戦闘能力の指標ではなく誰の命令を聞くべきかという優先順位なので、戦略・戦術の理解度が高い者を上位に就けるのは妥当な措置である。
星屑の聖十字軍の准将相当官というのは格に応じた命令拒否権や緊急対応権限があるだけで、基本的には作戦指揮に従う。百万人が指揮権を持っていては船が山に登ってしまうが、聖騎士の複製体の階級が露骨に低くて問答無用でこき使われるのも問題だという二律背反から生まれた措置である。実際の運用では星屑の聖十字軍が納得しない様な悪逆非道の作戦を行うべからずということだ。これは匠衆の作戦行動が道理に外れた方向に行っていないかを大きな不満が溜まる前にチェックする意味もある。
また、匠衆生産班はトリオ工場長が技術元帥、サティとテクスが技術大将という扱いになっている。勿論軍事に関する指揮権は無いが、これはインファクトリを運用するのに一応名目上の軍事階級が必要だったために付与されたものだ。
ターニャが編成した戦闘団の団長は現在ターニャ・デグレチャフ少将、参謀がパウル・ラダビノッド准将となっている。
魔術機連隊の構成としては黒の宣告連隊から抽出した各員を元の連隊のポジションである連隊長から大隊長、副長に配置し、その下に他の部隊を取り込んだ形だ。つまり連隊長のアイリスディーナがターニャの直属なので連隊自体もターニャ直属ということになる。
戦闘団各員は出撃の24時間前には地球圏に戻ってきており、話には聞いていたもののこの僅かな間に本当に中国とソ連がなくなっていることに改めて吃驚したものだが、大国が無くなった割には犠牲者は少ないので、今ではそれも落ち着いている。
この月面攻略作戦の模様は地球各国で生放送されており、今回の作戦を指揮するターニャの演説が始まった。
ターニャ≪戦闘団諸君、戦争の時間だ。いや、もはや戦争の様なもの、と言った方が良いだろう。月のBETAは光線級すら存在しないという有様だ。30年前の地球人類にはそれでも手に余る相手であったが、現在ならば第3世代相当の宇宙用戦術機が存在すれば対抗が不可能ではない程度の相手だ。更に今回我らは良き隣人である匠衆の戦列に加わり、先端技術の粋を集めた強力な装備を使わせてもらうのだ。これに諸君らの経験と練度を併せれば鎧袖一触は確実である。このような実弾演習も同然の戦場で落とされる間抜けはいないものと期待する。今回幸いなことに装備以外は地球人の手によって月のBETAを叩く機会を賜った。諸君、轡を並べて共に戦ってきた地球の同胞諸君。今が反撃の時である。我が物顔で居座る奴らを蹂躙し、粉砕し、鏖殺し、月に骸を積み上げよ!≫
小柄なデグレチャフ少将が、あの名高き、悪名高き破滅の予言者が、勇ましく拳を振り上げて戦闘団各員を鼓舞する。そこにいつもの悲観的な言葉は微塵も無い。しかも少将は衛士強化装備に身を包み、迅雷に乗り込んでいた。少将自ら出撃するつもりなのは明らかであった。
ターニャ≪なお戦力的には私が出るまでもないだろうが、今回ばかりはこの私も出撃させてもらう。すまないが、今こそ亡き戦友達との約束を果たすときなのだ。だから言わせてもらおう。……月面よ、私は帰ってきた!! ここに月面帰還作戦の開始を宣言する! 地球連合戦闘団出撃ッ! 総員! 我に続け!! 我に続け!!!≫
地球連合戦闘団。これは地球連合という組織の戦闘団ではなく、地球の力を結集した戦闘団という意味だ。どちらかというと地球団結戦闘団と表記した方が実態に近い。英語表記では国際連合やアメリカ合衆国の影響も窺えるが、要するに折角風通しが良くなったのだからとっとと統一政府を作れというメッセージも兼ねている。
地球連合戦闘団各機には国連の様に地球を意匠化したエンブレムが貼り付けられていた。
本作戦で最初の目標は神酒の海、月のオリジナルハイヴであるサクロボスコハイヴだ。一つのBETA着陸ユニットから分化したハイヴは全てオリジナルハイヴの重頭脳級が統率しており、重頭脳級だけ仕留めれば厄介な学習機能が停止するという情報は既に匠衆加入者だけでなく国連にも共有されている。
34年もの長きにわたってBETAと戦い続けてきた月面戦線帰りが、地球最古参が、自ら先頭に立って月面に突撃していく。御年59歳が何故こんなに若々しいのかという疑問はあるが、その姿は美しい。まるで戦士達をヴァルハラへと導く戦乙女のようだ。
なおデグレチャフ少将の内心はと言えば、
ターニャ(勝てる戦争で!! 勝てる軍隊で!! 安全が十分に確保された強力な装備で憎い生体重機どもを蹴散らすだけの簡単なお仕事で、ストレスを解消しながら功績も稼ぎ放題!! 非生産的な生体重機どもが私に立身出世の好機をプレゼントしてくれるというのだから、これに参加しない理由が無い!!)
というものであった。全くの平常運転である。
トピアや九十九はその辺りを重々理解していたが、傍目にはBETAとの戦端を開いたデグレチャフ少将が、先に逝った月や地球の戦友達の悲願を胸に、高潔な使命感と責任感を以て自らそれを終わらせにかかるという感動的な光景であった。しかも戦闘開始と同時にターニャ機は周囲に10機以上の見た目上は旧型の戦術機を出現させ、それらは旧型戦術機とは到底思えないパワーとスピードで各個に周囲のBETAを駆逐し始めた。地球連合戦闘団各機もターニャに続いているが、これはターニャ機だけに起きている現象だ。更によく見れば足元にはかつて月面戦線を支えた懐かしき戦闘外骨格ハーディマンの姿まで見えた。
まさか。これはまさか。本当にヴァルハラから死せる勇者達が帰ってきたとでもいうのか。約束を果たすべく戦い続けた月面戦線帰りの、地球最古参の、我に続けという呼びかけに応えたとでもいうのか!
客観的な事実としては、これは光学欺瞞デコイを更に改良して攻撃能力を付与した新型の術式であり、Gビットみたいなものだ。デコイの形を変えるのは前世でも出来るとちょっとした自慢になった小技で、ライン最古参のショーンズがやっていた空中行進みたいな、実用性とはまた別の奴だ。まあ単に沢山いる様に見せかけるとか別の所にいる部下が一緒にいる様に見せかけるというトリッキーな使い方が出来なくもないが。
その小技を使って、折角だからこの晴れ舞台でせめて形だけでもかつての勇敢な部下達と共に戦い、その無念を晴らしてやろうというちょっとした思いつきでこの形にしたのだ。そしてこれを真似しようにも他の各員はターニャに比べるとまだまだ術式並列起動数が少ないので攻性デコイに割く余裕がなく、アレンジ以前の問題だ。
しかし、これにはターニャを恐怖の対象と見ていた米国国防総省の者達でさえ、いや、だからこそ、英霊の存在を信じてしまった。何しろ出現した戦術機の肩にはかつてフィンランド防衛のために命を散らしたジョン・ウォーケン大佐率いる連隊のエンブレムがついており、米国国防総省が記録を照会してみれば、当時の損失機と機体ナンバーまで一致しているのだ。やはりあの女は人知を超えた何かだったのだ。
更にターニャは事前に戦闘団員にも説明しておらず、光学欺瞞デコイを自機と異なる形状で出してみせたのは今が初めてなので、戦闘団各員ですら奇跡が起こったのだと確信した。そもそも本来の用途としては光学欺瞞デコイは本体と同じ形でないとデコイの役割を果たさない筈なのだから。
実のところ、トピア達ですらこれを否定する言葉を持たなかった。ターニャの内心は別としてターニャに後を託して散っていった戦友達のターニャに対する信頼は本物なのだから、そんな奇跡が起きても不思議ではないのだ。だってターニャはいつでも約束を守るのだから。
ウォーケン≪あれは……父さん……!? そこにいるのか……!?≫
アルフレッド・ウォーケンは父の最期の言葉を思い出した。
――もう一つ、命があれば良いのだが。
――そうすれば。
――もう一度、合衆国のために戦えるのに。
ウォーケン≪本当に帰ってきた……一緒に戦ってくれるのか……!?≫
この言葉は、最期まで国と人類のために尽くしたジョン・ウォーケンの言葉を本来機密である戦術機のレコーダーから特別に抜粋して聞かせてもらったものだ。
死してなお合衆国のために戦おうとした父の魂が言葉通りに帰ってきたと知ったウォーケンの頬を涙が濡らした。
みちる≪これが本物の戦乙女だというの……?≫
アイリスディーナ≪閣下の呼びかけに勇者達の魂が帰ってきたのか……! 少将閣下に続け! 勝利は我らにあり!≫
アイリスディーナは歓喜に打ち震えた。たとえ死してもあの戦列に並ぶことが出来るのならば、恐れることは何も無い。地球連合戦闘団の士気は限界を超えて上昇した。スパロボで言えば200くらいだ。
その心情をトピアが聞けば命を大事にして下さいと説教を垂れるだろうし、ターニャが聞けば死んでも戦わされるブラック労働で喜ぶなんてやっぱり戦争狂の感性は分からんとため息を吐くだろう。