2002年1月1日。この日、この世界では、あ号標的、すなわちH01喀什の中枢である重頭脳級を叩くことを目的とした桜花作戦が実施されていた。
桜花作戦は、希望と絶望が隣り合わせとなった一か八かの作戦であった。
希望はまずH01喀什の地下茎構造詳細、それに加えてBETAの命令系統が箒型であり司令塔であるあ号標的さえ機能停止させればH01喀什から分化したハイヴのBETAは学習も戦術行動も不可能になる、という2つの決定的情報が00ユニットの諜報活動によって判明したこと。そして切り札である凄乃皇四型が曲がりなりにも運用可能になったこと。
絶望は00ユニットと横浜基地の反応炉、いわゆる頭脳級に直接接続してODLの浄化を行っていたためにBETAに情報を抜かれるという大失態だ。つまりこの作戦に失敗すれば地球人類は詰む。
オルタネイティヴ4計画が主導する桜花作戦が失敗した場合には即座にオルタネイティヴ5計画が主導するトライデント作戦が発動する手筈になっているが、これはG元素欲しさにユーラシア各地のハイヴの上層部だけを半端に攻撃してその結果ユーラシアを海に沈め、米国が大減圧で壊滅するという盛大な自爆である。
ただし、ここ1時間でこの世界の人間には唐突に未来の記憶が流入しており、トライデント作戦の結果が碌な物にならないと実行前に分かってしまったため、特に米国で暴動同然の大反対運動が起きた。米国政府もこれを深刻に受け止め、地球脱出はともかくG弾の大量投下に関しては再検討を宣言した。
この再検討というのは単なる中止ではなく、H01喀什のアトリエを諦めて中枢撃破を目的としたG弾集中投下の検討を含むものだ。確かにそれならば重大な副作用を引き起こさずに勝てる見込みがある。
このトライデント作戦の再検討という点では本来の歴史よりも大分マシだと言える。しかしだからと言って桜花作戦が順調に進むかと言えば、そうはならなかった。
白銀 武少尉、社 霞臨時少尉、00ユニットとなった鑑 純夏少尉はどうにか起動させた凄乃皇四型を任され、その凄乃皇四型を5機の武御雷が護衛する形で喀什への突入を試みていた。
今武達に随伴しているのはソ連のネウストラシムイを旗艦とする国連宇宙総軍第3艦隊だ。
・第1戦隊:爆撃装備、戦隊旗艦は再突入型駆逐艦 早蕨(日)
・第2戦隊:爆撃装備、戦隊旗艦は再突入型駆逐艦 夕凪(日、一文字鷹嘴艦長)
・第3戦隊:降下部隊輸送、戦隊旗艦は再突入型駆逐艦 エイラート(イスラエル)
・第4戦隊:降下部隊輸送、戦隊旗艦は再突入型駆逐艦 シャイロー(米)
・第5戦隊:A-01部隊輸送、戦隊旗艦は再突入型駆逐艦 ラファイエット(仏)
この第5戦隊がA-01部隊、伊隅ヴァルキリーズの武御雷5機を運んでいるが、運ばれている状態ではコンテナの中にいるため戦闘は不可能だ。この状態で大気圏再突入を行い、途中でコンテナを切り離してH01喀什の門の一つであるSW115への降下を目指す。
しかし桜花作戦は作戦発動直後から見込みとは大違いの誤算が生じていた。
霞「第1・第2戦隊が多数のレーザー照射を受けています……! 第1戦隊の90%が轟沈、第2戦隊も40%を切りました……!」
武と霞の目の前で、一緒に大気圏突入する予定だった再突入駆逐艦が次々に爆散していく。想定よりも更に被害が大きい。
武「じゅ……重金属雲はッ!?」
霞「濃度不足です! 敵はAL弾をほとんど迎撃していません……!」
武「畜生やっぱりかッ!」
横浜基地からの情報流出によりこの短時間でBETAが人類の戦術に対応したことまでは武も承知している。だがそれ以上に状況が悪くなっているのは何なのか。
霞「ラザフォード場に高出力照射、次元境界面が不安定化しています……! 数十体の重光線級が焦点を合わせているようで……いえ! 加えて一部の重光線級のレーザー出力が想定より大幅に強化されています! 比喩ではなく出力の桁が違います! このままでは……!」
武「何だって!? くっ、機関出力――」
再突入開始間際に、従来種を遙かに上回る強力なBETAが突如現れて戦場を蹂躙しているとは聞いていた。不安要素ではあったが、今を逃しては喀什を攻略する機会は永遠に失われるため桜花作戦は断行された。だがこれでは地表に辿り着くことすら難しい。
せめて凄乃皇四型が万全の状態であれば、と考えそうになった武は即座にそれを振り払った。弐型からムアコック・レヒテ機関を移植して、足りない出力を自衛武装を降ろしてまで大量のバッテリーで補った不完全版とはいえ、今出せる最善がこの凄乃皇四型なのだ。今出来る限りを持たせて送り出してもらったのだから、そこに差し挟むたらればは意味が無い。
武が一瞬の逡巡の後に純夏の力を借りてラザフォード場出力を上げようとしたところで、目の前を遮るものがあった。
まさかもう夕凪が、と武は先ほどから混濁しがちな記憶を頼りに推定したが、それは幸いにして夕凪ではなかった。
千鶴≪白銀、その必要は無いわ!≫
榊 千鶴少尉の声と共に、凄乃皇四型の目の前に5機の武御雷が躍り出て、左掌をかざして全ての光線を完璧に防いでいた。いや、防ぐどころかはじき返してすらいた。しかもはじき返した光線が的確に地上の重光線級を焼いているらしく、地上からの光線はみるみるうちに勢いを減じていた。
いや、光線の眩しさと混乱による距離感の喪失から誤認していたが、よく見ればそれは武御雷ではなかった。
武「い、委員長!? その機体は……!?」
意匠は武御雷同様の鎧武者ではあるが、距離計の情報が確かなら全高180mを誇る凄乃皇四型よりも更にでかい。それが5体、凄乃皇四型の護衛についている。こんなものは突然混入した未来の記憶にも無い。
IFFは味方を示しているが、国連軍でも日本帝国軍でもない。Meistersと表示されている。
霞「ごう……らい? 純夏さんはあれが轟雷だと言っています」
武「轟雷?」
名前とデザインからしてどこかの周回で日本帝国軍が武御雷と凄乃皇と合わせて開発した決戦兵器だろうか、と考えるものの、そもそも何故それがここにあるのかという説明がつかない。いや、不確かながら死んだ筈の人が突然復活したという情報もあるので、その類いだろうか、と武は首を傾げた。
慧≪白銀、寝坊は良くない≫
どうやらその轟雷に乗っている千鶴達だけでなく純夏もある程度事情を理解出来ているようだが、寝坊とは何のことだと武が困惑していると、更に事態が動いた。側面から更に強大なレーザー照射を受けたのだ。
武「何だ!?」
霞「エヴァンスク方面からの曲射攻撃です! 強化型の重光線級よりも更に桁が上の出力――ですが、御剣機が完璧に防いでいます! ラザフォード場とはまた別のバリアのようです」
シベリア極東のエヴァンスクは地球上で角度にして90°以上離れた所にある。そのため、どれだけこちらの高度があっても地平線に遮られて喀什までは光線が届かない筈なのだ。だがそれを曲射で解決しているという。意味が分からない。そしてそれを防いでいる轟雷の性能もやはり意味が分からない。
冥夜≪無礼るなッ! この程度でやられる我らではない!≫
見れば冥夜のものと思しき轟雷が腕を組んで仁王立ちになり、青い球状フィールドを張って光線と凄乃皇四型の間を遮ることで超高出力レーザーを防いでいた。驚くべき事に、それを防ぐのに全く疲弊している様子は無い。出力にはまだまだ余裕があるように見えるが、反射しないのは、恐らく反射しても地平線に遮られて届かないからだろう。
壬姫≪榊さん、反撃します!≫
千鶴≪許可するわ! 見せてやりなさい!≫
地平線の向こうにどう反撃するのかと武が見守っていると、壬姫の轟雷が機体全高にも匹敵する物々しいロングライフルをどこからともなく取り出した。
壬姫≪了解、曲射中継弾射出、標的ダブルロック、出力10EW、アンチプラズマリング起動、環境重力誤差修正……ファイアッ!!≫
壬姫がロングライフルをエヴァンスク方向の虚空に向けて構え、引き鉄の一つを引くと、こちらはまず曲射中継弾という砲弾状の子機をとんでもない速度で遠方に射出し、続いて引き鉄のもう一つを引くと、銃口から橙色の強烈な光線が迸った。
橙色の光線は曲射中継点に到達すると鋭角に曲がり、地平線の彼方のエヴァンスクを穿った。その直後にBETAの曲射レーザー攻撃が途絶えた。
美琴≪強化型超重光線級のラザフォード場を貫通、撃破を確認したよ!≫
スポッターを担当していたらしき美琴から朗報がもたらされ、従来種すらまだ確認されていない強化型超重光線級とやらの撃破が確実となった。
武「あれは……いや、たま以外が碌に使えずにお蔵入りになったレーザー曲射狙撃銃試製壱型? オレも知って、いる?」
何だあれは、と驚愕する思考の一方で、確かな記憶が湧き上がってきて、武は現状を正しく認識し、意識が切り替わった。