紀元前の話になる。この時代は文明が未発達で食糧供給も安定しなかったため、大半の人々が生きるだけで精一杯で、生きているだけで辛いという事情があった。
そこでまず出てきたのが、死後の世界という概念だ。死後のことなど誰も立証しようがないのだが、逆に完全に否定するのも難しい。現代ならば立証責任や悪魔の証明という観点から、存在を主張する側が証拠を示さない限り論ずるに値しないという結論になるのだが、それでも宗教を信仰している者は少なくない。そういった論理が存在しなかった古代ならば尚更だ。死後の世界の概念は救いを求める人々の間に比較的早期に普及した。これは古くは紀元前4千年頃の古代エジプトには既にあったという。天国という概念も紀元前1600年頃のゾロアスター教にあった。
そんな時代に、画期的な解決法を編み出したのが釈迦だ。釈迦、釈尊、或いは仏陀、本名ガウタマ・シッダールタの生まれは紀元前7~5世紀と言われる。
仏陀というのは仏の悟りに至った人を指し、本来は個人に対する名称ではないのだが、仏の悟りに至ったと万人に認められている人が釈迦しかいないので、結局の所仏陀と言えばまず釈迦のことで間違いない。
そもそも釈迦というのも実はガウタマ・シッダールタの出身であるシャーキヤ族もしくはシャーキヤ国に由来しているので、本来は個人名ではない。これも
ついでに言うと本名とされるガウタマ・シッダールタはガウタマがファミリーネームでシッダールタがファーストネームだが、シッダールタとは「目的を達成した人」という意味であるとされており、生まれた時点でこう名付けられるのは不自然なので、名前と意味のどちらかが後付けではないかという疑いがある。
ともあれ、そのガウタマ・シッダールタは、シャーキヤ国の王子として生まれた。一説によると、彼が生まれたとき、アシタ仙人が現れてシッダールタは偉大な王か偉大な出家者になると告げたという。それが真実だったかどうかは定かではないが、王家としては跡継ぎに出家されては困るので、シュッドーダナ王はシッダールタが厳しい世間を知らずに済むように外出を禁じて贅沢三昧で育てた。
しかしこの甘やかし作戦は裏目に出た。後の世で言う四門出遊で初めて外出したシッダールタは、患者、老人、死者という現実を目にしてショックを受けた。そしてここに輪廻転生という世間の常識が加わったことで、彼は恐怖した。王子として外出禁止と引き換えに贅沢三昧してても鬱になるのに、他の貧しい身分に生まれ変わったら碌でもないことになるのは火を見るより明らかだ。そうした恐怖に駆られたシッダールタが4つ目に目にしたのが聖者の姿だった。彼はそこに希望を見出した。出家したら輪廻せずに済む方法が見つかるかもしれないからだ。
現代だと輪廻転生は仏教特有の概念のように思われがちだが、この概念は釈迦が発明したものではない。彼が生まれた頃には彼の故郷でも既に知られていた。また、ヤージュニャバルキヤというウパニシャッド哲学者が提唱した「善行や悪行を重ねると
そんなわけで、当時の常識からしてこのままでは輪廻してもっと不幸な身分に生まれ変わってしまうぞという強迫観念に囚われたシッダールタは、王族の務めとして跡継ぎを作るやいなや出家して修行の旅に出た。輪廻の恐怖に怯えながらも最低限の務めは果たしている所に一応の責任感が見られる。
シッダールタはまず解脱に至るための既存の2つのプランを試してみた。瞑想と苦行だ。瞑想は認識上で自己と三千世界との境目を無くすことで煩悩を捨てられるという有効な手段ではあったが、瞑想している間しかその状態が続かないという難点があった。一方の苦行は、確かに我慢強くはなるのだが、煩悩を我慢出来るようになるだけで煩悩自体を捨てられないので、結局常に我慢しなければならないという難点があった。
そこでシッダールタは比較的正解に近い瞑想をベースに改良を試み、
普通の人間としてはそんなこと可能なのかと考えてしまうところだが、どうもこの
こうしてシッダールタは
1.現世におけるストレスを永続的に無くせる
2.恒常的な我慢や24時間瞑想、苦行といった困難な方法に頼らず、自身の客観視によって達成可能
3.それでいて解脱に至り輪廻の輪からリタイア出来る
という一石三鳥の、当時としてはまさに理想の処世術を編み出し、仏の悟りを開いた人、仏陀となった。
さて、釈迦の悟りから当時の宗教的常識である輪廻転生と解脱を抜いてもまだこの教えには価値観の変革によるストレス解消法としての実用性がある。そういう意味では現世利益をきちんと考えた大変有難い教えだったのだが、流石に現代にそのまま適用するのは無理がある。というのも、釈迦の教えは不幸によるダメージを回避するのには役立つが、同時に幸福をも捨てた
ときに、釈迦にはもう一つ名前がある。
ただし聖人ヨサファトの経歴は釈迦とそっくりでありながら似て非なるものになっており、シャーキヤ王家から出家して自ら仏教を創始したのではなく、インドの王である父に反発してキリスト教に改宗し迫害されたことになっていた。釈迦が生きていた時代はキリスト教が出来るより5世紀以上前のことなので時代的にあり得ない。どちらかと言えば釈迦の逸話を流用して架空の聖人がでっち上げられた形だ。
何故こんなことになったのかと言えば、教会の都合としては十字軍の正当性をでっち上げる為のプロパガンダだ。しかし全く根も葉もない話というわけでもなく、釈迦が入滅後に存在X配下に天使として迎えられていたので最終的にはアブラハム系一神教勢力に組み入れられており、そのあたりの時系列を
更に言えばシッダールタの目的は二度と輪廻転生しないことであり、それは天上への転生も含めてのことなので、死後に無期限で神の使いなんてものをやらされるのは大変不本意でありがた迷惑なことであった。そもそも釈迦は生きていた頃には宗教関係を除くとまともに働いたことがない。
神の元での無期限労働も、伝承のでっち上げも、普通の人間ならばとんでもないストレスになる筈だ。だがこの問題を何とかしたのもやはり悟りであった。どんなストレスも究極の自己客観視である悟りの前には他人事でしかない。まああくまで精神的解決法であって、問題自体はそのまま放置なのだが。
そういう事情で釈迦が入滅後も悟りを極め続けた結果、そこに信仰力が加わることでついには自身の宇宙を生み出して天使最強に至ってしまったのだが、釈迦は既に煩悩を断っているので出世欲なんてものも無く、いまだ第3位天使に甘んじている。
しかし結果的にやはり悟りの境地はどんな場面でも有用であるという確信を深めており、下界の衆生が悟りに至ろうとする意欲を失っていることを嘆いて……いや、下界のことも所詮他人事なので嘆いていたわけではないが、どうして自分が教えた方法で悟りを開こうとしないのかと不思議には思っていた。
まあ要するに、困難を厭わず未知を求めてひたすら前に進むラリーや
そういえば
ともあれ、その釈迦とは正反対のラリーが、決然と言い放った。
ラリー「だから
確かに
その前向きすぎる言葉に、
ラリー「負けるかァァァァ!!!!」
ラリーはこれをわずか42の武器でよくさばいたが、千の腕による秒間1万6千を超える掌底ラッシュを受け続けたそれぞれの剣が耐えきれずに次々に破壊されていった。そして遂に武器本体である両手の
邪神クトゥルフとの戦いをも耐え抜いた
ラリー「ッらぁ!!」
武器破壊に動揺することもなく轟雷が
天元突破轟雷でも操縦席は頭の中にあるので、頭を殴るのは魔導衛士に対する直接ダメージになる。
ラリー「――案外鈍いな!!」
ラリー「貧弱? ハッハー!!
そもそも
人の信念、矜持、心の刃とは、全ての虚飾を剥がして最後に残るものだ。最初に持っていた
ラリー「ぬ、え、りゃァァァァ!!!!」
ラリーは未来を切り開く心の刃を握りしめ、まず肩の後ろから前に掛けて切り裂き、そこから更に袈裟懸けに、渾身の力を振り絞って
なおここまでの間工場長は限界を超えた縮退炉、GSライド、螺旋力変換炉の出力調整に専念していた為、全く言葉を発する余裕がなかった。