有効射程距離25バ身   作:sabu

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7/30 夏期休暇

 

【シンボリエウロス、メイクデビュー戦をダートに決定】

【異質なローテーション。早すぎるメイクデビュー】

 

 ——19バ身差という、前評判や関係者の声を全て覆すようなレースでしたね。

 ——……………。

 ——ダート戦という舞台でも変わらぬ、最後方からの捲りで勝負を決めましたが、何か手応えはありましたか。

 ——……………………。

 ——レースレコードはおろか、コースレコードを更新し、しかも日本レコードを更新しましたが、今の感想は。

 ——……………………………。

 

【19バ身差の蹂躙劇! 最速上がり3F 34.4秒】

【シンボリエウロス、ダート1000m日本レコード。58.3。歴代最速の勝ち時計】

【日本のダート1000mは遅れてる? 前日本レコードはジュニア級未勝利戦。世界レコードとは5秒近い差】

 

 ——えぇっと……。

 ——すみませんが、カメラのフラッシュは控えてくれませんか。後、もう少し小声で。

 

【メディアによるあの事件から四年。耳は終始後ろに絞られたまま】

 

 ——申し訳ありません……ではもう一度お願いします。今回は非常に早期なデビューを果たしましたが、何か理由はあるのでしょうか。

 ——既に自分の能力がデビューを迎えても可能な水準だと認識した結果です。クラシック三冠も目標にしています。

 ——なるほど、ではダート戦に挑んで来たという事ですが、何か理由はあったのでしょうか。

 ——実は私、ダートの方が得意なんですよ。

 ——………はい?

 ——経験の問題ですが。中央トレセンに入学する前、ダートの方を走っていたので。

 

【速報。シンボリエウロスは芝・ダート二刀流】

【ダートでは小柄なウマ娘が不利? 前評判を覆した怪物の足跡】

 

 ——な、なるほど。では今後のローテーションはどのようにお考えですか?

 ——まずはジュニア級最初の重賞レース、札幌ジュニアステークスを目標にしていました。そこから逆算して、ダートと札幌レース場を把握する為ここでデビューしました。

 ——再びのダート戦ですね……芝のレースはどうするのですか?

 ——その後の細かいローテーションはまだですが、ジュニア級G1の朝日ステークスか阪神ステークスには出走します。

 ——なるほど、同期に敵はいないという考えですか?

 ——無敗クラシック三冠を狙うなら、ジュニア級で力を消耗するべきではない。ならジュニア級で多くレースに出場するという事は、同期に敵がいないと考えているから。そういう考えは絶対ではないと思います。

 ——では、同期の中で注目してるウマ娘はどなたですか。

 ——まだ言えません。今から特定の方を上げれば迷惑になるでしょう。ただ強いて言うなら、勝ち上がって来る全員が私の敵です。

 ——全て……相手にすると?

 ——はい。

 

【シンボリエウロス、堂々宣言! 『皇帝』が成し得なかったジュニア級からの活躍か】

【ジュニア級最強の称号。世代最強は誰だ!?】

【「全員が敵」頂点に君臨する皇帝か、あるいは暴君か】

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 至極当然且つ当たり前なのだが、中央トレセンはまず前提が学園であり、所属しているウマ娘もアスリートである以前に学生である。

 故に世間一般と同様に夏期休暇がある。つまり夏休み。

 

 ただその夏休みの過ごし方は、世間一般の夏休みとはまるで異なる。

 

 確かに中央のウマ娘達は、前提として中等部、或いは高等部の未成年だ。

 だが普通の学園生活を送りたいのなら普通の学校に行けば良い。

 中央所属ウマ娘とはトゥインクル・シリーズを舞台にしたアスリートであり、アイドル的な存在である。

 故に、心が完全に折れているなら違うが、中央所属のウマ娘は夏期休暇をトレーニングに充てる。

 

 本格化の全盛期の成長率は、本格化前の数倍に相当すると言われているのだ。

 この夏休みをどう過ごし、どうトレーニングしたかで大きく差が出る。

 差を生み出す為に、多くのウマ娘は中央トレセンが主催する夏合宿に参加する。

 

「えっと……今日ここに来てもらったのはですね、私達の関係性に対する相互理解を再度確かめる必要があったと認識したからです」

「………(コクッ)」

 

 ただ、何ごとにも例外はある。

 彼女達がそうだった。

 彼女達二人は、トレーナー室に集まり、机を挟んで対談していた。

 トレーナーがウマ娘寮に入るのは禁止されているが、ウマ娘がトレーナー寮に行くのは禁止されてない。

 入り浸るのは風紀的に良くはないよー、とはなっているがほぼ黙認されている。

 何なら禁止されてないから良いでしょと堂々とトレーナー寮に入るウマ娘は結構いる。

 彼女達もそういう例の中の一つであった。

 仮担当&仮契約という秘密の関係だし、別に女同士だしまぁいっか……という感じである。

 

 またそんな秘密の関係なので、彼女達は夏合宿にも参加しなかった。

 

 中央トレセンが海辺の施設を貸し切って主導する夏合宿制度は、帯同の保健医もいるのでほとんどのウマ娘とトレーナーが参加する。

 が、全員ではない。参加義務がある訳でもない。

 

 チーム契約の場合は、極稀な例外がない限り全員が参加しているが、専属契約の場合は意外と夏合宿に参加していないウマ娘とトレーナーはいる。

 なので、別に彼女達はそこまで浮くような事はしていない。

 そもそも彼女達は、そこに存在しているという事実があるだけで浮くので、夏合宿に参加しない程度誤差だ。

 

「はい。ではまずその前に……私が何を言いたいか、分かるよね?」

「………(フルフル)」

「……本当に? 本当に分からないの? 少し手を胸に当てて考えてみて?」

「分かりません」

 

 まさかのノータイム。

 迷うそぶりも無ければ悩むそぶりも無し。

 

 私は今まで品行方正に生きて来ました。

 怒られるような事をして来たとは思えません。

 何だかそんな圧すら感じられるほどに清々しい断言。

 一瞬滲み出ただけなのに凄まじい暴君っぷりだった。

 

 ——エウロスちゃん……まさかとは思っていたけど、これ超気性難だ………。

 

 トレーナーの感想はほぼ的を射ていた。

 そしてこんなどうでも良いところで、学園でシンボリエウロスの気性を理解した最初の存在に彼女はなった。

 品行方正。寡黙。トレーニングは真面目にこなす。授業態度は良い。成績も良い。

 シンボリエウロスは気性が良いとは思われていないが、それ以上に気性難とは思われていない。

 

「…………」

「…………」

「……私が貴方に一切の迷惑をかけていないとは思っていません。貴方に私はいきなり仮契約を申し込んだという失礼があります。

 ですがそれ以外の事は貴方に迷惑をかけないよう、品行方正に過ごして来た自信があります。この関係が不服になったというのなら、今すぐにでも解消しても構いません」

「あー………」

 

 シンボリエウロスがあまり口を開かない。

 正確には口を開きたくないタイプだ。

 深入りしないと決めているが、多分それが気性とか手間とかではない、結構深刻な理由だと察している。新人トレーナーの彼女だけが察している。

 

 だから、こんな多く喋らせた事に、微妙な負い目を感じた。

 

 シンボリエウロスは察しが早い。短い言葉で会話する為に。

 だからと言ってまぁ、じゃあ察して欲しいという感情を表に出すのは間違いでしかない。

 何やってんだろうか。

 別に悪い事は何もしてないのにな。

 

「うん、ごめん。ちょっと意固地になっちゃった。

 ……いやちょっとさ、私がちゃんと理解してなかったのが悪かったんだと思うからさ」

「いえ、私にも非はある筈です。いや、私にも必ず非はあります。ですが互いに謝っていては話が進まない。何がありましたか」

 

 こういう後腐れを残さない話の早さは、慣れると良いな、と思いながらトレーナーは話を進めた。

 

「あのさ……獲得賞金の割り振りの問題なんだけど」

 

 ウマ娘のレースは、比喩でも何でもなく凄まじい大金が動く。

 G1ならば億単位。G2やG3ならば数千万。それ以外の俗に言うレベルの低いレースですら、1着を取れば数百万〜一千万は簡単に動く。

 そしてメイクデビュー戦&未勝利戦は一律400万だ。

 

 ちなみにこれ、URAから引かれない。

 

 凄い簡単に言うと、税のように何割かがURAに持って行かれるとかがない。

 ウィニングライブの売り上げや名門と呼ばれるスポンサー、更にはぱかプチなどのグッズによる売り上げの数割がURAの懐に入り、運営に宛てられているから。

 つまりレースの賞金そのものが、既にURAの運営費や色んな税によって引かれた後なのだ。

 要は獲得賞金が400万なら、その400万がそのまま全額ウマ娘の懐に入るという事である。

 

 だが、当然だがウマ娘は一人でレースに勝っている訳ではない。

 ウマ娘はトレーナーと契約している。だからウマ娘の獲得賞金額の何割かを、トレーナーも貰う。

 担当と契約によって配分比率が異なるが、8:2、9:1が多い。

 9:1の方を選ぶ契約がやや多いと言ったところ。

 ウマ娘が9割、トレーナーが1割。トレーナーが少ない側。

 

 この極端にも見える比率だが、実はこれ、当たり前の事である。

 

 トゥインクル・シリーズの主役はウマ娘だからとかいう認識以前に、トレーナー側は大人であり、そもそも職業である。

 つまりトレーナーは生きていくのに困らない収入が必ずある。

 そしてウマ娘は一度しかトゥインクル・シリーズに挑めないのに対し、トレーナーは何人も担当を持つ事が出来て、何回もトゥインクル・シリーズに挑める。

 そんなトレーナーの方が、ウマ娘より多くの賞金を貰っては絶対にいけない。

 9:1ですら多いと言うトレーナーがいるくらいにはだ。

 

 私が勝てたのはトレーナーさんのおかげだから……と5:5で仲良く半分に分け合おうとする子も中にはいるが、まず成立しない。というか、させちゃいけない。

 中央にはまずいないが、お金にかなりがめついトレーナーでもこれはやらない。

 トレーナーが持つ野心は、お金よりは実績である。

 そもそもお金にがめついトレーナーは5:5で分けようなんて契約を結べる訳はないが。

 

 ——えっと、仮契約だけど獲得賞金は……。

 ——当然払います。分け合うという方が正しいですね。貴方は私の我儘に付き合い、しかも私は更に迷惑すら掛けるのですから。

 ——そっか……うん。分かった。

 ——9:1、で良いですか。

 ——うん。それで一応の契約ね。

 

 彼女達も、そういう担当契約をした。

 いずれ分かれる仮契約だが、それでも本命のトレーナーが見つかるまでは公的な拘束力がある契約。

 勿論トレーナー側としては、シンボリエウロスに何もしてやれないのに獲得賞金だけを受け取るのはお門違いだと考えていたが、それでも一応の体裁とウマ娘側の心情を加味して、彼女は契約を結んだ。

 

 ここまでは良い。

 それよりも大事な事があったしで、獲得賞金の配分比率の話は暫くは忘れられていた。

 そして6月中旬にメイクデビューを果たし、シンボリエウロスは1着を取って来た。

 つまり早速400万円の賞金を獲得して来た。

 

 で、ふとトレーナーは口座を見たのである。

 今更? と思うかもしれないが別にトレーナーは悪くない。

 特に契約には問題なかった筈だから。

 唯一悪いとすれば、エウロスを信用して口座振り込みを全部任せた事くらいだが、それはただの結果論だ。

 だから最初、目を疑った。

 

 360万円振り込まれてた。

 

 なるほど、確かに9:1だ。

 まさかのトレーナー側9割である。

 

「ちょーっとさ、オカシイんじゃないかな」

「…………?」

 

 シンボリエウロスは察しが良い。

 のに、なんか察してくれない。

 いきなり彼女の賢さだだ下がりである。

 

「いや、いやいやいやっ! オカシイよね!? どう考えても比率が逆だよね!?」

「よく分かりません」

 

 まさかの理解度0。賢さのステータス急降下。

 いやというかなんか、断固としてこの比率は逆転させないから……みたいな雰囲気を感じる時点で、目の前の気性難ウマ娘の賢さは全く下がっていない。

 つまり開き直りである。

 

「これ言わないとダメかなぁ! 私が受け取るのは1割じゃないのかなぁ!」

「……………」

「え、無視……? エ……エウロスさん?」

「互いに理解が足りない、と貴方は言いましたね」

「えっ……う、うん」

「じゃあまず貴方に理解させる必要があるみたいですね」

 

 ガタッ……机を叩いてエウロスが立ち上がる。

 不機嫌。不満。

 目線がスっと切れ目になり、耳が後ろに絞られた。

 ウマ娘の第二の表情である耳が動く。

 

 何で私が怒られてるんだろう……?

 結構な理不尽に対する反論を封じ込めて、トレーナーはエウロスを宥めにかかった。

 

「いや待って! これは相互理解の話だったでしょ!?」

「私に非はありません」

 

 ウソでしょ……。

 つい先程、私にも非はある筈だと言っていたウマ娘の姿がこれである。

 

 シンボリエウロスと何か意見が対立する事になるだろうとは思っていた。

 自分の能力が足りてないから。

 だが……何でこんな事で真っ向から意見を対立したのだろうか。

 お金の問題と形容すると深刻そうだが、実情はこんなにお金渡さないで下さいである。

 

「待って、一旦落ち着こう」

「落ち着いています」

「じゃあ、一回座り直そう」

「…………」

 

 不承不承エウロスは座った。

 なんかちょっとピリピリとしていた静電気みたいな圧力が鳴りを顰めていく。

 

「あ、あのね? 普通の担当契約なら私が1割で、貴方が9割で——」

「そうですね。勿論知っています。ですがそれは普通の契約の場合です。そして私達の契約は普通ではありません。故に何の問題もありません」

「い、いやあのね……確かに私達の契約は普通じゃないけど、特別って意味でもなくてね? むしろ本来なら私は一銭も貰う立場にないのに——」

「いいえそんな訳ありません。私は貴方に多大な迷惑をかけ、トレーナーとしてのプライドを傷付ける契約を持ち掛けた。つまり慰謝料です」

「い………いやだとしても貰い過ぎて——」

「いいえ。今こうしている時点で、私は貴方から時間を奪っている。絶対に取り返せない時間を、です。

 この時間に貴方は本来なら他の担当ウマ娘を見つけているかもしれない。そもそも私が貴方と契約を解除したら、周りから何を言われるかも分からない。私は貴方の今後と未来を代償にしている。貴方が9割受け取るのは当然の事だと思います」

「………わ、私は別にお金に困ってる訳じゃ——」

「そうですね。でも私の方が困ってない」

 

 凄い。今シンボリエウロスが全勢力と集中力を活かした頭の回転を使って、自分を説き伏せようとしているのが分かる。

 あまり口を開かない事を意識している子が、何の躊躇いもなく口を開いてる。返答すら許して貰えない。

 

「そもそも現役のウマ娘がそう簡単に獲得賞金を下ろせないのは知っているでしょう? ならお金を腐らせておくよりも有意義に利用出来る人に回した方が良い。

 それに400万円は私にとってはそこまでの金額じゃありません」

 

 12歳の子供が何を……と本当に言えないのが目の前のウマ娘だった。

 超名門。名門中の名門の本家直系筋にして十冠ウマ娘の妹にして、既にダート1000m日本レコードホルダー。恐らくこの国でもっとも高貴なウマ娘で、もっとも未来を期待されてるウマ娘。

 

 だからまぁ、後者は良い。

 400万がそこまでの金額じゃないという普通はおかしい言葉だが、彼女の場合はそれがおかしくない。そもそもウマ娘のレースは数千万が簡単に動く。

 

 話は前者だ。

 現役のウマ娘はそう簡単に獲得賞金を下ろせない。

 

 ウマ娘のレースは、時にヒトの生涯年収に匹敵するお金が動き、戦績によっては僅か数年でその何倍も賞金を獲得するウマ娘がいる。

 

 例えば、トゥインクル・シリーズで史上初6億越えを果たし、なんかそのまま7億も超えて8億も超えて、ついでに9億も越えてしまったシンボリルドルフというウマ娘とか。

 ……そういう例は稀、という以前にたった一人しかいない唯一無二の存在なのだが、それでも数千万を稼ぐウマ娘は一つの世代に二桁くらいはいる。

 全体の総数でいえば0.1%以下だが、それなりにいるはいるのだ。

 

 だが数千万稼いだとはいえウマ娘はまだ未成年の学生。

 金銭感覚が壊れないように、稼ぎ過ぎたお金で非行に走ったりトゥインクル・シリーズ後も続く人生がめちゃくちゃにならないようにと、獲得賞金を引き下ろすのにはかなり厳重な管理がURAから敷かれている。

 

 獲得賞金を自由に使えるようになるのは、基本的にトゥインクル・シリーズを引退してから。

 無論、中央トレセンでちゃんと勉学に励み、金銭感覚をちゃんと養ってから。

 全く引き出せない訳ではないが、大金は引き出せない。

 多少なら見逃してくれるが、理由なく学生には相応しくない額を引き出そうとすれば即座にURAと中央トレセンがすっ飛んで来る。

 だから稀だが、バイトをしてお金を稼いでるウマ娘はいるにはいる。

 

 ちなみにルールの裏を突くようなやり方だが、名門等などがやる実家からの仕送りとかは流石のURAも管轄外&名門生まれのウマ娘は金銭感覚に関する教育も徹底されるので、普通に大金を持てるし動かせる。

 だから名門生まれのウマ娘は基本お金には不自由しないし、そこまでの理由がなくても数百万円を動かせたりする。

 相応しい理由があれば数千万引き出せるし、例えばシンボリルドルフというウマ娘とかになると数億単位で動かせてしまう。

 

 尚、目の前にいるのはそのシンボリルドルフの妹だ。

 400万円は別になんて事ないはした金ですと宣言しても………まぁ貴方がそう言うのなら、と納得させられる現役最大の存在。次にメジロアルダンが並ぶ。

 

「いいですか?

 貴方がこのお金を受け取るに足る理由はそれこそ沢山あります。

 今必要じゃなくても、貴方には必ず必要になる日が来る筈です。だからどうか受け取ってください」

「う、うん………」

「よし。じゃあこの話は終わりですね」

「うん…………」

 

 そうかな。そうかも。

 何だがここまで来ると受け取った方が良い気がして来た。

 360万円。たった360万円。いやたったでは全然ない金額だが、間違いなくG1ウマ娘になる彼女が獲得して来るだろう賞金に比べればはした金で——

 

「うん——?」

 

 アレ。待って。凄い大事な事を忘れてる気がする。

 そもそもなんか、360万円とかいう話じゃなかった気がする。

 

「…………」

「ねぇ………もうすぐG3の札幌ジュニアステークスがあるよね?」

「はい。勝ってくるので安心してください」

「まぁうん……そうじゃなくて」

 

 数日後に重賞レースを控えていながら勝利を確信しているウマ娘と、負い目を感じてるがそれはそれとして、その確信自体は別に何も疑ってないトレーナーというまぁまぁ中々な光景だが、事実数日後のG3レースに有力なウマ娘が居ないと彼女達は知っているし、シンボリエウロスが立てている戦術もほぼ間違いなく成功するだろうと思う程度には信頼関係が出来ていた。

 トレーナーは担当ウマ娘の勝利を信じ、ウマ娘はその期待を背負う。

 そういう相性の観点では、彼女達二人はほぼ非の打ち所がなかった。

 

「今年の札幌ジュニアステークス、1着の獲得賞金額はいくらかな」

「……2400万円ですね。だから私が240万円。貴方が2160万円」

「うん。やめよう? 本当に私が9割はやめよう?」

「……………」

 

 切れ長な視線。耳は……後ろには絞られていない。

 ただすごーい嫌そうな表情。

 むすっとしたまま、エウロスは呟いた。

 

「5:5」

「………2:8」

「5:5」

「………3:7」

「5:5」

「え……い、いや4:6……!」

「5:5って言ってますよね」

 

 ぼ、暴君……っ!!

 戦慄するほどに譲らない。

 9:1の関係から5:5にまで変えたんだが? 分かったら受け入れろ、とでも言わんばかりの態度。

 確かに凄い変わった。かなりの比率になった。

 でももうすぐ、いきなり1200万円入るだろう事を考えると全く喜べない。

 いや、中央トレセンに入ってからまだ半年も経ってない新人が、いきなりこんな大金を得られるのなら喜ぶべきなのだろうが、ここまで来ると逆に全く喜べない。

 1200万だ。月収は当然のように超越し、普通に軽く年収を超えてる。

 後多分、また同じくらいのお金を数週間後に獲得して来る。

 

 札束ビンタ……いや札束ビンタなら精々100万くらいだ。

 数千万単位が入った通帳でビンタされているのに近い。

 普通に怖い。金銭感覚が壊れるウマ娘というのはいるが、金銭感覚をぶち壊そうとして来るウマ娘は初ではなかろうか。

 

「先程、貴方がお金を受け取るべき理由はお話ししました。

 これ以上は下げられません。下げれば貴方の事を低く見積もる事になります。私は貴方がこれだけの比率で金額を受け取るべきだと思っています。つまり正当な対価です」

「ぅ……」

 

 そしてそれが善意だから尚の事タチが悪い。

 普通の契約ならこうなんだよと語ったら、返す刃で私達は普通の関係ではありませんが? と即答する子が相手。

 しかも凄まじい自我を持っていて、絶対に譲らない。

 

 いや別に、今まででシンボリエウロスは譲歩などした事がない訳ではないし、結構普通に話を聞いてくれる。

 ただ、これだけは絶対に譲らないし変える気もない、必要性もないと心に刻んでいるものは絶対に芯を曲げないのだ。

 ……で、そういう時は大抵彼女の方が正しい。

 トレーナーはほとんど分が悪かった。

 

「これ以上続ける必要はありますか?」

「ないです……」

 

 これ以上の会話は時間の無駄と浪費ですよね?

 そんな言外の言葉をトレーナーはすぐに察した。

 察せる能力と、自分の心情を割り切れる速さがあった。

 シンボリエウロスが、獲得賞金の比率を譲らない理由の一つである。

 

「じゃあ私はトレーニングに移ります。貴方はどうしますか?」

「見ます……学ばせてください」

「はい」

 

 今度はゆっくりとエウロスは立ち上がって、片腕を伸ばした。

 握手である。仲直りの。

 

「学ぶではなく、追い付いて来るですよね」

「え、う……うん」

「今日もよろしくお願いしますね」

「……お願いします」 

 

 そして、その手に返すようにトレーナーも握手に応じた。

 シンボリエウロスの浮かべている微笑みと満足そうな表情を見て、あぁ結局敵わないんだなぁ……頑張らないとなぁ、と前向きな向上心に変えながら、この関係性を受け入れてしまうのが、トレーナーの圧倒的な才能であり、シンボリエウロスが獲得賞金の比率を譲らない最大の理由だった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

『——上がって来たっ!上がって来たっ!! シンボリエウロス、仕掛けて来たッッ!!』

『——第4コーナーすら待たないっ! 何だその末脚はっ!? 最終コーナー手前の第3コーナー中腹から、大外から、遠すぎる位置からシンボリエウロス、末脚で差し込んで来たっ!』

『シンボリエウロス完全に独走状態っ! 後方が追い縋るが届かない……10バ身以上開いた差を尚も広げるっ! 更に加速していくシンボリエウロスっ!』

『——シンボリエウロス独走したままゴールっ!』

 

 画面の向こう側。

 小さな板に投影された映像越しにその映像は流れていた。

 出回って来た情報という訳ではない。

 携帯で、或いはパソコンで調べれば一瞬で検索にヒットし、最上部にレース映像が出るほど、そのレースがネット上で有名になっているというだけ。

 

「うっわ………」

 

 そして、その映像を見ていた一人の男は思わず畏怖に近い感嘆を漏らした。

 彼は仮にもトレーナーの端くれだった。だから色々と分かる。

 画面越しのレース映像、その中心にいるウマ娘がどれだけおかしいのか。

 そしてそのウマ娘がレースでどんなおかしな事をしたのか。

 

 逃げウマが抑えて走る中、周りなど知らないとばかりに自分のペースを刻み続ける。

 カーブに差し掛かる280m地点から徐々に進行し、最後方から400m地点で先頭に並ぶ。

 その為に、完全な大外から差し込んで来た。

 遠心力が一番働き難く、直角でコーナーに切り込める大外。

 基本的に枠番では内側が有利だが、外が必ず全てに於いて不利ではない。大外の利点もある。

 その利点を最大限に発揮する為のレースをしながら、自らが受けている根本の不利を覆す。

 

 アレは間違いなく、常に考えてペース配分をして、理想的な位置取りを修正しながら走ってる。というか、そうしないとあんなレース運びは出来ない。

 それくらいに短距離で追込は不利だ。

 

 一番厳しい追込で、枠内の不利をどう覆せば良いですか?

 

 その答え。

 こんなレース運びをすれば良いんですよ。

 

 そういう、教科書にそのまま載せても構わないような理想論の走り方を画面の中のウマ娘はやっている。

 大外の不利を最小限に差し込める角度と位置を。最後の末脚を解放出来るタイミングと距離を。

 それを重ね合わせる為の、280m地点からの進行。

 400m地点で先頭に並び、残りは常に最内コースの有利を取る為の捲り。

 中央のトレーナーではない彼でもざっと大雑把にそれくらい挙げられるくらいの特徴があった。

 

 これはちょっと規格外過ぎて、ウチのウマ娘には教えられる気がしないな……と彼は自重した。

 

 後になって、こういうレース運びをすれば勝てたというのは結果論であり外野の意見である。

 その結果論と外野の意見を、実際にレースの真っ只中でやって来るのが、画面の中にいたウマ娘だった。

 彼が担当しているウマ娘の素質とか才能どうこうではなく、トレーナーとして教えるのが普通に無理なのである。

 画面の中にいるあのウマ娘がやっているのは、一言で言うなら後出しジャンケンだ。

 

 つまりトレーナーが事前に教えられる事がない。

 一応手がない訳ではないが、現実的じゃない。

 ウマ娘がトレーナーを背負って貰うみたいな形で騎乗して、ここでこういう風に仕掛けてるんだよと直接その瞬間ごとに教えていかないと無理な気がしてならない事を、画面の中のウマ娘はやっている。

 

「何を見てるんだ?」

 

 彼がレース映像を見ていたのは、トレーナーの部室だった。

 彼が担当している——芦毛のウマ娘が画面を覗き込んで来る。

 

「あぁいや……一月前のメイクデビュー戦で、ダート1000mの日本レコードが更新されたって有名になったレース映像をな」

「日本レコードを? それは凄いな」

 

 彼は地方のトレーナーである。地方のウマ娘レースはダートが主流だ。

 故に担当しているウマ娘が走っているのもダートである。

 ダート1000mの日本レコードが更新された、と聞いて興味が湧かない訳がない。

 レコードを更新したウマ娘が特別有名なウマ娘でなくとも、何か参考になるものはあるだろうか、と考えてそのレース映像を調べるのは極々普通の事だった。

 

「私も見ていいか?」

「ん? あぁ好きに見て良いぞ」

 

 レース映像の動画を始めに戻し、担当ウマ娘の方に画面を向ける。

 

「……………」

 

 芦毛の彼女は、食い入るように画面を見ていた。

 地方と中央の違いが分からなかったり、レース展開の話でもちゃんと話が頭に入っているか良く分からない、ぬぼーっとした普段の態度とは、少し違う雰囲気。

 

「何というか、凄い走り方をする子なんだな」

 

 レース映像を一通り見た芦毛の彼女は、一言の感想で締めた。

 まぁそんなもんかと思いながら、担当トレーナーの彼はレース映像を終了する。

 この映像を、もう一人の担当ウマ娘の方に見せたらちょっと変わるのだろうが、芦毛の彼女はまだレース展開の事を余りよく分かってない。

 入学してたったの数ヶ月だから普通といえば普通である。

 というか芦毛の彼女は、それ以前に有名なウマ娘とか凄いウマ娘とかの話題すらも全然知らず、何なら入学当初はトレーナーが何なのかすら分かってなかったレベルの、いわゆる超田舎っ子。

 まぁ色々分からないよな、こういう風な反応もやむ無しか、と彼は納得した。

 

 現在、画面の中の追込ウマ娘と芦毛のウマ娘を繋げるものは走法しかない。

 

 走法の姿勢は、レース映像のあのウマ娘と、芦毛の彼女は似ている。

 似ているが、根本の脚質が違い過ぎた。何より末脚の活かし方が違う。

 一瞬で全て決める。刹那で全ての有利不利を土台ごとひっくり返す。

 超攻撃的。超豪快。そして33秒台。コーナーがキツく直線の短いあのレースですら、34秒台。神域の末脚。鉈の切れ味。

 担当しているウマ娘は、流石にあそこまで攻撃的じゃないし豪快ではないよな、と断言するくらいの差があった。

 芦毛の彼女は、あんなに攻撃的なレース展開をする必要はない、という意味でもある。

 

「レベルが違うとは、こういう事か……」

「ん、なんだ?」

「いや……」

 

 一瞬口篭り、かぶりを振る。

 その後、悩む素振りを見せながら芦毛の彼女は口を開いた。

 

「最初の授業で聞いた。中央と地方はレベルが違うと。それを今、理解した気がする」

「そうか……まぁそう習うよな」

 

 それは、地方と中央の差を理解しているトレーナーがウマ娘にかける、良くある慰めだった。

 そう習うだろうな、という諦念。そんなもんだよ、なんて理解。

 

 事実そうなのだ。地方から中央に行って成功したウマなど数えるほどしかいない。そもそも地方から中央に行って初勝利を挙げられるウマ娘が一割もいない。

 レベルが違う。強さと才能。そして血統。最後に熱意。トドメに環境。全てが最初から違う。

 

 そして、彼もまた中央のレベルに達しなかったトレーナーだった。

 彼は地方のトレーナーだが、中央のトレーナーではない。中央のトレーナーライセンスをまだ持ってない。

 

「あれが、中央か」

 

 そんな彼が担当してる芦毛のウマ娘もまた、地方ウマ娘だった。

 現在4戦2勝。まだそれなりのウマ娘。

 だからきっと善戦はするが、中央に行けば厳しい波に呑まれてしまうだろう。

 

 誰が決めた訳でもない。

 彼女自身でも、彼女のトレーナーが決めた訳でもない。思ってもいない。

 ただ地方と中央の差という常識の中に、芦毛の彼女もいるだけだった。

 

「中央は凄いんだな」

 

 "今"はまだ。

 

 現在4戦2勝。

 だが彼女は、後に中央に来るまで、ただの一度も負ける事はなかった。

 

 彼女の名前は——オグリキャップ。

 最も偉大なウマ娘と言われたある一人のウマ娘に並び、そして越える、日本トゥインクル・シリーズ史上歴代屈指のスターウマ娘である。

 




 
⚪︎Oguri Cap(オグリキャップ)
 日本トゥインクル・シリーズ歴代屈指のスターウマ娘。灰被りのシンデレラ。無名な血統、地方出身、芦毛。——永世三強。シングレ版オグリキャップ

⚪︎ちなみにこれ、URAから引かれない。
 ウマ娘世界の獲得賞金に関する話題はかなりふんわりと。
 ギャンブル性はなく、馬券は多分ライブチケット、馬主・調教師・騎手・厩務員ではなくトレーナーという存在……などなどの差異を税金含めて獲得賞金額に反映するとえらい複雑になるので、作者的に獲得賞金額の計算を単純にしたいのもある。
 ……ごめんやで!

⚪︎例えば、トゥインクル・シリーズで史上初6億越えを果たし、なんかそのまま7億も超えて8億も超えて、ついでに9億も越えてしまったシンボリルドルフというウマ娘とか。
 シンボリルドルフの本来の獲得賞金額は約6億8千万。
 現代換算すると約33億。(テイエムオペラオーの約35億に次ぐ歴代2位)
 尚十冠バになったこの世界線だと、約40億。
 どういう事なの。
 
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