有効射程距離25バ身   作:sabu

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11/14 第23回 G2デイリー杯ジュニアステークス 1/4

 

 

ジュニア級王者ステップレース

デイリー杯ジュニアステークス

GⅡ・京都・芝・1400m

 

 

 11月14日。京都レース場。15:40。第11R。最終戦。

 曇・良バ場。連日の過ごし易い気温から一変、少し肌寒さを感じる秋空の下、京都レース場は約6万人の観客動員数を記録した。

 この6万は、G2のレースにしては明らかに多すぎる人数である。

 第1Rから第10Rまでの間にG1などの大きな舞台があって、そのついでに見ている訳ではない。

 

 第1Rから第10Rのレースは、言ってしまえば別に見所があるレースではなかった。

 行われていたのはメイクデビュー戦。累計賞金額が一定以下のウマ娘のみが出走を許される条件戦。言葉を選ばないのなら1番下のレース。下から2番目のレースである。

 今日はそれしか行われていなかった。

 

 第11R G2デイリー杯ジュニアステークス。

 

 約6万人。G1レースに匹敵し兼ねないレベルの動員人数。

 京都レース場に集まった観客達は、このレースを見に来た。

 

『お待たせしました。最後に登場するのは、当然このウマ娘』

 

 正確には、彼女を見に来た。

 

『4戦4勝無敗。単枠指定。圧倒的1番人気——』

 

 G2。

 専用の勝負服はなく、着服したゼッケンの色と番号が各ウマ娘を個別化する。

 ただ、彼女は最初から何もかもが違った。

 周りの音が全て騒音でしかないと言いたげな、分厚い耳布。

 黒く無機質な耳カバー。

 だがそれすらもが些事になるほど、彼女は違った。

 

 メイクデビュー。19バ身。

 G3札幌ジュニアステークス。6バ身。

 G3小倉ジュニアステークス。6バ身。

 G3函館ジュニアステークス。5バ身。

 

 全レース圧勝。重賞レース3連勝。

 その全てを最後方からの捲りで蹂躙して来た怪物。

 

『"暴風"の異名通り、再び圧倒的な蹂躙劇をG2の舞台でも見せるのか!

 3枠4番、シンボリエウロス!』

 

 彼女には、既に二つ名が与えられていた。

 そういうレースをし、そういう実績が既にあった。

 ジュニア級重賞レース3連勝はそれほどである。

 だから恐れられている。あらゆるバ場でも、如何なるレース展開でも、どんなウマ娘が相手でも勝ち方は変わらない。

 最後の3Fまで、常に最後方。そして必ず、最後の最後で全てをひっくり返し蹂躙してくる。

 そのレーススタイルは、災害のようなものだった。

 故に暴風。誰にも抑えられず制御出来ない大災害。普段は静かなのに、次の瞬間には厳しさを得る東風。

 

 沸き上がる歓声は、その人気に比べて驚くほど少なかった。

 では彼女は不人気か。レースに出走するなとブーイングを受けているか。

 そう言われると少し違う。

 シンボリエウロスには、静寂が似合う。そういう雰囲気がある。

 

 うるさい。黙って見てろ。

 そういう、圧倒的な雰囲気。

 そして、そんな態度が彼女にはあった。

 

 シンボリエウロスは必ず、耳を後ろに絞ってパドックの上に立つ。

 

 ウマ娘が表す、敵意と不機嫌の証。

 それでも、彼女はいつだって静かだった。

 当てられたのか、周りのウマ娘達も静かだった。

 ボスを恐れる群れにも似た雰囲気。

 次の瞬間には荒れるかもしれない、嵐の前の静けさに似た静寂。

 

「………チッ」

 

 粛々と、或いは緊張感のある厳かな雰囲気のまま進んで行くパドックでのアピール。

 相変わらず、ウィニングライブ以外では、愛想もファンアピールもへったくれもないシンボリエウロスの事を見つめる一人のウマ娘がいた。

 

 ブラッキーエール。

 エウロスの同期、クラスメイトである。

 

「気に入らねぇ……」

 

 そう口にして、アイツを気に入ってる奴なんて居なかったなと嘯く。

 ヤエノムテキでもそうだ。友情と戦意は別物として働く。

 学園内では気の知れた友人でも、レースの中では敵だ。

 ライバルじゃない。シンボリエウロスにライバルなどいない。

 故に世間もメディアも実況も、あらゆる評判がシンボリエウロスを中心に動いている。

 シンボリエウロスと、それ以外。

 今日は2着を誰か予想するようなレースだと。

 

 それが気に入らない。

 何でそう呼ばれているのか分かっていても。

 

 4戦4勝。無敗。重賞レース3連勝。

 この戦績に並べられるウマ娘はこのレースに誰一人存在しなかった。

 

 今回のレースに集まったメンバーの中で4戦しているのは、今のところブラッキーエールしかいない。

 そしてそのブラッキーエールは、4戦1勝。

 当然4勝してる者はいない。そもそも3勝しているウマ娘すらいない。

 更には重賞レースを勝っているウマ娘もいない。

 それは何故か。ジュニア級重賞レースは、まだ4回しか施行されてないから。

 

 今年現在、ジュニア級重賞レースはこの10レースしかない。

 

 8/2 G3札幌ジュニアステークス。

 9/6 G3小倉ジュニアステークス。

 9/6 G3新潟ジュニアステークス。

 9/27 G3函館ジュニアステークス。

 11/14 G2デイリー杯ジュニアステークス。

 11/15 G2京成杯ジュニアステークス。

 12/13 G3ホープフルステークス。

 12/19 G3フェアリーステークス。

 12/20 G1朝日杯フューチュリティステークス。

 12/20 G1阪神ジェべナイルフィリーズ。

 

 今日行われるG2デイリー杯ジュニアステークスが今世代ジュニア級重賞レース、その5戦目。

 つまりまだ、過去に4戦しか重賞レースは施行されてない。

 その内、アレは3つも重賞レースを勝利していった。

 札幌。小倉。函館。各レース場で行われるG3を。

 シンボリエウロスが、既に二つ名を得ている最大の理由。災害の呼び名を与えられている理由。

 小倉と新潟のレースが9/6同一日に行われるから物理的に出走が出来なかっただけで、それ以外の重賞レースに全て出走。

 開催日がもう少しずれていたら当たり前のように出て来ただろうと思わせる、イカれたローテーション。

 

 この世代に、重賞レースを制したウマ娘はまだたった二人しかいない。

 では、シンボリエウロスが出走しなかった新潟ジュニアステークスの勝者、もう一人目の重賞レース勝ちウマ娘は、このG2に何故出なかったかというと、出ないのが普通だからだ。

 出るのが何故異常かと言われると、壊れるからである。

 新潟ジュニアステークスの勝者は賢い。というか普通だ。ジュニア級では重賞レースに出て良いのは精々二回。

 

 確かにこのレースはG2だ。

 ジュニア級最強を決めるG1のステップレースだ。

 各レース場のジュニア級チャンプを勝ち、弾みを付けて前哨戦のこのレースを勝ち、朝日杯FSか阪神JFを勝てば重賞レースを三回も制する事になるだろう。

 だが必ずしもこのレースを叩く必要などない。

 

 というかこのレースは、上位2着がジュニア級G1レースへの優先出走権が与えられる為ステップレースに位置付けられているのであって、既に獲得賞金額でぶっちぎりの1位を獲得している上にレースに出まくっているシンボリエウロスが出る必要がない。皆無だ。

 

 他の同世代ウマ娘がまだ、上位で1000万くらいという獲得賞金額の中で、一人だけシンボリエウロスは、もう約8000万を獲得している。

 レースの出走は、獲得賞金額の上位から決定していくのだ。

 これは既に阪神JFに予約を入れても絶対に弾かれる事はなく、何ならクラシック三冠レースに予約を入れてもまず弾かれる事はないレベルの金額である。

 

 つまり常識的に考えて、シンボリエウロスはおおうつけ者の大バカ野郎でしかない。

 才能を使い潰している。姉譲りの才能を、湯水の如く消費してる。

 そういう風に揶揄されてる程度には。

 

「おい、エウロス」

「…………」

「………おい!」

「…………?」

 

 瞳を閉じて光を遮り、カバーを付けた上で更に耳を絞って音を遮り、全てが邪魔だと言わんばかりのシンボリエウロスがようやく気付いた。

 片耳だけカバーを外し、視線を此方に向ける。止まる。黙る。

 

「………」

 

 何ですか? とここで聞き返さない辺りが本当にシンボリエウロスである。

 

「お前、何考えてんだ」

「特に何も……」

 

 一言。

 片方だけ外した耳布を再び装着する。

 視線を切って前を向く。

 何の躊躇いもなく会話をぶった斬って終わらせたのだ、このウマ娘は。

 

「テメェ……」

 

 思わずブラッキーエールは詰め寄った。

 172cmもあるブラッキーエールと146cmのシンボリエウロスとでは、三回りほど体格が違う。

 具体的に言うと、後ろから抱き付いてエウロスの頭頂部に顎をぽんと乗せても、ブラッキーエールが若干猫背になるくらいの差がある。

 ただ、その体格の違いと威圧感が発揮される事はなかった。

 シンボリエウロスの方が強者の圧力を持っているから……という訳でない。

 単純に、シンボリエウロスは詰め寄って来るブラッキーエールに気付かずさっさとゲートに入ったからである。

 

 シンボリエウロスはレース前に必ず耳を後ろに絞る。

 

 ではゲート難を引き起こし、発走を遅らせるほどの気性難かというと、何故か全くそんな事はない。

 そもそもゲート難を起こしたとか、スタートに出遅れたとか、レース中に掛かったとか、そういうミスや失敗を今まで聞いた事がない。

 

「テメェ……!」

 

 スタスタとゲートに収まり、シンボリエウロスは発走を待っていた。

 全てを意に介さない、そういう態度は時に周りのウマ娘から反感を買う。

 ブラッキーエールのように気性が穏やかではないウマ娘の場合は特に。

 エウロスはそれ以前にコミュニケーション能力が深刻だが。

 

「………学園の友人関係の管理も必要かもしれませんね」

 

 ターフの上で、ゲートに収まるシンボリエウロスに苛立ちを覚えてゲート難を引き起こし、係員に宥められているブラッキーエール。

 その光景を見て、客席に掛けていた樫本理子は呟いた。

 

 彼女の友人関係も管理するべきではないか。

 

 字面だけを見たら、どう考えても道徳的に間違えてるのだが、樫本理子は冗談ではなく結構本気でそう思っていた。

 一応、エウロスのそれは武器になる。

 レース前のウマ娘は昂りやすい為、些細な事で掛かる事が結構ある。

 そんな中、自らは普段の平静を貫き通し、周囲を空回りさせて掛からせやすくする彼女の佇まいは普通に武器だろう。

 レース前でも平静を貫ける精神力も、またウマ娘には必要なのである。

 それはそれとして、彼女達ウマ娘はまだ未成年の学生であり、著しく対人関係に難があるシンボリエウロスの学園生活を樫本理子は凄く心配していた。

 

 だが、樫本理子は彼女の勝ちだけは全く疑っていなかった。

 

 今日のレースには、1勝、或いは2勝の子しかいない。

 重賞レースを制したウマ娘は、シンボリエウロスしかいない。

 

 気にしているのは一つだけ。

 怪我なく帰って来て欲しい。

 その全てに可能な限りを尽くした自覚はある。

 体調も疲労も、全てを管理した自覚がある。

 唯一管理出来ないのは、抑えられない彼女の才能だけ。

 

 彼女の才能が怖い。

 あの、自らの脚を簡単に踏み砕いてしまいそうな素質が怖い。

 その素質に余りにも不釣り合いな、喘鳴症という喉と呼吸器の脆さが怖い。

 

 樫本理子が恐れているのは、彼女自身だ。

 何回も、シンボリエウロスの才能と強さを見た。

 だから勝ちを疑ってない。

 代わりに、たった一つの勝利で燃え尽きてしまう事を樫本理子は何よりも恐れる。

 本来ならレースに出走して良いものではない病を抱えながら、尚も克服出来る精神性と技術と才能の、普通は釣り合う事すら出来ないバランスが崩れる事を恐れる。

 

 この一ヶ月ほどで、樫本理子は理解した。

 幼い頃からそうだったが、本当に化け物になったと。

 

 軽く芝を走らせ、シンボリエウロスの能力を見た。

 走力と一言でいえばそれまでだが、走る事に関する全てを見て、確かめた。

 脚。柔軟性。肺。心拍。そして、喉。

 それらを支える精神力と賢さ。

 

 限界を測るようなトレーニングは出来なかった。

 本当の底を確かめるようなトレーニングは、怪我に繋がるから。

 怪我だけはさせたくない。絶対に。絶対にそれだけは許してはならない。

 ただ実際には、底を確かめるようなトレーニングは必要がなかった。

 少し見て、樫本理子には分かった。

 

 才能に底が見えない。

 

 限界地点が見えない。成長の壁が見えない。

 それこそ、永遠に成長するかもしれない。

 バカみたいな事が頭に過るくらいの脚。

 末脚の切れ味。身体の柔軟性と骨の強度。筋肉の剛性。

 そしてそれ以上に——

 

「(この一ヶ月は……大変だった)」

 

 恐らく、まだ誰も知らない彼女の真の素質を見た。

 手に負えないかもしれない。

 自分の手では、足手纏いになるかもしれない。

 そう思ったのは二度目。

 そしてその二度目はより実戦的な問題を樫本理子に直面させた。

 

 才能の底が見えない。

 これはつまり、才能による成長曲線が未知数である事の証明だった。

 

 樫本理子は管理主義である。

 その管理の為に、ウマ娘の能力と成長曲線を測る必要がある。

 今必要なものを。今足りないものを。

 それを補い成長させる為に日々のトレーニングがある。

 

 放任主義であれば、この辺りの感覚や調整をウマ娘に任せ、調子を落とさない事を前提にしたトレーニングを組むのが主流だが、樫本理子の管理主義にはそれがない。

 ウマ娘に任せない。それで怪我をさせたくないから。

 故にウマ娘が自分自身で測るものすら全てトレーナー側が再計算し、トレーニングメニューに変化を加える。

 それが樫本理子の管理主義であり、ただの強制とは違う最大の理由である。

 

 では成長曲線が見えないとどうなるか。

 

 まず管理の為の指標が一切存在しない。

 具体的にはウマ娘の脚質や能力を見て、そのウマ娘が到達出来る限界であろう目標タイムを設定するのだが、それが出来ない。

 

 例えば3000mなら3:06.2、2400mなら2:26.4に設定したとする。

 では今日出せた3000mのタイムは3:10.3。2400mなら2:30.0でしたね。

 少しずつ近付いています。これからも頑張りましょう。

 今日はこのトレーニングをして改善して行きましょう。

 そういう風に樫本理子は育成する。

 

 自分の今居る位置とゴール地点を数字上に表す。目標を決める。

 ウマ娘本人に自覚を促して意識させるのもそうだが、何より樫本理子の管理主義として、現在の位置と目標位置を確認しながら、目標に到達する為に何が必要なのかを修正し、計算していく必要があるのだ。

 

 限界。才能の量、或いは底を見る必要がある。

 だが、それがシンボリエウロスにはない。見えて来ない。

 

 目標がいる。管理に必要だから。

 だが、それがシンボリエウロスには付けられない。限界地点が分からない。

 

 故にシンボリエウロスは管理が凄まじく難しかった。

 たった一人を担当しているだけで、複数人のウマ娘を担当するチーム運営並み……或いはそれ以上に労力を必要とするのが、シンボリエウロスというウマ娘の弊害だった。

 

 例えば3000mであれば、世界で誰も近付けてすらいない遥か高みの壁、3:00.0の壁を越えてしまうかもしれない。

 2400mなら、1F12秒のラップを刻める限界距離を破り。

 2000mならあらゆるバ場でも2:00.0の壁を容易く貫き。

 1200m以下でなら、ウマ娘という生命が出せる限界速度を更新するかもしれない。

 

 本当に、ふざけた事だ。

 あり得ない。ただ速さで解決出来る問題ではないのだ、ウマ娘のレースは。

 1200mで1番速いウマ娘が、じゃあ1600mでも1番速い事にはならないし、当然2000mでも3000mでも速い事にならない。

 その逆もしかり。3000m走り切れるスタミナを持ったウマ娘が、1200mで一気に全力を出して1着を取れるなんてことはない。

 

 距離が違う。

 そもそも100m変わるだけで別のレースになっていくのがウマ娘の世界。

 長距離。中距離。マイル。短距離。その全ての距離で1着を取るのはまず有り得ない。

 全ての距離でレコードを更新するなどはもう、不可能だ。

 

 でもそれが、シンボリエウロスには出来てしまいそうな気がした。

 

 勿論、一人では出来ない。

 筋肉のバランスと質。短距離に向いた筋肉の付き方と、長距離に向いた筋肉の付き方は別々だ。だからほぼ不可能である。

 でも多分、シンボリエウロスが複数人居たら出来る。

 シンボリエウロスが四人居て、それぞれに長距離。中距離。マイル。短距離に向けたトレーニングをしたら、全員が歴史に名を残す怪物になる。

 長距離を走るステイヤーにも、中距離を走るクラシックディスタンスにも、1600mを主流にするマイラーにも、短距離を走るスプリンターにもなれる。なってしまう。

 それが分かった。確信だった。

 

 何故なら、彼女の真の素質は——

 

『各ウマ娘、ゲートに入りました』

「…………」

『G2デイリー杯ジュニアステークス。ジュニア級最強の称号を得る為の前哨戦が——』

 

 樫本理子は祈っていた。

 そしてトレーナーとは、祈るものだ。

 勝って欲しい。怪我せずに帰って来て欲しい。

 トレーナーは見守る事しか出来ないから。

 だから、祈る。

 

『——今スタートしました!』

 

 レースが始まる。

 そして始まった瞬間、主役はウマ娘だけ。

 レースを走るのはウマ娘一人だけだから。

 だから失敗だってある。練習では上手く出来ていたのに、レース中には上手くいかなかったなんて良く聞く話だ。

 

 あの時、こうしていたら。

 あの瞬間、抑えられていたら。

 そういう事をトレーナーは考える。

 いやもう、レース中のウマ娘に話しかけて、仕掛けどころを教えたいとすら思う。

 

 でも出来ない。

 レース中に考えられるのはウマ娘一人だけだ。

 故に中央では放任主義が強く広まっている。

 自分で考える能力をウマ娘自身に養わせる為に。

 

 それでも、トレーナーは思う。

 思わざるを得ない。

 レース中のウマ娘に教えたい。

 あの畏怖すら覚える圧倒的な力を、乗りこなしたいと。

 だって人間は、ウマ娘と一緒には走れないから。

 ウマ娘が背負うのは、想いだけなのだから。

 故に、トレーナーは想いをウマ娘に乗せる。

 祈りを込めて、ウマ娘の走る姿を見る。

 

 それは、初代三冠ウマ娘が『神聖なる光』と呼ばれていたもう一つの理由。

 

 現代では、ウマ娘のレースとウィニングライブは二つに別たれた。

 だが、最初は同じだった。

 ウマ娘レースの起源は、儀式だった。

 

 そしてその起源は、日本では祭りと追悼の儀式になった。

 

 想撚(おもいより)想駆(おもいかけ)。その二つで構成される儀式『神メ駆』。

 その神メ駆を執り行う事を許されるウマ娘——『神』。

 セントライト。初代『神』セントライト。

 

 戦時の最中、空襲で命を落とした自らのトレーナーの為。

 そして空の彼方へ消えていった多くの同胞の為、儀式を以って、彼女は追悼を続けた。

 初代『神』にして、初代三冠。

 いずれ『駿大祭』となり、レース文化と結び付く祖の儀式『神メ駆』を執り行った最初の『神』。いずれウマ娘レースの到達点となる三冠の夢を、最初に始めたウマ娘。

 

 シンザンは、その戦績と偉業を以って神になった。

 セントライトは、その功績と献身故に、神だった。

 だから三冠は、神にしか許されていなかった。

 

 ウマ娘のレースは、儀式。

 神聖なるものと呼ばれるほどの。

 だから人は、ウマ娘のレースを見て祈るのだ。 

 

『各ウマ娘、綺麗なスタートを決めました。先頭を取るのは3枠3番、逃げ宣言のフリークギャル』

 

 祈る。祈る。

 ウマ娘のレースを見て、人は祈る。

 だってウマ娘レースは過酷だから。

 脳が二ついると言われるほどには。

 ウマ娘レースは、それほどの思考能力が求められる。

 全体を俯瞰し、仕掛け所を見極め、位置取りをする事を全力疾走しながら必要とされる。

 頭が良いからとか、悪いからとか、そういう次元じゃない。

 生死がかかった過酷な戦場で、冷静で的確な判断をし続ける事が出来るかなんて次元とほぼ同一なのがウマ娘のレース。

 あぁ、レース中の最中のウマ娘に、どう進めば良いかを教えられたら。

 もしも自分が、ウマ娘と同じように走れたら。

 

 私達もウマ娘と一緒に——レースに出る事が出来たら。

 

 トレーナーは誰しもが、そう思っている。

 でも、出来ない。

 人はウマ娘と一緒に走れない。レースに出れない。

 だから代わりに、ウマ娘は想いを背負う。

 

『続いて2番手——え?』

 

 でも、樫本理子は知っていた。

 樫本理子だけは知っていた。

 この一ヶ月で理解した。

 

 シンボリエウロスにだけは、きっと脳が二つある。

 

 いや、或いは。

 人類とは比べ物にならない力を持つウマ娘の能力を把握し、仕掛け所を見極め、あまつさえ、乗りこなしてしまえるような者がいるとするなら。

 それはきっと、シンボリエウロスにいる。 

 

『——シ、シンボリエウロス、まさかの先行策! 2番手!2番手の位置にまで進出しましたっ!』

 

 シンボリエウロスには『騎手』がいる。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 シンボリエウロスの脚質は追込である。

 更には最後方からの捲りで決めるウマ娘である。

 

 そういう認識があった。

 今回もそうなるだろうなと、恐らく全員が薄々思っていた。

 スタートダッシュを決めた後、先行争いをせずスルスルと後ろに控えるのが、シンボリエウロスのスタイルだから。

 

 スタイルとは勝ち筋である。

 こうすれば勝てるという、自らの強みを活かした勝ちの目。

 それを捨てた。

 そのように見えた。

 

 前に付いた。

 一度もそうしなかったシンボリエウロスがだ。

 その様子を見た実況が掛かっているじゃないかと告げ、解説がそうとは言い切れないと応えながらも半ば同調する。

 

 圧倒的1番人気が些細な事で惨敗するのがウマ娘のレース。

 例えばレース前の何かで落ち着きを無くし、暴走して自らの適性に合ったスタイルを捨てて負けるというのは、良くある話。

 レース前、周りのウマ娘といざこざを起こしたなんていう、分かりやすい理由と筋書きがあれば尚の事。

 

 レースを見ている観客と実況が慌しさを帯びた。

 普段とは異なる予感を感じた。

 

 最強が最強でなくなる予感。

 無敗が無敗でなくなる瞬間。

 シンボリエウロスの敗北。

 無敗三冠がこの時点で終わる、可能性を。

 

「あぁ……なるほど」

 

 だがそんな中、樫本理子と同じくエウロスが勝つ事をハナから疑ってないもう一人の存在。

 シンボリルドルフ。

 ガラス張りの観客席からレースを見ていた彼女は、腕を組んだ姿勢で呟いた。

 

「勝ったなこれは」

「ちょっと〜?」

 

 シンボリルドルフは妹に甘い。かなり甘い。

 シンボリルドルフをあまり知らない者は、いや家族なんだから当たり前でしょと言う。『皇帝』を知っている者は、身内とはいえ公平無私な彼女が甘い態度を取るのは意外だと言う。

 

「絶対があると言われた皇帝らしいと言えばらしいけれど、ちょっとライオンな部分が出てるんじゃないのルドルフ?」

「ラ、ライオン……」

 

 そして"ルドルフ"を知っている数少ない者の一人、マルゼンスキーは、うわ……ライオンな部分出てると言う。言った。

 

 ルドルフは時折、ちょっと傲慢なところが現れる。

 生まれながらに頂点だったが故の上位者的思考と言うべきだろう。

 本当にふとした時だ。隠し切れてないというより、滲み出てしまったという方が正しい。

 ただ、ルドルフの人となりを知る人は、最初から好きに振る舞えば良いのにと思っているのが実情である。

 つまり全く気にしてない。マルゼンスキーとミスターシービーがそうだった。

 二人はルドルフの事をあるがまま受け入れている。だからこそシンボリルドルフの友人をやれている。先輩だからという理由だけではない。

 

 ただ、それはそれとして、良く言うわこやつと思っているのも事実だった。

 

 ルドルフは最近、妹のレースを見てまだレースが終わってないのに、後方腕組みしながら勝ったな、なんて呟いてばっかりなのである。

 それにちょくちょく付き合わされているマルゼンスキーとミスターシービーとしては、うわぁまた始まったよ、この姉が……という視線を送るのは1〜2回では利かなかった。

 ちなみにミスターシービーはそういうのがあって、最近生徒会のお手伝いを全くしてない。

 

「エウロスちゃんに甘いのは良いけど、波乱が起きてるレースでもう勝ったなんて流石に言えないんじゃない?」

 

 シンボリルドルフは妹に甘い。かなり甘い。

 ベッタベッタである。

 

 それは別に、マルゼンスキーは良いと思ってはいる。

 というか基本、お互い自分に厳しい上お家の問題その他諸々が面倒そうな二人なのだから好きに甘えて全然オッケー! バッチグーよ!とすらマルゼンスキーは思っている。

 ただそれが行き過ぎてルドルフ自身の目が曇るのなら、少し苦言を呈するのもやぶさかではないかな、と思うくらいには、彼女は姉妹二人に結構な情は湧いていた。

 

「………いや、波乱など起きてないよ」

 

 ただそれを知らずか、或いは知った上でか、ルドルフ本人は否定した。

 私はただ事実を言っているに過ぎない。そんな風に。

 

「周囲に波乱を起こしているのはエウロスさ。だがエウロス自身はただ、勝ちやすいようにレース運びをしているに過ぎない」

 

 ずっと、ずっと。最初から。

 走れるようになった、あの日から。

 

「……本当に言ってる?」

「あぁ勿論。私の妹はな、頭が良いんだよ」

 

 急に妹自慢?

 と思いながら、マルゼンスキーは否定はしなかった。

 マルゼンスキーもまた、なんのかんの言いながらシンボリエウロスには甘かった。

 エウロスは気の知れた友人兼後輩なのだ。何年も一緒に走って来たから。

 更に言えば……お堅い規制で走る事が出来なかったクラシックレースの事で、ちょっと力になってくれたから。

 

 ただ、マルゼンスキーとてずっと一緒だった訳ではない。

 喘鳴症でずっと寝たきりだったという時代の事を、マルゼンスキーは言伝にしか知らない。

 マルゼンスキーにとってシンボリエウロスは追って来る子であり、初めて出会った頃から完成されていた子だった。

 何があっても揺らがない。自身を変えない。そういう子。

 

「あぁ本当に、私の妹は、頭が良いんだ」

 

 その言葉には、何か含むようなものがある気がした。

 計算が早いとか、色んなものを覚えているとか、閃くのが素早いとか、そういう一般論的な賢さではなく、もはや種族的な意味合いで脳の構造が違うと言っているような、そんな雰囲気。

 

「具体的に言えば、今までのレースでたった一度も掛かった事がなく、出遅れた事もなく、レースの位置取りも、仕掛けるタイミングも間違えた事がないほど」

 

 ——そして距離や脚質を変えても、ペース配分が絶対に狂わないほど。

 

「え……?」

「誰もが勘違いしているようだから言っておこう」

 

 眼下。京都レース場。淀の坂を、先行位置で駆け抜けていく妹。

 勝ったな。姉のその言葉は慢心でも傲慢でもなかった事を、妹自身が証明する。

 

「私の妹は追込が得意なんじゃない。追込を選んでいるだけだ」

 

 後天的に。

 何故なら、妹は喘鳴症だから。

 喘鳴症だから、最後だけ力を入れる走りをした。

 最後の最後で力を入れる走りをする為に——自らの才能や適性に関係なく、完璧なペース配分が出来るようにした。

 出来るか、出来ないかではない。したのだ。

 自らの暴力的な才能を支配し、蹂躙し、後天的に。

 才能に合わせたんじゃない。自らの走りに、才能を従わせた。

 そうするしか、方法がなかったから。

 

 だから。

 

「妹に脚質なんて存在しないよ」

 

 ——私よりもな。

 

 残り400m。最終直線。

 全員が大外にまで膨れ上がり、まともに真っ直ぐに走れてすらいない異常事態の中で——ただ一人だけ最内を維持したまま、悠々とゴール板に向かって加速していく妹を見て、シンボリルドルフは言い切った。

 

 




 
⚪︎G3ホープフルステークス。
⚪︎G3フェアリーステークス
 この時代ではまだ、ラジオたんぱ杯3歳牝馬ステークスとテレビ東京賞3歳牝馬ステークスという名称で呼ばれている。
 ただ牡と牝の概念がないウマ娘世界故に、悩んだ結果伝わりやすさを重視してホープフルとファアリーに。

⚪︎というかこのレースは、上位2着がジュニア級G1レースへの優先出走権が与えられる為ステップレースに位置付けられているのであって……
 優先出走権が貰えるのは本来、地方所属が2着以内に入った場合のみ。
 ただ地方所属の競走馬がデイリー杯に出走出来るようになるのは、1995年の指定交流競走になってからなので、逆説的にこの時代に優先出走権はない(多分)。
 じゃあ何でこの優先出走権があるのかというと、牝と牝の概念がなく、関東と関西の区分もない場合で何故ステップレースに位置付けられるんだ……? という考えから出た路線整備の裏設定。
 裏設定なので話の軸には関わらない為、正直気にしなくて良い。

⚪︎想撚(おもいより)想駆(おもいかけ)の二つで構成される儀式『神メ駆』
 アプリストーリーイベント第19弾『おもいより、おもいかけ』より。

⚪︎セントライト。初代『神』セントライト。
 本作のオリジナル設定。でも『神メ駆』を務めた初代『神』が一番相応しいのは誰だろうとなった場合セントライトな気がします。シンザンと同じくらい神の文字が似合うのもセントライトだと。

⚪︎バッチグーよ!
 日本語のばっちりと英語のgoodを混ぜたもの。
 とってもプリティー。
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