有効射程距離25バ身   作:sabu

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11/14 第23回 G2デイリー杯ジュニアステークス 2/4

 

 トゥインクル・シリーズのファンに、シンボリルドルフの何が強かったと聞くと、実は半分近くがちゃんと答えられない。

 シンボリルドルフは強かった。あり得ないくらいに強かった。

 

 では何が強かった? シンボリルドルフの特徴は?

 そう聞かれて咄嗟に具体例を挙げられる人は、意外といない。

 正解を挙げられる人は、更に少ない。

 

 シンボリルドルフよりも速く走れるウマ娘はいる。

 シンボリルドルフよりも爆発力のあるウマ娘はいる。

 シンボリルドルフよりも豪快な勝ち方をするウマ娘はいる。

 

 ではシンボリルドルフの特徴は何だったのだろう。

 

 先行・差し。典型的な好位追走、好位抜出型。

 強すぎて面白味がなかった。勝ちが予想出来てレースを見る意味がなかった。当時シンボリルドルフが勝つレースはつまらないとすら言われた。現役時代、ミスターシービーの方が人気が高かった。

 勝利より、たった三度の敗北を語りたくなる。

 この言葉にはそういう意味も込められている。ここでは一敗しかしなかったが。

 

 ある人は言った。

 シンボリルドルフ以上に安定感のあるウマ娘はいないと。

 

 爆発力はなかった。何故なら、シンボリルドルフに必要なかったから。

 爆発力とは同時に不安定さでもある。或いは代償とも呼ぶ。

 今、一戦を勝つ為に限界を超え、未来、競走人生を削る諸刃の剣。

 故に一番実力のあるウマ娘が、一番安定しているのが、一番強い。

 あまりにも単純明快にして、それ故に非の打ち所がない事実。

 少なくとも、一番太刀打ち出来ないのがそれだ。

 

 彼女は最も王道とされる先行と差しを主体にしていた。

 何よりレース運び、コーナリングの上手さ、駆け引きを行う地頭の良さ、他ウマ娘が掛かるような状況でも掛からず、耐え忍んで機を計る忍耐力。

 そういう純粋な実力が極めて高い。

 故にシンボリルドルフは強かったと。

 

 ある人は言った。

 シンボリルドルフの特徴の一つは、ストライドの長さだと。

 

 ストライドとは、歩幅の長さの事である。

 他ウマ娘の一完歩の平均が約7m30cmの中、彼女は8m70cmを記録していた。

 体の大きさもあるが、シンボリルドルフは加速した時の飛びが非常に大きい。

 一度スパートを掛けたらその速さを持続する持久力。そして脚力に長けていた。

 

 ある人は言った。

 シンボリルドルフは何かが強かったのではなく、明確な弱点が一つもなかったのが凄いのだと。

 

 例えば脚が弱い。心肺機能が弱い。

 脚の外向の問題や脚部不安といった身体の弱点がシンボリルドルフにはなかった。

 更に言えば、こういう展開になったら弱いとか、苦手の分野があるとか、バ群の中でレースを進めるのが苦手とか、マークをされて圧力をかけられるのが嫌いとか、日々の生活環境で調子が激変するとか、精神面と技術面に関する弱点すら彼女にはなかった。

 

 そしてシンボリルドルフのトレーナーが、恐らく一番真実に近い事を言った。

 

 

 ——ルドルフは、本当は自在性も多様性も持っている。その気になれば大逃げも、最後方からの追込も出来る。

 

 

 その言葉に、ルドルフは苦笑いで応えた。

 ただの事実だったから。

 シンボリルドルフ。

 彼女の脚質は先行・差しとされている。

 

 だが違う——彼女は逃げも追込も出来た。

 

 大逃げも捲りも直線一気も、彼女は生まれた頃から全て、何不自由なく出来ていた。

 ウマ娘の脚質を決めるのは、気性と呼ばれるウマ娘本人の性格、ウマ娘の持つ脚力と走行能力、そしてウマ娘個人個人が持っているウマソウル、つまり才能によって変わる。

 逃げ・先行・差し・追込。

 四つに分けられる脚質の中から、様々な事を鑑みて自らの脚質をウマ娘は決める。

 

 そんな中、シンボリルドルフに脚質など存在しなかった。

 

 正確には、本当の五番目の脚質と呼ばれる『自在』が、彼女の本当の脚質であった。

 何せ全て出来るのだから。

 では何故シンボリルドルフは先行・差しウマ娘と言われたか。

 それは彼女本人が、先行と差しを選んだからである。

 

 他ウマ娘が自分の才能や性格と折り合いを付け、脚質と戦法を一つだけ選ぶ。

 経験を積み、自分に合った勝ち筋を研磨していく。

 ただ彼女だけは全て自由に選べた。生まれた頃から、何不自由なく好きなように選べた。

 彼女にとって全てが同一の勝ち筋だった。

 

 駆け引きの応じ合いを拒否出来て、最短最良の走路で走れる代わりに、最初の枠内順による運が大きく影響し、また戦術的致命を抱えた逃げ。

 前方のウマ娘全員を抜き去る絶対的な速度と加速力を求められる中、レース展開とコース形状の有利不利を極端に受けやすい追込。

 

 故にシンボリルドルフは先行・差しを選んだ。

 先行・差しが強いというより、逃げ・追込のような弱点がないから相対的に強いという方が正しい。

 逃げのように枠内による運の差に囚われず、中盤終盤で自分の位置を修正していける。

 追込のようにレース展開に極端に左右されず、序盤中盤から駆け引きを行い、自分に有利な展開に持っていける。

 

 それが王道と呼ばれる所以。

 先行と差しの脚質が、最も勝率が良い理由。

 

 勿論、先行と差しにも負け方がある。

 先行なら、垂れて来た逃げウマ娘が。差しなら前方で好位置をとる先行ウマが壁になってバ群に呑まれて負けるとか、そういうブロックを受ける事。

 だが逆に言うと、先行・差しウマ娘の負け筋はそれくらいしかない。

 そういう負け筋を駆け引きで修正するのが先行・差しであり、出来ないウマ娘が逃げ・追込に行く。

 

 そしてシンボリルドルフの場合、その負け筋を修正するのが、誰よりも得意だった。

 

 脚質とはペースじゃない。立ち位置だ。

 超ハイペースの58秒台やスローの61秒台で走ろうが先頭なら逃げであり、ハイペースに引き摺られ59秒台で追従するかスローで62秒台で走っても、逃げから離れた中群で走るなら差しである。

 61秒で走る逃げと、59秒で走る差しは両立するのだ。

 だから、その気になれば逃げにも追込にも立ち位置を変更してレースが出来る余裕すらあったシンボリルドルフにとって、立ち位置によってスパートが届かないなどという事はまずなく、レース展開の駆け引きすら自由自在に出来た。

 何故ならそもそも、シンボリルドルフには、ペースの違いによって自分の力が発揮出来なくなるという——弱点がなかったのだから。

 

 故に、シンボリルドルフは最初から先行と差しを主体にした。

 故に、最も実力があり、更に明確な弱点が存在しないウマ娘が、一番実力の発揮しやすい脚質で戦い続けていた為、あり得ないほど強かった。

 そして結果的に先行と差しの経験値が上がり、逃げと追込より得意になった。

 得意になり、より精度が上がって負けなくなった。

 

 シンボリルドルフが先行・差しウマ娘と呼ばれる理由。

 それは、先行と差しで戦っていたから。ただそれだけ。

 

 やろうと思えば、逃げも追込も出来る。

 大逃げも捲りすらも出来る。

 たがやらなかった。先行と差しの方が安定するから。

 

「エウロス。貴方の脚質は追込ではありませんね」

「はい」

 

 そして、妹の方もそうだった。

 

「捲りでもありません」

 

 捲りが、五番目の脚質と呼ばれる事もある。

 だが捲りは脚質というより戦術として数えられる為、この考えは人それぞれだ。

 その為、五番目の脚質に何を入れるかと問われた場合、捲りよりも『自在』が上がる事の方が多い。

 つまり何でも出来る。逃げ・先行・差し・追込。その全てを。

 

 ルドルフの脚質は、自在だった。

 エウロスの脚質も、自在だった。

 

 ルドルフは、そこから先行・差しを選んだ。最も安定するから。

 エウロスは、そこから追込(捲り)を選んだ。最も適しているから。

 

 ただ妹の場合は、更にそこから一歩飛び抜けた。

 

 ルドルフは脚質を変えてもペース配分が狂わない。

 だが妹は、距離すらもが変わってもペース配分が狂わない。

 

 何故なら合わせれば良いから。計算し直せば良いから。

 スピードとスタミナ。それらの掛け算。呼吸のタイミング。位置取りとペース配分。消耗の早さと温存の仕方。

 それを距離と立ち位置とペースとレース展開という答えによって再計算し、変えれば良い。

 

 そうすれば勝てる。

 それだけで、勝てる。

 

 勿論、こんな事は普通出来ない。というか出来る訳がない。

 出来ないからウマ娘には個性があり、才能があり、距離適性があり、脚質があり、故に差がある。

 

 だが、彼女にはそれがなかった。

 彼女は意識的に、自らの素質を才能という総量の中で平然と組み変える事が可能だった。

 トレーニング中、管理教育プログラムという育成に自らを完全に適合させる形で、まるでゲームのスキル配分を割り振りし直し、一から組み直すかのように。

 レース中、周りのウマ娘の位置やレース展開を考えて、走りながらである。

 

 代わりに彼女は深刻な病を負っていた。喘鳴症を負っていた。

 ……というより、喘鳴症を負っていたから、生まれながら制限された総量の中で割り振りし直すしかなく、故に他のウマ娘が誰一人出来ない事が出来るようになってしまった、と言う方が正しいだろう。

 軽く樫本理子が戦慄を覚えるには充分だった。

 

 手に負えないかもしれない。

 自分の手では、足手纏いになるかもしれない。

 そう思う最大の理由。

 トレーナーとしての役割が、彼女の基礎能力を上げる事くらいしかない。

 

 レースという舞台に上がった瞬間、このウマ娘は絶対に100%の力を発揮して来る。

 そしてその100%とは、自身が出せる理論上の限界地点。

 これはつまり、普通のウマ娘なら、自分では知らない領域にある才能や素質を、このウマ娘は必要な時に必要な分だけ的確に打ち出して使用して来るという事だ。

 

 このウマ娘に適性など存在しない。

 理論上、自分の肉体で出来るか、出来ないか。可能か、可能ではないか。それだけだ。

 

 シンボリエウロスには『騎手』がいる。

 ウマ娘の能力を100%発揮させて来る『騎手』が。

 だからもしも彼女が負けるとしたら、その100%を事前に育てられなかったトレーナーの責任である。

 樫本理子は、そう感じていた。

 

 ただし、彼女には姉にない分かりやすい弱点がある。

 シンボリエウロスはハイペースで走れない。

 

 正確には走れなくはないが、急激に末脚が劣化する。

 今後の競走人生に影響を与える。喘鳴症が悪化する可能性がある。

 走れないではない。走ってはいけない。

 越えられない壁ではなく、犯してはならないタブーが、シンボリエウロスにとってのハイペース。

 

 故に彼女は追込を選んだ。

 

 1F12秒。ミドルペース。

 その1F12秒を超えて良いのは、最後の最後。上がり3F。ウマ娘が全速力を出せる限界秒数距離。刹那のその最後600mで全てをひっくり返す。

 生まれ付き喘鳴症を患っていた彼女にとっては、その程度の認識なのだろう。

 健常者から見れば、彼女には凄まじいハンデがある。だが彼女からすれば、生まれた頃から隣にあったこの病はハンデではなかった。普通の事だから。健常者の感覚が分からないから。

 

 ハイペースで走れない。息を整え続けなければいけない。

 じゃあハイペースで走らなければ良い。息を整え続ければ良い。

 それに合ったレーススタイルを選び、出来ない分の余力を回せば良い。

 だからシンボリエウロスにも、『絶対』があった。

 自らの思考と能力を敢えて制限する事で、円滑に謀を進める暴君のような、圧倒的な力。

 限定的な完璧主義者。それがシンボリの冠を得た暴風の正体。

 

「今日は別の脚質で勝って来いという事ですか?」

「……………」

 

 シンボリエウロスは察しが良い。

 察しを良くする必要があったから。

 だって会話内容が増えて大変だから。

 そしてその察しの良さは、レース中の駆け引きに活かされる事になった。

 

 例えば、自分の脚質を聞かれて、今日のレースは別の脚質で戦って来て欲しいんだろうなと当たりを付けたように。

 彼女は、反射的な反応を求められるウマ娘レースに於いても尚、雷光の如き刹那で反応出来る。そういう風にした。

 

「そうですね。今回貴方には前に付けるレースをして来て欲しいので」

「分かりました。先行ですね」

「……理由は聞かないのですか」

「自分で考えます」

 

 何の疑いもない。

 自分のトレーナーが言っている事には必ず理由がある。

 そしてそれが必ず自分の為になると確信している、無条件の信頼。

 樫本理子には、それが少し重かった。

 

 担当しているウマ娘の才能を知っている。

 その才能に対し、彼女は信じられないくらい此方に従順だった。

 もしも彼女が負けるとすれば、レースまで最善を尽くせなかったトレーナー側、自分自身が至らなかったからだと、そう思うほどに。

 

 貴方の事は自分が全て管理する。

 そのように言った。その事に後悔はない。だが覚悟が足りてなかった。

 ウマ娘の最も大事な時期を預かり、生涯と半生を此方側が決める、その重さ。

 

「結構。では何故前に付いて欲しいのかは言いません。ですが、勝つ為の方法と策は幾つか提示します」

 

 トレーナー形無しとは言わせない。

 管理による形で彼女を育て、レースになったら放り出すという真似などしない。

 実際にそのまま放り出して、自分一人で考えてそのまま勝てるレベルの地力があったとしても放り出さないのが樫本理子の信念であり、管理だった。

 

「こういう風に勝て、とは言わないんですね」

「? もう言っていますが」

「いや……」

 

 シンボリエウロスは察しが良い。

 しかし樫本理子は、その察しの良さが心情ではなく印象に影響を受けやすい代わりに、時に当人の内心以上のものを悟る事は知らない。

 

 先行で勝つ為の方法と策を提示する。

 だから後は、そこからは自由に選択して良い。

 更に言えば、レース中に展開を読み取ってレース運びをするのはウマ娘本人なのだから、貴方自身が選びなさいと言っている事も察しているなどと。

 

「後一つだけ注意事項……というよりは心構えを」

「あ、はい」

「逃げ・先行・差し・追込。この四つの脚質に囚われる必要などありません」

「……はい?」

「必要なら何の躊躇いもなく好きな位置で走って来て構わないという事です」

 

 必要なら好きにして良い。判断は其方に任せる。

 徹底した管理主義を敷く樫本理子とは思えない言葉である。

 放任主義のようだった。

 中央トレセンの自由を尊重する主義にも似ている。

 

 だが、そこが樫本理子最大の非凡な場所であった。

 

 樫本理子は管理主義である。

 トレーニング内容を厳密に定め、ウマ娘本人による自主トレーニングを厳しく禁止し、普段の食生活を一から決めて間食などを廃止し、トレーニング中はウマ娘個人同士の無駄口を許さず、時には私生活すらをも管理する。

 それを破れば、必要に応じた罰や補習が必ずある。

 

 だが彼女は、レース中に必ずこうしろ、あぁしろとは言わない。

 仮に彼女がチームを持ち、複数の担当を持ち、今専属担当しているシンボリ家のウマ娘に素質で劣るような子がいたとしても、レース中の判断そのものに口出しする事だけは絶対にしなかった。

 

 前目に付けて欲しいとは言った。

 だが命令じゃない。先行策を取れ。先行による、こういう立ち回りで勝てとは言わない。

 更に言えば、樫本理子は前目に付いて欲しいとは言ったが、先行をしろとは言っていない。

 大雑把な立ち回りだけを提示して、他は全てウマ娘に任せる。樫本理子は何も強制しなかった。

 

 樫本理子は管理主義であって、強制はしない。

 

 唯一彼女が強制する場合は全て管理の為であり、そしてその管理は、ウマ娘を守る為だ。

 故に彼女は、レースの細かな立ち回りだけは指示をしないし強制もしない。

 

 何故なら、レースの最中だけはどうやっても管理が届かないから。

 

 故に彼女は割り切った。割り切ったのだ。アオハル杯の事故を経験した上で。

 或いはそれは、彼女が元々ウマ娘の自由を尊重するトレーナーだった事の表れでもあるかもしれない。

 だが樫本理子は己の方針を反転させても尚、ウマ娘からレースの自由は奪わなかった。

 ウマ娘にとって、レースは神聖なものだからではない。

 その自由を奪う事は、ウマ娘を守ることに繋がらないからだ。

 

 それが樫本理子というトレーナーが持つ、最大の非凡。

 彼女が凄まじく優秀である事の証明。

 URAの幹部職員の座は、そう簡単に辿り着けて良いものではない。

 そしてその座に、最短且つストレートで辿り着いた樫本理子という人間が、どれほどの存在かを理解している者は、まだ少ない。

 

「極論ですが、元々逃げや先行といった脚質など、外部の者が分かりやすいように区別したに過ぎません。だからレースを走る貴方がいちいち意識する必要などありません」

「…………」

「まずは自分自身の走りを。貴方が思うように、走りやすい好きな位置で走りなさい」

 

 樫本理子は、それを当たり前と言う。

 レースが始まれば、トレーナーは祈る事しか出来ない。

 トレーナーは事前の準備をする事しか出来ない。

 そしてレース展開は予想するしか出来ない。

 だってトレーナーは——『騎手』じゃないから。

 

 故にもしも、レース展開の予想が外れたら?

 外れた展開の中で、事前に指示された通りの動きにウマ娘が固執してしまったら?

 

 負けるのは、まだ良い。

 だが故障するかもしれない。

 故障して引退するかもしれない。

 もう、走れなくなるかもしれない。

 

 それだけは絶対に出来ない。許してはいけない。許して良い理由などあるものか。

 だから、当然だ。

 管理主義として、それは当然な事だと。

 

 だがそうではない。

 それは中央トレセンで、放任主義が何故主流なのかが物語っている。

 

 樫本理子は管理主義でありながら、ウマ娘の才能と素質を何一つ殺さない。

 管理とは名ばかりで、ウマ娘の才能と素質に全てを合わせた管理。

 強制になりやすい管理主義で、レーススタイルに対しては一切の強制をしない異端。

 それが樫本理子の管理主義。最も非凡なる樫本理子の才能。

 

 だが、無論個人個人の相性はある。

 普段の自由も束縛される事が嫌で、トレーニングに身が入らなくなり、調子すら悪化してしまうような子。

 或いは意思疎通の少なさと関係性の無機質さに居心地を悪くし、それが原因で素質が潰されてしまうウマ娘。

 

 そもそもウマ娘は、不安定になりやすい年頃の少女だ。

 樫本理子の管理主義を全てのウマ娘に適用すれば、大半のウマ娘は間違いなく潰れる。

 

 ウマソウルという神秘を宿したウマ娘を、物理と科学的な論点だけで測り、常識と論理で押さえ付けてはならない。

 故に管理主義が絶対という訳ではない。

 だが神秘とオカルトにかまけ、ウマ娘の才能と素質に任せるでは、肉体と脚という現実の地続きは簡単に砕ける。

 故に放任主義が尊ばれる理由にもならない。

 

 放任主義と管理主義。

 どちらの方がより優れた成績を残すかと言われたら、普通は管理主義である。

 自己啓発。日々の細かな差。徹底した自己管理。

 僅かな努力の積み重なりが実を結ぶのはウマ娘も同じだ。

 その努力の積み重なりを簡単に覆せるほど現実は甘くない。

 故に、普通は管理主義が勝つ。

 その普通が通用しなくなるのは、時に精神が肉体を凌駕し、限界を超越するウマ娘の神秘によって。

 

 そういう、刹那の煌めきによって樫本理子の管理主義は負ける。

 限界の先を飛翔出来るウマ娘本人の力が、常識を打ち破り、管理主義を打倒する。

 管理の都合上、限界地点が最初から定められるから。

 限界を決め、常識の範囲内に収めるのが、管理だから。

 

「良いですか、エウロス」

「——はい」

 

 ではシンボリエウロスは、管理主義という限界によって負けるか。

 ならない。そうはならない。なる訳がない。

 何故なら彼女は、自らの思考と能力を制限する事で円滑に謀を進める、限定的な完璧主義者なのだから。

 

 普通は、管理主義が勝つ。

 その普通が通用しなくなるものが、ウマ娘にはある。

 だがシンボリエウロスの普通は、管理によって限定されてようやく形になるほどに広い。

 広すぎて、限界など見つけるのが不可能なほど広くて、故に自らの才能によって、そのまま霧散してしまう恐れすらある。

 

 樫本理子は、それを恐れた。だから止めた。

 シンボリエウロスは、それを察した。

 そして更にそこから、樫本理子は不器用で良い人だと、今知った。

 

 知ったから、置き去りにしたくないと思った。

 

 樫本理子はレースの細かな指示をしない。

 そこまで管理出来ないからと樫本理子は言う。

 でも違う。そこまで管理したら、怪我をするかもしれないからやらない。

 

 脚質など気にする必要がない。好きな位置で、好きなように走れ。

 そもそも脚質など四つだけに分類すべきではない、同じ逃げにも勝ち方が三つほどあるように、脚質ごとに更に分類すべきだ。

 故にどんな脚質でも勝負出来るなら、四つの脚質などという常識に当て嵌まる必要などない。

 きっとそんな事を樫本理子は言うだろう。

 

 でも違う。これからの事を考えて、樫本理子は脚質による立ち位置を考えている。

 それを強制しない。しないのに、もしかしたら無駄になるかもしれない駆け引きの方法と策は考えられるだけ考えて、何重にも対応出来るように教える。

 どんな事がレース中に起きても良いように、完全な管理は出来なくとも、自分の手が届く範囲を可能な限り広げている。

 

 樫本理子の管理は、管理と言いながら、トレーナー側が楽をする為の規則に則った育成論ではなく、ウマ娘を守る為の管理だ。

 厳しい規則があるのは普段の生活や体調管理だけで、毎日のトレーニングは常に今のウマ娘の状態を測り、少しずつ必要なもの不必要なものを再計算していく、管理という名には相応しくないほど手間暇がかけられた、全て個別のもの。

 

 きっとこの事を言っても、樫本理子はウマ娘を管理する者として当たり前だと言うだろう。

 でもその当たり前は、中央では当たり前じゃない。

 何故なら、出来ないから。才能と技術の問題以上に、どう考えても圧倒的知識量と対応力、そして膨大な時間を管理は必要とする。

 

 それを、樫本理子はやっている。

 ウマ娘に怪我をさせたくないという、それだけの一心で。

 野心や向上心などではなく、大人としての責務だからという、本当にたったそれだけの、人としての善性で。

 

 樫本理子は、不器用だった。

 ウマ娘に幸せになって欲しくて、でも怪我はして欲しくなくて、その果てに行き着いた先が、管理主義という徹底。

 元々は自由を尊重するトレーナーだった。

 だから、基本的に縛られるのをウマ娘は嫌うという事を知っている。

 知らないでは済まされない。

 

 それでも尚、縛り、管理する。

 怪我をさせたくないから。それが大人の責任だから。

 

 それはトレーナー自身が身も心も削って行う育成論。

 彼女はどこまで行ってもトレーナーだ。

 管理、規則、法と秩序を維持するURA。樫本理子はそれらに触れて殉じながらも尚、ウマ娘の隣に立つのが何より合っている。

 

「トレーナー」

 

 それを——察した。理解した。

 だから何を言うでもなく、聞くでもなく、過去を知るでもなく、樫本理子の人となりのほぼ全てを理解した。

 

 初めて呼んだ、その言葉。

 別に樫本理子をトレーナーとして認めていなかった訳ではない。

 むしろ最初から、中央トレセンに入るずっと昔から、トレーナーという存在の核に樫本理子という人がいる。

 だが初めてそう口にして、何かが少し変わったような気はした。

 

「勝って来ますね」

「当たり前です。貴方に敗北は似合いません。今後未来似合う事もありません」

 

 中央トレセン史上、歴代最高レベルのトレーナー。

 中央トレセン史上、歴代最高レベルのウマ娘。

 

 ただし互いに相性の問題で凄まじく人を選ぶ。

 

 トレーナー側は、もしも『理事長代理』という立場を得ていたら、その権限で自らの管理主義を徹底し、極端に放任主義を追いやっていたかもしれない。

 ウマ娘側に至っては、凄まじく個人を選び、意図的にしろそうでないにしろ他者を明確に選別し、諸共潰れる可能性のある気性難。

 

 だがそうはならなかった。

 二人は相性すら完璧だった。

 事前のトレーニングも、立てた作戦も、互いの性格と考えも、何もかも。

 

「………フフ」

「どうしました」

「いえ。今、私、凄い調子が良いんです。今だったら空も飛べそうなくらい」

 

 ウマ娘は想いを乗せて走る。

 そんな言葉とオカルトを、樫本理子は信用していない。

 だから知らない。

 

 樫本理子が担当しているウマ娘が今、想いを一つ、背負った事に。

 

 トレーナーは、レース展開だけは操る事が出来ない。

 でもきっと操れるのなら操りたい。怪我をさせたくないから。

 樫本理子は特にそう思っている。

 

 じゃあウマ娘側の自分が、何もかも操って来ようかな。

 

 レースに関わるありとあらゆるモノ全てを。

 運も天命も可能性も、勝ちたいという意志や根性も、ウマ娘が見せる限界を超えた神秘すらをも、全て壊死させるような、そんな『絶対』がある事を。

 もう一度——証明して来よう。

 とあるウマ娘が、やった事を。

 ただの一つも間違う事なく、たったの一回も鈍る事なく。

 ずっとずっと、何回も。

 

 だって、そうすれば、勝てるから。

 怪我なく、戻って来れるから。

 

 そうして始まった、G2デイリー杯ジュニアステークス。

 結論から言おう。

 蹂躙だった。

 蹂躙出来ない方が可笑しいのだから。

 

 

 トゥインクル・シリーズに於ける重賞レース、最大着差、更新。

 未来永劫塗り替える事は『絶対』に出来ないと言われ、事実塗り替える事が不可能になる不滅の記録が叩き出されるまで、後、もう少し。

 




 
⚪︎1F12秒。ミドルペース。
 尚、馬場や距離によってそれなりに変わる為、1F12秒が必ずミドルペースという訳ではない。
 この辺りはクラシック級になって距離が伸びた時、主人公は1F12秒を維持したまま最後に末脚を解放出来るのかという話に繋がって来ます。
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