有効射程距離25バ身   作:sabu

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 お出かけ回と見せかけたウマ娘歴史考察回。
 設定をこういう形で考えていくのが楽しかったり。
 


11/23 射程

 

 事実問題、シンボリエウロスに休みが必要であるかどうかで言えば、恐らく本当に必要ないのだろうというのが樫本理子の答えだった。

 

 ウマ娘と怪我は切っても離せない。

 何もそれはレースだけで起こるものではない。怪我はトレーニング中にも起こる。

 ウマ娘の脚は、ガラスなのだ。

 鉄よりも硬度がありながら、ひとたびヒビ割れれば容易く崩れる。

 何故人間とは比べ物にならない身体能力を持っていながら、脆さと儚さを意味する言葉で喩えられているかを、樫本理子は酷く理解している。

 ウマ娘に過度なトレーニングはさせてはならない。無理を見逃してもならない。絶対に。

 

 勿論じゃあ身体に負荷を与えないトレーニングなら休みなく続けて良いというものでもない。

 例えるならそれは、社会人に対して事務仕事だから疲れずにずっと働けるでしょ、と言っているのと変わらない。

 

 トレーニングをします。疲れました。これ以上トレーニングすると怪我します。じゃあ勉強しましょう。その間にトレーニングで消耗した身体は回復します。回復しましたか? じゃあ今日からまたトレーニングです。疲れ切ったらまた勉強の時間です。

 

 これを繰り返せば、どう考えても普通は壊れる。

 理論上なら肉体の休息は足りているかもしれないが、所詮理論上だ。精神と集中力が保たない。

 ただでさえ、これに近い事をやった人間がどうなったのかは歴史が証明しているのに、精神と肉体の相互関係の比重が人間より重いウマ娘で同じ事をしたらどうなるかは目に見えている。

 

 ……で、これを踏まえてシンボリエウロスに休みが必要であるかどうかで言えば、恐らく本当に必要ない。

 

 樫本理子はウマ娘からの大丈夫を信用しない。

 それでも尚、問題なしと断言出来るほどのものが彼女にある。

 

 ——理論上なら肉体の休息は足りているかもしれないが、所詮理論上だ。

 

 その理論上を、シンボリエウロスは実際にやっている。

 精神力と意志力が振り切れていると呼ぶべきか。

 彼女自身、名門生まれを重圧と認識せず、自らの生まれ落ちた意味を自覚し正しく全う出来るという、今の時代では稀有な本物の貴族だとしても。

 

 人は普通、ONとOFFの切り替えを学び、メリハリを付ける。

 しかしもしも、本当にずっとONのままでいられるのなら其方の方が良い。

 これは分かりやすい例で例えると、辛い事を乗り越えたから自分にご褒美を与えるという事に近い。

 

 ——大きなレースを勝ちましたわ! ご褒美ですわ! 今日は好き放題食べますわ!

 ——大きなレースに勝ちましたけど、それを理由に甘えてはいけません。勝って兜の緒を締めよと言いますし、今日も普段通りのトレーニングです。

 

 前者と後者。甘えた方と甘えなかった方。

 それでどちらがレースに勝つかと言われた場合、普通は甘えなかった後者になる。

 ただこれは極論だ。

 ちょっとしたご褒美すら許されないような厳しい環境では、発揮出来る筈の力すら発揮出来ない。故に大体、後者の方が先に潰れて負ける。

 矛盾しているようだが、これは本当の事なのだ。

 故に極論であり、理想論の域は出ない。

 

 そしてその極論を、極論のまま本当に出来てしまう例外が時にはいる。

 

 樫本理子がトレーナーになってからは特に、シンボリエウロスはその例外に磨きがかかった。

 シンボリエウロスは、完璧主義者だ。

 故に理想を求める。理想論を本当に現実に引き摺り落とす為の、理論的な環境をトレーナーに求める。

 樫本理子の管理主義は、理想論だ。

 放任主義と管理主義。普通は管理主義が勝つ。

 だがこの普通は、ウマ娘の前ではそう簡単には通用しない。

 情動的な暴走を防ぐ為、ある種で反抗は絶対に許さない、許してはいけないという精神的な縛りをウマ娘に課す樫本理子の管理主義では、特に相性を選ぶ。

 

 そして、それ故にシンボリエウロスは樫本理子との相性が完璧だった。

 

 自らの精神を持たせる為、意図的に思考と行動を縛って制御する。

 自身を支配する為、支配出来る領域を縮小する。

 そんなエウロスにとって、樫本理子の管理主義とは自らが意図的にやっていた事を丁寧に代行してくれているのと一切変わらない。

 

 食事の事を考えるのをやめた。

 カロリーや栄養素に関する計算は全てやめた。

 基本、一日に三回。生きるのに最も必要。身体作りでも最も重要。

 故に最も意志力を消費する。選択と判断に多大な集中力を必要とする。

 それをトレーナー側に全て任せた。

 

 トレーニング内容を考えるのをやめた。

 日々の細かい調整をやめた。

 消耗品の蹄鉄も、トレーニングシューズも、トレーニング設備の使用許可の受理も、ウマ娘として必要な物事の全てをトレーナーの判断と仕事に託す。

 勝ち負けの事とか、学業の事だとか、そういう不安や不確定な今後の未来に頭を使う事すらしない。

 それで空いたあらゆる余力は、レースに勝つ為の技術や判断力の研鑽に充てれば良い。

 だから、並のウマ娘では絶対に敵わないほどの集中力が出せる。持続させる事すら出来る。

 

 彼女のやっている事は、そういう事だった。

 意図的に集中力を持続させる状態と土壌を作る。

 無駄な事に意識を割り振らず、走る事だけを考えていれば良い。

 故に、限定的な完璧主義者。

 自らに意図的な縛りやルールを付与する事で、特定の物事を最短且つ円滑に進める、暴君。

 

 ——それでも貴方は、まず休み方を覚えるべきです。

 

 だから彼女の思考や行動の論理を変えるという事は、彼女が成り立たせた循環が崩れる可能性を孕んでいる綱渡りだった。

 走れなくなった後を、彼女に自覚させる。

 これは無敗のまま勝ち続ける意識が必要なシンボリエウロスには与えてはならないものだ。

 

 もしも彼女が怪我をして、自らの夢を絶たれたら。

 もしも彼女がどこかで負けて、自らの夢を変更せざるを得なくなったら。

 その時シンボリエウロスは、無駄だからと切り捨て続けたものを拾い直さなくてはならない。

 

 ただこれはシンボリエウロスに怪我をさせず、負けさせなければ良い事だ。

 極論だが、そもそもそういう極論を本当に行っている彼女の前では極論ではなくなってしまう。

 これは無敗三冠がどれほど難しいのかという常識を『皇帝』に教えるのとほぼ同じ。

 望んで常識の外に飛び出した、或いは飛び出そうとしている者に常識を語る事の無意味さ。尖った天才を、平凡な普通に戻し兼ねない行為。

 

 樫本理子の行動は、保険だった。

 大層な言い方をするなら——今ではなく未来を取った。

 

 もしもシンボリエウロスが故障するか負けたら、樫本理子の行動は必要だった事になる。

 もしもシンボリエウロスが故障せず勝ち続けたら、樫本理子の行動は無駄だった事になる。

 樫本理子は何処かで、シンボリエウロスが勝ち続ける未来を信頼していない。

 

「エウロス。楽しみですか」

「え? はい」

 

 午後、1時。

 車の後部座席にちょこんと座ったエウロスに尋ねれば、そう返って来る。

 

 何でそんな事聞くんですか? 当たり前じゃないですか、もう。

 ピコピコと揺れている彼女の耳が、言外にそれを表している。

 

「こういう事は必要ないかなと思っていたんですけど、でも意外と悪くないかなって」

「……………」

 

 悪くない。

 それはきっと正しい。

 

 必要ない。

 それもきっと、正しい。 

 

 今ではなく未来を取ったと言えば聞こえは良い。

 だが樫本理子は今を見ていない。未来を恐れている。

 だからシンボリエウロスに怪我や故障の意味を説いた。怪我を意識させ、もしかしたら全力を出せなくなるかもしれない枷を与えた。

 樫本理子はトレーナーとしてではなく、大人としての正しさを優先させていた。

 

 確かに故障せず現役を終えるウマ娘は非常に少ない。

 生涯無敗のウマ娘は更に数える程度しかいない。

 それは事実である。

 ただ同時に、そんな事を言って欲しいウマ娘がいるかといえばまずいない。

 何より喘鳴症という病を抱えていながら尚も走る事を決意し、実際に努力と走法によって克服し、しかも本当に今無敗である子の前にそれは、明らかに水を差す行為でしかなかった。

 

 ——そういう複雑な心境を内心に抱えたまま、樫本理子は静かに車を発進させた。

 

「……………」

「……………」

 

 シンボリエウロスには静寂が似合う。

 更に当の本人は、居心地の悪さを相手が覚えてるんだろうなぁと理解しながら敢えてそれをガン無視するレベルには静かである事が好きなので、沈黙に耐えかねるという事がまずない。

 後単純に、明日の遠足が楽しみで夜眠れない幼稚園児みたいな状態にいる彼女は、耳をピコピコしながら車の外で流れる風景を眺めていたので、樫本理子の複雑な内心は露知らずだった。

 

「道中、もしも気になったものが他にあれば教えてください。今日は貴方に付き合いますから」

 

 気まずさに耐えかねるように、樫本理子が呟いた。

 一人でいる時ならまだしも、他者がいる時、静寂に気まずさを覚えるのはほとんど本能みたいなものである。

 

「はい」

 

 尚、その本能に真っ向から喧嘩を売っているウマ娘がここにいる。

 

「…………」

 

 返事。一言。再びの静寂。

 大抵は姉としか会話せず、しかもその姉との会話は一言二言をポツポツと喋るエウロスにとって、基本的に会話とは間の静寂の方が圧倒的に長い。

 故に周囲からは何を考えているか分からなくて怖い、静寂の間が怖いと思われがちだが、基本、特に何も考えてない。

 

「トレーナー」

 

 だから大抵、エウロスは唐突に会話を再開させるし、会話の主導権も握る。

 シンボリエウロスと会話が弾まない理由である。

 

「今から流鏑をしに行くじゃないですか」

 

 初めてのお出かけで……それ……? 

 もしも彼女の同期達がこの会話を聞いていたらそんな反応をした事だろう。

 

 流鏑

 ウマ娘が地を駆け抜けながら弓で的を射抜いていくという、古い歴史を持つ神事。

 神事や儀式的な側面でなくとも、戦場を駆けながら弓を引くウマ娘というのは日本のみならず世界的に存在し、起源を辿れば有史以前から確認されている。

 数百年前、鉄と火薬の時代が来るまで『兵』と呼ばれるウマ娘が、長い間軍事に於ける最強の存在であったのだ。

 

 ウマ娘と弓術は、深く繋がっている。

 だからウマ娘の習い事の一番は弓道であるし、名門であればより高度に、実際に流鏑を行う事も多い。

 尚、だからと言って流鏑をお出かけに選ぶトレーナーはいない。

 

 時代の流れと共に、流鏑の儀式は弓道に似た形へ簡略化されたり、または競技性が出たりしたとはいえ、そもそもウマ娘が弓を引くというのは長い歴史に裏付けされた、重要な意味合いを持つ。

 流鏑は普通に神事だ。

 お出かけの内容が流鏑とは何処の皇族だ、と突っ込みが入ってもおかしくはない。

 尚シンボリエウロスが皇族の娘である事をあながち間違いとも言い辛い為あれだが、樫本理子がそういうものを選んだのにはちゃんと理由がある。

 

 シンボリエウロスは騒がしい場所を好まない。

 それは無意識な拒絶に近いレベルで。

 ハナから行く気がないし、行かない理由があればそれを最優先させる。

 同時に煌びやかで眩しい場所や、人が多い場所もだ。

 

 ゲームセンター、という選択肢はなかった。

 騒がしい、眩しい、人が多いの3アウト。

 

 神社でおみくじ、というのもなかった。

 新年明けに一回引くくらいはするが、樫本理子とエウロス共々、運命や天命というものに身を委ねるタイプではない。

 

 気分転換にお散歩、というのはシンボリエウロスの気性に相応しい気はしたが、彼女に必要なのは気分転換ではない。

  

 そうして色々悩んだ結果樫本理子が選んだのが、流鏑だった。

 騒がしくなく、眩しくなく、人が多くない。

 何か辛い事があった時、それを忘れられるほどに没頭出来て。

 尚且つ、トレーニングと違って身体を酷使しない。

 名家の御令嬢である事を考え、こういうところから少しずつ世間に慣れていくのが良いのではないかと考えた樫本理子の気遣いである。

 尤も樫本理子が付き添う都合上、地を駆け抜けながら行う流鏑は出来ないのでほぼ弓道だが、それはそれで手軽なスポーツのように趣味としての側面が上がるのでアリだと樫本理子は思っていた。

 

「トレーナー。多分、流鏑じゃなくてアーチェリーの方が良いです」

「アーチェリーの方も、出来るのですか」

「まぁはい。むしろアーチェリーの方が私の好みです。競技性という部分ではアーチェリーの方が熾烈なので」

 

 シンボリエウロスにはそういうところがある。

 名門生まれとしての考えよりも、まず最初の思考が競技者なのだ。

 

「……良いのですか?」

「はい。別に」

 

 樫本理子の問いに対し、明確に答える。

 含む意味をエウロスがしっかり理解している事を樫本理子は悟った。

 

 流鏑……というより弓道とアーチェリーは似ているが明確に別物である。一緒くたにされる事を心良く思わない者は多い。

 特にこの考えは、流鏑というウマ娘の神事を重んじて来た武家、現代でいう名門生まれであればあるほど強い。

 

 つまりシンボリ家生まれである彼女は、伝統的文化を重んじる思考を持っていなければおかしいのだ。

 

 ウマ娘と弓術は深く繋がっている。

 言葉を濁さないのなら、ウマ娘は戦と深い繋がりがある。

 それは三女神の一柱が軍神的な側面を持つ戦であった事からも明らかだ。

 シンボリ家は元々、その一柱の末裔とすら噂されたほどの武家である。

 そういう意味で、現代的な考えを持つシンボリエウロスは異端だった。或いは柔軟なのかもしれない。シンボリ家で正しいか正しくないかは置いといて。

 

「多分、案外姉上もそうなんじゃないかとは思ってます」

 

 それ、聞いて大丈夫なんだろうかと樫本理子は思った。

 あの『皇帝』が、実はそこまで厳しい人じゃないし、何なら結構普通に庶民派気質な上に愉快な人と間接的に聞かされたような衝撃だった。

 

 去年の『駿大祭』にて、華やかな和服にて飾り立てたシンボリルドルフが、流鏑を行った事は記憶に新しい。

 大地を疾駆しながら鮮やかに的を射抜いていくシンボリルドルフの出立ちは多くのウマ娘の憧れとなっただろうし、権利規則伝統を重んじるURAからも完璧としか言いようがない完成度で評判も良かった。大衆受けも良い。

 

「そもそも私達、弓道もアーチェリーも両方出来ますし」

「…………」

「別に伝統を軽んじてる訳じゃないんですよ。ただ、両方出来るだけなので」

 

 何なんだこの姉妹。

 樫本理子はそう思った。

 思ったが言わなかった。

 慣れである。

 

 ——私、将棋が上手なんです。世界一。

 ——はい。

 ——そういえば、将棋とチェスは似てますよね。

 ——まぁはい。

 ——だから私、チェスも上手なんです。世界一。

 ——はい?

 

 例えるならそういう感じの、まぁまぁな暴論。

 圧倒的な王者というのはこういう風に生まれるんだろうなぁと感慨に耽った樫本理子に、皇帝の妹は続ける。

 

「まぁそこは良いんです、そこは。

 それで最初に戻るのですが、アーチェリーの方が良いと思いますよ」

 

 発言の仕方に、樫本理子の何かを心配しているところが見て取れる。

 何故ですか。

 樫本理子がそう問い返すよりも先に、エウロスは告げる。

 

「アーチェリーの方が初心者向きですから」

「…………」

「私は名門生まれですけど平気ですよ。流鏑に拘らなくても」

「えっと……」

 

 樫本理子がお出かけに流鏑を選んだ理由は、もう一つある。

 

 樫本理子には体力がない。更に筋力もない。運動神経もない。

 努力すれば改善されるのだろうが、その努力する為の体力筋力その為諸々が足りていないという貧弱具合。

 年頃のウマ娘と同伴してお出かけするに、樫本理子はあまりにも力がなかった。

 そんな中で、弓を引くというのは一種の光明だったのだ。

 

 大きく体を動かさない。

 そこまで運動神経が必要ではない筈だ。

 筋力……はあれだが、どちらかというと技術や繊細さの方が重視される筈。

 

 これほど完璧なものがあるだろうか。

 いや、ない。私にもこれなら恥をかかずに出来るだろう。

 そんな思惑が樫本理子にはある。

 

「………いえ、大丈夫です。ウマ娘を担当する者として伝統文化に触れておくのも重要かと」

「そうですか? なら、これ以上は言いませんね」

 

 ただひたすら的の真ん中を射抜く事に重きを置くアーチェリー。

 礼儀作法や射法などの方に重きを置く弓道。

 なら恐らく後者の方が良いと考えている樫本理子は何とかその場を乗り切る。

 

「あの」

 

 僅かな間。問いに対する納得と、樫本理子の機微を察して黙っていたエウロスが、何となく告げる。

 

「今日は付き合ってくれるって言いましたよね。でも私、こういう日に何をすれば良いのか分からないんです。だからトレーナーが、私を色んな場所に連れて行ってくれると嬉しいです」

「……つまり?」

「今日は楽しい日になると思います。トレーナーと一緒なら」

 

 何だか言外に、別に弓を全く引けなくても幻滅しないし大丈夫だ、と言われているような気がしたが、樫本理子は持ち前の鉄面皮で耐えながら黙っていた。

 

 そんなこんなで総合体育館に到着し、事前の予約や施設準備などは完璧に済ませていた樫本理子の手によって、流鏑は始まった。

 

「指導員の方は?」

「大丈夫です」

「じゃあ私が教えますね」

「……ありがとうございます」

 

 今日は自分がシンボリエウロスに付き従う。

 少しずつ彼女がレース以外のものを見つけていく補助をし、見守っていくのだ。

 しかし流れるようにシンボリエウロスから教わる形になってしまった状況に樫本理子は危機感を覚える。

 これは良くない。自分は決して見守られる側ではない。

 

「エウロス、あの。私に歩幅を合わせる必要はありませんので」

「……フフ。全然大丈夫ですよ」

 

 少し口元を隠して、上品に笑う。

 稀になら微笑むが基本無表情の彼女が、音になる笑みを発したのは今回を含めてたった二回しか見た事がない。

 だが、そうじゃない。そこは重要じゃない。

 立場が逆転して彼女の負担になっては本末転倒なのだ。

 

「まずは用具などの説明からですね」

「いえ事前に調べているので……」

「じゃあ、構えから入りましょうね」

「……………」

 

 いや……いや今日で全てが決まる訳ではない。

 今日は……ダメかもしれないが、今後も時折シンボリエウロスにはレースと関わりのない休日を与える。

 彼女が楽しんでいるなら良いか……と、いや彼女に甘えた結果、本来の目的から逸れては意味がないという反発し合う感情を、大人としての見栄と綯い交ぜにしつつも、樫本理子は決してめげなかった。

 

「……まぁこれくらいかな」

 

 隣で、見本を見せたエウロスがボソリと呟く。

 一射目。遠的。中心から7cm右にずれる。

 二射目。遠的。中心をほぼ正確に射抜く。

 彼女はアーチェリーの方が好みと言っていた。恐らく洋弓の方の感覚や癖が強いのだろう。その感覚を、二射目で修正した。

 だからこその、これくらいかな、という自己への感想。

 

「射法八節はこんな感じですね。的に(あて)る事を意識するよりも、八節を整える方が良いと思います。極論、構えが全く同じなら、放たれた矢の軌道も全て同じになるので。

 風とかは省いているので本当に極論ですけど、この距離なら気にしなくて良いかと思います」

 

 天才は凡才の感覚が分からないから教えるのが下手、という訳ではないらしい。

 度々思う。先程の自己への発言といい、ふとした時の挙措が姉と良く似ている。

 

「………………」

 

 尚、それはそれとして人間とウマ娘の差をまざまざと見せ付けられた樫本理子は、内心で力の差を再認識した。

 

 エウロスが行ったのが遠的という60m離れた的を射抜く事に対し、樫本理子が今から行うのは近的という28m……が適正距離のそれを、更に初心者なので半分にした14m先の離れた的を狙う。

 勿論、人間でもかなりの熟練者は遠的を行える。

 ただウマ娘は一般家庭の習い事レベルで遠的を行えるし、何なら更に離れた的すら射抜けるウマ娘は普通にいる。

 重力に引かれた滑空状態の落下は一切考慮せず、ほぼ純粋な直射の運動エネルギーで。

 

 それでも尚、人とウマ娘両方で遠的の距離が60mで落ち着いたのは、ウマ娘の膂力に耐え得る弓と矢は非常に高価になってしまうからだ。

 現に、見た目は小柄な子供でしかないシンボリエウロスが使用している和弓の弓力は、樫本理子が握っている和弓の弓力と3倍近い差がある。

 ウマ娘がその気になれば、人間がまずまともに使用出来ない9〜10倍の差がある弓すら軽々と引ける。

 

「………エウロス。興味本位で聞くのですが、貴方は最大何m先の的を射抜いた事がありますか」

「100mです」

 

 全くの余談なのだが、100mとは40バ身である。

 遠的の基本となる距離、60mは24バ身である。

 もしもシンボリエウロスが、先頭から25バ身近く離された上で、最後方から先頭を"射抜く"ような事があれば………『駿大祭』の記念礼服として新たな勝負服を貰った姉の方とは違い、新たな和風の勝負服を正式にURAから贈呈されるかもしれない。

 

 普通にあり得そうな未来を思い浮かべていた樫本理子は、首を傾げたシンボリエウロスの姿を見て再起動した。

 

 弦を、引き絞る。

 思ったよりも反動があった。

 弓を持ち上げる時はそこまで重さはなかった気がするのに、構えた途端に重量感が増す。

 弦を引いた姿勢を維持するのが、ここまで大変なのか。

 

「……トレーナー。一応黙っていたのですが」

 

 仄かに、弓を引くという行為がどのようなものなのかに戦慄している樫本理子に、シンボリエウロスはボソリと告げた。

 

「そもそも弓を引く事自体、初心者向きじゃないです」

 

 樫本理子が放った矢は、14m離れた的に(あた)る事なく、途中の芝に突き刺さった。

 今後も続く休日のトレーナーとウマ娘の関係の少しが定まった瞬間だった。

 




 
⚪︎無駄な事に意識を割り振らず、走る事だけを考えていれば良い。
 尚『異次元の逃亡者』さんはこれを素でやっているものとする。

⚪︎去年の『駿大祭』にて、華やかな和服とシンボリルドルフが……
 アプリストーリーイベント第7弾『晩秋、囃子響きたる』より。
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