有効射程距離25バ身   作:sabu

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 こちらの不手際で上げ直したものです。
 


12/6〜12/13 阪神ジュべナイルフィリーズ(延期)

 

 新学期と言うと4月の印象がある。

 桜咲く春。入学式が始まり、或いは学年が上がり新しい生活が始まる月日頃。 

 中央トレセンでもそれは同じだ。

 形式的には学園である中央でも入学式は4月に行われ、在学生の学年が一つ上がるのも4月である。

 

 ただ、級が変わるのは違う。

 

 ジュニア級がクラシック級に。或いはクラシック級がシニア級に。

 それが変わるのは新年。12月が終わり1年の結果が決まってから。

 そう、結果だ。

 例えば1年最後にして、今年度最高のウマ娘を決める祭典『有記念』が終わってから。

 或いは——ジュニア級最強決定戦、『朝日杯フューチュリティステークス』と『阪神ジュべナイルフィリーズ』が終わってから。

 

 12月。冬。

 もうすぐ、ジュニア級が終わろうとしている。

 

「落ち着きませんか?」

「……………」

 

 場所はトレセン学園ではありふれた部室の一室。

 ディクタストライカとそのトレーナー、小内忠が使用している部室である。

 

「落ち着かねぇよ」

 

 アイツとは違ってな。

 そういう言葉を、ディクタストライカは言わなかった。

 それを口にすると、負けているような気がした。

 

「……走って来る」

「いけません」

 

 立ち上がって、ぶっきらぼうに言う。

 それを平静に止めるトレーナーの声。

 

「でもよぉ……!」

「まだ調子が万全ではないでしょう」

「…………っ」

 

 臍を噛む。

 言い分は分かる。本心ではトレーナーよりも分かっていた。

 だからディクタストライカは頭を掻き毟った後、少し音を立てて座った。

 

 不安があった。

 焦りに近い、不安が。

 纏わり付くようなその暗影の正体は、怪我。

 

「なぁ。オレがデイリー杯に出ていたら、勝てていたか?」

「…………」

 

 視界の端で一瞬、事務仕事をしていたトレーナーの手が止まる。

 それが全てだった。

 

「悪い。聞き方が悪かった」

 

 ディクタストライカは本来、11/14に施行されたデイリー杯ジュニアステークスに出走する予定だったのである。

 シンボリエウロスが19バ身で勝ったあのデイリー杯に。

 だがディクタはデイリー杯に出られなかった。脚の怪我だ。

 裂蹄と呼ばれる故障。要は出血が確認されるくらいに爪が割れたのである。

 

 デイリー杯に出走する前はただ、思い通りに行かない憤りしかなかった。

 だが今は、心のどこかで出走しなくて良かったなんて思っている。

 

 レースレコード。

 19バ身差。

 真の天才は勝ち方すら選べる。

 

 アイツは間違いなく、一緒にレースに出たウマ娘の心を叩き折っただろう。

 ディクタストライカの友人であるブラッキーエールも、最近はあまり元気がない。

 じゃああのレースに出走していないウマ娘には何の心理的影響も与えなかったかというと、全くそんな事はない。

 あの日の衝撃は、未だ収まる事なく波紋となって揺れている。

 

「(きっと、勝てなかった)」

 

 あのウマ娘と自分は次元が違う。

 そう思って目を背けないのは、彼女の諦めの悪さの象徴でありディクタストライカというウマ娘の強さだった。

 しかし彼女は、彼我の差が分かる程度には博識だった。

 特に理由もなく自分なら勝てただろうと思うほど、ディクタストライカは無鉄砲ではないし、浅慮でもない。

 

「(……そして多分、今日も勝てなかった)」

 

 12/6。

 本当なら今日、G1阪神ジュべナイルフィリーズが施行されている筈だった。

 日本列島を襲った豪雪による、出走予定日延期である。

 現在予定されているのは振替となった翌週の13日だが、レース場の芝を覆う雪と改善の兆しがまだ見えない悪天候を見るに怪しいかもしれない。

 単純に予定日がずれた以上に、この影響は大きいだろう。

 

 1〜2週間の延期というのものは軽視して良いものではない。

 

 休みが増えて良かった、とは行かないのがウマ娘の世界だ。

 彼女達ウマ娘は、予定されたその日に狙いを定めて調整を行う。

 だからいきなり延期されるとペースと感覚が狂い、体調も変わる。

 絶好調の調子が不調以下に落ちるものと考えて良い。

 トレーニング期間が増えて調整しやすくなった、とはならないのだ。

  

 事実、サクラチヨノオーが出走を予定している朝日杯フューチュリティステークスでは既に何名かが出走見送りを余儀無くされていた。

 このままなら、マルゼンスキー以来の最低人数となる6名での施行になるだろうと予想されるほどの。

 もっともその延期は、裂蹄によって故障し休養の時間が必要だったディクタストライカにとってはプラス方面に働いたのは皮肉でしかなかった。

 

「怪我自体はもう充分なほど回復しています」

「………そうじゃねぇんだ」

 

 落ち着かない。

 レースに出られるか出られないかの焦りではなかった。

 普通抱くであろう感情は、今のディクタストライカにはない。

 

「(オレは、アイツに勝てるのか)」

 

 ただそれだけが心で渦巻いている。心の中でそう呟くのは、何度目なのか。

 同期もきっと同じ事を思っているだろう。名前ではなく形容詞で通じる今世代の台風。

 

「(オレが、アイツに勝っているのは——なんだ?)」

 

 自分のどこがシンボリエウロスに勝っている。自分の何が強い。

 そう思ってしまうのはひとえに、2人は強みとする部分と周囲の環境が似ているのがあった。

 

 同じ、末脚勝負を決め手とする。

 そしてディクタストライカは、前目に付けても末脚を使える才能がある。

 だがデイリー杯で、エウロスも同じく前目に付けても末脚が全く鈍らない事を晒した。

 

 ディクタストライカは、実は管理主義である。

 自分は走る方を担当するから、細かい事は全部任せるという形の。

 彼女のトレーナーは、身体作りに欠かせない食事のカロリー計算は当たり前に、書棚が複数埋まる程度には多くの資料をファイル形式にまとめているし、同期の有力ウマ娘のマークも欠かさない。

 

 シンボリエウロスも、管理主義になった。

 トレーナーが変わってから、アイツは変わった。

 それを多くの者が知っている。

 

 トレーナー変更による周囲の懸念や反応が、まるで嘘のようだ。

 それは前トレーナーがシンボリエウロスとは尾を引かず、既に自らの道を歩き始めていたり、新たなトレーナーになったURAの女性を含めた三者の関係に悪い噂というものが全くと言って良いほど聞かないのもある。

 ただ何より、エウロス本人がそういう疑心を木っ端微塵にする結果と実績を上げたのが大きい。

 

 19バ身差。

 1着と2着の間にあった、あの空白地帯が忘れられない。

 2着から最下位の距離以上にあった、あの。

 

「(オレとアイツの……差は)」

 

 最初の突破口であった、アイツにはトレーナーがいないという利点はもうない。

 負けていないつもりだった上昇志向は、凱旋門賞の日に打ちのめされた。

 エウロスとは違ったバ体の優秀さは、現在この様だ。

 

 実力で負けている。

 才能で負けている。

 上昇志向でもきっと負けている。

 少なくとも今、休養に甘んじているしかない自分よりは努力出来る。

 

 そうやって、ディクタストライカの中で不安が堂々巡りしていた。

 

 次に焦りに変わって、トレーニングに向かおうとする。

 だが治り切ってない脚で本当にトレーニングに向かえば、間違いなく悪化するだろう。

 結果、今は休むしかない。休んだ方が良い事は頭が分かっているのだ。だが心が休んだままでは間違いなく勝てないと叫び続けている。

 故にまた焦りが大きくなる。負の循環だった。

 

 1日。2日。

 この焦りを解消してくれるのは時間なのだろう。

 だが日時を跨いでも、焦りは解消されるどころか悪化していった。

 

 ——阪神JFでも一名、出走取り消しのウマ娘が出ました。今年の豪雪の影響は深刻な模様です。貴方に不調はありませんか?

 ——はい。

 ——分かりました。一応、今まで通りトレーニングは継続します。ただ急な出走日の変更によるズレは、気付かぬ内に溜まるもの。気温変化による体調不良も考えられます。不調があればすぐに申し出てください。

 ——はい。

 

 いつしか、エウロスとそのトレーナーを目で追う事が増えた。

 例えば、普段の学業の時間。

 例えば、グラウンドや屋内のジムでトレーニングの時間が被った時。

 

 シンボリエウロスは、決して自らのペースを崩さない。

 ただ刻々と、自らの時を刻み続ける。

 その揺るぎない姿は、ディクタストライカに迫る時間というものを印象付けた。

 

 3日目。4日目。

 刻々と近付くタイムリミット。

 12/13。或いは12/20。阪神ジュべナイルフィリーズの出走日。

 

 5日目。6日目。

 怪我は治った。

 だが、調子が戻らない。

 休養していた時間にロスしたものが戻る訳ではない。

 

「今日も延期か………」

 

 7日目。12/13。

 今週も出走を取り行う事は出来なかった。

 流石に来週になれば天候は落ち着くだろうというニュース速報とURAの見解は恐らく当たる。

 やはり、12/20が決戦の日。

 だが12/13日に出走しても良いように調整していたのも事実。

 

 落ち着かない。

 アイツとは、違って。

 今のディクタストライカは、はっきり言って絶不調だった。

 

「……どーすっかな」

 

 日曜日。午前7時。

 今日はトレーナーから休めと言われている。

 元々レースが予定されていた日だからではあるが、今のディクタストライカの状態を考えるに、それは妥当な判断と言えた。

 

 だが正直言って休む気になれなかったし、トレーニングがしたかった。

 無駄であると分かっていても。その行為は力を付ける事には繋がらず、ただ今現在の逃避の為に行うだけの行為なのだと理解しても。

 

 ディクタストライカは気性難である。それもかなりの。

 要は分かっていても落ち着かないし、納得出来ない。

 理性は聡明であっても、心が付いて来ない。

 ディクタストライカほど、身体と心のちぐはぐさに悩まされたウマ娘はそういないだろう。少なくとも、この世代では一番。

 

「…………」

「あ?——うわ……っ、なんだよ」

 

 取り敢えずトレーナーと相談するしかないか……。

 軽く朝食を食べて、カフェテリアの席を立った瞬間のディクタストライカの腰をツンツンと引く者がいた。

 音もなく、いつの間にか背後にいたシンボリエウロスである。

 

「おはようございます」

「え、あぁ……おはよう」

「休日ですね」

「あぁ、まぁ……うん」

「よし」

 

 よし? 何がだよ。

 ちょっと拳を握り込んでガッツポーズしてるエウロスに怪訝な反応をして口を開くよりも早く、エウロスは続ける。

 

「ディクタストライカさん……いえ、ディクタさんって呼んで良いですよね」

「まぁ……別に良いが」

「じゃあ友達ですね」

 

 もしかして、こいつ押しが強いな?

 しかも自分の内側で物事を完結させるタイプの。

 

「まぁ………友人みたいなもんだろ」

 

 ただ、それを口にしない優しさがディクタにはあった。お人好しなのである。

 現に今、また小声でよしと言って小さくガッツポーズをしてるシンボリエウロスに、なんか機嫌良さそうだからこのままにしておこうか、と思うくらいに。

 

「休日と友人。この二つが来たら、後は一つですね」

「何がだよ」

「お出かけです」

「……………」

「私と一緒にお出かけしましょう」

 

 コイツ、マジか。

 そういう表情をするディクタに、シンボリエウロスは尚も詰め寄る。

 

「私はトレーナーから許可は貰っています」

「…………」

 

 一回、深呼吸する。

 ガンガン押せ押せで来るシンボリエウロスはともかく、冷静に考えて悪い選択肢とは言えなくもなかった。

 

 阪神ジュべナイルフィリーズを1週間前に控えていながらとんだ余裕じゃないか、とは言わない。

 もっとそれ以前に、出走予定日が二度も変わるという異例を前にした今だからこそ休みという名の調整は重要になってくる。

 少なくとも、休みが本当に必要な時に休めていない自分よりはマシだろう、とディクタは素直に思った。

 

 シンボリエウロスには、精神的余裕がある。

 この余裕をレースで突かれたら慢心になるのだろうが、代わりにほぼずっと自らの調子を維持出来るとするなら、ただただ圧倒的なだけだ。

 

 ならば、いっそ懐に飛び込んでしまえ。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。エウロス本人からエウロスに勝つ為の方法を教わってやろう。

 それくらいの心持ちで、ディクタは押しが強すぎるエウロスとお出かけする事にした。

 

「じゃあ行きましょう」

「………………」

 

 トレーナーから許可も貰う為に一旦別れて、ついでに適当な私服と用意をしてから校門前で再び出会う。

 

 今更なのだが、シンボリエウロスは特級のお嬢様である。

 身近なところにメジロアルダンがいるのと、私生活が謎で中央トレセンの制服とジャージを着ているところしか目撃例がない為、エウロスはお嬢様というより近寄り難い強者なんて印象が先行するが、仮にもシンボリ家。品格はある。

 

「お前……私服、そういう感じなのか」

「はい」

 

 要は、エウロスは令嬢らしく清楚な服装をしていた。

 グリーンのフレアスカート。ホワイトのブラウス。ベージュのガールズコート。

 センスがどうこう言えるほど目は肥えてないし、服に関する造詣も深くない。

 だが隣に並べば間違いなく浮く。主に自分が。

 現にディクタは、中央の制服の上に耳を通す穴の空いたパーカーを着ているだけという、非常にラフな格好だった。

 

 今の状況を表現するなら、18歳の不良と12歳のお嬢様がいるような感じである。

 事実、身長はそれくらいの差がある。

 シンボリエウロスは本当に小さい。ディクタストライカの肩までの高さもない。

 

「私服はこれしか持ってません。夏用と冬用はありますけど」

「は……? 洗濯とかしたらどうするんだよ」

「この服がいくつもあります。私服に何を着るのか悩むの面倒なので」

 

 こんな返答をするお嬢様がいるだろうか。

 何か訳ありとか家の問題とかではなく、ただただ本当に面倒だというのが透けている。

 

「はぁぁ……まぁ良いよ。で、何処行くんだ」

 

 ただ分からないでもない。

 名門としての体面はちゃんとするし、他者を斟酌しない訳じゃないが、目の前にいるのは根が唯我独尊の塊みたいな奴。

 要らないものは何もかも要らない。己の道は全て己が決める。

 入学してから半年以上。今更としか言いようがないが、このウマ娘とのやり取りにディクタは段々慣れ始めていた。

 

「え。ディクタさんが決めてくれるものだと思ってました」

 

 それが、たった今木っ端微塵にされた。

 押して押して、押しまくって来て、急に一歩引かれる。

 

「あの、前一緒に遊びに行かないかって言ってくれましたよね」

「………。あ?………あぁ言ったな」

 

 若干のフリーズから戻り、彼女は思い出した。

 確かにディクタは、遊びに行かないかと言った事がある。

 挑発的に誘い、野良レースに引き込み、腹の底を覗いてやろうという好奇心と反抗心で。

 尚、半年以上前の事である。

 当の本人は今の今まで忘れたままであった。

 

「まさか、だからオレを選んだのかお前」

「はい。トレーナーに言われたんです。友人関係と休みの日について」

 

 余談だが、最近のシンボリエウロスのトレーナー樫本理子は筋肉痛で悩んでいる事をディクタは知らない。

 だからという訳ではないが、休日の過ごし方と一緒に友人関係の改善にも樫本理子は動いている事も知らない。

 

「そしてその両方を何とかしたいなと思った時、ディクタさんが一番最初に浮かびました。だから連れてってください。こういう時、私何処へ行けば良いのか分からないんです」

「……………」

 

 これはもしや、妹ムーブという奴か。

 あらゆるもの全て自分で決めるみたいな我の強すぎる奴が、いきなり自分の全てを委ねて来るという凶悪さで甘えに来ているのを、果たして妹ムーブの括りに入れて良いのか知らないが。

 

「お願いします」

「………………」

 

 今この場に、シンボリルドルフがいるなら聞きたかった。

 というか何とかして欲しかった。超唯我独尊ど天然無自覚妹ムーブウマ娘の対処法を。

 ディクタストライカは、普段の休日は良くゲームセンターへ遊びに行く年頃の学生である。 

 また、見た目は深窓の令嬢の塊みたいな奴をそういう場所に連れて行くのは今更だが気が引ける程度に良心はある。見た目は不良だが、ディクタはそうなのだ。

 

「……オレがいつも行っているゲーセンで良いか」

 

 ただ、こんなウマ娘を相手にそんな事言ってられる段階ではない事も事実で、何よりディクタ本人、耐えていける予感もしない。

 もうどうにでもなれ。絞り出すように、彼女は言った。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 何となく見えていた光景なのだが、エウロスとのお出かけは全く上手く行かなかった。

 少なくともディクタは終始振り回されてばっかりだった。

 まず、初手が迷子である。

 

「くっそ……!!? エウロス、アイツ何処行きやがった……!」

 

 エウロスは12年間家から出た事のないお嬢様。

 もはやゲーセンは異世界。あらゆるものが未知に違いない。

 正直、適当に説明しながらふらつけば勝手に興味を示して動き満足するだろうと彼女は考えていた。

 だがいつの間にか音もなく消えているのは聞いていない。

 ディクタの油断、と言われたら油断ではある。

 ただあのシンボリエウロスが迷子になるなどと、イメージが出来なかったのだ。

 

「あっ……ディクタさん……」

「……………」

 

 取り敢えず、進んで来た道を速攻で戻る。

 シンボリエウロスは、意外と早く見つかった。

 場所はまさかの入り口。すぐ隣で自動ドアの開閉音が響いている。

 

 もしも見つからなかったら、次に取るべき行動は店員に相談からの迷子センターか。

 しかし、シンボリエウロスは本当に迷子か。仮にも初等部の教育過程を終えた学生。それに名門としての矜持、その他諸々はどうする。

 僅かな間でそこまで考えを巡らせていたディクタは、安心よりも先に脱力と呆れが来ていた。

 

「お前……本当にお前……」

「……あのごめんなさい……あまりこういう、チカチカしたところに慣れてなくて」

 

 ディクタの呆れに、若干の怒気が混ざっている事を察したのだろう。

 俯きがちに謝る。しょんぼりと垂れている耳。悪い事をしていると自覚はあるらしい。

 実際、こういう場所に慣れてない事を察しながら連れて来たのは自分だし、現になんかシンボリエウロスはいつもより分厚い耳カバーを付けている。

 もしかしたら友人との折角のお出かけだから、頑張ってこういうところに来ているのかもしれない。一方的に責めるのは、少し違うか。

 長いため息の後に、ディクタは胸の内を収めた。

 彼女は本当にお人好しだった。

 

「はぁぁぁ………で、クレーンゲームがお気に召したのか」

「………………(コクッ)」

 

 ゲームセンターの出入り口すぐにある、クレーンゲームの筐体。

 何処にでもあるようなものに、エウロスはじっ……と視線を向けている。

 

「…………」

「…………」

「やれば良いだろ。許可はいらねぇよ」

 

 厳しい家だから、こういう場面では許可とか必要だったのかなというディクタストライカの配慮。

 

「シンボリルドルフのぱかプチが欲しいです」

 

 それをぶち壊しつつ、エウロスは言った。

 

 そういう許可じゃねぇ。

 というか待て。まさかコイツ、オレがやるのを待ってたのか——?

 途端にフリーズするディクタ。の手の平を開いてエウロスは500円玉をポンと乗せた。

 

「お願いして良いですか?」

「……………」

 

 諦めと無心。

 一々コイツに驚愕しているよりかは、まぁコイツが楽しそうにしているなら良いか、の感覚で乗り切る事にしたディクタの行動は早かった。

 

 慣れた手付き。

 クレーンを動かし、人形を取る。

 優しい機体だったらしい。一定金額まで入れないとアームが強くならないとかそういう事はなく、一発であった。

 

「ほら」

「……ありがとうございます」

 

 受け渡されたシンボリルドルフのぱかプチを目線まで掲げ、じっと眺めた後、エウロスは感謝を述べた。尻尾が揺れている。

 先入観とギャップのせいで、さっきまでは暫く動揺していたが、よくよく考えれば可愛い奴なのかもしれない。多分。

 

「じゃあ続きですね」

「あぁ。回数も残ってるし今度はお前がやれよ」

「いえ、そうではなくて」

 

 シンボリルドルフのぱかプチを握り締めたまま、エウロスは言った。

 

「この辺りにある筐体全てからシンボリルドルフのぱかプチを取り尽くしたいです」

「…………あ?」

「お金はあります」

「…………いや、待て。持てないだろ」

「ここって複合型のレジャー施設だから、大型のバッグを売ってるお店はありますよね?」

 

 訂正。やっぱり可愛くない。

 根本的な部分がコイツは圧倒的に暴君である。

 流石に付き合い切れない。というかゲームセンターに来た意味が———

 

「最近、一人部屋なのが寂しくて、皆の人形で埋めたいなって」

「………………」

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「何でこうなったんだろうなぁ………」

 

 正午過ぎ。真昼。

 結局二人は、3時間近くクレーンゲームで遊んでいた。

 ゲームセンター出入り口10mの範囲内でずっとである。

 何ならその範囲内でエウロスが満足して帰ったので、ほぼゲームセンター関係ない。

 

 ——もう良いんじゃないか……。

 ——いえ。まだ100L入る登山用のバックパックには空きがあります。

 

 ——もう取り尽くしたんだが……。

 ——店員さんに頼めば追加でセットしてくれるんじゃありませんか?

 

 ——もう入らないだろ……。

 ——抱えて持って帰れます。あっ、最後に等身大のシンボリルドルフ人形が欲しいです。

 

 そんなこんなで、16分の1。8分の1。4分の1のシンボリルドルフぱかプチ人形をそれぞれ4個ほど。

 空いた容量に手の平サイズのシリウスシンボリ、マルゼンスキー、ミスターシービーのぱかプチをむぎゅむぎゅと詰めて、最後に等身大のシンボリルドルフぱかプチすら入手し、ダメ押しに回数が余ったからもう一個欲しいな……という事で手に入れた16分の1シンボリルドルフぱかプチを、頭の上に乗せ耳でホールドしているエウロスと共に、ディクタは帰路に就いた。

 

「何でこうなったんだろうなぁ………………」

 

 疲れた。ちょっと座ろう。

 そう言って、近場の公園のベンチの上で天を仰いでから早数分。

 エウロスはエウロスだが、それに律儀に付き合い切ったディクタもディクタだった。

 

「ディクタさん、どうぞ」

「あぁ、おう………ありがとう」

「固め・濃いめ・多めです」

「おう………」

 

 前に等身大(165cm、2.5頭身)のシンボリルドルフのぱかプチ。

 後ろに、頭の先からお尻の下辺りまである登山用のバックパック。

 もはや横以外からでは一体誰か判別することすら出来ないシンボリエウロスは、片腕で超巨大ぱかプチを抱えながら、器用にはちみーを手渡して来た。

 公園の露店で販売しているものだ。

 今日は迷惑をかけたから、その奢りらしい。

 傍若無人の癖に、シンボリエウロスは謎にこういうところがある。

 後、何故コイツは前が見えるのだろうか。それもまた謎だった。

 

「まだ片腕が使えますし、トートバッグを買えば更に持てましたね」

 

 既に、一学期最後に大量の荷物を抱えるタイプの小学生すら真っ青な状態のエウロスは続けた。

 尚、彼女が背負ってる登山用のバックパックはちゃんと蓋が閉まっていない。

 等身大シンボリルドルフ人形を抱えながら隣に座っているエウロスにちょっと戦慄しつつ、言っても良いのか分からなかった疑問をディクタは口にした。

 

「なぁ、もうこれ買った方が良かっただろ」

「でも代わりに、お金では買えない楽しい時間が過ごせました」

 

 ……そうか……なら良いんだ……。

 ディクタストライカは、シンボリエウロスに抱いていた冷徹にして孤高の天才という印象を、レース以外では雰囲気が変わらないまま暴走する幼女に修正した。

 

「今日はとても楽しかったです」

 

 声色はさっぱり変わらないが、シンボリエウロスが本当に楽しんだのだろう事はディクタにもなんとなく分かる。

 尻尾は揺れているし、耳がピコピコ動いていて頭の上に乗せているシンボリルドルフ人形をペチペチ叩いているし、若干頬が緩んで満足気な気がしなくもない。

 好調が絶好調になったみたいな、そういう感じ。

 尚全く以ってどうでも良い余談だが、ディクタストライカの雰囲気と素の性格がなんとなく、血が繋がってないだけの姉貴分と似ていた為、隣のウマ娘が急速に妹ムーブをかまして来た事をディクタ本人は知らない。

 

「お前、こう見ると全く強そうに見えないのにな……」

 

 今現在、人形遊びが趣味の幼女みたいな感じになっているのもあるが、隣にちょこんと座るウマ娘にディクタは良くそう思う。

 シンボリという冠。そして周囲の何もかもがどうでも良いという態度。

 孤高。一言で表現するならそれしかない。

 ただそういう初対面の印象などを抜きにした時、シンボリエウロスから強者の雰囲気やオーラは感じられない。

 

 まず身体が小さい。

 より言うのなら、肩付きや腰周り、手足の太さなど、アスリートとして如実に関わって来る部分も細く小さい。華奢なのだ。

 何より本格化が始まってから急成長するウマ娘が多いのに対し、入学当初から全く変わらない姿を見るに、恐らくそういうタイプのウマ娘なのだろう。

 見た目だけは本当に変わらない、稀なタイプの本格化をするウマ娘。

 

「強くなさそう、ですか」

「あっ、悪い……気に障ったか」

「いや特に。良く言われてました」

「は? 誰にだよ」

 

 強くなさそうに見えても、実際にそれを口にするウマ娘はいない。実際の強さを知っているからである。というかシンボリエウロスは恐れられている。

 仮にも自分を負かし、世代最強と呼ばれている存在に強く見えないなどと良く言う奴は誰だ。

 ディクタは眉を顰めながら、反抗心で問い糺した。

 

「皆、じゃなくて……シンボリルドルフとシリウスシンボリ、後マルゼンスキーとミスターシービーに」

「あぁ……」

 

 なるほど、確かに。

 あの四人なら、そういう事を言っても許される存在だろう。

 若干の肩透かしにあったディクタは、前のめりになっていた腰を落ち着かせた。

 

「姉上と姉貴からは、見た目で無礼(なめ)られないようにしろと言われていたので正確な意味合いは違いますが、マルゼンスキーとミスターシービーの二人から、初対面からそう言われましたね。

 気弱そうに見える。ルドルフと似てなくて可愛い、と。……今思えば、二人は私の何が気に入ったんだろう」

「…………」

 

 もしかして今、凄い貴重な話を聴いているのではないか。

 刹那、シンボリエウロスの素の更に素が垣間見えたような気がして、ディクタストライカは耳を傾けた。

 

「まぁ、別に良いですね。何でも」

「良いのか……」

「はい。過去です」

 

 傾けていて、それでもその割り切りの清々しさに呆れはした。

 過去だから今の自分を形成するものとして気にするのじゃないか、と思いつつ、エウロスは本当にそういう奴なのだろう。

 過去は変わらない。だからどうでも良い。

 

「私が今やるべき事は変わりません。私は今、自分に出来る事をしていくだけです」

「ふーん……」

 

 それはディクタストライカに、少し突き刺さる事ではあった。

 

 5戦5勝無敗。

 19バ身。6バ身。6バ身。5バ身。そして19バ身。

 圧倒的な戦績と、未だ誰も詰められていない距離の差に気後れしていたディクタには。

 

「と言っても、今が過去の積み重ねである以上、軽視して良いものではない事は分かっています。ただ私は、過去を振り返りながら今を見るほど器用じゃありません」

 

 ディクタストライカは、後悔をしない。

 そんな時間は無駄だ。だから反省だけして次に活かせ。

 見た目に反し管理主義に理解ある彼女には、それほどの割り切りの良さがある。

 だから彼女は、シンボリエウロスの気質と気性の輪郭を、何となくだが理解した。

 

 コイツ本当は、今も過去も両方見れるくらいに器用だ。

 それを敢えてしないのは、効率が良いから。

 片方の思考や選択を意図的に排除し、物事を単純化し、最適に進める。

 

 確信だった。

 コイツが持つ圧倒的な割り切りの早さも、暴君に等しい躊躇の無さも、何もかもどうでも良さそうな普段の態度も、全てに意味がある。

 このウマは振り返らない。だから速いのだ。

 

「過去は振り返らない、ね……」

 

 その上で、ディクタは過去を振り返った。

 

「オレがデイリー杯に出ていたら、お前に勝ってたか?」

「……うーん」

「いや……そこは気にするのかよ」

「え、はい」

 

 他人の事である。

 少なくともシンボリエウロスは、極めて高水準に自己完結した性格をしている。

 気にしても良い事ない気がします、と返される覚悟のダメ元だった。

 何なら、じゃあ気にしない方が良いか、と納得する気でもあった。

 それで終わって、ディクタストライカは過去の幻影を振り切れたのだ。

 

「…………」

「あの日、ディクタさんが勝っていたか……」

 

 過去ですと割り切ったその口で、意味のない言葉を垂れ流す。

 シンボリエウロスには謎にこういうところがある。

 今日のお出かけでディクタが知った事の一つだった。

 

 

「意外と普通に、私に勝ってたかもしれませんね」

 

 

 そしてディクタは、即答による断言よりも価値のある、熟考による意味のない仮定がある事も知った。

 

「………は?」

「私はあの日、ジュニア級1400mのレコードを更新しました。ただ日本レコードは更新してません」

 

 恐らく誰もが、あの日のシンボリエウロスには絶対勝てなかったと言う。

 そういうレースをしたし、相応しい数字を刻んだ。

 実際ディクタストライカのトレーナーは、分からないと言葉を濁す事が出来なかったのだ。

 あの反応が、全ての者の代弁である。たった一人、当の本人を除いて。

 

「ただディクタさんなら、多分日本レコード更新出来たと思うんですよね」

「……速いだけで勝てる訳じゃないだろ」

「そうですね。抑えれば良いですから」

 

 ウマ娘のレースは最も速いウマ娘が勝つのではない。

 ゴール板を最初に通過したウマ娘が勝てるのである。

 つまり極論、自分以外の全てのウマ娘の脚を鈍らせれば良い。

 そういう極論をシンボリエウロスはやった。ついでに歴代最速を意味するレコードを出した上でだ。

 だからあの日のレースは、シンボリエウロスには絶対に勝てなかったと言われている。

 

「でも多分、貴方は抑えられない」

 

 それを間違いなく知っている筈の本人が言う。

 揶揄っていると捉えるには、彼女の瞳は真剣だった。

 

「もしも私がジュニア級で勝てないウマ娘がいるとするなら、二人だけでした。

 そして片方は、脚質と気性の問題できっとレース中に抑えられる。しかしもう片方は多分抑えられない。それを最近になって確信出来ました」

「…………」

「やっぱり貴方ですよね。『ディクタスアイの天才肌』さん」

「ディクタスアイってなんだよ」

「輪眼のとある俗称です。気にしなくて良いです」

 

 ……輪眼ってなんだよ。

 そう思ったが言わなかった。このウマ娘からは時々、謎に古い言葉が出る。多分今のもそういうものなのだろうとディクタは納得した。

 或いはそれよりも大事な事があったのもある。

 

「もしかして、お前が阪神JFに出走を決めたのって……」

「貴方がいたからです」

 

 即答だった。

 元々世間は、シンボリエウロスは朝日杯の方に出走するだろうと認識している。

 彼女に縁の深いマルゼンスキーが、朝日杯を勝利していたからである。

 また同じく、マルゼンスキーが目標である事を隠して来なかった本世代の有力ウマ娘、サクラチヨノオーがいたのも大きい。

 シンボリエウロスがジュニア級で出走しすぎなせいで感覚が狂うが、サクラチヨノオーは現在3戦2勝の好成績。

 

 1戦目。メイクデビュー。順当に勝利。

 2戦目。コーナーからの好位抜出。最終直線で先頭を奪い、そのまま快勝。

 3戦目は初めて負け越しをすれど、2着。

 

 しかし3戦目のレースは普段の脚質通りに進めたのではなく、後方に位置取り、結果バ群の中、初の不良バ場に脚を取られての2着。

 レース後、後ろから追うレースを覚えたかったと陣営が語ったのもあり、ほぼ間違いなくシンボリエウロスを意識したレースであると周囲はこぞって囃し立てた。

 

 朝日杯は、サクラチヨノオー対シンボリエウロスの二強。

 果たしてサクラチヨノオーは、最低着差5バ身のウマ娘に喰らい付けるのか。

 マルゼンスキーの名前も出して、色んな新聞記者やメディアが煽っていたところでの、シンボリエウロス阪神JFへの出走取り決めである。

 

 その選択に対する反応は大きかったし、その一人にはディクタ本人もいる。

 サクラチヨノオーはともかく、朝日杯は意識しているだろうと。

 それはマルゼンスキーの名前が中央トレセン内外で挙げられるのもあるが、朝日杯FSと阪神JFの差に関係する。

 本来ならこの二つのレースに形式や格式の差はない。

 しかし、朝日杯FSと阪神JFを比べた場合、やや朝日杯FSの方が上。

 このレースに勝利して来たウマ娘のその後の活躍などがあるのか、そういう認識が中央にはある。

 少なくとも、たった一人のウマ娘に狙い定めて出走を変更するほど軽いものではない。

 

「チヨノオーさんと、ディクタさん。この二人ならきっと貴方の方が強い。だからまず、貴方に勝てるウマ娘にならないと私は三冠を取れない」

 

 故に謎であった。

 その謎が今日分かったのは収穫である。

 ただ自分がここまで意識されていたのかという、困惑とは似て非なる形容しがたい感情が渦巻いているのも事実。

 

 傍若無人。他者を顧みない覇者。19バ身差で勝った暴君の癖に、シンボリエウロスには本当に——本当にこういうところがある。

 頂点であり迎え撃つ側だと認識していながら、まるで自分が挑戦者とでも言うような精神。

 

「でも1週間後、1着を取っているのは私です。

 私には走る理由も、負けられない理由もあるので」

 

 そして、圧倒的な勝利への執着心。

 敗者と勝者が生まれる世界で、敗者に一瞥もせず喰らい尽くし、前へ前へと突き進む揺るぎない自己。

 

「阪神JFで会いましょう。今日はありがとうございました」

 

 返事を待たず、足早に彼女は帰っていった。

 こういうところは、らしい。

 言葉なんて分かり切ってる。だから聞く必要もない。

 必要と不要を己の指針で判断するあの態度が酷く似合っているのは、今のところアレくらい。

 

 ——私には走る理由も、負けられない理由もあるので。

 

「……まるで自分以外には、走る理由も、負けられない理由もないみたいな言い方じゃないか」

 

 そういう意味ではない。

 分かっている。これは立場の問題だ。

 シンボリ家としての責務と『皇帝』の妹としての覚悟。

 だからと言って、はいそうですかと納得出来るほど、彼女達ウマ娘は腐ってない。

 

 負けられない理由は分かった。しょうがない。それだけは認めよう。

 負けられないではなく、勝ちたいだから。

 勝ちたいのはお前だと、お前が格上だと認めてやる。

 だけど、走る理由がないなんて言わせない。

 

「オレが、走る理由は——」

 

 それは何だったか。

 あの時、入学前の面接の時、果たして自分は何と言っただろう。

 そう、それは。

 

 ——証明したい。最強を、証明したい。

 

 忘れていた。長らく。

 最強と頂点の称号。その夢を自分自身に語れなくなったのは……分かっている。

 今さっき当たり前のように、自分が勝つからと宣言したウマ娘に差を感じたからなのだと。

 ディクタストライカはいつの間にか、自分が勝つと面と向かって言えなくなっていた。

 

「いいぜ……やってやるよ」

 

 拳を鳴らし、笑う。

 後ろ向きだった。無意識の内に、格差ばかりを見ていた。

 だから真正面から立ち向かう。

 

 ——ウマ娘は、全速力を30〜40秒しか維持出来ない。

 

 それは常識である。

 ハイペースが逃げに不利な理由であり、スローペースが追込に不利な理由。

 何故、上がり3Fという数字と記録が生まれたかの理由でもあり。

 そして体力自慢のステイヤーならスピードに劣っていても、長い時間高出力の速さを維持すれば中距離でも勝てるという理論がまず以って通用しない、答え。

 

 この限界は、天性の才能でも圧倒的な努力でも越えられない。

 生命の限界というものは、そういうものだ。

 つまりこの壁を越えてしまう事が可能だったウマ娘は、種族の進化に等しいレベルで、生命の位相が一つ違う事を意味している。

 

 例えばそう、史上最強のウマ娘として呼び声が高い——『セクレタリアト』のようなそういう存在にしか、この壁を越える事は許されていない。

 

「4Fだ。お前が3Fから仕掛けるなら、オレはその距離を駆け抜けてやる」

 

 それを彼女は知っている。

 ディクタストライカは博識であった。

 だから無鉄砲ではないし、浅慮でもない。

 しかし、その無鉄砲さと浅慮が齎すものこそが、ディクタストライカの最大の武器である事を本人は知らない。

 そこには自分ですら知り得ない、限界の先の先にある地平が存在する事も。

 

 1600m、マイル戦。

 その半分の距離を全速力で走り切る。

 僅かに出力を落としたが故に行えるロングスパートとは訳が違う、生命の限界への挑戦。

 

 危険と呼ぶか。冒険と呼ぶか。

 

 それは『阪神ジュべナイルフィリーズ』の日に正しく証明された。

 本来、類を見ないほどの超ハイペースとなる筈だった、レース展開の一変。

 

 最もレース展開に左右される脚質。追込。

 レース展開で勝率が激変する戦法。捲り。

 

 七日後。

 シンボリエウロスは、己の『絶対』を他者の手に譲る。

 




 
⚪︎小内 忠
 誕生日 : 8月11日
 身長208cm
 ディクタストライカのトレーナー。
 方正謹厳。
 誰に対しても敬語。
 ウマ娘シンデレラグレイより。

⚪︎本当なら今日、G1阪神ジェべナイルフィリーズが施行されている筈だった。
 当時阪神JFが施行されたのは1987/12/20だが、元々は12/6の予定であった史実再現。現代では出走予定日延期は中々見ない。

⚪︎セクレタリアト
 約3Fしか維持出来ない筈の全速力を、ほぼ全てのレースで約4〜5F維持させていたウマのような何か(直喩)
 "血の代わりにガソリンが流れている"なんて揶揄されているが、この言葉ほどセクレタリアトの異常性を表現した言葉はそうない。
 心拍数が最大になった時に流れる血液のスピード、走り終えてから心拍数が100を切るまでのスピードが他の馬と比べ物にならないほど速く(後者は恐らく最低5倍以上)、心臓の大きさは平均の2倍近くもあったという。
 また他の馬の2.5倍近い食事を行える強靭な内臓の強さも持っており『等速ストライド』と呼ばれる、一度スパートを行えばゴールするまで鈍らない持久力を約4〜5Fも維持させ、しかも体を壊さず平然と戻れるのには、そういう心肺と内臓の圧倒的な強さが大きい。
 
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