中央トレセン学園には、美浦、栗東の二つの寮がある。
美浦、栗東………関東の競走"馬"が集まる美浦トレセン、関西の競走"馬"が集まる栗東トレセン、という訳ではないらしい。
というか関東とか関西とかそういうのは関係ない、ここは中央である。
なんなら美浦寮と栗東寮は道路を挟んだ向い側にある。
別に差がある訳でもない。東にあるか西にあるかというだけで構造は同じだ。
関東地区ジュニア級チャンピオン決定戦『朝日杯フューチュリティステークス』と、関西地区ジュニア級チャンピオン決定戦『阪神ジュベナイルフィリーズ』はどうなったんだろう……?
後々には、牡"馬"と牝"馬"のチャンピオン決定戦に変わるが、そもそもこの世界には、牡とか牝の概念がない。
……何の違いもない?
なんか違いがあるんだろうか。
分からない。少なくとも私は分からない。
レース場の違いがあると言われたらそうなんだけど、レースの意味合いや権威が同じだと、ほぼ誤差というか何というか。
というか牡と牝の概念がないのなら、路線整備がされず『ホープフルステークス』が後にG1にならない可能性が?
それ以外にも路線整備とか、どうなってるのかな……?
……まぁ、いっか………。
むしろ路線を気にしなくてはいけない項目が減った事に喜べば良いんだ。
路線? 普通だったらこのローテーションを組む? 知るか! 私は出たいレースに出る!
そんな事が出来るのだ。自由でとても良い。
更に言えば、全てのウマ娘が。クラシック三冠路線とティアラ三冠路線を好きに選べるのだ。
だからもしかしたら、シンボリルドルフがクラシック三冠ではなくティアラ三冠を無敗で取りました、なんて世界があったっておかしくはない。
更にもしかしたら、出走可能な八大競走全てに出走し全てに勝利して来たという逸話を持つ『シンザン』が、その逸話通りに、クラシック三冠とついでにティアラ路線の二冠も取り、ついでに八大競走じゃないけど三冠目のティアラも欲しいから出走して来て勝っちゃったな、クラシック三冠&ティアラ三冠のシンザンだって生まれた可能性が……まぁ0%じゃないから、もしかしたらあるのだ。
話を戻すが、私は美浦寮らしい。
寮の部屋は基本的に二人部屋。共同である。
ちなみに私は……その基本的に入らなかった。
つまり一人。相部屋にならない。二人部屋に私しかいない。
だから、ホントに口を開く機会が少ない。ありがたい事なんだけど。
何故、私が二人部屋に一人かと言えば、きっとメディア対策だ。
私が良くても、相部屋のもう一人のウマ娘がメディアにて私に関する質問をされたりとか晒されたりとかあるかもしれない。そのせいで気を病んでしまうかもしれない。
避けられるトラブルがあるなら、避けた方が良いのだ。
それに、毎世代必ず寮が全て埋まるという訳ではないし、学年の違う二人が同じ部屋に入る事もある。
様々な理由で引退するウマ娘も多いのが中央トレセン学園だ。
ちょうど空いてる部屋がある。二人で埋められない時もある。
じゃあ、扱いに困るシンボリエウロスは一人部屋にしとこう。
多分そんな感じ。
たづなさんが私を腫物扱いしているという事はないだろうけど、まぁそんな感じだ。
差別ではなく区別。収まりが良いとこに収める。大事な事だ。
元々シンボリ家でトレーナーになるように育てられていたから分かる。
……上に立つ人って大変だ。後、私は凄い色んな方面に面倒かけてるなと実感した。
その為か、私は入学が決まっていない間から、入寮する準備が認められた。
まぁもう合格確定だし良いでしょ……みたいな雰囲気で進んだのだと思う。
実際に色々用意が必要で、持ち込む物も多いから助かる。
主に、私が患っている病気の問題で。
薬とか色々が私には多い。
そんな感じで、時間は過ぎ、入学式が来た。
そして終わった。
入学式は、特に言う事はない。
普通の入学式。誰もがイメージする入学式そのもの。
普通の学校に通ってない私が言うのもなんだが。
一つ言うのなら、理事長不在の為か、シンボリルドルフが中心となって進んだ入学式だった。
もう理事長代理と言っても過言では無さそうな上、次いでに生徒会長の役割もやっている二足の草鞋状態みたいな進行だったが……でもまぁあのシンボリルドルフだし。
そういう評価と納得で、誰も突っ込まない。
むしろシンボリ家、一気に力付けすぎじゃないのか?
次は学園を乗っ取るつもりか?
みたいな危惧を言われたりしてないかが不安になる。
なるが、今は何の実績もない私では何も出来ないし邪魔になるだけなので気にしない。
ただ走る。走って示す。今の私はそれだけ考えてれば良い。
入学式を終えた足で私はそのまま教室に入った。
設備の豪華さ以外は、普通の学校とあまり変わらない。
……普通の学校に通ってない私が言うのもなんだが、本当に。
違いを挙げるとするなら、本校の理念、教育方針……いわゆるスクールモットーが全ての教室に額縁で飾られている事くらいだろうか。
『Eclipse first, the rest nowhere』
直訳で、エクリプスが1着。2着はなし。
意訳して、唯一抜きん出て並ぶ者なし。
現代のウマ娘レースを始めたとされる原初のウマ娘。或いは始祖のウマ娘。エクリプス。
そのエクリプスのとある一戦にて呼ばれた言葉が、諺として今に残っている。
全教室にこれが飾られてるんだ……と思わなくもないが、私は別にそれが気にならない。
他の匹儔を許すな。我々が目指すべきは常に頂点。
誰にも追随出来ないほどの大差を。自分以外の全てを置き去りにするほどの圧勝を。
そういうものを教訓に、中央トレセン学園は運営されている。
個人的にこの言葉は思い入れ深い。私がベッドの上でしか生きていられなかった頃、
あの頃の
エクリプスのようになりたい。
シンボリという冠を抜きにした、ただのエウロスとしての夢を語るなら、そんな夢を私は持っている。
いや、結構本気で。今も本気でそう思っている。
この言葉が無ければ私はここに居なかった。
いやもう……もはや私という存在をこの言葉が形成しているみたいな、そんな感じ。
それに、数百年後も語られ歴史に蹄跡を残すようなウマ娘になれば、シンボリ家にも充分借りを返せるから、シンボリとしての私の使命となんら矛盾はしない。
じゃあ何をしたらエクリプスになれるのかと言ったら………険しい道になるだろうなという事だけは分かる。
エクリプスというウマ娘が生まれてから、世界は変わった。
常識が変わり、限界が変わり、ウマ娘という生命の位相が一つ上がった。
それに並ぶくらいの事。ウマ娘という生命の限界を更新し、新たな可能性を見出し、一つの時代を担っていたと呼ばれるほどの事を成し遂げ、次の世代に繋げていく。
事実、エクリプスはやった。
だから、そういうレベルの事を成し遂げられたのなら、多分、言われるかもしれない。
エクリプスの再来と。
「えっと……じゃあ! 今日からもう授業が始まりますが、まずは皆さんからの自己紹介を始めましょう!」
ただでも、やっぱりこの言葉は良い言葉だ。これを最初に言った人は凄いな……なんて考えている間に教室では話が進んでいた。
ちなみに教官やトレーナーとは別に、私達のクラスを担当する人がいる。
いわゆる先生は人間だった。
チラチラと今後の予定表を見返していたりと、ちょっと気弱そうな金髪の女性。
結構な童顔。150cmくらい。
正直言うと、ここにいるウマ娘達とあまり年齢が変わらなさそうに見える。
さっき、「私の座席は一番後ろで窓の隣にしてください」と言ったら、「は、はい……わ、分かりました……」と怯えられたので、恐らく私の名前を知ってる。
えっと、ごめん。そうとしか言いようがない。言ってないけど。
「はい。私の名前は———」
そうこうしている間に、一人一人ウマ娘の自己紹介が進んでいく。
ちなみに、私の顔が知られていないように、私も他のウマ娘の顔を全く知らない。
具体的に言うなら、顔と名前が一致してない。
名前が分かれば、そのウマ娘が受け継いだであろう競争"馬"がどんな活躍をしたのか大体は分かる。
ただ姿形が違うので、いかんせん顔だけ見ても、あっこのウマ娘さんは『○○○○』号さんか! とはならない。
だから、入学式を終えて、こうして同じクラスに入った子を見てもどの子がどんな子はよく分からない。
つまり私は同世代の子が分からないのだ。
マルゼンスキーやミスターシービー。シンボリルドルフとシリウスシンボリの世代から逆算しようとしてみたが……私が知らないウマ娘がいたり、逆に知っている世代のウマ娘がいなかったりしたのでそれも当てにならない。
まぁそもそも、日本だけで毎世代7000頭近くいる競走"馬"全ての活躍とかを百年分近く覚えていられる訳ないので、そもそも自信がない。
世代の中心核……G1を取るようなウマ娘の名前が同期にいれば、私が戦って行かねばならない世代が分かるかな、と言ったところ。
「では、次は私ですね」
ちょっと覚えてない。ごめんなさい。
自己紹介を聞いてもどんな活躍をしたのか分からなかったウマ娘達に心の中で詫びている中、次のウマ娘が席を立った。
ウマ娘にとっては一般的な鹿毛。
大人びた、おっとりとした雰囲気の子。
「スーパークリークと言います。頼られるのが好きなので、悩み相談はお任せくださいね〜!」
…………ふーん?
教室に集まった、未来のスターウマ娘達の自己紹介はつつがなく進んでいた。
後に、歴史に蹄跡を残すウマ娘もそうでないウマ娘も、今はまだ、ただの新入生。
一流のアスリートである前に、彼女達はまず年頃の少女であり、そして学生である。
初等部から中等部になった子供でもある。
故に格差はない。
実績という現実と、才能という差もまだ先の話。
期待と不安。そしてその不安は、中央に入れたという達成感と未来の夢で帳消しだ。
自分の実力がどれほどのものなのか試したい。そんなウマ娘ばかり。
そして中央に入った大抵のウマ娘は名門生まれだ。
相応に知識があり、確かな実力があり、故に自信がある。
全てが名門生まれのウマ娘ではないが、それでも何世代か遡れば、優秀な成績を残したウマ娘が家系にいる。或いはそれなりに裕福な家庭生まれである。
数少ない、本当に血統に優れなかった寒門生まれのウマ娘は、実力だけで成り上がり中央トレセンに入ったという負けん気がある。
「メジロアルダンと申します。メジロの名に恥じないレースをする為に来ました。よろしくお願いいたしますね」
「ヤエノムテキです。正々堂々と戦いましょう。これからよろしくお願いします」
「サ、サクラチヨノオーです。 夢を叶える為にトレセン学園に来ました。よろしくお願いします」
「バンブーメモリーっス! これから風紀委員を務めるっス! アタシの夢はライバルの皆さんと熱い勝負をする事っス! よろしくお願いします!!」
つまりは、見知った名前があっても彼女達は別段驚きはしていなかった。
数多くいるウマ娘の中から、一つの世代で7000だけが競争の世界に入れる。
その7000の内、僅か数百が踏み入れられる世界が中央。
今はまだ他のウマ娘の実力を知らず、自分の実力に自信があり、それ故に自負がある。
故にプライドには傷一つもなく、故に闘争心と挑戦心に溢れている。
試しに入試を受けて、本当に受かってしまった者は、自らに少し増長している。
そんな時代。若気の至りとも呼ぶ、新入生だけの特権。
ここは天才しか入れない場所、中央トレセン学園。
だがここは天才が天才で無くなる場所、中央トレセン学園。
彼女達はまだ、誰一人、普通じゃない。
「はい、元気いっぱいで大変良いですね!
えっと、じゃあー……そのぉ……次のウマ娘さんお願いします!」
熱心なのだろう。或いは空回りか。
流れ作業で済まさず、一人一人のウマ娘にしっかりと一言添える。
ちょっと気弱だけど生徒から好かれるタイプの先生は、最後に残ったウマ娘に自己紹介を促した。
「…………(コクッ)」
一番後ろの席。窓側。鹿毛のウマ娘だった。
額に走る月の如き流星。もの静か。流麗。深窓の令嬢。小柄なバ体。
小さい。人形のようだった。146cmというのは、下から数えてかなり早い位置にいる。
両耳を覆う黒いカバーも、人形を飾り立てたような雰囲気を助長する。
初対面の印象は、その見た目もあってひ弱に見えるかもしれない。
触れれば折れそうだとも思う。
ただ、明確に雰囲気が違った。
何が違うかと言われたら、言語化するのが難しい。
だが差があった。溝とも言うべき差だった。
無駄を省く。他人と壁を作る。無言で頷く動作といい、バッサリと切り揃えたショートヘアーといい、邪魔なものは特に未練なく捨てる。簡単に省く。そんな雰囲気。
最後のウマ娘だという事もあって注目を集める中、彼女は口を開いた。
ここは中央トレセン学園。天才しか入れない場所。
だが彼女達はまず第一に年頃の少女であり、学生であり、初等部から中等部になった子供だ。
ただそのウマ娘だけは、初等部というものは疎か学生という身分も、子供という環境すら経験する事なく養育された、突然変異種だった。
「シンボリエウロスです。エウロスとお呼びください」
名前。そして添えられた一言。極めて単純な自己紹介。
それで彼女、シンボリエウロスは座った。
静寂だった。ざわつかない。
名前を聞いて、露骨に反応するようなウマ娘は中央にはいない。
少なくともこのクラスではいなかった。
ただ、少なからず隣の席のウマ娘と会話したり、嘆息したり、息遣いがあった教室から全ての音がひっそりと消えた。
それはつまり、静寂という方向に傾いたざわめきであり、露骨な反応と変わらなかった。
きっと、シンボリエウロスには静寂が似合っている。
誰もがそう思った。音が消えるという露骨な雰囲気の変わりようを受けても、当の本人は何も反応がないのを見て。
無論その静寂は、圧力の具現であり周囲を黙らせる静寂に近い。
二つ名に『皇帝』と付けられた、あのウマ娘のように。
「えっと……シンボリエウロスさんは、あのシンボリルドルフさんの妹さんですね!」
え……うん、知ってる。
大半のウマ娘がそう思った。
名門生まれのウマ娘は有名である。特に、メジロとシンボリが。
では何故メジロとシンボリが有名なのかは、超名門だからである。
その中でも格別だったのが彼女。シンボリエウロス。
シンボリ家が徹底的に秘匿して来た、シンボリ家の最高傑作とか呼ばれてるウマ娘。
姉が凄まじい記録を残したという点では、先程自己紹介したメジロアルダンも同じだが、エウロスの姉の場合は更にあり得ない記録を残した。
その姉の幼馴染が、日本で史上初欧州のG1を制した『唯我独尊の開拓者』シリウスシンボリというのも大きい。
そして当の本人である彼女も、既に二つ名や逸話に事欠かない。
噂を挙げればキリがない。噂が独り歩きしている。
ただ、一つだけ分かっている事がある。
シンボリエウロスという名前自体は知らなくても、先程の静寂に呑まれたウマ娘なら察しただろう。まず彼女が、弱い訳はないという事を。
「皆さん積極的にお話しして仲良くしてくださいね!」
え……いや会話する気ないでしょ、これ。
大半のウマ娘がそう思った。
現に、なんかもうほら、頬杖突いて窓の外見てる。
あぁ、だからさっき一番後ろの席で窓の隣が良いって言ったんだ。
もう会話以前に友好的な関係を築くつもりもないじゃん。
彼女だけよろしくお願いしますって言ってないじゃん………。
周囲の反応を他所に、シンボリエウロスは周りから意識を切り離し、思慮に耽っている。
何を考えているのかは知らないが、取り敢えず周りを見ていない事は確かだった。
それを証明するかのように、一切微動だにしない耳と尻尾。
本当に動かない。置物の如く動かない。1ミリも。
ウマ娘ならピクピクと動き、感情や反応を表す部位が。
耳と尻尾は口ほどにモノを言う。そんな諺通り。
「はいじゃあ、自己紹介も終わった事ですし、この次は今後の学校生活の流れ、各施設の説明会に移りますね! えっとこのクラスは——」
そのまま、通常の予定通りに授業が進んでいく。
当然は当然の話だが、それ以降、このクラスの雰囲気は少しだけ浮ついたままだった。
あれが、あの。
そんな警戒混じりの視線。
へぇ……あれが?
或いは闘争心剥き出しに睨むウマ娘。
ちょっと怖いな……。
もしくは、雰囲気に呑まれて怖気を覚える者も居た。
シンボリエウロス。
この世代の、台風の目になるだろうウマ娘。
最高の血統。最高の名家。シンボリ家。
ブラッドスポーツとすら言われるウマ娘のレースで、嫉妬されるくらいの環境下にいるウマ娘。
そんな彼女の内心が見た目と雰囲気とは裏腹に、周囲から向けられているモノと同じ警戒を周囲に向けている事は知られていなかった。
⚪︎
姉は初代ティアラ三冠。その素質は三強越え。伝説になれなかった天才。怪我に悩まされた半生。ガラスの脚。シングレ版メジロアルダン。
⚪︎
豪脚。競り合いの鬼。古馬短距離マイル路線の覇者。連投G1勝ち。G1スプリンターズS初代王者。シングレ版バンブーメモリー
⚪︎
四白流星。剛毅朴訥。皐月に咲いた八重桜。中距離路線の鬼。東京・芝・2000mの修羅。最も早いウマ娘。シングレ版ヤエノムテキ。
⚪︎
東の横綱。日本ダービー史上歴代屈指の叩き合い。根性の粘り込み。運命の差し返し。最も運のあるウマ娘。シングレ版サクラチヨノオー。
⚪︎
逆指名。運命の出会い。近代型ステイヤーの始祖。ガラスの脚だった"シンデレラ"。最も強いウマ娘。——永世三強。シングレ版スーパークリーク。