中央視点から見る、オグリキャップ移籍問題。
東海地区所属ウマ娘限定競走
ジュニアグランプリ
重賞・笠松・ダート・1600m
もうすぐ新年を間近にした、少し肌寒い季節頃。
しかし新年だからと言ってレースがない訳ではない。
レース自体は新年明けにも行われるし、年末間近でも行われる。
当然、地方ではそれは変わらない。
重賞。ジュニアグランプリ。
G3、G2、G1といったランク付けは地方にはない。
だからと言って地方にはランクの概念がない訳ではないが、このレースでは中央のグレード制に代わる地方のランク……東海地区で使用されているSP3、SP2、SP1のランクもない。
要はただの重賞。
時に準重賞と呼ばれるそのレースは、オープンクラスよりは上、しかし重賞レースの中では一番下という位置に格付けされる。
それなりのレースではあるが、特別注目度が高い訳ではなかった。
『名古屋トレセン。笠松トレセン。東海地区のジュニア級ウマ娘達が集うグランプリレース。今年最後の栄冠を飾るのは一体誰でしょうか』
だが後に、ほとんどの観客が言う。
当日、生でレースを見ていなかった人間も言った。
そのレースには、芦毛の怪物がいたと。
『各ウマ娘の紹介に入ります。1番人気——オグリキャップ』
10戦8勝。内2着2回。
掲示板は疎か連対すらも外した事がなく、メイクデビュー戦を除き全て1番人気。
そして現在6連勝中。重賞レースは3連勝中。このレースに勝てば4連勝となる、完全にノリに乗っているウマ娘。
実況は流れるように、そう告げた。
口さがない者は、地方の戦績と枕言葉に付けるかもしれない。
重賞も準重賞のものであり、中央に於けるものとは大きく違うと。
その認識は正しい事には正しいが、口さがない者は気付いていない。
彼女を語る時はまず中央が比較対象に上がる事を。
オグリキャップは、規格外。
その認識は、今日も勝てば更に大きくなる。
少なくとも、東海地区所属のジュニア級ウマ娘という分類では頂点になる。
「わぁ……今日は人が多いな……」
一人、観客席の一角で呟くウマ娘がいた。
ベルノライト。
オグリキャップと同じチームに所属している、小柄なウマ娘である。
地方の、準重賞のと名前が付こうが、レース名の通り今日はグランプリ戦。
名古屋と笠松。二つの地方トレセンから選ばれた僅か10名による、東海地区ジュニアグランプリ。
要は集まる人が多い。
それ以上に、同期の友人を応援しに来たウマ娘も多かった。
——今年は名古屋トレセンが勝てー!!
——今年も笠松トレセン所属のウマ娘が勝てッー!
そう叫ぶウマ娘達は、横断幕に各々が所属しているトレセンの応援文を掲げている。
その様を称するなら、県大会と呼ぶべきだろうか。
自分以外全てが敵でありライバルである中央とは違い、地方には所属しているトレセンの違いによる仲間意識が明確である。
中央の、ある種厳かで厳格のある会場やレースとは違った、地方の良さがそこにはあった。
「良く見える場所あるかな?」
人3、ウマ娘7。
中央ではまず見られない割合で埋まる観客席をベルノライトは進む。
先程までオグリキャップと会話していた彼女は控え室にいたので、席を取っていない。
空いている席は充分あるが、折角だし良いところで見たいという心持ちで歩くベルノライトは観客席の端、指定席の場所近くまで進んでいた。
——うーん、さっき空いていた席に……。
納得出来る場所はなかったが、妥協出来る場所は幾つかある。
指定席の列から振り返り戻ろうとしたベルノライト。
その瞳に、地方には場違いの色が二つ、会場へ入って来た。
白と紫のセーラー服。
笠松の制服であるブレザーとまるで異なるその意匠。
中央の制服である事を示す色。
それだけなら、まだ良かったかもしれない。
「え………」
中央の制服を着た二人。
両者共にウマ娘では最もポピュラーな鹿毛。特筆すべき事はない。
ただその立ち振る舞いと姿、そして額に輝く月のような流星だけは見間違えない。
何より、二人の内の片方をベルノライトは実際に目撃している。
——シ、シシ……シンボリルドルフさんと、しかもその妹さんの………な、なんでここに!?
以前ベルノライトは、中京レース場でシンボリルドルフを目撃した事がある。
中京は土日に中央レースが行われる場所だから分かるが、ここは笠松。完全な地方だ。しかもその妹もいる。今、世間を騒がせている中心人物の筈の妹が。
「ここかな。時間もちょうど良い」
「………(コクッ)」
何となく付近の物陰に隠れたベルノライトの先で、姉と妹が指定席の端、最後列に座る。
二人に気付いているのは、現在偶然にもベルノライトだけだった。
レース直前、皆の意識が会場に向く瞬間に来たのはきっとこういう事なのだろう。
座った席も端で、目立たない場所にいる。
何らかの思惑があるのか、どうなのか。
というか姉と妹で揃った時の威圧感が凄い。
皇族二人が市街に降りて来たみたいな、そういう場違い感も凄い。
と思いながら見つめていたベルノライトは、全くと言って良いほど物音を出していなかったが、呼吸は少し荒くなっていたのだろう。
「………………」
「ピ゛……」
シンボリエウロスと、一瞬目が合う。
本当に一瞬だ。視線だけを動かし、横目で此方を向いた程度。
何よりベルノライトはすぐさま物陰に頭を引っ込めたし、少しして恐る恐る顔を出した時には、シンボリエウロスは前を向いてレースを見ていた。
興味がなかったのか、騒がしくしなかったから許されたのかは分からない。
——こ、怖い!
ベルノライトのそれを例えるなら、蛇に睨まれた蛙……と言うよりかは獅子と視線が合った小動物である。
一瞬交差した視線の先にある冷たい碧眼。
群れのボスが相手を推し量り観察するような、
人格者として通っているシンボリルドルフとは違い、シンボリエウロスのメディア露出はその注目度に比べて驚くほどに少ない故、分からない事が多い。
冷たい雰囲気と、ゾッするほど整った顔立ち。
何を考えているか分からない鉄面皮。
それが怖いのである。
『各ウマ娘ゲートに入ります。……スタート体勢が整いました。スタートしました!』
「エウロス。このレースはどう見る?」
「スタート直後の第4コーナー。一周回って最終直線前の第4コーナー」
「なるほど。私と同じだ。……で、誰が勝つと思う?」
「オグリキャップ」
——え、今オグリちゃんって言った!?
ピコーン! と物陰に隠れながら耳を立てているベルノライトの近くで、姉と妹は矢継ぎ早の会話を続ける。
『7枠8番ライジングスタン。ライジングスタンが先頭……』
「理由は?」
「戦績。勝ち方」
「道理だな」
——待って待って早いよ! もう少し分かるように言ってよ!
と内心思っているベルノライトだが、当然姉妹はそんな事考慮しない。
短い会話。単語と単語の応酬のようなそれは、凡そ通じるものではないが姉と妹だけには通じる。
『………6枠6番のフジマサマーチは2バ身ほど出遅れて殿です!』
「だが紛れすら起こらないと?」
「今、その紛れを起こせるウマ娘の一人が終わった」
「彼女は……あぁ、唯一オグリキャップに土を付けたウマ娘か」
え……と、彼女達の会話を聞いていたベルノライトがダートの上を向く。
フジマサマーチ。脚質、逃げ。
逃げウマ娘が先頭を取れなかった。その意味は重い。
しかも出遅れが深刻になるダートで、地方で、この笠松レース場で更に最後方にフジマサマーチはいる。
——オグリちゃんは、いつもの位置……。
対しオグリキャップは後方中段の差し位置。
やや外でゆったりと、過不足ない場所でレースを進めていた。
『先頭は変わらずライジングスタン、ライジングスタン——その内から1枠1番、1枠1番シルバーグリン!』
「そもそも紛れを言い出したら………まぁまず起きないと思うよ。立ち位置が7割近くの笠松1600mなら」
「どうかな。ここの1600は笠松で最もトリッキーだ。条件が変われば、レースの有利不利は極端に変わる」
「分かってて聞いているでしょ……それ」
「フフフ……すまない。こうして話すのが久しぶりだったんだ」
「……まぁ良いけど」
熱を帯びるレースの事を語りながら、いっそ空恐ろしさすら感じるほどの平熱だった。
しかし当たり前のようにレースの展開には付いて来る。
ベルノライトを置き去りにし、理由と答えと動機を度々すっ飛ばしながら進める独特の会話の仕方で、世間話すら挟みながら。
——……怖い。
再びの恐怖。
それは単純な恐怖ではなく、同じ種族としての畏怖。
ベルノライトはメイクデビューで惨敗した。
その後の未勝利戦も負けて、更にその次の未勝利戦も負けて、更に次の未勝利戦もまた負けた。
位置取り、タイミング、ペース配分。
ウマ娘のレースは、その全てを走りながら刹那刹那で判断しなくてはならない。
だから分かる。仮にも同じウマ娘で自分には駆け引きも勝負勘も……何もないのを実感したからこそ。
きっとこの姉妹は、私が必死になって考えて、頭を使って、精一杯頑張っても尚勝ちの目すら見えないような相手に……遊びながら、片手間で勝てる。
そしてその考えは、実に正しかった。
事実今、シンボリルドルフは童心に返って遊ぶに近い会話を妹としていた。
会話していて楽しいのだ。
自分と同じ視線で話せる存在が隣にいる事も。
シンボリルドルフのトレーナーは、同じ視座に立った。
思い描く理想のだ。
でも更にその前。
夢や理想を思い描く前の、レースでどう勝つか、今日のレースで考える事は、レース場の構造による違いやバ場による変化は——そういう戦い方の組み立て方で同じ視座に立ってくれた存在は妹なのだ。今も多分妹一人である。
それが、考えている事も前提にある知識のプールも同じだからこそ伝わる、姉と妹の戯れ合いだった。
『シルバーグリンが抜け出して先頭! 第4コーナーカーブでシルバーグリンが先頭1番手!』
「ではエウロスの言う第4コーナーに入ったが、肝心のオグリキャップは——」
「……………」
ピク。
上機嫌になったシンボリルドルフが一点、何かに反応して急に言葉を止める。
シンボリエウロスもまた、静寂を貫いて止まる。
——オ、オグリちゃんに何か……!?
再びダートの上に視線を向けた時、オグリキャップに問題はなかった。
いつもの位置でいつものように走っている姿にほっと一安心するベルノライトに、シンボリエウロスが呟く声が響く。
「3枠3番。ウマ娘が一番壊しちゃいけない足首の関節部を、今やった」
第4コーナーを抜けて直線に入った瞬間だった。
振られた遠心力と、荒れてデコボコしている内のダートの表面に脚を取られたのかウマ娘の一人が、捻ってはいけない角度で左足首を捻る。
急に、糸の切れた人形のような不自然さで左半身が沈んだ。
本人も一瞬理解出来ていなかったのか、不自然な体勢のまま十歩ほど走って、急に止まっていく。
『3番のミサトネ、バー……が、故障発生か!? 故障発生か!?』
「………………」
「レース中の故障発生。競走中止。実際にこの目で見るのは……初めてかな」
「………………」
「地方と中央、及びURAの連携、私も力を貸すよ。現役引退したらだけど」
「あぁ。……ありがとうな」
レースに出走するウマ娘の実に8割近くが故障する。
故障が原因で引退するウマ娘も、半分を超える。
そんな中で全てのウマ娘に幸福をと願うのは、きっと無謀なのだろう。
だが願わなければ、動かなければ、何も変わりはしない。
事実その夢の是非を説かれて歩みを無に捨てるほど、シンボリルドルフは愚者でもないし、全てを助けられないから誰一人も助けないと考える捻くれ者でもない。
『……7番のオグリキャップ! 7番のオグリキャップ、3番のミサトネバーを躱し、その前を行きます!』
復活し、すぐさま仕事に戻る実況に釣られてレースの雰囲気が少しずつ戻っていく。
ただその後、姉と妹は特に会話をする事なく黙ってレースを見ていた。
直線を越えて第1コーナーと第2コーナー。
オグリキャップの位置は変わらず、中段。やや外を回る。
フジマサマーチは変わらず最後方。
ウマ娘の集団から2バ身離れて、ぽつんと一人。
向こう正面の直線、第3コーナーと第4コーナーを控えたところで全体が動きを見せる。フジマサマーチを除いた後方勢が、先行勢に取り付く。
そして。
『ここで——オグリキャップ動いた! 外を回ってオグリキャップ! 外を回ってオグリキャップ!』
残り600mとなった時、オグリキャップが一気に仕掛けた。
大きく外を回り、捲る。第3コーナーから大きく加速し、第4コーナーに入った瞬間にはもうオグリキャップが先頭を取っていた。
コーナーの200mで5人抜き。
オグリキャップが行ったのはそういう事だ。
『オグリキャップが先頭! オグリキャップが先頭! 5番のトウカイシャーク! トウカイシャークが粘るがオグリキャップが先頭!』
一番早く仕掛けたのに、少し遅く仕掛けたウマ娘よりも末脚に切れ味がある。
故に、追い付けない。
オグリキャップが先頭を取った後、誰もオグリキャップの前に立てない。
それは遅れてジャンプした方が、先に地面に落ちたに近い差だった。
『トウカイシャークとオグリキャップ! 先頭のこの二人の勝負になるのか! 最終直線に入って残り200! 残り200!』
——それだけでも、圧倒的な筈だ。
このまま押し切って勝てる。
だがオグリキャップは、尚も先を行く。
残り200m。
低い前傾姿勢。
2段階目のラストスパート。
『——完全に抜け出しました! オグリキャップ完全に抜け出して独走態勢!』
怪物の足跡。
後にそう呼ばれるオグリキャップの一歩。
踏み締めた脚力でダートが捲れ上がり、コースの路盤が露出する。
『2番手は4バ身離れてトウカイシャーク! 内からヤマノサウザン!青いゼッケンのヤマノサウザン! 5番トウカイシャークが粘って……ゴールイン!』
最終直線で、先頭が最も速い末脚を発揮したらどうなるか。
そういう見本のような勝ち方をオグリキャップはした。
後半、圧倒的すぎて逆に名前が呼ばれなくなったオグリキャップが1着。
コーナーの200mで5人抜きしてから、最終直線で2着に4バ身差。
強い。規格外と呼んでも良い。それは数字に表しても明らかだった。
1着オグリキャップ。 勝ち時計、1:45.0
2着トウカイシャーク。勝ち時計、1:45.9。
その後並ぶ数字は、1:46.1。1:46.2。1:46.4である。
掲示板に載っている2着から5着まではほぼ一定に数字を刻んでいるのに対し、1着から2着の差が浮いているのだ。
「凄いなぁ……」
歓声を一身に受けるオグリキャップの姿に、ベルノライトが呟く。
これで11戦9勝。戦績だけ見ても明らかだが勝ち方が強いのだ。それくらいはベルノライトにも分かる。最近は勉強の方を頑張ってるから、尚の事。
今年の笠松トレセンの主役はオグリキャップだっただろう。
新年最後の、東海地区グランプリも勝って縁起が良い。
「……姉上の言いたい事は分かった」
今日は帰ったらパーティにして、オグリちゃん満足するかな——とベルノライトがほわほわ喜んでいる横で、シンボリエウロスが呟いた。
そうだ。ここにはあのシンボリルドルフと、その妹のシンボリエウロスが来ているのだ。
ペタンと耳を壁に立てて、再び盗み聞きを再開するベルノライトに気付かず……或いは気付いた上で無視しているのか、シンボリエウロスは続けた。
「敢えて無慈悲な言い方をするけど、同じレースを走っているウマ娘がすぐ目の前で故障しても動じずレースを進められていた。精神的な強さも充分すぎる。
いや……視線の動きを見るに動揺はしても、そういうのを切り離して自分の力を発揮出来るんだろうな」
「つまり?」
「掛かり易いレース展開に引き摺り込んでも、オグリキャップだけ掛からない未来が見える」
それにほら……オグリキャップだけ走っている時、耳を立てながら走っている。走るのを楽しんでいる証拠だと思う。
そう続けたシンボリエウロスの発言は、ベルノライトがえ……? と反応するような発言だった。
オグリキャップのその特徴は多分、オグリキャップのトレーナー……北原トレーナーも気付いていない。
「大人しく気性が穏やかで、なのに勝負根性が抜群に強くて余裕もある。私達気性難の天敵みたいな精神面をしてる」
「なるほど。では強さと勝ち方は?」
「中央へスカウトした姉上に言う必要……。まぁ……さっきまでにオグリキャップの10レース全部見たけど、実際に見て良く分かった。
1レースならまだしも、毎レースこういう勝ち方が出来る地方ウマ娘は十年に一人もいない」
勝ち方。十年に一人もいない。
盗み聞きしていたベルノライトには、その発言が大きく聞こえていた。
中央へスカウト。
その言葉も、同じくらい。
「……高く評価するな」
「いや姉上と同じだと思う」
「フフ、そうだったな。尚の事、私達はどうするべきか………」
「あまり言いたくはないけど、私達に出来る事大してないと思うよ。特に私は姉上と違って権力もないから、力添えも出来ない」
「……本当にどうするべきかな」
腕を組んで唸り始めた生徒会長シンボリルドルフ、というのは親しい間柄の存在にしか見せない珍しいものなのだろう。
その事が意識から抜けてしまうくらいに、ベルノライトは悩んでいた。
——オグリちゃんは……中央に……。
行くべきなのか、どうなのか。
何となく中央側の事情も知って、ベルノライトは余計に悩みを重ねていた。
「あ………」
そうして悩んでいる内に、二人の姉妹は笠松レース場からいなくなっていた。
目立ってはいけないという名目を守り、まだ会場から意識が離れている間にレース場を去ったのだろう。
物陰に隠れたまま、ベルノライトはダートの上にいるオグリキャップを見る。
——キタハラに走り方の基本を教わった。
——ペース配分もスパートでの砂の蹴り方も……キタハラに教わった。
——キタハラのおかげで勝てるようになったんだ。
——だから私は、アイツの夢を叶えてやりたい。
東海ダービー。
東海地区ジュニアグランプリという、東海ダービー前の今後を占う登龍門を圧勝したオグリキャップは、その夢に最も近い。
だがその夢は、中央に行けば叶わなくなる。
オグリキャップが中央にスカウトされてから、約2ヶ月。
北原トレーナーとオグリキャップの関係は、未だギクシャクしたまま。
「オグリちゃん………」
走るのを楽しんでいると中央のウマ娘に称されたオグリキャップは、その実浮かない顔をしているのを、ベルノライトは知っていた。
「負けたな………」
「マーチ……」
ジュニアグランプリが終わって、フジマサマーチは失意の中にいた。
今日のレース、身が入っていなかったと言われても全く否定出来ない。
出遅れて、最後の500m近くまで終始最後方だった。逃げウマ娘がだ。
フジマサマーチは決して末脚に優れたウマ娘ではない。何ならレース途中、後方脚質が仕掛けたタイミングですらフジマサマーチの反応は一瞬遅れていた。
「……4着だ。あの状況からな」
柴崎トレーナー。
彼から叱責はなかった。
掲示板は外していない。
今までも外した事はない。
それを考えれば、フジマサマーチは優秀なウマ娘なのだろう。
大きなミスをしなければ、十分すぎるほどの実力があるくらいに。
だが何処までも、ウマ娘レースは1着を争う世界だ。
後一歩で勝てない。
何かミスをして、レース中にそれを取り返し切れず勝てない。
フジマサマーチはそういう状態が続いている。
彼女は今現在、7連敗だった。
「少し、風に当たって来ます」
「…………」
少し夕日が傾いて来た頃、フジマサマーチは笠松レース場から出て、ふらっと周辺を彷徨う。
レースに勝てずに悩む。
そういう意味では、彼女はウマ娘として健全ではあった。誰もが直面する悩みだからだ。
一部の例外が目立つだけでほぼ全てのウマ娘は敗北を経験する。中央でも地方でも、大半のウマ娘は勝利よりも敗北の数が多い。
フジマサマーチの戦績は10戦2勝。内2着5回。3着1回。4着2回。
優秀だ。そして優秀の一言で片付けられてしまうくらいに、この世界はシビアだった。
後もう一歩、何が足りない。
ジュニアクラウン。あそこでオグリキャップと戦ったあの瞬間が、自分の全盛期だったのではないかと思ってしまうほど。
フジマサマーチは、オグリキャップに唯一土を付けたウマ娘である。
同時に、オグリキャップにしか勝った事がないウマ娘でもあった。
「このままじゃ……東海ダービーでオグリキャップに勝てないかもしれないな……」
トボトボと、特に意味もなく彷徨っていて彼女は気付いた。
笠松トレセンに入学する前、毎日と言って良いほど繰り返し走っていたコースをなぞるように、フジマサマーチは歩いていた。
無意識下でも辿ってしまうように繰り返した、日々の鍛錬だった。
「…………」
笠松トレセンの近くには、人気のない小さな公園がある。
走る事に集中する為には、友人など邪魔でしかないと脇目も振らず走り続けていたコースの途中にあるだけの、人気のない小さな公園。
時々子供が遊んでいる程度の公園に、フジマサマーチは脚を運ぶ。
でも今日は、たった一人だけ見知らぬ相手がいた。
——白と紫のセーラー服。
「…………」
「シンボリエウロス………さん」
公園の一角。
何の変哲もないベンチに腰を下ろし、脚を組みながら『笠松スポゲツ新聞』を読んでいるウマ娘。何もかもが場違いな筈の、シンボリエウロスがそこにいた。
⚪︎
温厚篤実。オグリキャップ最初の友人。オグリキャップのもう1人のトレーナー。共に中央移籍を果たして装蹄師。シングレ版ベルノライト。
⚪︎
気骨稜稜。オグリキャップ最初のライバル。笠松時代、唯一オグリキャップに土を付けた好敵手。シンデレラになれなかった灰被り。シングレ版フジマサマーチ。