有効射程距離25バ身   作:sabu

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 中央とフジマサマーチ視点から見る、オグリキャップ移籍問題。
 


12/29 笠松レース場付近、公園

 

 例えば、いきなりラスボスとエンカウントしてしまったとする。

 そんな時、一体何をすれば良いのだろう。

 フジマサマーチが現在直面しているのは、そういう事だった。

 

「………………」

「………………」

 

 矮躯。

 シンボリエウロスを一言で表現するならそれ。

 だが薄弱ではない。軟弱にも見えない。

 

 向けられる碧眼は、身体的にも決して見下されている訳ではないが、瞳に宿る底知れ無さは肌がヒリ付くほどに深かった。

 これが、地方で天才と呼ばれる者が誰一人として天才とは呼ばれない中央で、尚も天才としか称されないウマ娘の代表格。

 野生の強さが跋扈する野原で相対してしまった獅子を前に、背は向けてはならないと警戒しているような静寂は、獅子の方が口を開くまで続いた。

 

「隣、座ります?」

「……………」

 

 この公園に特に用がある訳ではない。

 ただ、まず願っても叶わないだろうこの邂逅を無下にするほどフジマサマーチは枯れていない。

 強さを求め、目の前にはその強さの代表……同世代に分類すればどう考えても頂点に位置するウマ娘がいる。

 フジマサマーチは一人分の間を空けて、おずおずとベンチに座った。

 

「…………」

「…………」

 

 そして、こういう時どうすれば良いのか。

 何を切り口にして会話をすれば良いのか。

 そういう事がフジマサマーチには浮かばなかった。

 

 フジマサマーチは、特別お喋りなタイプではない。

 相手……シンボリエウロスもまた、孤高の天才と呼ばれるような存在であり、無駄口を叩かないウマ娘という事を知っているのもある。

 

 ただ何が悪いかと言うと、シンボリエウロスの雰囲気と態度が圧倒的に悪いので、フジマサマーチの問題ではない。

 そもそも初対面でいきなり強さに付いて教えてくださいなどと言えるウマ娘は、かなりイイ性格をしているのだ。

 気骨稜稜。フジマサマーチは生真面目である。

 

「レースに勝てず、悩んでいる」

 

 対し必要とあれば何の躊躇いもなく無慈悲に、遠慮もせず行動する傍若無人天行空ウマ娘シンボリエウロスは『笠松スポゲツ新聞』に目を通しながら、視線を合わせず言った。

 

「何かきっかけになれば良い。ただ何から話せばいいか分からない。そんなところですよね」

「どうして——」

「レースに勝てず悩んでいる事を知っているのか? ……と言うのなら、先程のジュニアグランプリを見ていたからです、フジマサマーチさん」

 

 此方の発言を遮ったりだとか、無遠慮に見透かすような言葉だったりが好印象に捉えられる事は少ない。

 ただあまり話すのが得意ではないフジマサマーチは、その無遠慮さが逆に丁度良かった。相手が相手なのもあるが、変に遠慮されるのも気不味かった。

 

「レースに勝つ。これは一言に纏めると、自分が最も早くゴール板を通過すれば良いという事になります。ただ貴方が言いたいのはそういう単純な事ではない。ですよね?」

 

 特に配慮する事もなく、特別心情を慮る訳でもなく淡々と話の軸を構築していく。

 問われたから、答えた。それくらいの距離感で。

 

「……はい」

「ではこれを二つに分けます。誰にも負けたくないのか。誰かに勝ちたいのか。どちらでしょうか」

「後者です。……勝ちたい……負けたくない相手がいるんです。ただソイツとは、最近離されているばかりで……」

「…………」

 

 自然と悩みを吐いていた。

 悩みを聞いて欲しい、そう言った訳でもなく悩みを聞きますよと言われた訳でもなく、極々自然と。

 

「私が笠松に訪れた理由は二つあります」

 

 当たり前のように自らの心情を吐露した事実に驚いたフジマサマーチは、思わずシンボリエウロスに視線を向けた。

 隣には、変わらず波のない声で不動を貫いているウマ娘。

 

「その一つがこれです」

 

 そうしてシンボリエウロスは、先程からずっと目を通していた『笠松スポゲツ新聞』の表紙を広げて、フジマサマーチに見せた。

 

【オグリキャップ、中央からオファー?】

 

 決して大きくないが、しかし小さくはない場所に、確かにそう書かれていたものを。

 

「……は?」

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「なぁ……これいつまで続けんだ……」

「もう少し」

「も、もう少しよ……」

 

 彼女達三人は、公園の草むらに隠れていた。

 上からルディレモーノ。ミニーザレディ。ノルンエース。

 笠松トレセンで元々オグリキャップに突っかかっていた、通称三バカである。

 尚実際にバカなのでなく愛称である。

 

 彼女達三人の視線の先には、一人のウマ娘がいた。

 白と紫。中央の制服。シンボリエウロス。

 

「ファンなのか?」

「有名人がいたらサイン欲しくなるのなんて普通でしょ!」

「あぁ、うん……」

 

 ルディレモーノの問いに声を荒げたのはノルンエースであった。

 

 ルディレモーノは推しているウマ娘がいない。

 ただミニーザレディと………特にノルンエースは違う。

 最初はフジマサマーチで、次は最近オグリキャップが顕著で忙しい奴だな、と思いつつもまぁ分からない事はなかった。

 

 上がり3F、世界最速。

 

 仮にも速さを競う世界で、最速の称号を持っているウマ娘が何故かそこにいる。

 一つの指標の、と枕詞に付こうがそれは変わらない。

 何なら上がり3Fは決して軽い指標ではない。

 

「アレがシンボリエウロスなのか……私より小っちゃいな」

 

 呟いたのはミニーザレディ。

 もっともミニーザレディの身長は147cm。

 146cmのシンボリエウロスとほとんど変わらないのだが、シンボリエウロスは小さい以外にも細い。

 恐らく自分よりも軽い……ように見えて多分重いのだろうなと、彼女は確信した。

 筋肉というか、内に秘めた圧倒的な力というか……そういうものの圧力が、ただ座っているだけで滲み出ている。風格と表現するのだろう。

 実際に中央のウマ娘だから体は引き締まっているだろうし、分厚いテーピングで巻かれた筈の両脚からは、一度解放されれば大地を踏み砕くような圧がある。

 何より隙がなかった。

 

「で、もう少ししたら……行こう」

「そ、そうよ。もう少しよ……」

 

 そう、隙がない。

 休日だから少し雰囲気が柔らかいとか、パパラッチよろしく何か激写出来る秘密があるとか、そういうものがシンボリエウロスには皆無だった。

 故にシンボリエウロスの前に姿を現す度胸もない。

 矮躯に何をと思うかもしれないが、シンボリエウロスは普通に怖い。例えるなら群れを率いているボス。

 

 ——サインください……!

 ——あ、あーしにもサインを……!

 ——……………。

 

 イメージする。

 シンボリエウロスの前に姿を現すイメージを。

 

 無表情。

 冷たい碧眼。

 野生が、相手を格付けするような恐ろしい瞳。

 ウマ娘という種族はそういう感覚に敏感である。当人達に意図はなくとも。

 

 ——………………………。

 

 いらないものは要らない。邪魔なものは邪魔。

 関わって欲しくない。煩わしい。排他的。

 脳内にそんなものが即座に浮かぶほどシンボリエウロスのイメージは強烈だった。

 更にもしもダメ押しで、露骨にイヤそうな顔をされたら。

 あぁもう無理だ。余計に怖くなって来た。最悪泣く。

 

「だ、ダメだからね本当に!」

 

 若干震えているミニーザレディとノルンエースを咎める、更にもう一人のウマ娘。ベルノライト。彼女もまた、草むらに隠れていた。

 

「な、何よ! アンタだってあーしらとおんなじ事してんじゃない!」

 

 と突っかかるも、内心の緊張とベルノライトの制止が重なり、ノルンエースは中々踏み込めていない。先程からそんな状態が続いているのが草むらの状況である。

 

「い、いや私は……」

「ベルノ」

 

 そして、更にもう一人。

 ジャージ姿の芦毛。

 

「聞きたい事があるなら聞きに行こう」

 

 オグリキャップ。

 彼女も、そこにいた。

 

「ま……待ってダメ!」

「む」

 

 立ち上がろうとしたオグリキャップを彼女は反射的に止める。

 中央移籍の事に付いて聞こうとしていた、なんてオグリちゃんには言えない。

 同時にオグリちゃんと一緒に中央移籍の事を尋ねた方が良いかもしれない、ともベルノライトは思っていた。

 

 悩んだまま、しかしどちらも行動に移せず、ただ偶然三バカがわちゃわちゃしているところを見つけたらそこにシンボリエウロスも居て、そのまま流されるようにベルノライトは隠れ、何だ何だと付いて来ていたオグリキャップも取り敢えず皆に倣って草むらにいる。それがこの五人であった。

 

 尚笠松レース場でシンボリエウロスにバレかけていた……或いは見逃されていただけで普通にバレていた経験を活かし、シンボリエウロスから30m以上離れた公園の端の草むらで隠れるようにベルノライトは誘導したが、さっきから気が気じゃないのが現状である。もう少し小声で話して欲しい。

 

「(彼女はダート1000mの……)」

 

 他四人が慌しくしている中、オグリキャップは視線の先にいるウマ娘をじっと見ていた。

 一度だけ、画面越しに見た事がある中央のウマ娘。

 あのウマ娘のメイクデビューを見て以来、レースをしていると幻影が見える。

 遥か後方から先頭を奪い去る、あの末脚が。

 

 興味がある。聞きたい事もある。

 オグリキャップというウマ娘としては珍しく。

 

 きっかけがないまま草むらで隠れている五人の喧々囂々とした雰囲気は、更なる来訪者が来るまで続いた。

 フジマサマーチ。

 彼女がシンボリエウロスの前に姿を現す。

 

「お、オグリちゃん……」

「………」

 

 五人は自然と、シンボリエウロスとフジマサマーチの動向を見守るような態勢に入った。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「……あぁ、なるほど」

 

【オグリキャップ、中央からオファー?】

【笠松の星、中央へ引き抜き!?】

 

 新聞の表紙に動揺しているフジマサマーチの姿に何かを理解したのか、シンボリエウロスは初めて表情を崩した。

 納得と憐憫。少し目線を遠くして、次に戻る。

 その反応は、フジマサマーチには何も意識にない。

 彼女にあるのは、裏切られたに近い悲しみと怒りだけだった。

 

「オグリキャップ陣営は、この事をちゃんと発表はしてなかったと。

 後は……フジマサマーチさんのトレーナーが敢えて貴方に何も教えなかったという事ですか」

「………………」

 

 なんだ、それは。

 東海ダービーはどうした。

 約束したくせに。

 ふざけやがって——

 

「……貴方は」

 

 フジマサマーチを駆け抜ける感情の濁流。

 その矛先は、当然隣のウマ娘に向く。

 

「この為に……!!」

「……………」

 

 ベンチを蹴り飛ばす勢いで立ち上がったフジマサマーチは、傍から見ても激昂をしている。

 耳は後ろに絞られ、軸脚が地面に食い込み、シンボリエウロスを睨み付けていた。

 対し、シンボリエウロスは涼しげだった。

 相手を冷静に観察して次の言葉を考えているような、そういう無表情。

 

「オグリキャップを中央にスカウトした人物の妹、という点では確かに、私は貴方に怒りをぶつけられても仕方がない立場にいる。

 事実、私が笠松に来た理由はオグリキャップです。姉に連れられてと付きますが、私も気にはなったので。

 ただ私はオグリキャップを説得してくれとは頼まれていません。問題を解決するのに尽力して欲しいと頼まれました」

「それが、どう違うんですか」

 

 ほとんど反抗のような返答に、シンボリエウロスはふむと呟いた後『笠松スポゲツ新聞』を畳んでフジマサマーチへ座るように促す。

 

「少しお話ししましょうか。中央の事情や思惑というものを」

「………」

 

 シンボリエウロスは何処までも冷静だった。

 凪いで静かと称するより、無機質と呼ぶのが適切なくらい。

 だからと云う訳ではないが、フジマサマーチは再びベンチに座った。

 

「まずオグリキャップが中央に行くかどうか、という話は全くと言って良いほど進んでいません」

「……はい?」

「本当です。今から2ヶ月ほど前の10月14日。中京競場の中京杯にてオグリキャップが勝利してから中央移籍の話が出て来ました。スカウトしたのは、私の姉です」

 

 姉。シンボリルドルフ。

 当然その名前は知っている。

 中央の生徒会長であるという事も。

 時にブラッドスポーツと呼ばれるウマ娘の世界では、中央トレセンのと前提が付くだけで、生徒会長という文字からはあり得ないほどの権力を持っている事も。

 

「私の姉が何故オグリキャップを中央にスカウトしたのかは置いておきましょう。中央移籍を拒否するウマ娘は基本的にいません。いない事はないですが、やはり少ないです」

 

 その理由は、分かる。

 中央は1軍で地方は2軍という認識が世間にはあるし、その認識も間違いだと言うには難しいものがある。

 実際に1軍と2軍の関係ではないのだが、中央に受からなかったウマ娘が地方に行くという事例は毎年数え切れないほどあるし、どちらの方がレベルが高いかとなれば中央なのだ。

 君の偏差値ならもっと上の大学に行けるよ、なんて風に、君の実力なら中央に行けるよと言われて断る事例は少ない。

 

「そしてオグリキャップの話になりますが、中央に行かないとも行くとも聞いていません」

 

 だから、行かないのなら必ず理由がある。

 その理由が一切中央側に伝わっていない。

 保留。その状態でオグリキャップの今後が宙ぶらりんになっているのが、大きな問題であった。

 

「2ヶ月間進展なし。もうすぐ新年が明ける時期になっても話が上がって来ない。

 恐らくウマ娘側とトレーナー側で齟齬がある。或いはオグリキャップすら中央移籍の話を知らないのかもしれない」

「……………」

 

 そういうものを調べて、解決する為に来ました。

 続けたシンボリエウロスの声が耳に入って、頭には入らない。

 

 ——オグリが、中央に行かない……?

 

 先程まで激情に支配されていたフジマサマーチ。

 波紋の一雫のように、一気に広がったそれは彼女に冷静さを齎した。

 

 ——オグリが中央に行かないのは……。

 

 そして次に、疑問。

 何故、オグリキャップがすぐ中央に行かないのか。

 その疑問は、一瞬で氷解した。

 

「東海ダービー……」

「……あぁ、なるほど」

 

 再び理解を示すような呟きに、ビクっ……とフジマサマーチは反応してしまった。

 いつの間にか自分の瞳を覗き込んでいるその碧眼が、まるで自分の全てを見透かしているようで、逃げるようにフジマサマーチは続ける。

 

「あ、あの……約束したんです。オグリキャップと。東海ダービーで一緒に走ろうって」

「…………」

「それに、アイツのトレーナーも東海ダービーで天下を取るのが夢だと言っていて……」

「……………」

 

 一気に喋って彼女は止まる。

 不意に話を聞いていたシンボリエウロスが初めて人らしい顔をした。

 眉を顰めた、苦虫を潰したような表情だった。

 

「あの」

「……………」

 

 フジマサマーチの言葉を小さな手が遮る。

 一つ、二つ。ベンチに深く腰を掛けて天を仰いだシンボリエウロスが、思考の渦から蘇る。

 

「オグリキャップのトレーナーは、中央のトレーナーライセンスを取得していますか?」

「———………」

「なるほど。事情は全て察しました」

 

 オグリキャップが中央に行けば友との約束を破り、トレーナーの夢も破る。

 そして更に、肝心のトレーナーは一緒に中央へ来てくれない。 

 会話していたフジマサマーチも、シンボリエウロスの発言からその事を理解した。

 だから中央の彼女達姉妹にも、一切中央移籍の話が進んでいないのだと。

 

「あの、オグリキャップはどうなるんですか」

「正直に言います。全く分かりません」

「え……」

 

 お手上げだ。

 とでも言うようにシンボリエウロスは両手を上げる。

 

「これも正直に言いますが、実はほとんど私が考えている通りでした。どうかこれだけは外れていて欲しいなぁー……なんて予想が当たってしまった訳です」

「つまり……?」

「私……いえ、私達姉妹共々出来る事は大してありません。オグリキャップとそのトレーナーがちゃんと話し合って、両方とも納得出来る答えを出して貰うのを祈るばかりです」

 

 多分、中央には行かないと明確に拒否しているなら話は拗れていないのだろう。

 オグリキャップを中央に行かせるべきか、行かせないべきか。

 中央へスカウトされるのは、基本的に名誉でしかない。

 トレーナーは迷っている。行くとも行かないとも、まだ決められないまま。

 

「中央にスカウトした側なのだから、多少無理にでも説得するんじゃないか、と思っていましたか?」

「い、いえ——」

 

 図星だった。

 立場柄とメディアでの姿から、話に聞くシンボリルドルフは硬いイメージがあったし、その妹は無慈悲で融通の利かなさがある。

 

「姉上は硬くて、私は融通が利かないのは否定しません」

「……当たり前のように読まないでください」

「ごめんなさい。ただ時々言われます。お前はレース中に未来予知してるのか、なんて」

「………」

 

 私は分かりやすいのだろうか、と思っていた一瞬、納得に変わる。

 きっと無慈悲という評価は合っているのだろう。多分、だから強い。

 

「全てのウマ娘に幸福を」

 

 自分が分かりやすいんじゃなくて、このウマ娘がおかしいのだろう。

 本当におかしい戦績を築いているし……と考えて黙っていたフジマサマーチに、シンボリエウロスが呟いた。

 

「これは、姉上の信条です。

 姉上がオグリキャップを中央にスカウトしたのは、もっと輝ける場所があると確信したから。

 ただそれがオグリキャップの幸福に繋がらないのなら、中央移籍を強行させはしないでしょう。私の姉は、権力を振り翳すような人でもありませんしね」

「…………」

「ただでも、やっぱり姉上は最後まで中央移籍の可能性を考える人だと思います」

「何故ですか」

「地方に残る事が、オグリキャップにとっての一番の選択になるとは思えないからです」

「…………何故ですか」

 

 今、幸福に繋がらないと言っていながら、その断言は何だ。

 今の今まで理解を示していて、急に——なんなんだ。

 地方にいるオグリキャップは違う。そう言われているような感覚にフジマサマーチの眉間が寄る。

 

「例えば、母親から離されそうになった幼子。例えば、お気に入りの玩具を取り上げられる寸前の子供。自らの世界が他者からの介入で崩れそうになる時、人は大きく反抗する。

 表現として適してるとは言いませんが、最も分かりやすく伝えるなら、今のオグリキャップを取り巻く環境はそれです」

「………だから、地方から中央に行くべきだと? 成長には時に痛みが伴うように?」

「いいえ。それを選択して良いのは親だけです。そしてその親の役割を担えるのは、オグリキャップのトレーナーだけです」

「……………」

「だからこそ部外者である私はトレーナーの方とちゃんと話し合って欲しいと思っている訳です。姉上もそう思っているでしょうが……それでも中央に移籍して欲しいなと思っているでしょう。姉は私よりも人が出来ていますから」

「え……?」

 

 今の話を聞いていて、何となく逆だと思った。

 別にシンボリルドルフには人の心がないなんて言わないが、目の前の妹は淡々と事実を述べるが此方の目線に立って話を進め、姉の方は組織のトップとして物事を考えているのだと。

 

 姉のシンボリルドルフの方が、オグリキャップに配慮しているから、中央移籍を持ち掛けた。

 そう発言しているシンボリエウロスに理解が追い付かない。

 

「では先程置いた、私の姉が何故オグリキャップをスカウトしたのかの話をしましょうか。

 強いから、と一言で答えれば済みますが、具体性が何もない。だからオグリキャップの何が強いのか。その強さが何を齎し、どのような影響を与えているのか。そういう話をしましょう」

「………………」

「オグリキャップの強さの形を知れば、貴方の悩みも解決出来るかもしれません」

 

 それは……私が最初に貴方に言った悩みの……と呟く暇はなかった。

 

「まず、オグリキャップは勝ち方が強い。時にバ身差以上の勝利、と呼ばれる事があるでしょう。オグリキャップが勝利する時は大抵それです」

 

 例えば2バ身差で勝ったとする。

 だがその2バ身は、レース中圧倒的不利を背負っていた上での2バ身か、普通に勝利しての2バ身かで大きく評価が異なる。

 前者。それが時にバ身差以上の勝利と呼ばれるもの。

 阪神JFのシンボリエウロス、クビ差の勝利が特にそういう例だ。

 

「統計ではなく比率で話を進めますが、地方で逃げ・先行のウマ娘が勝つ確率は約何%か知っていますか?」

「……………」

「約75%。そして差しウマ娘が約15%。追込は10%程度。そしてオグリキャップの脚質は差し」

 

 本当は脚質など4つに分類出来るものではないし、判別出来る訳でもない。

 仮に逃げウマ娘が先頭を取れず最後方に位置してしまったら、じゃあ追込で勝負したのかと言われると違う。

 しかしそのウマ娘が凄まじい執念を発揮して4着を取り、掲示板を外さなかった時、そのウマ娘は追込で掲示板を外さなかったのか、逃げで掲示板を外さなかったのか………そういう事は良くある。1着でもだ。

 

 だから脚質ごとの勝率を全て足し合わせても100%にはならない。

 更に厳密に言うと捲りという脚質もあったりなかったりするので、その統計は鵜呑みに出来ないし如何なる基準で集計されたものかの裏取りをしなくてはならないので、それだけでは信憑性のあるデータにはならない。

 

 ただある程度の比率は出せる。

 地方での勝率。逃げが約40%、先行が35%、差しが約15%、追込が10%。

 

 圧倒的に先行勢が有利。

 前半、前に行ったウマ娘の着順がほぼそのまま着順に関わる。

 前に行く事に意識を割き過ぎて結果的に前が崩れる時、ようやく後方脚質に日の目が当たるほどの勝率の差。

 勿論、距離・レース場・その時のバ場によって細かく変化するが、それはやはり如何なる基準で集計されたのかの話になり、また収束する凡その比率を覆すほどではない。

 

 逃げは儲かるが、追込は儲からない。

 

 そんな言葉がローカル・シリーズにあるくらいだ。

 尚、その言葉は迷信ではない。ただの事実である。

 

「地方で逃げ・先行が有利な理由は複数ありますが、大きな理由はコース形状の差です。地方は最後の直線が短く、小回りで、コーナーが急。

 だから大きく加速するチャンスが少なく、末脚が活かしにくい。平均的な速さが求められ、逃げが圧倒的有利。更にはコースの横幅が中央は平均30m越えに対し地方は凡そ20mでバ群が解け難い。特に笠松はこの傾向が強いです」

「笠松が……」

「はい。正確には東海地区では。実は数ある競場の中で、最も最終直線が短いのが名古屋の194m。そして笠松は201mで4番目で、東海地区は特に末脚が決まり難いんです」

 

 尚2番目は高知と佐賀の200mのタイで、3番目はない。

 ほぼほぼ東海地区のレースが最も末脚が決まらないと考えても良いだろう。

 そしてその上で、オグリキャップは末脚で勝っている。

 偶然だとか、展開に恵まれたとか、バ場によって前がダメになるとか、そういう差しの勝率15%を引き寄せて勝っているのではなく。距離すらも関係なく。

 オグリキャップの戦績が、それを証明していた。

 

 11戦9勝。

 その勝利は、ジュニアクラウンを除き全て2バ身差以上。

 先のジュニアグランプリでは4バ身差も出している訳だ。

 第3コーナーから第4コーナーの僅か200m且つ、抜き去り辛いカーブで5人抜きを行えるレベルの末脚で。

 

「……アイツが中央にスカウトされる理由はそれですか」

「はい。2つある理由の内の1つです」

「もう1つあるんですか……」

「はい。では2つ目」

 

 指折り、シンボリエウロスは2つの指を立てた。

 

「オグリキャップは、アレでまだ本気ではありません」

「………———」

 

 その断言は無慈悲で、本当に無遠慮だった。

 オグリキャップと同じレースを走ったウマ娘と、オグリキャップ本人も侮辱してるような言葉。

 フジマサマーチは知っている。

 オグリキャップはいつだって、目の前のレースに全身全霊をかけていた事を。

 

「貴方にオグリキャップの何が……分かるんですか」

「オグリキャップが走った11レース分の展開くらいなら」

 

 おもむろにシンボリエウロスは携帯端末を取り出して、とある動画を再生させたものをフジマサマーチに持たせた。

 

「先程行われたジュニアグランプリ。分かりやすいこれを題材にします。どうぞ」

「……………」

 

 スタート。

 画面の中でフジマサマーチが出遅れ、オグリキャップは過不足ないスタートをしている。

 苦い経験。数刻前の焼き直し。

 

「オグリキャップが手加減して遊んでいるとは言いません。ただ彼女は全力の出し方をほぼ間違いなく知らない。差し。そして末脚で勝ち難い地方で尚も勝っているからとか、そういう次元じゃなくて。根本的に地方のバ場に合ってないと、呼ぶべきでしょうか」

「……………」

「笠松競場では、内枠と外枠どちらが有利か知っていますか?」

「は、い……?」

 

 このウマ娘は、先程まで間違えた事は確か言ってなかったと納得させながら、黙って聞いていたフジマサマーチに寄越された問い。

 理路整然。但し奇想天外で突拍子がない。

 そこに人間性の薄弱さを感じながら、答える。

 

「……外枠。それも先行する脚質が」

「では、何故外枠が有利か分かりますか?」

「……コーナーでは、内側は減速せざるを得ないのに対し、外側は速度を落とさずコーナーに切り込めるから」

「では、そもそもコーナーで外枠が切り込む必要は何ですか?」

「……最後の勝負を仕掛けるゴール手前200mで、良いポジションを取っていないといけないから」

「では、良いポジションとは」

「……………前の、内側」

「はい。面白いですよね、言葉にすると矛盾しているようにしか見えない、このレース展開の妙が」

 

 1枠1番より、8枠8番。

 笠松では、スタート時は外枠が有利である。

 

 だが笠松は"外"が有利なのではない。

 コーナーが急であるほど、外に回るだけ距離ロスが増えるのだから、小回りな笠松では特に内が有利だ。

 

 しかしここで、直線の短さと内側と外側の有利不利の妙が重なって来る。

 コーナーが急になるほど、遠心力により内枠は速度を出せない。

 その為減速せざるを得ない。特にカーブがキツめな笠松では。

 

 じゃあ事前に減速してコーナーを迎えれば良いだろ、と言いたいがスタート時はそうも行かない。

 スタート時は、まず脚質による先頭争いが始まる。

 直線が短い笠松では、コーナーまでに先頭争いが終わる事が少ない。

 減速すれば先頭争いで負けるからだ。

 だから大抵、加速している状態でコーナーに突っ込む。

 

 故に笠松では、外枠が有利なのだ。

 最初のコーナー以外を、内側で曲がる為。

 

 尚、阪神1600mでもスタートして200mに第2コーナーのカーブがあったが阪神の第2コーナーの角度と距離は緩やかで、内枠と外枠で速度にほとんど差が出ない。

 また直線を挟んだ後の第3コーナーと第4コーナーの角度、また130mの魔の直線による内枠有利も関わる。

 故に阪神1600mではスタート時、普通に内枠が有利である。

 

 地方と中央のウマ娘にある技量の差もあるかもしれないが、本当に複雑で細かいバ場の差で、有利と不利は変わる。

 事実シンボリエウロスはレース展開を操り、阪神JFの第3コーナーで意図的にその有利不利を入れ替えた。

 

 笠松1600m。

 コーナーポケットからスタート。

 スタートして僅か約200mで第4コーナー。

 正面を回って約240mの直線。

 第1コーナー第2コーナーを回って向こう正面約280m。

 第3コーナー第4コーナーを回って一周してから、最後の直線約200m。

 

 コーナーを計5度回るこのコースでは、如何にカーブを上手く曲がるか、距離ロスの負積を重ねずに走るかが重要視される。

 また最終直線が短いので末脚が決まり難く、最初と最後のポジションが大きくレース結果を左右する。

 故に笠松1600では圧倒的な身体能力ではなく、立ち位置を見極め如何に優等生のレースを進めるかが7割近くを占める。

 

 スタート直後の第4コーナー。一周回って最終直線前の第4コーナー。

 押さえなければならないポイントはそこだ。

 

「それを踏まえた上でオグリキャップのレースの進め方を見ましょうか」

「…………」

「残り600m、第3コーナーに入るまでは全体が縦長の陣形になったのもあり、全体で距離ロスの差は大してありません。問題は、オグリキャップが仕掛けていく辺り」

 

 第3コーナーに踏み入る瞬間、後方勢が段々と順位を上げていく。

 一瞬間を置いて、5番手中位置のオグリキャップも加速した。

 オグリキャップはスルスルとバ群を抜いていき、先頭も交わして1番手に立つ。

 外を回って、1番手だ。

 笠松の、角度が急で本当に抜き辛い筈のカーブで。

 

 仕掛けた後方勢が続々とコーナーで脱落していく。

 そして抜け出したのは、唯一オグリキャップだけ。

 ただ1人だけオグリキャップに粘ったトウカイシャークというウマ娘がいたが、オグリキャップと同じく外を回った影響か最終直線で伸びを欠き、粘るも後ろに捉えられて2着。

 

 オグリキャップは、4バ身差の1着。

 

 笠松はコーナーで抜き去る事が難しい。労力に合っていない。

 だから勝負の決め手は最終直線。その為に有利なポジションを……という、今までシンボリエウロスが大量に語って来た定石を、そんな事全て知ったこっちゃねぇとオグリキャップは走り、しかも勝った。

 

 この定石を守れなかったオグリキャップを除くウマ娘の全てが、コーナーで潰れたか最終直線で伸びを欠いている。

 定石を守り最終直線で仕掛けたウマ娘達は、ただただ純粋にオグリキャップに負けた。

 

 もはやどうしようもない。

 オグリキャップの勝ち方は、そう呼ぶのが適している。

 これは例えるなら、タブーを犯しながら勝っているミスターシービーに近い。

 ただミスターシービーとは違い、オグリキャップはタブーを犯している自覚がない。

 

 そして、その勝ち方を、オグリキャップはほぼ毎レースでやっている。

 一回ならまだしも毎回こんな勝ち方が出来るウマ娘、十年に一人もいない。いる訳がない。

 

「オグリキャップは必ず外から回って来る。

 このレース以外にメイクデビューでも、ジュニアクラウンでも、姉上が目を付けた中京杯でも。名古屋で行われた中日スポーツ杯なんかは終始大外を突き進んだ。もはや定石など関係ないと言わんばかりに」

「…………」

「そしてもう一つ。彼女はコーナーから加速する。笠松の、明らかに加速するには合っていないレースで。これがどういう意味か分かりますか?」

「分かりません……」

 

 否、本当は分かっている。

 でもそれを口にしたくはなかった。

 だから、代わりにシンボリエウロスが言った。

 

「根本的に地方のバ場に合っていないんです」

 

 繰り返された再三の言葉は、深々とフジマサマーチの胸に刺さった。

 オグリキャップには、二段階目のスパートがある。

 残り200mで更に加速するあの怪物じみた末脚。

 その理由が分かった。笠松の最終直線がほぼ200mだからだ。

 

 コーナーから加速して、更に加速しやすい場所に来たから、加速した。 

 それが当たり前のように出来る。

 言葉にすれば簡単で、でも地方の誰にも出来ていない事が、オグリキャップにだけは出来る。

 コーナーで抜き去った後、尚も最後で再加速出来るだけの脚が余っているのだ。

 

 彼女には地方は窮屈過ぎた。

 だから最終直線前のコーナーで仕掛けていて、結果コース形状的に不利な上に負荷のかかる走り方をしている。

 しかし尚、オグリキャップは勝っている。

 

 ——一度目のスパートで貴様は限界だった筈……! 何故二度もスパートをかける事が出来た!

 

 ジュニアクラウン。

 オグリキャップに決定的な敗北を喫した時、フジマサマーチは糾弾した。

 何故だ。その力の源は何だと。

 

 ——……よく分からないけど、多分マーチのおかげだ。

 

 返って来たあの言葉は、嘘だった。

 あの力に源などない。理由もない。

 

 ……いや嘘ではないのだろう。

 言葉のまま、オグリキャップは分かってない。そして知らない。自分が何をやっているかを。自分の全力を。その全力を活かせる環境も、何もかもを。

 彼女にとって世界とは母だけで、走れる事そのものは奇跡だったから。

 

 オグリキャップが中央で活躍するかどうかはまだ分からない。

 でもこれだけは言える。オグリキャップは、中央の方が良い走りをする。

 

 それが分かっているから、積極的に誘う姉。

 分かっているが、別に無理に来なくても良いと言う妹。

 

 妹は姉の方が人として出来ていると言ったが、フジマサマーチにはその是非は分からない。

 ただ両者とも、オグリキャップが地方に残る事を一番の選択だとは思っていないという事は分かる。

 

 ——正しい努力には、正しい結果が伴う。

 ——そして力ある者は常に、相応しい結果を求められる。

 

 それはフジマサマーチの信条、或いは核だった。

 彼女は幼い頃から努力して来た。過酷な練習に耐えて、耐えて、結果トレセンに入学するまでは一度も負けた事がない。

 そして力ある彼女に求められる……或いは自らが相応しいと求めた結果が、東海ダービーだった。

 ならばそのフジマサマーチ以外には負けておらず、そして今フジマサマーチすらもはや歯牙もかけなくなったオグリキャップに求められている結果は?

 ……少なくとも、東海ダービーではないのだろう。

 

「何をすれば良いか、悩んでいる」

 

 混沌とする感情が渦巻き、黙り込んでいたフジマサマーチ。

 最初の話し初めの焼き直しのように、シンボリエウロスが言う。

 

「オグリキャップに中央に行って欲しくはない。でも中央に行くべきかどうかで言えば、行くべきだと思っている。そんなところですよね」

「……………」

 

 無遠慮。

 でも事実だった。何より的確だった。

 今までずっと。

 

「何をすればで良いかで言えば、それは簡単ですよ」

「………え」

「私達は、ウマ娘です」

 

 初めて、シンボリエウロスは笑った。

 微笑むような柔らかい笑みだった。

 でもその瞳に宿る意志の強さは、怖気を抱くほど濃かった。

 

「理由なんて何でも良い。私達が求められているのは走る事。レースで1着を取る事。何があってもそれだけは変わらない。フジマサマーチさん。貴方が出来る事はオグリキャップに勝つ事です」

「……………」

「そしてもう一つ。この問題の解決策はあります。貴方も中央に来たら良い」

「は——?」

 

 ガサ……と何処かで音が聞こえたような気がして、でも何が起こるという訳でもなく、放心しているフジマサマーチを気にせず喋る天翔るウマ娘。天下に最も近い存在。

 

「推薦は私が出しても良いですよ。ただ当然、自他共に納得させられるものを示し、中央の編入試験に受からなくては意味がありませんが」

「あ、あの待ってください……」

「聞いている限り、現在オグリキャップの中央移籍で問題となっているのは2つ」

「あ……あの……」

 

 多分、意図的に無視しているのだろう。

 シンボリエウロスは再び、2つの指を立てる。

 

「1つ。中央に行けば貴方と走れない事。つまり貴方も中央に来たらこの問題は解決します」

「いや、でも……東海ダービーが夢なんです」

「……夢、ですか」

 

 一瞬考えるそぶりをして——本当の本当に一瞬だけで、次の瞬間にはもうシンボリエウロスは言った。

 

「一旦、夢の話は後にしましょう」

「えぇ……」

「2つ。オグリキャップのトレーナーが中央に行けない事。これはオグリキャップのトレーナーが中央のトレーナーライセンスを取得すれば問題ありません」

 

 確かにそうだ。確かに……そうなんだけど………という表情をフジマサマーチは浮かべていた。

 中央に受かる、というのは並大抵ではない。

 フジマサマーチもオグリキャップのトレーナーも、別に中央に落ちたから地方にいるという訳ではないが、中央の合格ラインに達していないから地方にいる、と言われて否定出来ない立場にはいる。

 

「ハイセイコー、というウマ娘がいました」

 

 それを見兼ねたのか、シンボリエウロスは呟いた。

 

「今のトゥインクル・シリーズを作り、地方と中央の常識を変えた、『最も偉大なウマ娘』ハイセイコー。地方から中央へと移籍し、そして活躍した代表とも言える存在です。

 ただ実は彼女のトレーナー、初めからハイセイコーを中央に移籍させるつもりだったらしく、中央のトレーナーライセンスを取得して一緒に中央へ来たそうですよ」

「はい——?」

「まぁ彼女のトレーナーがベテランだった事や、ハイセイコー自身の強さが最初から圧倒的過ぎて早期に決断したのも理由ですが」

 

 ハイセイコー。

 地方の大井でデビューし、そのデビュー戦で大井史上初ダート1000mを1分切り、59.4秒のレコード勝利だとか、6戦6勝無敗で合計56バ身差だとか、2戦目は16バ身差で勝ったとか、地方時代の彼女の成績は圧倒も圧倒である。

 歴然とした数字の差という、非常に分かりやすい指標。ハイセイコーはただただ本当に強かった。故に大衆からも中央移籍の話が上がった。

 中央移籍の話が上がる早さ、という点でハイセイコーは間違いなくオグリキャップよりも早いし、何ならハイセイコーよりも早く話が上がるウマ娘は今後未来も現れない。

 

「要は、前例はあるという事です。1つ目と2つ目の問題は解決出来ます。次に最後。夢の話になりますが……」

「………」

「……もっと……大きな夢を見ても良いのではないですか?」

 

 無敗三冠。そして凱旋門。

 恐らくこの国で最も大きな夢を抱いているだろうウマ娘は言う。

 

「それは、オグリキャップに言っていますか」

「貴方にも言っています。貴方のトレーナーにも」

「……本気ですか」

「本気です。夢に本気にならないと、厳しい現実は乗り越えられないと思っているので」

 

 それは、凱旋門を本気で狙っているウマ娘が言える教訓なのか。

 暗にフジマサマーチが中央入りするのは厳しいと言っているのか。

 

 中央の、しかも頂点で成功しているウマ娘の発言だと切り捨てるのは簡単だ。

 でもフジマサマーチは切り捨てなかった。中央のウマ娘が、無意識的に東海ダービーは小さな夢だと言っていると、揚げ足を取る事もしなかった。

 彼女は生真面目で、真摯だったから。

 

 レースに勝利する。

 それは、レースに出た自分以外のウマ娘全てを敗北させるのと同じ。

 きっとシンボリエウロスは、幾度の夢が消えて、壊れる瞬間を見送って来ている。

 引き留めた事はない。後悔した事も。振り返った事も。

 何となくこのウマ娘は、仮に中央推薦を受けたら躊躇いもなく前へ前へ突き進むのだろうなと思った。

 

「……もっと、大きな夢——」

 

 正しい努力には、正しい結果が伴う。

 そして力ある者は常に、相応しい結果を求められる。

 

 オグリキャップを引き留めているのは、東海ダービーだ。

 だがオグリキャップの夢は、本当に東海ダービーだったか。

 フジマサマーチは知っている。

 自分がオグリキャップを焚き付け、そしてトレーナーの夢だったからこそ、オグリキャップは東海ダービーを目指している事を。

 

「……………」

 

 大きく息を吸い、吐き出す。

 深い溜息。もしも状況が違ったらアイツは、トレーナーの為ならとか皆の夢ならとか言って良く分からないまま中央に移籍して、そのまま格や権威や歴史とかを何も知らないままレースに出走して、しかも勝ってしまいそうな気がした。

 その姿が……大層似合っていて、夢想していて楽しいのだから手に負えない。

 

「……負けたくない相手が、いるんです」

「…………」

「ただソイツとは、最近離されているばかりで」

 

 焼き増し。

 最初にシンボリエウロスへと吐露した悩みを、再びフジマサマーチは繰り返した。

 それは意味のある事だった。

 

「たとえオグリキャップが中央に行くのだとしても、行かないのだとしても私のやる事は変わらない。だから、決めました。オグリキャップが中央に行くんだったら、その前にもう一度、土を付けてやります」

 

 求められているのは、走る事。レースで1着を取る事。

 何があっても、それだけは変わらない。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 ——私に足りないものは何なのか。何が必要なのか。どうか教えてくれませんか。

 ——……良いですよ。休養中なので一緒に走るのは無理ですけどね。

 

 その後も、彼女達の会話は続いた。

 先刻のジュニアグランプリで故障したウマ娘と関係ある何かをしていただろう姉から連絡を受けるまで。

 

 ——姉上の用事が終わったようです。

 

 今日で全てを教えられるほど時間はないとして互いに連絡先を交換し合う。

 家族以外に連絡先を持っておらず、未だにガラケーを使っているフジマサマーチが、初めて他人と電話番号を交換した程度に、中央からの来訪者の影響は大きかった。

 

「…………」

「オ、オグリちゃん……!?」

 

 そして、彼女にも。

 

 笠松トレセンに戻ったオグリキャップは、何かに突き動かされるように校内を進んでいた。

 もはや周囲の目線は気にしていない。

 友人の戸惑いも聞こえていない。

 公園で、中央に行くって本当かと問うた友人達の言葉も聞いていない。

 

「キタハラ」

 

 勢い良く開けられた戸が軋み、部屋が揺れる。

 部室。目的の場所に、トレーナーの彼はいた。

 

「話がある」

 

 ——あぁ……今日のコイツは、止められないな。

 

 揺れる銀色の芦毛から覗く、蒼い瞳。

 何があっても、この瞳から決意は消えないだろう。

 トレーナーである彼は、それが分かった。

 

 約2ヶ月。

 すれ違っていたウマ娘とトレーナーは、その日ようやく向き合った。

 

 




 
 中央からの来訪者。
 その出会いは、何を齎したのだろう。
 次話。第12回 重賞ゴールドジュニア。

 手加減なしオグリキャップVS容赦なしフジマサマーチ。
 
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