有効射程距離25バ身   作:sabu

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 ジュニア編が終了し、次話からクラシック編に入ります。
 が、ストックが切れたので毎日投稿が止まります。
 比較的早く投稿を再開します。
 


1/10 第12回 重賞ゴールドジュニア 2/2

 

 最後の最後で勝敗を分けたものは何だったのだろう。

 スタート時に肩をぶつけた事か。

 オグリキャップには不良バ場の適性があって、自分にはなかった事か。

 あの末脚を削る為に、自分もハイペースで消耗した事か。

 最後の……あの気迫に負けた事か。

 

 だがそれを言えば才能には差があり、運にも差があり、脚質や適性にも差がある。

 完全な平等はない。それを踏まえてウマ娘達はレースに出る。

 故にウマ娘の世界にもしもはなく、揺るぎようのない結果だけが平等に与えられる。

 

 1着、オグリキャップ。

 2着、フジマサマーチ。

 

 ハナ差。約4cm。

 時間にして0.01秒すらない差の敗北は、もうどうやっても変えられない事実だった。

 たとえ、激闘を繰り広げた当人の一人に物申す事があっても。

 

「マーチ……」

 

 オグリキャップは気付いてしまった。

 最後の最後で、急にマーチの頭が下がった事に。

 それが無ければ、本当はマーチの方が勝っていた事に。

 

「……なんだ。私は今、傷心中なんだが」

 

 フジマサマーチは素っ気なく突き放した。

 私は負けたんだが? という攻撃的な態度を隠し切れていない。

 全身全霊を賭けた。間違いなく全てを出し切ったし、凡そ完璧と言って良い理想的なレースをした。それでも尚オグリキャップには負けた。

 後悔はない。だが申し訳ないなとは思う。

 自らのトレーナーと、多くの事を教えてくれたシンボリエウロスに。

 

「さっき、なんで」

「は……?」

 

 長い長い審議の後にようやく出た確定のランプを見届けて、正直ばったりと倒れたい気分だった。

 だが不良バ場で地面がぐちゃぐちゃとしているから何とか気合いで立っている。

 そういう状況で色々と返事をする余裕がないし取り繕う気力もない——というかコイツあの最内を突っ切り続けた癖に私よりかは余裕あるのか、まさか末脚を削り切ったのではなくレース展開で余らせただけか?——というところまでいって、途端にフジマサマーチは面倒になった。

 

「まさか私がお前を勝たせる為に最後の最後で力を抜いた、なんて本気で思っているなら絶交だからな」

「————!?」

「もう口も利かない。名前も呼ばない。分かったら頷け」

 

 その言葉を聞いた刹那、オグリキャップは高速で首を縦に振り続ける機械になる。

 もはやコクコクというより、ブンブンとしか表現出来ないほど大きく首を振る。

 

「……お前だって、メイクデビューの時、最後の最後で頭を下げていただろ」

 

 突如脚を取られ、前のめりになってつんのめたと表現して良い。

 アレがなければメイクデビュー、きっとオグリキャップが勝っていた。

 そして今日は、きっとフジマサマーチが勝っていた。

 

 だがそんな事言ってもどうしようもない。

 この世界にもしもはない。

 一人のウマ娘が勝って一人のウマ娘が負けた事実だけが、ただそこにある。

 今日、フジマサマーチは負けた。

 最後の最後で、怪我をしても良いから限界を超える事すら出来なかった。

 

「私だってあの時、お前と同じ事を思っていたよ」

「……………」

 

 フジマサマーチの右手は震えていた。

 悔しくて堪らない。人間を超えた膂力を持つウマ娘のパワーが自身に跳ね返り、握り締めた拳から血が滴り落ちている。

 それを見かねたオグリキャップが、慌ててあたふたとしながら口を挟む、

 

「い、いや私のメイクデビューはだな、底が剥げ掛かっていたボロボロのシューズで走っていたからで………」

「………………」

 

 この時のマーチの表情を言葉にするなら、コイツマジか? である。

 では何だ。オグリキャップは実質、蹄叉腐爛を引き起こしていたような状態で走り、笠松で深刻な出遅れをかましながらメイクデビューでクビ差の2着だったのか。

 

 つまりメイクデビュー戦でのオグリキャップの失態は起こるべくして起きたもので、今日の私の失態は……オグリキャップにはなかった不良バ場の適性とかそういう才能や消耗の度合いの問題、限界を超えてそれを維持させる力の差だと。

 

「あぁ、えっと。………マーチ?」

「もういい。喋るな」

「————!? マ、マーチ!?」

 

 フジマサマーチは決してオグリキャップを嫌いになった訳ではない。怒っている訳でもない。

 ただ、色んな事が面倒になったのである。

 測らずも圧倒的な力の差と、オグリキャップが中央に行くのに相応しい事を証明してしまったようだなハハハと内心でヤケになりながら、マーチはダートの上から去ろうとしていた。

 

「ま、待ってくれ! それだけはっ! それだけはダメだマーチ! 絶交はやめてくれマーチ!! 私がどうにかなってしまうマーチ!!!」

「へぇ。例えば?」

「夜も眠れない! 食堂のご飯が一口も喉を通らないっ!!」

「何……?」

 

 そんな事が現実に起こり得るのか……? とフジマサマーチは疑問に思う。

 ただ、もしもそれが事実だとしたら、想像を絶する辛さなのだろう。

 天地がひっくり返ってもオグリキャップの食欲だけは変わらないと思っていたが、意外と変わるらしい。或いはそれほど特別か。

 

「……別に、絶交なんてしない。する訳ないだろ」

「!——本当か!? 本当なんだな!?」

「本当だよ」

 

 途端へなへなと力が抜けていくオグリキャップに毒気を抜かれたフジマサマーチは、オグリキャップの背中を叩き、そして押した。

 

「だからお前は前を向け。胸を張れ。そして中央でも暴れて来い」

「…………」

「中央に行くのは私にちゃんと勝ってからなんて言うなよ。納得は出来なくともケチは付けるな」

「………うん」

 

 それは勝者の責務……という事を言うのは、多分違う。

 オグリキャップがそういうものに縛られる姿は似合わない。オグリキャップ自ら背負うなら別だが、他人が背負わせるものじゃない。

 フジマサマーチは、年頃のウマ娘としては驚くほど勝負事への向き合い方が違った。

 

「頂上を決めなければ山は登れない。だけど一つの山を登り切ったら……次の山を目指せば良い。だから東海ダービーを勝って、お前達の夢も私が拾い上げてやる。そして次に、私も中央に行く。だから中央で待ってろ」

「! あぁ………待ってる。中央で、待ってる……」

「じゃあ行け。お前のライブを期待している人達がいる」

 

 歓声はまだ止んでいない。

 オグリキャップのトレーナーやその友人達も、すぐそこにいる。

 噛み締めるように頷いてから、オグリキャップはウイニングライブの野外ステージまで向かって行った。

 

 その後ろ姿を見送ってから、ようやくフジマサマーチに実感が追い付く。

 

 負けた。

 もうあの背中は見送るしかない。

 それで良いのだと喜ぶ反面、寂しく思う自分がいる。

 オグリのいない東海ダービーなど盛り上がりに欠けるな。

 感傷の証を誰にも悟られないよう拭ってから、フジマサマーチはゆっくりと控えに戻る。

 

「申し訳ありません。フジマサマーチさんを唆したのは私です」

「いや………あーー……」

 

 戻った先、笠松レース場の裏手でフジマサマーチのトレーナー柴崎 宏壱に、シンボリエウロスが頭を下げていた。

 フジマサマーチが全く想像もしていなかった光景だった。

 

「全ての責任を負うほどの力も立場も今の私にはありませんが、シンボリ家の一員として対処します。何でもお申し付けください。可能な限り応えます」

「いや、これは………トレーナーとしての自分の問題なので気にしなくて……大丈夫です」

 

 相手の年齢を考えればおかしい言葉使いだが立場が立場なので、生徒のように接するか悩んだ末にURAの役員と対面しているように喋る事を決めた柴崎トレーナーは、遅れてフジマサマーチが戻って来ている事に気付いた。

 そしてフジマサマーチの姿に何かを思ったのか、呟く。

 

「では………そうですね。もしもマーチが中央に行く事があったら、是非サポートしてください。貴方ならきっと良い刺激になる筈です」

「……はい。ただ貴方も同様に中央に来てください。中央のトレーナーライセンスを取得して」

 

 負けたのは自分のせいだ。トレーナーとシンボリエウロスに申し訳ない。

 明らかにそういう事を言える雰囲気じゃないなぁ、と思いながら取り敢えずフジマサマーチはその場に踏み入る。

 

 改めて向き合ったトレーナーとの会話は、簡素だった。

 最後のあれで落鉄でもしたか。怪我はしていないか。していないなら良い。反省会は明日にしよう。

 そういう事をトレーナーから伝えられている中、シンボリエウロスは少し距離を置いてそこにいる。

 

「……見に行かないんですか」

「私は、あの場にはいない方が良いと思います」

 

 ——私は今日のレースを最後に中央へ移籍します!

 

 気になったフジマサマーチの疑問に素っ気なく返すシンボリエウロスの裏で、そんな声が聞こえて来る。

 オグリキャップの宣言が、ここまで響いているのだ。

 ほとんどの人は野外ステージの方に集まっている事もあって、笠松レース場の裏手にいる彼女達の周辺は酷く閑散としている。

 

 中央に行かないで欲しい。

 もっとここで走って欲しい。

 続く歓声。前のフジマサマーチなら、同じ事を言っていたかもしれない。

 

 ——……ですが皆さん、夢を見たくないですか?

 

 観客の反応を見たオグリキャップのトレーナーが言った。

 ようやく叶うと思っていた夢が叶わなくなった筈のトレーナーが。

 

 ——このオグリキャップが、田舎の『灰被り娘』が中央の猛者達を圧倒する。そんな夢を!

 

 だが彼には、もっともっと大きな夢が出来た。

 

 ——もっともっと大きな夢を見てみたくはありませんか!! なのでどうかお願いです! これからもオグリを応援してやってください! 私が保証します! こいつは絶対に俺達の期待を裏切らない!

 

 少し遅れて、爆発するような歓声。

 応援する。やってやれ。中央に見せ付けてやれ。

 寒門。地方出身。芦毛。

 灰被りのウマ娘が中央でのし上がるシンデレラストーリーを彼らは期待している。

 

「私があの場にいると邪魔でしょう。私はオグリキャップの夢を壊す側の存在です」

「……………」

 

 ただ同時に、恐らく彼女ほどオグリキャップに倒されるのに都合の良い存在もいないとフジマサマーチは思う。

 少なくとも今現在はと前に付くが、彼女達は何もかもが正反対なのだ。

 

 片や名門生まれ。その頂点にして世代最強格。

 片や寒門生まれ。血統に保証はなく地方出身。

 

 きっとオグリキャップの絶望的な壁になるのに相応しいのはシンボリエウロスだ。同時にシンボリエウロスを終わらせるのに相応しいのはオグリキャップだ……と、そのような構図と対立関係を観客は見出すだろう。

 国民性に関係なく、人は物語性を求めている。

 この世代にシンボリエウロスとオグリキャップの二人しか中心人物がいないのならの話だが。

 

「私は今日、オグリキャップに勝てていましたか」

 

 何となく、フジマサマーチは聞いた。

 

「……もしもに意味はありません。ただ私は貴方が勝つだろうと思っていました。言い繕いはしないで言うと、ほぼ5分5分ですが」

「あれでまだ、5分5分ですか」

「はい」

 

 何となく、彼女がそう言うのならそうなんだろうなと納得してしまう。

 そして、ようやくオグリキャップに勝ちの目が見えた自分ではまだ、中央に行ける水準には達していない事も。

 

「推薦の件ですが、保留にさせてください」

「はい。尤もまぁ推薦に大きな価値はありません。中央の編入試験に受かれば良いので」

「……合格ラインは、どれくらいなんですか」

 

 中央が異世界なのは分かる。

 オグリキャップが規格外なのは分かる。

 今からオグリキャップを追うのは決まっているが、目安が分からなかった。

 

「明確な数字にするのは難しいですね。中央に受かった後、辞めるウマ娘は少なからずいますから。だからどのような事を成し遂げたら、中央からスカウトが来るのかの話をしましょう」

 

 それは公園での一幕の続きのように。

 シンボリエウロスは3つの指を立てる。

 

「1つ。地方ではもはや敵なしだと言われるくらい勝ち続ける事」

 

 それは分かり易い事だ。

 ハイセイコーがそうだし、現にオグリキャップも同じ事をしている。

 

「2つ。芝の適性を見せる事」

 

 芝とダート。ウマ娘が走るのはまずこの2つである。

 芝を走れるウマ娘がダートでも好走する事例はそれなりにあるが、ダートを主流にしていたウマ娘が芝でも好走する事例は少ない。

 また地方ではダートが主流で、中央では芝が主流である。

 故に芝のバ場でも好走出来るというのは、大きなステータスである。

 

「3つ。地方よりも中央のコース形態の方が向いている事を示す事」

 

 これは、かなり珍しい上に、難しい。

 実際に判別するのも厳しい上、仮に中央のコースの方が走り易い事が分かっても、中央で活躍出来る事と同義ではないのだ。

 例えば地方だとレベル10だが、中央で走った場合レベル15になれるとする。でも中央の合格ラインはレベル20から、なんて残酷な事が多々ある。

 

 またこの事例に適応するのは、一度地方転出してから再び中央復帰して活躍するウマ娘がほとんどだ。

 地方の差し・追込ウマ娘が中央に挑戦しても、ただただ中央と地方の格差によって負けるほど、中央のウマ娘達はレベルが違う。

 

「この3つのどれかに適合した場合、中央移籍の話が上がる可能性が出て来ます。そしてオグリキャップは『中京杯』にて、この3つ全てを同時に達成しました」

「…………」

 

 そしてフジマサマーチはまだ、この3つのどれにも当て嵌まっていない。

 明確な言葉にはしなかったが、シンボリエウロスはそういう事を言っている。

 仮に推薦を受け、仮に編入試験に合格したとしても、中央はひたすらに険しい。

 不相応。

 その三文字が、フジマサマーチの頭に浮かぶ。

 

「私は、東海ダービーを勝ちます」

 

 高い壁だ。

 大きい、大きい山かもしれない。

 しかし頂上を決めなければ、山は登れない。

 フジマサマーチは一つの山を登った後、最も険しい山の頂点を目指す事にした。

 

「そして私も中央に挑戦します」

「はい」

 

 シンボリエウロスは、何も言わなかった。

 笑う訳ではないが、かと言って特別応援もしない。

 応援しなくても貴方は頑張りますよね、という事を思っている気がした。

 

「では、最後に」

 

 遠くで、オグリキャップを見送る歓声が小さくなっていく。

 シンボリエウロスは再び向き合って、口を開いた。

 

「貴方が負けたのは私のせいです。と……言うのは、貴方からレースの想いを奪う事になるのでしょう。だから一つだけ。後悔はありますか」

「いえ」

 

 その言葉にだけは、フジマサマーチは迷う事はなかった。

 もしかしたら他に答えはあったのかもしれない。だが自分はその時に出来る最善を尽くした自覚はある。そしてこの結末に辿り着いた。

 だから、あの時あぁしていればと思う余地はない。ただ至らなかっただけだ。

 

「なら、良いんです。いずれまた会う日を待っています」

 

 言葉短く、シンボリエウロスはその場を去っていく。

 また色々と話は聞いてくれたが、それを言うだけの為に待っていたのか、と思う暇もなかった。多分律儀なのだろう。

 人間性の薄弱さも見ている為、契約は正しく履行する悪魔という若干失礼な事を考えながら、フジマサマーチはその背中を見送った。

 オグリキャップの背中を見送ったように。

 

 ——あのウマ娘が、最大の敵。

 

 短い間柄だ。休養中で両脚には白いテーピングが巻かれており、軽く走った事すらない。だが自分が勝てる未来だけは全く見えなかった。

 速いとか強いとかそういう話ではなく、ただただ……どうしようもない。そんな感想しか浮んで来ないウマ娘。

 

「オグリ。本当に、頑張れよ」

 

 感謝はあっても、フジマサマーチが応援しているのはオグリキャップ1人だけであった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 オグリキャップには知らない事が多い。

 彼女は笠松トレセンに入学するまで、トレーナーが付かないとレースに出る事が出来ない事も知らなかったし、地元で有名な東海ダービーが何なのかも知らなかった。

 ただベルノライトという友人に恵まれたのもあり、笠松で多くの事を学ぶにあたって彼女が特に躓いた事はない。

 今後地方で過ごす上でも、オグリキャップが困る事はないだろう。

 

 故に中央は、その範囲外にある。

 

 地方と中央はもはや別世界。

 環境が異なり、設備が異なり、規則も異なる。

 ベルノライト本人も地方ウマ娘だった事もあり、そもそも地方で学ぶ事はほぼ中央の事ではなく地方のものであり、オグリキャップは中央の僅か二文字が意味する物事を何一つ知らない。

 

 例えば中央トレセン学園で生徒会長をしているウマ娘の名前は何かと聞かれても分からないし、何なら日本ダービーとかそういう、中央のウマ娘じゃなくても知っている常識の範囲内の事も、まだオグリキャップは知らない。

 

 ただ偶然、オグリキャップが中央の事で知っている事が一つだけあった。

 

「……………」

「……………」

 

 その邂逅も、本当に偶然だった。

 北原トレーナーがいつか必ずオグリキャップに見合うトレーナーになると宣言して、ベルノライトは中央の研修生試験に受かったからサポートの方で一緒に中央に行けると喜んで、笠松の皆と思い出の記念写真を撮って、これから数日は忙しくなるだろう——と、北原トレーナーとベルノライトと笠松トレセンに戻ろうとレース場を後にしようとした時、出入り口で出会ったウマ娘。

 

 白と紫のセーラー。中央の制服。

 小柄。三日月のような流星。

 オグリキャップが唯一知っている、ダート1000mの日本レコードホルダー。

 初めて、末脚勝負で絶対に追い付けないと思ったウマ娘。

 

 それだけだ。

 互いに会話した事はないし、間にフジマサマーチを経由する事で互いが互いに一方的に認識しているだけの、そういう微妙な間柄。

 

「エウロス?」

 

 北原トレーナーとベルノライトも、シンボリエウロスとは特に深い関係はない。

 辿れば近しい上に無視出来ない場所にいるが、相手が相手。和気藹々と会話する訳にもいかずに流れた緊張感のある静寂は、その姉が呼び止めるまで続いた。

 

 笠松レース場の出入り口付近に乗り付けてある、黒い車。

 明らかなシンボリ家の執事と、生徒会長シンボリルドルフ。

 姉の方に一瞬視線を寄越して、シンボリエウロスはオグリキャップ達に向き直った後、少し頭を下げる。

 

「………(コクッ)」

 

 どうも。

 そんな感じに頭をペコリと下げるのを最後に、シンボリエウロスはその場を後にしようとする。

 

「ま、待ってくれ!」

 

 思わずオグリキャップはそれを止めた。

 公園でフジマサマーチとのやり取りを盗み聞きする前、彼女には聞きたい事があった。

 何となくの興味。中央はどんなところなんだ。笠松とは何か違うのか。キミは中央だとどれくらい強いのか。

 遠くの国を知ってそこに住んでいる人も知りたくなったような、地方ウマ娘だったからこその無邪気で純粋な好奇心。

 だが今は違う。オグリキャップは今、中央と酷く身近にある。

 

「…………」

「えっと、私も中央へ行く事になったんだ」

 

 横目で振り返ったシンボリエウロスに、悩んだ末に言ったのは結局そういうありきたりな事だった。

 

「だからきっと、キミにもお世話になると思う」

「はい」

「……………」

「……………」

「よろしくお願いします」

「あ……あぁ、よろしく」

 

 ——こ、これオグリちゃんに助け船を出した方が良いですかね……。

 ——だがどうする? 何なら助け船になる……?

 

 気遣いは出来るらしい。けど全く会話が進まない。

 今まで見た事がないタイプのウマ娘に若干気遅れしているオグリキャップの姿を見てヒソヒソと会話しているベルノライトと北原トレーナー。

 

「フジマサマーチさんに入れ知恵したのは私です」

 

 静寂を切り裂いたのは、シンボリエウロスからだった。

 

「また結果がどうであれ、私は貴方達の選択に大きな影響を与えました。怨み辛みがあるなら、ここで吐いた方が良い」

「…………」

 

 悔いを残すな。だが悔いがあるなら、私に言え。

 そういう意味だとオグリキャップは受け取った。

 内心、悩みや困惑はある。

 笠松から離れるという実感は湧かない。

 

 ——もっともっと大きな夢を見てみたくはありませんか!!

 ——私が保証します! こいつは絶対に俺達の期待を裏切らない!

 

「いや、大丈夫だ」

 

 だが怨み辛みとか、そういうものはオグリキャップにはなかった。

 

「中央に行っても、私は私に出来る事を頑張ろうと思う」

「……なら、貴方はきっと中央に来ても中央の波に呑まれる事はないでしょう。地方でも中央でも、やる事は同じです」

「同じ?」

「はい。勝つ事です」

 

 ストイック。ひたすらな勝利への執着。

 公園で言っていた事と同じ。

 事実である事は分かる。

 勝負事の世界である以上、求められているのは結果だ。

 

「だけど、勝ち続けられるウマ娘はほとんどいません」

「………」

 

 だが当然勝者は一人だけで、結果が伴わないウマ娘の方が多い。

 オグリキャップも今日、ただ一人の勝者になった。

 

「だから決して諦めず、自分に出来る事を頑張る」

 

 しかし諦めないのなら、負けても終わってない。

 ウマ娘の世界は、勝つ事だけが全てではない。

 たとえ負けても、その走りに励まされる人がいる。

 勇気付けられ、生きる力を貰える。

 ウマ娘は、想いを背負って走る。

 

「結局、私達に必要なのはそれくらいです」

「……そうか。そうなんだな」

「はい」

 

 そして誰からも愛されて、その愛に全力で応えてしまうような唯一無二のウマ娘に、オグリキャップはなれる。

 

「その上で、やはり私は貴方に謝らなくてはならない。大層な事を言ってはいますが、私は貴方に協力する事はありません。それどころか、躊躇いもなく貴方を阻む壁になるでしょう」

「……キミは、強いのか?」

「はい」

 

 謙遜する事なく、ただ当たり前の事実を言うように。

 

「私が一番速いです」

 

 オグリキャップは名門というものを知らない。

 責務とか役目とか、そういうものも知らない。

 ただそれらを聞いて誰かを思い浮かべるのなら、今後目の前のウマ娘になるのだろうとは思った。

 地方では今まで一度も見た事がないタイプのウマ娘だった。

 毅然としていて、何も揺らがない。揺らぐ印象がない。

 

「中央に来てから色々と私の事を知ることになると思いますが、レースに出る以上、全部気にしなくて構いません。私も貴方と同じレースに出た時、貴方の想いや背景を知った上で勝ちに行くので」

「………」

「要らないお世話だったかもしれません」

「いやありがとう。色々と参考になった」

 

 なら良かった。

 小さく呟いて、シンボリエウロスは手を伸ばす。

 

「改めてよろしくお願いします、オグリキャップさん」

 

 怜悧な微笑みだった。

 見惚れるとかそういう次元ではなく、見ていて総毛立つ好戦的な笑み。

 

「貴方の敵です」

 

 その邂逅が、シンボリエウロスとオグリキャップの最初の出会いだった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 少し時を遡って、中央トレセン学園。

 その食堂で、今は見慣れないレトロタイプのラジカセを使用しながら食事をしている、小柄な芦毛のウマ娘がいる。

 

 ——先頭フジマサマーチ! 先頭はフジマサマーチ! オグリキャップは2番手! オグリキャップ2番手!

 ——しかし……しかし差し返して来た!ここでオグリキャップも粘って来た! 先頭はどっちだ!? どちらが先にゴールするのか!?

 ——ここで、ここでゴールイン!!

 

「……ほぉん?」

 

 ラジカセから聞こえて来る実況の音は、凄まじい接戦が行われている事を示していた。

 啜っていたうどんの手を止め、決着がどうなったかに意識を割けば、遅れてようやく聞こえて来るオグリキャップ1着ハナ差の情報。

 

 こう言うと相手のウマ娘に悪いが、オグリキャップが順当に勝つと思っていた。

 それがそうじゃなくなったという事は……なるほど一個下のあの嬢ちゃんが関わっているのかもしれない。

 

【オグリキャップ、ゴールドジュニアを最後に中央行き!?】

【オグリキャップ中央移籍に『皇帝』シンボリルドルフの影響あり】

【シンボリエウロス、世代最強の6戦無敗】

 

 芦毛の彼女の席には、大量の新聞記事とそのまとめが散乱していた。

 

 末脚。上がり3Fのタイム自体では既にシンボリエウロスが最も速く、最も強い。

 ジュニア級明けながら、現役最速は彼女だった。

 じゃあ1600mの通過タイムは? 2000m、2400mでは?

 シンボリエウロスは決して頂点ではない。

 

 そして——追込という脚質の分類でもまだ、シンボリエウロスが現状まず勝てないウマ娘がいる。

 

「ほんまに、面白くなりそうやん」

 

 彼女の名前はタマモクロス。

 現役最強である。

 




 
⚪︎Tamamo Cross(タマモクロス)

 芦毛のウマ娘は走らない。この二人が現れるまで、人はそう言っていた。惨敗から最強へ。芦毛。白き稲妻。もう一人のシンデレラ。シングレ版タマモクロス。
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