有効射程距離25バ身   作:sabu

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 中央のウマ娘達から見る、オグリキャップクラシック登録問題。


1/13 教室・洗礼

 

 田舎娘。

 地方から中央に来たウマ娘は、時にそう呼ばれる事がある。

 

 別にそれだけで中央のウマ娘が転入生を酷くいびる事はない。

 が、試すような目線を転入生に向けるのは仕方ない事ではあった。

 

 地方から中央に行って活躍するウマ娘はほとんどいない。

 地方から来たウマ娘の、実に9割が一度も勝利する事なく消えていく。

 

 ——あぁ、地方から来たウマ娘か。

 

 その言葉は差別ではない。中央のウマ娘が思い上がって見下している訳でもない。

 ある意味、其方の方が反骨心が生まれるから良いくらいに残酷な"区別"だった。

 

 ただその事を口にする中央のウマ娘は少なかった。

 する理由がないし、下を見ればキリがなく上を見てもキリがない世界で、ほぼ全てのあらゆるウマ娘は比較と区別の対象になる。

 だから一々そんな嫌な事を諭すように口にするウマ娘は、嫌な子として孤立するだけだ。

 同じ学校に通う学生同士、これから仲良くしようね、一緒に頑張ろうね、と大半のウマ娘は普通に友好的な関係を結ぶ。

 

 ——私をどうにか日本ダービーに出させてくれ。

 

 だから尚も——地方から来たウマ娘を気に入らないと思ったのなら、それは明確な怒りであった。

 

 地方から来たウマ娘。

 別にそれは良い。凄い。頑張ったんだな。そう思う。

 中央の事をさっぱり知らない。

 それもまぁ良い。最低限は知っていた方が良いんじゃないかな、とは思うがこれから学んでいけば良い。

 

 だが、だが——日本ダービーの事を軽々しく言うのだけは許せない。

 

 中央のウマ娘は、夢を見る。

 現実を知るに連れ下方修正せざるを得なくなったとしても、中央の扉を開いた彼女達は、必ず最初は夢がある。

 日本ダービー。

 それは最大の権威。最古の歴史。日本一のレースと云われ、ウマ娘の誰もが夢見る最高峰。

 日本ダービーに勝ちたい。ウマ娘達が最も夢見るものポピュラーなものは、絶対的にそれだ。

 或いは三冠をとも言うウマ娘もいるだろうが、やはり日本ダービーは別格。

 比喩でも何でもなく、各国のトゥインクル・シリーズは『ダービー』を中心に回っている。

 

 日本ダービーに勝ちたいなぁー……。

 

 そう呟く。友人と、或いはトレーナーと。世間話で夢を語る。笑い合う。

 だけど私なら日本ダービーに勝てる、なんては言わない。言える訳もない。

 

 日本ダービーとは、一生に一度、同世代のウマ娘全てが夢見て憧れ、そして数多の怪物がその夢の前で破れて来た最高峰のレースだ。

 ダービーウマ娘とは即ち、その夢の屍の頂点に君臨する事を許されたウマ娘である事を指す。

 その意味も、意義も、歴史も。

 今さっきまで何も知らなかった地方のウマ娘が。

 明確にそれを説明した筈のウマ娘の前で、軽々しく口にした。

 

 よりにもよってあの——あのシンボリエウロスの前で。

 

 彼女達クラスメイトは、シンボリエウロスと仲が良いかと言われたら微妙である。

 何よりシンボリエウロスが友好的とは言い難い態度をしている。

 だけど彼女達は、その実力は何よりも認めていた。

 

 決して表には出さない。

 でも仮にシンボリエウロスが、私なら日本ダービーを勝てると口にしても、きっと怒りを覚えなかっただろう。

 シンボリエウロスはクラシック三冠を目標にしている事は周知だった。

 この世代で最もそれに近いだろう事も、実は認めていた。

 

 だから、何がなんでも勝ちたい。

 あの澄まし顔を崩してやりたい。

 何処も見ていないあの瞳を、唯一あの四人にだけは向いているあの視線を、此方に向かせてやりたい。

 

 だけど、それまでは決して負けるな。

 中途半端な成績も残すな。

 夢の残骸と怪物達の屍の頂点に、当たり前のように踏ん反り返れるだけの力を、永遠に維持し続けていろ。

 上に立って良いと、そう認めたのは彼女だけだった。

 彼女達の中心には、シンボリエウロスがいた。

 

 ——私がキミに勝ったとしても、日本ダービーに出られないのか?

 

 決して、お前じゃない。

 その中心に、土足で上がる事は、許していない。

 音もなく静かに、教室の空気が冷え切ったように張り詰めた。

 例えるならそれは、自分達の上に君臨する群れのボスに、最近群れに入って来たばかりの奴が無礼(なめ)た態度を取ったような。

 

「…………ひっ——」

 

 それを明敏に知覚したのは、ベルノライトだった。

 彼女は臆病だった。野生的に捉えるなら、生き延びる為に危機を感じ取る感覚が他よりも強く優れている。ウマ娘としての闘争心が薄い代わりに。

 

「…………」

 

 一人のウマ娘と視線が合った。

 ヤエノムテキ。彼女が此方を睨み付けている。

 

 いや、睨んではいない。

 ただ横目で此方を見ているだけだ。

 しかしベルノライトには、その目に烈火の如く燃える熱が宿っているように感じた。

 

 中央に呼び寄せておいて突き放すような態度を取ったシンボリルドルフの対応が、今の彼女には何となく分かる。

 明らかに、彼女達の大事なものを踏み躙った。

 知らずの内にとはいえ、譲れない一線に触れた。

 

 そしてその上で、私に勝てたらと言われた当の本人。シンボリエウロス。

 彼女はオグリキャップのその一言に、姉と同じ表情で呆気に取られた後、笑う。

 

「フ——フ、ッフフ」

 

 お淑やかでは、ある。

 堪え切れず溢れるような笑み。

 口元を手で隠しながら笑っているそれは、姉とは真逆である。

 

「……えぇ確かに、オグリキャップさんの言葉は一理あります」

 

 だけど笑みの種類は、きっと姉と同じだった。

 何か含むものを秘めている事を隠さない笑み。

 一理ある。

 それは転じて、他は何も見えてないのだなと言っているのと同じだった。

 

「自分で言うのも何ですが、今現在日本ダービーは疎か三冠を取るだろうと私は世間に言われています。そんなウマ娘を、三冠路線以前の今降す事が出来たら、この評価は大きく揺らぐでしょう」

 

 少なくとも、と言葉を足しながら微笑む。

 

「一躍、世代の中心人物に踊り出る事は間違いない。なのにそのウマ娘がクラシックレースに出走出来ないとしたら……もしかしたらがあるかもしれません」

 

 中央で誰にも負けないと、オグリキャップが証明出来て。

 その上で、オグリキャップは日本ダービーに出られないのだとしたら。

 世間は"再び"叫ぶだろう。あのウマ娘を、日本ダービーに出せと。

 それは大きな畝りを生んで、後の歴史を決定的に変えるかもしれない。

 

「今から凡そ1ヶ月後、2/14。私はとあるレースに出走します」

 

 オグリキャップの前に差し出された一枚のチラシと出走登録表。

 中には、こう記載されていた。

 

『G3 共同通信杯。芝1800m。東京レース場』

 

 2月中旬。

 ジュニア級明けと春のクラシックレースの中間時期に位置するこのレースは、G3ながら非常に重要度が高いレースである。

 言わば、今後のクラシック戦線を占う登竜門。

 このレースを勝利したウマ娘の、実に半数近くが後のG1ウマ娘となる。

 共同通信杯とは、そのようなレースだった。

 

「私以外にも有名どころで言えば『朝日杯FS』の優勝者サクラチヨノオーもここに出走します」

 

 エウロスが差し示した先には、少しだけムッとしていたけど、シンボリエウロスとオグリキャップ両名の視線を受けて、よ、よろしくお願いします! と呟いたサクラチヨノオーがいる。

 

 ——強いな。

 

 率直にオグリキャップは思った。

 身体が出来上がっている。今の自分が力比べをしたら、負けるかもしれない。

 繊細。矮躯。身体が小さく細いシンボリエウロスよりも、一目で分かる強さの指標。

 サクラチヨノオーに抱いた印象は、横綱だった。

 

「今現在、この世代で二人だけのG1ウマ娘、ジュニア級王者達が顔を合わせる最初のレースという訳です。一介の地方ウマ娘に過ぎない貴方がこのレースで私達に勝てたら、それは面白いことになるでしょう」

「……………」

「勝てたら、の話です」

 

 やれるものなら、やってみろ。

 浮かべた笑みの裏で、笑っていない眼だけが雄弁にそれを示している。

 

 ——私も貴方と同じレースに出た時、貴方の想いや背景を知った上で勝ちに行くので。

 

 初対面。中央のウマ娘、名門生まれのウマ娘という印象の核になった、あの断言。

 こうも早く、真正面から叩き付けられるとは。

 

「………分かった。私も、このレースに出る」

「はい」

 

 微笑みながら、シンボリエウロスは締め括った。

 

「改めてオグリキャップさん。ようこそ中央へ」

 

 付近から感じる鋭い視線の中心で、彼女達を束ねる君臨者の如く。

 

「常識もルールも、貴方の敵です」

 

 中央。

 地方とは違い、自分以外の全てがライバルであり、敵であるその世界。

 オグリキャップは、常識もルールも敵に回すしか選択肢がなかった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「………少し、言い過ぎたかもしれません」

「いえ。別に構わないと思います」

 

 それから少し時間が経った放課後。

 席に座って項垂れているシンボリエウロスと、素っ気なく淡々と口を開くヤエノムテキが隣にいた。

 

「むしろ妥当だったかと。あの程度の現実で怯むのなら、どうせ長続きしないでしょう」

 

 語尾が強い。

 確かに事実ではあるが、言葉の節に棘がある。

 

「……オグリキャップさんが気に入りませんか?」

「いえ。別に」

 

 そうは言っているが、不満を抱いている事は明らかだった。

 耳は後ろに反り返っている。

 心の内に溜まる鬱憤。それが言葉の棘として現れているのだ。

 

 そもそも、最初の一言目から気に食わなかった。

 日本ダービーに出させてくれ、と言ったのだ。

 

 レースに出たくても、出られないウマ娘がいる。

 日本ダービーは特にそうだ。

 仮にオグリキャップがクラシック登録に問題がなかったとしても、自分なら特に問題なく出られる。と、そう思い込んでいる態度が面白くない。

 

 可愛く例えるならムスーっとしている。

 と、言うには内から揺らいでいる熱と全く笑っていない目。

 感情を理性と礼節の檻の中で閉じ込めているだけのヤエノムテキに、何を思ったかシンボリエウロスは言った。

 

「オグリキャップさん、実は地方で少し、イジメに遭っていたみたいなんですよ」

 

 嘘ではない。

 何ならシンボリエウロスも誤解しているが、ともかく嘘ではない。

 

 天然。そして若干の不器用と口下手による巻き込まれる体質と言うべきか、オグリキャップはそれなりのトラブルメーカーである。

 その一環は地方でも起こっていた。

 主にノルンエースを中心とした通称三バカ達による悪質なイタズラや意図的な阻害である。

 

 ただしオグリキャップはイジメを受けている自覚がない。

 何なら、友達は皆優しいとすら思っていた。

 しかもその態度が巡り巡り、三バカ達と本当の友人になった。

 天然である。

 

「……………」

 

 その事をヤエノムテキは知らない。

 ただ、内なる熱が冷えるのには十分だった。

 

 気に入らない事があれば全て力で何とかしていた、忌々しい己の過去。

 結果当然のように孤立し、その孤独感をまた力でなんとかしていた、粗暴なる幼少期。

 当時の自分と今の自分は、未だ地続きにある。

 

「………そうですか」

 

 一言。ボソリと呟く。

 内心は窺いしれない。

 しかし、後ろに反り返っていた耳が元に戻り、次にへにゃっと萎んでいく。

 

「………学友としてちゃんと、頑張っていこうと思います」

「えぇ。私が言えた義理ではないのですが」

 

 友人。学友としては仲良くする。忌避もしない。

 それはシンボリエウロスも同様なのだろう。

 

 だがレースに出たら関係ない。

 それは先程の口振りからも明らかだった。

 

 如何なる理由があろうと、どんな過去があろうと、同情が勝利の執着を上回る事はない。

 故に躊躇いもなく潰す。斟酌などなく。

 先程オグリキャップに説明していた彼女が、正にそれを体現していた。

 クラシック登録問題に付いて、何の情も挟まず、ただそういうものだと説明し続けていた。

 

「しかし」

 

 何となく今は、そういう雰囲気ではない。

 察したヤエノムテキが呟いた。

 

「クラシック登録の件は、どうしようもないように思えます」

「………(コクッ)」

 

 また、そこに僅かな感傷がある事もヤエノムテキは察していた。

 感情がないのだと思われていた入学当初とは違って、それなりの期間交友関係を結んで来たヤエノムテキだからこそ気付いた心の動きだった。

 仲を許した相手とだけだが、シンボリエウロスは意外と喋る。

 しかも中々感情的である。

 

「実は私、オグリキャップさんの登録問題を知っていました」

「え?」

「知っていた上で、何も助言していませんでした」

 

 助けを請われたのなら、可能な限り助けよう。

 助言を求めるのならば、必要な限り教えよう。

 

 だが、実際に気付くまでは何もしない。

 

 明らかに間違えた決断や失敗をしていても、本人が気付かないなら見守るだけ。

 失敗させ、失敗を経験させる。何がダメだったのか、自覚させる。

 良く言うのなら成長を促す。悪く言うのなら無慈悲。

 シンボリエウロスの他人との接し方は、常に一歩引いた場所にあった。

 

 それはシンボリエウロスの性格や、いらないものは何もいらないという尖った精神性もあるが、オグリキャップのクラシック問題は助言したところで根本的にどうしようもないのがある。

  

 クラシック登録。

 第一回。ジュニア級の10月。登録料1万。

 第二回。クラシック級の1月。登録料3万。

 第三回。各レースの2週間前。登録料36万。

 

 この三回、計40万円の登録量を支払う事でクラシック登録は完了する。

 

 オグリキャップは、今回の1月の追加登録に間に合わなかったからクラシックレースに出られないのではない。

 そもそも10月に行われる最初の第一回クラシック登録に間に合っていないからダメなのである。

 では、何故最初の第一回クラシック登録に間に合っていないか。

 それは、単純。

 

 オグリキャップに中央移籍の話が初めて持ち上がったのは『中京杯』——10月14日。

 

 最初からもう、間に合っていない。

 中央所属のウマ娘とは違い、地方のウマ娘はURAや学園側から登録の勧告などもされない。

 当時、北原トレーナー達がクラシック登録どころの話ではなかった以前に、これは同情の余地があるだろう。

 

 ハイセイコーとの違いはそこだ。

 彼女の場合、中央移籍の話が上がっていたのは、なんとデビューする前から。

 そしてその期待に違わない化け物っぷり。

 初戦メイクデビュー。大井史上初1000m1分切りのレコード。

 2戦目。16バ身差の蹂躙。

 7月頃には、もう本格的に中央移籍の話が具体性を帯びていた。

 

 ——ダービーに勝つとは言いません。でもダービーに出られるぐらいの素質があると思います。

 

 彼女のトレーナーがそう言った。

 当時は完全に、地方は中央の下としか見られていなかった時代でしかなく、またハイセイコーも一介の地方ウマ娘でしかなかった頃に。

 ハイセイコーよりも早く中央移籍の話が上がったウマ娘が過去未来現在に於いて存在しないのは、そういうところが大きい。

 

 だからオグリキャップに助言したところで、正直どうしようもない。

 何ならオグリキャップに中央移籍の話が挙がった10月14日は、トレーナーの件で悩んでいたシンボリエウロスの問題がようやく解決し、樫本理子と契約を結んだ直後である。

 つまり他人の事を何とかする余裕がない。そもそもオグリキャップと接点がないし、話が通る訳もない。

 

 ——全てのウマ娘に幸福を。

 

「…………………」

 

 それでも……それでも何かしらの方法はあった。だから変えられた。

 と言われたら、恐らくそうなのだろう。

 少なくともこの問題を唯一解決に導けるだろう存在は、きっと自分だった。

 なのに、解決する為に最善を尽くさなかった。

 それはオグリキャップを契機に、クラシック登録の在り方にURAと世間が疑問を抱いて欲しかったから。

 

 オグリキャップ。

 常識もルールも敵だった。

 だから、常識もルールも覆した。

 

 クラシック追加登録。

 

 後に生まれたこの制度は、オグリキャップがクラシックレースに出られなかったから生まれた部分が非常に大きい。

 歴史。その大きな運河。まず以って動かないだろうそれが動くには、相応の理由がいる。

 逆に言えば、オグリキャップの生き様と功績が、数百年近く過去を遡る歴史を動かしたのだ。

 

 ではそのクラシック追加登録がもしも出来なかったら、どうなるか。

 

 まず追加登録が出来てから、その制度でクラシックレースに出走するウマ娘はほぼ毎年数名近くいる。

 そして追加登録からクラシックレースを制したのは6名。その中でも異彩を放つのはきっと2人。

 

 テイエムオペラオー。

 

 G1勝利数最多記録タイ、7。

 シニア1年間8戦全勝。

 年間記録として史上最多のGI競走5勝。

 JRA賞としては史上初、シンボリルドルフ以来となる年度代表馬、満票。

 17年間破られなかった獲得賞金額約18億3500万。

 

 キタサンブラック。

 

 G1勝利数最多記録タイ、7。

 3つある逃げの勝ち筋、その1つの完成形。

 怪我が多く、不安定になりやすい逃げで一度も怪我らしい怪我をしなかった無事之名馬。

 タップダンスシチー以来14年振りとなる、天皇賞(春)、ジャパンカップ逃げ切り。

 ダイワスカーレット以来9年振り、有馬記念逃げ切り。

 芝3200m世界レコード。3:12.5。

 17年間の時を経て、テイエムオペラオーの獲得賞金額を初めて超えた約18億7600万。

 

 他にも名を挙げるなら、追加登録制度で最もドラマチックな勝利を上げたヒシミラクル。芝3000m世界レコードのトーホウジャッカルだろうか。

 

 もしも彼ら……いや彼女達がクラシック制度に阻まれたらどうなる?

 分からない。だが、数え切れない数の可能性と夢が終わる。

 だから、全ての可能性を模索せずに諦めた。

 オグリキャップと追加登録を天秤にかけ、後者を選んだ。

 

 

 ——日本ダービーに出させて欲しかった。大外枠だって良かったのに。

 

 

 ……そうやって理論武装すれば、何も思わなかった。

 レースの時のように、斟酌など欠片もなく。

 だが、今回は出来なかった。

 

「………影響、されたかな」

 

 そう。

 だからこれは。

 感傷だ。

 

 クラシック登録とか今後の未来とか関係ない。どうでも良い。私は夢のレースが見たい。

 そうやって後先考えず動いていた若い頃。

 あるウマ娘を日本ダービーに出走させる為、常識もルールも敵に回して、しかし結局何も覆せなかった、過去の古傷。

 あの赤いウマ娘には、夢のレースが与えられなかった。

 

 未だに思う。

 もしもあの時、あの赤いウマ娘が日本ダービーに出ていたら、どうなっていたんだろうって。

 

「過去は振り返らない主義なんだけどな、全く」

「えっと……どうしました?」

「いえ。最近の私は少し我儘になったみたいだなと」

「はい………?」

 

 オグリキャップを日本ダービーに出す。

 クラシック追加登録を生まれさせる。

 この両方は、極論で言えば相反しない。

 

 今年の日本ダービーが施行されるまでに、追加登録制度を作り出せば良いから。

 

 もしもそれが叶うなら、オグリキャップを追加登録で日本ダービーに出せる。

 当然、極論は極論。

 まず以って成立する訳がない。

 だが制度の明確な具体案がある。規則の整備の仕方も知っている。

 

 唯一自分だけが、全てを、知っている。

 

 だから後は、この極論の通し方だけだ。

 URAと世間を動かし切れるか。

 今度は……二回目となる今度は、当事者として一手も間違いをする事なく詰め切れるのか。

 

 そしてこの極論で、目下最大の障害になるのが……シンボリエウロスである。

 

 もしもクラシックレースに出ていたら、オグリキャップは三冠を取っていた。

 そうじゃなくても、皐月賞と日本ダービーは勝っていた。

 世間がそう認識したからこそ、クラシック登録問題が大きく表面化したのだ。

 オグリキャップが中心となったこの時代に於いて、三冠有力候補など邪魔でしかない。

 

「……あぁー…………それでも本当に」

 

 吐き気がするほど、負けたくない。

 全てを擲ってでも三冠が欲しい。

 

 難儀である。ついでに我儘だ。

 正直オグリキャップの事を考えている余裕はほとんどない。

 何せオグリキャップ以外にも修羅か悪鬼羅刹しかいないような世代である。

 

「嫌だけど……頼るか」

 

 協力がいる。

 こればかりは自分一人ではどうにもならない。

 URAと世間を動す為にも。

 

『はーい! エウロスちゃんが電話を寄越すなんて珍しいわね? 何かあったの?』

 

 最初に通話をかけたのは赤いウマ娘、マルゼンスキーだった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 シンボリエウロス陣営は、今後の路線をあまり公表しない。

 何よりジュニア級でかなりの連闘を繰り返した彼女が如何なる路線で進むのか判断しにくく、阪神JFでの怪我で休養していたシンボリエウロスがいつから始動するのかはかなり謎だった。

 

 休養からの調整を完璧に済ませてから、皐月賞の前哨戦、3月下旬の『弥生賞』や『スプリングステークス』に出走し、そのままクラシックレースに進む王道路線か。

 或いは今後を見越して、2月上旬・中旬に行なわれる『共同通信杯』や『きさらぎ賞』に早期出走するのか。

 

 休養時間を考えたら恐らく前者。

 しかしシンボリエウロスのジュニア級のそれと比べたら、普通にまだ常識の範囲内にある後者の路線を否定出来ない。

 

 ——今から凡そ1ヶ月後、2/14。私はとあるレースに出走します。

 

 教室内で、オグリキャップを挑発するように口にしたそれを"彼女"は聞いていた。

 あの発言は、シンボリエウロスらしくはない。

 軽率、という訳ではないが、彼女の行動理念からは少しぶれる。

 あれは、隙だ。

 難攻不落な精神をしていた筈のシンボリエウロスが初めて見せた隙。

 

「トレーナーさん」

 

 スーパークリーク。

 静かに、しかし勢い良くトレーナー寮の一室に足を踏み入れた彼女の右手には、とあるレースの出走申込表がある。

 

「クリーク?」

「ごめんなさい……出走予定のレースを急に変更する事になるのですが、私をこのレースに出して貰えませんか?」

 

 捧げるように差し出されたその紙には、こう記載されている。

 

『2/14。G3共同通信杯。芝1800m。東京レース場』

 

「……分かった。今から対策を始めよう」

 

 奈瀬 文乃。

 現19歳。未成年。

 最年少でトレーナーとなった天才。

 

 スーパークリーク。

 近代型ステイヤーの始祖。

 天才を天才にしたウマ娘。

 

 灰被りではない。

 だがガラスの脚をしたシンデレラが、静かに産声を上げる。

 

 後にその時代はこう呼ばれる。

 トゥインクル・シリーズ史上最も荒れたクラシック戦線、と。

 だがその始まりはクラシックレースではなく『共同通信杯』から始まった。

 





⚪︎奈瀬 文乃
 誕生日 : 3月15日。
 身長150cm。
 スーパークリークのトレーナー。
 豪殻果断。
 女性ファンが多い。
 シンデレラグレイより。

⚪︎オグリキャップに中央移籍の話が初めて持ち上がったのは『中京杯』——10月14日。
 史実的には、中央移籍の話が大きく本格化したのが10月14日の中京杯からで、それ以前にも中央移籍の話は何件か来ていた模様。
 ただやはり、第一回目のクラシック登録を考えると厳しいものがある。
 
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