中央トレセン学園には、ファン感謝祭というものがある。
1年に2回。春と秋に行われ、そのまま『春のファン大感謝祭』と『秋のファン感謝祭』と呼ばれる。
秋のファン感謝祭は、同じく秋に行われる駿大祭との繋がりがあるからか『聖蹄祭』とも呼ばれるが大きな違いはない。
どちらも中央トレセン学園に通うウマ娘達が、自らを応援するファンに向けて催し物を企画する一大イベントでもある。
そして春のファン感謝祭は、これから中央トレセン学園に通うウマ娘に向けた宣伝や見学会のような意味も持つ。
要はオープンキャンパスに近い。
ここで未来の優駿達は中央トレセンの校風や現役のウマ娘達の活躍を知り、或いは夢や目標のウマ娘から貴重な体験談を聞く事が出来るという訳だ。
2月の入試試験に受かり中央トレセンに入学が決まった新入生は疎か、いつか中央に入学するのが夢のウマ娘達も、ほぼ大抵はファン感謝祭には足を運んでいる。
「もうすぐクラシックレースが始まる時期ですが、その前に春のファン感謝祭も近付いています。このクラスでは——」
シンボリエウロスのクラスでも、最近はその話で持ち切りだった。
春のファン感謝祭は名の通り春から行われる。が、クラシックレースも春から始まる。
無論、当たり前だが新学期も春から始まる。
故にクラシックレースの始まりは新たな世代の始まりと言っても過言ではないし、春のファン感謝祭はその事前準備と言っても良い。
ただ、大事な時期でもあるので被ってもいけない。
クラシックレースの初戦。
一冠目、皐月賞。4月中旬の第二日曜日か、第三日曜日に施行される本レースは、今年は4/17に執り行われる事がURAの発表で決まった。
故に春のファン感謝祭は皐月賞よりも前に行われる事になる。
ただ、土日には行われない。
中央のレースは、基本的に土日にしかないからだ。
「——という訳で、このクラスでは執事喫茶をやる事に決まりました!!」
そういう事を改めて教師から説明され、今年の春のファン感謝祭は4/1という、キリの良い日で行われる事も聞き、そして最終的にはそういう事になった。
春のファン感謝祭は体育系の催しが多いが、文化系のものがない訳ではない。
一応、オープンキャンパス的な意味合いを持つのだ。そういうモノも必要という話である。
メイド喫茶ではないのか、ともなるが、実は執事喫茶はかなり人気が高い。
宝塚歌劇団を見る女性ファンのような形で、執事喫茶は女性ファン獲得の一翼を担っている。
「ところでシンボリエウロスさん……」
「……………?」
話がほとんど纏まって来た段階で、急に話を振られたシンボリエウロスが訝しむ。
余談だがシンボリエウロスは生まれ持っての難病故に、中央トレセンに入学するまで家から外に出た事がない。
必然的にファン感謝祭にも参加した事がない。
ので、あまり感覚の分からない彼女は話にほとんど参加していない。
面倒だから、別に要らないから、という理由でいつものような深窓の令嬢をやっているのでなく、単純に話に付いていくのを優先して何となくで話を聞いているだけだった。
全く同じ理由で、シンボリエウロスの前席に座るオグリキャップも同じ事が言えるのだが、話を振られたのはシンボリエウロスだけだった。
「エウロスさんは阪神JFでウイニング・ライブを怪我を理由に辞退しています、よね?」
「はい」
あぁ、なるほどと、少し考え込んだ後に頷く。
仕方なかった面が多いとはいえ、何かしらの形で埋め合わせをしたいと考えていた事は事実だ。
ただ同じく怪我で辞退したが休養期間が異なるディクタストライカと一緒に、何らかのイベントを行うのか、または別々に行うのかの打診は全然来ていない。
恐らく、ディクタストライカの故障はまだ完治していないのが理由なのだろう、とおおよその推測はしつつ諸々の疑問の追求を一旦止めた彼女は、取り敢えず頷いた。
「今回のファン感謝祭で、エウロスさんはG1の勝負服でクラスの催し等を行うのはどうかとURAから打診が来ているのですが……」
勝負服で、ファン感謝祭の催し。
ざわつく。尚ざわついているのは周りのクラスメイトであり、シンボリエウロスは黙ったままである。
ただ何処となく、その静寂と鉄面皮も少し硬さを感じなくもない。
「つまりは、えっと……勝負服で執事喫茶を………」
「…………………」
そういう事になった。
何故か反対意見は上がらなかった。
「えっと……エウロス? そんなに嫌なのか?」
「いや……」
「そうか、嫌なのか……!」
「いえそういう意味じゃなくて」
なら私で良ければ力になろう……! と立ち上がるオグリキャップを宥めるシンボリエウロス。
最近のカフェテリアでは良く見られるようになった構図は、今日も繰り広げられている。
新たなトレーナーが出来てからは、シンボリエウロスはカフェテリアを利用しなくなった。
そんな彼女がカフェテリアを利用している訳は、当然ながら春のファン感謝祭が理由である。
中央トレセンのファン感謝祭は、かなりレベルが高い。
今回の彼女達のクラスで言うのなら、執事喫茶とは言っているが接客以外にも料理を作るのにもウマ娘達は関わる。
また紆余曲折あって、一つの教室貸切から、食べ放題を謳っているカフェテリアの食堂とも連携し当日このフロアが一般開放される予定に変更される事になった。
故にシンボリエウロスは、トレーナーからの許可や食事メニューの表を受けた上で、現在カフェテリアで食事をしている。
そして、いつもなら孤高であったシンボリエウロスに必ず近くの席に座って付き従うのがオグリキャップであった。
「(…………懐かれた)」
想像以上に。
しかも恐らく、無条件の信頼。
きっとシンボリエウロスが言っているのだから、全て正しいに違いないというレベルの信頼をオグリキャップは向けている。
最大の敵。自分を負かした相手。
しかも愛想は良い方じゃないし、自分は貴方の敵だと宣言したし、何ならクラシック登録問題の話で決定的に突き放した。まぁまぁ脅してもいる気もする。
そんなウマ娘に対して、どうしてこうも懐いてくるのか。
「(…………まぁいっか)」
恐らくは、自分が今後の指針の一つになっているからなのだとは思う。
まだ中央の事を知らない時期に出会ったのも、理由の一つなのかもしれない。
深く考えるのを止めたシンボリエウロスの目の前では、自分のそれとは比べ物にならない量のご飯を食べているオグリキャップがいる。
「少し恥ずかしいなと。倒錯的で」
相性は、まぁ悪くはないのだろう。
だが執事というと、やはり黒服だ。
シンボリエウロスの勝負服は、姉の『皇帝』を意識しまくりの勝負服である。
煌びやかな装飾と、緑色を基調とした重厚感のある軍服。
君臨する側、という印象を受ける礼服。
そんな君臨をイメージする服装で、逆に恭しく執事業務に専念する。
少し倒錯的な印象がしてならない。
「…………?」
そういう事を伝えられている中、オグリキャップは器用に、食事の手を止めずに首を傾ける。
「………私の勝負服はこれです」
オグリキャップは勝負服というモノに実感がない。
勝負服。G1でしか着る事が出来ない特殊な装い。
地方でも勝負服はあるが、同じくSP1などの世界でしか着る事が出来ない。
よって彼女は、そういうモノもあるのかくらいの感覚で話を聞いていた。
何よりシンボリエウロスに恥ずかしいなんて感情があったのか、ともオグリキャップは思っている。
クラシック登録のような、権威や歴史の話だろうか。
神事の際にしか着る事が出来ない巫女服を、ただのイベントで着るのは良くないみたいな、と想像していたオグリキャップの前に差し出された携帯。
画面には勝負服を来たシンボリエウロスがいる。
「(これがエウロスの勝負——)」
重厚で、細やかな装飾が施された勝負服。
執事喫茶には合わないのではないかというのは、まぁ分かる。
だがそれよりも、オグリキャップはある一点に目が釘付けになった。
「(………生足)」
そう、そこである。
シンボリエウロスの勝負服と、姉のシンボリルドルフの勝負服の最大の違いがそこだった。
姉の勝負服はスカート。丈は中央トレセンよりも短い。代わりにニーソックスを履いている。
対し妹は騎士のサーコートに近いタイトスカート。絶対領域はない。代わりに素肌。
ウマ娘は走る。故に風の影響を受ける。
平均時速60km。バイクのライダーがプロテクターを付けずに滑走しているに等しい。
よって、サーコートという面積の多い布地で走ればどうなるか。
当然ながら、それはもう捲れる。
しかも妹は、姉のようにニーソックスを履いていない。
走り難くなるのを考慮してか前側の布地が短め——要はメジロラモーヌの勝負服に近い形をしているのもあって、それは顕著だった。
これで、空を飛ぶなんて言われている走りをしているのだからもう、恐ろしい事この上ない。
「どうです? 少し恥ずかしい気がしませんか?」
「確かに恥ずかしいが………」
「………はい。私一人だけが勝負服というのも、ちょっと」
「(そこか? いやそこじゃなくないか?)」
オグリキャップ。
中央トレセンの制服のスカートは、すーすーして落ち着かないし恥ずかしいから、ジャージの方が落ち着くタイプ。
常に腰布一枚で生活するのなんて正気の沙汰じゃない、と言ったらベルノライトに怒られた、年頃のウマ娘である。
「……………」
オグリキャップは悩んでいた。
思わず食事の手が止まるくらいに悩み、瞳がぐるぐると渦を巻いた後、呻くように何とか言葉を絞り出す。
「……でも、カッコイイ、と思う」
「カッコイイ……」
「ほら、あれだ……! 一人だけ服装が違うのも、オーナーみたいで良いじゃないか!?」
——オーナーは、こんな服装をするものか?
オグリキャップの理性の部分がそう言っている中、彼女は彼女らしからぬ機転を見せる。
そして当の本人は、自らの勝負服を改めて眺めていた。
「なるほど」
何がなるほどだったのか分からないが、納得したらしい。
もしかしたらエウロスは少し天然なのかもしれないな、と思いつつ、ほっとしたオグリキャップは食事を再開した。
——仲良いな。
周囲のウマ娘達は、そう思った。
傍から見て、シンボリエウロスとオグリキャップの二人はとても友好的だった。
片や、生まれも育ちも選別された血統。片や、生まれも育ちも片田舎の寒門。
隔てる壁は幾らでもあろうものだが、そんな様子は何処にもない。
新年……というよりも最近、シンボリエウロスの友人関係が変化を見せるようになってからは、余計にそう感じられるものだった。
彼女と仲の良かったスーパークリークは、何処となく距離を置くようになった。
バンブーメモリーは最近元気がないのか、シンボリエウロス以外ともあまり話が弾んでいない。
そんな中で、突如現れたオグリキャップ。
日本ダービーに出してくれ、という不心得な発言もあってか、オグリキャップは周囲からはあまり気に入られていない。
また、クラスメイトから見ても友好的かどうかは微妙な立場にいるとはいえ、孤高の天才に近い雰囲気を醸し出しているエウロスに、オグリキャップは見た目馴れ馴れしく接している。
ここで例えるなら、礼儀知らずのヒロインを排斥しに動く悪役令嬢とその取り巻き達——言わばシンデレラ的ストーリーの序章が展開されそうなものだが、全くそんな事はなかった。
根本的に彼女達ウマ娘は良い子であり、更には強さにも敏感である。
オグリキャップ。中央の初戦で2着。
あの子がいなければ。
そんな仮定は基本ウマ娘レースにて意味がないものだが、それでも話をしてしまいたくなるのがウマ娘レースである。
もしも共同通信杯にシンボリエウロスがいなければ、オグリキャップが1着だった。
未成熟の怪物。
もしかしたらこのウマ娘は、恐ろしい存在なのではないか。
周囲の反応は疎か耳の早い一部メディアや世間が、本来よりも早くそれを認識し始めている中、現在のオグリキャップはシンボリエウロス同様、若干周囲から距離を置かれている。
「………………」
そして、その距離の詰め方を悩んでいるウマ娘、ヤエノムテキ。
彼女は率直に言って、オグリキャップとの会話に悩んでいた。
ともすれば、シンボリエウロスとの会話よりも。
オグリキャップは地方で、やっかみを受けていたらしい。
一応は事実である。
何ならシンボリエウロスも誤解をしているその出来事の真実を、ヤエノムテキが知る由もない。
ただ彼女にとっては、内心で引け目を感じるほど、その事実が重くなっていた。
幼き頃、ヤエノムテキは荒れていた。
気に入らない事があれば力を振るい、故に孤立し、その寂しさを埋める為にまた力を振るう。
気性難。自分で自分を制御出来ない。
同じく気性難であるディクタストライカとの違いは、気性の荒さの方向性が、自分にも他者にも攻撃的であった事だろう。
幼少期の幼さも相まって、過去のヤエノムテキは文字通り手が付けられなかった。
自他を燃やし尽くしても尚足りぬと猛り狂う焔のようなウマ娘だった。
今もきっと、それは変わらない。
何も変わっていない。
見かねた祖父から『金剛八重垣流』の武道を学んだ。
内にて猛る暴の衝動を武道の形に乗せ、制御する術を覚えた。
覚えた、だけだった。
嫉妬。怒り。焦燥感。
気付けば、それは内側から漏れ出している。
オグリキャップにも、激情の一端を向けてしまった。
未熟。
祖父にも、トレーナーである師範代にも、示しが付かない。
ここでヤエノムテキが臆する事なく、オグリキャップと一緒に食を囲めるのなら良かった。
実際に以前シンボリエウロス相手に上手く行った成功体験があるし、何やらオグリキャップは食事に強い関心がある。
それはもしや、家庭環境の問題で満足の行く食事が出来なかったからでは……と、考えたヤエノムテキは祖母から学んでいた料理の腕を活かし、おにぎりを持参している。
噛めば噛むほど甘く、口の中で上品にほどける、釜炊きが決め手のふっくらおにぎりである。
そのおにぎりを、彼女は今日も手に持っている。
渡せば良い。
分かっている。
そこを切り口に、仲を進展させれば良い。
分かっている。
だが、同時に思う。
何をしている——? と。
ヤエノムテキは、焦っていた。
オグリキャップに向けた激情の一端も、焦燥感によるものだ。
ヤエノムテキ、未出走。
それは"先月"までではあったが、彼女はデビューが遅れた。
選抜レースでシンボリエウロスと凌ぎ合い、良く健闘したと、彼女からすれば不本意な形だが評価はされていた。
しかしその評価すら裏切り、ヤエノムテキはジュニア級でデビューが出来ていない。
ヤエノムテキはジュニア級の7月頃にデビューする予定だった。
だが選抜レースの後に発覚した右脚の骨軟骨炎症。
ひいては、足腰の成長が充分ではなかった為、デビューを見送る他なかった。
普通に走るのも難しいかもしれない。
そう言われた。ただの事実だった。
ヤエノムテキはこの一年で少しずつ、しかし確実に評価を落としていた。
その間に、周りはどうだろう。
中心核のシンボリエウロスは未だ中心核。
高すぎる事前評価を一度も落とす事なく、しかも跳ね上げ続けた。
彼女は今文字通り空を飛んでいる。
地方から来た乱入者オグリキャップは、地方では無双に等しい戦績を上げたという。
その証拠も示した。あの強さで可能性の塊だった。
地方で強かったから中央に来たのではなく、中央でようやく収まる器の者が、何故か地方にいたレベルの強さだった。
比較対象にすら挙げられない。
ヤエノムテキは今、世代の中心人物として名を挙げられる事はない。
友好関係を築きたいのは、ある。
だが強者が弱者に向けるような、そういう庇護は嫌だった。
他でもない、ヤエノムテキ自身が。
——喝っ!! 『火水合一』とは己の弱さを否定するものではない! 己の弱さを受け入れ、それでも尚強さを求めるのならば、己を偽るなヤエノムテキ!!
「………装う事なかれ。臆する事なかれ。己の中にある輝きを絶やすな。熱さを静めるな」
それは周囲を撃破し勝ち抜くための、無敵の力となるものだから。
荒ぶる猛き本能、『烈火』。
流れを整え御する理性、『止水』。
二つを合わせ、八重垣の『形』に乗せる。
これ即ち、金剛八重垣流極意『火水合一』なり。
昂ぶる熱がなければ、『火水合一』には足り得ない。
師は確かに、そう言っていた筈だ。
ならば、この醜いと感じている感情を拒絶するばかりでは、私は何にもなれない。
「——エウロスさん。オグリさん。お食事中失礼致します」
立ち上がったヤエノムテキは、密かにしたためていた二枚の果たし状を胸に足を進める。
向かう先は一直線。
悩みはすれど一度決めた道にブレがない歩みの悠然さを、以前にも見たウマ娘達は多かっただろう。
それは過去、凡そ1年前に行われたやり取りのように。
「……………?」
「…………んん?」
最近感情が出て来た瞳と、頬をめいっぱい膨らませたリスのような瞳が、此方を向く。
両者とも武道の心得は受けていない。火水合一の構えも知らない。
しかしどちら共、次の瞬間には燃え上げる事の出来る熱と、それを御する理性を確かに持っている。
一人は、冷たさすら伴う静寂を以って。一人は、無我に近い寛容を以って。
ヤエノムテキはそれを感じ取っていた。
「御二人方は、今より18日後に行われる『弥生賞』に出走なさるとお聞きしました。私も、そこに出走致します」
臆することなく、二つの果たし状を静かに叩き付ける。
「どうか、その胸を御借り頂きたく」
1年近く前に行われたそれとは違い、彼女は頭を下げていた。
そこにヤエノムテキの心情の違いがある事は確かではある。
だが内に持つ闘争心だけは、毛ほども違いはないだろう。
ヤエノムテキが『弥生賞』に出走する事を決めた。
⚪︎春のファン感謝祭。
正確な開催時期は不明。
ただアプリでは4月前半の固有イベントとして発生する。
じゃあ行われているの新学期前では? という推測から設定に肉付けしたのが本作。
○執事喫茶
アニメ1期のチームリギルが行っていたアレのような感じ。
尚アニメ1期のファン感謝祭は秋に行われていたが、1期時点では春のファン感謝祭・秋ファン感謝祭の区別がなく、また開催場所等アプリ内とは設定が異なる。