有効射程距離25バ身   作:sabu

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2/17 部室・次走選択

 

「ろっぺい。私は『弥生賞』に出るぞ」

「ダメだ」

 

 前にもこのやり取りを見た気がするなぁ……。

 そう思うベルノライトの隣、自らの部室に戻って来たオグリキャップは、三段重ねの大きなお櫃を抱えている。

 

「な、なぜだ!? 折角こんなにおにぎりを貰ってしまったというのに!!?」

 

 ——これはほんの寸志の品になりますが、どうぞお納めください。

 

 果たし状を叩きつけ、胸を御借し頂きたくと告げたヤエノムテキはその後、二人の是非を聞く前にそう言った。

 慇懃ながら、無礼。返事は聞かない。

 それは初対面で左手の握手を求めるような、彼女なりの宣戦布告の表れであったが、オグリキャップはそういう裏のやり取りや思惑が何も分からない。天然である。

 

 ——これは菓子折りという奴か………!

 

 だが彼女には、他ならぬそれだけが分かった。

 弁明をするならば、間違ってはいない。

 宣戦布告の意味で手渡してはいるが、所在を失いかけた友好の証であるおにぎりを貰って欲しかったとヤエノムテキは確かに思っている。

 

 ともかくオグリキャップにとって大事なのは、ヤエノムテキがくれたこのおにぎりは、とても美味だという事だった。

 

 噛めば噛むほど甘く、鼻から抜ける芳醇なお米の香りに感動している内に、口中で解けて広がる米の粒。

 匂い。食感。噛んだ後の舌触り。

 食べるという事は、味が全てではない。

 食の何たるかと言う事を、このおにぎりは原初に立ち返り全てを教えてくれる。

 無論、味が見劣りしている訳ではない。

 味は塩。それ一つ。

 それだけだ。だがそれが良い。

 きっと、このふっくらとした塩むすびには、他には何も要らぬのだ。

 

「こんな美味しい物を貰っておいて……私は何も返せないのか………」

 

 オグリキャップは、ここまで美味しいおにぎりを食べた事がなかった。

 この塩むすびを握れる者は、とても優しく、温かく、そして人を想いやれる。

 そんな者にしか、絶対に作れない。何故なら、お母さんが作ってくれたおにぎりがそうだったから。

 だからヤエノムテキは、今まで出会って来たウマ娘達の中でも、飛び切りに良い子なのだ。

 

 そんな彼女の期待を裏切る事が、本当に心苦しい。

 オグリキャップは、老舗でしか見ないような黒光りのお櫃三段重ねに入った塩むすび計三十個を抱えながら愕然とする他ない。

 

「あぁなるほど………その意味の分からんもんは、そう言う事か」

 

 と、諸々の反応と様子から、六平トレーナーは色々と状況を察した。 

 今度は物で釣られてんじゃねぇよ、と呟きながら。

 

「取り敢えずいったん座れ。お前もな」

 

 中央に在校するウマ娘全体のレベルの差と育ちの良さを、明らかに高級そうなお櫃から感じ取っていたベルノライトにも着席を促す。

 

「まずオグリキャップ。お前が弥生賞に出たいのはシンボリエウロスがいるからだな?」

「あぁ、その通りだ」

「なら意味がない。恐らく……というかほぼだから言い切っちまうが、シンボリエウロスは弥生賞に出ない」

「……だが」

 

 エウロスは弥生賞に出ると……と言ったところで思い出す。

 シンボリエウロスは、弥生賞を叩かないのなら、そのままクラシック一冠目の『皐月賞』に進むと。

 

「なぁ、叩くとは何だ」

「休み明けにレースに出走する事だ。試験走として使う場合にも使用したりする事がある。ただシンボリエウロスは、既に共同通信杯を叩きに使っている」

 

 同条件。同距離。皐月賞の前哨戦として最も相応しいのは、同じレース場で開催される弥生賞である事は間違いないだろう。

 ただ別に、前哨戦は他にもある。

 それが先の共同通信杯。他には『きさらぎ賞』『若葉賞』『スプリングS』等、路線はある。

 そう言ったレースを勝ってから皐月賞に来るウマ娘は多い。

 

 だが、このレースを複数出て皐月賞に向かうウマ娘はまずいない。

 

 理由として、疲労が溜まるからだ。

 調整や試験、自らがクラシックG1に通用するのかを測るのは良い。

 だがそれで本命のクラシックG1に出る頃には疲れ果てては意味がない。

 だからシンボリエウロスが弥生賞を叩くとは考えられない。

 

「(懸念点は、アレのジュニア期の明らかな過出走と……トレーナーの腕か)」

 

 名義変更から、新しくシンボリエウロスのトレーナーとなったあのURAからの人物。

 彼女は、ウマ娘の体調を適切に測り、疲労を取るのが果てしなく上手い。

 ウマ娘に怪我をさせない。それは常に、出走が可能な状態でいさせる事に特化しているとも言える。

 

 場合によっては、あり得る。

 

 事実、かのシンザンは公式レースをトレーニング代わりに使っていた。

 だが怪我明けで32.8の上がりを出したシンボリエウロスが、未だ調整が済んでいないとは思い難く、またシンザンがトレーニングに使ったのはOPクラスである。

 ジュニア級ならまだ分かるが、シンザンと違い無敗に拘っているエウロスが、重賞の中でも特にレベルが高いレースを、未だ調整に使うとは思えなかった。

 故に六平トレーナーは、大胆に割り切った。

 

「そしてここで問題になるのが、お前の路線だ」

「私の?」

「あぁ。ここで聞くが、お前は弥生賞にシンボリエウロスが来ないとするなら、次はどのレースに出る?」

 

 それは、次にエウロスが出るレース。

 つまり——皐月賞。

 

「しかしお前はクラシックレースに出れない。出る為には、もしもクラシックレースに出ていたら必ずオグリキャップが勝っていたと誰からも呼ばれるような強さを示し、世間を動かす必要がある。その手段としてお前はシンボリエウロスに拘っている訳だが、肝心のアイツがクラシックレースに出る訳だ」

 

 クラシックレースに出る為に、シンボリエウロスを倒す。

 その為にクラシックレースに出る必要がある。

 矛盾。本末転倒。その論理は成立しない。

 

「なら皐月賞の次が——」

「——日本ダービー………」

 

 隣で、ベルノライトが呟いた。

 

 4/17。皐月賞。クラシック一冠目。

 5/29。日本ダービー。クラシック二冠目。

 

 時間の空白は、僅か1ヶ月と少し。

 ウマ娘がレースとレースの間に挟む休息時間の、ほぼほぼの限界。

 シンボリエウロスは一切の空白を挟む事なくクラシックレースの二冠を進む。

 

 そしてオグリキャップの目標は、日本ダービー。

 

「間に、合わない——?」

「そうだ。シンボリエウロスを倒し、世間を認めさせるという方法は通用しない。そもそもアイツは、これから本格的にクラシック戦線を進むからな。念の為これも言うが、皐月とダービーの間にアレが何らかのレースを叩く可能性は、弥生賞にも来る可能性以上にあり得ない」

 

 昔は、皐月とダービーの間に出走する事はあった。

 だがそれは、皐月とダービーの間の時間が今よりも多少長かったセントライト時代近辺の話であり、今は中々あり得ない。

 この途中に適当なOPクラスを挟んでトレーニング代わりにしたのが例のシンザンな訳だが、既に当時としてもこれはあり得ないローテーション且つ目的の非情さが大きな非難を生んだのであって、非常識な事に変わりはない。

 

 一応、日本ダービーの前哨戦枠の一つに『NHK杯』はある。今年は5/8に施行される。

 ハイセイコーやカブラヤオー。近年ではカツラギエースと言ったウマ娘が、皐月とダービーの間にNHK杯を挟んでいる。

 ただシンボリエウロスはあれで1ヶ月に凡そ1レースを守って来たウマ娘であり、尚且つ姉のシンボリルドルフがNHK杯を叩いていない。

 

 シンボリエウロスは恐らく皐月賞→日本ダービーの次に、前哨戦の『神戸新聞杯』か『京都新聞杯』を叩いて、三冠目の菊花賞に進む。

 他ならぬ姉がそうしたし、姉など関係なしにクラシック三冠路線の王道中の王道が、その路線だった。

 ジュニア期の過出走に目を逸らせば、アレはアレで中々基本に忠実だし、王道路線で進んでいる。

 

「どうすれば良いんだ………?」

 

 つまり王道から外れた位置にいるオグリキャップに一切の隙がない。

 このままではどうやっても、日本ダービーに間に合わない。

 頭を抱えたオグリキャップに答えを出したのは、やはり六平トレーナーだった。

 

「簡単だ。シンボリエウロスなんか関係なく、こんな強いウマ娘が日本ダービーの挑戦権が与えられないのはおかしいと思わせるくらい、強い勝ち方をすれば良い」

 

 もっとも、その兆しが既に出ているらしい事を六平トレーナーは知っている。

 先日の共同通信杯にて、地方から来たウマ娘が2着。持ち味の末脚の切れ味も規格外。

 何より最後の1Fシンボリエウロスに並んだ。

 

 六平トレーナーからすれば、勝てて凄いではなく敵になれて凄いという若干の不服を感じる形ではあるが、オグリキャップは密かに、しかし確実に注目を受けている。

 後はこの注目を如何に適切な形で大きくするかだ。

 

「まずは2000m。皐月賞に出ていれば……と思せられれば御の字だ。その条件としては弥生賞が最も適切ではあるが、本命はダービー。シンボリエウロスが弥生賞に来ても来なくても目的を達成する為なら、ここではなく3/27の『毎日杯』にまず出走したい」

 

 後は現実的な話で、獲得賞金額の問題がある。

 レースの出走登録は獲得賞金額が高い方からされる訳だが、現在のオグリキャップの獲得賞金額は、日本ダービーに間違いなく出られるというラインではない。

 何とか規則は動かせても、獲得賞金額が下から数えてすぐだったので除外されました、抽選枠に受かりませんでしたは全く笑えないだろう。

 故に皐月賞を視野に入れた強豪が集まる弥生賞ではなく、少し路線をずらした毎日杯にオグリキャップを出し、確実に足場を固めていきたいのだ。

 

「なるほど。その次のレースの方が大事という訳だな」

「そうだ。………ところでオグリ。お前、ウマ娘レースの格言は何か知っているか?」

「? いや知らない」

 

 横でベルノライトが、もしかして『芦毛は走らない』の話を……?

 という表情をしているのを、彼は視線で制した。

 

 確かに一部そういう言葉を利用する思惑もある。

 だが彼はそれをオグリキャップには聞かせなかった。

 このジンクスは、はっきり言って良い言葉ではないからだ。

 

 ウマ娘レースに於けるジンクスは多い。

 良いも悪いもなく。

 無論、ただの事実もある。

 

「『青葉賞を勝ったウマ娘は、日本ダービーに勝てない』。こんな言葉がある」

「え………ダメじゃないか?」

「いいや、ダメじゃない。多くの格言は正しいか間違っているかを抜きにしても、その言葉が生まれるに足る理由がある」

 

 だから別に、ウマ娘の世界のジンクスなんて、何一つ怖いものなどない。

 例えば『府中千八展開要らず』のように。

 

「こんなジンクス、お前がぶっ壊しちまえ」

 

 4/29。青葉賞。ダービー指定オープン。

 或いはダービートライアルと呼ばれる本レースは、日本ダービーと同じレース場、同じ距離、同条件で行われる。

 上位3着までに日本ダービーへの優先出走権が与えられる本レースだが、設立以来このレースを勝ってダービーを制したウマ娘はただの一人として存在しない。

 

 このジンクスを利用する。

 少なくとも、青葉賞を勝てばダービーへの優先出走権が貰えるのに、当のウマ娘がクラシック登録に阻まれて出られないという状態に、異議と疑問は噴出させられる。

 

 毎日杯→青葉賞→日本ダービー。

 

 この路線が、オグリキャップが日本ダービーに出る為の恐らく最善だろうと六平トレーナーは考えていた。

 

「オグリキャップ。毎日杯も青葉賞も当然1着は最低条件だ。ここで負けるようなら話にならん」

「あぁ、分かってる」

 

 ハードルは高い。

 だがオグリキャップは当たり前のように頷いた。

 日本ダービーに出たいのではなく、日本ダービーを勝ちたいのだから、この程度のハードルも越えられないのなら、それは無理だと悟っていた。

 

「そして、これも付け加えておく。——レコードタイムで勝て」

「………あぁ」

 

 奇しくもそれは、シンボリエウロスとほぼ同じ志であった。

 早速トレーニングに入る事になったオグリキャップは、その日以降ラップタイムと勝ち時計を意識した練習に育む事になる。

 

 春が近付いて来ている。

 

 新学期。新たな新入生が中央の門を開き、彼女達が先輩という立場になるまでもう少し。

 春のファン感謝祭も控えている。

 そしてクラシックレースは、その先にある。

 春を迎え切るまで、シンボリエウロスは動かない。

 

 きっと、ほとんどの誰もがそう思っていた。

 故にその選択は、実際に報道され彼女自身の口から発表されるまで、推測出来た者はいなかった。

 

 シンボリエウロスが『弥生賞』への出走を決めた。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 

「出ないんですね」

 

 ——オグリキャップ。

 呟いたシンボリエウロスの手元には弥生賞の登録表がある。出走表ではない。

 まだ正式に枠番や事前人気が決まってはいないのだ。

 ただこの時点の仮登録がない時点で、オグリキャップは弥生賞には出ないという事は確定している。

 

 何となく、来ると思っていた。

 ヤエノムテキに果し合いを望まれたのは抜きにしても、弥生賞に出ればほぼほぼ必然的に皐月賞の流れになり、世間に訴えかけられるから。

 無論、六平トレーナーがクラシック登録の問題を考え、出られるか分からないレースを主軸にした路線を薦めなかった可能性は大いにあるが、であるなら共同通信杯に来た理由に説得性がない。

 

 方針の転換か、連闘気味になるのを嫌ったか、或いは別の考えがあるのか。

 幾つかの可能性は浮かべど、確信に至るだけのものはなかった。

 

「ただ警戒すべき相手が減ったのは確かです。出走するウマ娘達の能力を今一度確かめ、対策とこれからのトレーニングを決めていきましょう」

「はい」

 

 樫本理子の言葉に、シンボリエウロスは登録表を持ちながら向き直った。

 

「まずはサクラチヨノオー。共同通信杯の結果を重く見たのか、彼女も弥生賞の参戦を決めています。クラシックレースの前に、今一度弾みを付けたいという心持ちでしょう。登録序列は貴方に次ぐ2番目。共同通信杯でやや評価を落とした傾向にありますが、依然として彼女がこの世代の中心人物である事に変わりなく、基本的に油断も隙もありません」

「チヨさんのトレーナーは?」

「展開に乗れなかったのもそうだが、それでも普段のサクラチヨノオーならもっと良い走りが出来る筈だった。敗因は軽めのトレーニングを施し調整を優先させた自分にある、と」

「ふむ」

 

 なるほど、確かにとシンボリエウロスは頷いた。

 サクラチヨノオーは末脚を勝負の決め手にするタイプではないが、彼女は朝日杯FSで何気に上がり3F35.7秒を記録している。

 もっともその一因として今年度………正確には去年の朝日杯FSは、最低出走人数となる6名で施行されたのがある。

 

 スタートから最後まで順位の変動がほぼなく、6名による並走トレーニングじみた状態に陥った故の上がり。

 道中で消耗を強要されるようなレース展開の妙は起こらず、ブロックになるウマ娘もおらず、故に速い末脚を出せた。

 

 しかしそれでも、超スローペースになった共同通信杯でサクラチヨノオーが上がり36.0秒を切れなかった理由として些か物足りない。

 なるほど"騎乗"ミスと"調教"不足だな。

 と、他者に聞かせても上手く伝わらないだろう事を彼女は内心で考えながら、エウロスはトレーナーを促した。

 

「次は登録序列3番目のトウショウマリオ……と行きたいところですが、貴方の場合は次のウマ娘の方が重要でしょう」

 

 トウショウマリオ。4戦2勝。

 

 メイクデビュー戦は年に約300回。未勝利戦は約1200回。

 ピラミッドの最下層帯故にかなりの回数が行われる本レースにて、トウショウマリオはなんとメイクデビュー戦であのディクタストライカとぶち当たった。

 

 結果、彼女は9バ身差の2着。

 その9バ身という数字に気後れしたか、続く未勝利戦も2着と勝ち切れず敗退。

 約3ヶ月の間を置き、次の未勝利戦を勝利した彼女は何と、1勝クラス2勝クラスに進む事なく、いきなりG3へと駒を進めた。

 

 1/10。京成杯。中山・芝・1600mのレースにて、2着のモガミファニーに3½バ身差を付けて勝利。

 

 不運はあるが、順当に強い。

 ただし順当に強いだけなのなら、大きな脅威ではない。

 サクラチヨノオーのような、順当な強さの裏に確かにある素質と覚悟がなければ。

 

 何よりトウショウマリオには、未だ9バ身彼方にいるディクタストライカが焼き付いている。

 そしてそのディクタストライカと真正面からやり合って勝ったシンボリエウロスを彼女は恐れているし、何なら同じクラスメイトなので普通に怯えられている訳だが、まぁそこは良い。

 

 問題はトウショウマリオではなく。

 

「モガミファニー。登録序列4番。共同通信杯にて貴方とオグリキャップに次いだ、3着の追込ウマ娘が同じく参戦を表明しています」

 

 トウショウマリオが京成杯にて破った2着。

 そして前走の共同通信杯で、確実に3着を掻っ攫っていたウマ娘。

 シンボリエウロスとオグリキャップを除けば唯一34秒台の上がりを出したモガミファニー。

 彼女が、再び来ていた。

 

「モガミの子か………」

 

 モガミファニー。

 モガミナイン。

 

 前走の共同通信杯にて3着を手にしたウマ娘と、序盤からレースを引っ張った7着の逃げウマ娘。

 ディクタストライカ、サクラチヨノオー、ヤエノムテキ、メジロアルダン。

 彼女らがこの世代の強豪の訳だが、当然他にもウマ娘はいる。

 そして彼女達、モガミの二人もクラシック戦線の強豪である。

 間違いなく、レース展開に関わる側のウマ娘だ。

 

 何ならクラシック戦線……いや日本ダービーが終わるまでは、ヤエノムテキやメジロアルダン、場合によってはサクラチヨノオーよりも評価が高かったであろうウマ娘が、彼女達だった。

 

「どうしました?」

「いえ。彼女達、シンボリ家に近い家門の一族だったなと」

 

 なるほど、と呟いた後、樫本理子は話を戻す。

 

「モガミファニーの話に戻ります。今までの戦績を見るなら、サクラチヨノオーや先のトウショウマリオの方が脅威でしょう。しかし問題は、彼女が気分屋である事。後方3番手からレースを進める事もあれば、先頭から2番手近い場所で逃げを敢行し押し切る事もある」

 

 逃げ・先行。

 先行・差し。

 差し・追込。

 

 ウマ娘の脚質は基本4つに分類されるが、毎回ずっと同じ脚質、同じ順位で走れる事はない。

 故に戦術としては、凡そ3つになる。

 前型か、中央型か、後方型か。

 

 で、いきなり例外の話になるが、モガミファニーというウマ娘の脚質は逃げ・追込なのである。

 

 真逆も真逆。

 先頭付近から押し切るか、後方から末脚で決めるか。

 しかも彼女、何気に一度も掲示板を外した事がない。

 

「1対1であれば、恐らく貴方の敵ではない筈です。ただ次走の弥生賞は、府中で行われます」

 

 地名から府中とも呼ばれる東京レース場。

 東京1800mは、展開要らずと格言が生まれるほど有利不利が少ない。

 では『弥生賞』や『皐月賞』の舞台となる東京2000mでは?

 

 答えは、恐ろしく有利不利が極端。

 

 日本のトゥインクル・シリーズで一番有利不利が極端なのはどのレースですか?

 そう聞かれたら、恐らく諸説はあるが、シンボリエウロスは東京2000mと答える。

 一番怖いのは? と聞かれたら、絶対に東京2000mと断言する。

 或いは天皇賞・秋と魔の第3コーナー、ともすれば呪われた大欅周辺と答えるかもしれないが、ともかく東京の芝2000mは恐ろしい。

 阪神1600mと同じく、構造上の致命的な欠陥がこの時代にはある。

 

 そこに、モガミファニーというウマ娘が重なった場合の手間。

 事前に対策を立てようにも、枠番はまだ決まってない。

 東京2000mほど、枠番による有利不利が激しいコースはないというのに。

 

「………面倒ですね」

 

 彼女を後一歩で勝てない気分屋と見るか、動きが読めないのにどんなレースでも一定の成績を残す安定感の化け物と見るかは、人による。

 どちらにしても、こういう手合いはサクラチヨノオーのように分かりやすい強者ではないと知っていても、常に一定の警戒はしていないといけない。

 枠番やコース形態の有利不利の中に紛れ、勝利をもぎ取って来る伏兵。いわゆる『大穴』と呼ばれるようなウマ娘は、彼女のようなウマ娘を指す。

 

「次に——」

 

 その後も、樫本理子の言葉は続いていく。

 各ウマ娘の特徴と傾向。時にエウロスが頷き、或いは補足して認識を擦り合わせていく。

 ただ先述のウマ娘達ほどに厄介であろうウマ娘はおらず、比較的早く次のウマ娘に移っていった。

 

「そして最後に………」

「………」

「ヤエノムテキ。登録序列は11番」

 

 厄介。それ故に認識の擦り合わせの時間を長く取る。

 再びその時間がやって来たのは、彼女だった。

 

「そういえば……彼女は貴方と選抜レースを競い合っていた子ですか」

「覚えて、いるんですね」

「えぇ。有名なので」

 

 評価を上げ、評価を落とし、そして今再び評価を上げている。

 ヤエノムテキ。2戦2勝。無敗。

 

「獲得賞金額の中での序列は、現在出走を表明している13名の内11番目です。しかし弥生賞当日の事前人気では、ほぼ間違いなく4番人気より下に行く事はないでしょう。場合によっては、サクラチヨノオーを台頭し2番人気に食い込むかもしれません」

「………彼女のレースの映像って今ありますか」

「えぇ」

 

 序列では下から数えてすぐ。

 そんなウマ娘が、前走で多少評価を落としているとはいえサクラチヨノオーを事前人気で凌駕するとは、かなりの異常である。

 しかし、その理由を当然ながら知っているシンボリエウロスは、ただ樫本理子にレース映像を求めた。

 シンボリエウロスが何を求めるのかを当然理解していた樫本理子は、ただ頷いた。

 

 1/2。メイクデビュー。中山・ダート・1800m。

 1着。11バ身差。大差勝ち。蹂躙。

 

 1/16。福寿草賞(400万以下) 中山・ダート・1800m

 1着。14バ身差。大差勝ち。蹂躙。

 

 やんちゃ。わんぱくの一言で片付けてはならないレベルの勝ち上がり。

 メイクデビューに勝利した後、ヤエノムテキは順当に1勝クラスに駒を進めた訳だが、結果から見れば一方的な鏖殺でしかなかっただろう。

 いわゆる、このクラスにいて良いウマ娘じゃない。まともなレースにならない、と称されるウマ娘がヤエノムテキだったという訳だ。

 しかしそれは、元からの話。

 

「(分かってはいたけど、デビューの時期が1ヶ月ほど早くなっている)」

 

 ついでに言えば、勝ち方も強くなっている。

 本来ならヤエノムテキは7バ身、12バ身と勝ち進み、3/27『毎日杯』にてオグリキャップとぶつかる訳だが、実際にはヤエノムテキは『弥生賞』に間に合わせて来た。

 正確にはシンボリエウロスに間に合わせて来た、と呼ぶのが正しいのかもしれないが、ともかくヤエノムテキは弥生賞→皐月賞と来る。

 獲得賞金額も間に合わせて来ている都合上、皐月賞の出走枠に獲得賞金額が足りず、何とか抽選枠で滑り込む事もなく、順当に。

 

「(つまりあのヤエノムテキが『弥生賞』を経験してから『皐月賞』に来るのか………)」

 

 ヤエノムテキ。東京2000mの修羅。——皐月賞ウマ娘。

 そう、彼女はクラシック一冠を取った。

 芝の初勝利を皐月賞で挙げた。 

 運に恵まれた訳でもなく、実力で。

 

「……………」

 

 そのヤエノムテキが皐月賞の完全なる前哨戦を経由して来る。

 一度東京の2000mを経験する事が、良い方向に働くか悪い方向に働くかは分からない。

 ただ、非常に読みにくい相手にはなった。

 

「……まぁ、何とかなるでしょう」

「思っていたよりも、楽観的ですね」

 

 考え込んでいる。

 そのシンボリエウロスの姿に、彼女自身が口を開くまで黙っていた樫本理子は、ようやく返って来た言葉に少し驚いていた。

 こう言うと何だが、シンボリエウロスは素が尊大である。だがそれには理由があるし、具体性もあった。

 

 何とかなると、具体性なく呟いた彼女は控えめな笑みを浮かべながら続けた。

 

「だって、もっと怖いレースがありましたから」

 

 警戒はしている。

 油断はしていない。

 

 だが………二冠は間違いなく取っていたと呼ばれるオグリキャップに、何をするか不気味なスーパークリークがいた『共同通信杯』の方が怖かった。

 そしてそれ以上に、完全な最高潮でしかなかったディクタストライカがいた『阪神ジュベナイルフィリーズ』の方が怖かった。

 言葉を選ばないのなら、その二つのレースより少し気が楽。

 

 何よりも。

 

「皐月賞は最も速いウマ娘が勝つ。なら一番速い私が最も適している。そう思いませんか?」

 

 もしかして、励まそうとしていたりするのか。

 そう考えている樫本理子には、シンボリエウロスが油断しているという考えはない。

 

 自信。瞳の裏にある、己への信頼。

 慢心や増長というには、実績と経験に溢れすぎている。

 

 メイクデビュー。

 G3札幌ジュニアステークス。

 G3小倉ジュニアステークス。

 G3函館ジュニアステークス。

 G2デイリー杯ジュニアステークス。

 G1阪神ジュベナイルフィリーズ。

 G3共同通信杯。

 

 7戦7勝無敗。

 メイクデビューを除き全て重賞。

 過出走に等しい経験から来る自負は全て、これからのクラシック戦線の為に。

 

「じゃあ、いつも通り始めましょう」

 

 普段通り、立ち上がる。

 あぁきっと、この子はこのまま三冠を取るだろうなと、らしくもなく樫本理子は思った。

 何の疑問も持たず、担当を信用していた。

 




 
⚪︎Mogami Funny(モガミファニー)
 平地競走22戦2勝。障害競走7戦1勝。獲得賞金額約6100万。
 1988世代クラシック戦線強豪。
 京成盃2着。共同通信杯2着。弥生賞4着。日本ダービーにて燃え尽きたトリックスター。

⚪︎Mogami Nine(モガミナイン)
 9戦4勝。獲得賞金額約7300万。
 1988世代クラシック戦線強豪。
 皐月賞トライアル・スプリングS 1着。運から見放された、皐月賞最有力1番人気。

⚪︎Mogami(モガミ)
 シンボリ牧場&メジロ牧場の共有所有競争馬。
 サンデーサイレンス以前、気性難の代名詞として名を馳せた、シンボリスタリオンステーションの大型種牡馬。
『メジロラモーヌ』号。『シリウスシンボリ』号の父。また作中で名を挙げた、1988世代障害戦線最強枠の『シンボリクリエンス』号。『シンボリモントルー』号。『メジロワース』号の父。

 尚前述のモガミファニー・モガミナインの父ではないので、史実的には特に関係はない。
 またモガミファニーとモガミナインの父母は両者共に違い、父父父……と三代遡っても全く違い、馬主等も違うので、この両者も史実的には何か関係がある訳ではない。(どちらもニジンスキー系というくらい)

⚪︎運に恵まれた訳でもなく、実力で。
 諸説あり。

 1988/4/19 史実に於ける皐月賞。東京芝2000という、枠番による影響が非常に大きいその舞台で『ヤエノムテキ』号は1枠1番、最内。
 また、最内枠から幸先良いスタートを切り、逃げ馬二頭と『サクラチヨノオー』号に次ぐ先頭4番手最内を走る『ヤエノムテキ』号の後方では、東京芝2000最大の問題点である第2コーナーで、『メイブレーブ』号、『マイネルフリッセ』号が斜行。その煽りを受けた1番人気『モガミナイン』号が進路を失い最後方に押し込まれ1着争いから脱落と、この時点で二頭の失格と一頭の脱落という、シングレでは描写されていないが、この世代の皐月賞は凄まじい荒れ方をしている。
 この荒れ具合を見るに、好位奪取の先行策を行なった『ヤエノムテキ』号が、もしも外側の枠だった場合、失格・脱落までは行かなくても順位が大きく変わった可能性は高い。
 またこの時点で凄まじい不利を受け、最有力の1番人気『モガミナイン』が実質的に敗北が確定したのがあまりにも大きい。

 ただし、最終コーナーからのレース展開の推移と『ヤエノムテキ』号が残した2:01.3という数字は、過去10回行われた東京の皐月賞全ての時計より速く、『ヤエノムテキ』号が、最も速い馬が勝つ皐月賞馬の名に恥じない勝利を残している事に疑いの余地はない。
「ヤエノムテキは勝つべくして勝った」
 こんな言葉が残っているのも、また事実である。

 余談だが、斜行した二頭の内の『マイネルフリッセ』号に乗っていた騎手は奈瀬文乃トレーナーのモチーフとなった、競馬界のレジェンドである例のあの人。
 天才的な騎乗センスとレース展開の有利不利を見分ける視野故の、位置取りに対する執着とも呼ぶべきだが、後の『スーパークリーク』号の斜行や、『メジロマックイーン』号の斜行など、若かりし頃の彼はかなりヤンチャだったと呼ばれる所以の一つ。
 
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