有効射程距離25バ身   作:sabu

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3/6 第25回 G2弥生賞

 

 

11カシママイテー       
△ ー ー

.6番人気.

2 2プリンスルーパス      
ー ー ー

.11番人気.

3 3クリノテイオー       
ー △ ー

.8番人気.

4ビンゴユメタ        
ー ー △

.7番人気.

4 5トウショウマリオ      
ー ◯ ー

.5番人気.

6グランドキャニオン     
ー ー ー

.9番人気.

5 7シンボリエウロス      
◎ ◎ ◎

.1番人気.

6 8ヤエノムテキ        
△ ー ▲

.4番人気.

9モガミファニー       
▲ △ ◯

.3番人気.

7 10サクラチヨノオー      
◯ ▲ △

.2番人気.

11フジノビート        
ー ー ー

.12番人気.

8 12スロクマル         
ー ー ー

.13番人気.

13スーパーハイウェイ     
ー ー ー

.10番人気.

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

「本当に出走するのか……シンボリエウロス………」

 

 当日。シンボリエウロスが『弥生賞』に出走する実感を六平トレーナーが覚えたのは、正式な出表が発表されてからだった。

 

「という訳で見に行くぞ。弥生賞」

「え」

 

 急な話ではあったが、そもそもの話としてシンボリエウロスが出走を表明していた事は以前から知っている。

 更に言うのなら東京レース場は府中にある。そして中央トレセン学園も府中にある。

 同じ県ではなく同じ市、府中市にあるからして、この両者の距離は非常に近い。

 電車で二駅経由すれば良いくらいの距離だし、徒歩で行こうと思えば行ける。

 

 だが基本的にウマ娘とトレーナーの関係であるなら、如何に近くとも車で行く。目立つから。

 変に注目を浴びて、サインを求められて、そして最悪カメラのフラッシュを焚かれる可能性を考えるなら、特に。

 

「そういえば……今年は開催するレース場が違うんですね」

「あぁ。今中山レース場は改修工事が行われててな」

 

 東京レース場へ向かう最中の車内で、ベルノライトが呟いた。

 最近の彼女はオグリキャップのサポーター役のみならず、レース展開の研究にも力を入れている。

 

 本来、弥生賞と皐月賞は中山レース場の芝2000mで行なわる。

 今年は中山レース場のスタンド席の大改修により、東京芝2000mに振り替えになっている訳だが、当然その影響は多分にある。

 ちなみに中山レース場で行なわれる分のレースが東京レース場で振り替えになったのだから、その分だけ芝が荒れて内外の有利不利が大きくなるのではないか。時計が掛かるのではないか、と思われるが実はそこまでではない。

 

 やはり前提にあるのは、レース場変化による条件の変化だろう。

 

 中山芝2000。

 スタートから1コーナー途中まで約5mの上り坂。そこから向こう正面まで約4mの下り坂。

 更に最終直線310mの途中にある、約110mの間で約2.2mを駆け上がる急坂。

 コーナーを計4つ回る小回りなコース。

 

 坂が多く、また最終直線が短い。

 坂を軽々登るパワーと瞬間的な加速力を生み出すパワーの両者が求められる。

 またコースが小回りである為、長く良い脚を使い難い代わりに息が入り易く、やはりここでも瞬間的なスピードと加速力の重要性が高い。

 コーナーを回る器用さ。坂を登る為のパワー。そしてそれら全てを支えるスピード。

 

 スタートしてから400m近く直線が入るのもあり、枠番の有利不利はほぼない。

 脚質問わず末脚の切れ味と、スピードとパワーの合計を高く求められる。

 開催時期はクラシックレースで一番早く、良くも悪くも早熟し、ウマ娘としてのピークを迎えた若駒が勝つ傾向が高い。

 それを含めての——最も速いウマ娘が勝つ。『皐月賞』とはそのようなレースであった。

 

「だけど今日は、中山レース場ではなく東京レース場で行なわれる………」

 

 という事を、なるほどなるほど……と聞いているオグリキャップは、車内で大変リラックスしながら頷いていた。

 若干他人事ではあるが、今日彼女はレースではなく観戦なのだから然もありなんである。

 

 東京芝2000。

 有利不利がほぼない東京1800から200mしか距離が伸びていないが、単純に200m後ろからレースが始まる訳ではない。

 発走位置の都合上、東京2000と東京1800が同じなのは、向こう正面からゴールまでの1600m程度である。

 

 今更の話だが、距離が変わってもゴール板の位置は変わらない。

 

 故にスタート位置が変わる。

 例えばゴール板から3000m離れた場所、1600m離れた場所、という風に。

 そして、ゴールから逆算してスタート位置を決める都合上、時にはカーブからスタートしなくてはいけない場合がある。

 

 それを防ぐ為に、コーナーポケットと呼ばれるコーナーから突き出した直線の走路がある。

 何故コーナーからの発走を防ぐかといえば、内外の有利が激しくなり、接触事故や進路妨害の危険性が高くなるから。

 

 そして東京2000の最大の問題点だが、何とスタート位置から僅か数十m先にはもう、第2コーナーのカーブがある。

 コーナーからスタートしていないだけ、としか言いようがないレベルの間近。

 開始僅か数秒。脚質による立ち位置を測る以前の、スタートを切った速度に乗る前にはもうコーナーに踏み入らなくてはならない。

 

 しかもこのカーブ、何と角度がほぼ直角である。

 

 構造上の問題があると言われた阪神レース場や、特定の場面で有利不利の比重が極端な笠松のカーブよりも尚、この角度は格段に急である。

 何故それが直されないかといえば、まだ特に問題は起きていないから、という理由で放置されているのだ。

 有利不利が生まれるのは当然。

 だから仕方ない。そういうものだから、と考えられている面も合わせれば時代としか言いようがないが、全てのレース場が同じレイアウトでしかも完全にあらゆる脚質に平等で駆け引きが生まれない場合、トゥインクル・シリーズは非常につまらないものになっていたのもまた事実だった。

 だからこそ、東京の芝2000はそういうものだから、とコース設計の改修が行われていない。

 これは恐らく、この芝2000のレイアウトで深刻な事件が起きるまでは表面化しないだろう。

 

 ともかく、異常と枕言葉が付くほどの直角カーブが、東京レース場にはある。

 

 開始数十m先の第2コーナー。

 東京2000はあり得ないほどに外枠が不利。

 では内側が有利なのかと言われるとそうでもなく、外枠に強力な先行ウマ娘が入った場合の最初の第2コーナーの混雑の危険性、圧力による押し潰され易さから最内も中々安心しがたい。

 極論を言うと、どの枠も安心出来ない。

 

 内枠外枠の有利不利が、構造的な欠陥が指摘されるほどに極端なのだ。

 

 自分がどの枠番を与えられるか。自分よりも外枠に強力な先行型のウマ娘がいるか。最内のウマ娘が如何なる動きをするか。

 枠番の運。脚質分布の運。各ウマ娘が如何なる考えを持って動くかの運。

 今日行なわれる弥生賞は、スタートと運の比重があまりにも重い。

 

「向こう正面に入ってからは前走の共同通信杯と同じだから、最終直線からの末脚は重要だし、大欅付近の第3コーナーからレースが動くのも………スタートで自分に有利な位置を取れるかで少し変わるけど、多分同じ。スタートで周りを伺いやすい中枠で、尚且つ前目に出て先行する必要がないシンボリエウロスが、相変わらず最も怖い」

 

 ………こんな感じじゃないかな。

 

 そう締め括ったベルノライトに、だろうなと六平トレーナーは頷いた。

 恐らく、そうなる。いやなっているというべきか。

 最も怖いとは、最も勝つだろうと思われているという事だ。

 対抗のサクラチヨノオーが評価を落としたのもあり、圧倒的1番人気。デイリー杯ジュニアステークス以来となる、再びの単枠指定。

 

「(1着はシンボリエウロス。2着は誰だ……か)」

 

 既に東京レース場ではそんな雰囲気になっている事を六平トレーナーは知っている。

 シンボリエウロス本人もそのプレッシャーに比例するだけの警戒と対策はしているだろうが、恐らくアレは、対抗の存在を恐れていない。

 アレは自分以外のウマ娘の行動、位置的な有利不利とレース展開の影響だけを恐れている。

 

 府中。

 東京レース場に辿り着き、観客席に座る。

 

 レースは始まっていない。

 それは当然だが、進行が少し遅れていた。

 

「なんだ……?」

「……出走取消か」

 

 若干のざわつきと喧騒。

 熱狂ではなく、心配と動揺を孕んだ騒がしさ。

 

『8枠12番のスロクマルが——控室に入る前に発覚した脚の不調により辞退、出走取消となります——』

 

 ウマ娘が、自らに振り分けられた控室に入る前に、病気やケガ等で出走を止めた事を『出走取消』と呼ぶ。

 控室に入ってからレースの発走までに、病気やケガ等の理由により出走を止める場合は『発走除外』と呼ぶ。

 

 余談だが、この出走取消や発走除外によって起きる問題を軽減する為に、単枠指定制度がある。

 

 例えば、今日もしもシンボリエウロスが出走取消を行い、しかも同枠に他のウマ娘がいた場合、そのウマ娘がまだ1着ないし3着までに入る可能性が当然ある為、ライブチケットの返金は行われない。

 この時、残ったウマ娘が人気薄の場合、投票人気や販売数に比べてそのライブチケットが使えない可能性が著しく上昇する。

 

 それを防ぐ為、圧倒的な投票人気を誇ると予想されるウマ娘の枠番を1名の枠に固定し、他ウマ娘を同枠に入れないようにする。

 単枠指定とは、そのような制度だ。

 実質的に、ほぼ間違いなく上位先着するだろうとURAと世論が認識したウマ娘にのみ与えられる特殊制度と言える。

 

 先例として有名なのは、カツラギエース・シンボリルドルフ・ミスターシービーの三名が単枠指定を受けた有記念だろう。

 あの時代あの瞬間、間違いなく彼女達が完全なる三強であった。

 今日この場では、三強どころか二強ですらない、シンボリエウロスの一強だと世間とURAが認識している証明でもある。

 

『準備が整ったようです——報知杯・弥生賞に出走する12名のウマ娘が本バ場に入ります!』

 

 開幕時間から少し遅れて、ファンファーレが鳴った。

 ざわつきと喧騒が鎮まり、次に期待と熱狂の喧騒に変わる。

 

「アレ……もしかしてあそこにいるのって」

 

 レース場全体の雰囲気が平常に戻ったからだろうか。

 観客席の一つにちょこんと座っている、今はまだ著名ではない筈の芦毛に気付く者が現れる。

 

「あの芦毛……オグリキャップ……? そういえば何で今日はレースに出て——」

「バカっ! オグリキャップはクラシックレースに出られないから、今日の前哨戦は見逃すしかなくて——」

 

 クラシック登録を逃したから、ではなく、出られないから。

 今日の弥生賞は、皐月賞に出られない以上、出走登録する意味がほとんどないから。

 

 思った以上に、オグリキャップに同情的な認識が根付いている。

 世間からの声と認識という土壌が出来上がってる事に六平トレーナーが驚いている間、オグリキャップは真剣になってパドックを見ていた。

 

『続きまして——本日唯一の単枠指定! 5枠7番! 圧倒的1番人気シンボリエウロス!』

 

 今度はパドックの陰からではなく、観客席の正面からその姿を見る。

 傍から見ても、明らかに分厚い事が分かる黒い耳カバー。

 その上で耳を後ろに限界まで絞ってペタンと畳み、光も邪魔だと言わんばかりに瞳を閉じ、静かに佇んでいる。

 

「精神統一、なのかな」

「……………」

「こうして見ると本当に怖いというか、圧力すっご……」

 

 この前のように何処を見る訳でもなく空を見ていたら、今日のエウロスも迫力がないと思っただろう。だが今日、こうやって対面して分かった。

 

 彼女は、何かを見ている。

 

 今、現世の全てを遮断して。

 瞳の裏と記憶の中に宿る何かを、再生させ続けている。

 それが何なのかはオグリキャップは分からない。

 だけど多分重要で、意味がある事なのだと思った。

 

 ——残り200m。笠松から見て来た、最終直線。

 

 この前、共同通信杯で自分が感じて、しかし自分より先に行っている筈のシンボリエウロスが、その何かを使うどころか開く気配すら感じさせなかった物。

 

 ——来る。今日は、絶対に来る。

 

 何故か確信していた。

 肌が粟立つほどに刺々しく、ビリビリとした圧力がそうさせたのか。

 オグリキャップは無条件で、今日のシンボリエウロスは何かを見せると認識していた。

 

「……………」

 

 パドックの中心で薄っすらと瞳を開け、絞っていた耳を戻す。

 そして身を翻すように去り、本バ場に戻る。ゲートの前でまた再び瞳を閉じる。

 今更だが、そうだった。

 いつも自分にそつなく世話を焼いてくれるシンボリエウロスは、何もない空のような、沈黙と静寂が似合うウマ娘だった。

 

『準備が整いました! 皐月賞の前哨戦、弥生賞を制するのは一体誰か!』

 

 独特の緊張感。張り詰めた静寂。

 声を出す事も憚られる、たった一人のウマ娘の手で敷かれた沈黙。

 レース場に響いているのは、拡大された実況の声。

 次の瞬間には膨れ上がりそうな静けさの中、ゲートは開いた。

 

 

 

皐月賞トライアル

報知杯・弥生賞

GⅡ・東京・芝・2000m

 

 

 

 開幕。

 幸先の良いスタートを切ったのは、やはりサクラチヨノオーだった。

 或いは、誰も前に出たがらなかったと言うべきなのか。

 

 先行策を取るウマ娘をほぼ確実に潰すシンボリエウロスがいる事への恐れ。

 人気上位4人が中枠から外目に配置され、外目から先行策を取られ、第2コーナーに於ける混雑の予想。

 単純な、内枠側に強力な先行ウマ娘が配置されなかった故の弊害。

 

 理由は他にもあるのかもしれない。

 ともかくサクラチヨノオーが先頭を走り、続く2番手にモガミファニーが入った。

 ヤエノムテキは隣のサクラチヨノオーが先行していくのを見守りながら、視線を左に向ける。

 

 シンボリエウロス。

 彼女は仕掛けない。前に付けない。

 最後方。12番手。

 無理に前に出ず、故に混雑が予想される第2コーナーを軽やかにかわし、最内を守る。

 

「何というか、普通に進んで行きますね……」

 

 開始程なくしてだが、東京芝2000の最大の問題点を何なく通過していくウマ娘達の集団にベルノライトが呟いた。

 

 まぁそんなもんだろ、と言われたら、そうなのかもしれない。

 上位人気がそのまま着順でも上位を占める事がほぼ無いように、宿命のライバル同士の対決が呆気なく終わる事が多いように、コースの有利不利が必ず大きく関わるとは限らない。

 有利不利が分かっているからこそ、それを避ける為、結果普通のレースよりもゆったりとした勝負になる事は決して少なくない。

 

 元より、脚質分布からこうなる予想は確かにあった。

 だからこそ、あの『暴風』がいるのだから、その期待を裏切られるものだと考えていたのかもしれないが、それは観客側の期待の押し付けでしかない。

 

 実に、20秒程度。

 レースをしているウマ娘達本人からすれば感覚は異なるが、傍から見ればその僅かな時間で第2コーナーを終え、向こう正面に入る。

 誰も逃げず、仕方なく先頭を逃げているサクラチヨノオーと続くモガミファニー。ヤエノムテキはいつの間にか6番手近くに入り、中位差しの姿勢で機を窺う。

 

 先頭のサクラチヨノオーから、隊列の11番手までは凡そ8バ身。

 更にその隊列の11番手から後方に10バ身近く差を付けて、18バ身最後方にシンボリエウロス。ぽつんと1人。

 

「本当に、届くとは思えないほど凄い後ろで走ってる………」

「…………」

 

 まず見る事はない光景だ。

 1着から11着までの距離よりも、11着から12着までの距離の方が長い。

 演じているウマ娘がシンボリエウロスでなければ、もうこの時点で終わったと見られるか、或いは怪我や故障を疑うレベルの後方。

 

 レースは進む。

 隊列に大きな変更はなく、未だ大きな……言わば観客が反応するような攻勢はない。

 第3コーナー付近。凡そ1000mを通過。

 もうすぐ大欅に入る。

 

「もう、実は何か始まっていたりするでしょうか………?」

「……………」

「えっとー、あの………?」

「これは、不味いな」

 

 ボソリと、六平トレーナーが呟いた。

 ギョッとしたベルトライトの視線が、六平トレーナーが指差した先に向く。

 

「このままでは、サクラチヨノオーが伸びて来ない」

「え……え?」

「サクラチヨノオーは、自分を信じ切れていない」

 

 負け癖か………。

 そう呟いた六平トレーナーの声は、大きな声ではない筈なのに響いて聞こえていた。

 

 負け癖。

 それは六平トレーナーが、オグリキャップを中央の初戦で勝たせたかった、勝てるレースを選びたかった最大の理由。

 今まで好成績を残していたウマ娘が大きな敗北や、決定的な失敗を犯した場合この不調状態に陥る事がある。

 激しいレースの後、一定のウマ娘が掛かりやすくなるそれと、似て非なる不調状態と呼んでも良い。

 

 善戦はするんだけど最後に伸びて来ない。

 後一歩、何かが足りずに負けを繰り返す。

 クビ差ハナ差と言った接戦の末に負ける。

 それを繰り返すようになる。

 

 先頭を走るサクラチヨノオーの顔は悪かった。

 動きも何処かぎこちない。

 

 1000m通過タイム、60.3秒。

 

 平常。ミドルペース。悪くはない。

 だが良いのかが、分からない。だからサクラチヨノオーは考え続けている。

 仕方なく逃げ、自らが作り出したこのタイム。最も実力を発揮しやすい筈の基本のタイムを、常に疑問で溢れさせている。

 

 前走の、超スローペースの弊害だろう。

 このミドルペースで、本当に正しいのか。

 スローペースにしなくてはならないのではないか。

 だがあのスローペースで、決定的に負けた。

 何よりあのスローペースは自分以外にも賛同して作るものがいた。

 今日はいない。自分一人で正解を見つけないといけない。

 故に分からない。本当にこれで良いのか、分からない。

 

 サクラチヨノオーは今、答えが見えない道を走らされ続けている。

 

「しかもそのサクラチヨノオーにシンボリエウロスが……アレは差し切る為の目印にしているのか? ……18バ身。先頭との距離を、ひたすらに一定にしてアレは守っている」

「……え………えぇ?」

 

 本当に分からない。

 いつの間にか仕掛けられ、そして状況が動いている。

 何となくでレースを見ていたら、既にもう急速に変わっている。

 シンボリエウロスが一体何を考えているのか。果たしてあの頭には、本当に自分達と同じ脳が入っているのか。

 その事に、言い知れない寒気を感じている中、六平トレーナーは続けていた。

 

「いつもなら最後方といえど細やかな距離の変動はあった。だけど今日はまるで、先頭を釣り餌にして、同じ速度で最後方を駆け抜けている。アレは何かを試している」

 

 セーフティリード。その真逆。

 セーフティリード走法とは、逃げウマ娘が後続に対し、確実に勝利出来る差を維持し続ける走法を指す。

 

 シンボリエウロスは、恐らくその逆をやっていた。

 常に自分が差し切れる距離を先頭に対し維持し続ける、計算の走法。

 恐らく——スローペースでも確実に勝つ為の手段。

 シンボリエウロスは既に、この戦いに勝つ為の戦術と、未来にて確実性を得る為の布石を同時に放っていた。

 

 二人が呟き頭を悩ませる最中、レースが動く。

 大欅に差し掛かり、残り約800m。

 第3コーナーからサクラチヨノオーが動く。

 

 シンボリエウロスは動かない。

 彼女は絶対に600mから。

 

 ——来る。

 

 オグリキャップは、ただ見つめていた。

 ひたすらに、その瞬間を見ていた。

 

 残り800m。

 残り700m。

 残り、600m。

 

 早々に仕掛けたサクラチヨノオーとの距離が20バ身近く離れようかという、その瞬間。

 シンボリエウロスはほんの僅かに瞳を瞑り、薄くゆっくりと瞼を開く。

 

 刹那、風が止んだ。

 音が途絶え、光すら消えた。

 

『——風だ! 風だっ! 風が来た!! やはり、やはり彼女はそこから来るのか!!』

 

 そして、次の瞬間には吹き荒ぶ風。

 芝を打ち抜く雷霆。

 台風の中心である彼女だけは、ただ静けさを保ち続ける。

 

 逆向く風がした。

 全てが彼女に向かって落下していくような、圧倒的質量。威圧感。

 

「………………」

 

 彼女達は、そこからの展開を黙って見ていた。

 一人、二人と当たり前のように風が抜き去っていく。

 傍から、遠くから、俯瞰して見ているだけなのに血の気が失せていく暴力的な力。

 超低空姿勢から成される埒外の加速。

 空の果てにある世界。

 速度の向こう側。

 

『先頭はサクラチヨノオー! サクラチヨノオーだが、どうした!? どうしたサクラチヨノオー!! サクラチヨノオーが伸びない。伸びて来ない!』

 

 ——あぁ。

 小さく、小さく六平トレーナーは呟いた。

 

『9番モガミファニーが躱す! その横に! 大外からヤエノムテキが来て、しかしシンボリエウロスが来た! 凄まじい速さで、何よりも速くシンボリエウロスが——』

 

 シンボリエウロスには確かに弱点は多い。出来ない事も多々あるのだろう。

 だが根本的な速度の限界値、絶対的なスピードの上限値、最高速に乗るまでの加速力。

 その全てが、今までの歴史に綴られて来たあらゆるウマ娘と比較した上でも、尚。

 

『今、ゴールッッ!!!」

 

 史上最高。

 

「最も速いウマ娘が勝つか………」

 

 東京レース場で行なわれる『皐月賞』は正直な話、速さではなく運の方が重要である。

 だが真に超越したウマ娘は、そんな運すら跳ね除けるという考えが確かにある訳で。

 

『記録が出ました!!1着はシンボリエウロス! そして、この記録は——』

 

 何より。

 最も速いという言葉を、彼女に限って疑うものはいないのだろう。

 

 

着順枠番名前タイム上り着差
1 5 7シンボリエウロス 2:00.532.2  
2 6 9モガミファニー  2:01.136.13バ身
3 6 8ヤエノムテキ   2:01.135.9アタマ
411カシママイテー  2:01.336.02バ身
5 4 5トウショウマリオ 2:01.435.92バ身

 

 

『——2:00.5!! 2:00.5! 上がり3Fは……っ32.2!!32.2秒! もはや取り繕う余地もない! 彼女が最も速いウマ娘です!』

 

 久しぶりに、思い出した。

 後に『皇帝』と呼ばれたウマ娘がクラシック街道を歩んでいた時の感覚を。

 

 当事者ではなかったからこそ、それを何処か対岸の火事として見ていた。

 無敗三冠が生まれる世代特有の、世間からの熱狂や注目度に反比例するほどの、この重苦しい絶望感。

 トゥインクル・シリーズの好況率とは裏腹の、この停滞した、勝利の高揚感。

 今日もまた、あのウマ娘が勝った。

 

「こんな時代が、またこんなに早く来るとはな」

 

 掲示板に刻まれた1着という数字とレコードの赤文字。

 六平トレーナーはこの弥生賞の決着に、呆れるように呟いた。

 

 クラシックレースが、ようやく始まる。

 




 
 真の決戦は皐月賞までお預け。
 
⚪︎中山レース場で行なわれる分のレースが東京レース場で振り替えになったのだから——
 この話をすると競馬に於けるAコース、Bコース、Cコース等のウマ娘世界ではアプリ・アニメ・マンガあらゆる媒体で馴染みがなく、話にはほぼ関係ないのに結構複雑な話を5000文字近くしなくてはならないので大きく省いた経緯があります。
 また1988年当時の記載が少なく、週開催は分かっても如何なるコースでレースが施行されたのか分かり難い&分かってもレース展開に大きく影響を与える場合が少ないので、今後この話題には恐らく触れません。

 何らかの形で、1998年『セイウンスカイ』号が勝利した皐月賞のグリーンベルト地帯の話に触れる場合は、Aコース、Bコース等の解説をしなくてはならないのですが、逆に言うと黄金世代の皐月賞くらいに、コース変更によってレース展開に大きく影響を与えたであろう競争を、1988世代の主要レース内で確認出来た場合以外にはしません。(シングレの描写的にも多分ない)
 Aコース、Bコース、Cコースって何!? 週開催って何!? グリーンベルトって何!? という方がいるかもしれませんが、分からないままでも大丈夫です。

⚪︎これは恐らく、この芝2000のレイアウトで深刻な事件が起きるまでは表面化しないだろう。
 1991年第104回天皇賞。日本のGI競走における1位入線馬降着の最初の事例となった『メジロマックイーン』号による、第2コーナーでの他馬の進路妨害違反。
 
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