選抜レースは2話構成です。
合計2万文字越えでお送りします。
一般的に、競走馬は生まれ年によって変わる馬齢限定レースに出走する。
凄い分かりやすく言うと、一年生は一年生とレースをして、二年生は二年生とレースするような感じだ。必ず同世代と競い合う訳ではないが、凡その基本となるのは同じ世代である。
だから分類として、同じ年齢の馬達を世代と呼ぶ。
更にその世代の中で、数多くの名勝負や記録を残した名馬が続出した時代には、通称や二つ名と共に呼ばれる。
例えばTTG世代。黄金世代。覇王世代。
他にも数多くの世代があった。何よりも物語があった。
速いから、強いからだけではない。何故なら物語だから。
レースを見ているファンをどれだけ魅せられたかでも、その重さは変わる。
ファン自身の世代もある為、印象深さが変わる事なんて当たり前だから、単純な比較は出来ない。
ただ、どれだけ見る人を魅せられたか。
どれほどに大きい動きを起こしたか。
何よりも歴史を作り——時代を変えたか。
そう言うのなら、きっと誰もがこの世代を選ぶ。
第二次競馬ブーム。
大きな社会現象を起こし、最も競馬が栄えていたと言われた世代。
競馬というものの認知を変え、認識を変え、世間に広く知られるようになった。
その、最初の発端。起爆点。
1988世代。
オグリ世代と言うのが一番伝わりやすいかもしれない。
中心核はオグリキャップだったが、この世代そのものが一つ飛び抜けていた。
当時、史上最強世代とすら言われたほどの世代が、ここ。
見るファンを引き付け、名に恥じない記録と勝利を残している覇者達の世代。
中央平地GIがまだ15しかない時代にこの世代は史上最多の20勝を挙げている。
数多くのレコードを叩き出し、何十年と保持されたもの、未だに破られてすらいないものもある。
クラシック級で先輩のシニア級を倒し、自らがシニア級になってからは一つ下の後輩に高い壁となって君臨し続け、突出した記録を何世代経っても届かせなかった。
特に1990年………私達がシニア二年目となる時代では、この世代が大半のG1勝利を独占している。
一切の空白がない。各距離に必ず世代を代表する馬がいる。
そしてそれは何も中央だけではない。平地でもない。
地方で。障害競争で。全てに世代を代表する名馬がいた。
特に障害は……シンボリの者としては特に印象に残るものがある。
シンボリクリエンス。
運に恵まれたのもあったが、中山大障害で正確な着差観測不能……推定約51バ身差という、恐らく日本観測史上最大の着差を叩き出した名馬。
シンボリモントルー。
そのシンボリクリエンスと何年もの激闘を繰り広げ、翌年の中山大障害で26年間破られる事がなかったレコードタイムを叩き出して撃破した名馬。
このまま他にも名前を出していったら、もう本当にキリがない。
それくらいに代表的な名馬がこの世代に多かった。
代表する顔触れには名前を挙げられなくとも、後一歩というところまでこの世代の名馬を追い詰めた馬も多かった。
それが1988世代。
昭和最後にして最強の名馬。平成最初にして最高の古馬。
最強と最速が入り乱れ続けた伝説の世代。
最も熾烈で、最も付け入る隙のない、最も恐ろしい時代。
そう。恐ろしい。
望んだ訳ではないのに入り込んでしまった、なんて正直思った。
記憶なんてない方が気楽だったなと思う反面、持っていなかったら、何も対策出来ないまま、この魑魅魍魎に挑まなければなかったんだなとも思う。
何より——『オグリキャップ』号。
無名な血統。地方出身。走らないと言われた芦毛。
常識もルールも敵だった。だから常識もルールも覆した。
世代の中心。中心と言われるだけの実力。各距離に世代の代表がいる中で、ほぼ全ての距離に出走し、そしてほぼ必ず連対する。
30戦以上して、連対率87%。つまり1着か2着。地方時代を加味しても尚おかしい。
後にも先にも、オグリキャップ唯一でしかない、連戦の中で叩き出した超驚異的且つ安定した勝ち上がり率。
1600mマイル距離無敗。後にマイラーの名馬が有馬記念で惨敗していく中、安田記念、マイルCSを制覇し、中長距離の有馬記念をも勝利した史上唯一の存在。
有馬記念は、理論上マイラーでも好走出来るという通説を作り出した最大の原因。
当時、獲得賞金額歴代1位を更新。
当時重賞レース最多連勝タイ。重賞レース最多勝利タイ。
2400m ジャパンカップ。2分22秒2。クビ差で負けた世界レコード。
16年後、東京競馬場が改修され、進化に近いレベルで芝が軽くなり、タイムが全体的に早く刻めるようになった環境下でようやく更新された不滅の大記録。
そして死の病、繋靭帯炎を発症して乗り越えられた、体の丈夫さ。
恐ろしい。本当に、本当にそう思う。
知っていれば知っているほどだ。
オグリキャップを知っていて恐ろしいと思わないウマ娘なんてきっと存在しない。
オグリキャップを迎え討つ。その恐怖。
見る者を魅了し、世間の声を変え、そしてそれを力にして来る主人公の恐ろしさが。
何より、相手はオグリキャップだけではない。
オグリキャップを語る上では外せない、三強という面々。
近代型ステイヤーの始祖。スーパークリーク。
歴代最強のG1荒らし。イナリワン。
そして、もう一人の芦毛。成り上がって来た、灰色のシンデレラ。
現役最強——タマモクロス。
自分より弱いウマ娘達だけを相手にしたいなんて思ってはいないが、それでも臆してしまうというのが、この世代。
正直この世代に生まれた事をちょっと後悔してるくらいには……本当に厳しい世界だなと改めて理解した。
でもまぁ……うん。
それでも。
それでも私が勝つよ。
私が走れるのは奇跡だった。
私が今ここにいるのは、シンボリ家のおかげだった。
恩を返したい。だから私は走る。走って示す。
だから私が勝つ。
オグリキャップが相手でも、三強が相手でも。
三強だけじゃない。世代を争う代表格の子にも。
幼い頃、私はいない方が良いと思っていた。
生まれない方が良かったなとも思っていた。
でも、今は違う。私には、絶対に譲れない意地が出来た。負けられない理由が出来た。
喘鳴症という深刻な病の中でも証明したい。恩を返したい。待たせている人もいる。
だから負けられない。いや負けない。誰にも負けない。絶対に。
シンボリ家の者として、勝利を簡単には譲れない。
だから私は強大な壁となって立ち塞がり続ける。負け無しのまま君臨してやる。
その為に、本来の勝利を、名馬の魂と名前を受け継ぐ少女から取る覚悟も、出来てる。
——はい。ですので……一人のウマ娘として、一人の競走バとしての夢は、私の妹に託したいと思います。
——シンボリエウロス。必ず、私を越えてくれるウマ娘です。
それに言われたんだ。私が、あのウマ娘から。あの『皇帝』から託された。
シンボリルドルフ本人から、自分を超えるだろうって。夢を託すんだって。
だから、負けて良い訳がない。
たとえ誰が相手でも。どんな場所で、如何なる状況でも。
だって託されたから。背負ってるから。
それが辛いとも思わない。
何故なら私は、ウマ娘だから。
ウマ娘は、想いを乗せて走るのだから。
うん。
だから。
ごめんね。
東京・芝・2000の鬼。G1二冠。ヤエノムテキさん。
今日、シンボリ家の者として。
シンボリルドルフの妹として。
当たり前のように勝つから。
実はトレセン学園が正式に主催している選抜レースは、大きく分けても年にたった四回しかない。
4月終わり。入学時期に、学園に慣れる為と顔合わせも兼ねて行われる一回目。
6月後半。大体の子の本格化が安定し始める、重要度の高い二回目。
9月初め。早い子がメイクデビューを果たし、ほぼ全てのウマ娘の本格化が安定し、明確に距離適性が定まって来る三回目。
12月中旬。後にクラシック級にて覚醒して化ける子と、残念ながらあまり素質がなかった子が入り乱れる、新年前の四回目。
こう並べると、チャンスはたった四回しかないのと早めの選抜レースにて実力を出した方がトレーナーが見つかりやすい為、重要度が高いと思われるかもしれない。
だが実は、選抜レースというのは最初のレースで絶対に勝たなければいけないというほどでもない。
最初が重要というのは確かではある。
だが、たった一回の開催でウマ娘の実力全てを知れる筈もないのだ。
何より距離や脚質、そしてレースの展開で勝敗は大きく変わる。
点在する無数の可能性を一回の選抜レースで知れる訳がなく、またウマ娘も試せる訳もない。
特に入学時期最初のレースは、まだ本格化前で未発達な子が多い。
或いは雰囲気に呑まれて掛かる子も多数いる。
最初の選抜レースはどちらかというと、1着を取った結果より、脚質や精神力、レース展開への適応力を測られる事の方が多いのだ。1着を取る為の方法は、これから学んでいくのだから。
だから、トレーナー陣からこういう評価がされやすい。
最初の選抜レースでいきなり実力を出せる子は凄いよね。或いは早熟型だね。
あぁ、あの子はちょっと掛かっちゃったかな。実力がまだ出せなかったかな。でも次の選抜レースでは化けるかもしれないから、ここで彼女が弱いウマ娘だと断定するのは早すぎるよね。
故にこそ、選抜レースというのは申請を出し、トレセン学園側から許可を貰えれば意外と自由に開催出来る。
複数人のウマ娘が申請を出し、選抜レースをする為の人数に達すれば、日程の調整はいるが大体通るし、強豪チームを率いるトレーナーなんかはチームが主催する選抜レースを申請し、トレセン学園側から既に許可を貰っていたりする。
今後の人生を左右する大事なレースである事に変わりはないし、厳しい実力主義社会ではあるが、何もここを外したからといって今後の人生全てが閉ざされる訳ではない。
トレーナーから早くスカウトされた方が良いのは絶対的に変わらないが、それでも挽回の機会がない訳ではないのだ。
とどのつまり、最初の選抜レースで命をかける必要はそこまでないし、果たし合いを所望する必要もあまりないし、真っ向からその挑戦を受けて殺伐とする必要はない。
超名門生まれで、しかも前評判が高すぎる為、最初の選抜レースでいきなり負けたら沽券に関わるレベルのウマ娘が果たし合いを所望されたから、なんかそのまま成立してしまったが、昨日のカフェテリアで、ここまで殺伐となる必要ある……?と思われていたのはそういう理由である。
ではトレセン学園が正式に主催している選抜レースと、他の選抜レースの違いは何か。
それは。
『——それでは遂に来ました。18人のウマ娘達で行われる選抜レース大トリ。1200m最終レース。傾いて来た夕陽を逆光に、各ウマ娘がターフの上に降り立ちます』
実際のレースの環境と雰囲気に限りなく寄せている事であった。
実況と解説が付き、ファンファーレを鳴らす演奏隊がおり、会場に集まる観客のように、集まったファンがいる。
年に僅か四回しか開催されないのは、ひとえにトレセン学園が正式に主催する一大イベントだからだ。
未来の優駿の卵を見る為に来る熱心なファンも少なくない。
それが、期待度の高いウマ娘であれば尚の事。
「選抜レースとは思えない人の数だ………」
その会場、そしてターフの上でヤエノムテキは呟いた。
ヤエノムテキは分かっている。
今ここに集まっているトレーナーも、ファンも、実力を警戒しに来たウマ娘も、そのほぼ全てが、あのシンボリエウロスを見ていると。
応援であれば違うかもしれない。
ただ、注目であるなら間違いなく彼女だ。
警戒を含めての。
『1番人気は、遂に世間へと姿を現したあの幻のウマ娘、シンボリエウロス。8枠18番。大外です』
『事前の情報では、2番人気のヤエノムテキから挑戦状を受け取ったなんて噂があります。やはり注目株と言いましょうか。このレースでは全てのウマ娘からマークされるでしょう。何より大外ですからね。終始苦しい展開になるか、隠して来た実力で不利ごと迎え討つか。目が離せない一戦になりそうです』
大トリ、そしてこの世代最注目されているウマ娘。
ついでに果たし合いを望まれたという御膳立ても付いてる。
中央トレセン学園の第四グラウンドに集まった、約3000人の人間とウマ娘。
時に数万、十数万が集まるG1の舞台に比べれば格段に少ない数だが、それでも選抜レースに集まる数ではない。
中央トレセンに在校している生徒は、2000人なのだ。
『その挑戦は無謀か、下剋上か。2番人気は先程の紹介にもあったこのウマ娘。5枠9番。ヤエノムテキ』
『シンボリエウロスに注目が集まっているきらいはありますが、この子だって負けていませんよ。完成度が高く実直なスタイルはどんな展開にだって対応出来る対応力があります。私イチオシのウマ娘です』
『次のウマ娘の紹介に入りましょう、3番人気は——』
続くウマ娘の紹介を、ヤエノムテキは意識から閉じた。
シンボリエウロス以外に敵はいない。いたとしても、マークするのはシンボリエウロスただ一人。最初からヤエノムテキは目標を狙い定めている。
「(エウロスさんの警戒するべき点は総合力の高さ。圧倒的な末脚の切れ味。総合力の高さを活かした彼女の末脚は余程の事がない限り展開に左右されない。純粋な実力勝負では不利)」
一つ一つ、彼女の走法と事前情報から組み上げていく。
これが初めてのレースだ。トレーナーがまだおらず、単走から読み取っただけの知識から組み上げた戦術では付け焼き刃にしかならないだろう。
だから、私は私の走りをする。
それがヤエノムテキの作戦だった。
「(だが狙い目はある。彼女は身体が小さい。パワーがない。仮に有っても、競り合いで不利な事に変わりはない。気を付けなければならない事はスピードで置き去りにされる事だが、彼女の脚質は逃げではない。それに彼女は大外。内の私の方が有利)」
何もそれは、戦術を立てる事を諦めたからの逃避が生み出した作戦ではなかった。
勝ち目を見出し、それを実行する為にやっているのだ。
ヤエノムテキは勝ちに来ている。
何より、最終レースのこの舞台は芝が荒れている。
荒れた芝を踏みしめるパワーの重要度が高い。
決して分の悪い賭けではなかった。
「(勝つ。無謀な挑戦だったなんて言わせない。この世代が彼女とそれ以外などとも言わせない。ここで私は——)」
相手は、最大の名門。その名門の最高。
最高傑作と呼ばれていた筈の、あの『皇帝』が、自分を超えると言った存在。
こんな最初のレースで負けられない。
そう思っているだろう。事実負ければ沽券に関わる。
シンボリエウロスは、こんな最初のレースで負けたら、多くのものが台無しになるのだ。
じゃあ——配慮して負ければ良いのか?
遠慮して手を抜けと。空気を読んで、勝ちを譲れと。
世代の中心にいるだろう存在に勝利するのが、いけない事なのか。
ウマ娘のレースで、勝利する事が、ダメなのか。
そんな反抗心がヤエノムテキにはあった。
それを物怖じせずレースの闘争心に変えるだけの力もあった。
この世代では、誰よりも。余りの熱量に暴走してしまう可能性すらあるレベルで。
もしかしたら、十年単位で過去と未来を遡っても尚一番かもしれないほどの勝利への執着心が、ヤエノムテキにはある。
勝つ。勝つ事しか考えない。
その考え込むヤエノムテキを、周囲から響いて来たノイズが遮る。
ザッ……と、芝を踏み込み、剥ぐような鋭く重い音だった。
『おっと……!? 1番人気のシンボリエウロス、機嫌が優れないのか耳を後ろに絞り、地面を脚で掻き込んでいます』
『選抜レースとは思えないほどの人が集まっていますからね。カメラのフラッシュやライトも嫌ったのかもしれません。少々お控えをお願いします』
今日この日が、少々異様な雰囲気になっているのを集まっている人も察したのだろう。
やや騒然としていたグラウンドが静かになっていく。光の点滅も消えていく。
ただ、その静まり返りが、逆に異様だった。
シンボリエウロスには、静寂が似合う。
いや、静寂にした。場の雰囲気を塗り替えた。
何も音がしない。
風が吹いている筈なのに、風の音がしない。聞こえて来ない。
呼吸すら忘れさせる無音。極限の集中。聞こえて来るのは、シンボリエウロスが発する音だけ。
スゥッーー………フゥーー………と、板を穿てるほどに鋭く深い息と、ザッ……ザッ……と脚で芝を掻き込む音だけが辺りに響いていた。
それだけが唯一許されているかのように。
雰囲気が違う。明らかに今日のシンボリエウロスは、何かが違う。
ただの不機嫌と言うには存在感が違った。
振り撒かれている圧が違った。
確実に、周囲の空間を侵食していた。
——絶対に潰す。当たり前のように自分が勝つ。全員置き去りにしてやる。
迎え討つ側のウマ娘にしては、あまりにも激しく攻撃的な衝動と気迫。
今まで見せていた彼女の学園での態度が、実は別になんでもなく普通に学園生活を楽しんでいただけ……と思ってしまうほどの雰囲気。
「(あれは………)」
周囲のウマ娘達が自然と萎縮していく。
覚悟はあった。負けん気があった。ハナからシンボリエウロスしか見ていないヤエノムテキにも下剋上をしてやると考えていた。
それが消える。覚悟が死んでいく。
アレがシンボリの冠を得る事を許されたウマ娘。
誰もが『皇帝』と呼ばれたウマ娘を幻視した。
神威とすら謳われた誇り高さの中にある、暴虐と圧力。
選抜レースの時、傍から見ていたトレーナーすらも傅かせ萎縮させた、あの十冠ウマ娘の後ろ姿と同じものがそこにある。
より、内側にあるウマ娘としての衝動が、剥き出しになった形で。
「(内なる『烈火』を御する事なく、猛らせている……)」
その中で、唯一ヤエノムテキは神威という圧力に呑み込まれる訳でもなく、不思議な調和を果たした。
それは共感だった。理解と呼んでも良い。
周囲を傅かせるような威厳とは別種。無差別で暴力的。周囲を力で従えようとする、内なる暴。それをヤエノムテキは知っている。
ただ違う。アレは違う。振り回されていない。
むしろ、理性という鉄で内なる暴を振り回している。
幼い頃の自分と違って。ただ浅ましいだけの獣とは違って。
似ていると思った。
でも似ているという事は、本質的には別という事だ。
暴威に振り回されている獣と、暴威を支配している獅子は同じではない。
だからアレは目指すべきモノではない。
勘違いしてはならないのだ。彼女の存在が自身の肯定に働く訳ではない。
衝動を剥き出しにすれば暴走する。それはとっくに学んだ事だろう。
湧き出た感情を封印し、ヤエノムテキは息を整える。
「(言葉は無粋だ)」
ただ共感ではあった。
彼女に抱いていた壁が一つ消える。
或いは、彼女から武人肌な求道者の雰囲気を感じたのもある。
溶け込むような呼吸。静寂を作り出す集中。
最低限の負荷と消耗で、最大効率の成果を上げる佇まい。
今のシンボリエウロスは表情が違う。目付きが違う。
レース前、良い戦いにしましょうとか、正々堂々よろしくお願いしますとか、そういう挨拶もいらないとヤエノムテキは判断した。
『各ウマ娘、ゲートに収まって行きます』
『先程荒れていたシンボリエウロスも、ゲート難は起こさず、すんなり収まります。ですが最終レースのこの芝は少々荒れていますからね。これはどのような展開になるのか読めませんよ』
呼吸を整える。
5枠9番と8枠18番
間に8人ものウマ娘を挟んでいるのに、ここまで聞こえて来るシンボリエウロスの呼吸音。
そしてビリビリと静電気のように肌を差す存在感。
『ゲートイン完了、出走の準備が整いました』
窮みに達した武闘家の瞑想は、自分を整えるだけに在らず相対した者の呼吸すら乱すという。
そんな事をふと思い至りながら、ヤエノムテキはゲート内に身を投じた。
獅子の圧力に死んでいない、唯一のウマ娘として。
『今スタートです!』
ガコン、とゲートが開く。
開き切って軋んだ金属の音に遅れて聞こえて来る、実況の音。
『おっとこれは——』
シンボリエウロスはパワーに劣っている。
劣っていなくても、そのパワーを押し出す体がない。
大外。内に切り込む必要がある。先行型が有利。
シンボリエウロスは、この不利を覆して1着を取る為、競り合いで勝つ必要がある。
故にスタートしてからの直線、先行争い、最初の叩き合いで勝負が決まる。
スタートダッシュを冷静に決めて速度に乗った瞬間、ヤエノムテキはシンボリエウロスに競り合いに応じさせるべく前に出た。
シンボリエウロスの位置を確認する。
確認した。
シンボリエウロスの位置は——
『シンボリエウロス以外、出遅れたか!?」
誰よりも、前。
⚪︎
冷静。平静。武を以て礼節を成す。
先行。
⚪︎
暴風。暴威。レース展開は自分が操る。
追込。
⚪︎実はトレセン学園が正式に主催している選抜レースは、大きく分けても年にたった四つしかない。
アプリ時空の『ヘルプ・用語集』より。
⚪︎故にこそ、選抜レースというのは申請を出し、トレセン学園側から許可を貰えれば意外と自由に開催出来る。
アニメ時空で、チームリギルが主催していた選抜レースより。