「え?」
その時、オグリキャップには何が起きたのかが全く分からなかった。
いやむしろ、何が起きたのか理解出来たウマ娘の方が少なかった。
平均時速60kmで走るウマ娘の脚音は、太鼓を打ち鳴らした時の大きな音に等しい。
観客席からですら腹に響くほどの音が鳴り響く環境下で芝に何かが叩き付けられる音など、脚音に似た衝撃である事も相まって簡単に紛れる。
だから彼女達は、観客席から一斉に巻き起こった悲鳴と絶叫で何らかの異変を察知した。
しかしレース中だ。
何かに思い至るにはレースは刹那刹那があまりにも重く、更には終盤。
全てのウマ娘が命をかけている日本ダービーを前に、異変を探している余裕はない。
まずはゴールを迎える。
それを改めて意識して、大半のウマ娘は振り返る事なく最後まで駆け抜けた。
彼女達は——少なくともオグリキャップは、ゴールを迎えてから致命的な違和感と共に後方を振り返って、何が起きたのかをようやく理解した。
ウマ娘の転倒は、命に関わる。
時速60kmを超える上での転倒だ。
その危険度は勢い良く公道を飛ばすバイクが事故を起こした際の、ライダーの重篤度合いが証明している。
何よりウマ娘の転倒には、当事者にしか分からない問題であるため中々忘れ去られ易い、もう一つの問題がある。
それは精神的負荷。トラウマとして刻まれる心の傷。
レース後に怪我が判明するのと転倒事故は度合いが違う。
転倒事故が、肉体的損傷だけで済む事はまずあり得ない。
本気で走れなくなるだけではなく、レースそのものに拒否反応を示すのは何も珍しい事例ではない。
その一つの例として——タマモクロスというウマ娘の名が挙がる。
デビュー直後、彼女は集団が混雑していた事による転倒事故に巻き込まれた事がある。
自分から転倒したのではなく、前方のウマ娘の転倒事故に巻き込まれた形であったため咄嗟の防御姿勢が間に合い、タマモクロスは比較的軽度の怪我で復帰した。
あくまで比較的だ。身体中に打撲と切り傷を負い、もう少し衝撃が強ければ複数箇所の骨折や筋繊維の断裂は明らかだっただろう。
だがそれは良い。まだ良いのだ。回復したから。
タマモクロスには、未だに回復していない転倒事故の傷がある。
それが心の傷。トラウマ。心理的外傷。
彼女は転倒事故に巻き込まれて以降、レースそのものに強い拒否反応を示すようになる。
レース直前、食事が一切口を通らなくなり、重度のナーバス状態に陥るだけではない。
酷い時は他のウマ娘が接近して来るだけで怯え、バ群から離れた後方からの追込策を確立するまで、凡そまともにレースをする事が出来なかった。
だから、分かる。
目の前で命に関わる事故が起きた。それに巻き込まれたのだ。
前後不覚になるほどの衝撃、脳裏にまで響く身体が軋む音。
未だに、あの出来事だけは茶化す事が出来ない。
事故直後は、特に酷かった。
自分の身体も心も制御出来ない恐慌状態に陥り、しばらく会話もままならない状態であらゆるものから逃げる為に暴走を繰り返す。
競走中止となった自分を、救急に運ぶために近付いて来た人にすら怯えていたらしい。
『———っ………シ、シンボリエウロスが』
だから。だから分かるのだ。転倒の恐怖を。その衝撃を。
故にその日その瞬間、目撃者の一人であったタマモクロスは、後に言う。
『——来た』
あのウマ娘は、自らの命を勘定に入れてすらいない。
『な、なん……シ、シンボリエウロスが、来たっっ!!?』
転倒に巻き込まれた訳じゃない、自らが起こした単独事故だ。
防御姿勢など間に合っておらず。咄嗟の減速など一切していない。
時速60km以上での転倒はもはや地面を滑るというものではなく、芝に叩き付けられた衝撃で何度もバウンドし、回転しながら芝の上を吹き飛んでいく。
それを止めたのは果たして反射の防御であったか。
或いは、自らの全てを擲つ事も厭わない渇望だったか。
爪が剥がれるのにも躊躇せず、腕を、指を芝に突き立て、身体の回転を止める。
同時に脚を杭のように地面に突き刺し、制動で剥げていく芝。露出する土。
削られるように表面の芝が舞っていき、その芝の中に土煙が混じり始めた時、彼女が伸ばしていた右脚が外ラチに衝突する事でようやく身体が止まった。
カーブの遠心力もあり、転倒の衝撃で数十m以上も転がりながら彼女は滑っていたのだ。
全身が激しく痛む。
——どうでも良い。全身の感覚はある。まだ四肢が動く。
頭を上げた。右目が見えない。
——頭を切った。額から流れている血のせいだ。意識ははっきりしている。
唯一見えている左目。
映る視界。
遥か遠くの集団。
身体を打ち付けた。
肺の酸素を溢した。
ここからどうやって巻き返せばいい。
今、ここは何メートル地点か。
感覚が狂った。
もうレース展開の話じゃない。
31秒台でも間に合わない。
だから。
——だから?
それが、何だ。
それは、勝負を諦める理由にはならない。
レースはまだ、終わっていない。
刹那、脳裏を走り終えた思考。
彼女の外郭を形成していた普遍的な常識や一般的な知識すらも置き去りにした、異常の判断。
胴体、手足。骨、筋、関節。どう考えても無事な訳がない。
指先と額には真紅が迸り、勝負服は至るところが破け、土に汚れている。
だがしかし、再び脳が判断を下し肉体に命令する——よりも尚速く、彼女はもはや反射的に右脚を蹴り出していた。
斯くして、彼女は再びレースに舞い戻る。
傍から見たそれは、彼女が転倒による衝撃で地面を転がりながら滑っている最中に体勢を立て直し、制動のために繰り出した右脚が外ラチにぶつかった瞬間、反動で柵を蹴り飛ばし、シンボリエウロスがレースに復帰して来たようにしか見えていなかっただろう。
そこに残るのは、ブレーキ痕のように生々しく一直線に芝が捲れ上がったターフと、外ラチを支えている一柱が尋常ではない形で軸から歪んでいる惨状のみ。
『再復帰の禁止』
1.競走においてウマ娘が転倒事故を起こした場合、当該ウマ娘は競走中止となり、再復帰して競走を継続することはできない。
それは本来なら、数十年後に作られる筈だった国際調和及びウマ娘の保護を目的とした規則。
この規則を僅かたったの半年で設立まで漕ぎ着けてしまった最大の理由、及び最悪の事例として彼女は復帰した。
彼女はそれでも、空を飛んでしまった。
「シンボリエウロスがっ……シンボリエウロスが——! 戻って、来たっ………!』
残り748m。
現在24番手。最後方にポツンと一人。
先頭まで——約47バ身。
距離。国。時代。施行人数。バ場。開催場。あらゆる全ての条件という条件を省き、その距離を覆して勝利したウマ娘は、この世に存在しない。
× × × ×
新たな喧騒が、焦燥と共に湧き上がる。
騒然となった東京レース場で、しかしシンボリエウロスの勝利を信じている者は誰もいない。
冷静な判断が出来ていないからではない。分かるのだ。目の前で転倒事故が起きたのだ。
身体が保つ訳がない。物理的に広がった距離はあまりにも遠過ぎる。
無理だ。
レースに復帰して来た。それだけで奇跡だ。
いつだって常識を覆して来た彼女の行いはこれで終わり。誰もが考えるまでもなく悟る。
彼女が僅か1Fで、14バ身詰め切ってくるまで。
「は………?」
その具体的な数字を知るのは、後の話である。
この光景を見ていた人の中にシンボリエウロスがどれだけのバ身差を埋めたのかなんて分かる者はいない。分かる訳がない。ただ、速すぎた。
人々には、今までのシンボリエウロスすら遅く見えている。
何せ今この瞬間のシンボリエウロスは、普段の彼女が詰め切って来る距離の——2倍近い距離を覆しているのだから。
「い——いや、まさか…………」
頭が否定している。
常識と知識が、それはあり得ないと。
「まさか——」
だが心が訴えている。
そして目の前の、嘘のような現実が言っている。
「——ここから勝つのか………!!?」
この速度が続くのならば、シンボリエウロスは先頭を貫く。
そのウマ娘は、いつだって常識の外側にいた。
そのウマ娘は、誰しもが敗北を悟った筈の位置から飛んで来た。
今日この瞬間も、そうだった。
彼女が転倒した瞬間、もうダメだと誰もが思った。
だけど当たり前のそれが、一瞬で逆転する。
彼女はいつだって、たった一手で全てを変える。
『シ、シンボリエウロスが……っ! シンボリエウロスが、更に伸びて来た——』
更に先頭との距離が縮まった。
夢でも見ているかのような、現実感のない距離。
質の悪い冗談だと誰もが否定する、空想の領域。
彼女は次の1Fで、更に17バ身もの距離を埋めた。
あり得ない。
そんな事、誰もが分かっている。
ざわつく喧騒に畏怖が混じった。
誰かは自然と、呼吸を止めた。
更に騒然となる東京レース場で、正常にレースを見ている者は誰もいない。
信じられない。額から血を流し髪色は赤く染まっている。指先も同様だ。大怪我を負っているのは明らかなのだ。
なのにそんな姿のウマ娘が更に加速し、あまつさえ勝利に近付いている光景など、どうして現実のものに見えようか。
多くのものが、現実を疑っている。
この瞬間を冷静に見ている者など、何処にもいない。
たった一人もいない。
「エウロス、お前は、本当に———?」
その中には、彼女の姉もいた。
勝つのか——? 茫然と立ち尽くしながら呟くシンボリルドルフは、少し先の幻を見ている。転倒事故を起こしていながら尚1着を取ってくる、妹の姿を。
「——……もう」
ふと。真横から。
懇願するような声がした。
「——もう、走らないで、ください…………」
観客席の縁を掴んだまま崩れ落ちた樫本理子の、その小さな細い声が喧騒に呑まれていく。
彼女にはもう見る事なんて出来なかった。見ていられなかった。
負けても良い。勝とうとしなくて良い。だから止めてくれ。
きっと心の底からそう願ったのは樫本理子だけだったのだろう。
狂気すら蔓延しかけているこの喧騒の中で、彼女だけが現実を見ていた。
「—————————」
果たして、それは聞こえていたのか。
不意にシンボリエウロスの首がガクッと下がる。
糸の切れた人形のように力を失い、急速に速度が失われる。
既に真っ直ぐ走れていない。フラフラと足並みが疎らになり、人が走っているよりも尚遅い速度でシンボリエウロスはゆっくりと芝の上を進んでいく。
「え?」
レースが、終わった。
前方で繰り広げられていた、展開争いに関与する事もなく。
残り200mからの末脚の凌ぎ合い、最後の実力勝負に組み入る事もなく。
| 着順 | 枠番 | 馬番 | 名前 | タイム | 上り | 着差 |
| 1 | 5 | 12 | オグリキャップ | 2:26.5 | 36.0 | |
|---|
| 2 | 8 | 23 | サクラチヨノオー | 2:26.8 | 36.4 | 2バ身 |
|---|
| 3 | 6 | 16 | ヤエノムテキ | 2:26.9 | 36.0 | ½バ身 |
|---|
| 4 | 2 | 5 | ファンドリデクター | 2:27.3 | 36.6 | 3バ身 |
|---|
| 5 | 1 | 3 | メジロアルダン | 2:27.4 | 36.8 | ½バ身 |
|---|
オグリキャップが後ろを振り返ったその時、シンボリエウロスは200m近く後方でバタリと倒れていた。
彼女は、ゴールを迎える事すらなかった。
「——エウロス……?」
新たなダービーウマ娘を祝福する歓声が聞こえて来ない。
騒然としているレース場の何処か遠くで、何かを叫んでいる声がした。
しきりに何かを要請する声が響いていた。
その間、シンボリエウロスは身じろぎすらしなかった。
彼女はずっと、芝の上で倒れたまま動かない。声も上げない。
レースが終わってからのほんの数十秒が、まるで何分にも何十分にも感じられた。
彼女が最初の転倒を引き起こした時点で動き出していたのだろう。
飛び出して来た救急車両がターフを横切り、シンボリエウロスの元まで駆け付ける。
担架で運び込まれる光景が、コマ送りのように流れた。
1分1秒も遅いと、救急車両は再びターフの上を走り、地下道を通ってすぐさま見えなくなった。
15:38。
丁度それは、レースが始まってから3分後の出来事だった。
× × × ×
その瞬間、それを認識出来た者はいない。
騒然となった東京レース場では誰も。
きっと画面越しに中継を見ている人も分かっていなかった。
だから、それを認識しているのは機械だけ。
感情はなく、判断も鈍らない。
そこにあるのはただの事実。
ターフを映し出すハイスピードカメラと連動した計測器は過不足なく役目を果たす。
計測器は未だ、ある一人のウマ娘のゴールを待ち続け、最後のラップタイムのカウントアップを続けていた。
だがその計測器は昔のような手動式ではなく、1Fごとのラップタイムしか計測出来ない古いものではない。
その計測器は、速度からタイムを測り出せる。
故にその計測器は、確かにそれを認識していた。
ある一人のウマ娘が転倒し、再び脚を蹴り出した瞬間。計測器は即座に再計算を始めた。
彼女の速度を弾き出し、カメラに映るターフ場から距離を測り、1F辺りのラップタイムに変更する。
それは非公式で、変則的なラップタイム。
あるウマ娘が転倒から復帰し、再び失速するまでの約2F。
東京レース場の片隅。一つの計測器の画面に、その2Fのラップタイムはこう表示されている。
9.9秒 9.5秒
その日、その瞬間。
シンボリエウロスの無敗が終わった裏側で。
ウマ娘が到達し得る生命の限界地点が、四回り更新された。
き ☆ ✏.
文A
第55回東京優駿(以下日本ダービー)は、■■■■年5月29日に東京競馬場で行われた日本中央競馬競走協会(URA)主催のGI競走である。日本中央競馬設立以来史上最多動員数・最高興行収入を記録した。1番人気に支持されたシンボリエウロスが競走中に転倒。即時復帰しゴール手前200m地点まで暴走した後、再度転倒。競走中止となった。優勝馬はオグリキャップ。
1日本
日本中央競馬競走協会(URA)
東京競馬場
■■■■年
5月29日
芝2400m
GI
1着賞金9500万円
クラシック級(指定・国際)
晴
良馬
オグリキャップ馬
第55回東京優駿(日本ダービー)レース映像,uraofficial(URA公式UmaTubeチャンネル)による動画
史上初、無敗でクラシック三冠を達成したシンボリルドルフが引退してから4年が経ち、トゥインクル・シリーズの興行が徐々に右肩下がりになる中、第55回日本ダービーは入場者数21万2189人とダービー史上最高の数値を記録した。これは東京競馬場及び日本全体の入場者数の歴代最多である。
1番人気はクラシック三冠馬シンボリルドルフの実妹シンボリエウロス。
シンボリエウロスは様々なレース展開や出走馬の分布の前でもパフォーマンスがほとんど変わらず、決まって残り600m地点から脚を入れ、数十馬身近い差を一気に詰め切る常識外れの追込ウマ娘としての地位を確立していた。当時シンボリエウロスは、皐月賞を含む各重賞レースの全てを出走馬最速の上がり3ハロン(以下F)で無敗の9連勝中であり、その内6レースがレコードタイムである。中でも第39回阪神ジュべナイルフィリーズでは後の芝2000m日本レコードホルダーのディクタストライカ、第22回共同通信杯では第39回朝日杯フューチュリティステークス王者のサクラチヨノオー、後の永成四強の一角スーパークリーク、後述のオグリキャップを退けて勝利し、倒した来た相手・パフォーマンス共に申し分ないものであった。更に他では、前走の皐月賞で優駿メジロアルダン、同年の鳴尾記念優勝馬のヤエノムテキをも退けている。この時のシンボリエウロスは、日本中央競馬史上歴代最強の一角であり、クラシック三冠最有力のウマ娘だった。
2番人気は、同年1月に公営地方競馬競走協会(NAU)に所属する笠松トレセン学園から中央トレセン学園に移籍して来たオグリキャップ。
同馬は移籍前のトレーナーである北原穣が中央移籍に乗り気ではなかった事と、移籍時期とクラシック登録期間が重なった結果、クラシック登録を行っていなかった。地方からの移籍でありながら共同通信杯2着、毎日杯1着と勝利を重ねるオグリキャップに対し、同世代の有力馬ディクタストライカは故障中、サクラチヨノオーは不調に苦しみ共同通信杯6着の惨敗もあってシンボリエウロス以外に敵なしの評価が高まるようになった。皐月賞ではシンボリエウロスがハナ差の辛勝を収めたのもあり、もしもオグリキャップがいたら話は変わったと評価されるようになる。オグリキャップがダービートライアル指定青葉賞を、前年の日本ダービーの勝ち時計に2.1秒先着する大差勝ちで収めた時、この世論は破裂寸前まで膨れ上がった。結果、オグリキャップのクラシック特例出走を求める署名書が20万も集まり、匿名の抗議文がURAにまで届く事態となった。この運動は、当時中央トレセン学園の生徒会長であったシンボリルドルフが署名書の一つにサインをした事で話題となっている(詳細に付いては『クラシック追加登録問題』を参照)。
この運動を当初URAは「公平性に反する」として認める事はなかったが、クラシック最終登録期日にオグリキャップの特例出走を認めた。
シンボリエウロスが勝てば10戦10勝による無敗二冠達成。オグリキャップが勝てばハイセイコーが叶わなかった中央移籍ウマ娘の日本ダービー勝利となり、当日の投票人気オッズは、シンボリエウロスとオグリキャップがほぼ独占していた。日本ダービーで2名のウマ娘が単枠指定を受けるのは史上初だった。離れた3番人気にメジロアルダンが続き、4番人気ディクタストライカ、5番人気ヤエノムテキと続いた。
芝2400m(左) 晴・良馬場。東京競馬場・第10R 15:35施行
スタートが切られると、前走の皐月賞で大逃げを選択したモガミファニーはここでも勢い良く飛び出し大逃げの体勢を取る。同じく逃げ宣言のモアフォワードだったが、隣の枠にいたシンボリエウロスが内枠へ切り込まず、その煽りを受けて上手く先行策を取る事が出来なかった。この時点でモガミファニーの単騎逃げ状態となってレースは進み、1F辺り11.5〜11.4秒のハイペースで進む同馬は向こう直線に入った段階で後方に9馬身ほど差を付けていた。この時シンボリエウロスは25馬身ほど離れた最後方におり、ウマ娘の集団が横長の隊列で詰まった状態で、メジロアルダン、サクラチヨノオー、ヤエノムテキ、オグリキャップの有力な先行馬全てが10番手以内の集団の前列側にて控え、先行していたウマ娘がレースを左右する展開となった。またディクタストライカは中群の外におり、内から外ラチまでの7割近くが埋まる渋滞を引き起こしていた。
1000m通過時点でタイムが58.4とかなりのハイペースでレースが進み、第3コーナーに差し迫る辺りで先行馬が足並みを抑え、息が入る展開となった。ここでシンボリエウロスのみが足並みを緩めず、外目からウマ娘達の集団を捲り上げる進路を取る。本来であれば残り600m付近から仕掛けてくる筈のシンボリエウロスが、凡そ残り1000m地点から順位の押し上げに入ったのを見て、多くの者が期待と困惑に歓声を上げた。この時、実況を担当していた赤坂美聡が「来た!?」と一瞬驚愕した後、「来た、来た来たっ!」と興奮しながら繰り返したフレーズは実に有名である。
しかし、第3コーナーに入り大欅を越えた瞬間、大きく外を回っていたシンボリエウロスが急に転倒。誰とも接触せずの単独事故であった為、この時シンボリエウロスの転倒に気付いたウマ娘はいなかった。スタンドから悲鳴と絶叫が交錯し、幾名かのウマ娘が耳を立て反応する最中、最終直線に入ったオグリキャップは前方のウマ娘を躱しつつ、外目から先頭集団に一気に並ぶ。サクラチヨノオーとヤエノムテキの競り合い勝負に入り、残り200m地点で一歩抜け出し、オグリキャップは2馬身の差を付けて勝利した。
地方から移籍したウマ娘によるG1勝利はハイセイコー以来16年振りの偉業であり、芦毛のウマ娘が日本ダービー優勝を飾るのは史上初だった。
一方第3コーナーで転倒したシンボリエウロスは衝撃で転がりながらも体勢を立て直し、芝に一直線の痕が残るほどの制動を見せ、外ラチに右脚が衝突する形で停止した。この時シンボリエウロスは一時的に前後不覚に陥り、右手小指を除く全ての爪甲乖離、前頭骨及び側頭骨からの出血、右目に重度の角膜上皮障害及び角膜実質の欠損、右肩の肩甲骨骨折を引き起こし、右脚の蹄鉄が破損している状態で外ラチを蹴り飛ばしレースに復帰、暴走した。更にこの場面で先頭から約47馬身離されていながら、僅かたったの2Fで約31馬身を覆す凄まじい末脚を見せたが、残り300m地点で突如沈み込むように失速。フラフラと100mほど進み、残り200m地点で再度転倒。競走中止となった。後の診療では左脚の根骨骨折と右脚の腓骨螺旋骨折が判明している。
日本ダービーでの転倒事故による競走中止は、『タカツバキの悲劇』以来19年振りであった。
| 着順 | 枠番 | 馬番 | 名前 | タイム | 上り | 着差 |
| 1 | 5 | 12 | オグリキャップ | 2:26.5 | 36.0 | |
|---|
| 2 | 8 | 23 | サクラチヨノオー | 2:26.8 | 36.4 | 2バ身 |
|---|
| 3 | 6 | 16 | ヤエノムテキ | 2:26.9 | 36.2 | ½バ身 |
|---|
| 4 | 2 | 5 | ファンドリデクター | 2:27.3 | 36.6 | 3バ身 |
|---|
| 5 | 1 | 3 | メジロアルダン | 2:27.4 | 36.8 | ½バ身 |
|---|
| 6 | 4 | 9 | ガクエンツービート | 2:27.4 | 35.7 | アタマ |
|---|
| 7 | 7 | 17 | コクサイトリプル | 2:27.4 | 36.1 | アタマ |
|---|
| 8 | 8 | 22 | モガミナイン | 2:27.5 | 36.1 | クビ |
|---|
| 9 | 6 | 16 | ギャラントリーダー | 2:27.7 | 37.2 | 1½バ身 |
|---|
| 10 | 2 | 4 | インターマニアート | 2:27.8 | 36.9 | 1⅓バ身 |
|---|
| 11 | 6 | 14 | コウエイスパート | 2:27.9 | 35.9 | ハナ |
|---|
| 12 | 4 | 11 | ナカミリーゼント | 2:28.0 | 37.0 | クビ |
|---|
| 13 | 7 | 19 | ハワイアンコーラル | 2:28.0 | 36.8 | アタマ |
|---|
| 14 | 8 | 24 | クリノテイオー | 2:28.0 | 36.6 | アタマ |
|---|
| 15 | 1 | 2 | バンナムテスコ | 2:28.4 | 36.3 | 4バ身 |
|---|
| 16 | 7 | 17 | マイネルグラウベン | 2:28.5 | 36.5 | 1バ身 |
|---|
| 17 | 4 | 10 | マイネルロジック | 2:28.5 | 35.8 | ハナ |
|---|
| 18 | 1 | 1 | モガミファニー | 2:28.6 | 37.7 | ½バ身 |
|---|
| 19 | 7 | 20 | ディクタストライカ | 2:28.6 | 36.2 | ½バ身 |
|---|
| 20 | 8 | 22 | ブレンニューライフ | 2:28.8 | 35.6 | 2バ身 |
|---|
| 21 | 2 | 6 | コスモアンバー | 2:29.0 | 36.0 | 2バ身 |
|---|
| 22 | 6 | 15 | ディクタアース | 2:29.1 | 38.0 | ¾バ身 |
|---|
| 23 | 4 | 8 | モアフォワード | 2:31.2: | 39.1 | 大差 |
|---|
| 中止 | 3 | 7 | シンボリエウロス | | | |
|---|
事故直後
ゴール手前で再度転倒した際のシンボリエウロスは、額と右目からの出血で観客席からでも分かるほどに重篤な状態であり、身じろぎもせず倒れていたことから(最初の転倒による脳震盪) 15:52に安否が確認された以降もしばらく、一部SNSのサーバーがダウンし情報が錯綜する等の混乱が起こった。また東京競馬場の観客に対して帰宅勧告、入場規制が行われ、第10R・日本ダービーのウイニングライブが中止となった。第11Rに予定されていた1勝クラスの条件戦は取り止めとなり、翌週の振替開催となった。
転倒事故後、全国のほぼ全てのテレビ・ラジオ番組が報道特別番組に差し替えられ、トゥインクル・シリーズに関係する民間企業のCMは公共公益広告機構(現:UACジャパン)のCMに変更された。この過程で一部報道機関が麻痺する混乱が起きている。当日、日本ダービー報道特集を放送したウマテレビの全日帯での総世帯視聴率(HUD)は、60.8%を記録した。またダービーウマ娘に関連する番組が中止になる自体が相次ぎ、SNS上ではオグリキャップのダービー勝利を喜ぶ投稿に対し自粛を求める運動が高まった。この運動に対し、当時オグリキャップを担当していた六平銀次郎は「当事者の一人として仕方ない事だと分かってはいるが、それでもやるせない気持ちでいっぱいだ」「あくまでも、あの転倒事故とオグリキャップの勝利は別の出来事の筈だ」と語っている。スーパークリーク担当の奈瀬文乃は「これほど縮小した規模で行われたダービーウマ娘表彰式は見た事がない」「ダービーウマ娘の栄光を覆い隠す事がシンボリエウロスの為になるとでも思っているのか」と口にしている。また「シンボリエウロスは色んな意味でこの世代の中心だった。事故後、動揺とショックで不安定になっているウマ娘が多い。URAと中央トレセン学園は自粛に力を入れるのではなく、ウマ娘達の心身ケアに回るべきだ。勿論、私達トレーナーも」とURAの運営に対し否定的な言葉を残している。
この騒動に最も大きく反応したのはシンボリグループ総帥及びシンボリルドルフ・シンボリエウロスの祖母であるスピードシンボリだった。両名は、シンボリ家の公式の声明としてオグリキャップを祝福し、日本ダービーの表彰式のやり直しを要望した。だがこれは現在に至るまで実現していない(詳しい理由は後述)。一方、シンボリ家からの声明に本レースの当事者であるシンボリエウロスへの声明がなかった事への意見が集まったが、「競馬会全体のファンと関係者の良識を信じている」「これはあくまでシンボリエウロスの故障とは別の話であって、権威と名誉の話である」と意に介さなかった。シンボリエウロス本人もまた、この件に対しこれといった反応を見せなかった。
だがシンボリエウロスは数ヶ月後に「URAにはまた、難しい立場としての責任を押し付けてしまった」「日本ダービーという最も重要な格付けのレースで、世間と関係者、何より当事者のウマ娘達が納得出来るかを考えた上での政治的判断に、私が非難すべきところは何一つない」とURAの対応を擁護する姿勢を見せている。彼女に続く形で、『クラシック追加登録問題』に貢献した第一人者であり当時URAの運営に批判的なライターとして知られていた藤井泉助が「あの時、スタンドに漂っている異様な雰囲気を一身に受け止めて表彰台に立っていたオグリキャップの姿には、あまりにも慮るものがある」「それでももう一度表彰式を正しくやり直すべきだと言うのなら、その表彰式で何が得られ、何が守られるのかを考えた上で、誰が望んでいるのかを明確にした方が良い」「そういう意味でURAの判断は間違いではなかった」と同じくURAを擁護した事で、シンボリグループは後にダービー表彰式のやり直し要求を撤回し、また主にオグリキャップ陣営が表彰式のやり直しを望まなかった事で、この騒動は一旦の決着を迎えた。
原因追求
シンボリエウロスはダービー当時9戦9勝であり、過出走気味なローテーションを巡って度々注目を浴びる事があった。また前走の皐月賞で同馬は上がり3F31.4秒の世界記録を出しており、またレース後に右脚から崩れ落ちてメジロアルダンに支えられる等のハプニングから消耗が心配されていた。こうした背景から、シンボリエウロスに無茶をさせているのではないかというトレーナーへの批判が相次いだ。これを受けてシンボリエウロス担当の樫本理子は「レースのローテーションに関しては、担当と2人で相談しながら決定していた」と前置きし「しかしレースに出走させるという最終的な判断をしたのは私であり、もしシンボリエウロスが今後復帰出来なかったとしたら、全て私に非がある」と語った。尚この件は、元々シンボリエウロス陣営が両者納得の上で出走レースを決めている事をメディアに広く知らせていたのと、当の本人であるシンボリエウロスが各メディアの姿勢に不快感を露わにし、樫本理子への批判の撤回を強く求めたため急速に下火となって鎮火した。
転倒を引き起こした原因のもう一つの理由としては、スタンド改修による開催レースの変更、主な重賞レースが東京競馬場に集中していた面が度々挙げられる。六平銀次郎はこれを「共同通信杯、弥生賞、皐月賞、そして日本ダービー。クラシックレースの要が全て東京レース場だった。その全てにシンボリエウロスは出走していた。特徴的な走りをするウマ娘が同じレース場に出走し続けていたら、自ずと展開は収束する」と同競馬場で主要レースが連続する事の危険性を指摘している。当時サクラチヨノオーが所属していたチーム『アルケス』の明石椿(当時トレーナー候補生)は「ハイペースでもスローペースでも、東京レース場の2400mは第3コーナーから展開が動くのがほとんど。そしてそこにはダービー出走の24名。運が悪かったの一言で終わりにして良い問題ではないですよこれは」と語っている。
この問題は元々第3コーナー付近は事故や故障が多発していた場所であったため、事故を機に東京競馬場のコース設計の問題点が大きく追求される事になった。また同時に芝2000mの内枠のウマ娘への危険・外枠のウマ娘の不利も問題視された。これを受けて2年後には『東京競馬場スタンド改築等施設整備計画』が発表される事になった。(詳細は東京競馬場のページを参照) 更に日本ダービーでの出走馬多数の状況による脚質・枠番の有利不利の極端さは度々問題視されており、年々出走人数が絞られて来たダービーだったが、他レースと同じくフルゲート18名にする動きが強まり、本競走が出走馬20名以上の最後のダービーとなった。(ただしこの件に関しては様々な意見がある) 『競走においてウマ娘が転倒事故を起こした場合、当該ウマ娘は競走中止となり、再復帰して競走を継続することはできない』とする再復帰の禁止の規則もまた新たに追加された。
これらの改革を主に進めたのは、当時URA中央諮問委員会会長であった獅堂香和である。獅堂香和は会長職引退時の取材にて「あの事故以来、皮肉にもトゥインクル・シリーズの多くの規則改正や設計の見直しが一気に進んだ。それが私の、会長職としての最大の功績となった」「私にとって最も不本意で、最も後悔している事だ」と胸中を吐露している。
後の影響
この転倒事故は日本中央競馬史の一つの転換点とされており、その知名度からウマテレビ系列『あなたのユメ』の放送に於ける最も印象に残っているレース部門ランキングにて、番組内容の趣旨と噛み合っていないのにも関わらず8年連続2位を記録している。特にこれは若い層からの反響が強く、当時トレーナー候補生だった東条ハナは「事故以前と以後で、空気感が全く違った。この事件のあるなしで今のトゥインクル・シリーズの在り方は全く別物になっていた筈だ」「少なくとも中央トレセン学園の教科書は分厚くなったし、事故対応マニュアルとその予防策の論文はまるで雰囲気が変わった」と述懐している。この空気感の違いを当時海外を飛び回っていた奈瀬英人は帰国直後に「ずっと昔にタイムスリップしたのかと思ったよ。あぁ昔って言うと、セントライトが現役だった頃の話ね」「昔に戻ったというより、また一周して来たんじゃないかな」「スポーツやエンタメの象徴としてウマ娘達が走る時代から、ほんの一瞬の全盛期の中で輝き燃え尽きるように走る、かつて神事だった時代に」と称した。
また当時8歳であった生徒会副会長のナリタブライアンは「私にとって一番馴染み深いのはあの時代だ」「当時はショックの方が大きかったが、あの頃のトゥインクル・シリーズの感覚は身に染みて覚えている。それが今の私の感覚となっている」と回想している。更にナリタブライアンは本レースが齎した影響とその知名度に付いても着目し「むしろ逆に聞き返してみたいんだが、1番人気のウマ娘が転倒事故を起こした次の瞬間、地面に跡が残るほど指を突き立ててレースに復帰して来た姿が印象に残らないと思うか? だから私は生徒会に来たんだよ」「今だから言える事だが、まあ結局運命というモノはなるべくしてなったし、その後も当たり前のように続いていった。私らの会長本人が良く言っているだろ?」と語った。これに対し同じく生徒会副会長のエアグルーヴ(当時6歳)は「当時の私は幼かったので周りが言うほどの実感はない。いつの間にかあの時代は過ぎ去っていて、私はその後の輝かしい時代の感覚しか知らない」「ただ、あの日と今がしっかりと地続きであるという感覚は、会長から確かに感じる」と述べている。
尚本件に対しシンボリエウロスは「結局ブライアンもグルーヴも、今を走るウマ娘達がこういう感想なのです。この話はもう終わりで良いのではありませんか? あの頃の私に言うならまだしも」と総評して以降、メディアへのコメントを控えている。
・当時シンボリエウロスを担当していた樫本理子はその日の事を、「いやに目覚まし時計がうるさい日だった、まるでやり直しを求められているようだった」と後に語り、不思議と多くの者が似た体験をしている。
・藤井泉助は、自伝で当時のクラシック戦線を『トゥインクル・シリーズ史上最も荒れたクラシック戦線』と記している。三冠を願われた三冠ウマ娘の妹。地方からやって来た怪物と登録問題が織り成したドラマ。そして始まりの皐月賞。転換点の日本ダービー。波乱の菊花賞。クラシックの終わり、有馬記念の終着を経て、この形容は強い印象を残して広く使われるようになった。
・非公式ながら、シンボリエウロスが転倒事故を起こし再度転倒するまでに刻んだ9.9秒、9.5秒というラップタイムは当時世界記録だった。また確認出来る限り1F10.0秒未満の記録が確認されたのは本競走が最初である。それまではサンタアニアパーク競馬場の一般戦にてシルキーサリヴァンがラスト1Fで刻んだ10.0秒と、第34回東京優駿にてチカラがテンの2F目で刻んだ10.0秒の二例が観測史上最速であった。
・本件から3年後、第58回東京優駿にてトウカイテイオーはシンボリエウロスと同じく残り1000m付近からの捲りを打ち優勝した。勝利後のインタビューでトウカイテイオーは「ようやく、あの日の夢の続きを始められる」と口にし、SNSでは『夢の続き』がトレンド入りしている。
・第19回日経賞 - 3番人気のハクエイホウが、第3コーナー付近で転倒。スイノオーザを巻き込み競走中止。ハクエイホウは左脚骨靱帯断裂により引退。当時スタンド改修により、丁度中山競馬場から東京競馬場に振替開催となったタイミングで起きた悲劇だった。
・第66回天皇賞 - 1番人気キームスビイミーと3番人気タマホープが、第3コーナー付近で急に沈み込むように失速。あわや転倒事故となり、タマホープは1着に対し30馬身ほど遅れた最下位入選。競走後故障が発覚し引退した。また本競走では13番人気オウジャがスタート直後に転倒、10番人気キクノハッピーが最終直線で右脚関節脱臼、12番人気コンチネンタルが同じく最終直線で故障し3名ものウマ娘が競走中止となっている。
・第36回東京優駿 - 1番人気タカツバキが、第1コーナーに殺到したウマ娘達の馬群に弾き出され転倒。競走中止となった。【日本ダービーは最も運のあるウマ娘が勝つ】の由来となった。『タカツバキの悲劇』とも。
・久久保新谷『日本ダービー・100年史』民明書房、■■■■年。
ISBN U45072586
・磯岡敬次郎『静寂の日本ダービー』時源出版、■■■■年。
ISBN U45698837
・西秋秀吉『最も三冠を求められたウマ娘』央端社、■■■■年。
ISBN U47558563
・天野繁正『天馬』央端社、■■■■年。
ISBN U47572344
・公営出版部(編) 編『名馬列伝 シンボリエウロス』公営、■■■■年。
ISBN U48853362
・URA刊誌『優駿賞』■■■■年5月号。
ISBN U49980669
・URA刊誌『優駿賞』■■■■年6月号。
ISBN U49980670
・藤井泉助『あの日のクラシック戦線』■■■■年。
ISBN U49985336
・乙名史悦子『ユメノツヅキ』月刊トゥインクル、■■■■年。
ISBN U51960050