有効射程距離25バ身   作:sabu

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11/27 第8回 G1ジャパンカップ 2/2

 

 残り1600m。

 第1コーナーと第2コーナーを抜けた段階で、ポジション争いは完全に終結していた。

 

『向こう正面に入りました! 先頭はアメリカから来た巨神! ミシェルマイベイビー!!』

Yay! Feels good to be in the lead!やったぁ! 先頭は気分が良い!

 

 3対1のポジション争いで、1の側が勝つ。

 多少は折り合いの付け方もあったとはいえ、前側のウマ娘はレース展開で海外勢に振り回される始末にあった。

 

「うおっ!!?」

 

 そしてそれはタマモクロスも同様だった。

 バ群の中を縫うように前へ進むタマモクロスを阻むのは、海外勢のウマ娘達。

 イギリス代表。内枠。ムーンライトルナシー。

 彼女と肩が衝突し、外側へ押し返されたタマモクロスは蹈鞴を踏む。

 

Are you OK,Lady?大丈夫? お嬢さん

 

 蹈鞴を踏んで衝突した先は、ニュージーランド代表。エラズリープライド。

 衝突された側であるエラズリープライドに大した動揺はなく、走法に乱れもない。

 

「なんやねん……! おしくら饅頭しに来たんちゃうぞ!」

 

 タマモクロスにはパワーがある。

 それも何処ぞの『暴風』と比べたら、二回り近い差の。

 だがそれでも、やはりバ体の差は大きかった。

 根本的な体重の差は如実であり、タマモクロスは相手のバ体が大きい場合、自らのパワーより一回り劣る相手に押し負ける事がある。

 

 仕切り直し。

 迅速な判断と柔軟な発想。

 外に出る。もう一つの選択肢。

 

「(後ろには下がれへん……!)」

 

 後ろにはアイツがいる。

 オベイユアマスター。

 心を掻き乱す策士。

 

「(だから斜めや!)」

 

 前に上がり、バ群に縫い目のある中団外を目指す。

 何よりカーブでは、皆が遠心力に気を付け内枠を守る姿勢に入る為、外に行きやすい。

 その分のロスはあるが、バ群に揉まれる事を嫌ったタマモクロスは、外目に順位を上げながら第1コーナー・第2コーナーを駆け抜け切った。

 

 向こう正面。

 イタリア代表。欧州チャンピオンのトニビアンカは、隊列に余裕のある中団にいる。

 シリウスシンボリもまた。

 

「……Au fait, vous étiez au Prix de l'Arc de Triomphe il y a deux ans.そういえば君は一昨年の凱旋門にも居たな

 

 言葉を投げかけたのは、単に興味の表れか。

 隣を走るシリウスシンボリに問いかけるは、一昨年の情景。

 

Qu'est-ce qui a changé pour vous depuis lors ?アレから君は何が変わった?

 

 以前の凱旋門賞。

 シリウスシンボリは8着で、トニビアンカは2着だった。

 今年の凱旋門では、そもそもシリウスシンボリは出走しておらず、トニビアンカは1着。

 差は縮まるどころか広がるばかりで、ここ1年の実績は如何ともし難い。

 

Vous n'avez rien changé.アンタは何も変わってないな

「……………」

 

 返されるシリウスシンボリの言葉は、果たして皮肉だったのか、どうなのか。

 彼女の返答から興味を失ったトニビアンカは、少しずつラストスパートの態勢に入る。

 

 残り1200m。

 現在向こう正面。

 魔の第3コーナーが近付いている。

 

『直線を迎えて、もうすぐ第3コーナー!! エラズリープライドとムーンライトルナシーが内へと向かう!』

 

 後方。

 差しと追込に分類する二人は、やや早めに前へ動いた。

 ここでオベイユアマスターは、少しだが外へ向かっている。

 故に、内枠に隙間が生まれ、その空間に二人は飛び込んだ。

 彼女ら二人が動けば、レース全体も動き始めた。

 

 トニビアンカが内へ詰める。 

 

 軽い接触と共に、シリウスシンボリが内枠ギリギリを通過し、カーブに入った。

 ほぼ横並びで、シリウスシンボリとトニビアンカが5番手と6番手。

 その後方すぐ後ろ。塞がれた内一歩手前にエラズリープライドとムーンライトルナシーが並ぶ。

 

『さぁ先頭集団、直線から第3コーナーへ!!』

 

 残り1000m。

 

『タマモクロスが中団を維持し、すーっと上がって来る! トニビアンカに並んで、今5番手に!!』

 

 やっと来たか、日本の王者(チャンピオン)

 思案の中、トニビアンカが隣を見据えた先には『白き稲妻』タマモクロス。

 序盤のポジション争いやカーブでの不利を巻き返し、今こうやって隣に並んで来た以上、やはり日本で現役最強と呼ばれているのは伊達ではないらしい。

 だが自分よりも一バ身ほど外。この差は必ず後に響く。

 

『世界の脚トニビアンカ! タマモクロスを見るように後ろに付ける!』

 

 スリップストリーム。空気の壁。

 この場面でトニビアンカが前を譲ったのは、果たして『白き稲妻』を警戒した故か、それとも前を譲った上で自分が差し切れるという自信の表れか。

 トニビアンカがタマモクロスの後ろに付ける。

 

『14人ほとんど一団で第4コーナーをカーブして、直線コース!!』

 

 東京レース場に歓声が沸いた。

 先頭から最後方まで僅か6バ身。

 ポジション争いが熾烈で、前方にも後方にも強い圧力がかかったまま進んだレースは今、全てのウマ娘が直線勝負での刹那を競い合う展開となった。

 現在、タマモクロスが3番手。そのすぐ後ろにトニビアンカが並ぶ。

 エラズリープライドとムーンライトルナシーは、今もまだ5、6番手にいる。

 

 いや。今6、7番手になった。

 

 もしも。

 ここに、かの『暴風』が出走していたら、どうなっていたか。

 分類としては追込。だが彼女を既存的な分類で括って表現するのは難しい。

 極論、脚質など全て外部の人間が分かりやすく呼称したに過ぎないのだから。

 

 喘鳴症持ち。最後の末脚勝負以外に勝ち目を持たない。

 だからレースの全てを、最後の末脚勝負で決められるように持って行く。

 何もかもを、たった一手で変える。

 

 アメリカから来たとあるウマ娘は、この国のGladiateurを——シンボリエウロスをそう捉えた。

 

 シルキーサリヴァン。

 生まれる国も時代も間違え、しかし間違えた故に歴史の特異点として名を馳せた規格外。

 一つの時代を創ったウマ娘。そんな米国の大スターを、アメリカから来た彼女は当然知っている。

 

 アレにはなれない。

 分かっている事だ。彼女は世界中の歴史で一人しかいなかったような追込ウマ娘。

 米国に於いては、本来後方脚質というだけで不遇の烙印を受ける。それを覆したからこそ、シルキーサリヴァンは一つの時代の頂点へと至った。

 

 そして今日。

 アメリカから来た彼女も、きっと生まれる国を間違えた。

 その上で時代を創れるほどの器ではなかった。

 

 差し・追込。

 その上でダートよりもスピードの出る芝の方が得意。

 常に制限を受けているようなもの。真っ向勝負で勝つのは難しい。 

 だから。勝つ為には、幾十にも策を練らねばならない。

 

 もしも。

 シンボリエウロスがジャパンカップに来ていたら、どういう風に勝つつもりだったのか。

 

 最初からレースは動かしていただろう。

 彼女の真髄は、レースの操作を止めない事にある。

 前走。そのまた前走。辿れば最初のレースから彼女は展開を左右するウマ娘の中心に位置し、結果周りのウマ娘から警戒される立ち位置を得た。

 その警戒を逆に利用し、自らに注目を集める状態を手札の一つにしている。

 あのウマ娘は、自分を中心とする場の展開と構築を得意としていた。

 

 デメリットもある。

 その一端は、あの日本ダービーでも露見した。

 

 東京レース場。

 日本国内でも最大規模にコースが大きく、コーナーが緩やかに作られているこの会場では、一瞬のタイミングで一気に趨勢を傾けるようなレース展開は作れない。

 スタート直後の直角カーブを有する東京2000のようなレイアウトを除き、細やかなレース展開の集合はレース場の構造に内包される。

 深刻な有利不利が生まれる場所は少ない。

 実際に東京レース場で行われた共同通信杯では、超スローペース以外にレース展開の攻防はなかった。

 

 それでも、尚。

 東京2400で、たった一手で全てを変える場所を作るとするなら。

 それはゴール手前400mの地点の、坂。

 彼女なら恐らく、ここで決める。

 

『オベイユアマスター! オベイユアマスターが内に滑り込み——今順位が逆転しました!』

 

 斯くして、JOKERは舞い踊る。

 終始自分に注目を集めず、終始誰にも気付かせず。

 彼女にとってこれは、最後の最後まで自分を台風の中心にしないまま、どうやって、どこまで他のウマ娘を思い通りに動かせるかの勝負だった。

 タマモクロスを序盤から捲らせ、エラズリーとムーンを内に動かし、シリウスとトニー周辺に隙間を作り。

 

 その全員を、ほぼ横並びの同じ位置に置いた。

 最終直線。

 残り400m。

 今、坂に入る。

 

『ここでオベイユアマスターが一気に駆け上る!! 素晴らしい末脚!! さぁ勝負は最終直線に持ち越された!』

 

 坂というのは、後半にある場合は逃げ・先行に不利である。

 しかしこの不利となる理屈は、スパートを二段階で行う事の厳しさと同じである。

 序盤で余力を使う。

 坂でペースを狂わせる。

 行き場所を無くす。

 これらの条件をクリア出来れば、脚質に差はなく足並みを崩せる。

 スパートに入る瞬間を狙えば、瞬間的な伸びを一気に削れる。

 そして今日このジャパンカップは、同じくアメリカから来た巨神により、前後全てで隊列が詰まるほどの圧力がかかっていた。

 

 現在3番手、オベイユアマスター。

 内側に半バ身離れてシリウスシンボリ。外側にも半バ身離れてタマモクロス。

 その後ろにトニビアンカ、エラズリープライドとムーンライトルナシー。

 

 ——何処から来た……?

 

 トニビアンカの横を一気に抜けて行くオベイユアマスター。

 タマモクロスを意識し外に振れた瞬間、危険行動にも近い接近で隙間に滑り込んで来た伏兵。

 世界レベルの猛者と云えど……或いはポジション争いの激しい欧州で世界レベルを誇っていたからこそなのか、トニビアンカは咄嗟に反応してしまった。

 

 斜めの進出。

 前方のタマモクロスを避け、更に前のオベイユアマスターをも差し切るような姿勢に入り、それ故に彼女は失敗した。

 坂では、安易に立ち位置や姿勢を変えてはならない。

 ほとんど同様に、後方のエラズリープライドとムーンライトルナシーは、トニビアンカを避けるような進路を取らなくてはならなくなった。

 付近には、アメリカの巨神。

 接触する。

 

 この攻勢で、唯一惑わされなかったウマ娘は一人。

 

「やっぱり猫被ってたな道化!」

 

 シリウスシンボリ。

 今、一等星が動く。

 

「……That's why I don't like it. The real mastar of the show isだから嫌なんだ ホンモノの主役って奴は

 

 その中心であるオベイユアマスターは、吐き捨てるように呟いた。

 彼女は知っていた。星のような煌めきで他を塗り潰す強者という者。

 その恐ろしさと、妬ましさも。

 

 ——So Whatだからなんだ

 

 それを知っているからこそ、彼女はここに来た。

 皮肉と共に揶揄され、それでもまだ諦め切れず。

 バ場も脚質も適性も、何もかも合っていなかった国を飛び出して、この国に。

 遠く離れた、芝の国に。

 

 ——Who cares知ったことか

 

 そして彼女は、限界の先の先を垣間見る。

 時代を創るウマ娘のみが辿り付ける筈の、その領域に。

 

 ピシッ……。

 

 それは不完全。

 それは不恰好。

 何一つ洗練などされておらず、今にも消え掛かっている灯火のような圧力の無さ。

 そうだ。オベイユアマスターは時代を創るウマ娘ではない。

 決して、領域に至るような器でもない。

 だけど、でも。それでも垣間見た、限界の先の先。

 この日に全てを賭けた、たった一度切りの切り札。

 

 ビキィッ……。

 

 空間にヒビが入るように、その領域は開いた。

 生まれる国も時代も間違えたウマ娘に、開く権利を与えた。

 

The master of this raceこのレースの主役は……is ME私だ!!

 

 WILD JOKER。

 この場所と、この状況のみの限定。

 たった一回限りのワイルドカード。

 それは全てこの日の為に。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 恐らく。

 領域というものを知る全ての人、全てのウマ娘は信じない。

 今日この場にいるオベイユアマスターですら、あり得ないと言う。

 シンボリルドルフも、マルゼンスキーも、ミスターシービーも、何かの間違いだろうと断言する。

 

 唯一シンボリエウロスのみが、悲しげな表情の中に理解と納得を灯す。

 

 オベイユアマスターが開いた、不完全な領域。

 時代を創るウマ娘のみが至れる筈の、その領域を。

 間近で、真後ろで。そのウマ娘は見ていた。

 

「——————」

 

 シリウスシンボリは、今までに。

 ただの一度も領域を開いた事がない。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 侮っていた訳ではない。

 極東の島国で行われるとはいえ、国際G1。

 欧州とは芝のバ場が異なり、会場のレイアウトも、レースの規則も異なる。

 対策や研究は徹底したし、コンディションも遠征前までのレベルに調整した。

 過去全てのジャパンカップに出ても勝てる確信があった。

 

『——オベイユアマスター!! オベイユアマスターが逃げる! オベイユアマスターが先頭っ!!』

 

 ——だのに、何だこれは!?

 目の前の光景、そして予想外の想定にトニビアンカは困惑していた。

 意識外の伏兵にしてやられた。その伏兵が領域に至るほどの実力者だった。

 その二重の衝撃は、流石のトニビアンカでも即座に飲み干せない。

 

Ma che diavoloふざけるな……』

 

 いいだろう。ならば。

 出し惜しみは無しだ。

 欧州王者としてのプライドがトニビアンカを動かし、そして場に呼応するようにそれは開かれる。

 領域。時代を創るウマ娘のみに至る事を許される、限界の先の先。

 極めて自然に、入り込むようにそれに至れるのは、やはり欧州最強ウマ娘としての格と実力が成せる技か。

 白と黒。瞳から迸る炎が交じり合い今、形を成して世界の脚が迫る。

 

 バキッ。

 

 と、その時だ。

 トニビアンカは自らの軸脚から、今確かに。

 骨にヒビの入る音を聞いた。

 

 あぁ。運命は彼女の味方をしなかった。

 領域。限界の先の先。文字通り今、彼女の脚は限界を迎えた。

 坂か。ペースを乱したからか。この場面で領域を開いたからか。

 分からない。ただもう、理由を探す事に意味はないのだろう。

 全ては、なるべくしてなった事なのだから。

 

『あぁーっとトニビアンカ伸びない! トニビアンカ伸びない!!』

Toniトニー ………」

 

 フッ……と力無く消えていく領域とその残滓に、後方から彼女の異常に気付いたムーンライトルナシーが切なく呟く。

 

『先頭は依然オベイユアマスター! ミシェルマイベイビーは苦しいか!』

 

 途中、有利にレースを進めていたミシェルマイベイビーも、既にオベイユアマスターに抜かされていた。

 追い縋るが、引き離される。どうしても後一歩が伸びない。

 

 ——あり得ない……! ここでまだ伸びるなんてどんなスタミナしてんのさ!

 

 ミシェルマイベイビーはアメリカから来た。

 オベイユアマスターもアメリカから来た。

 どうにも記憶に残らない見知らぬウマ娘だったが、同じ国を故郷とする身だからこそ、その恐ろしさが分かる。

 後ろにはエラズリー。ムーン。トニーもいる。

 

 ——クソッ! 2着だ! 2着は死守してみせる……!

 

 リアリストとしての心情。

 最低限は守る現実主義者としての面構え。

 それをウマ娘としての甘さとして、一筋の閃光が貫き通す。

 

What?

 

 切り裂くような鋭さ。

 刹那にて迸る、雷光。

 

 あるウマ娘の話をしよう。

 彼女は天皇賞・秋を、極めて順当な形で勝利した。

 そこには本当ならいる筈だった『芦毛の怪物』がいなかったからだ。

 必然的に彼女は、現在まで領域に目覚めていない。

 

「——ふざけんなや」

 

 故に、ここになる。

 

「——調子に乗ってんとちゃうぞ、ドアホが」

 

 白き稲妻。その全力。限界の先の先。

 一切の予兆もなく、気配もなく、雷が落ちるような刹那で領域へ至る。

 その荒々しさ、正に荒ぶる雷神の如し。

 しかもその上で、オベイユアマスターが開いた不完全で不恰好で、気を抜けばその瞬間にも消えてしまいそうな領域とは比べものにならない圧力を放つ。

 周囲に無差別へ解き放たれる肌を刺し貫くような圧力は、余力のないウマ娘から気迫を一切合切消し飛ばしていった。

 タマモクロスは、気性難。

 最初から最後まで、別の国から来た大して知らんウマ娘に好き勝手されているという状況に、彼女の怒りが目覚めていた。

 

Unbelievableマジかよ………」

 

 正真正銘、本物。

 時代を創る側のウマ娘。

 状況を整えこの場所限定で開いた領域に、たった一歩で追い縋って来る。

 そして、上回って来る本当のウマ娘。

 

『——来た来た、来たぁぁっ!! 外からタマモクロス!!』

 

 分かっている。

 坂のあの時、トニビアンカ達と比べてタマモクロスは動きやすい場所にいた。

 その為に序盤で脚を使わせた。後半で坂を迎える為の余力を、最初で削れるだけ削ったつもりだった。

 なのに、それでも来るのは、やはり本当の器を持った側の証。

 考えに考え抜いた事を、ただの一歩で踏み越えて来る、理不尽の極み。

 

『残り200m! タマモクロスが2着!先頭争いはこの2人に絞られたか!!』

 

 後方より、一気に迫るタマモクロスの脚。

 差し・追込のオベイユアマスターをも差し切らんと迫る白き稲妻。

 背中に感じる圧力は、正に後方で落雷が発生したと錯覚するが如し。

 冷や汗が止まらない。

 このままでは負ける。

 

「もう思い通りにはさせへん」

 

 衝撃と悪寒がオベイユアマスターのすぐ背中にまで迫った。

 

先頭(そこ)は——ウチの場所や」

 

 一歩。二歩。

 確実に距離が縮まるオベイユアマスターとタマモクロスの距離。

 

 後もう一歩。

 

 ほんの少しの距離で、射程圏内に入るという時。

 オベイユアマスターは、一気に内に切り込んだ。

 

『オベイユアマスターが内へ切り込んでいく! 斜めに走っている! 並ばない! 並ばない!』

「……? 何……なんや……!?」

『オベイユアマスターが抜けた! オベイユアマスターが抜けた!!』

 

 ——Sorry,White Lightning ごめんね 白き稲妻さん.

 

 ボソリと呟いて、オベイユアマスターは逃げる。 

 

 タマモクロスを形成するのはドン底から這い上がって来た負けん気。

 競り合いには絶対に負けないという、根っからの負けず嫌い。

 意識した相手が隣に並んで来た場合、タマモクロスは規格外の末脚を発揮する。

 恐らく、タマモクロス自身も無自覚な逆鱗。

 

I didn’t come to complete with you 私は君と競り合いに来たんじゃない

 

 時代を創る器はなかった。

 今日この瞬間にも、身に沁みて分かった。

 だからこそ。だからこそ今、この瞬間の為に全てを賭けて来た。

 私でも走れる。勝てる。それを証明する為だけに。

 

I came このレースに……to win this race  勝ちに来たんだ !!

 

 

 もしもこのレース決着に理由を付けるとするなら。

 それは勝つ為だけに考えた策とその精度の差。

 そして、領域を開いたタイミング。

 たった一回限りのJOKER(偽物)は、最後の最後までワイルドカード足り得た。

 

 1着。オベイユアマスター。

 2着。タマモクロス。

 

 差は半バ身。

 故郷から離れた遠い異国。

 個人個人に専用の対策を立て、動きを読み続け、そして全てを賭けて得られた勝利の差は、たったそれだけでもあった。

 

『勝ったのはアメリカのオベイユアマスター!!米国の伏兵がジャパンカップを制しました!』

「………………」

 

 駆け抜けた先。

 会場に響く実況の声と、着順の確定を示す掲示板を見て、オベイユアマスターはようやく自分が勝利した事を実感した。

 広げた手の平を見る。何も無かった筈の手。

 ギュッと握り込めば、そこにあるのは勝利の実感。

 

「〜〜〜〜〜!!!」

 

 言葉なく、彼女は勝利を噛み締めた。

 頬に伝う涙は、ようやく努力が身を結んだ事への歓喜と、報われた事への感動だった。

 

「………負けた。ごめん、おっちゃん。世界届かんかった…………」

 

 2着。

 ゴールを迎えた先、疲労染み渡るその最中、タマモクロスは天を仰いだ。

 敗北の味は何度も味わって来た。だからこそ這い上がって来た。

 それでも、自分の定めた山の頂……その頂点に目の前で手が届かなかった事実は堪える。

 タマモクロス。重賞レース破竹の7連勝。

 その記録は今日、終わった。

 

 だが、胸に響く敗北の事実を噛み締めていたタマモクロス以上に。

 何より、対照的なのは——

 

「あぁぁぁぁァァァッ!!! クソッ! クソッッ!!!」

「………シリウス」

「ダメなのか……!? どうして、私には——!」

 

 5着。シリウスシンボリ。

 膝を突き、項垂れながらも芝に拳を叩き付けるその姿が、シリウスシンボリの慟哭の度合いを物語る。

 全盛期から大きく翳り、しかし無駄なく研ぎ澄まされた今の彼女からは、想像も付かない激昂だった。

 血が滲むほどに牙を剥き出しにするその横顔と、ギラギラと揺らぐ瞳から、過去の面影が強く伺える。

 今はいない妹分の為にジャパンカップを取る。

 そんな姉貴分としての想いが一時消え去るほどの、渇望と衝動。

 たった一人、世界へと渡って鎬を削り続けたウマ娘がそこにはいた。

 

 第8回ジャパンカップ。

 シンボリルドルフ以降、未だ日本に勝ち星はなし。

 此度のレースもまた、日本のウマ娘達には苦い経験となった。

 

 

×        ×         ×        ×

 

 

 画面の先。

 中央トレセン学園でも、そのレースは見られていた。

 今回ばかりは、彼女が見ていない訳がなかった。

 

「…………………」

 

 結果を見て、姉貴分の慟哭を見て、そして彼女は携帯電話を懐にしまう。

 そして無言で走りを再開した。

 グラウンドを駆けるそのウマ娘は、故障によって全盛期から大きく翳りを見せる事になったウマ娘。

 稲妻と示し合わせるかのように、一つ下のもう一人の最強と呼ばれていた、かつての暴風。

 

 過ぎ去った春は遠く、取り零した運と強さはもう戻って来ない。

 彼女達はそれでも走り続ける。道はただ、前にしか存在しないのだから。

 厳しさを伴う冷たい風が吹いた。真冬が迫っている。そして。

 

 運命の有記念が近付いている。

 

 シンボリエウロスの出走取り消しは、行われていない。

 

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