有馬記念は、何話構成なのか敢えて分からなくしています。
一年の総決算。
有馬記念の共同記者会見は、都内ホテルの公共会議室を貸し切って行われる。
ファン投票締め切りからの出馬表確定。次に枠順の公開抽選会と記者会見。
それが有馬記念施行三日前の話となる。
「………………」
シンボリエウロスも、確かにそこにいた。
パーティ会場さながらに飾り付けされた会議室の片隅。円卓席の一つ。
家の色を象徴する緑の勝負服を着た彼女は、精神統一のように目を瞑って座っていた。
もう見慣れるようになってしまった、顔を横断する包帯と眼帯の帯。
しかしそれでも、彼女の佇まいに秘めたるものを感じるのは、果たして幻覚か錯覚か。
「それで?」
シンボリエウロスが座る円卓席。
その対座に、一人のウマ娘が無造作に座る。
同じく勝負服を着たシリウスシンボリ。
記者会見を間近にし、この会議室に集まっているのは有馬記念出走馬とその関係者だ。
当然、共同記者会見の場なのだから集められたウマ娘が勝負服を着るのは当たり前。
だがシンボリの名を冠する二人がこうして対面するのは初めてだった。
きっと、これが最初で最後。
互いに現役。勝負事として走る、唯一の競走。
顔を突き合わせて、シリウスシンボリは言う。
「約束だから来た。それだけか?」
「分からない」
薄く目を開く。
左目のみの、翡翠の瞳。
「でもやっぱり私は前に走るしかなくて、その為に出来る事は全てやった。そう信じてる」
「……そうかよ」
その返答は多分シリウスシンボリを満足させるものではなかった。
だけど彼女は何も言わなかった。
肘を突き、外方を向く。
シンボリエウロスもまた、いつになく静かに目を閉じる。
軽口を言う訳でもなく互いに黙ってしまう。普段の調子なら、そっちこそジャパンカップ5着だったのに? とでも口にする場面であった。
「う、うーん……仲直りとはほど遠い雰囲気………」
「ケンカしていたのか?」
いや、確かにそんな感じの雰囲気だが……と少し離れた場所でオグリキャップとスーパークリークが、二人の事を気にして眺めていた。
クラスメイト。友人。或いはクラシック三冠を分け合った関係を持つ彼女達だが、シンボリエウロスは依然として明確な復帰案が出ていない。
転じて未知数とも言えるが、不安の方が大きかった。それはシンボリ両名の雰囲気からも言える。
硬く、刺々しい緊張感の伴った会議室の空気。
それを払拭したのは、勢い良く扉を開いたウマ娘。
「うぃーーっすお疲れちゃん! さっ、みんなで記者会見パーっとかましたろや!」
「あらあら、お元気そうですね」
「お! 噂のクリークやん。なんや菊花賞勝ってすっかりスターやんな」
一瞬で場の空気が変わった。
初対面の後輩相手でも、気安い友人のような距離感で接するタマモクロス本人の気質もあるのだろう。
稲妻のような刹那で、流れを持っていく異才。
「そんで嬢ちゃんとは久しぶりやな! あれからはどう?」
「タマモ先輩」
会議室の片隅に近付けば、シンボリエウロスが薄く目を開く。
何処となく雰囲気も柔らかになるのは、やはりタマモクロスというウマ娘の才能か。
「いくらか持ち直したと思っています」
「ほーん? いくらかで、万全ちゅう訳やないんや」
「ごめんなさい。まだ自分でも、良く分からないんです」
「そかそか。走りたいから来たちゅう事か!」
でもな。
一言告げ足して、タマモクロスは顔を近付ける。
「手加減はせえへんからな?」
「はい。今は、対等ですからね」
変わらない雰囲気と瞳のまま。
覚悟を問うちょっとした脅しにそう返して来て、呆気に取られてからタマモクロスは笑う。
「……ハッハッハッ! そうやったわ。こうして顔を突き合わせてる以上、ウチらは対等。今更やったな。すまん」
「いえ」
「………オイ」
二人の和やかな会話にシリウスシンボリが口を挟んだ。
シンボリエウロスの瞳は、怪訝そうなものを見る目をしている。
「なんだ? どういう関係だ、お前達」
「以前、リハビリに付き合って貰って」
「そこからウチら、こうして話す間柄やねん。なんやシリウスは知らなかったん?」
思った以上に息が合っていた。
さりげなく妹分の肩にポンと手を置いて答える姿が極めて馴れ馴れしい。
怪訝そうなものを見る目が、段々と冷たさを帯びていく。
「…………」
「そもそもシリウスはどうなん? なんや、ここをラストランにするって言うとるみたいやないかい」
腕を組んだタマモクロスがそつなく自然な形で、知りたそうに聞いた。
タマモクロスとシリウスシンボリ。二人の間柄は深い訳ではない。
ただ共通点はあった。ここにいる大抵のウマ娘より先輩で——そして。
「……あぁ。これはもう決めた事だ。何があっても変わらない。私はこのレース限りで引退する」
しんみりとした雰囲気、というには少しばかり哀愁が足りない。
だがシリウスシンボリの発言は、周囲からの注目を思いのほかに集めた。
シンボリエウロスの方は、表情を変えぬまま。
「……そうか。ならちっとばかし邪魔したみたいやな」
と言い残して、タマモクロスはオグリキャップの方へ去っていった。
——久しぶりだな、タマ。
——それはこっちのセリフや、オグリ。……ようやく、やな。
——……どういう事だ?
——どうもこうもない。どうせあの併走の時、ウチが誰か分かってなかったんやろ。
「何だったんだアイツ……」
「…………」
早速といった様子でオグリキャップと会話をするタマモクロスに、シリウスシンボリは独り言ちる。勝手に来て、勝手に去って、何かに納得したらしい。
シンボリエウロスはそれを何となくで眺めた後、再びゆっくりと瞳を閉じた。
やっぱり、自分に出来る事は走る事だ。
それはずっと変わらない真実。
出来る事は全てやった。
今の自分が考え得る事の全てで、最善を尽くした。
脚は多分、大丈夫。
それでも何かがダメだとするなら、心。
考え得る限りの全てで最善を尽くしても、根本的な考えの何かが足りていないのなら、尽くせる最善には限度がある。
シンボリエウロスの心は、まだ完全に馴致していなかった。
——貴方の怪我は………絶対に私が治す。
——だから、こんな事になっちゃったの?
——明日の毎日王冠。シリウスが復帰すんで……気付いてなかったん?
——何となく思うんです。
それは、つい先日の事だ。
駿川たづなから告げられた、ある予感。
——もしもあの日、エウロスさんが走り続けていたら。
日本ダービー。
全ての転換点であり、私が転倒した日。
あのまま走り続けていたら。
——きっと無敗のままダービーを勝っていた。
そして。
——もう二度と、走れなくなっていた。そう思うんです。
だが私は、最後の最後までは走らなかった。
……何故? 自分の命など別にどうでも良い。本気でそう思っていたからこそ、まともな呼吸もままならない身で走り、そして領域を開いたウマ娘だ。
何もない、ただそこにあるがままの黒い世界に辿り着いた。
あの日もそう。
きっと。きっとあの日なら更に深い、何もない世界に行けた。
限界の先の先。世界が自分一人になったような感覚。
私一人だけで良い。私一人だけの世界。
どうして、止めた。
たづなさんと、自分の言葉が重なる。
——……どうして、あの時走るのを止めたんですか?
それはあの瞬間。
声がしたから。
——もう、走らないで、ください。
泣きながら、懇願するような。
そんな声が。
「——会場の皆さーん!! そろそろ時間となります! 共同記者会見まで残り5分前です!」
呼び込みの声が掛かって、シンボリエウロスは目を開いた。
恙無く記者会見が始まって、それぞれのウマ娘が意気込みを語る。
これと言って……特筆すべき事のない記者会見だった。
少なくともシンボリエウロスにとってはそうであり、当たり障りのない言葉で記者会見は終わる。
出馬表が決まった。
| 1 | 1 | スーパークリーク | | 2 | シンボリエウロス | 2 | 3 | オグリキャップ | 3 | 4 | マティリアル | 5 | コーセイ | 4 | 6 | ルナスワロー | 7 | ディクタストライカ | 5 | 8 | フレッシュボイス | 9 | ロードロイヤル | 6 | 10 | タマモクロス | 7 | 11 | メジロデュレン | 12 | スズパレード | 8 | 13 | ロングリヴフリー | 14 | ハワイアンコーラル | 15 | シリウスシンボリ | |
|---|
有馬記念。
シンザンよりも古く、戦後の残り香を強くしていた時代。
暮れの中山競馬場では中山大障害という障害レースが最大のレースであり、最大の呼び物であった。
しかしその華やかさは、日本ダービーには劣る。
障害レース、という日本での地位と物珍しさ故だったのだろう。
これを受けて、中山競馬場のスタンド改修と共に当時のURA理事会長の有馬頼寧が「暮れの中山競馬場で日本ダービーに匹敵する大レースを」と提案した事が、有馬記念というレースの始まりである。
当時としては他に類を見ない、ファン投票による出走権利の獲得は今も続いている。
施行場も施行時期も変わっていない。12月下旬。中山競馬場。
一年を締めくくる大レース。ファンが望むウマ娘達が勝負し競い合う、最も夢のレースに近い競馬の祭典。
日本ダービーから、約7ヶ月。
12月25日。その日は来た。
『——大勢の観客が押し寄せております中山レース場!!』
中山第9R。晴・良バ場。
芝・2500m。
『世間はクリスマスですが、我々にとっては世紀の大決戦!』
時期も時期。
新年を間近にする、クリスマス真っ只中。
多くの観客はこのレースを画面の先から見ており、直に中山レース場に集まった人は、他のG1レースと比べると流石に少ない。
それでも今年の有馬記念には、10万にも匹敵する観客達がこの冬の寒空の下に集まった。
『雲の間から光が差し、ターフとウマ娘を照らします!』
人々は一様に、願いを乗せる。
期待と共に。夢のレースの結実と共に。
皐月賞ウマ娘。ダービーウマ娘。菊花賞ウマ娘。その全員の集合。
それだけではない。
芝2000mの日本レコードホルダー。
芦毛の因縁を持つ現役最強。天皇賞連覇のウマ娘。
このレースを以って引退を宣言した開拓者。
近年でも稀に見るほどのウマ娘が揃い踏みし、そのほぼ全員に因縁があった。
世代も自覚も関係ない。ファン投票によって選ばれたウマ娘達が一堂に会するグランプリ戦。
日本中が注目を集める、一年最後の締め括り。
『本日のメインレース——』
今日ここでクラシックは終わり、シニアはまた一歩引退に近付く。
『——G1! 有馬記念!!』
もうすぐ、出走を開始する。
有馬記念へと臨むウマ娘達が、続々と本バ場へ進んでいった。
『今年は芝2000m日本レコードをマーク! 驚異的な瞬発力で出るか! 弾丸シュート!!』
10戦5勝。
主な勝ち鞍。
G1 マイルチャンピオンシップ。
G2 函館記念。
ディクタストライカ。5番人気。
1:57.8。旧来の記録を一気に更新し、初の57秒台となる芝2000m日本レコードを更新した彼女は、現環境に起こるマイル距離最強のウマ娘である。
調子によるムラが判断材料に加わったとはいえ、この彼女が5番人気。
今年の有馬記念が如何に熾烈を極めるかを語るような結果となって、ディクタストライカはターフに踊り出る。
『正真正銘、ここで最後!! トゥインクル・シリーズに新たな花道を残した我らが開拓者!!』
中央成績9戦5勝(生涯成績23戦8勝)。
主な勝ち鞍。
G1 日本ダービー(第52回)。
他海外G1レース。
シリウスシンボリ。4番人気。
今年4月に故障。引退論が囁かれ復帰が絶望視される中、毎日王冠にて1着を飾る復活。G1ジャパンにて5着に破れるも、依然としてG1レースでも通用することを証明したかの開拓者。
海外を荒らし回り、日本に世界への希望を見せた彼女は、この有馬記念を以って正式に引退する。
限界が近い事は誰もが知っている。でも、それでも尚彼女は一つの時代の終わりと、始まりを見届けに来た。
ありがとう、シリウスシンボリ。
高々と掲げられた横断幕には、大きな字でそう書かれていた。
『菊花賞で見せた無尽蔵のスタミナとレースセンス! 今日も我々の想像を超えて来るか!』
8戦3勝。
主な勝ち鞍。
G1 菊花賞。
スーパークリーク。3番人気。
期待も低く、知名度も低かった。
そして期待も知名度も得た今日は、ファン投票の人気が低い。
しかしそれでも、確かな実力を以って得た3番人気という数字は裏切らない。
奈瀬魔術。王子様の手に引かれてやって来た彼女は、ガラスの脚のシンデレラか。
それとも。主人公達の道を阻む魔女か。
彼女は
最も強いウマ娘の名に恥じぬ姿で。
『現れました芦毛の怪物!! 今日ここに、最も新しく! 最も期待を集めた! 最も運のあるウマ娘が来た!!」
中央成績6戦4勝(生涯成績18戦14勝)。
主な勝ち鞍。
G1 日本ダービー(第55回)。
他G2 地方重賞多数。
オグリキャップ。2番人気。単枠指定。
地方からやって来た田舎者。灰被りのシンデレラ。
しかし今は、数多の夢と傑物が儚く散った夢の残骸の上に立つ、ダービーウマ娘。
常識もルールも敵だった。その為に常識もルールも覆した。期待と夢を胸に、地方のウマ娘が日本ダービーを願われた。だからきっと、何よりもダービーはオグリキャップに相応しかった。
今はきっと、誰もがそう信じている。
芦毛と芦毛。今日この場で彼女達が出会ったのはやはり、逃れられぬ宿命の対決があるという事なのだろう。
『名実共にナンバーワン! そう! それを証明する為に、白き稲妻はここに来た!!』
17戦9勝。
主な勝ち鞍。
G1 宝塚記念。
G1 天皇賞・春。
G1 天皇賞・秋。
他G2 G3多数。
タマモクロス。1番人気。単枠指定。
最初はきっと、何処にでもいるウマ娘でしかなかった。重賞レースすら遠かった。
それが変わったのはいつからか。きっかけは果たして何だったのか。
今は彼女しか知り得ない期待と誓いを胸に、灰被りのシンデレラは立ち向かう。
日本一のウマ娘。その称号の為には避けては通れない、一つ下の後輩達に向かって。
故に立ち塞がる。現役最強のウマ娘として。
あぁ。そう。
これで出揃った。
これで未だ出揃っていないのは、きっと全てに置き去りにされ、自分で置き去りにし続けたものが何なのか分かっていない、はみ出し者だけだ。
彼女はまだ、地下バ道にいる。
「…………………」
10戦9勝。
主な勝ち鞍。
G1 皐月賞。
G1 阪神JF。
他G2 G3多数。
シンボリエウロス。6番人気。
シンボリルドルフ。シリウスシンボリ。そしてマルゼンスキーとミスターシービー達が残していった、時代の忘れ形見。
人に、URAに。そして時代に無敗三冠を望まれ、しかし彼女は最も速いだけだった。
最も運がある訳ではなく、最も強い訳でもなかった。
彼女は翼を失い、戦績と右脚に消えぬ瑕を残している。右目は未だ見えていない。
6番人気。ファン投票3位ながら、かつてのように単枠指定を組まれる訳でもなく、1番人気として謳われる訳でもないその期待人気が現実の厳しさを物語っているのだろう。
復帰を、奇跡の復活を願われてはいる。
期待もされてはいた。
それでもだ。
シンボリエウロスが取り零し、そして裏切って来たものは返って来ない。
——責任を取れシンボリエウロス。
あの言葉が蘇る。
彼女は未だ、あの時の衝撃を言語化出来ない。誰にも説明出来ない。
それでも有馬記念に来たのは、やっぱり自分にはただ前に走る事しか出来ないから。
やれる事は全てやった。
それでも今日、やっぱり勝てないのなら。それはきっと。
なるべくしてなったのだと、ただそれだけで——
パキンッ。
と、不意に彼女の脚が止まった。
続いてバサリと何かが落ちる音。
地下バ道。もうすぐ光の先に出る。ターフを迎える。
その時の事だった。
「そうか……。もう寿命か」
緑の勝負服。
対となった二つの翼のような赤いマントを留める金具が壊れていた。
ここに来てである。まるでシンボリエウロスの未来を暗示しているかのようなそれに、彼女はこれと言って心を乱さない。
波立つ何かも既にない、と言う方が適切か。
何かを思うでもなく、ただ後ろ髪を引かれただけの赤いマントを拾い上げて、彼女はしばらくその場に立っていた。
「——待って! まだ、まだ行かないでください!!」
声がした。
甲高い少女の声の。
泣きながら、懇願するような。
そんな声だった。
「イヤだ! そんなの絶対イヤだッッ!!」
「貴方は………」
「ボクは……ボクは!」
シンボリエウロスは、一度見た顔を忘れない。
だから分かる。
振り返った先。
関係者しか立ち入れない筈の地下バ道にまで押し入って来た子。それは。
春のファン感謝祭の時に、最後まで付き合ってくれた。
シンボリルドルフと瓜二つの三日月の流星を額に持つ、ウマ娘だった。
さぁ、今年はどんな
ドラマが待っているか?
感動を分かち合って
大いに楽しもうじゃないか
それが、有馬記念だからさ!
全ての人とウマ娘が、夢をかける日
ねぇ教えて? 『天翔るウマ娘』
キミにとって