私の目標はシンボリルドルフを越える事だ。
ではシンボリルドルフを越えるというのなら何をすれば良いのか。
これはまず『皇帝』シンボリルドルフがどんな実績を残したのかを知る必要があるだろう。
越える壁の高さを知らなければ、越え方すら分からない。
色々あり過ぎてあれだが、これがシンボリルドルフだとざっくり語るならクラシック無敗三冠と、史上初の七冠を達成した事が恐らく一番に上がる。
七冠は言わずもがな。
当時シンザンの五冠が最大とされた時代に、G1レースを七つ勝利した。
シンザンは後にG1レースとなる宝塚記念も制しているので六冠と考える事も出来るが、どちらにしろシンボリルドルフが最多G1勝利記録を更新した事に変わりはない。
シンザンが現役だった時代は、G1というグレード制……つまりは世界共通の格付けがまだ制定されておらず、日本では八大競争と呼ばれていた。
凄いざっくり言うと、昔はG1が8個しかなかったみたいな感じである。
次にクラシック三冠を無敗で達成。
ではクラシック三冠とは何か?
まずはクラシックから。
これはそのまま、伝統的な・格の高い、という意味を持つ。
つまりレベルの高いレースを三つ制するという事だ。
決して三歳"馬"………つまりはクラシック級のウマ娘しか出走出来ないという意味ではないが、ただクラシック三冠に於いては、クラシック級のウマ娘しか参加出来ない事に変わりはないので、詳しい説明は省く。
では三冠とは何か。
クラシック級しか出走権利の無いレース中でも更に最高峰、G1レース。
その、とある3つを制する事を差す。
変則三冠、ティアラ三冠まで説明すると長くなるので省く。
国によって三冠の形態は異なるが、日本に於けるクラシック三冠とは何かと言われたら、誰しもがこの三つのレースを上げる。
4月中旬。中山。芝2000m——皐月賞。
5月後半。東京。芝2400m——東京優駿、日本ダービー。
11月前半。京都。芝3000m——菊花賞。
年度によっては、開催日や施行される競馬場が異なる事もあるが、前提となる基本は然程変わらない。
開催日、距離、レース場も大きく異なるこのレース。
出走出来るのは当然クラシック級のみ。
つまり、生涯でたった一度しか出走権はない。
世代の頂点だけが集まるこのレースで、勝つ為に求められるのがそれぞれ違う中、たった一度の機会で、この全レースを全て制する。
それがクラシック三冠。
百年近い歴史の中で達成者は僅か二桁も居ない。
全ウマ娘の目標と理想点。そして夢の到達点。それが三冠。
そのクラシック三冠の、史上四人目の達成者にして、史上初の無敗三冠を成し遂げた者。
あまりにも強すぎてつまらない。勝利よりもたった三度の敗北を語りたくなる。
レースに絶対はないが、そのウマ娘には絶対がある。
そんな事を周囲に言わしめた、『皇帝』の二つ名を持ったウマ娘。
それがシンボリルドルフ。
史上初の無敗三冠、史上初の七冠を成し遂げた存在。
要は歴史に名だたる優駿だ。
最強の馬は誰かという、永遠に終わらない論争の中でも名前を上げられるような化け物。
尚、私の姉になったシンボリルドルフは十冠を取った。
ジュニア級・クラシック級・シニア一年目、無敗。約三年無敗のまま勝ち続け、敗北は三回じゃなくて一回になってしまった、超やべーウマ娘。
ちなみ私は、そんなシンボリルドルフ本人から、自分を越えるだろうと予言されてる、すごくすごいやべーウマ娘である。
私の何がやべーのかを具体的に言うとまぁ未来がやべー訳だが、ここは別にどうでも良いだろう。私の覚悟の問題でしかない。
十冠を取ったシンボリルドルフを越える。
ならば無敗三冠は目標じゃなくて、通過地点。
何言ってんだお前と思われるだろうが、本気だ。
まずは無敗三冠を取る。そこから冠を重ねていって、ようやく姉に並べる。
では更にそこから、自分がシンボリルドルフを越えたと胸を張って言う事が出来て、そして誰もそれを疑わないほどの記録とは何か。
十冠を超える。
これは分かり易い。シンボリルドルフが持っているG1勝利最多記録を更新したというのは、壁の一つを越えたと言えるだろう。
悲願である凱旋門賞を取る。
これも分かり易い。シンボリルドルフは凱旋門賞に出走する事が出来なかった。
シンボリ家の悲願。URAの悲願。日本の悲願。
日本は疎か、そもそも欧州勢以外に勝ち星すらない凱旋門賞を取る事は何よりの偉業になるだろう。
今後何十年と続くかもしれない、絶望と呪いを消したいのもある。
シンボリルドルフの勝ち上がりタイムより速くゴールする。
これは目標というよりかは、自分自身に課した心構えというべきだ。
シンボリルドルフのタイムより速くゴールする。更にはレコードを取る。
ただレースとは、バ場や展開によって大きく変わるものだ。当然勝ち時計も変わる。
故にレコードを取ったから歴代で一番強いなんて事にはならない。
ただ一つの指標にはなるのは事実だ。
この世界では、トゥインクルシリーズとして一般に大きく受け入れられているウマ娘レースだが、それでも全員がファンじゃないし、全員がウマ娘レースを理解している訳じゃない。
そんな一般人の方が一番注目するのは、恐らくタイムとレコード。
何故一番注目されるかと言えば、一番分かりやすいから。
勝ち時計は強さの指標には直結はしない。でも速さの指標には直結する。
故に一番分かりやすい指標にして、刻まれた数字という共通事項は消えずに残る。
それに出走したほとんどのレースでレコード勝ちをしたら、凄まじい偉業である事に変わりはない。
例えば……生涯無敗のまま日本ダービーを制し、十勝の内七つの勝利がレコードであった存在のように。
狙えるなら狙う。かなり積極的に。
一バ身差でも勝ちは勝ちだが、なんだろうな、私の性格なのか、何バ身差も叩き付けて勝ちたいのだ。
大差勝ち。圧勝。
あまりにも圧倒的に。誰も並べられないほど鮮烈に。
世界レコードを縮めたい。速度という壁を超えたい。
誰よりも、何よりも。
どこまでも速く。
全員を遥か後方に、何もかも置き去りにしてやりたい。
速度というウマ娘の原初の欲求が、私は多分強い。攻撃的なほどに。
何でかは知らない。性格と言ったらそれまで。
なんか変なウマソウルを宿してる……何ならウマソウル以外の何かも宿しているかもしれない影響があるからか、今自分のウマ娘としての本能が抑えきれてないのだろう。
今のとこ抑える気はないが。
要は、1バ身差で何回かの勝利よりも、圧倒的大差勝ちの勝利が欲しいのだ。
十冠を超えるというのなら、安定した強さを求めるべきだ。
だが私は、それでも圧倒的な差を付けたい。
1戦で燃え尽きるような勝ちをするか。何回も勝利を重ねる為の安定した勝ち方をするか。
どちらを選ぶ?
そう問われたら、私はこう答える。
両方。
十冠越えもする。レコード勝ちも狙う。
妥協しない。一歩も譲れない。この脚で踏み越える。
誰もが当然だと思っている既成概念を打ち砕き、ウマ娘という生命の限界を破る。
ただの甘さかもしれない。
向こう見ずな現実を知らない子供の、幼稚な夢語りだとも。
でもやる。
だって——私の姉上だって、最初は誰も十冠を成し遂げるなんて思っていなかったのだから。
だから、やる。
いずれ割り切らなくてはならない日が来るかもしれない。
ならばその日まで続ける。そしてその日は永遠に来ないようにする。
それが、私の目標。
ではまず、私はどういうローテーションで出走していくか。
まずの目標は無敗クラシック三冠。
だが、私はまだジュニア級だ。
じゃあジュニア級で何をしようか。となると、実は結構自由が利く。
まず一つ目。
私が超えたいシンボリルドルフは、ジュニア級ではあまり出走しなかった。
重賞レースも取ってない。つまり何らかの功績を立てれば、シンボリルドルフがジュニア級では行わなかった事を成し遂げた事になる。
次に二つ目。
私が相手取らなければならない1988世代のウマ娘達は、実はほとんどジュニア級では活躍してない。
中心核のオグリキャップは今は地方だろうし、他の子はジュニア級未出走でクラシックから来る子が多い。ヤエノさんはこの例だ。
後は、ジュニア級は惨敗が多かったが、クラシック級でいきなり覚醒して来た。そういう子がこの世代には多い。
だから、ジュニア級はやや隙がある。
故に今の内に獲得賞金額を積む、戦績を立てる、経験を積むという意味でならかなり余裕がある。
つまり一石二鳥。
シンボリルドルフがしてない、ジュニア級からの活躍をしつつ、安定して経験が詰める。
いや……個人的にはちょっと試していきたい事があるから、一石三鳥。
出走しすぎだと思うが、ちゃんと未来で勝つ為に必要な事に繋がる。今しか出来ない事がある。実績が欲しいからだけではない。
有力なライバルがまだいない、今しか出来ない事があるのだ。
故に、私がジュニア級で越えなければならない壁は、ただ一つ。
ジュニア級最強を決めるG1レース。
今年は12/20に中山競馬場で施行される、ジュニア級チャンピオン決定戦。
芝1600m 朝日杯フューチュリティステークス。
もしくは阪神競馬場で施行される、同じくジュニア級チャンピオン決定戦。
芝1600m 阪神ジュベナイルフィリーズ。
朝日杯フューチュリティステークス勝者——『サクラチヨノオー』号。
阪神ジュベナイルフィリーズ勝者——『サッカーボーイ』号。
私はこのどちらかを相手どらなくてはならない。
まだ、どちらのレースに出走するかは決めてない。
クラスメイトの、サクラチヨノオーさんと勝負するか。
まだ見ぬ………サッカーボーイさんと勝負するか。
ただ………いや、あの子がそうなのかどうかは、まだ分からない。
一旦保留にしよう。そこまで手が回らない。
どちらかに出走することは変わらない。
故にそこから逆算して、まずはジュニア級重賞レースに出走していく。
現時点で相手にしなくてはならないのは、早熟の実力者達な訳だが、世代の本命は不在ばかり。
多分勝てる。いや、まずは普通に勝つ。勝たなくてはならない。これが最低限。
それが出来なければ話にならない。私の目標など夢のまた夢。
私が早熟かどうかは分からないが、私は本格化前から最大の名門生まれとして様々な経験を既に積んでいるというアドバンテージがある。
たとえ早熟の天才といえど、その才能が伸びる前段階ばかりだ。
つまりは、本格化前にどれだけ負債を積まなかったかが、勝負の要。
走り方に変な癖がある。脚にダメージを残してる。左右の脚で力の入れ方が違う。そういうの。
だから私の方がアドバンテージがある。
故に勝つ。シンボリ家として、当たり前のように。
ただ、このアドバンテージは日にちが経てば経つほど消える。
ライバルだって成長してるのだ。
私も成長する必要がある。
だからどうすれば良いのかと言ったら、まず一番は………トレーナーだ。
そう、トレーナー。
ここが一番肝心。正直、私の才能や実力よりも。
私が十冠以上を取れる才能を持っていようが、トレーナー選びに失敗すれば全てお釈迦だ。
一応、自主トレーニングで鍛えられなくもないが、それでも限度がある。
私は本業じゃない。第三者視点が有るか無いかでも変わる。
そもそもトレーナーが居ないと、ウマ娘はレースに出れない。
トレーナーライセンスを自分で取得する、なんて荒技がない訳ではないが、トレーナー業務は多岐に渡る。
担当ウマ娘の育成。スケジュール調整。メディアとの受け答えなどなど………どう考えてもウマ娘をやりながら出来る仕事じゃない。
仮に出来ても、その時間をトレーニングに充てたい。
信頼できるトレーナーが欲しい。
この人なら全てを任せられる。そんな人を。
そして………そこで頓挫している。
私がトレーナーに求めているものは、二つ。
まずは私を完全に管理してくれる人。
トレーニング内容、食事の内容や私事に至るまでのスケジュールを作り、不必要の無駄を省いてくれる。自分に必要なものを予め提示してくれる。
トレーナーである自分の言う事を聞け、という強制主義ではない。
その都度、私の健康状態や肉体の成長を見て、次の予定に組み換えていく管理主義。
そういう方針のトレーナーが欲しい。
何故か?
話は変わるが、この世界に『騎手』というのは居ない。
レースで走るのはウマ娘だけ。トレーナーは送り出す事しか出来ない。
つまりレース中、私は一人で全てを考えないといけない。
ペース配分。コース取り。位置取り。展開に対する適応力。そしてその全てのタイミング。
何より私は喘鳴症故に、呼吸を常に整える必要がある。一瞬の勝機を見逃さず、その勝ちの目に躊躇いもなく心中出来る精神力と集中力がいる。
呼吸に意識を回しながら。酸欠になる全力疾走をしながら。
頭を鍛える必要がある。体を常に意識する必要がある。精神を支配する必要がある。
だから、欲しいのだ。
肉体の成長、これからの成長曲線を完全に任せられる人を。
私はこうしたい、今日はこのトレーニングをしたいと相談しながら、一緒に成長していくのもいいだろう。
だがそれは、時間と集中力という限られた容量を消費する行為だ。
時間というのは有限だ。
全ウマ娘が平等に等しく、一秒が刻まれる。
トレーニングの量を無駄に増やせば増やすだけ、他に勝つ為の方法に割り当てられる時間が減る。
時間という、全ウマ娘共通の容量をどう上手く使っていくかで差が決まる。
だからトレーナーの言う事に従っていれば、基本の能力は間違いないと確信したい。
確信出来る管理をして欲しい。
そういう管理プログラムの中で、私は私でしか出来ない分野に集中し、意識し、自分の体を常に支配し続ける。
その必要があるから。何故ならトレーナーは、決して『騎手』ではないから。
作戦を立てられても、荒れる展開を読み取りその場その場で対応するのはウマ娘。
その為に、私がレースの全てを担当するから、代わりにレース以外の全てを管理してくれるトレーナーが欲しかった。
次に二つ目。
チーム担当のトレーナーではなく、専属トレーナーが欲しい。
これも理由は同じ、時間というのは有限だからだ。
担当ウマ娘が一人で10の時間を使えるのなら、担当ウマ娘が二人になれば5になる。
もっとも、チームだからこその利点はある。
同じメニューや同じトレーニングを何人かに行えば、その重ねた分だけ時間は増えるだろう。
並走トレーニング相手には事欠かないし、なにも人数分の時間が割合で減るという訳ではない。
ないのだが、やはり複数人に対する時間より、個人に使う時間の方が多いのは変わらない。質も変わる。
後多分、私はチームの利点が全く働かない。
自分で言うのもなんだが、私はかなり突出した才能がある。
だから、周りのウマ娘がG1を取れるような子でないと、多分足を引っ張られる。後普通にチームの雰囲気が悪くなると思う。
チームの雰囲気に合わせて仲良くしましょう、一緒のトレーニングをしましょう、同じ機材やトレーニング用品を使いましょう……なんて協調性を求められた日には、私はチームを辞めるだろう。
後、本当に何より、私は喘鳴症だから専用のトレーニング内容が必要になって来る。
だから専属トレーナーでないとダメ。
全ての才能と時間を使って、私にしか通用しないメニューを組んで欲しい。
私を完璧に管理してくれる人。そして専属トレーナー。
それが私の求めている条件。
で………その条件に当て嵌まる人が中央トレセン学園には一人もいなかった。
まず私を管理してくれる問題だが………うん。これはつまり、超優秀であることの裏返しだ。
ウマ娘に任せない。放任主義でもなく自由主義でもない育成論。
トレーナー自らで管理し、しかもウマ娘の状態を読み取り、次のメニューに組み変えていく。
ただ既定路線に乗っただけの管理ではだめだ。
それでは、ウマ娘の才能も武器も特性も殺してしまうから。
そして、そんな事が出来るトレーナーはまずいない。
次に二つ目。
優秀なトレーナーは大体チームを担当している。
当たり前だ。ウマ娘の数に対して、トレーナーの数が圧倒的に足りてないからだ。
時にはトレーナー合格者が出ない年があるくらいには、中央のトレーナーライセンス取得難易度は高い。
だからこそ、大抵のトレーナーはチームを担当する事が中央トレセン学園から、ほぼ義務みたいなレベルで推奨されてる。
チームを担当してないのは、合格したばかりのトレーナーか、これから実績を積んでいく為、チームのサブトレーナーになった人くらい。
つまり新人。そして新人は私の求めている管理プログラムを持ってない。
高望みしすぎなのだろうか。
結局これも、現実が見えてない子供の甘い考えか。
でも……でも妥協したくない。特にトレーナー選びは失敗出来ない。
しょうがない、仕方ないと妥協を繰り返していけば、姉を越えるなんて事は出来ないから。
自分の人生を預ける人だ。自分の命と才能を預け、未来すらも任せるような人を妥協出来る存在なんているのか。
出来ない。どうしても、そこだけは妥協出来ない。
だってそれほどに、ウマ娘が輝ける時間は短いから。
約2.4年。
これは競走馬……いやウマ娘が本格化を迎えてから、引退するまでの平均年数だ。
つまりシニア1年目の8月頃で、大抵のウマ娘は現役を終える。
そして、ウマ娘の本格化が始まってからの最初の三年をこう呼ぶ、『全盛期の三年間』と。
シニア級にすら行かずに引退するウマ娘だって珍しくない。
行けても、一勝も上げられず惨敗を繰り返すのは別に普通の事ですらある。
そもそも一勝でも上げられるのは、たった30%しか存在しない。
そして勝てても、次で負けるなんて普通。
重賞レースを制してもG1を勝てないのは当たり前。
G1を勝っても、シニア級から急激に走行能力が衰えて、1勝で燃え尽きるのは良くある事でしか無い。
だからこそG1を1回勝てたら普通に偉業。
二冠・三冠は歴史に名を残す優駿であり、四冠は世代最強か、時代を担う者。
五冠は……シンザンのいる神の領域。
ウマ娘のレースの頂点は、夢の残骸で出来ている。
それがトゥインクル・シリーズ。天才が天才でなくなる場所。
ウマの全盛期は短い。三年を越えられないほどに。
故に、最初にして最後になる三年を越えられたか、越えられないか。
G1を複数冠制する名馬というのは、その多くが三年の壁を超え、限界の先へと到達する事が出来た優駿だ。
その三年の壁を越える為には………どうしてもトレーナーを妥協出来ない。
しかも悩んでる暇も、私が求めているトレーナーが現れる時間すら、その三年で消費される。
妥協すれば、未来が消費される。
悩み続ければ、今が消費されていく。
ならば、私はどうすれば良いのか。
………一応、手はある。
いわゆるプランB。
プランAが出来ないから、仕方なく選んだだけの冴えないやり方。
普通にあまり評判の良くない荒技だが、最悪は免れる。
自分の部屋で悩みに悩み抜いた末に、私はこれしか結論を出せなかった。
——『名義貸し』という半ば黙認されている制度がある。
そろそろ夜も更けて来る頃合い、トレーナー寮には一人の女性がいた。
彼女はカタカタと、割り振られた自室でパソコンと睨めっこしながら黙々と仕事をしている。
いわゆる、新人。URA幹部職員になれる訳ではなく、強豪のチームを率いられる訳でもない。
今年合格したばかりの新人トレーナーが彼女だった。
四月に新入生のウマ娘が入ったように、今年の四月に編入された極々普通のトレーナー。
何か彼女の特徴を挙げるとするなら、彼女は今年のトレーナー試験主席合格者という事くらい。
だが試験をしているのだから、必ず毎回主席は出る。
それが今年は彼女だったというだけであり、特に選ばれた存在という訳ではない。
「ううあぁぁぁ………これからどうしようぅぅ………」
そして、主席合格者が今後に付いて悩むのもそう珍しくはない事だった。
確かに彼女は主席合格者だ。優秀である。
だが新人としては優秀だ、という残酷な現実と格差がある。
天才のジュニア級ウマ娘が、普通のクラシック級ウマ娘に敵わないくらいの、残酷な現実と格差。
カタカタと文字を打ち込んでいたパソコンの前に頭を倒し、ぐでぇ、と倒れ伏す。
彼女は悩んでいた。
担当ウマ娘をどうしよう、なんていうトレーナーの誰もが悩む理由で。
「スカウト成功しない………」
もう一度言うが、彼女は今期主席合格者だ。
年によっては一人も合格者が出ないほどの中央トレーナー試験で今期主席合格している。
故に歴代トレーナーの中でも上から数えた方が圧倒的に早い部類に入る。
だがウマ娘の競走があまりにも熾烈なように、トレーナーのレベルと格差も熾烈だった。
彼女には知識がある。頭の柔軟性もある。
特に重要視されている、ウマ娘とのコミュニケーション能力もある。
だが彼女は何よりも重要視されている実績がなく、経験もない新人だった。
そしてこれも重要なのだが、彼女はトレーナーの名門生まれじゃない。
名門生まれじゃないのに主席を取っているので、まぁ普通にはちゃめちゃ優秀である事の証明なのだが、名門が保有している育成プログラムや知識がないので、実際にウマ娘を担当するに当たると気遅れする。
名門生まれは、最初から実績と経験を保有しているに等しい。
知っているのと、理解して実践するのは訳が違う。
文字と成績の上では今年主席でも、様々経験を積めている名門生まれや、中央トレセンという熾烈な場所に長年身を置いたベテラントレーナー達には劣るのだ。
というか大抵のトレーナーはまず、チームのサブトレーナーとしてある程度経験や知識を積み重ねてから担当ウマ娘を得る。
入学テストでは良い点数が取れてたね。
じゃあその期待通りの活躍が出来るか、サブトレーナーとして働いて見せて貰うね。そんな感じ。
1番人気のウマ娘が期待通り必ず1着を取るとは限らないように、トレーナーだって主席合格しようが、まずは見定められるのだ。
超優秀らしい。じゃあそれをまずは示して欲しい。その最初の証明が自分なのはちょっと嫌。
故にウマ娘は最初を避ける。不安だから。
じゃあ何で彼女が、担当ウマ娘をいきなりスカウトしようとしているかと言えば。
「ごめんなさい、たづなさん……最初の一歩いきなり失敗しそうです」
たづなさんから、ウマ娘を担当してみませんか? と頼まれたからだった。
ウソでしょ……と言いたくなる。というか言った。
いきなり新人トレーナーが担当ウマ娘を持つのは、超優秀なトレーナーか、名の知れた名門生まれのトレーナーくらいだから。
——でも、今年主席合格者は貴方なので………。
そうだった………私テスト上だったら超優秀だった………。
正直たづなさんの言葉を受けても断りたいところだったが、中央トレセンの事情は知っている。
ウマ娘の数に反して、トレーナーという存在が圧倒的に足りてない。
だからトレーナーにはチーム運営が推奨されてるし、ウマ娘がレースに出る為の最終手段、トレーナーの名義を借りるだけの『名義貸し』という非公式のやり方もほぼ黙認されている。
いきなり新人トレーナーにチーム運営を任せるのは流石に無理が過ぎるが、一人のウマ娘を担当するくらいなら任せたい。
たづなさんのそんな想いを受け取り、彼女は四月に編入されてから頑張って来た。
そして今に至る。
「スカウト成功しない理由は……まぁ分かってる」
新人だから。寒門だから。知識はあっても経験と実績がないから。
そんな状態で、いきなり担当を持とうとしているから。そんなところ。
でも……いつかは必ずスカウトは成功する。してしまう。
何故か。これも、同じ理由。
ウマ娘に対して、トレーナーが圧倒的に足りてないから。
これはどういう意味かというと、どんなトレーナーでも良いからと、なりふり構わなくなるウマ娘が、いつかは必ず現れる事を指している。
でもそれってどうなんだろうな、とも彼女は思っていた。
別に彼女は、余り物のウマ娘を担当したくないとか考えている訳じゃない。
ただ、そういう子を担当しても、私では多分何も出来ないという無力感が、一歩進めるのを後退りさせていた。
寄り添う事は出来る。慰める事は出来る。
でもそれだけしか出来ないのなら、それはトレーナーじゃなくてただの友人であり、ただのカウンセラーでしかない。
走るのはウマ娘。立ち上がるのはウマ娘。
そのウマ娘を立ち上がらせるのが、トレーナーだった。
たづなさん的には、どんなウマ娘にもチャンスはあるべきだと多分思っているのだろう。
熾烈な競争社会だが、挑める機会はあるべきだと。
だからそういう、なりふり構わずにいるウマ娘を担当するのが一番良い選択肢なのかもしれない。
でもそういう子を輝かせられる自信がない。経験と実績がない。
何で主席取れちゃったんだろ、と思う程度に彼女は自信がなかった。
自分の担当したウマ娘が弱くて負けて自分の経歴に傷が付いても構わない。
でも、そんな弱い子を何とか出来る気がしない。
優秀なトレーナーは優秀なウマ娘を欲しがる。
至極当然の欲求。誰もが思う当たり前の事。
ならば彼女はトレーナーの中でも特異と呼ばれてもおかしくないほどに善良で、ウマ娘の事を第一に考える人だった。
そして同時に、何よりも未熟だった。
「……こういう自信の無さが、ウマ娘の皆に悟られちゃってるんだろうなぁ」
凝り固まった肩を伸ばし、天を仰ぐ。
ウマ娘はそういう、天性の感覚というべき嗅覚に優れている。
故にウマ娘とのコミュニケーション能力などは重要視されているのだ。
トレーナーの不安や心情が伝わり、ウマ娘が活躍出来なかったなんて事は今までのウマ娘レースの歴史が証明している。
トレーナーとウマ娘の絆が、勝敗を左右する。
そういう精神論は、決してバカに出来ない。
人間だって心の持ち様でパフォーマンス能力に影響が出るのだから、当然と言えばまぁ当然だが。
「あぁー……仮契約でも良いしレースの賞金も私には払わないで良いから、ちょっと優秀なウマ娘が、私に色んなノウハウを間接的に教えてくれないかな」
知識はある。主席だから。
こうならこうしろという規定通りのやり方は出来る。
悪く言えば対応力がない。ただ基礎が出来てなければ応用は出来ない。
だから、その応用の為の経験が欲しい。ノウハウが欲しい。
実際にウマ娘を相手にし、自分がどれだけ未熟なのかを知りたい。
「あぁ………本当に最低じゃん、私」
そして、振り返った。振り返って思った。
最低の事を言っていた。
運命を預かる立場のトレーナーが、ウマ娘を相手に自分の能力を試したいだなんて。
しかもそれに至るまでの経緯が、あまり才能に恵まれなかった子を輝かせられる自信がないから、才能に恵まれた子に力を貸して欲しい、いわゆるキャリーして欲しいなんていう、心の深奥が漏れ出た形。
「ダメだ。悩んでいてばかりいると良くない事が頭によぎる」
パソコンをパタンと閉じて、彼女は今日の作業は全部やめた。
トレセンに在籍している今世代の全ウマ娘、その能力と特徴を纏める作業はまだ半分くらいだが、こんな状況では全然良いモノは作れない。
たづなさんには悪いが、いきなり担当を持つのはちょっと厳しかったですと謝ろう。
自分は名門生まれじゃない。最初からいきなり優れた育成ノウハウなどない。
だから一歩ずつ地道に進んでいくのが合ってる。
主席合格者の癖に、名門の自分を差し置いていながら、担当を持たないのか。
なんてちょっと風当たりは悪くなるかもしれないが、自分のエゴでウマ娘の人生を台無しにするよりはどう考えてもマシだ。
今日はもうシャワーを浴びて寝よう。
そう思って気を抜いた時。
コンコン……とドアを叩く音がした。
「はーい?」
彼女は新人だ。来客は少ない。
来るとしたらたづなさんくらいだが、返事がない。
誰だろう。自然な形で、彼女は部屋の扉を開けた。
「…………な、——」
返事がない。
だからちょっと警戒。そして扉を開けた瞬間に停止。
んですか? と続けようとした声が止まる。
この国で知らない者の方が少ない中央トレセン学園の生徒会長。その妹。
中央トレセン学園で知らない者はまずいない、今世代の代表格。台風の目。
上澄みの上澄みの上澄み………の更に上澄みの頂点になるだろうウマ娘が、目の前にいる。
「こんばんは」
うわぁ……初めて声聞いたけどこんな声なんだぁ……なんだか極道の娘さんみたいだぁ、なんて思考が飛ぶ。
いわゆる人間の防衛反応。
恐怖と驚愕がある一定にまで上がると、思考が止まる。
「シンボリエウロスと言います。少しお時間よろしいですか」
「ヒュ………」
ついでに呼吸が止まった。
それも無理はない事だった。
⚪︎目を付けられた新人トレーナー
今年のトレーナー試験主席合格者。女性。
ウマ娘の心情を第一に考える善良者。
たづなさんからの信頼度高め。
まだ未熟。
その時、ふと
⚪︎全盛期の三年間。
この世界に『最初の三年間』という言葉は存在しない。
ついでに言えば、トゥインクル・シリーズで優秀な成績を残した伝説のウマ娘達が集まる夢の祭典『ドリームトロフィーリーグ』もなく、全てのウマ娘が輝ける、全距離芝ダートのトーナメント戦『URAファイナルズ』も開催されてない。
⚪︎約2.4年。
2.6年だった気もする……2.8年だったような気もする………。
平均値じゃなくて中央値だった気もする………。
そもそもこの数字の根拠がもう分からなくて、なんか2.4年というのを作者が朧げに覚えてるだけだから違うかもしれない……。
もし間違えてたら有識者のたづなさん、教えてください……。