椒朔月(はじかみ・さつき)―――――――《修羅》。
塩宮るれあ(しおみや・るれあ)――――《不落城》。
「ハ……ァ……」
血など出ないはずの仮装空間。
だというのに、ここには血なまぐささが漂っている。――それは、死の臭い。
暗い部屋の隅々まで、濃厚な死と悪意が充満していた。
真ん中に横たわる、丸越しの少女の顔に乗っかる、不釣り合いな鬼の面。
からりと軽い音を立てて零れ落ち、少女の身体は無数のポリゴンとなって散り消える。
「……峰山、くん」
言葉を返せはしなかった。
久しく聞いていない、自分の本当の名前。
少女が死に際、ほんの刹那目を合わせた旧知を、昔と同じように呼んだ、その声に。
俺は、何も返せなかった。何かを返す時間はなかった。
だけど、目が合った時。
痛みと恐怖と絶望の闇に塗り潰された瞳に、ほんの一瞬だけ、光が見えた。
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VRMMO《百鬼夜行:Your True Identity》。そのまま百鬼夜行、横文字を略してYTIなど、思い思いの俗称で呼ばれている。
完全なる仮想空間の技術が確立され、ゲームに利用されて以降、爆発的に流行したVRMMO。その覇権を担う、数タイトルの内の一つであり、国内で言えばアクティブユーザー数一位を誇る。
数多の役職、幾多の種族、その他無数のバリエーションを持つスキルの数々。
膨大なフィールド面積。ギルドを主体とした多くの勢力。
ユーザーの数に支えられた、様々な要素が、ゲームとしての魅力を加速させ、ユーザー数は常に増え続けて
――そう、増加傾向はあくまでも過去形である。
本サービス開始五年目を祝うイベントにより、全ては変わった。
キリの良い数である五年目という節目。イベント当日のログイン数は、過去最高を記録し、同じく過去最高に、イベントは賑わっていた。
だからこそ、その落差は果てしないものだった。
盛り上がりの絶頂、五年前に本サービスを開始した同時刻。およそ三分二十秒の間、全プレイヤーが須らく、その活動を一時的に停止した。
それは、一切の予告なく実行された大型アップデート。
再始動したプレイヤーたちは、運営からの告知を確認しようとプレイヤーウィンドウを開き、そして気付いた。
初めの見出し、その一番下にあったログアウトボタンが消失していることに。
かつて、そんな内容の作品があったことを、それぞれが思い起こしただろう。そのイメージが示す通り。運営からの告知には、HPの全損がそのまま、プレイヤー本人の現実での死を意味していると記されていた。
それを信じない者もいたが、実際にHPを全損したプレイヤーの誰一人も姿を現さなかったことで、疑念の声は消えていった。
かつて第二の現実と呼ばれ、楽園とまで讃えられたこの
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デスゲームと化してから一年余りが経った頃。
名の知れた殺人ギルド《Bless Death》の殲滅作戦が打ち立てられた。攻略組を中心とした作戦参加メンバーは、作戦会議のため、中央都市セントレアの講堂に集まっていた。
「久しぶりだな、椒」
会議が終わり、人が散り始めた頃。席を立とうとしたところで、後ろ髪を引く声があった。
「――塩宮」
全身を重厚な翡翠色の鎧に包んだ生物要塞、塩宮るれあ。
かつてのギルドメイトだった。
「お前がこういうでかい作戦に顔を出すとは、意外だったよ」
兜に隠れて顔は見えないが、その仕草と声色から、持ち前の穏やかさを失っていないことは分かった。作戦が作戦だけに、かなりシリアスよりではあったが。
「奴らは前々から目ェ付けてたからな。便乗するのが都合いいってだけだよ」
けどその安穏に甘んじられるほど、今の俺は綺麗じゃない。
それを覚悟していない者は、ここに居ないだろう。
たとえ殺人者たちであっても、人を、人間の集団を、殲滅しようという作戦だ。彼らを放置することで、より多くの人間が殺されるのだとしても。人を殺すことに、変わりはない。
手を汚すことを恐れている者は、ここには居ない。
実際、経験のある者もいるだろう。
けれど、俺の手にこびり付いている汚れは、そんなものじゃない。
汚れに汚れた血肉で汚した、筋金入りの血みどろだ。
そんな俺が、どうして今更、その安穏に縋れるのか。
「じゃあ、また当日にな」
「あーあー待って待って」
突き放すようなことを言って、踵を返そうとする俺を、塩宮は少し食い気味に引き留めた。
「
塩宮の声には、混じり気のない心配が見えた。
――本当に、変わらず良い奴だ。
デスゲームの中でも、人徳を失わないことがどれだけ難しく、強い精神を求められるのか。それを痛いほど知っているからこそ、そう思う。
「……ああ。態々外せないしな」
今着けている、以前とは雰囲気の違う鬼の仮面、《修羅鬼の呪面》。
そして、ある意味馴染み深い、もう一つの特徴は、所謂『呪いの装備』。
装備プレイヤーが死亡するか、もしくは装備耐久値が全損することでしか脱ぐことができない。
「けど、装備を狙って壊す方法くらいあるだろ?」
「それはそうなんだけどな」
どっちつかずな俺の態度は、本気で心配してくれている塩宮にとっては、腹立たしいものだったんだろう。少し厳しくなった声で、
「お前――いつまでもそんなもん着けてたら、いよいよおかしくなるぞ」
と、語気を強める塩宮。俺は、何も言えなかった。尤もな正論だと思ったから。
立場が逆なら、俺も同じことを言ったと思う。
《修羅鬼の呪面》の代償。脱衣不能であることに加えて、防御力の小低下。そして、最も大きな代償は――
「《痛覚遮断無効》なんて、ずっと着けてていいもんな訳ねえだろ!」
塩宮の説教を聞くのも久しぶりだ。そんな、呑気なことを思った。
『いつまでも着けてたらおかしくなる』。その通りだろう。
痛覚遮断。それは、VRゲームのおいて、基本的な物であり、欠かせない物であり、絶対に手を抜いてはいけない物。抜かりがあってはいけない物だ。
「分かってるよ」
痛覚遮断がなければ、身を斬られ、千切られ、貫かれ、殴られ、また魔法により破壊される痛みを、剥き出しに感じることになる。
どれだけゲーム内で名を馳せる豪傑も、現実世界では一般人。痛みへの耐性などあるはずはなく。戦いに伴う激しい痛みは、容易にプレイヤーの精神を破壊するだろう。
自分で身体を動かして戦うVRMMOにおいて、絶対的に失ってはいけない安全装置。
それを丸々引き剥がす代わりに、強力なバフ効果を得る。
正しく修羅の鬼。正しく呪いの面。
そんなもの、外せというのは当然だ。
だけど――。
「だけど、俺は。これを壊す気には、どうしてもなれないんだよ」
お互い兜と仮面で表情は見えない。しかし、俺の声には、悲痛なものが滲んでいただろう。塩宮がそれを察して、苦そうに押し黙るのも、また悲痛なものだった。
「これを壊したら、
何人ものプレイヤーが、この仮面無理矢理着けられ、言葉を絶する苦悶と苦痛の中で殺された。
その最後の被害者は、俺の――。
HPを全損し、仮面が落ち、身体がポリゴンとなって消えるまでのほんの一瞬。
目を合わせ、最期のその瞬間に、あいつに光を宿してしまった罪は、何があっても拭い去れない。
心の奥に隠し守っていた魂を現実に引き戻し、最期の最期まで、絶望と恐怖を味合わせてしまった罪。
それを忘れてはいけないんだ。
「俺は
しばしの沈黙があって。今度こそ踵を返し、緩やかに歩き出す。
「お前が――」
背中を声が打つ。それを受けても、立ち止まりはしない。
「お前が、そこまで背負う必要はないだろ」
たしかに、そうかもしれない。あいつ以外のことまで、背負う理由なんてない。
けれど俺はもう、後戻りはしない。できない。
「それは俺が背負わない理由にはならねえよ」
だってこれは、終わりのない罪滅ぼしなんだから。
【解説】
・椒について
快楽殺人ギルドが仮面の『痛覚遮断無効』を利用して、痛めつけては回復するを繰り返し、メンタルブレイクして反応が無くなれば殺すという犯行を繰り返していた。それにリアルの知り合いが巻き込まれ、アジトを突き留めて乗り込んだ時、丁度その知り合いが死ぬ場面に出くわした。
以来、ソロで殺人プレイヤー狩りをしており、ゲーム攻略にも以前よりは消極的。(ちょくちょくボス戦には参加してる)
レッドプレイヤーとの戦闘なら、プレイヤータグの色は変わらないSAO基準だけど、殺人を炊き付けるグリーンプレイヤーも纏めて殺す。みたいなこともあっただろうから、多分椒のプレイヤータグも赤い。
・ギルド《闇鍋の宴》について
掃き溜めは他デスゲーム√同様に離脱済み。現ギルマスは塩宮。
攻略組であることも変わらず、今回はギルド内の作戦参加者を代表して会議に出席していた。
白金や奏雨も参加してたかもしれないけど、本編みたいな話は散々したろうから、今回はその場にいたとしても静観してるってことで。
塩宮はこれまでまともに話す機会もなく、外からの情報で椒の殺人プレイヤー狩りを知った。
・殺人ギルド《Bless Death》
ゲーム内の新興宗教。
HP全損したプレイヤーが本当に死んだという証拠がゲーム内にはどこにもなく、告知されただけなため、「本当は死んでいない」という幽かな希望を抱いているプレイヤーも少なくない。
そこに付け込み、「死んだプレイヤーは本当はゲームから脱出している」という思想をぶら下げ、信者に殺人をさせている。
信者は完全にそれを善行だと信じ込んでいるため性質が悪い。
ギルドのトップは死を恐れない兵隊と、殺したプレイヤーからのドロップを回収するのが目的。