【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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終わりなき旅

 

 

 心が空っぽの奴は、コレクターになるしかない。

 

 

 カズ君のその言葉が、ずっと心に残っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「どうしてそんなに音楽を聴いてるの?」

 

 私がその質問をカズ君にぶつけたのは、去年の3月ぐらいの事。もうすぐ春休みが終わって、お気楽で楽しかった中学二年生が終わり、自分達もとうとう受験生として勉強に集中しなきゃいけない憂鬱な一年が始まる。

 その頃の私はまだリョウ先輩ともその頃は出会っていなくて、私がギターを始めようか少し悩んでいた時期の事だった。

 

「どうしたの、突然」

「ううん。なんとなく気になっちゃって。どうしてこんなに音楽を集めたのかなぁって、気になったの」

 

 いつものようにカズ君の家に遊びに来た私は、カズ君の倉庫でCDを物色していた。

 右と左の壁、天井まで伸びた大きな棚。学校の図書室よりも大きな棚にはびっしりとCDやカセットテープ、レコードがぎゅうぎゅうに敷き詰められていて、中にはひと昔前に流行ったらしいMD?と言うカセットも置いてあった。棚のあちこちには『クラシック』『オペラ』『ロック』『ポップ』とジャンル別にラベルが貼られて、一目で何の曲が置かれているのか分かるようになっている。ABC順にきっちりと並べられたCD達は、これの持ち主の几帳面さが目に見えるような気がした。けれど、棚に収まりきらずに零れたCDが床に積み上げられているせいで、少しだらしない部分も浮き彫りになっている。余所見をすればすぐにぶつかって倒してしまいそうなCDケースの塔は、この部屋のあちこちに建てられていた。

 

「相変わらず、すごい量」

 

 カズ君の両親と、カズ君が集め続けた世界中の音楽が、この部屋に詰まっている。

 初めてこの部屋に入った時、「何枚あるの」って訊いてみたら全部で3千枚はあるんじゃないかと言われてびっくりしたのを今でも覚えている。「今からCDショップをやってください」と言われてもすぐに開店できるんじゃないかと思えるぐらいの品揃えだ。2千枚から先は数えてないから、実際はもっとあるんじゃないかとカズ君に補足するように言われてもっとびっくりした。一戸建ての一部屋を丸々と倉庫にしてしまうぐらいなんだから、ここまで来ると驚きや呆れを通り越して尊敬してしまう程だ。

 この倉庫は、カズ君の世界の一つ。私の少し散らかった部屋や、同級生達の部屋ともまた違う。カズ君を構成する、一番深い場所にある部屋だと私は感じた。

 丁寧に保管されたCDケースの山、埃の少ない手入れが行き届いた棚。無造作に置かれたままのヘッドホン。J-POPより多い、洋楽の古いロックバンドのアルバム達。

 ぱっと見では分からないけど、所々にカズ君がここにいるんだという痕跡が見えてくるような空間だった。

 

「んー……考えた事もなかった。ただ好きだから、としか言い様がないや」

 

 カズ君はしばらく悩まし気に唸って、そう答えた。

 なんとなくだけど、予想してた通りの答えだった。ご飯食べるみたいに音楽聴くもんね、カズ君は。

 

「カズ君の部屋のCDラックとか、パソコンのサブスクにある曲を加えたら、もっとあるんでしょ?」

「まあ、あるね」

「飽きないの?もうこの倉庫を使ってるの、カズ君だけなんでしょ」

 

 お父さんは海外へ単身赴任中。お母さんも全国を回っていて、この家はもうカズ君がほとんど一人暮らしをしている状態だ。この倉庫を使っているのも、掃除をしているのも、CDを増やし続けているのも、カズ君だけ。とっくの昔に曲を集めるのを、ご両親は止めてしまったらしい。

 

「飽きないよ。飽きるとか飽きないとか、そういうんじゃなくて。ただ、もう一度あの感動を、って思うんだ」

 

 カズ君は何かを懐かしむように言った。その表情には見覚えがある。カズ君と一緒に音楽鑑賞会をした時、アルバムを聴き終えた後によく見る、余韻に浸っている時の顔だ。本当に満足したような満ち足りたような顔で、すごく綺麗で、傍で見ている私でさえも心を蕩かしてくるんじゃないかと思えるような印象があったから、よく覚えている。

 

「ずっと昔に聴いた、初めてのロック。それを聴いた時の感動が忘れられなくてさ。他にも、あの時僕に与えた衝撃や、凄い力がある曲があるんじゃないかって色々探してたら、いつの間にかこんなにCDが集まってたんだ。半分以上は親父や母さんが集めたコレクションだけど。でも、親父達が集めてなくても、僕はきっとこうしていたと思う。とにかく、それを聴いてから、ずっと海外の洋楽ばっか聴くようになっちゃってさ。僕が音楽オタクになったきっかけと言ってもいいと思う。今も親父に頼んで向こうのCDを集めて送ってもらったりしてるし」

「…………」

「……何その顔」

「カワイイ……」

「え?」

「う、ううん!なんでもないわ!」

 

 私はかぶりを振って熱くなる頬を無理やり冷ました。

 嬉しそうに笑うカズ君に見とれてなんかない。ないったらない!可愛いとかない!

 

 でも。

 どんな曲なんだろう。私が初めて聴いたQueenの『Somebody To Love』のような、凄いメロディーなのかな。それとも、Journeyの『Don’t Stop Believin’』みたいな、今にも走り出したくなるような歌かな?やっぱり世界のヒットチャート一位!みたいな、グラミー賞総なめ!みたいな凄い曲なのだろうか。私はまだまだロックについて知らないから、どんな曲がカズ君を夢中にさせたのか、興味が沸いた。

 

「やっぱりビートルズ?それともツェッペリン?」

 

 カズ君が頻繁に聴いているアーティストは、やっぱりその二つが中心だ。私達が生まれるより前に世界中を虜にしたロックバンド。カズ君の音楽鑑賞に混ざっている内に、私もすっかりジョン・レノンやロバート・プラントのファンになってしまっていた。あとはイーグルスとかかしら?

 たまに、私に聴かせる為にThe ClushとかBob Dylanを聴かせてくれたり、私が好きなトーキングヘッズとか聴かせてくれたけど。でも、私に聴かせていた曲の大半が半世紀近く前の曲だと教えなかったのは今でも許していない。

 10年以上前の曲を「最近だよ最近」とか適当言って!

 高校に上がった後、新しい友達にカラオケに誘われても何歌えばいいか分からなくなっちゃったんだから!

 

「確かに、ビートルズもツェッペリンも大好きだよ。でも、あの時の感動程じゃなかったかな……。生まれて初めて聴いたロックって印象が強いからなんだと思うけど……それを差し引いても、僕の中であの曲を越える歌は、まだ見つけれてないかな」

「へぇ……なら、それ聴かせてよ!」

「うっ」

「どうしたの?」

 

 カズ君が眉間に眉を寄せ始めた。物凄い悩んでいる顔だった。

 

(どうしよう。もちろん、喜多に聴かせてもいいんだけど……あの曲は()()()()()()()()()()()()()()()で、なんなら割と最近発表された曲なんだよな……。前世で聴いた僕の推し曲が、この世界でも順調に生まれているのは良い事なんだけど。ここで喜多にその曲を言って、その曲のリリース年を喜多が知ったら、矛盾が生まれてる事に気付かれる。喜多は僕が小学一年生の頃からロックオタクだって知ってるから……うーんどうしたものか……前世のうんぬんかんぬんは、あまりこっちに……喜多に持ち込みたくないんだけどなぁ。原作に色々影響与えるかもしれないし……ぐぬぬ……)

 

 何か、凄い深刻そう。でも割としょうもない事で悩んでる顔してる。

 カズ君って、普段あまり自分から喋らないし表情にも出さないから分かり難いけど、最近一緒によくいるせいかそういうのがちょっと分かって来た気がする。コンビニでこしあんかつぶあんかどっちにすればいいか悩んでいた時と一緒だ。あの時は結局、私がつぶあんを買って、カズ君がこしあんを買って、半分ずつ食べたんだよね。

 

「ひ……」

「?」

「ひ、ひ・み・つ~……なんて」

「…………」

「イデデデイデデ痛い!痛いからほっぺた抓るのやめて!」

 

 カズ君はジョークのセンスがない。デリカシーないし。

 

「ならいいわよ、別に教えてくれなくても」

「あーもう、機嫌直してよ……あ、そうだ」

 

 話を誤魔化す様に、カズ君は言葉を続ける。

 

「話を戻すんだけどさ。こういう風に音楽を集める奴の事を、親父はこう言ってた」

 

 カズ君は倉庫に納められたたくさんのCD達をぐるりと見回しながらぽつんと寂しく言った。

 

「空っぽの奴は、コレクターになるしかないんだって」

 

「空っぽ?」

 

 カズ君のその言葉を聞いた瞬間、どうしてか私の胸が少し痛くなった気がした。小さな、気付かない程の針が刺さったような、そんな感覚だった。

 

「自分の中に空っぽの器があって、それを満たす為に人は色々集める習性があるらしいんだ。映画とか漫画とか。他にも小説とか。後はお金、宝石、洋服、ブランド……色々あるけど、器が満たされると人はある地点でそれを集めるのを辞める。でも時々、器にヒビが入ってたり、底が抜けてる奴がいる。そういうやつは、どこまでも集め続けるんだってさ。満ちない器に、いつまでも水を注ごうとする。際限なく。でも、底が抜けて水が漏れている事に気付かないから、いつまでも満たされない。親父は昔それが苦しかったんだって言ってた。自分のバンドが上手く行かなかった時期だったらしくて、自分がいくらいい曲を書こうとしても上手くできなくて、このCDの山はその産物なんだ。昔はサブスクなんてなかったから、実物のCDを色々搔き集めてそこから作曲のヒントを得ようとしてたんだ。一時期は自殺も考えたって話してたよ」

 

 カズ君のお父さんのことはよく知らない。昔、幼稚園の入園式とか運動会とかで見かけた記憶はあるけど、もう顔も朧げでほとんど覚えていない。けど、今のカズ君に似て、優しく笑う人だったというのはなんとなく覚えている。

 その人が、かつてこの倉庫の主だった。私はその人が集めたCDを何枚も借りている。選んだのは全部カズ君だったけど、どの曲も最高で、聴く度に驚きと新しい発見があった。自分が知らないだけで、こんなに楽しくて素敵な曲があったんだって、いつも心が躍った。そんな宝物がたくさん詰まった倉庫の主が、自殺を考えていただなんて、なんだか信じられなかった。

 なんというか、自殺とかそういう、暗い感情とは対極的な位置にいる人だと思っていた節があったと思う。

 このCDケースの山は、カズ君やカズ君のお父さんが楽しみながら、笑いながら、そうやって集めているんだって漠然と思っていた。なのに、そんな心臓に爪を突き立てるような哀しい理由で生み出された物だなんて。

 

「それで……どうなったの?」

「結局、親父はロックじゃ自分を満たしてくれないって気付いたんだってさ。母さんのピアノを聴いて気付いたんだって。母さんが弾いていたショパンのバラッド第1番聴いて満足したんだよ。だからCDを集めるのを止めて、ロックを演奏するのをやめて、最終的にクラシック専門の評論家になったんだって」

「え、カズ君のお母さんの?」

「あれ。言わなかった?母さんは元々クラシックのピアニストだったんだよ。それを聴いた親父が母さんを自分のバンドに誘って、母さんは親父が弾いていた小田和正のカバーを聴いて惚れこんで、ロックバンドのキーボードに転向したんだってさ。結局解散して結婚したらしいけど」

「え、何その話超聞きたい」

 

 それってもしかしなくてもカズ君の両親の馴れ初め!? しかもなんか触りを聞いただけでも凄い胸がときめきそうな恋バナの予感がする!

 

「ごめん。それ以上は知らない」

「え~!」

 

 カズ君は申し訳なさそうに、そう言って話を切った。

 後から考えると、この時のカズ君はもう両親が離婚してアメリカに行くことが決まっていたから、私と話している間にボロを出さないように無理やり話を切ったんだと思う。

 そして少し哀し気に、カズ君は笑った。

 

「でも、こうして音楽をたくさん聴いてるけど、時々自分がやっている事に意味なんてないんじゃないかって考える時がある。親父の、音楽を聴くのが苦しいってのは、正直よく分かんなかった。でも、自分の底が抜けてるってのは、嫌だと思った。際限なく音楽を聴き続けて、たくさんのお金と時間を注ぎ込んで、それが全部無駄だったなんて思いたくない。僕がこうやってCDを集め続けてるのは、目に見える形で満たされているって確認したいからなのかもしれないね」

「カズ君……」

「まあビートルズの『Let It Be』とかツェッペリンの『Rock and Roll』とか聴いてる内にそういうのどうでもよくなってすぐ忘れるんだけどね!」

「…………」

「いひゃひゃひゃ、いだいいだいですイクヨさん!爪が食い込んで痛いんだって!」

「郁代って呼ばないでって言ってるでしょこのバカチン!」

「ぎゃー!」

 

 ちょっとでも心配した私がバカみたいだ。珍しく哲学的で、感傷的な事を言ったと思ったらこれだもん。

 でも、私も少し身に覚えがあった。

 

「イテテ……喜多?」

 

 空っぽの子。少し前までの私の事だ。

 流行り物を追いかけて、自分が特別だと、普通の子じゃないと言い聞かせている私。才能も何もないなんて思いたくなくて、必死に自分から目を逸らして、何も変えることができずに一日が終わるのを待っていた私だ。

 

「……カズ君はいいわよね。私は、そんな風に強くいられないわ。自分が空っぽだなんて、すごく寂しくて、怖いよ」

 

 カズ君の頬を抓る手はいつの間にか解かれて、私は思考に耽る。嫌な思考だ。

 私は、流行り物を追いかける事が好きだ。映画も、スイーツも、ドラマも、メイクも、いろんな物を知って、いろんな人と関わるのが大好きだ。

 けれど時々、『ああ、自分って何もないな』とか『特別じゃないな』って思い出して、足が止まる。テレビや雑誌で活躍している人と自分を無意識に比較してしまう。比べる物じゃないって事は頭では分かってるはずなのに。

 部活に一生懸命に打ち込んでいる人に憧れる。ドラマや映画で活躍する同い年の女優に憧れる。ヘッドフォンから響くたくさんのロックバンドのボーカルに……憧れる。

 

「僕は別に、空っぽでもいいと思う」

「え?」

 

 私のそんな負の感情を知ってか知らずか、カズ君は平然と続けた。

 

「だって、空っぽじゃないと何か趣味を探そうって気にはならないと思うし、ちょっとやそっとで満たされる浅い器ってのも、なんか損じゃない?それだったら僕は空っぽのままでいいよ。空っぽなら、まだ満たされないってだけで、探すことを諦めなければきっと見つかるよ」

「そうかしら?」

「うん。池の水じゃ満たせないなら、海を探せばいいと思うし。底が抜けて水を満たせないなら、別の何かを詰め込めばいい。気に入らない曲があるならスキップすればいいし、気に入った曲があれば何度でもリピートすればいいのと同じ。喜多はちょっと考えすぎだよ。思春期あるあるのお年頃な考えだと思うけど……イタイ!」

 

 本当にカズ君はデリカシーがなさすぎる!人が真剣に悩んでるのに茶化そうとするんだからっ。

 普段明るいとか陽キャとか散々カズ君に言われてるけど、私だって自己嫌悪に陥る時があるし、メンタルがマイナスになる時だってある。

 

「イテテ……まあ、これは僕らの終わりなき旅なんだから、悩みすぎると疲れるからさ。閉ざされた扉の向こうに新しい何かが待っている!って思った方が楽しいよ」

「……今度はミスチル?」

 

 カズ君が「正解!」とからからと能天気に笑った。

 

「僕も器を満たす旅をしている最中だよ。最高の音楽を見つけるって言う旅だ。今はそれが見つからなくても、きっといつか巡り合えるって僕は信じてる。喜多もそれを探し続けてみなよ。見つかるまでは、僕が良い曲をたくさん教えてあげるからさ。あわよくばついでに歌ってみて欲しいし……喜多?」

 

 カズ君は、不思議。同い年の、同じクラスの男の子達とは全然違う。音楽に関しては子供っぽくて無邪気なのに、大人みたいに落ち着いてて。私にそっと寄り添ってくれる。

 スティーブ・ペリーやフレディー・マーキュリーみたいな強い言葉をぶつけてこないのに、カズ君の言葉はどんな名曲の歌詞よりも、優しくて素敵だと思う。

 私達は、まだ旅の最中。

 

「うん……そうね。いつか、見つけられるといいかも」

「見つかるよ、きっと」

「だったら、私の器が満たせるまで、もっといい曲教えてね」

「まかせてよ!この間いいアルバム見つけたんだ。すんごいかっこよくて!Do As Infinityってバンドなんだけど、知り合いに昔教えてもらって、多分喜多は絶対気に入ると思うんだ!あとはTULIPの『心の旅』とかも聴いて欲しいし――」

 

(……そっか)

 

 器を満たす為の旅。そう考えると、今までずっと流行の物を追い続けていたのは、その旅の寄り道だったんじゃないかとすら思えてきた。宝物を探す為の長い長い旅路。そのちょっとした小さな寄り道。

 気に入らないならスキップすればいい、気に入ったならリピートすればいい……か。うん、そう考えたら、なんだか心が軽くなった気がする。

 

「ねぇ、今日はミスチル聴かない?『終わりなき旅』、聴きたくなっちゃった」

「お、いいね。僕もそう思ってた。じゃあ今日はMr.Childrenと、何にする?」

「ビートルズ以外。今日は普通に邦楽聴きたいな」

「じゃあね……Def Techの『My way』とかファンモン*1の『ちっぽけな勇気』とか、あとはバンプ*2の『アンサー』とか」

「ふふ、カズ君って本当に音楽馬鹿よね」

「え、なんで突然悪口を?」

「褒めてるのよ。……あ、福山雅治がある!『虹』聴きましょうよ!」

「じゃあそのシングルと、そうだ久しぶりにハイポジ聴こう!『ぼくでありたい』が地味に好きなんだよね。あとは……山下達郎かな。『RIDE ON TIME』と『僕らの夏の夢』」

「カズ君、山下達郎本当に好きよね。あれ、何このアルバム。変わったバンド名……それでも尚、未来に媚びる?」

「それもカッコよくてオススメだよ。『処暑』とかオススメ」

「じゃあこれも!」

「オッケー。あとは……ニコ*3の『かけら』か『マトリョーシカ』かな。うん、今日はこれぐらいにしよ。じゃあ先に僕の部屋行ってて。お茶入れてくるから」

「はーい!」

 

 私達は会話を交わしながらCDを探す。

 気分はレンタルCDショップでアルバムを探している時みたい。ここはカズ君の、私達だけの宝物を探す時間だ。

 気になったCDがあったら抜き取って、両手で一杯になったらカズ君の部屋に。冷たい麦茶を飲みながら、宿題を片付けてコンポから流れる今日も素敵な曲に耳を委ねよう

 

 それだけで、私達は今日も幸せな気持ちになれる。

 

 でも……。

 もし、カズ君の中に、未だにずっと満たされていない空っぽのプールがあるのなら。

 

「ん?どうしたの?」

「ううん、なんでもないわ」

 

 水を満たすのは、他の誰でもない、私がやりたい。

 

 漠然と、その時の私はそう思えたの。

 

 

 

 

 

 今思うと、私はカズ君に恩返しがしたかったんだと思う。

 だってそうでしょ?空っぽの私の器を満たしてくれたのは、間違いなくカズ君だもの。もっともっと溢れるぐらい満たしたいと思わせてくれたのもカズ君だもん。

 何もなかった私の器に、音楽と言う水を与えてくれた。私にロックを教えて、ハマらせてくれた。

 

 カズ君は大した事はしてないと思ってる。きっと「すごいのはビートルズとか、たくさんの名曲を歌ってきたアーティスト達だよ」とか言って流すと思う。けれど私にとっては、そうじゃない。

 

 あの合唱コンクールの舞台で歌い終えて、たくさんの拍手を浴びて。自分の中にたくさんの『嬉しい』『楽しい』『またやりたい』を注ぎ込む機会をくれた。私が変われるきっかけをくれた。

 あれがなかったら、バンドを組んで音楽をやりたいという夢もきっと持てなかった。

 

 合唱コンクールで『Somebody To Love』を歌い切った時、カズ君は心の底から笑ってくれた。

 けど、もっともっと大きな舞台で、もっともっと凄い歌でカズ君の心を満たすことができたのなら、どんな顔をしてくれるんだろう。どんな風に笑ってくれるんだろう。

 

 いつか、私が。カズ君の心を満たしてあげたい。

 隣で今日聴くアルバムは何にしようか悩んでいるカズ君の横顔を見ながら、あの日、私はそう願ったんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 それからを振り返ってみると、本当にあっという間だ。

 私がロックンローラーを目指すきっかけになった合唱コンクールから、もう一年と3か月。

 下北沢でリョウ先輩を見つけて、カズ君と一緒に歌ったブラインド・フェイス。

 虹夏先輩が結成した私達のバンド、結束バンド。

 カズ君を引き入れる為に泣きながら歌ったビートルズ。

 初めての動画撮影と、声が裏返りそうになって何度も録り直したレコーディング。

 そして後藤さんと一緒に演った、結束バンドの初めてのライブ!

 

 本当に、あっという間だった。

 

 カズ君からの初めてのクリスマスプレゼント。バンドのメンバー皆とやった勉強合宿。皆でカズ君の家で年越し。合格祈願の初詣。

 STARRYのスタジオ練習、リョウ先輩やカズ君に教えてもらいながら、なんとかマスターしたメジャーコード。今はマイナーコードを練習中だ。

 最近は後藤さんにも色々教えてもらってる。話すことが苦手な後藤さんだけど、独学でギターを学んだからか、私のような初心者がつまずくポイントを理解してくれて、色々相談にも乗ってくれた。私がカズ君の話をするとすぐに泡を吹いて倒れたり融けちゃったりするけど……。

 教室の皆の前で演奏する、私とカズ君の演奏練習。カズ君がバックでアコギを弾いてくれて、私はそれに合わせて歌って、「昼休みがいつもより楽しみになった」ってさっつーも笑ってくれたっけ。

 どれも楽しくて、刺激的で、私には勿体ないような幸せな思い出。辛かった練習や思い出もある。でも、それを全部ひっくるめて、今の私がある。

 

 このままでいいと思ったの。このまま結束バンドの皆と……リョウ先輩、虹夏先輩、後藤さん。そしてカズ君と一緒に、バンドを頑張っていけたらって思ってたの。

 

 

 

 

 

 

 

 でも、ふとした時に思い出す。

 

 家の帰り道。STARRYで独りギターの練習をしている時。学校で友達とおしゃべりをしている時。

 カズ君が数か月後、アメリカに行っちゃう事を、思い出す。

 そして、とても寂しくなる。心がきゅっと何かに締め付けられて、苦しくなる。 

 

 

 もしカズ君がアメリカに行っちゃったら。

 

 私の傍からいなくなっちゃったら。

 

 私はそれでも、音楽を続けられるのかな。自分の器の底に、ヒビが入ったりしないかな。

 

 

 

 

 

 ――だから。こんな光景見せないで。

 

 

 

 

 私がいないステージの上で、楽しそうに笑うカズ君を、見せないで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ステージの上に立つカズ君は、男の子だった。

 私が知らないバンド。

 私が知らないライブハウス。

 

 私が知らない、カズ君の本当の姿。

 

 

 

*1
FUNKY MONKEY BABYSの略称。

*2
BUMP OF CHICKENの略称。

*3
NICO Touches the Wallsの略称。






喜多よ、迷えば敗れるぞ……(一心感)


今回は過去話。
喜多ちゃんとカズ君がこんな風にアルバムを漁って音楽鑑賞会をしていたら嬉しいな、と思って書いてました。
最新話の方ですがまたもや文字数がやばくなりそうなので、少し区切って幕間としてぶち込みました。多分1万字辺りで区切った方が読者も読みやすいと思われます(今更)
多少のお茶濁し感はありますが、クオリティがどうだとかそういうの悩んでねえでとっとと投稿しようという意志でお届けしました。

次回は今月中に投稿予定です。そっちの方は相変らず文字数がやばくなりそうですが、覚悟の準備をしといてください!



以下、考えてたけど活かされないであろう蛇足的な設定

井上夫妻について

カズ君のご両親。
・元々母親はクラシックのピアニスト、父親はロックバンドの作曲担当として活動しており、父親は上手く売れる曲を書けずに苦しんでいた。
・そんな時に井上母のピアノを聴き、自分が本当に好きな曲を見つけ、ピアニストの井上母を自分のバンドに誘う。
・井上母は井上父の影響でロック沼にハマり、ピアニストから作曲を担当するバンドのキーボードに転身する。
・井上父は井上母の影響でクラシック沼にハマり、作曲をする事を止め演奏に集中する。結果、バンドは以前より売れるようになった。
・カズ君は両親のバンドが解散した理由は父親が評論家になる為だと推察しているが、真実は他のバンドメンバーが井上母と井上父をくっつけるように動いた為である。二人が互いに両片思いだったのは火を見るよりも明らかだった為、他のバンドメンバーがやきもきして付き合うように誘導した。結果、二人が結婚したのを機にバンドは解散したが、円満的な形で活動は終了している。他のバンドメンバーとは、偶に会っているようだ。
・井上夫妻は家庭内では「愛してる」とかそういう言葉を口に出さないタイプだった為、カズには『ドライな親友同士』だと勘違いされている。実際、当の本人達も「夫婦というよりは相棒か親友」と言う意識が強く、夫婦らしさを求めていない。
例え夫婦と言う枠組みじゃなくても、離れ離れになっても、二人共互いを想い合っている。

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