【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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Wounded

 

 

 

 

 

 

「イテテ……」

「ああ、もうほら。じっとしてなさい。男の子でしょ?」

 

 僕は現在、チンピラから受けた怪我を手当してもらってる。

 ……見た目強面でピアスがたくさんある心が乙女なおっさんに。

 

 新宿のライブハウス『FOLT』の店長こと吉田銀次郎さんは、見た目はゴリゴリヤンキーな兄ちゃんなのに心がオネエの人だった。滅茶苦茶厳ついのに凄い乙女な口調で脳みそバグる。しかも手当上手いしそこいらの女の人より全然優しい。

 女性スタッフが中心のSTARRYで感覚マヒしてたけど、普通ライブハウスのスタッフって男が中心だよね。星歌さんやPAさんに慣れていたから、銀次さんがオネエ言葉で喋り出した時は自分の耳がおかしくなったんじゃないかと疑ったわ。

 

「ありがとうございます銀さん……」

 

 開店前のライブハウスは、やはり伽藍としていて静かだ。STARRYよりも規模が大きいライブハウスだからか、しんとした静けさはSTARRYよりも上だ。300人以上は収容できそうな広さだから、開店したらSTARRYとは比べ物にならないぐらい賑わうのだろう。

 リョウさんにSICKHACKの事を聞いて、いつかFOLTに入ってみたいなとか考えていたけど、こんな形で店に来ることになるとは思わなかった。

 

「いいのいいの。それより銀ちゃんって呼びなさいな。痛みとかは平気?ちゃんと喋れる?」

「あ、はい。大丈夫です。ほっぺたはまだひりひりしますけど、喋るのには全然違和感はないです」

「うん、口の中は切ってないのは幸いね。額を少し切っただけで、後は軽傷。ほっぺたの腫れは湿布を貼って置けばとりあえず大丈夫。額の傷はガーゼで止血してしっかり包帯を巻いておくけど、もし何か違和感や体調が悪くなったらすぐに病院に行きなさい。生垣がクッションになって頭は打ってないけど、それでも頭部への怪我は侮れないからね。うちのヨヨコを守ってくれたんだもの、治療費は私が出すから遠慮はしちゃダメよ?」

「何から何まですみません……」

 

 おまけにアフターフォローまで完璧と来た。これが大人の女性(?)の余裕か……。

 けれどなぜだか銀ちゃんの消毒液は傷口にだけでなく心にも染みた。

 

(出来るならオネエの人じゃなく普通の女性に手当を受けたかった……、なまじ銀ちゃんが良い人なのが余計に辛い……、この際佐藤さんでも良いから代わってくれ……)

「あーもう、泣くんじゃないわよ~!」

 

 どうしてここで銀ちゃんの手当を受けているのかと言うと、大槻ヨヨコが銀ちゃんを電話で呼んで車でそのまま担ぎ込まれたからだ。頭から血を流した僕を見てパニックを起こした大槻ヨヨコが慌てて電話を掛けたのである。

 救急車を呼ぶ程の大怪我ではない。生垣に倒れた時の衝撃で額の一部を切ってしまっただけで、見た目派手に出血したように見えたが実際は軽傷だ。経験上、針を縫う程の怪我ではないと判断した僕はそのまま帰ろうとしたのだが。

 

「今、店長さん呼ぶから!だから大人しくしてなさい!」

 

 半泣きで怒鳴る彼女に逆らう事はできず、あれよあれよとこうしてFOLTに運ばれてしまった。銀ちゃんもチンピラに絡まれたと大槻ヨヨコから事情を聞かされて、庇った僕に滅茶苦茶親身になって接してくれた。

 

「まったく……警察の連中は何してんだか。ストリーマーに冷たいのはいつもの事だけど、女の子が馬鹿な男に絡まれたのなら助けてくれてもよかったのに!ぷんぷんよぷんぷん!今度、直接苦情を叩きつけてやるわ!」

 

 銀ちゃんの話によると、あの辺りでストリーマーがトラブルを起こすのはよくある事らしい。警察がいくら注意してもストリーマーが毎日のようにあそこで演奏やらパフォーマーをするもんだから、警察はあの辺りで何かトラブルが起こってもほとんど放置してしまうんだとか。路上演奏禁止とデカイ横断幕を張ってるのにそれを無視してやってるので、それでトラブルが起こっても警察は自己責任だとあまり積極的に介入しないそうだ。

 それを聞いて、僕は「どうでもいいな」と思った。警察がロックンローラー達の味方をしてくれないのはいつの時代も同じだ。けれど、今日こうやって助けてくれた人達がいた事を知れたから、警察がどうだとか心底どうでも良かった。

 

「まあ、あの場に警察が介入されると色々ごたごたされて面倒ですし。怪我人も出なかったからいいじゃないですか」

「あなた怪我してるでしょ……」

 

 銀ちゃんの手当は完璧で、まるで熟練の看護師がやってくれたような手際の良さには思わず感服した。ほっぺたにはひんやりとした湿布、そして額を隠すようにぐるぐると包帯を巻いてくれた。

 

「あらやだ。前髪で隠れてて分からないけど、いい男じゃない。ヨヨコったら、こんな王子様に助けられて……良いわね、青春ね……」

 

 包帯を巻く為に、必然的に前髪を上げられて露わになった僕の顔を見て、しみじみと感慨深そうに呟く銀ちゃん。

 

「改めて、FOLT(うち)の看板娘を助けてもらって、ありがとうね」

「いえ……僕も結構頭に血が上っちゃって、正直もっと上手くやれた方法があるんじゃないかって……今更ながら後悔が」

 

 本当に、僕は何をしているんだろう。いくら大槻ヨヨコに危険が迫っていたとはいえ、もっと丁寧な言葉を使うとか、大人を先に呼ぶとか、賢いやり方があっただろ?衝動的にチンピラに毒を吐いて、結果返り討ちに合う形で怪我を負わされてしまった。信じられないだろ、これで人生二周目の中身おっさんなんだぜ? 大の男に囲まれながらも、勇気を持って警察を呼ぶぞと言ってのけた大槻ヨヨコの方が理性的で、大人だ。

 なんていうか、情けない。思わずため息が漏れ出てしまう。

 僕がそう沈んでいると、銀ちゃんはポンポンと僕の頭を撫でた。

 

「確かにそうね。でもね、あなたはヨヨコの……ギタリストにとって大切な物を守ろうとしてくれた。身体を張ってね。もっと正しい方法はあったかもしれない、もっと賢い方法はあったかもしれないわ。けれどね、結果的にあなたはあの子を守ったのよ。それがちゃんとした事実。男なら、どんと胸を張りなさい」

 

「あなたは立派に、良い事をしたわ」

 

 銀ちゃんはそう笑った。

 ……なんでこう、ライブハウスの店長ってかっこいい人ばかりなんだろう。いや、銀ちゃんの場合は可愛いと言うべきなのだろうか?もうこれ分かんねえな。

 けれど銀ちゃんの言葉のおかげで、僕の心に重くのしかかっていた情けなさが、すっと薄まってくれた気がした。

 

「……そうですね。ちゃんと守れたのなら、怪我をした甲斐はあったかもしれないです。まあこれぐらい、大した怪我には入らないと思いますけど」

「あなた軽く言うけどちょっとしたスプラッタ映画かと思うぐらい血塗れだったわよ……」

 

 声がした方を見ると、そこには呆れたようにこちらを見る大槻ヨヨコ……大槻さんが立っていた。

 彼女の肩には、僕のアコースティックギターが入ったギターケースが掛けられている。

 

「取って来たわよ、あなたのギター。これでいいのよね?」

「あ、ありがとうございます!」

 

 僕は大槻さんから静かにギターケースを受け取る。中を急いでチェックするが、特に異常はないしポケットの中に入っていたスマホも漁られた形跡はない。良かった良かった。新宿ぐらい大きくて人が多い場所だと置引とか泥棒は少なくないからな。

 あの騒動の後、どたばたとFOLTに連れて行かれた時にうっかりギターケースを置いてきてしまい、その事に気付いた大槻さんがわざわざ取りに戻ってくれたのだ。

 

「ありがとね、ヨヨコ。大丈夫だった?例のチンピラ達と出くわさなかった?」

「はい。一応店長さんの言う通り、駅の警察にも今回の騒ぎは言ったし、ファンの人からあの時の映像と写真も貰いました」

「良い子ね~。じゃあさっそくその映像と写真を送って頂戴」

「……あの、何をするんです?」

「ふふふ~、ヒ・ミ・ツ♡」

 

 笑いながらウィンクする銀ちゃん。でも正直、僕と大槻さんはその笑顔を見て背筋がぞくっとなった。端的に言うと銀ちゃんの今の笑顔、滅茶苦茶怖い。まるで怒れるライオンだ。でも深く質問するとどんな藪蛇が飛び出してくるかも分からないので、僕と大槻さんは静かに口を噤んだ。

 後に、そのチンピラ達は新宿二丁目のヤバそうな人達に連れて行かれたと言う噂を僕は耳にするのだが……銀ちゃんとは何の関係もないと信じたい。

 

「…………あの」

「ん?どうしました?」

「…………なんでもない」

 

 いや何かあるだろ。

 大槻ヨヨコは何か言いたげに口を開きかけてはすぐに誤魔化す様にそっぽを向いてを繰り返す。

 それを見た銀ちゃんは「ふふーん?」と楽し気に笑った。

 

「じゃ、私ちょっと席を外すわね?積もる話もあるでしょうし」

「えっ」

「仕事、途中で抜け出してきちゃったからそっちをやらなきゃ。だからヨヨコ、その子の相手をよろしくね」

「えっ」

 

 ちょっと待てよ嘘でしょ。

 僕を大槻ヨヨコと二人っきりにするつもり!?

 

「頑張んなさい。いつも音楽漬けの灰色の青春より、たまにはいい男を口説いてみなさいな」

「て、店長っ!」

「あらやだ怖~い。それじゃあ井上君、ごゆっくり~♪」

 

 店長さんはいたずらっぽく笑って、そそくさとどこかへと行ってしまった。

 

「…………」

「…………」

 

 ライブハウスのホールに、気まずい沈黙が満ち始めた。

 僕もコミュニケーションは得意な方じゃなく、この時ばかりは喜多や虹夏先輩のコミュ力を羨ましく感じた。くそっ、ここに喜多か虹夏先輩がいれば何も問題なかったのに!後藤とリョウさん?戦力外通告です。

 自分のコミュ力のなさを嘆いていると、大槻さんから最初に口を開いた。

 

「その……あなた大丈夫?」

 

 大槻さんが恐る恐ると言った不安気な表情で僕の傷の具合を探ってくる。

 

「大丈夫ですよ。さっきも言いましたけど、見た目ほどそんなに痛くもないんです。ちょっと血が多く出ちゃった程度で」

「……そう」

 

 大槻さんは肩の荷が下りたようにほうっと、大きく息を吐いた。

 

「死んじゃったらどうしようかと思ったわ」

「自業自得ですよ。何の考えもなしに突っ込んで行っちゃって、むしろ大槻さんを怖がらせちゃって……すみません」

「いいのよ。むしろ、お礼を言うのは私の方。……ありがとう」

 

 大槻さんはそう言って、自分の右手首を優しく撫でた。あの時はチンピラに結構強く掴まれていたように見えたが、痣にもなっていないようでよかった。僕も思わず胸を撫で下ろす。

 

「そのシャツのクリーニング代は私が出すわ」

「いや、いいですよ別に」

「良くないわ。私に出させなさい」

「いやだいじょ」

「出させなさい」

「ハイ……」

 

 圧が強い。僕が観念して頷くと、大槻さんはベンチに座っていた僕の真横にどかりと座ってきた。

 なんで?距離近くない?

 

「……」(ススッ)

「……」(ススッ)

 

 試しに拳一個分、大槻さんから離れてみたらすぐに距離を詰めてきた。肩と肩が触れ合うぐらいに。なんで?

 

「……あの」

「名前」

「え?」

「あなたの名前」

 

 名前?ああ、そうか。お互い、自己紹介もまだだった事を僕は今更ながら思い出す。僕はとっくに大槻さんの名前を知っていたから、向こうも知った気になっていた。

 

「井上和正です」

「大槻ヨヨコ」

 

 知ってます。ファンだしサインも貰ったし。

 

「なんであなた、さっきの路上ライブ途中で抜けたの」

「えっ」

 

 虚を突かれた僕を、大槻さんはじっと見つめていた。

 睨んでいたと言い換えてもいい。どうして私から逃げたんだ、そう責められている気分だった。

 

「えっと……」

 

 なんて言うべきなのだろうか。「あなたの歌声を聴いてたら怖くなって逃げちゃいました」なんて言い難い。というか言いたくない。自分でも共感され難い感想だと思うし、何より歌った本人に「怖かった」なんて言うのも変な話だ。もし大槻ヨヨコが歌う曲がデスメタルとかだったら通りそうな言い訳だが。

 僕はとりあえず誤魔化す方向で適当に口から出まかせを吐き出すことにした。

 

「えっと、途中でスマホに電話が掛かってきて――」

「嘘。あなた、少し離れた所でずっと座って私の歌を聴いてたでしょ。スマホなんて一回もいじっていなかった」

 

 見てたのかよ千里眼持ちか?あんな人混みがいる中で、演奏しながら少し離れた僕の様子が見えていたのか。見苦しい嘘をあっという間に看破され、泡を食っている僕に大槻さんは追撃する。

 

「歌の途中でどこかへ逃げられると、悔しさで印象が残るの。最初は私の歌に興味がない奴だと思ったのに、結局終わるまでいるし。お金も入れてアルバムも買ってくれたし。あの連中からも助けてくれるし。訳わかんない」

 

 言われてみると、確かに僕の行動は意味不明だ。

 大槻さんの視点から見たら、演奏中にどっか行ってしまった自分の曲に興味がない客。そうかと思ったらアルバムを買いに来て、チンピラから庇ってきて。困惑して当然だ。

 これ以上誤魔化せない。僕は観念して、背中を少し丸めながらそれを吐き出す。

 

「その、途中で抜けちゃったのはすいません。でも大槻さんの音が本当に凄い、価値のあるものだというのは分かったんです。自分の身体が全部動かなくなる感覚を、()()()ぶつけられて、少し気が動転しちゃったんです」

「―――――」

「それで、なんだか怖くなっちゃって。自分の中の何かが塗り替えられる感覚があったんです。失礼な事をしてるってのは百も承知で、身体が勝手に……。すいません、上手く言葉にできなくて――」

「いいわ」

 

 大槻さんは、僕から顔を背けながらそう言った。

 

「それなら、いい。私の歌であなたをぶっ飛ばせたのなら、それでいいわ。でも今度は、客としてSIDEROSのライブに来なさい。その時は、もう途中で抜けるのはなしよ」

 

 怒りが含まれていないその言葉に、僕はほっと息を吐く。

 よかった、どうやら許されたみたいだった。

 

 そこからまたしばらく、沈黙が続いた。

 僕は何を言えば分からず、しばらくライブハウスの天井を眺めていた。

 大槻さんはしばらくそわそわとしていたが、やがて僕の方へ振りむいて呟いた。

 

「あなたも知ってるのよね?」

「……何を?」

 

「音楽の力。たった一曲が、人の人生を大きく変える力があるってことを。あなたも知ってるのよね?」

 

 その声音は、少し不安な色が混じっていた気がした。小さな子供が大人の人に「間違ってないよね」「知ってるよね」と、自分の考えが否定されないか怖がりながらも確かめてくるような。

 大槻さんの問いかけに、僕は恐る恐る頷いた。

 僕が頷くと、大槻さんは一瞬驚いたように目を見開いた。そのまま慌てたように口をぱくぱくさせたかと思うと、やがて意を決したように質問を重ねた。

 

「私の歌は、あなたの人生を変える事はできた?」

「……まだ、何がどう変わったかは分からないです。けど」

 

 でも、自分の中の何かが変わったのは確かだ。少なくとも、今の僕にヘヴィメタルと言うジャンルに対する忌避感はない。むしろ今すぐ聴きたい。許されるなら、満腹になるまで。

 

「好きなジャンルにヘビメタが加わったのは、確かですかね」

「……そう。ならよかった」

 

 大槻さんは僕の言葉を静かに、安心して受け入れた。

 その時、ふと湧いた疑問を大槻さんに尋ねてみる。

 

「なんで、Massive Attackをメタルにアレンジしたんです?」

 

 あの曲は、原曲からしてメタル向きの曲じゃない。刺激的な歌詞ではあるけれど、テンポもゆっくりだしメタルにアレンジするならもっといい曲は他にもあったはずだ。

 そんな僕の問いかけを、大槻さんはしばらく目を閉じて考え込んだ。やがて目を開くと、静かに質問を返してくる。

 

「……あなたは、メタルってどんなイメージがある?」

「?」

「大雑把でいい。メタルを聴いたり弾いたりしてる連中を、どういう風にイメージする?」

「……秘密結社のメンバー」

「なかなか面白い例えね」

「ですかね?」

「でも、あながち間違ってないと思う。私も、自分と同じメタル好きの子に会えた事、あんまりないし……」

 

 なんだろう。一瞬大槻さんの地雷を踏みかけた気がする。

 

「メタルって一般向けの曲じゃないから。メタルを普段聴かない新規の客を取り入れるなら、有名な曲をアレンジして路上で演奏した方が効率が良いのよ。路上ライブだとカバー曲を演奏するのがほとんど。それで路上から入ってきた新規のファンをライブハウスに入れて、思いっきり私達のオリジナルでぶん殴るの」

 

 なるほど。バンドを売り出す為の戦略でアレンジ曲を演奏していたのか。確かにメタルを普段聴かない人をメタル沼に沈めるきっかけとして、有名な曲をアレンジして聴かせるのは理に適っている。現に僕はその戦略にまんまとハマってしまったわけだ。それにしてはMassive Attackは渋いチョイスだと思うが。

 

「あの曲をカバーしたのは単純に私の好みで、洋楽をカバーしているのはいつか自分が海外に出る為よ」

「海外?」

「私はいつか、SIDEROSを世界で一番のメタルバンドとしてデビューさせる。メタリカを越える世界一のバンドにする。それで、海外のフェスに大トリで出演するのよ」

「ああ、世界一……。世界一?」

 

 世界、という単語を聴いて僕は思わず大槻さんの方を二度見した。

 あまりにも荒唐無稽――でも、大槻さんの歌を聴いた後だと、あながち無謀な夢には聞こえない。

 そして大槻さんの表情は真剣だった。絶対に叶える夢じゃなく、実現させる目標のひとつだとでも言わんばかりに、エネルギーが充ちている。

 

「なんで世界一に?」

「一番になりたいのよ」

 

 それ以外に理由はある?とでも言いたげに大槻さんは不機嫌そうに「フンッ」と鼻を鳴らした。

 先ほどまでどこか不安そうだった表情はどこにもない、勝気で強気に言ってのけた。

 

「私、背も小さいし可愛くもないから、あまり周りと打ち解けなかった。馬鹿にもされた。悔しかったけど、その時の私は何も言い返せなかった。お腹の中に溜まる黒い感情を、上手く吐き出すことができなかったの。そんな時、イライラしたら、メタルを聴いた。私が上手く口に出すことが出来ない不満とかイライラとか……全部言葉にして叫んでくれる。だからロックの中でもメタルが好きで、メタルで一番になりたいって思ったの」

「…………」

「何よ」

「ああ、すいません……放心しちゃって」

 

 この小さな女の子の、どこからそんなエネルギーが湧いてくるんだろう。周りを焼き尽くすようなエネルギーが、この人の中に内包されている。

 でも、ひとつわかった事があった。

 この人も、僕や店長さんと同じ。いや、全てのロックンローラーにとって共通する一つの事柄。

 

 大槻ヨヨコも、ロックに救われた人なんだ。

 

「大槻さんはメタルが本当に好きなんですね」

「嗤わないんだ」

「笑いませんよ。最高じゃないですか。日本のロックンローラーが世界のてっぺんに立つ所。見たいですよ」

 

 出来る出来ないはとりあえず置いて、一人のロック愛好家として見てみたいと思う。日本人がローリング・ストーン誌の『歴史上最も偉大な100組のアーティストのランキング』に、ビートルズを越えるバンドとしてランクインする事を。

 

「でも、メタルで世界の頂点は……難しそうですね」

「あなたもそう思う?」

「まあ思います。不可能じゃないとは思うんですけど、現代だとポップミュージックとかが強いですし。あと、メタルって万人受けはしないですし」

「正直ね。SIDEROSをプロデュースさせたいって言ってきたレーベルやプロデューサーも、私の目標を言うと皆そう言ってきた。ポップ路線にしませんかとか、メタルでは難しいですよとか、日本人アーティストが世界に出るだなんて無理だとか。日本で活躍できるだけで十分だろとか言いたげな顔して。腹が立って、全部蹴ってやった」

「反骨心の塊か何かですか?」

 

 レーベルの話を全て断ったという噂話はそんな真相があったのか。だからこの人はまだインディーズで燻ってるのか。

 惜しいと思う。レーベル側も色んな事情があるだろう。けど、世界一を目指すなんて途方もない夢に付き合う度胸があるレーベルが、未だ大槻ヨヨコを見つけられていない事に。

 

「なら、英語の歌詞を歌えるのが、まず第一条件ですね。ワンオク*1や宇多田ヒカルみたいに日本語と英語を両方使い分ける歌唱力は絶対。あとはレーベルか……。日本のレーベルに所属させてもらうより、海外のレーベルを探した方が手っ取り早いかもしれません。まずはアメリカやイギリスで知名度を上げていけば……」

「…………」

「ん、どうしました?」

「ううん……『海外でデビュー』だなんて、初めて言われたから」

「変でした?」

「ええ、すごく変。でもそうね。日本のレーベルにあれこれ言われるよりは、海外に行ってデビューした方が正解かもしれないわ」

「お、じゃあ渡米します?」

「しないわよ、馬鹿じゃないの」

「急に梯子外すじゃん……」

「日本をノックアウトできずに海外に逃げる奴が、世界一なんかになれる訳ないでしょ」

「……それもそうですね」

 

 海外にデビューする事を『逃げ』と言う大槻さんは、本当に負けず嫌いなんだ。日本のトップに立っていないのに、海外へ挑戦する事を彼女は自分の中で『負け』だと考えている。しかもそれでいて、海外でデビュー出来ないなんて彼女は微塵も思ってない。

 こういう胆力というか、夢へ走り続ける気概を持つ人が世界へ駆け上がれるのだろうか。少し、羨ましい。

 

「ねえ、あなたなら、海外へデビューするならどういう風にする?」

「えっと――……素人意見ですけど、いいですか」

「聞かせて。こういう話、した事なかったから」

 

 そこからしばらく、どうやってメタルで世界一になるのか、という話を大槻さんと話した。ただ所詮素人の知識にしか過ぎず、絵にかいた空想みたいな、あまり実りがある話を僕はすることはできなかった。アメリカはラッパーが強い印象があるからしゃれた歌詞じゃないとウケないんじゃないかとか、テクニックを追求するならイギリスの方が評価されやすいんじゃないかとか。根拠がある話じゃなかったから、イマイチ説得力に欠けた話しかできなかった自分の浅さが少し恥ずかしくなる。

 結局、最終的に「イギリスかアメリカどっちを選ぶかなら、アメリカね。ご飯は美味しい所がいい」と言う結論に落ち着いた。それについては、反論の余地はない。

 それからは、メタルについての雑談に話題がシフトしていく。ハードロックとメタルの違いとか、メタリカの『Nothing Else Matters』が好きだとか、あれはメタルじゃなくてバラードでしょ、メタリカが歌ってるんだからメタルでいいじゃないですか、とか。

 そんな話をしていたら途中で僕がメタルのにわかである事に気付いた大槻さんが、色々とオススメのメタルバンドを紹介してくれた。それと付け合せるように、メタルの魅力もたくさん僕に教え込んでくる。

 メタルを食わず嫌いしていて、今日までちゃんとメタルの魅力を理解していなかった僕にとって大槻さんの話は新鮮で面白かった。彼女は話をするのはあんまり得意じゃないみたいだったけど、大槻さんは自分の考えを独特な視点で言語にして話してくれるので、退屈はしなかった。

 その最中で、大槻さんはメタルに対するイメージを僕に語ってくれた。

 

「メタルは一つの影だと思う」

「影、ですか?」

「闇の中にずっといる、怪物。ポップやロックがコインの表なら、ヘヴィメタルはコインの裏。ずっと影に潜んでいるの。ツェッペリンやビートルズがロックを奏でて世界中を虜にしている間、ひっそりと影の中で生まれた。ロック全盛期の頃からずっと、ロックミュージックに付き従うように後からついてきている、静かな怪物。そんなイメージ」

「怪物……」

 

 僕は大きな洞窟の暗闇に、二つの赤い目が浮かび上がっているのを幻視した。

 ビートルズが、ツェッペリンが、クイーンが。世界中でロックを奏で、大勢の人達を魅了している間。

 メタルは静かに、影の中で生きていた。真っ黒な巨体を持ち、大きな口を開けている。そんな怪物を連想する。

 

「最初にそれを影から引きずり出してきたのは、メタリカ。でもそれ以降、怪物はずっと影の中に籠っている。大きな口を開けて。口の中に何でも入れるの。使える楽器、音、人、ライブ会場……なんでも、ずっと食べ続けて、成長している」

 

 メタルと言うジャンルは、マイナーなジャンル。万人受けしない、ヒットチャートでも表立って取り上げられない。

 けれど何故か廃れない、不思議な魔力がある。ポップロックの影でひっそりと、今日まで生き残り続けた。そんなジャンルが、普通な訳がない。

 

「私はそれを従えたい。影から引きずり出して、ポップもロックも何もかもを、喰らい尽くしたい」

 

 大槻さんはぼそりとそう言った。

 

「マイルス・デイヴィスがジャズの王になったように、マイケル・ジャクソンがポップの王になったように、エルヴィス・プレスリーがロックの王になったように。私は、SIDEROSこそがメタルの支配者だと呼ばせたい。この時代に生きる人達がヘヴィメタルと言えば誰かと訊かれたら、SIDEROSだと言わせられるような……メタリカを越える、そんなバンドにしたい」

 

 混じりっ気ない、本気の目標。

 大槻さんの宣言に、僕は圧倒されて何も言えなくなってしまう。

 

「私の周りにいる人間、皆私の音に跪かせたいの。私の歌に平伏して、私の歌を脳みそが溶けるまで聴き続けて、そのまま腐って死んで欲しい」

「物騒」

 

 メタル畑にいるアーティストはひょっとすればこんな過激というか、独特な思想を持つ人ばっかりなのだろうか?

 けれど、この人の音楽があれだけの力を持っている理由の一端を、指先で少し撫でられた気がした。この人はそうやって、周りを音楽で蹴散らして培って磨いてきたのだ。だからあんなに魔力を帯びたような音を出せるのか。

 

「――だから、本当に嬉しかった。あなたが私の手を守ってくれたのは。あなたは自分が大した事はしてないみたいに言ってたけど、私にとっては違うのよ?」

「……未来のロックンローラーの手を守れたのなら、良かったです」

 

 大槻さんは、そこでやっと、今まで不満気に寄っていた眉間の皺が解れた。

 

「ありがと。ここまで話を聞いてくれて」

「いえ……ていうか、初対面の僕にここまで込み入った話をしてくれていいんですか?」

「いいわよ。でもオフレコでね」

 

 普段取材NGのSIDEROS、しかもボーカルの大槻ヨヨコからここまでの話を聞かせてくれるとは。結構貴重な事してるんじゃね?

 佐藤さんが知ったら悔しがりそう。絶対に言わないけど。

 

「そうだ、さっきの話に戻るけど」

「?」

「あなたの曲は、なんだった?」

「曲って?」

「人生を変えた曲」

 

 大槻さんは、真っすぐに僕を見ていた。内側を見通そうとする力強い目が、僕を見つめている。

 僕はそれに少したじろぐ。

 

「私はメタリカの『Master of Puppets』だった。あなたは?」

「……僕の、人生を変えた歌は―――」

 

 僕がその曲名を言うと、大槻さんはスマホを取り出してぽちぽちと画面を何か操作した。

 そしてしばらくすると、僕が言った曲名が大槻さんのスマホから響き出す。サブスクか何かで曲を探して再生してくれたのだろう。

 スマホの質素なスピーカーから、僕達以外誰もいないライブハウスのホールに僕の大切な曲が流れだした。

 

 僕が前世で、一番最初に聴いた歌。

 

 今でも思い出せる。その曲を聴いた瞬間、僕がそこに誕生したんじゃないかと思えるような感覚。今までの僕は、魂が入っていない空っぽの身体がロボットみたいに勝手に動いていて、けれどその曲が僕の身体に魂を注ぎ込み、心臓を動かし始めたのだ。

 世界の色彩がよりはっきりして、より美しく見えるようになった。一生聴いていたいと思えた。そんな曲だ。

 大槻さんは、歌がサビに差し掛かる辺りで停止ボタンを押した。

 

「いいセンスね。イントロだけで分かるわ、私もこの曲は好き。大切にしなさい。今はヘッドホンも何もないから、家に帰ってから私もこの歌を聴くわ」

「……オススメです」

「そうね」

 

 今までぶっきらぼうでむすっとしていた大槻さんは、そこで初めて笑みを僕に見せた。あの誰かを切り裂くような歌を歌っていた人とは思えない程、優しくて綺麗な笑顔だった。

 SIDEROSと言う人気バンドのボーカル。眩いステージで戦う戦士。僕はどこか、まるで芸能人と話しているような感覚を持ってしまっていた。

 けれど当たり前な事に、自分とそう年が離れていない女の子なんだよな。

 

「大槻さんも、好きになってくれたら嬉しいです」

「ヨヨコ」

「え?」

「苗字で呼ばなくていい。下の名前で呼びなさい」

 

 そう言われて、僕はふと、喜多の事を思い出した。あいつは自分の下の名前を呼ばれるの嫌がる。「北、行くよ」なんだか「来た、行くよ」なんだか分からないけど、ダジャレみたいだからとか。下の名前を呼ぼうとするといつも叩いてくる。吉幾三より全然良い名前だと思うんだけど――とフォローしたら「本当にデリカシーなくて最低」と本気で怒られた。

 だから、僕は初対面の人は大体苗字で呼ぶのが癖になっていたし、下の名前で呼べと言われるのはなんだか新鮮だった。

 

「分かりました、ヨヨコさん」

「……フンッ」

 

 その後、また沈黙が生まれた。けれど奇妙な事に、今度の沈黙はそこまで居心地は悪くない。きっとヨヨコさんも僕も、お互いが同類だと言う事がなんとなく分かったからだろう。

 音楽に救われた事がある人同士にしか分からない、奇妙な安心感だ。

 ヨヨコさんは壁に寄り掛かってやっぱり僕の方を見ない。けれど、どこか機嫌が良さそうだった。

 

 

 

 

 

 

 

「ヨヨコ先輩大丈夫っすか!?」

「心配しましたよぉ~?」

 

 SIDEROSのメンバーがFOLTに現れたのは午後の2時ぐらいの事だった。

 入り口に大慌てで飛び込んできたのは、ゴシックロリータ風の派手な恰好の子と、銀髪ショートの黒いマスクをした子だった。急いで走って来たのか、冬なのに息が切れて汗が滲み出ていた。

 けれど、黒マスクの女の子はベンチに並んで座っている僕とヨヨコさんを見たら、美内すずえ風の画風みたいなショックを受けた顔で叫んだ。

 

「……ヨヨコ先輩が男を連れ込んで来てる!? あのコミュ障で初対面の人とほとんど話すことができないヨヨコ先輩がいつの間に!?」

「え、は、ちょ、何言ってるのよ!? こいつは私のファンで助けてくれたから手当を店長にお願いしてただけでそういう関係とかじゃ……」

「え~ほんとっすか~?あれだけ『恋愛なんかに現を抜かすぐらいなら一曲でも多く練習しなさい』ってうちらに言ってるくせにちゃっかり自分は男の子を連れこんじゃって~」

「あ、あくび!」

 

 顔を真っ赤にしたヨヨコさんが大慌てで黒マスクの子に飛び掛かった。黒マスクの子がひらひらと追いかけてくるヨヨコさんを躱してる。

 黒いマスクで顔を隠しているけど、彼女の口元が笑ってヨヨコ先輩を揶揄っているのはなんとなく見えた。

 

「…………」

「…………あの、なんです?」

 

 もう一人のゴスロリの子は、すっげぇ僕を見てた。なんかすっげえキラキラとした目でこっちを見てた。まるで道端で憧れの芸能人を見かけたみたいな。……ん?いや、よく観察してみると、僕を見てるんじゃなくて僕の後ろを見てね?念の為に振り向いてみるが、そこにあるのは防音が利いたライブハウスの壁だ。

 戸惑っていると、ゴスロリの子が口を開いた。

 

「すごいのが憑いてるんですね~」

「ん?」

「どこで拾ってきたんですか~江島神社か宝厳寺*2ですか~?」

「え、なんで急に神社と寺の話に……?」

「ほわぁ~、幽々、神様を見たの初めてです~!写真撮っていいですか~?あ、でもルシファーとベルフェちゃんが怖がるみたい……やっぱりなしで~!」

「お、おう……」

 

 神社マニアか何か? え、ナニコレ怖い。意味わかんなくて怖い。それに、なんか急に鳥肌が……。FOLTのホールは広いけど暖房は強めに効いていたはずなのに、なんか寒くなったような……。

 怖くてゴスロリの子から視線を逸らしてみると、彼女のカバンから首だけを出している人形と目が合った。無機質な人形の目なのに、なぜだか僕の方を睨みつけているようにも、怯えているようにも感じてしまう。

 すると、その事に気付いたゴスロリの子が両手で人形の首根っこを掴んだかと思うと、思いっきり握り絞め始めた。まるで首の気道を握りつぶすかの如く。

 

「こらダメでしょベルフェちゃん!おイタしてごめんなさ~い!息の根止めときますから~!」

「ダークギャザリングか?大丈夫?人形の首すごいミシミシ言ってるけど……」

「平気ですよ~。あとで厳しくオシオキするので~」

 

 大丈夫この子。実は呪術廻戦の世界観から転生してきたとか言わないよね?

 なんかもう、初対面で大分クセが強いなSIDEROS。

 ヘヴィメタルのプレイヤーって、キャラに一癖も二癖もある人しかいないのかな。 

 結束バンドのメンツも相当クセがあると思ってたけど、世界って広いなと僕は現実逃避をするように考えた。

 

 

 

 

 

 

 

「改めまして、ドラムの長谷川あくびっす」

「井上和正です」

「多分、同い年っすよね?私中3っす」

「あ、同じだ」

「なら、敬語はいいっすよ~。私の事はあくびでいいっす」

「じゃああくびちゃんで」

「お、なかなか砕けてるっすね。じゃあ私はカズクンで」

「う、うそでしょ……もう私より仲良くなってる……!?」

「これがコミュ力の差ですね~」

 

 落ち着いた所で、メンバーの二人が簡単に自己紹介をしてくれた。

 ドラムの長谷川あくびは僕と同い年の女の子で、パンクな服装だが話してみると結構フランクな人だった。

 確か、何人ものメンバーが抜けたり入ったりしているSIDEROSで唯一結成当初から大槻ヨヨコと共にバンドをしている古参メンバーなんだっけ?

 

「いや~びっくりしたっすよ~。ツイッターでSIDEROSのファンからヨヨコ先輩がトラブルに遭ったって報告を聞いて、心配して慌てて飛んできたんすよ」

 

 どうやらSNSで今回の騒動を耳にしたらしい。人が多い新宿駅の真昼間に喧嘩騒動。そりゃSNSで呟かれるよな。大きな騒動にはならなかったとはいえ、メンバーのあくびちゃんに心配をかけてしまった事に少し罪悪感が滲み出てしまう。

 

「あくび……あ、ありがと。心配してくれたのはちょっとうれし――」

「『大槻ヨヨコがチンピラ二人を血祭に上げた』とか『怪我をして謎のオカマに連れていかれた』とか、いろんな報告受けて大慌てでこっち来たんすよ~。ついに先輩がやらかしたか~とか思ったんすけど、カズクンがヨヨコ先輩を守ってくれたんすね~」

「ちょ、何その噂!? 尾ひれがつきまくってるじゃない!?」

「SNSの怖い所」

 

 微妙にちょっと事実が混じってる辺り質が悪いよ。

 デマ情報には気を付けましょう。

 

「ベースの内田幽々です~。さっきはベルフェちゃんがごめんなさ~い!井上さんの神気に怯えて悪い呪いを送ってたみたいで~」

「神気?呪い?」

「ちゃんとオシオキしておくので許してくださ~い!」

 

 さっきから力いっぱい人形の首を絞めてるけど、大丈夫なんですか?空耳なのか「ギブ、ギブ」って女の人の声が聞こえるんだけど。なのにあくびちゃんとヨヨコさんは聞こえてないのか、僕と内田さんを見て「何か聞こえるの?」ときょとんとしている。怖いよ。

 

「えっと……ほどほどにね?」

「は~い!幽々も神様に会えてよかったです~!」

「あの……さっきからどこ見て話してるの……?」

 

 僕の背後にある何かを見て話してるのはSIDEROSのベース、内田幽々。SIDEROSのメンバーの中では一番新しく入ったベース。半年ほど前に加入したんだとか。

 話を聞いてみると、ゴスロリと言うインパクトが強い衣装はどうやら彼女の自作らしい。メンバーのステージ衣装は全部内田幽々が作っており、ベルフェちゃんとルシファーも手作りの人形なんだとか。

「すごい!手先が器用なんですね!」とか言ってあげたいけど、さっきから微妙に会話が通じてない。僕と話しているようで微妙に噛み合ってないのだ。シンプルに怖い。

 

「カズクン、怪我は大丈夫なんすか?」

「大丈夫。血は結構出たけど、そこまで痛くは――」

「ふぁ~神様の血~!ご利益ありそう~!」

「……」

「あー、幽々の言うことは真に受けなくていいと思うっす。この子貧血気味なタイプで血が好きなんですよ」

「血が好きなんだ……」

 

 やはりメタルは悪魔崇拝の秘密結社の可能性が?怖い。

 

「一番好きなのは~処女の生き血~」

「鉄分サプリっすけどね」

「紛らわしっ!」

 

 サプリの事を生き血とか言うなよ!怖いわ!

 

「井上さんの血を使ったら、もっといいお友達を作れそう……井上さん、その頭の包帯、使い終わったらくれませんか~?」

「えっと、何に使うの……?」

「お人形造りの材料に~!井上さんの血がしみ込んだ包帯でお友達を作ったら、もっといい呪物が作れます~!」

「呪物って言っちゃってるよもう!」

 

 さっきから何が視えてるんだよ、この子怖いよ!さっきから僕、この子に対して「怖いよ!」しか言ってない!

 

「ヨヨコ先輩、ちゃんと「ありがとうございました」ってお礼言いました?」

「あんたは私の母親か!ちゃんと言ったわよ!」

「え~、本当ですか~?ヨヨコ先輩、ツンデレな所があるっすから。本音で言いたい事があってもプライドが邪魔してすぐキツイ言葉を言っちゃうんすから」

「言ってないわよ!……多分」

「自信なくなっちゃってるじゃないっすか。ごめんなさいねえカズクン、うちの先輩が。迷惑かけてない?」

「私の母親みたいな悪ノリするのやめなさいよあくび!SIDEROSと私のイメージが……」

「どうせハリボテじゃないっすか。もうファンの人にはバレてますよ」

「えーっと、イメージって?」

「先輩は気になる人にはミステリアスでクールだと思われたくていつもキャラ作ってるんですけど、根っこがツンデレ気質のコミュ障なんですぐボロが出るッす」

「あ、それはなんとなく分かる」

「ちょっと――――!?」

 

 SIDEROSのメンバーは、個性的だったけど、とても仲がいいチームだった。前情報だと、何度もメンバーが抜けては入ったりを繰り返し、それなのにメタルでインディーズバンドの上位に位置するバンドだから、甲子園常連の野球部みたいな、上下関係が厳しいチームだと僕は勝手に想像していた。

 けれどマイペースで翻弄してくる内田さんと、場を和ませることが得意なあくびちゃん、コミュ障だけどツッコミ気質(面倒見がいいとも言う)なヨヨコさん、意外とこの3人は相性がいいようだ。初対面の僕でもなんだか和んでしまうし。でも内田さんは怖いから、その人形どこかにしまってくれないかな?

 そして一通り場が和んだ所で、あくびちゃんと内田さんが話題を切り出した。

 

「改めて、先輩を助けてくれてありがとうっす」

「ありがとうございました~。まるで王子様みたいでかっこいいです~!あとで髪の毛を少しくれませ――」

「それで、カズクンにお礼をしたいんすけど。カズクンは何かお願い事、あるっすか?」

「お願い事?」

「お礼をしたいんすよ。うちらに出来る事なら何かしてあげたいんす。それぐらい、感謝してるってことっす。カズクンにとっては大した事じゃなくとも、うちらにとっては違うんで」

 

 冗談だろ、そんなのしなくてもいいよ――そう答えようと思った。でも、あくびちゃんと内田さんの目は、真剣だった。

 僕は、打算も何もなかった。ただ将来有望なボーカルが心無い人達に壊されるのが怖くて、勝手に首を突っ込んだだけだ。

 けれど同い年の女の子にそう言わせてしまう程、あくびちゃんと内田さんにとって、ヨヨコさんは大切な人なんだな。

 

「そうじゃないと女が廃るっす。そうっすよね、ヨヨコ先輩?」

「え、ここで私に振るの?そ、そうね!SIDEROSのボーカルである私を助けてくれたんだから、何もせずにこのまま帰すわけにはいかないものっ」

「うーん……」

 

 こうなってしまうと、僕が何かしら要求しないとSIDEROSは退いてくれなさそうだ。とは言っても、治療費もクリーニング代も出してくれるみたいだし……。アルバムは既にサイン入りで貰っちゃったし、これ以上何か要求するとなると――あ、そうだ。

 

「なら、一つお願いがあるんですけど」

「何か思いついたの?」

「僕が手伝ってるバンド――『結束バンド』を、SIDEROSの前座で出させてくれませんか?」

「結束バンド?」

「あなたバンド組んでるの?」

「ああいや、僕じゃなくて――これです」

 

 口で説明するより見せた方が手っ取り早い。僕はスマホを操作して、結束バンドの動画チャンネルを開いた。つい最近ようやく登録者数が千人超えた、僕らの演奏が詰まった記録帳。

 受験勉強の合間を縫うように練習と撮影を繰り返し、アップロードした動画数はようやく10本目に到達したばかりのチャンネルだ。

 週に一回、新しい曲を習得する――と言う目標は、残念ながら達成する事はできなかった。一応、土日は必ずSTARRYに集まって演奏して撮影をするようにはしていたのだが、大体の曲は自分達でもダメだと分かる程の出来具合でほとんどが没になってしまったのだ。録画した映像は無編集のまま非公開の状態でチャンネルの中に眠っている。一週間で一曲をマスターするなんて、やっぱり無茶な目標ではあった。

 けれど無意味じゃなかった。代わりに、結束バンドの面々のスキルは数か月前とは比べ物にならない程向上した。喜多の課題だったギター技術もようやく初心者を脱する程には弾けるようになったし、虹夏先輩のドラミング技術も正確さと力強さが両立し始めた。最初は合わせの練習もままならなかった後藤も2ヵ月近く一緒に練習をしていたおかげで、身内での演奏も安定してきている。あとはステージでどれだけ実力を発揮できるかだ。

 リョウさんは元々ベースは上手かったけれど、最近は良く突っ走り始める後藤をフォローするようになった。と言うより二人の演奏が良く噛み合うようになったのだ。後藤もリョウさんもかなり自分の世界に閉じこもるタイプだから、最初はあまり音が合わない事が多かったのだが、それがほとんど改善され始めている。僕が知らない間に、二人の間で意識が変わるようなことがあったのだろうか?

 ともかく、ベースとリードギターが安定したおかげで、ここ最近の結束バンドは、お世辞を抜きにして結成以来ベストなパフォーマンスを発揮できるようになってきている。今は動画だけだけど、今度のSTARRYでの生演奏は良いライブになるとメンバー全員が確信しているほどだ。

 

「下北沢のSTARRYってところを拠点にしてる、去年発足したばかりのバンドです。今度の4月1日から本格的に活動するんですけど」

「バンド名は激サムっすね」

「……それ、本人達には言わんであげてくださいね?」

 

 最初は(仮)にしていたバンド名も、今ではすっかり定着しているし、本人達は結構気に入ってるし。

 とりあえず、百聞は一見に如かず。僕は一番最近撮ってアップロードした動画を画面上で再生してみる。

 

 画面をタップすると動画の開始と同時に、喜多の歌声が流れ始める。

 

「あら、これ……」

「おー、この曲……」

「わ~」

 

 Simple Planの『Astronaut』だ。

 

 驚いている驚いてる。3人が目を見開いて曲を聴き入ってる様子に、僕は満足気に頷く。気分は満足気に頷く大沢たかお。

 

 ポップ・パンク・ロックを駆け抜ける名バンド、シンプルプラン。

 2000年代、たくさんのミュージシャンがポップミュージックを歌う中、シンプルプランはカナダから世界中にその名を轟かし、オリンピックのパフォーマーとして呼ばれる程の高みへと昇りつめた。

 子供も大人も聴き取りやすい歌詞と、乗りやすいリズム。自らの人生の道を振り返させる、誰もが持っている孤独を震わせる、シンプルプランのSOS。

 エモさを追求したこのバンドの曲は、結束バンドに、特に喜多の歌声に見事にマッチしたと思う。

 ちなみにこの曲を選んだのは後藤だ。多分だけど、僕の家に勉強しに来た時に何枚かCDを物色していたから、その中から見つけて来たんだと思う。自分が気に入った曲だからか、熱が籠った真剣な表情で演奏していたのをよく覚えている。

 リョウさんはこの曲の原型をなるべく壊さず、アコースティックギター担当の僕が混ざっても違和感がないようにアレンジしてくれた。

 結果、僕がアコギを弾くAパートと、エレキギターを中心としたBパートに分けられた。宇宙と地上、それぞれ別の場所から演奏が奏でられたような、大気圏で分たれてしまったような、印象的なメロディーが完成した。

 今回の動画はシンプルプランの曲が有名だからか、それとも結束バンドの演奏が良かったからかは分からないけど、海外のSNSを中心にプチバズりが起こり、結束バンドがチャンネルを作って以来初めて再生回数が一万回を越えた動画となったのだ。

 画面の中の喜多や結束バンドの皆は、すごく生き生きと演奏している。観ている人、聴いている人を没入感に誘う演奏だ。結束バンドが結成して約3か月。これまでで一番ベストな演奏だった!

 SIDEROSのメンバーも、それが伝わったのだろう。あくびちゃんも内田さんも、眼を奪われたように画面の中の結束バンドを見続けていた。

 特に、食い入るように画面を見ていたのはヨヨコさんだ。信じられないものを見つけた、そう言わんばかりの目つきだった。

 

 やがて4分にも満たない動画は終わり、ホールに静寂が訪れた。

 最初に言葉を発したのはあくびちゃんだった。

 

「凄いっす!この人達、私らと同世代っすよね?正直、想像以上でした!これがまだ発足して1年も満たないバンドなんすかっ?」 

「ほわ~、幽々もびっくりしました~。幽々達と同年代でこれだけ弾けるバンドがあったんですね~。もう一度聴いてもいいですか~?」

 

 興奮気味に手を叩いてはしゃぐあくびちゃんと、URLを教えてとせがんでくる内田さん。二人の反応に、僕も思わず自分の事のように嬉しく思ってしまう。

 インディーズバンドのトップと言っても過言ではないSIDEROSが、結束バンドを評価してくれている。その事実が、僕に確かな達成感を与えてくれる。

 

「これなら、SIDEROSの前座――いや、対バンで呼んでもいいんじゃないっすか?」

 

 あくびちゃんが明るくそう提案してくれる。しかし、あくびちゃん達の反応とは対照的に、難しい顔をしてるのはヨヨコさんだった。

 

「私は反対よ」

「え~なんでっすか~」

「中途半端な実力のバンドを出して、FOLTの品位が落ちたらどうするの?」

「廣井さんがいる時点で今更じゃないっすかー」

「廣井って、SICKHACKの?」

「カズクン知らないんです?あの人、最終的にライブ滅茶苦茶に荒らすんで品位とかそーゆーのないっす」

「どんなバンドなんだよ……」

 

 後に興味本位でSICKHACKのライブに入ったら顔面を踏んづけられて酒をぶっかけられてしまう事を、この時の僕はまだ知らない。

 

「とにかくっ!こんなバンドを前座で出しても、私達のメリットには――」

「いやいや、うちらのメリットどうこうじゃなくて助けてくれたカズクンへのお礼じゃないっすかー。メリットとかは二の次でしょ?」

「うっ……」

 

 あくびちゃんの鋭い指摘に、ヨヨコさんは気まずそうに唸って目を逸らした。

 

「あの……何か不満な所があるんですか?」

 

 個人的に、今の動画は過去最高の出来だしケチを付けられるところは……多分あんまりないと思うのだけど。

 僕が恐る恐る尋ねると、ヨヨコさんは無言で掌を差し出した。どうやら僕のスマホをご要望らしい。僕は大人しくスマホを差し出すと、ヨヨコさんは手際よく操作して先ほどの動画を再生し、ある場所で一時停止させた。

 

「これ、演奏してるのあなたでしょ」

「えっ」

 

 画面に映っているのは、アコースティックギターを弾く僕の映像だ。でも上半身をあえて見切れる画角にしてるし、映っているのもたった数秒間だ。これが僕だと言う証拠はどこにもない。

 なのに、ヨヨコさんはこれを僕だと一発で言い当てた。

 

「おー。これカズクンなんですね?全然気づかなかったっす」

「ほんとです~。よく見れば男の子ですね~。確かに体つきは井上さんによく似てるような……」

「これがどうしたんです?」

 

「あなたのギター、()()()()()()()()()

 

「え?」

「下手ってことですか~?でも、十分上手いというか……この結束バンドの人達の中で一番上手いの、多分井上さんですよね~?」

「……は?」

 

 ヨヨコさんと内田さんの言葉を、僕はすぐに飲み込む事ができなかった。

 

「あー……確かに言われるとそうっすね」

「え、あくびちゃん、僕のギターが、気持ち悪くて上手いって、どういう」

「だって音とリズムをまったく外していないの、この動画だとカズクンと思えるアコギの人だけっすよ」

 

 あくびちゃんの断言に、僕は更に混乱した。

 訳がわかってない僕に、ヨヨコさんは溜め息を吐いて呆れたように説明してくれる。

 

「あなたのギター、途中まで凄い良かった。ボーカルを際立たせて、自分は決して前に出ない。完璧にボーカルと調和が取れてる。でもBパートに入った途端、リードギターやドラムが入ってきた瞬間、急に影が薄くなって本当にアコギの音が混ざっているのか分からなくなった。多分だけど、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()のよ。耳が良すぎるのね。それでいて、まるで自分が居ない物だと決めつけて言ってるみたいで、気持ち悪いギター。()()()()()()()()()()()()。こんな気持ち悪いギタリストがいるバンドを、私達の前座に置きたくない」

「ちょ、ヨヨコ先輩、それは言い過ぎじゃないっすか?カズクン、気にしなくていいっすよ。この人いっつも強い言葉で否定するから……カズクン?」

「透明人間……そう、ですかね?」

 

 ヨヨコさんの、捉え方を間違えれば悪口とも言えそうな指摘を聞いた時、僕の胸に何かがちくりと刺さった気がした。

 僕が、透明人間?

 ああ、でもそうかもしれない。疑問はあっさりと納得に変わる。そう考えるとヨヨコさんの言葉は言い得て妙だと、胸に刺さった痛みはぽろりと取れた。

 

「何よ、言い返しなさいよ。私、今結構ひどい事言ったつもりなんだけど」

「いや別に……ただその通りだなって」

「……何それ」

「僕は別に、僕が目立たなくていいんですよ。僕は弾くよりも聴く方が好きだから。僕の分は、結束バンドが目立ってくれるんで」

 

 そうだ。僕はあくまで結束バンドのマネージャーだ。彼女達を支えるサポーター。だから、僕が目立つのは筋違い。

 普段からそう考えていたからだろう。無意識に演奏にも自分が表面上に出てこないように演奏していたのかもしれない。ただ、初対面で初めてこの動画を聴くヨヨコさんにそれを看破されるとは思わなかった。

 ていうか、僕が一番メンバーの中で上手いって?流石にそれはお世辞が過ぎるよ。

 

「それに、安心してくださいよ。僕はこのバンドのサポーターみたいなポジションで、実際に結束バンドとして演奏するのは僕以外の4人だけなんで」

 

 僕は努めて明るくそう言った。僕はヨヨコさんの言葉を、「アコギを弾く僕がいなければ前座に出してもいい」と受け取ったからだ。

 結束バンドはまだ無名のバンド。チャンネル自体は順調に育っているけど、これからファンを増やす為にはライブハウスで演奏していく事が必要になってくる。時間をかけていけば口コミとかでも徐々に人気が出てくるようにはなるだろう。

 

 でも、今日佐藤さんに言われたことが少し耳に引っかかっていた。

 

「圧倒的な才能があるなら、評価されるべき技術があるなら、それをいち早くにでも世界に送り出すべきだし、アーティストはそれを追い求めるべきじゃない」

 

 結束バンドを世界に送り出す、なんて言われてもいまいちピンと来ない。商業デビューするのは一つの目標ではあるが、一つの演奏、一回のライブに今は僕も含めて全員がまだ一杯一杯だ。

 白紙の地図を手渡されて「世界の頂点を目指せ」と言われても、進むべき方角は分からない。僕にできる事は、地道に何が出来て、何がバンドの為になるか考える事だ。

 

「だから、これは結束バンドの為で、僕の為でもあるんです。SIDEROSの名声を利用させてもらうようでアレですけど、力を貸してもらえませんか?」

 

 手っ取り早く聴いてくれる人を増やすには、自分達よりも有名なバンドの前座として出演するのが最も確実だ。

 本来なら結束バンドは、インディーズバンドのトップであるSIDEROSの、しかもSTARRYより倍以上大きい新宿FOLTの前座として演奏する程の実績はまだない。FOLTの審査に出てもすぐに蹴られてしまうだろう。

 だからチャンスだと思った。SIDEROSの名声を借りれれば、結束バンドのファンも一気に増える可能性があると思ったのだ。恩を利用するようで少し罪悪感はあるが。

 

「……何よそれ」

 

 すると、ヨヨコさんが表情を歪めた。見たくないものを見たような、期待していた何かに失望したような。

 

「先輩?」

「自分の存在意義を、生きた証を、他人に押し付けて夢を叶えた気になるの、ムカつく。十分な実力があるのにそれを出さないのも、現状維持で満足してしまっているあなたにも」

 

 ヨヨコ先輩は突然立ち上がって、僕を睨みつけた。

 怒りに満ちた表情だった。山の底でぐつぐつと煮えたぎったマグマが今にも噴火しそうな、今にも僕に殴りかかってきそうな激情を堪えているようにも思えた。

 

「イライラすんのよ、アンタみたいな中途半端なの!そうやって自分の本当の気持ちにも気付かずに一生へらへらと音楽聴いて生きてくつもり!?」

 

 

「死人みたいなギターを弾くぐらいなら、ギターなんて持つな!」

 

 

 ヨヨコさんの怒りは、がらんとしたライブハウスのホールに、僕の心に反響した。

 

「何々、どうしたのよヨヨコ?」

「あ、店長。なんかヨヨコ先輩が急にキレちゃって……」

 

 何を言われたか分からなかった。どうしてヨヨコさんがこんなに怒っているのか、何が彼女の逆鱗に触れたのか、僕には理解できなかった。

 

 どうして――ヨヨコさんの言葉に、僕の心臓がどくどくと動き始めたのかも、分からなかった。

 

 そしてヨヨコさんは、僕を睨むのをやめないまま、続けた。

 

「前座の件、受けてもいい。でも条件があるわ」

「じょ、条件?」

 

 

「今夜、私達のライブがある。あなたも参加しなさい。そして最低でも一曲、ボーカルをする事」

 

 

「えっ」

 

 

「それが出来たら、あなたの結束バンドを私達の前座としてやらせる。嫌とは言わせないわよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 あの後、ヨヨコさんを待っていたのはあくびちゃん達のお説教だった。

 

「ちょっとー、ヨヨコ先輩今日のセトリどうすんすかー。もう色々決めてるのに、カズクンいきなり入れたらパート分けとか合わせとか色々大変じゃないっすかー」

「そうですよ~。そういう事を相談なしに決めるから、前のメンバーも辞めちゃうんですよ~?」

「あ、はい。あいつにサポートギターさせてやってください」

 

 いまいち締まらないリーダーだ……。

 けれど意外だったのは、僕をサポートとしてリードギターをさせる事自体、あくびちゃんと内田さんはこれっぽちも反対する様子を見せなかった事だ。

 僕としては、SIDEROSのリードギターをするなんて想像もしていなかった。心構えも何もできていない状態で、今晩のライブに出ろと突然言われても困る。ただでさえSIDEROSは僕に馴染みがないメタルを弾くバンドなのに。

 そもそも結束バンドを前座に出させて欲しいという話も断られる前提だったのだ。ダメで元々、OKだったらラッキーだなという程度にしか考えていなかった。

 だからあくびちゃん達が反対してくれれば「あ、やっぱ結束バンドが前座云々の話はなしで~」と話の方向性を持って行ってFOLTから逃げ出す事も出来たのに。

 

「うちのリーダーが一度言い出した事っすから。それに、ここ最近ずっと3人でライブ回してたんでそろそろマンネリ感を抜きたいなーって思ってたんすよ。だからカズクンが参加してくれること自体は、別に反対じゃないっすよ。カズクンが弾ける方だってのはさっきの動画で分かってますし。まだライブまで5時間ぐらいあるっすから、ぶっ続けで合わせをしまくれば、まあなんとかなるんじゃないっすか?」

 

 随分と適当だな。そんなのでいいのか?

 

「それに、新しいギターが一人入った程度でSIDEROSは揺るがないっすよ」

 

 何でもないように言うあくびちゃんの言葉に、僕は慄く。

 自信があるとかないとか、そういうレベルじゃない。多少不安定な要素が入った程度で、自分達は困らない。そういう実力を言葉にして表されているようで、ひょっとしたら僕はとんでもないチームとこれからライブをしなければならないのかと不安になってくる。

 

「でも、ファンの人達にはなんて言うのさ」

「新しいメンバー候補をテストする――とかなんとか、適当にSNSで事前告知すればいいんすよ。うちのファンはそういう所、結構寛容な所があるんで。音にはうるさいっすけどねー」

 

 あくびちゃんがそう笑いながら僕の肩をぽんと叩いた。

 もう、「やりたくないです」と言い出せる雰囲気でもなかった。僕が押しに弱いと言うのもあるのだろうけど。

 

「それに、ヨヨコ先輩は一度言った事は絶対守りますから。カズクンが一回ライブに出てくれれば、ちゃんと結束バンドを前座に出してくれると思うっすよ?」

 

 最終的に、僕がライブに出る事を決断させたのは、あくびちゃんのその一言だった。

 僕が留学するまで、残りあと8か月。

 

 それまでに、バンドの為に、喜多の為に出来る事をする。臆病な僕の背中を自分で叩き、僕は「やらせてください」とお願いする事になった。

 

 ――それと、個人的に僕は、このライブに出ないといけないと感じた。結束バンドの為とかじゃなく、自分の為に。

 

 

 

 

 

 

 ――そうやって自分の本当の気持ちにも気付かずに一生へらへらと音楽聴いて生きてくつもり?

 

 

 

 

 

 ヨヨコさんが、何故あんなに怒ったのか、分からない。理由も、意味も。その疑問が、僕の心にずっと引っかかっている。

 その答えを何としてでも掴まないといけない。でないと僕は、家に帰った後も、いや下手したら一生、音楽を楽しめないような気がしたのだ。この疑問を払拭しないと、僕はずっと何かを引きずったままロックを聴かなきゃいけない。

 その疑問を拭う為には、この人達とライブをしなきゃいけない。そうすれば答えを掴む事ができる。根拠のない確信が、僕の中にあった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 さて、僕がSIDEROSのライブに出ると決まった以上、やらなきゃいけない事はたくさんある。

 ライブまでの時間は残り少ない。セトリとか暗譜とか合わせとか――エレキギターは店長さんが貸してくれる事にはなったからいいのだが、まずは真っ先に連絡しないといけない人がいる。

 

 虹夏先輩だ。

 

 今日はSTARRYでバンドの合わせをする予定だった。

 いくら何でも、連絡もなしにブッチしてSIDEROSの方を優先するのは良くない。一応、虹夏先輩に許可をとっておくべきだろう。今の時間なら、STARRYに集まってる頃だろうか?確か夕方の5時からスタジオを予約していたはずだし。

 SIDEROSのメンバーが大急ぎでスタジオを店長さんに予約させてもらっている間、僕はスマホで虹夏先輩の電話番号を呼び出した。

 

 コール音が何回か続き、やがてガチャリと通話の音が出る。

 

『もしもしー、カズくーん?』

「虹夏先輩?今何してました?」

『今?STARRYで愚痴ってた所。カズ君がアー写を没にしたからさー。皆で次はどんな写真を撮るか相談も兼ねてね』

 

 一体何を話していたんだろうか。気になるけど女子会トークでの男子の悪口ってえげつなさそうで怖くて聞けない。

 

『やっほー、カズ君』

「あれ、喜多?」

『今スピーカーモードにしたよー』

『こ、こんにちはカズさん』

『カズ、まだスタジオ来ないの?もう皆待ってるよ』

 

 僕のスマホのスピーカーから、結束バンドの皆の声が響いてきた。

 まだ遠慮がちな後藤の声、気怠そうなリョウさんの声、いつも通りの元気な喜多の声。久しぶりに4人の声が聴けた気がして、僕は少しほっとする。

 

『まだSTARRYの集合時間まで時間あるけど、アー写撮影も早く終わったし先に集まってるよ!今日はスタジオも早く空くみたいだし、カズ君も早くおいでよ!』

「あー、すいません。今日ちょっとやらなきゃいけない事があって行けそうにないんです」

 

 明るく僕を呼ぶ虹夏先輩に少し申し訳ない気持ちになりながら、僕は言葉を続けた。

 

「実は今、新宿のライブハウスでサポートとしてギターをする事になったんです。なんか話の流れでボーカルもする事に……」

『え、嘘。どこのバンド!?』

「SIDEROSって言う、ガールズバンドの――――」

 

 

 

『は?』

 

 

 

 ぞくぞく、と背中につららでも入れられたような寒気が僕の全身を走った。

 今のドス声、ひょっとしなくても喜多か?普段の明るい喜多からは考えられない、感情の色を喪った悪魔の地響きみたいな冷たい声だった。

 

『何カズ君、結束バンドを放って浮気?ちょっとお話があるから今からそっちに――』

『ちょ、喜多ちゃん抑えてって!リョウ、喜多ちゃんお願い!』

『郁代ーこっちおいでー』

『あ、ちょっと待ってくださリョウせんぱ――』

 

 耳に当てたスピーカーから、ぎゃーぎゃーと何かが暴れる音が響く。なんだ、一体何が起こってるんだ?音だけだと電話の向こうがどうなっているのか分からなくてすごく不安になる。

 

 やがて30秒程経った所で、息を荒くした虹夏先輩が出てきた。

 

『あー、カズ君?聞こえる?』

「だ、大丈夫ですけど……喜多は?」

『今リョウが抑えてる……胸の中ですごい幸せそうだけど』

『おーよしよし。落ち着いて、郁代』

『ふぁあ……ここが全て遠き理想郷……私、もう死んでもいい』

 

 リョウさんの胸の中で幸せそうに顔を蕩かせている喜多の姿が容易に想像できた。

 

『で、どうしてそんなことになっちゃったの?』

「あー。実は今日新宿駅の前でトラブルがあって。それで()()()()()と面識を――」

 

『下の名前呼び――!?カズ君が、カズ君がよく知らないポッと出の女に寝取られた――!!』

 

『ぎゃーまた喜多ちゃんが暴れ出した!? カズ君のせいだよ!?』

「いやなんでですか!?」

『あびゃぁ……男女の関係、バンドの崩壊……結束バンドはこれで終了のお知らせ……?』

『お―――いぼっちちゃん意識をしっかり持って!リョウ、喜多ちゃんの耳塞いで!』

『郁代、落ち着いて……ここに私がいるよ』

『ふぁああリョウ先輩の生ASMRは刺激が強すぎて……グハッ』

 

 

 しばらくして、疲れ切った声音の虹夏先輩がやっと出てきた。

 

『ぜぇ……ぜぇ……。はぁ。それで、どうしてそうなっちゃったの?』

 

 虹夏先輩が、僕に事情を説明するよう求めてきたので、僕は簡潔に今日あった事を話してみる。

 新宿でのトラブル。FOLTで手当を受けた事。結束バンドを前座に出す為の交換条件として、僕がライブに出る事になってしまった事。

 

『カズ君、怪我したの!? 大丈夫だった!?』

 

 僕の話を聞き終える前に、虹夏先輩は真っ先に僕の傷を心配してくれた。優しい……。

 

「大丈夫ですよ」

『ならよかった……。でもカズ君、ライブに出るなんて急に大丈夫?こっちは大丈夫だけ……いや喜多ちゃんはあんまり大丈夫じゃないかな……』

「あー……まあフォローお願いします?」

『丸投げするんだ……。まあいいけど、ライブは出来そうなの?カズ君、ボーカルなんてしたことないでしょ』

「経験はないですけど……。でも、SIDEROSの人達もそれを察して、今日はアレンジ曲を中心にやってくれるみたいなんです。僕が知っている曲を中心に回してくれるって。ボーカルの曲も、持ち歌から選ばせてもらったんです。SIDEROSのレパートリーにない曲なのに、すぐに完コピできるって言われちゃって……」

 

 内田さんが見せてくれたiPadのファイルには、SIDEROSがこれまでコピーやアレンジで演奏したナンバーがリストとしてびっしりと並んでいた。ざっと見ただけで100曲近くはありそうだった。その中にはオリジナル曲だけでなく、メタルにわかの僕でさえ知っているIron Maidenの『Aces High』、そしてハードロックの代表格でもあるGuns N' Rosesの『Sweet Child O' Mine』やBon Joviの『Undivided』とかも載っている。特に驚いたのが、オリコンに載っているJ-POPにも手を出している事だった。ツェッペリンやビートルズと言った王道ロックはまだ分かる。Oasisの『Mornig Glory』とかRed Hot Chili Peppersの『Can't Stop』とかも、まだ洋楽だから分かる。でもBUMP OF CHICKENの『アカシア』とか、メタルとは縁遠いジャンルも彼女達は演奏した事があるのは驚愕だった。

 驚いている僕に、あくびちゃんが呆れたように言った。

 

「ひょっとしてカズクン、メタルを演奏している連中は皆ハードロックかメタルしか聴かない人種だと思ってないっすか?メタルしか聴かない奴がメタルでてっぺん取れる訳ないっすよ」

 

 まったくもってその通りだった。

 僕は自分の浅学菲才さを恥じながら、その中から自分が何回か趣味で弾いたり聴いた事があり、ある程度弾ける曲をチョイスした。ヨヨコさんからも「あなたが弾きたい曲を選びなさい」と言ってくれたので、僕は遠慮なくその言葉に甘える事にした。

 

 最後に、僕がボーカルとして歌う曲。

 

 これはさすがに、カラオケの持ち歌にしている曲を選ぶことにした。喜多によって無駄に何回もカラオケに連れて行かれたのはひょっとしたらこの時のためだったのかもしれない。けれどSIDEROSのリストに僕が歌いたい曲はなく、そのことを伝えたら。

 

「何歌いたいの?聴かせてみなさい」

 

 ヨヨコ先輩にそう言われたので、僕がスマホのサブスクでその曲を引っ張り出して聴かせてみる。するとSIDEROSの面々は「これなら弾けるっすね」とあっけらかんと言ってのけたのだ。

 知らない曲を一度聴いただけですぐに自分達の物にする自信と技術が、SIDEROSにはある。僕だったらたった一回聴いただけで完コピなんて出来る気がしない。

 

『……すごいね、SIDEROS。そんなに凄い人達と一緒に演奏するの?』

 

 不安そうな虹夏先輩の言葉。

 

「正直、少し不安です。どう考えても僕が足手纏いですし」

『ううん、そっちは心配してない』

「えぇ……?」

『私が心配してるのは、カズ君が――』

 

 虹夏先輩はそう言いかけて、『……ううん』と言葉を区切った。

 

『ライブに出るのは、いいよ。私達の為にカズ君も頑張ってくれてるってことだし。でも、先に釘を刺しておくね、カズ君』

「はい?」

 

『君は、結束バンドのマネージャーで、プロデューサーで、私達の仲間!それを忘れちゃダメだからね!』

 

 電話越しなのに、僕は虹夏先輩に人差し指をびしっと僕の目の前に突き出されたように思えた。それは言い付けと言うより、一方的な約束みたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 FOLTのスタジオで合わせの練習に入ると、僕はすぐに後悔した。

 気分は、大嵐に遭った沈没寸前の小舟に運悪く乗ってしまった乗客だった。もしくは肉食獣の群の中に迷い込んでしまった仔山羊の気分だ。

 スタジオに入ったSIDEROSは、先ほどまでのわいわいとした、良い意味で女子学生らしい雰囲気を潜ませ、ぴんと張りつめた緊張感のある空気を生み出した。その時点でもう嫌な予感があったが、練習が始まった途端その予感は的中する。

 小さなスタジオに、嵐のような音が満ち始める。暴風と、大雨と、雷のような激しいプレイ。僕は本当に、自分が真っ黒な海に放り出されてしまうんじゃないかと錯覚する。窒息しそうな激しい音の嵐の中、必死にギターのネックを握りしめて振り落とされないように弾き続けるしかなかった。

 地響きのように力強く、そして機械のように正確なドラム。大人しい顔とは裏腹に凶暴で美しい音を奏でるベース。

 ヨヨコさんの技術が凄いのは路上演奏で何となく分かっていたが、ドラムとベースの二人も別格だ。本当に僕と同年代なのか?

 

「カズクン、もっと前面に押し出してきていいッス。下手に弱腰にされると、音の厚みが薄くなっちゃうッス。ただでさえヨヨコ先輩達はいつも強めに弾いてるから、カズクンが退いちゃうとギャップが生まれて浮いちゃうんス。ボリューム振り切るぐらい限界まで強く弾いていいんスよ」

「カズ!もっと指先に集中して!音の強弱をもっとコントロールするの!疲れたとかそういうの全部忘れて、音のリズムに全力で乗りなさい!」

「井上さ~ん、手加減しなくていいですよ~?もたもたしてると置いていっちゃいますから~」

「ていうかヨヨコ先輩、ちゃっかりカズクンの事あだ名呼びしちゃって。強かっすね~」

「なっ、誤解を生むような事言わないでよあくび!」

 

 演奏を途中で止めては、SIDEROSのメンバーは僕にコーチングをしてくる。

 今日演奏する曲は、僕が選んだ曲。何度も聴いたし、何度か自分で弾いてみた事もある。けれどメタルにアレンジされたそれらは、僕が知っている音楽ではなかった。

 

 メタルは、技巧派――いわゆる、ガチ勢が集まるジャンル。

 

 そういう話を親父から聞かされた覚えがある。緻密な計算の上で創られた、人工的な音の嵐がメタルと言うジャンルの正体。

 その時は意味を理解していなかったけど、ヨヨコさん達にミスを指摘される度にそれを思い知らされる。ピッキング、ハーモニクス、ブリッジミュート。普段、何気なくやっていた慣れ親しんだ技術でさえ「実は僕って下手だったんだ」と自覚させられる。ヨヨコさんや内田さんの技術は、僕の技術より遥かに洗練されていることを、一緒に演奏しているだけで理解させられる。

 自分の引き出しを開いて引っ繰り返して――それでもまだ、SIDEROSの面々は「それでも足りない」と課題をぶつけてくる。

 同年代の女の子にあれこれミスを指摘されて最初はしょぼくれていたが、落ち込んでいる暇なんてすぐに無くなった。ただ食らいつくしか選択肢はなかった。

 一曲通しが終わるごとに、僕は汗だくで息を整えるのに精一杯になる。けれどヨヨコさん達は改善点をメンバー同士であれこれ指摘し合い、ちょっと水を飲んで息を整えればすぐにまた練習が再開された。

 とんでもない密度と負荷が掛かる練習を、この人達は当たり前のようにやってきている。

 

 物が違う――

 

 ロックに生きる人達の在り方、それをまざまざとぶつけられているようだった。

 

「じゃあ、この曲はこれでいいわね。それじゃあ10分休憩して次の曲を――」

「あのっ」

 

 休憩に入ろうとしていたヨヨコさん達の目線が、僕に集まる。

 

「今の曲、Aパートを、少しスローテンポにしませんか?できたら4分の3ぐらい……そしたら、サビとBパートで一気に曲が盛り上がると思うんですけど」

 

 僕は息を整えながら、そう提案する。

 メタルなんて、僕はにわかどころか素人同然。けれど、ロックを聴いてきた年数なら、この子達には絶対に負けない。

 それに、せっかくこんな上手な人達と一緒に演れているのに、僕はただ船にしがみついたままでいいのか?そんなわけない!

 たった一夜限りの機会なんだ。SIDEROSと言う、トップの実力を持つバンドと一緒に演奏できるなんて。

 勿体ない。

 僕も船のハンドルを握りたい、握らなきゃいけないんだ。

 

「スピードで圧倒するのも面白いですけど、スローテンポから一気に加速した方が多分――いや絶対イイ!その方がヨヨコさんと内田さんの演奏が映える!……気がするんですけど、どうでしょ」

「いや、最後にしり込みしなくていいじゃないっすか」

 

 けらけらとあくびちゃんに笑われる。しょうがないだろ、バンドの演奏中に誰かに提案するなんて一度も――

 

(あれ)

 

 そうだ、僕……こういう風に誰かと演奏するのは、初めてだ。今まで後藤や喜多に「こうした方がいい」ってあれこれアドバイスした事はあっても――対等に意見をぶつけた事とか、今までで一度でもあったか?

 

「カズ」

 

 僕の提案に少し考え込んでいたヨヨコさんが名前を呼ぶ。降ろしかけていたギターをもう一度構え直し、僕に向き直った。

 

「とりあえず試しましょ。幽々、一回外れて外で聴いて」

「は~い」

「じゃ、ちょっとテンポ落として叩くっすね。頭からBパートの入りまででいいっすかね?」

「ええ。――カズ」

 

 ヨヨコさんが、僕の目を見て、言った。

 

「それでいいわ。がんがん出してきなさい」

 

 どくん、と僕の心臓が鼓動を打った気がした。

 

 

 

「楽しそうっすね、カズクン」

「はい~、神様も大変お悦びです~!それにヨヨコちゃんも……」

「ぶすっとしてますけど一番楽しそうっすね……意外とこの二人、相性いいっすね。これはひょっとするとひょっとして……?」

 

 ひょっとしてじゃないんだよ。早くドラム叩けよあくびちゃん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――4時間、合間合間に休憩を挟んだとはいえ、ほとんどぶっ続けで練習し、5曲、とりあえずは形に持っていく事ができた。突貫工事ではあったが、それでも人並みに聴ける程度にはまとめることができた。

 体力の半分以上を消費した僕は楽屋のソファでぐったりと身体を休ませていた。脳の奥は「早く眠らせろ」と騒いでいる。4時間近くずっとギターを鳴らし続けるなんて初めてだったからだ。けれど、この先僕もステージに出なきゃいけないんだと考えると、眼が冴えて仮眠する事もできない。

 ついさっき、ヨヨコ先輩のエナドリと急いでコンビニで買って来たパンを口にしたはずなのに、胃袋に物が溜まった感じがしない。喉も渇いてしょうがない感じがした。

 

「あと10分です、スタンバイお願いします」

 

 楽屋に知らない人の声がした。声がした方を見ると、そこにはFOLTのスタッフらしい男の人がいた。

 あと10分。後10分でもうステージが始まるのか。

 

「カズクン、緊張してます?」

 

 心配顔であくびちゃんが僕の顔を覗き込んでくる。僕は静かに頷くしかなかった。

 さっき銀ちゃんが「チケット完売したわよ」と僕らに報告し、その後こっそりホールの方を覗いてみたのがいけなかった。以前STARRYでライブした時の倍以上の客が入っていたのだ。

 しかも今日はブッキングライブではなく、SIDEROSのミニライブ。ほとんどの客がSIDEROSの歌を求めてやってきた客達だ。改めて、ぽっと出の、数時間しか練習してこなかった人間がサポートギター、おまけにボーカルもやっていいのだろうか。自分が舞台を壊してしまうんじゃないかと、客達に不満を与えてしまうんじゃないかと思うと、緊張してしまう。

 僕の不安を察してか、あくびちゃんがぽんぽんと励ますように肩を叩いてくれる。

 

「まー大丈夫っすよカズクン。ファンの人達は結構カズクンの事を受け入れてるみたいだし。それに、その服装もかっこいいっすよ~」

 

 今の僕は、昼間の騒ぎで首元と肩が血塗れの白Tシャツと、銀ちゃんが貸してくれた革ジャケットを着こんでいる。黒の衣装が基調のSIDEROSに合わせたステージ衣装だ。自前の血がしみ込んでいるシャツはちょっとした殺人現場だが、メタルなら逆に血が映える――と言う内田さんの案が採用されてそのまま使う事になった。早く血を落とさないと染みになって取れないのになぁ……。クリーニングで落ちるか?安物だから別に捨てても良いんだけども。

 

「きっとファンの人達からもバカウケっすよ。ね、包帯少年」

「やめてよ、むず痒い」

 

 あくびちゃんがSIDEROSのアカウントでSNSに『サポートギター君が入ります』とスタジオ練習中の僕の写真をアップしたところ、かなりの数のいいねを貰っていた。現在もリツイート数は伸び続けている。

 更には新宿でのトラブルを目撃した人がいたのか、コメント欄を見てみると『大槻ヨヨコをチンピラから助けた少年』と認知されているらしい。しかも、包帯を巻いてギターを弾いてるから『包帯少年』と呼ばれているんだとか。なんだよその珍妙なニックネームは。安直にも程がある。でもちょっと僕も気に入ってしまったのが悔しい。

 

「あくびちゃんは結構緊張してなさそうだよね?何か秘訣とかある?」

「いや、緊張してないわけじゃないっすよ。ただ、自分より緊張している人見ると冷静になれるんで」

「ああ、僕結構浮足立ってるもんね」

「いやカズクンじゃなくて、ヨヨコ先輩っすよ。あの人、ライブの前日は緊張して徹夜しちゃうんで。目つきが悪いのも寝不足と緊張からなんですよ。ほら、今も白目剥いてる。あれは半分、眠くて意識飛びかけてるっすね」

「さっきから具合悪そうだと思ったけど、寝不足なんだ……」

 

 妙に静かだと思ってたけど、よく見ると顔が青いし目つきがさっきの倍以上悪い。怖い。寝不足はお肌に悪いからやめましょう。

 

「でもでも、井上さん、飲み込みが早くて幽々達との息もばっちり合いましたから~。ステージでも大丈夫だと思いますよ~」

「幽々の言う通りっす。うちらの練習にここまで喰らいついてきてくれたの、カズクンが初めてっすよ」

「いや……ただ、サポートとして加えてもらってる立場だから、ヨヨコさん達の顔に泥を塗る訳にはいかなくて」

「でも、幽々達は楽しかったですよ~?そうだ、良かったらこれからもSIDEROSで――」

「やめなさい幽々」

 

 内田さんの提案を途中で遮ったのは、さっきまで青い顔をして白目を剥いていたヨヨコさんだった。気を失ってたと思ったのに、話はちゃんと聴いていたのか。

 

「そういうのは――このライブが終わった後でいい。カズ」

「は、はい」

「ちゃんと、このライブで答えを見つけなさい。私がどうして、あなたをライブに出させようと思ったのか。その理由を、ちゃんと言えるようにしておきなさい」

 

 がっかりさせないで。そう言っているように聞こえた。

 

「SIDEROSの皆さん、出番です!」

 

 FOLTのスタッフが僕達を呼ぶ。

 時刻は午後8時。SIDEROSのライブが開始する時間だ。

 

「じゃあ行きましょう」

 

 3人はそのままステージへ向かう為に扉へ向かう。

 そういえば、去年結束バンドでライブをした時も心臓がどくどくしていたなと思い出す。それに、合唱コンクールで指揮者の前に立つ時もこんな感じだった。怖くて緊張していたけど、それでも楽しみたいと言う思いの方が強かった気がする。

 

 今日のライブも、あの時みたいに「楽しかった」と思えるようなライブだと良い。

 

 僕はそう祈りながら、3人の後を追いかけた。

 

 

 

 

 

 

 新宿FOLTのステージは、演者が剥き出しにされるSTARRYのステージとは違い、舞台幕があるタイプだ。薄い布でステージと観客側が仕切られている。

 けれど舞台幕の向こう側からは、大勢の客達のざわめき、息遣いが確かに響いている。舞台幕がまだ上がっていないのに、僕は暗闇の中から自分達を凝視するたくさんの目玉を想像した。

 ここは、僕が知っているSTARRYのステージじゃない。11月のライブには盛り上げる為に駆け付けてくれたクラスメイト達は一人もいない。僕が知っている人はいない、完全なアウェイ。

 今回はSIDEROSのミニライブ。リハーサルで準備した僕らの楽器が、そのままの状態で置かれている。

 幕が上がれば、もう逃げる事はできない。僕は緊張を誤魔化す様に息を整えながら、ギターを構えた。

 

 ばん、という音が響くと、舞台幕の向こう側が真っ暗になったのが見えた。照明が落ち、そしていよいよステージの幕が上がる。

 

 幕が上がり始めた瞬間、歓声が爆発した。

 物凄い大音量とエネルギーが幕を突き破って僕の鼓膜を震わせた。物凄い熱風が僕の身体を吹き飛ばそうとしてくる。身体が風圧で倒されないようにギターのネックを精一杯握り締めた。

 僕の想像通り、いや想像以上の人がステージの前に集まっている。たくさんの目が暗闇の中で光っていた。

 

「ウォ――シデロス――――!」

「ヨヨコ――!」

「包帯少年――!頼むぞ――!」

 

 ステージの幕が上がり切る前に、観客達は既にボルテージがマックスに達しようとしていた。まるで地鳴りだ。

 ライブハウスが違うだけで、演奏するバンドが違うだけで、こうも違うのか。

 照明が落ちた暗闇の中で叫ぶ、飢えた獣達。腹を空かせた観客達が、早く聴かせろと叫んでいる。ライブスペースに集まった、500人近くの観客達が一体となって、大きく口を開けているのを幻視する。

 

 僕が観客達に圧倒されている一方で、ヨヨコさん達は一切動揺している素振りを見せず、僕が落ち着くのを待ってくれていた。

 

 ――いけるの?

 

 静かな問いかけに、僕は頷くしかなかった。

 覚悟するしかない。これから約一時間、ここで戦い続けなければいけないんだ。

 

 ヨヨコさんが頷き返すと、マイクの前で大きく息を吸った。

 

Let's Roll(さあ、行くわよ)!』

 

 マイクに注がれた開始宣言は、火薬庫の導火線に火をつけたように観客席を爆発させた。

 その爆炎に油を注ぐように、あくびちゃんがスティックを叩きつけてカウントを取る。

 

 そして、あくびちゃんがドラムを叩き始めるのと同時に、マイクに注ぐようにヨヨコさんが歌い始めた。

 

 MÅNESKINの『I Wanna Be Your Slave』だ。

 

 ローテンポで囁くように、会場にいる観客達の耳に直接息を吹き込むように歌うヨヨコさんの歌声が、ホールに響く。FOLTの音響スタッフは僕が知る以上に優秀で、うるさすぎでもなく、かといって小さすぎでもない。ヨヨコさんの天使の囁きのような美声がホールに満ちた。

 

 

 キミの奴隷になりたい キミのご主人様になりたい

 キミの心臓を高鳴らせたい ジェットコースターみたいにね

 イイ子になりたいけど ギャングスタ―にもなりたいの

 キミが美女役で ボクが野獣になるんだ

 

 

 照明がぎらぎらと色を変えていく。赤、青、紫、黄――刺激的で目がパチパチと焼けてしまいそうな光の雨。

 SIDEROSの演奏を、スタジオで練習している間嵐の中にいる気分だと僕は感じていた。

 けれどステージ上のSIDEROSはもっとすごい。暴風雨の中に津波と雷と吹雪を追加したような凄まじい音の嵐になっていく。それに呼応するように、客達はスタンディングで両手を挙げて叫んでいた。もはやそれは獣の咆哮だった。

 僕は必死に置いてかれないよう弦をかき鳴らし続ける。足先のペダルに力を込めて踏ん張らないと、吹き飛ばされてしまいそうだ。この先が思いやられる、まだ僕は、ちゃんと航海について行けてるのか?

 僕は考える。だって、まだAパートだ。これはまだ序章。こんなところで立ち止まったら、この先ついていけやしない。

 

 ここからが、彼女達のメタルなんだから。

 

 サビに入る瞬間、一瞬だけ空白のタメが創られた。ホールの全ての音が断絶された直後、ギターの弦を弾く事を止めたヨヨコさんがマイクを両手で握り絞めて、叫ぶ。 

 控えめだった僕と内田さんの音が、ここから変わる。エフェクターのペダルを踏んづけて音を限界まで歪めてギターリフを走らせた。

 ここまでローテンポでドラムを正確に叩いていたあくびちゃんが、シンバルから火花が出るんじゃないかと思えるぐらいスティックを叩きつける。

 それが合図となった。

 エンジンにキーが掛かり、SIDEROSの演奏は更に加速をし始める。

 

 

 だってボクは赦しを乞う悪魔だから

 ボクは赦しを乞う弁護士

 ボクは赦しを乞う殺し屋

 ボクは赦しを乞うモンスター

 ボクは赦しを乞うチンピラ

 ボクは赦しを乞うブロンドガール

 ボクは赦しを乞うピエロ

 クソみたいな怪物も 神の赦しを乞いたいんだ

 

 

 ヨヨコさんのシャウトが、ホールに響く。これまでの優しい声音の囁き声は、天使から悪魔に堕ちたような叫び声に変貌する。だってこれは、マネスキンを布教する為のライブじゃない。SIDEROSのメタルを響かせるための、彼女達の為のメタルカヴァーだ。

 まじないのように唱えられるヨヨコ先輩の歌声には、魔力がある。聴いている人を惹きつける、暴力的な歌声。

 そこに加えられる、内田幽々の凶暴な鴉のように荒々しいベースと正確無比な長谷川あくびのドラム。人間の身体を切り裂き、剥き出しとなった心臓の鼓動音に合わせるように、内側に直接音を響かせていく。

 聴いた人間を力づくで屈服させる音だ。

 観客達は英語の歌詞を理解しているかどうかは分からない。どういう風にこの歌を受け取るのかは知りもしない。でもそんなの関係ない。SIDEROSの歌声は言語の垣根を飛び越えて「聴きたい」という呪いが込められている。歌が進んでいくたびに、ヨヨコさんが言葉を紡ぐたびに、内田さんが弦を弾くたびに、あくびちゃんがドラムを叩くたびに、観客達の中に呪いが蓄積されていくんだ。聴いている本人たちすら気付かない微小の呪いが溜まっていく。きっとその呪いの効果が出るのは、演奏が終わった後、彼等が家に帰った後だ。きっと、数日後にはまたこの新宿FOLTにやってくる。SIDEROSの歌を聴くために。そういう、虜にしてしまう呪いだ。

 歌詞が一節一節響く度に、観客達の黄色い声が爆ぜた。一度爆ぜれば連鎖するように爆ぜていく。小さな爆発は大きな爆炎となって、ホールの中を燃やしていく。

 ああ、凄い。やっぱりこの人は凄い!僕の中でヨヨコさんの評価がうなぎ登りだ。この人は本当に、世界に行けるんじゃないかと思える。信じたくなってしまう。

 見ろよ、観客達の顔。歓喜と絶望のギャップで戸惑っている。英語の歌詞が分かっているか?分からなくても聴いて、脳みそを溶かしていけ。スピーカーから吐き出される歌声に全身を委ねろ、肌が灼けていくような感覚があるだろう? 血液がどんどん血管の中を周って加速していくだろ?

 だって、横で弾いている僕がそうなりそうなんだ。お前たちがそうならない訳がない。

 

 ふと、僕の方に視線をやったヨヨコさんと目が合った。

 

 ――最高でしょ?

 

 僕は笑って頷いて、ピックを更に弾かせた。汗の粒が散る。べたべたとして気持ち悪い。でも、そんなのが気にならないくらい、楽しい。

 僕の中の限界が、最高地点が更新されていく。僕がこんな風に激しくギターを弾けるなんて思わなかった。自分の手から編み出された、こんなに歪められまくったサウンドに酔いそうになるとは想像もしていなかった!

 だって僕は別に僕のギターが好きなわけじゃない。僕は自分で弾いた曲を好きになった覚えがない。結束バンドの皆と弾いた曲はともかく、ソロで、独り部屋で籠り切って弾いていた曲に愛着何て湧かなかった。

 だって、ただ確かめたかっただけだ。CDコンポから、ヘッドフォンから流れる僕の愛した名曲達が、どんな風に生まれ、どんな風に奏でられるのか、ただ観察して知りたかっただけなんだから。

 誰だってそうだろ?問題集の答えを確認する行為が楽しい奴なんているか?問題を解く達成感を味わう前に答えを確認したって、それはただの作業に過ぎない。僕が今までやっていたギターは、そういう意味の無い作業だったんだ。

 

 だから、自分でも驚いていた。こんなにも僕って弾けるのか。

 

 SIDEROSと弾いているから?それとも観客達の歓声に酔わされているのか?

 

 ああ、でもどっちだっていい。今はこの熱に、身を任せなきゃ損だ。

 

 強烈に導かれていく、強い引力に吸い込まれていくように加速する。

 

 2曲目はMCも入れず、音を途切れさせずに、1曲目の余韻が未だ冷めないまま始まる。

 

 My Chemical Romanceの『Welcome to the Black Parade』。

 

 大歓声だった。ホールが絶叫で倒壊するんじゃないかと思えた。

 2曲目が終わるとあくびちゃんが歓声の中で軽くMCを取り、その間に僕達ギター組は足元に置いてあったペットボトルの水を一気に飲み干した。あくびちゃんが観客達に向かって何を話しているかは覚えてないけど、ヨヨコさんが恥ずかしそうにツッコミを入れていたから多分何かネタを振ったんだと思う。メタルバンドなのにメタルらしからぬ緩い雰囲気が流れた所で、3曲目が始まった。

 

 Thin Lizzyの『Whiskey In The Jar』。

 

 僕は少し不安があった。今日のSIDEROSはカバー曲を中心としたミニライブに、ファン達はがっかりするんじゃないかと。サポートが入っているからって、オリジナル曲も演奏できないのかってヤジられると思った。

 でもそんなことは杞憂だった。ここにいるファン達は皆、SIDEROSの曲を聴きたがってた人達だから。それに、売れている人達の曲(カバー)だとかそんなのは些末な問題だ。彼女達の奏でる曲は、もう誰の物でもない。ここにいるSIDEROS全員の曲だと思わされたのだから。

 

「サイコー!」

「シデロスー!」

 

 3曲目が終わった。

 歓声、拍手、口笛、叫び声、足踏み。色んな雑音がミックスされ、爆ぜていく。

 僕は息も絶え絶えで、ぼんやりと天井を見ていた。

 こんなに全力で演奏したの、本当に初めてだった。心地よい疲労感だ。頭がぼんやりと熱が籠っている。このままステージの上に倒れて眠ってしまいたい。

 

「ありがとっすー!それじゃあ次は皆さんお待ちかね、包帯少年のボーカルっす!」

 

 あくびちゃんが何かを叫ぶと、観客達の歓喜の声が響いた。なんだ、どうしてそんなに喚いているんだ?

 

「ほら、あなたの出番よ」

 

 ヨヨコさんがぼおっとしていた僕の腕を引っ張った。

 あ、ああ。そうだった。次は僕が歌う番か。すっかり忘れていた。

 そうだ、まだ終わりじゃない。気を引き締めて行こう。この熱に浮かされたまま、マイクに自分の歌をぶつけてやるんだ。今ならなんだってできる気がするから。

 

 ヨヨコさんがマイクスタンドの前を僕に明け渡す。僕が中心に、バンドの最前線。ボーカルの位置へ。

 

「包帯少年!」「包帯少年!」「包帯少年!」

 

 観客達が拍手と合わせて、僕のあだ名を呼ぶコール音が響く。僕は意を決して、一歩前に出ようとした。

 

 出ようとしたんだ。

 

 

 

「―――え?」

 

 

 

 僕は一瞬、そこが崖際なんじゃないかと錯覚する。マイクスタンドの前に断崖絶壁が突然現れて、僕が落ちてくるのを待っている気がしたのだ。一歩踏み出せば真っ逆さまに落ちてしまいそうな、深い深い谷だ。

 向こう岸には何百といる観客達が、僕を待っている。こっちに来いと叫んでる。でも橋なんて掛かってない。一歩踏み出せば落ちてしまう。

 谷底の下から突風が、氷みたいに冷たい寒風が僕の頬を吹き付けてくる。

 

 足が、動かない。どうして。

 

 なんだ、これ。どくどくどくどく、僕の耳がうるさい。なんだよこの音。心臓の音か?僕の?あまりにもうるさい。

 ていうかここどこだ、ステージの上?本当に上手く立ててるのか?足が浮いてる、気持ち悪い、なんだよこれ。怖い。

 

 ――怖い?

 

 僕はこれから何をするんだっけそうだボーカルだ。なんだよしっかりしろよピックを持つ手が震えるの止まれよ!

 喉が渇いて落ち着かない。唾を無理やり飲み込むけど、それでも口の中は乾いた感触を拭えない。

 

「ええと、あの」僕は息を整えながら、マイクに声を通した。マイクから離れていたから少しハウリングしてしまい、僕は慌ててマイクを自分の口元に置いた。「包帯少年です」頭が真っ白になってしまった僕の言葉に、観客達は僕の気も知らずに歓喜の雄叫びを挙げた。

 

 当の僕は、頭の中のメモリーが吹っ飛んでしまってこれからマイクの前で何をすればいいのか分からなくなってしまっているのに。

 どうしたらいい、こんなんじゃ歌う所の話じゃない。どうすれば、どうすればいい――

 焦りが焦りを呼ぶ。何度もズボンで拭っても手汗が出てくる。こんな時、どうすれば――

 

 

 そんな時だった。

 

 

「カズ君!!」

 

 

 

 聞き覚えのある声がした。目を見開いて、きょろきょろと声の出所を探した。僕から見て左側。観客達の最前列に、彼女はいた。

 

「喜多……?」

 

 こちらに手を振ってぴょんぴょんと飛び跳ねている赤毛の女の子がいた。

 僕の幼馴染だ、どうしてこんな所に?

 

 

「ちゃんと、聴いてるから!」

 

 

 だから、聴かせて。カズ君の、最高のロックを。

 

 

 

 

(―――あれ)

 

 

 

 気付けば、崖なんてどこにもなかった。正面には、暗闇の中にいる観客達の群。横を見ればヨヨコさんと内田さんが僕を見ていた。後ろを振り返る余裕はないけど、あくびちゃんも僕の背中を見ているのだろうか。

 手の震えもいつの間にか収まっていた。あんなに怖くてしょうがなかったのに、僕はすんなりとマイクスタンドの前に立つことができた。

 

「えっと――なんでここに居るのか、自分でもよく分かりません」

 

 戸惑いながらも本心の言葉をそう言うと、どこからかくすくすと笑う声が響く。

 

「今から歌う曲は、その。僕の持ち歌です。ヨヨコさんが急にボーカルをやれって言ってきたんで、多分、皆が期待するようなバリバリのメタルな曲じゃないんですけど」

 

 そんなこと気にすんなー、いいから聴かせろー、そんなヤジが飛んでくる。僕はその反応に安心しながら、喜多を見た。

 

 喜多は、ずっと僕を見ていた。期待と羨望と、そして少しの心配そうな表情。

 いつからそこにいたんだろう。結束バンドの練習はどうしたんだ?とっくに終わってわざわざ新宿まで来てくれたのか。

 リョウさん達の姿は喜多の隣にはない。後藤とかはこんな人混み嫌いそうだけど、この会場のどこかにいるのだろうか。虹夏先輩も今日は確かバイトだって言ってたけど、探せば見つけられるのか?リョウさんは玄人っぽい感じを出して後ろの方で音を聴いてそうだけど、僕の事をちゃんと見ているのだろうか。

 

 ああ、でも。あの3人がこの会場のどこかに居て。僕の歌を聴いてくれている。そして僕の幼馴染が、ちゃんと僕の前にいる。

 そう思えたら、急に僕はここがFOLTのステージではなく、いつものSTARRYの練習スタジオに想えた。もちろん、ただの錯覚だ。けれど、大分肩の力が抜けてきた。

 

 今なら――行ける。

 

「じゃあ、歌います。サード・アイ・ブラインドの――『Wounded(負傷者)』」

 

 イントロが始まると、ライブホールから音が消え失せた。

 聞こえるのは観客達の息遣いと、僕が奏でるフェンダーのテレキャスターから紡がれる旋律。

 

 不思議な感覚だった。

 

 ステージの上で、スポットライトが僕だけを照らしている。この剥き出しのステージで自分の身を守る壁も何もない場所。多くの人の目線に晒される、このホールの爆心地。さっきまでヨヨコさんが立っていた、場所。

 

 喜多がいつも立っている場所。

 

 SIDEROSと会場の観客達が限界まで熱し続けて整えたこのステージに、冷たい風がどこからか吹き込んで僕の頬を冷やした。それが堪らなく気持ちよかった。熱して沸騰しかけた頭が冷えていく感覚。この感覚を、僕は知っている。

 

 孤独感と、寂しさだ。

 

 身体を揺らしてリズムをとりながら、僕は息を大きく吸って歌を紡ぎ出す。

 

 

 君に手を出した男は 僕はこれっぽちも知りはしない

 君が感じる傷はやがて癒えるだろう

 けれど僕達は君を恋しく思うよ

 

 前まで君とは簡単にお喋りをしていたのに

 今は僕と話す事を怖がっている

 それは傷を抱えて歩くようなものだ

 そんな重荷を運ぼうとすれば

 君はコンクリートに引き倒されてしまうよ

 それを持って外に出てきなよ

 僕達は君を恋しく思うよ

 

 まあ君が何に苦しんでいるか理解してるとは言えないよ

 陽が落ちた後に何が起きたかなんて知らないし

 でも僕の指は火花を散らすんだ

 君に触れることを考えた時と

 君が傷ついた時だ

 

 

 ヨヨコさん達が僕の歌に合わせて動き出す。

 先ほどまで凶暴的な、冥界の底に響かすようなサウンドを繰り出していた3人が、ゆったりとしたテンポで、まるで別人のように優しい音を奏で始めた。

 雑音と騒音と大音量のメタルの世界には、パワーバラードと呼ばれる曲がある。ハイスピードと殺人的なコードを控えて、ゆったりとしたテンポで感傷的に歌う曲だ。けれど、子守唄には少しうるさい、力強いバラード。

 メタルの世界にバラードが何故必要なのか、少し前まで僕は疑問に思っていた。アルバムの中に、こっそりと影に隠れるように存在したバラード。常に加速し続けるようなメタルに、急にブレーキを掛ける曲がどうして必要なのかと。

 その頃の僕は激しいメタルのサウンドに慣れなくて、ハードロックやメタルのアルバムを聴く時、僕はメタルをスキップしてパワーバラードを良くリピートしていた。Bon Joviも、Guns N' Rosesも、ハードロックを走り抜けたアーティスト達は必ずと言っていい程バラードを歌っていた。

 今ならその理由が分かる。

 多分、人間の身体は最高速で走り続ける事が出来ないように創られているからだ。

 ライブも同じだ。ずっと騒ぎ続けると疲れるから。だから息を整える曲が必要なんだ。陽だまりの中でゆったりと目を閉じて休む、心地よい時間が必要なんだ。

 

 Third Eye Blindの『Wounded』。包帯を巻いた哀れな負傷者。

 

 厳密にはこの曲はバラードではないと思うけど、先ほどまでメタルアレンジで3曲も暴れ続けた後なら、今この場で歌うこの曲は、バラードと言っても差し支えはないんじゃないだろうか。

 ヨヨコさんが初っ端でもラストでもなく、4曲目に僕をボーカルさせた理由は、きっとこれなんだろう。

 

 

 じゃあ無理矢理にでも言い聞かせてやる

 君の顔が恋しいんだ、僕がそう願っているのを知っているだろ?

 ダルバ・バーに戻ってきてほしい

 "戦いの傷跡だ "と誇らしげに

 君にキスしたいんだ

 昔のように僕達を打ちのめしてくれ

 君はマリーゴールド

 また堂々と歩き出すまで

 そして君は歩き続ける

 歩き続けるんだ

 

 君は穴の底から手を伸ばす天使

 僕達は君が恋しいんだ

 

 

 喜多を見ると、彼女は笑っていなかった。

 ただ、僕の歌を聴いて、どこか悲しそうに涙を流してくれていた。

 

 よかった。

 

 僕はいつも君の歌を聴かせてもらってばかりだったから。学校の教室、音楽室、帰り道、STARRYのスタジオ、僕の家で――たくさん、たくさんの歌を聴かせてくれたから。

 こんな一曲で全てを返せるとは思えないけど。君の心の底にある魂に触れる事ができたのなら、今日ここに立てた意味はあるんだと思う。

 ここにいる会場の人達には申し訳ないけど。今日の僕はたった一人の幼馴染の為に歌うよ。

 

 

 秋になって、君の肩が強張っている

 不安がライターやブーツに伝わってるよ

 うざったいナンパ共 女連中 君に絡む友人

 僕達はこの愚か者を知っておくべきだった

 まあ今更だったけれど

 

 それでも僕の指は火花を散らすんだ

 あいつらが君に触れたと気づいた時

 君が傷ついてしまった

 

 

 喜多、僕は君に少し謝りたい気分だった。

 あの日、合唱コンクールで「僕がただ聴きたい」と言う願望で、無責任にステージの上へ君を放り出してしまった事。

 

 僕が喜多を、何も考えずにこんな残酷な世界に立たせてしまった事。

 

 ちくりと刺さった針は、じわじわと血がにじみ出した。痛みを自覚した瞬間、僕はどうしようもなく罪深い事をしたんじゃないかと言う後悔が涌き出てくる。やがて小さな穴は決壊を起こす様に大きな傷になった。

 他者の前に、大量の好奇の視線に晒される恐怖。頭では分かっていた。でも実際にここに立つまで、僕は理解していなかった。前のライブの時は、後藤ひとりの代役と言う建前があったから、お気楽にギターを握ってピックを動かしていた。

 馬鹿じゃねえのか、僕は。 

 僕はそんなことを考えもせずに、あの幼馴染をステージの上に立たせてしまったのか。

 僕が知らない間に彼女は色々葛藤して、恐怖して、それでもステージの上に立って傷ついたのだろうか。見えない血に塗れた手で、ギターを握りしめて、痛みを堪えて僕の愛した歌声をホールに響かせてくれていたのだろうか。

 そんな後悔を振り切るように、ピックを握りしめて歌い続ける。

 

 

 無理矢理にでも論破してやるさ

 僕達が君を恋しがってるのを知っているのに、君は会いに来てくれないんだ

 誰も君のプライドを奪わないよ

 僕は言った "そんなの他人の戯言だ"

 いじめっ子をバスの後ろへ追いやるんだ

 あいつらが僕達にビビる番だ

 "どうやって生きるの?" "君が奴らのタマを握るんだ!"って叫ぶまでさ

 ロック・オン、ベイビー、狙いを定めるんだ

 靴下を脱ぎ捨てた君は最高に格好いいよ

 叫ぶんだ "構わないよ、ベイビー!絶対に気にしない!"

 

 

 喉から放たれる僕の声。言葉の全てに透明な血が滲んでいる。滲んだ血はやがて渇いて、いつかそれが血だったかどうかも分からなくなるだろう。

 照明の暖かさと、SIDEROSのサウンドの熱に焼かれて、やがて灰になっていく。

 塵となって消えていけ。僕の恐怖と一緒に。僕の後悔と一緒に。もう一度、いつかこの場所に立つ為に。

 

 僕は後悔した。

 こんなにも残酷な世界に、喜多を放り出してしまった事に。

 

 僕は誇らしくなった。

 こんなにも綺麗で、刺激的で、血液が揺さぶられる世界に送り出すことができた事に。

 

 

 お前なんか知らないと言うんだ

 傷ついてなんかいないと見栄を張るんだ

 僕に分かるのは、君がいないと寂しいことだけだ

 

 お前なんか知らないと言うんだ

 傷ついてなんかいないと見栄を張るんだ

 僕に分かるのは、君がいないと寂しいことだけだ

 

 

 ヨヨコさんが、なんで僕にボーカルをさせたがったのか、今なら分かる。

 僕はきっと今日まで、本当の意味での音楽を知らなかった。ただ傍受する側で居たいと願い続けていた僕は、独りきりで部屋に籠ってギターを触っているだけの僕には、絶対に見つからない物。なのに僕は、それを知った風な顔をして、もうとっくに手に入れてるんだと言わんばかりに偽物を見せびらかしていた。

 

 本当にお門違いだ。ヨヨコさんはそんな僕を見かねて、わざわざ僕をこの景色に連れてきてくれたんだ。

 

 傷ついて傷つけられて、身も心も削られて、誰かの心に届くかも分からないメッセージをばら撒きながらじゃないと見えない景色。ここにしかないんだ。ここに立たないと手に入らないんだ。

 

 なんて遠い回り道だったんだろう。見つからないはずだよ。部屋の中で籠って歌を聴いて、ギターを弾いてるだけじゃ絶対に見つからない。

 

 ジョン・レノンも、ロバート・プラントも、フレディ・マーキュリーも。

 

 きっと皆、これを追い求めて、ステージに立ち続けていたんだ。

 

 この世界に転生して15年。

 僕は、見えない傷を刻まれて、誰にも触ることができない血を流して、けれど、ロックンローラーだけには共有できる痛みと幸福を受け取って。

 ようやくこの世界に、地に足をつけて立つことができたような気がした。

 

 

 僕は、生きてるんだ。スピーカーから放たれるビートが、旋律が、僕の心臓の鼓動を力強く動かしてくれている。

 

 

 だからこれを、"LIVE"と呼ぶんだ。

 

 

 

 傷つきながら現れた

 傷つきながら現れた

 

 

 

 なんだか僕は、幼馴染の喜多に逢いたくなった。

 

 観客席にいる喜多ではなく、隣にいつも居てくれる喜多に逢いたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 たくさんの歓声を貰えた。僕の歌を、良かった、最高だと皆が叫んでくれていた。

 けれど正直に言うと、僕の歌はイマイチだったと思う。

 人生最大級の不安と緊張に押しつぶされた僕の歌は、カラオケで歌っていた時より不格好だった。幻の崖に落ちかけた僕は、相当動揺していたらしい。

 絶大な歌唱力を持つヨヨコさんの後に歌ったからギャップを感じたと言うのもあるだろうけど、それを差し引いてもやっぱり素人の歌だった。練習していた実力の半分も出せなかったと思う。ギターを弾きながら演奏する事の、大勢の人の前で歌う事の難しさを、僕は知った。

 

 結局、最後はヨヨコさんがメタリカを歌って会場を締め挙げてしまった。最後の最後までこのライブの主役はヨヨコさんで、観客達は僕の歌への倍以上の拍手喝采をヨヨコさんに送っていた。ぽっと出の僕の事なんてすぐに忘れられただろう。

 

 けれど、ライブが終わって楽屋へ撤収しようとした時、最前列に居た女の子――ゆるふわな恰好をした女の子、僕と同じぐらいの年の子だろうか、ステージに身を乗り出す様に僕へ手を差し出してきた。

 

「あ、あの!」

「?」

「ほ、包帯少年さん、さ、最高でした!私、いつかっ、包帯少年さんとSIDEROSでやりたいです、お、追っかけになっても、いいですかっ」

 

 握手を求められているんだと、僕は一拍置いて理解する。

 女の子から「追っかけになってもいいか」なんて聞かれるとは思わなかった。僕は慌ててジーンズの太腿に手のひらをこすって汗を拭き、その手を握り返した。

 すると、それを見ていた他のファンが「俺も俺も!」「包帯少年!」「滅茶苦茶上手かったぞ!」と一斉になって押し寄せてくる。

 僕の歌は、この人達に届いたのか?僕は幼馴染の為に、たった一人の為に歌っていただけなのに、この人達は何かを受け取ってくれたのか? あんな拙くて、触れたら壊れてしまいそうな僕の歌が、この人達の人生に、何かを与える事ができたのだろうか。

 

 そうだとしたら、これ以上の幸せはない。

 

 僕はてんやわんやになりながら、差し出される手を握っては放し握っては放した。最終的には片手じゃ足りなくて両手でも捌き切れずに僕は慌てふためいた。

 

 

「いつまでやってんの!」

 

 ヨヨコさんに注意され、僕は引き摺られるように楽屋へと連れて行かれる。

 

 僕は視界の端で喜多の姿を探したが、見つける事は出来なかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、なんとかなったすねー」

「幽々もう疲れました~……やっぱり合わせの練習4時間の後にミニライブは厳しいです~」

 

 さすがのSIDEROSのメンバーも体力が尽きたのか、楽屋のソファに満身創痍で項垂れていた。そりゃ、4時間も練習してリハもやってそこからミニライブやったら精魂尽き果てるよね……。

 

「お疲れ様~!今日も大盛況……いや、井上君がいたからかしらね~。いつもよりずっとよかったわよ!」

「あ、銀ちゃん。ジャケットとギター、ありがとうございました」

「いいのよ~!今夜もばっちり黒字!この間廣井のおたんこなすが機材壊したから赤字だったけど、SIDEROSのおかげでFOLTは安泰よ~!」

 

 ライブも大盛況だったからか、銀ちゃんもご機嫌だった。

 

「久しぶりの4人でのライブ、どうだった?この間一人抜けた後からはずっと打ち込みでやってたけど、やっぱりもう一人、生で弾ける子がいた方がいいわよ!」

 

 ライブの余熱が冷めきっていないのが、興奮気味の銀ちゃんから伝わってくる。

 

「そう、ね。カズ」

 

 ペットボトルの水を飲み干したヨヨコさんが、僕の名前を呼んだ。

 

「その……どうだった、私達とのライブ」

「――最高でした。また一緒にやりたいと思えたぐらいには」

「なら、私達と一緒に――」

「すみません」

 

 僕はヨヨコさんの言葉の途中で頭を下げた。

 

「本当に、本当に嬉しいです。SIDEROSに誘ってもらえて。今夜だって、本当なら僕はあのステージに立てる権利なんてなかった。技術も心構えも、何も準備が出来ていなかったから。でも、僕はSIDEROSには入れません」

「――そう」

「でも、その。正式にこのチームに籍を置く事はできませんけど――また一緒に、やりたいです」

 

 僕は嘘偽りなく、心から思えた事をそう言った。

 僕がSIDEROSに入る心構えは、全くできていない。けれどいつかまた、この3人と一緒に演奏したいと思えたのも事実だ。

 とんでもない我儘だと思う。誘いを断っておいてまたやりたいだなんて。でも、ヨヨコさんに嘘を吐く事、何かを隠すのは、失礼だと思えたから。

 そう思っていると、僕の肩をあくびちゃんが強く叩いた。

 

「カズクン、そんな畏まらなくていいっすよ。一緒に一夜を共にした仲じゃないっすか。また暇だったら連絡してくださいっす。そしたら一緒にまたライブしましょー」

「あくびちゃん……うん。僕も次はシンセで混ざりたいよ」

「えっ、カズクンシンセやれるんすか!?それ先に言ってくださいよ!それなら今度はうちらのオリジナル曲でやりましょ!シンセが入ればオケを使わなくても生音でライブできるっすよ!」

「えっと、よろしくね。僕ももっと、上手くなっておくから」

「幽々も、神様と演奏するの楽しみにしてますね~!」

「いや、そこはせめて僕と演奏したいって言ってくれよ内田さん……」

 

 二人は相変らず、良い意味で緩く僕に接してくれる。

 ヨヨコさんは僕に背を向けたまま、言った。

 

「……一応聞いてもいい?」

「はい」

「答えは見つかった?」

 

 僕は頷いた。背を向けたままのヨヨコさんに伝わったかどうかは分からない。

 

「……SIDEROSに入れないのは、準備が出来てないからだけじゃないでしょ。――あの赤毛の子?」

 

 どきり、と僕の心臓が鳴った気がした。図星だったからだ。気付いていたのか。観客の中に居た喜多の事を。

 僕の方は振り返ったヨヨコさんは、静かに僕を睨みながら言った。

 

「あの子の為?」

 

 ズバリと話の核を突いてくるのは、本当にヨヨコさんらしい。

 

「……一緒にプレイしたいと思える、自分のギターを捧げたい相手は、もう居たんです。それが、今日のライブで見つけた答えです」

 

 そうだ。僕がSIDEROSに入れない理由は、もっと単純だ。

 

 僕がギターを捧げたいと思えた相手は、ヨヨコさんじゃなかった。それだけだ。

 

 ヨヨコさんにはヨヨコさんの夢があるように。僕には僕の夢があって、その中にヨヨコさんは居なかった。

 それだけなんだ。僕の中にある部屋はもう満杯で、他の誰かを入れるスペースはほとんどなかった。いつかもっと部屋を拡張して、SIDEROSを入れる事ができるかもしれないけど、今の僕にその選択肢も余裕もない。

 

 けれどもし、結束バンドに、喜多に出会うより前にヨヨコさんと出会っていたら――いや、これは蛇足だ。口に出していい言葉じゃない。

 

 そして長い沈黙があった。ヨヨコさんは大きく息を吸って、眼を閉じた。

 何を想っているのか、僕は分からなかった。怒り?失意?けれどやがて口を開いたヨヨコさんの口から零れたのは、

 

「……ならいいわ。精々頑張りなさい」

 

 僕への励ましだった。

 

「――はい」

「前座の件はまた後日相談しましょ。また手が足りなくなったらサポート呼ぶから。LINE教えなさい」

 

 ヨヨコさんは顔を伏せながら、僕にスマホを差し出してきた。僕はそれに素直に従って、LINEのQRコードを読み込む。それを見たあくびちゃんと内田さんも便乗して、僕と連絡先を交換した。

 

「また、演りましょ。今度はもっと、大きな舞台で」

「はい」

 

 僕が楽屋から出る間際に、ヨヨコさんと握手をした。その時、ヨヨコさんは顔を挙げて僕の目を見てくれた。気をしっかり張っていなかったら、うっかり見惚れてしまいそうな程に優しい笑顔で、僕を見送ってくれた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……いいわね~若い子の青春……。やっぱりあの子いい男~。だからこそ本当に残念。逸材だったのに!」

「フラれちゃったっすけど、仕方ないっすよ。すごい人っす。もう、自分のギターを捧げていいって思える相手がいるなんて」

「羨ましいです……きっと幸せなボーカルですね。幽々もヨヨコ先輩にベースを捧げるって決めてますけど、ああもはっきり言ってくれる男の子はなかなかいませんよ~」

「多分、あの合唱コンクールに出てた子の事っすよね?懐かしいっす。もうあのコンクールを観てから一年以上経つんすかぁ。……またカズクンと思いっきり演りたいっす、ヨヨコ先輩。……先輩?」

「……ぐすっ」

「……打ち上げ行きましょ。今日は私らが奢るっす」

「うっさい、バカァ……」

「ああもう、ほらいくっすよー」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時刻はもう午後の9時に差し掛かろうとしていて、あまりの肌寒さにそう言えば二月だったという事を思い出す。

 息をすると、口から吐かれた空気は白く濡れていた。

 

 ライブホールは真夏かと思えるぐらいの熱気だったのが嘘みたいだ。まるで魔法だ。今夜起こった事は全部幻で、夢だったんじゃないかとさえ思えてしまう。

 

 でも、疲れ切った身体が「夢なんかじゃない」と叫んでいる。このまま帰って寝たかったけど、そうもいかなかった。

 

「喜多?」

 

 FOLTの出口のすぐ傍にあったガードレールに、寄り掛かってスマホを眺めていた喜多の姿があった。僕が呼ぶと、彼女は顔を上げて僕の方を見た。

 こんな寒い夜の中、ずっと僕が出てくるのを待っていたのだろうか。もうとっくに帰ってしまったと思っていたのに。

 耳と頬が寒さを訴えてるように真っ赤だった。一体どれだけの間ここに立って待っててくれたんだろう。

 いつものギターケースを背負った彼女は、何か思いつめたような表情をしていた。

 今にも泣き出しそうな彼女は、やがて静かに口を開いた。

 

 

 

「ねえ……カズ君」

 

 

 

 

 

「カズ君……結束バンド、やめちゃうの?」

 

 

 

 

 

*1
日本のロックバンド『ONE OK ROCK』(ワンオクロック)の愛称。世界を股に掛ける、日本を代表するロックバンド。日本語と英語を使いこなした歌唱力とエモーショナルなメロディーで、海外でも認知度が高い。

*2
日本三大弁財天が祀られている神社とお寺。




作中に登場したバンド名&曲名
ONE OK ROCK
Metallica - Nothing Else Matters
- Master of Puppets
Simple Plan - Astronaut
Iron Maiden - Aces High
Guns N' Roses - Sweet Child O' Mine
Bon Jovi - Undivided
Oasis - Mornig Glory
Red Hot Chili Peppers - Can't Stop
BUMP OF CHICKEN - アカシア
MÅNESKIN - I Wanna Be Your Slave
My Chemical Romance - Welcome to the Black Parade
Thin Lizzy - Whiskey In The Jar
Third Eye Blind - Wounded

 読者ならば(バレンタインのチョコ代わりに)もてなしたい
 喜んでもらえたなら…素敵だ…


 前回もたくさんの感想、評価、誤字、ここすきありがとうございます。書くエネルギーをもらってます。低評価入れた人はFUCK凸【不適切な表現】。


 前回の続き。

 Live。生きると言う事。地球上のロックンローラー達が、ステージ上で追い求めた物。それに触れる事ができたカズ君と、それを見ていた喜多ちゃん。
 次回は喜多ちゃん視点です。
 こっちもじっくり書いていきたいので、投稿は恐らく来月になりますがどうぞよしなに。


 前回の感想で、警察が役立たずだとかチンピラ舞台装置じゃんとかクレームっぽいのも含めて色々言われましたが、特に意味なんてないんですよ。カズ君を怪我させてサードアイブラインドを歌わせたかっただけで。
 ネット上には洋楽の和訳歌詞が多く存在してますがサードアイブラインドの『Wounded』は全く見つからなかったので恐らく僕が世界初です。ヤッター。世界二番目でもそれ以降でもまあOK。この曲が個人的ベスト3に入るぐらいには好きなので。今まで趣味の範囲で色んな歌詞を和訳したりしなかったりしましたが、一番上手く書けたんじゃないかなーと自己満足してます。

 ちなみにサードアイブラインドなんて日本のカラオケには収録されてないけどぼざろの世界にはあるよ!うらやま!

 今回は喜多ちゃんを(動画の中で)歌わせたよ!タイトル詐欺にならなかったのでセーフ。


Xのアカウントでのんびり呟いてます。

X(旧Twitter)

 カーラジオと言う名義で新しく作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などが励みになっているので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるんじゃないかな(他人事)
 それかバレンタインチョコください。愛をください。くれないなら感想をください。


 感想もっともっともっと欲しいんだ……評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


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