【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

 

 

 

 あれ、ここは一体どこだろう。さっきまでSTARRYでミーティング(雑談)をしていたはずなのに……。

 今日は確か、虹夏先輩の提案で結束バンドの皆と練習前にアーティスト写真を撮ろうって話になって。中学の制服を着て集まった私達は、後藤さんが見つけてきた良さげな壁の前でジャンプをして写真を撮って。でもカズ君に送ったら没にされて次はどんな写真にするか相談していたはずなのに。

 なんだっけ。確か最後に虹夏先輩がスマホの電話を取った辺りから記憶を思い出せない。思い出そうとすると頭痛がするというか、気分が悪くなるというか……。

 

「あっ、カズ君!」

 

 辺りをきょろきょろ見渡すと、そこには見覚えのある背中があった。私はほっとしてカズ君にすぐに駆け寄る。

 

「カズ君、よかった!皆は一体どこに――」

 

 私がそう言ってカズ君の肩を叩くと、振り返ったカズ君は驚くぐらい明るい笑顔で――

 

「悪い喜多、突然だけど僕、結束バンド抜ける事になったわ」

 

 そんなことを言い放った。

 

「……え?」

「この人が僕のボーカル!」

「ハァイ♡」

 

 気付けば海外の洋画に出てくる美人女優みたいな、絵に描いたようなボン・キュ・ボンな爆乳お姉さんがカズ君の隣に立っていた。

 誰!?って言うか距離近い!?いつの間に!?

 なんかカズ君の腰に馴れ馴れしく手を回してるし、なんか指先が凄いイヤらしくカズ君の服の下をまさぐってるし、い、いいい、一体どんな関係なの!?

 ていうかそれより、いきなりバンドを抜けるってどうして!?

 

「か、かかか、かず君?そそそそ、その人は……」

「僕の事を必要だって言ってくれる金髪ボインの美女がさぁ、僕とバンドしたいって言うんだよね!しかもこの娘、喜多より滅茶苦茶歌が上手で一目惚れでさ!」

「え、ちょ」

「僕はアメリカ行ってその娘とロックンロール(意味深)してくるから、喜多は喜多で頑張ってね!よーし、アメリカでウンザウンザを踊る*1ぞ――――!」

「グッバーイ♡」

 

 ロックンロール(意味深)って何!? ウンザウンザって何よ!?

 待って行かないで!こんな別れ方なんてあんまりよ!

 まだ私、カズ君に何もできてないのに――――――

 

 

 

 

「カズ君、待って―――――――――!」

 

 

 

 

 

 

 

「……あれ、夢?」

「あ、起きた」

「リョウ先輩?」

 

 目を覚ますと、見慣れたSTARRYの天井と、私の顔を覗き込むリョウ先輩の素敵な顔があった。重い体を起こすと、そこは普段後藤さんが死んじゃった時に使う手作りの棺桶だった。

 ……棺桶の中で寝かされて起きるって、吸血鬼かゾンビじゃないとできない経験じゃないだろうか。そう考えると後藤さんはゾンビの仲間の可能性が……?

 

「気分はどう?急に気を失うから、驚いたよ」

「リョウ先輩……」

 

 ふと隣を見ると、そこにはもうひとつの棺桶が並べられていて、その中には顔面が崩壊した後藤さんも寝かされている。なんか「バンド崩壊」「BSS……いやWSS」「NTRは悪い文明」とかぶつぶつ言ってるけど。

 どうして私、後藤さんと同じ扱いをされていたんだろう?なんか……嫌。

 よく分からない複雑な気持ちを飲み込みながら、リョウ先輩の方へ向き直る。

 

「どうしたの?今にも泣きそうな顔して」

「え?そ、そんな顔してます?」

「うん」

「……えっと、へ、変な夢を見ちゃったんです。カズ君が、私より好きなボーカルを見つけたからそっちに行くってアメリカに……あはは、変ですよね!カズ君は結束バンドのマネージャーなのに――」

「…………」

「りょ、リョウ先輩?どうしたんですか、そんな苦虫を嚙み潰したような顔をして」

 

「おーいリョウ!カズ君、SIDEROSのサポートギターやるからやっぱ今日の練習来れないって!」

 

「……あっあっあっー」

 

「あ、喜多ちゃん起き……あれ、タイミング悪かった?」

「虹夏……タイミング最悪」

 

 そうだ、カズ君はSIDEROSとかいうガールズバンドに寝取られたんだ。

 スマホを片手に持った虹夏先輩の言葉に、私は再び脳を破壊されて現実を直視する事ができず、また気絶した。

 

 

 

 

 

 

 人生最悪の気分だった。バンドを続けることでお母さんと揉めた時だって、ここまでテンションが落ちた事はなかったと思う。

 今なら、別の女の子に浮気されて激怒したり大泣きする恋愛ドラマのヒロインの気持ちが痛いほどよく分かる。

 カズ君が!知らない女の子に浮気するだなんて!そんな子に育てた覚えはないのに!

 これも普段から女の子の扱いや服装に気を付けるように注意したり、流行りのファッションや肌の手入れをするように服や化粧水を色々選んであげたりとか、私が色々教え込んだから?策士策に溺れるとはこの事か……!

 

「付き合ってもないくせに良く言うよね喜多ちゃん」

「ホントそう。告白しなかった郁代の方が悪い」

「先輩達が辛辣過ぎる!だからいつも言ってるじゃないですかっ、私はカズ君の事はべべ、べべべ、別に……。好きなわけじゃ……

「えぇ……この期に及んでまだ認めない気なの?」

「往生際が悪すぎる」

 

 先輩達の呆れたようなジト目。もう泣きそう。

 

「だからね、カズ君は別のチームに入るんじゃなくて、サポートギターをするの。私達を別のライブハウスで前座として出演する為の交換条件としてね。だから喜多ちゃん、そんなに心配しなくていいんだよー?カズ君が抜けるって決まった訳じゃないし」

 

 虹夏先輩が私の頭をよしよしと撫でながら諭してくる。そ、そうよね。別にカズ君がSIDEROSに入ると決まった訳じゃ……。

 

「まあサポートとして入ったら気が合ってそのままバンドにスカウトされて加入なんて話はざらだけどね」

「ちょっとリョウ!せっかく私がフォローしたのに、そんな事言ったら……」

「ワァ……ぁ……」

「泣いちゃった」

「そりゃそうだよ!おーよしよし、喜多ちゃんほら、涙拭いて~?」

「ぐすっ、うぇぐっ」

「うっわぁ……喜多ちゃんガチ泣きしてる」

「カズが『アメリカに行く』って告白した時の比じゃないね。弱っている郁代、本当に珍しい。おーよしよしよしよし」

「うぇえ……リョウせんぱぁい……すんすん……あっ、いい匂い」

「んー、ちゃっかりリョウのお腹に顔をこすり付けて匂いを堪能する余裕があるなら大丈夫かな。おーい、ぼっちちゃんもそろそろもとに戻って~」

「ああ……ずっと、ずっと側にいてくれたのか……我が師……導きの月光よ……」*2

「なにそれ!? 私は師じゃないし月光じゃないよ!?」

「多分虹夏の髪の毛が三日月か何かに見えたんじゃない?」

「あーもう、ぼっちちゃんまだ正気に戻らないし……ていうかそもそも二人はまだ付き合ってもいないのに」

「寝てから言え定期」

 

 辛辣なリョウ先輩の言葉は聞こえないフリをしたまま、お腹に顔を埋めて匂いを堪能しながら私は考える。カズ君をどうとっちめてやろうかとか先輩の匂いが良すぎて幸せだとか……カズ君の事なんか、別に好きじゃない、とか。

 私は、カズ君の事が好きだとか考えた事がない。一緒に居たいとは思うけど、恋愛ドラマや映画で観るヒロイン達や、彼氏がいる友達の恋バナから読み取れる恋とは違う気がする。カズ君の顔を見る度に嬉しくなったりだとか、一緒に音楽聴けたり一緒に帰り道を歩けるだけで幸せだとか、カズ君が後輩の女の子に告白されてすんごいムカついたとか……そういうのは……まあなくはないけど!

 

 私にとって特別な人だというのは認める。彼が自分の幼馴染でよかったと、誇らしく思えるから。

 でも、この感情に『恋』と名付けるのは、少し違う気がするのだ。あくまでなんとなくで、ひょっとしたらその通りなのかもしれないけど。

 

 後藤さんに「カズさんの事が好きなんですよね」と指摘されたあの日から、リョウ先輩と虹夏先輩は「私がカズ君に恋している」と周知の事実として私を揶揄ってくる事が多くなった。もちろん、カズ君が居ない時を見計らって。

 私はその度に誤魔化したり否定したりしたが、しかしここまでイジられると「本当に私はカズ君の事が好きなのかもしれない」と思えてくるのが不思議だ。でも、私の心のどこかで「違う、違う、そうじゃない」と私の中の鈴木雅之が歌ってくるので、上手く気持ちを切り替えられずにいるのが現状。

 うーん、考えてるともやもやして頭が混乱してくる。

 そうだ、こういう時こそ……スゥッー……あ゜ー、リョウ先輩の匂いを嗅ぐと落ち着く……。古のロックンローラー達がドラッグに手を出したのも、今ならなんとなく分かる気がする。

 リョウ先輩の尊き香りをキメる私と椅子に座りながらも未だに意識不明の後藤さんを放って、虹夏先輩達は話を続けた。

 

「そういえば、カズの怪我は平気なの?さっき電話口でぽろっと言ってたけど」

「カズ君曰く、病院に行くほどじゃないって。それに手当もしてもらったから大丈夫だって言ってた」

「えっ、カズ君が怪我!?」

「うわ、急に復活した」

 

 リョウ先輩吸いを止めて、私は慌てて顔を上げる。

 

「ていうか、え?怪我って、どうしてですか!?」

「喜多ちゃん、話聞いてなかった?なんかね、路上演奏をしていたSIDEROSのボーカルに絡んだガラの悪いヤンキーから庇って怪我しちゃったんだって。今回のサポートギターの件も、そこから話が発展したみたいで」

「少女漫画の奴!!!」

 

 え!?不良から庇ってもらって!?そこから出会いが始まって!?運命的な出会いじゃない!ラブコメの導入じゃない!幼馴染の私でさえそんな胸キュンでエモエモなエピソードないのに!

 ずるいずるいずるい!

 私だってそんな少女漫画的なイベントしてみたかったっ!

 ていうかちょっと待って。そこからカズ君がサポートギターに抜擢されるの?

 もうそれ、伝説の奴じゃない!伝説のロックンロールの始まりみたいなエモエモな奴!

 

 

「うわーん!やっぱり幼馴染なんて負け属性なのよ!ネットでも見たもん!幼馴染は負けフラグだって!」

「喜多ちゃん荒れてるねぇ。やっぱりカズ君の事大好きじ「違いますっ!」えー、食い気味に即答するんだそれで……」

「自分はじわじわと距離を詰めているつもりだったのに、突然ぽっと出の女とラブコメイベントが起きたら気が気じゃないよ。日々は戦争、集うは戦場*3。恋は戦争だってよく言うしね。私はしたことないし興味ないから偉そうなこと言えないけど」

「そういえばカズ君って私達の事をそういう対象に見てたりするのかな?」

「私達がカズの恋愛対象に入ると思う?」

「あー、うん。そうだよね……私達が対象に入るわけないね。大丈夫だよ喜多ちゃん、カズ君がその辺で急に出会った女の子とラブコメするわけないじゃん!」

 

 苦笑いをしながら虹夏先輩は私を慰めるように明るく私の肩をぽんぽんと叩いてくれる。

 でもその励ましに私はちっとも安心できなかった。

 

「なら先輩。もしカズ君の前に全盛期のSarah McLachlanとかAvril LavigneとかTaylor Swiftが歌いながら現れても……そっちにホイホイついて行かないって、絶対大丈夫だって言いきれますか?」

 

「「…………」」

「言いきってくださいよっ!」

 

 どうして何も言わずに顔を逸らすんですか!ちゃんと私の目を見てフォローしてくださいよ!

 いや自分で言ってても「カズ君なら詐欺でも迷わずダッシュで着いて行きそうだ」と思えちゃう例えだったけど!!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ハックション!!」

「あれ、カズクン風邪っすか?これからライブなのにぶっ倒れないでくださいっすよー」

「いや、なんか……ひどい濡れ衣を、ていうか汚名を着せられたような……すごい失礼なことを言われたような」

「?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、あのぅ、その『SIDEROS』ってどんなバンドなんですか?」

「お、ぼっち復活した」

 

 私がぎゃーぎゃーと騒いでいる最中、おずおずと手を挙げて言葉を発したのはいつの間にか蘇生した後藤さんだった。まだ人間性を砕いていなかったのに、後藤さんも知らない間に一人で蘇生できるようになったのね。

 

「えっとね、カズ君の話だと新宿FOLTって言うライブハウスで活動するガールズメタルバンドなんだって」

「メタル……私、あんまり聴いた事がないかもしれないです」

「私もー。なんか、縁遠いジャンルだよね。リョウは聴いた事ある?」

「もちろん。大好き。Judas Priestの『Electric Eye』とか最高」

 

 目を輝かせて語ってくれるリョウ先輩の頭とお尻に、ぴこぴこと嬉しそうに動く耳と尻尾を幻視した。好きな物を語るリョウ先輩は子供みたいでやっぱりカワイイ。

 ……そう言えば私、メタルってちゃんと聴いた事がなかったような。CDショップでちらほらとゾンビやホラーチックなジャケットが特徴的なアルバムを見かけた事はあっても、それを自分から聴こうとはしなかった気がする。なんていうか、メタルって凄い野蛮で怖いって言うイメージが漠然とあったからだ。悪魔みたいなコスを着た人達が蝋人形にしようと襲ってくるイメージが何故か私の中に根付いている。

 そういえばカズ君もメタルを聴いている所なんてほとんどないような……?そんなバンドでサポートギターだなんて、カズ君は大丈夫なのかしら。

 

「メタル……。珍しいですね……」

「そういえばぼっちちゃん、メタル好きだって言ってたよね?」

「は、はいメタルはパワーコードを中心にしたジャンルなんですがとにかく音を歪めて高速でピックを動かすテクニックが必要でざっくり言っちゃうと凄い上級者のギタリスト向けのジャンルなんです私もギターヒーローのアカウントで活動している時練習でよく弾いてました特にギターソロが映えるジャンルだったので私にはうってつけで特にお父さんがジミーヘンドリックスの大ファンでHM/HRのメタルとロックの混迷期のCDをたくさん持ってて私もよく聴かされて私もその影響で大好きに」

「あーうん分かった分かった!とにかくすごいジャンルでぼっちちゃんのギタテクはそこから培われたんだね!」

 

 虹夏先輩が慌てて流暢に喋り出す後藤さんのトークを止めた。凄い早口だった……。好きなバンドや曲を語るリョウ先輩やカズ君と同じ顔してた……。

 

「しかもSIDEROS、インディーズだとトップクラスのバンドみたい。ネットに書いてある」

 

 スマホで検索していたリョウ先輩が私達にネットの記事を見せてくれる。

 そこには『未確認ライオット出場バンド一覧!』と言う記事のタイトルが表示されていた。

 記事をスクロールすると、現時点でトップ通過確実というライターの熱が入った煽りとSIDEROSのボーカルの子の写真があった。

 ……ツインテールで目つきは悪いけど、顔立ちは結構整ってる。可愛くてカッコイイって感じね。マイクに向かって叫ぶように歌ってる写真だからか、可愛いというよりクールな女の子と言う印象がする。服装もかなりパンクで近寄り難いオーラを発しているみたいで、結束バンドの皆とは全く違う人達と言う感じだ。

 

「『未確認ライオット』……って、なんですか?」

「10代限定のロックフェスだよ!審査がたくさんあるフェスで、毎年3000以上のバンドが応募するみたい」

「3000⁉︎」

「あっ、えっと、ライブ審査の前にデモと、後ネット投票の審査があるみたいです……」

「ライブ審査を潜り抜けてフェスの本選に出れるのは2組だけ。まだライブ審査も行われていないのに、参加を表明してるたくさんのバンドの中で優勝確実だと言われているのが――」

「SIDEROS……」

 

 ライブハウスのホールに、気まずい沈黙が降りてくる。私も自分でスマホを開いて、そのSIDEROSについて検索をかけてみる。ちらりと後藤さん達を見てみると、3人とも私と同じようにそれぞれ自分のスマホをじっと見ていた。

 SIDEROSのボーカルは、大槻ヨヨコさんと言う名前の女の子。私よりひとつ年が上の先輩。リョウ先輩と虹夏先輩と同い年。

 活動自体は3年近くやってて、未確認ライオット以外にもたくさんのイベントやフェスに呼ばれる超実力派。日本のインディーズバンドで最も人気なバンドだと評判らしい。

 他にも、たくさんのレーベルから声をかけられてるとか、ワンマンライブをすればすぐにチケットは売り切れてしまうとか……いろんな逸話がゴロゴロと出てくる。

 何かこの人達の音楽は聴けないだろうか。

 そう思って、普段私たちの演奏動画を上げている動画サイトを開き、SIDEROSと入力して検索をかける。今の時代は本当に便利で、そこには誰かが許可を得てアップロードしたらしいSIDEROSのライブ映像が表示された。直近の動画は、先月に行われたワンマンライブの切り抜きだった。

 

 曲目は、Against The Currentの『Legends Never Die』。

 

 私が知らない曲だ、どんな曲なんだろう。カズ君なら知ってるかな?

 ゲーム好きのドラマー……私と同い年の長谷川あくびさんが選んだ曲だとMCで語られた事が概要欄には書いてある。

 

「ライブ映像、ちょっと流してみますね」

 

 先輩達に軽く断って、私はサムネイルをタップする。

 少し値踏みをしようと、軽い気持ちで動画をタップして、すぐに後悔する事になる。

 画面の中のSIDEROSがギターをかき鳴らし、歌い始めた瞬間、スピーカーから大きな音の塊をぶつけられたような、突風が巻き起こった気がした。

 

 戦いのスタートだ、そう言わんばかりに画面の中の大槻ヨヨコさんが、マイクに向かって叫ぶ。

 

 ぞっとするような歌声、背筋がぞくぞくと、鳥肌を直接植え付けられたような感覚だった。

 それに同調するように、満員に近いと思えるホールの観客達の声が響く。100人以上の観衆の声はまるで地鳴りだ。

 けれどSIDEROSの演奏は、騒音とも言える大歓声を上から塗り潰して画面越しの私達をも押し潰そうとしてくる。

 

 ――感じろ、私達を。感じろ、私達の歌を。

 

 聴き続けろ、聴き続けろ、聴き続けろ……

 

 歌に載って伝わってくる、強いメッセージと熱。聴いている人の心を焼いて、焦がして、溶かしてしまいそうなサウンド。血管の一本一本、隅々にまで届きそうなんじゃないかと思えるようなシャウト。斬撃のように鋭いギターリフ。

 私の目には、画面に映る大槻ヨヨコさんが、フレディや、ジョンレノン、大昔のライブ映像でステージの上で歌っていたロックンローラー達の影が、重なって見えた。

 

 たった一曲の、画質も荒く音質もお粗末なスマホのスピーカーから流れた曲で、私達は圧倒される。

 知名度も、曲の完成度も、演奏技術も。今の私達とは雲泥の差だと。

 これがもし、生の音で聴くことができたなら。そう願わずにはいられない音だった。

 

「凄い上手……」

 

 虹夏先輩が思わず言葉を漏らした。そうとしか言いようがない、生きた音だ。

 つい最近、Youtubeのチャンネルに挙げたカバー動画の再生数が1万を超えて喜んでいた自分達が、井の中の蛙だと思い知らされる。

 試しに他の動画も探してみると、SIDEROSのMVは私達の倍以上の再生数を記録していた。

 インディーズバンドのトップに居るというのは伊達じゃない。本当の本当に、凄い人達なんだ。私だってたくさんロックを聴いてきたし、リョウ先輩達と一緒に練習してきたから、耳が肥えている自信はある。

 だからこそ分かる。ギター歴1年未満の私でさえ分かる。直感で理解させられてしまう。

 

 カズ君が、この人達のサポートギターとして演奏する。しかも、ボーカルも。

 

 複雑な気持ちだった。

 カズ君が私と同じボーカルをやるという、親近感に近い喜びがあるのを感じる。

 でもカズ君の隣に立つのは結束バンドじゃない。知らないバンドだ。それも、私が今まで識る中で最もプロか、それ以上の位置にいるバンドの人達と。

 気付いた時には、胸の中にふつふつと何かが湧き上がっている事に気づいた。ああ、この皮膚を焼くような熱は……悔しさだ。

 ライブハウスのステージの上で初めて歌うカズ君の隣にいるのが、私達じゃなくて会った事もない誰かだと思うと、大切な物を突然誰かに横取りされたような、そんな痛みが私の胸にボコボコと生まれてくる。

 

「改めて見ると、とんでもないバンドだね……」

 

 ライブ映像を観終えた虹夏先輩が呟いた。

 

「このFOLTってライブハウスもSTARRYの倍以上大きな箱みたいだし。よく前座に私達を出してくれる事になったね。何故か交換条件でカズ君がサポートギターやらされるみたいだけど」

「カズは音楽馬鹿だから、メンバーの内の誰かと気が合ったんじゃないかな。それで一緒にライブしようみたいな話の流れになったのかも」

「あー、ありそう」

 

 リョウ先輩の推測に虹夏先輩が苦笑しながら同意する。カズ君は音楽をしてる人とは大抵すぐに打ち解ける事ができるから、容易に想像がついた。

 コミュ障でまだバンドメンバーとあまり目を合わせることができない後藤さんとも、唯一真正面から会話を出来るぐらい音楽通の人と話を合わせるのが得意だから。本人はあまり自覚がないみたいだけど。

 

「SIDEROSは少し前にリードギターが抜けているみたいだね。今年の夏にフェスの本選だし、空いていたリードギターの穴を埋めるのにちょうど良かったのかな。ちょっと覚悟した方がいいかも」

「か、覚悟ってどういう……」

「カズが引き抜かれるかもしれない」

 

 リョウ先輩の呟きは、一瞬、私達に重たい沈黙を降ろした。このまま黙っているとリョウ先輩の言葉があり得る事だと受け止めてしまいそうだと感じた私は、その沈黙を破るように声を絞り出した。

 

「か、カズ君が?SIDEROSに引き抜かれるって……まさか、こんなに上手なバンドにカズ君が入れる訳ないじゃないですかっ」

 

 私はわざとらしく明るい声音で冗談っぽく振舞った。動揺してて言葉が少し上擦ってしまったのを気にせずに。

 だってギターはともかく、カズ君の歌はそんなに上手じゃない。一番近くで聴いていた私がよく知っている。ギターだって、リョウ先輩や後藤さんほど上手じゃない。少なくとも私はそう信じて――いや、そう思い込んでいた。

 

「……だといいけど。でもちょっと覚悟しておこ。もしカズが自分の意思でギターに本気で向き合う時が来たら、私達は送り出さなきゃいけない。それはカズにとって、絶対に大切な事だから。例え私達の大切な仲間だとしても」

 

 リョウ先輩がぼそりとそう呟く。

 あまり顔色を変えないリョウ先輩だけど、その表情は見覚えがあった。

 

 去年の夏、はむきたすでまだベースをしていたリョウ先輩が、私達の前でベースをやめると宣言した時と同じ顔だった。大切な物をいつまでも手元には置けないと、覚悟して手放そうとしている時の表情。

 リョウ先輩の諦観と悲しさが同居した目を見ていると苦しくなって、眼を逸らす事しかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あーやめやめ!今日の練習はやめにしよ!」

 

 スタジオに入って練習を開始してから、まだ一時間も経たない頃に虹夏先輩が通しの中盤で演奏を無理やり止めた。

 アンプから吐き出されるギターの音が、残響となってスタジオに響く。けれど演奏が中途半端だったのは、私含めて全員が気付いていたと思う。 

 

「ご、ごめんなさい!今日は調子が悪くて……」

 

 特に、私のミスタッチがひどく目立った。これがもし本番だったらブーイングまったなしだ。いつもならミスをしてももう一回と言えるのに、今日はそれができない。

 虹夏先輩は「いーよいーよ」と慰めてくれるけど、心ここに在らずな今の私には、表面を滑り落ちるだけで上手く受け取る事ができなかった。

 

「……そうだね。今日は止めておこう」

 

 リョウ先輩が心なしか残念そうにしながら、ベースの片づけを始める。それに追随するように、虹夏先輩もドラムの片づけを始めた。今日は2時間スタジオを取っていたのに、私のせいで。なのに、先輩達は私のせいだと糾弾しない。その優しさが、今はとても辛かった。

 リョウ先輩も虹夏先輩も、何も言わないまま無言で片づけを始めて、心なしかスタジオ内の酸素が薄くなっていく。

 罪悪感に苛まれながらも、私も少し遅れて片づけを始めようとギターストラップを肩から外そうとしたその時だった。

 

「……あ、あの!」

 

 後藤さんが突然、片付けていた手を止めて気まずい空気に穴を空けるように叫んだ。

 

「な、なにっ、どうしたの後藤さん?」

 

 皆の視線が、一斉に後藤さんに集まる。私含めて全員の視線を集めた後藤さんは一瞬「ひうっ」と怯えたように引きつらせた声を漏らしたが、やがて意を決したように……と思ったらおどおどと視線を泳がせ始めた。

 こういうことはよくあるので、後藤さんが落ち着くまでしばらく黙って待っていると、おずおずと後藤さんは口を開いた。

 

「こ、この後……カズさんのライブ……観に行きませんか?」

「え……SIDEROSの?」

 

 虹夏先輩が訊き返すと、後藤さんは顔を強張らせながらもこくこくと何度も頷いた。

 自分の考えや言葉を口に出すことが、後藤さんは大の苦手だ。でも、そんな彼女がしっかりと言葉に出すのは、本気で彼女が必要だと感じた時だというのを、私達は知っている。

 

「わ、私……カズさんとはまだ付き合いが浅いですし、まだよく知らない事の方が多いですけど……。でも、このままカズさんが抜けちゃうのは、いいいい、嫌ですし……ここでじっとしてるままだと、その、なんとなくですけど……後悔する、気がしますっ」

 

 必死に、絞り出すように紡がれる後藤さんの言葉。

 後藤さんは、隠し切れない怯えが滲みながらも、必死に私達に訴えかける。このまま何も見ないフリをしたままでいいのかって。

 

「そ、それに……カズさんがいないと、皆が暗くて、嫌ですっ!暗いのは私だけでいいのでっ!」

 

 後藤さんのはっきりとした言葉に呆気を取られた私は目を何度かしばたたき、虹夏先輩達の方を見た。

 虹夏先輩達もぱちくりと目を見開いた後、やがて小さく笑った。

 

「……あ、あああああの、すみません生意気な事言って――」

「大丈夫だよ、ぼっちちゃん。私もそうしようと思ってたから!言うタイミングがなかったからどうしようかと思ってたけど、私の代わりに言ってくれてありがとね」

「――ほぇ?」

「ぼっち、言う時は言うね。そういうの、すごくいいよ。虹夏、店長に言ってバイト今日休ませてもらおう。1日ぐらい土下座すれば休ませてもらえるはず」

「そうだね!今からならライブの時間には間に合うと思うし、リョウは確か新宿FOLTの場所知ってるよね?」

「任せて」

「よーし!じゃあ、私達のマネージャーを取り戻しに行こう!」

「別にカズがSIDEROSに入ると決まった訳じゃないんだけどね。ぼっち、片づけを済ませて行こう」

「……あ、は、はい!」

 

 あれよあれよと話がまとまって、やがて思い出したかのように、最終確認を取るように、皆が私を見た。

 

「郁代は一緒に行く?」

 

 リョウ先輩が、真っすぐに私を見て問いかける。

 私は一瞬、喉に石が詰まったように躊躇ったけど、すぐにかぶりを振って気力を奮い立たせる。心の中で、『信じるのを止めるな(Don’t Stop Believin’ )』と呪文のように唱えて、頷いた。

 

「――私も、行きます!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 こうして、私達は新宿FOLTへ向かう事になった――のだが。

 

「あっ、今日のライブ凄くよかったですありがとうございました……」

 

「ちょ、まだ新宿駅に着いただけよ!? 去年の池袋でお買い物した時もそうだったけど、人がたくさんいる場所に来るだけで屍人化するの止めて!」

 

 後藤さんが人混みに文字通り揉まれて、3人で引き摺るように運ぶ事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ?(ドス声)」

 

「す、素晴らしいライブをありがとうございました……」

「お、お姉ちゃんに会いたい……」

 

「ついに虹夏先輩まで!?」

 

 新宿FOLTに着くなり、入り口で受付をしていた怖いお兄さんに睨まれて、後藤さんはともかく虹夏先輩も恐怖で負けてしまった。

 これが新宿のライブハウス。なんて恐ろしい所なの……!

 

「4人分のチケットください」

 

 けれどリョウ先輩は意に介さず、堂々とチケットをお兄さんに買い求めた。か、かっこいい!後藤さんと虹夏先輩が半泣きなのに!

 

「あらやだ~、可愛い女の子達じゃな~い!たまには受付もするものね〜!一人3000円よ、ごゆっくり~♡」

 

 受付のお兄さん……お兄さん?は強面な見た目とは反して凄い優しそうな笑顔で応対してくれた。

 私達はそれに呆気を取られながらも、各自それぞれ財布からお金を出してチケットを受け取っていく。

 

「あれ、リョウ今月金欠じゃなかったの?」

「ああ、カズに借りたの、まだ残ってた」

「……来月の給料から引いてカズ君に返しておくね」

「そんな殺生な!」

 

 普段金欠のリョウ先輩が珍しくお金を自分で払ったと思ったら、カズ君に借りたお金だった。虹夏先輩の宣告にリョウ先輩は涙目で私に縋りついてきたが、「リョウさんが金を貸してってせがんでも絶対に喜多は貸しちゃダメだよ。もし貸したら喜多のお母さんに言い付けるから」と私は釘を刺されているので、黙って目を逸らした。ごめんなさい、リョウ先輩……。全部カス君が悪いんです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 新宿FOLTは、STARRYとは違って明るい空気だった。床がフローリングだからか、STARRYの黒を基調とした鉄筋コンクリートの空間とは全然違う。見慣れないステッカーやポスターがあちこちに貼られ、なんだかまるで知らない異国の地に入ったような感覚を私に与えた。

 私達が受付を済ませてドリンクを受け取る頃にはホールは客でいっぱいになっていた。少なくとも、以前11月にライブした時より倍近くの客が入っていたように思う。学生っぽい人達もいれば、大学生らしきお姉さんや社会人のおじさんが何人もいるみたい。比較的女の子の客がたくさんいる気もするけど、男の人も大勢いる。

 

「客はざっと300人ぐらいかな。すごい人気なんだね」

「非公式だけどファンクラブもあるみたいだし、ミニライブとはいえワンマンを任されるぐらいだから、集客率は東京でもトップクラスじゃないかな」

 

 人が大勢いるせいで、広いはずのライブホールが物凄く窮屈で狭く感じられてしまう。空いているスペースを探そうとどこを向いても人だらけで、遅れて入場した私達はホールの後ろ側で待つ事になった。

 

「カズさん……大丈夫ですかね……」

「ええ……少し不安だわ」

 

 後藤さんの不安に同調するように、私も弱々しく頷くしかなかった。

 カズ君は、私達との合唱コンクールや、結束バンドの舞台、それに学校の休み時間に、私と一緒にクラスメイトの前で演奏した経験はある。人前で演奏する事には慣れているとは思うけど、ボーカルもするとなると話は全く変わってくる。

 

「多分、大丈夫だよ」

 

 そんな私達の不安を拭うように、リョウ先輩が言った。

 

「カズは、私達の中じゃぼっちの次にギター上手いし」

「え?」

 

 それってどういう、そんな私の問いかけは続かなかった。

 ホールの照明が落ち、真っ暗な帳が降ろされたからだ。

 

「始まるね!」

 

 ステージに壁を作るように覆っていた幕が、徐々に上がっていき、観客達の歓声が破裂した。

 幕が上がるにつれて足元から徐々に見える。やがてSIDEROSが完全に姿を現すと、更に地鳴りのようにホールが震える。

 

 カズ君がステージの上に姿を現した時、息を呑んだ。

 

 ステージに立つカズ君の表情を、私は見た事がなかった。

 額を中心にぐるりと巻いた包帯は、カズ君の前髪を上げて小さな目元がはっきりと見えた。緊張と高揚を帯びた、真剣な……男の子の表情。

 それを見ただけで一瞬、自分の心臓が高鳴った。

 

『Let's Roll!』

 

 そして、ライブが始まった。

 それは、私が知っているライブとは全くの別物。

 頭の先からつま先まで、血管の隅々までに響くビート。観客達の歓声を切り裂くようなグルーヴ。

 

 そして、大槻ヨヨコさんの歌声。

 

 SIDEROSの演奏は、私の、私達の想像以上だった。後藤さんも、虹夏先輩も、リョウ先輩も、眼を奪われ、釘付けになってしまっている。

 ああ、嫌だ。何が嫌かって、私がこの歌を、このバンドを好きになりかけている事だ。

 

 ここで膝を折りたくない。認めたくない。この人達の演奏が、私の魂に触れてくるという事実を認めたくなんかない。

 

 曲はあっという間に1曲、2曲と終わっていき、MCが始まった。ライブの最中の小休憩だ。

 

「かっこいい……演者は皆のヒーロー……」

「すごいすごい!カズ君もそうだけど、本当に凄いよ!なんというか……すごい!」

「虹夏、語彙力がやばいよ。でも、私もここまでとは思わなかった……。郁代?どうしたの?」

 

 

「私――もっと、前で観たいです」

 

 

 私は独り、観客達の間を潜って、ステージの最前列に向かう。「すみません」と何度も呟きながら人の間を進んでいる内に、3曲目が始まってしまう。

 ライブの演奏で興奮している集団の中を歩くのは困難を極めた。誰かも分からない人混みで挟まれ潰され、足を踏まれ、弾き飛ばされそうになる。涙が出そうになりながら、私はそれでも必死に潜っていく。息も詰まりそうな人混みを抜けると、視界が一気に開けた。

 瞬間、突風と音の塊が至近距離で私を襲ってくる。踏ん張っていないと倒れてしまいそうなほどに。

 

 それでも私は、目を背けずにステージを見続ける。

 

 SIDEROSの歌を、ギターを、ベースを、ドラムを、全身で浴びるように。

 

 ああ――本当に凄い。一体どれだけの時間を楽器に注ぎ込めば、ここに到達できるんだろう。

 生きた演奏って、こういう事なんだ。ダイレクトに聴いている人の鼓膜を震わせて、心臓の鼓動を加速させる。

 こんなことができるんだ。ロックンロールってこんなに凄いんだ。

 嫉妬して、憧れて、降参したくなくて、胸に焼き付く衝撃のままに最前列に来た私の胸に沸いたのは、そんな素直な賞賛だった。

 

 私は初めて、本物のロックンローラーを生で見る事が出来た気がした。

 

 そして、カズ君だ。今ステージの上にいるカズ君は、結束バンドの皆と演奏している時とは別人だ。

 まるで、数年前からずっとSIDEROSの人達のリードギターだったかのような、違和感のなさ。

 噛り付く様にギターを掻き毟って、苦しそうに汗を飛び散らして――それで、笑っていた。私が見たことがない、凶暴で本能を剥き出しにしたような笑み。ギターを弾くことにただ夢中になって、遊び続ける事に真剣な男の子。

 

 眩しいライトに照らされたステージの上は、とても遠く感じる。

 こんなに近いのに。ステージに登ればすぐに触れそうな距離なのに。

 

 あまりにも、遠い。

 

 まるで見えなくて分厚いガラスが、ステージと観客席を分け隔てているようだった。

 

 

「ありがとっすー!それじゃあ次は皆さんお待ちかね、包帯少年のボーカルっす!」

 

 

 3曲目が終わると、ドラムの子がそうマイクに叫ぶ。

 すると観客達が一層盛り上がり、「包帯少年!」と口々に叫び始めた。

 そういえば、カズ君のあの怪我はひとつのトレードマークのようにされていたんだっけ。大槻ヨヨコさんを助けたカズ君の武勇伝がネットで囁かれ、ミニライブの告知で包帯を巻いたカズ君の写真がファン達の心に突き刺さったらしい。私としては怪我をしたカズ君が心配で、あまり面白いとかカッコイイとは思わなかったけど。

 

 カズ君は戸惑いながらも大槻さんに促され、マイクの前に――立とうとしたように見えた。

 

 けれど、前に歩き出したカズ君の顔が、急に強張って足が止まった。

 

(あ、カズ君、すごく緊張してる!)

 

 さっきまで楽しそうに演奏していたカズ君の表情が色を喪ったように消え失せ、今までに見たことがないくらいに怯えと焦りを滲ませる。

 もう、今日だけで何度、私が知らないカズ君を見つける事ができたんだろう。けれども、その表情は見覚えがあった。

 

 思い出すのは、一年前、中学二年生の合唱コンクールの本番。

 

 緊張による動悸と吐き気を堪えていた、私と同じ顔をしている。あの時、手洗いの鏡に映った私は、本当にひどい表情をしていた。もうその場から一歩も動けない、そう思えてしまう程、脚が凍って動かなくなったのを今でもはっきりと思い出せる。

 あの時、私はどうやってステージに立つことができたんだっけ。不安と恐怖を押しとどめて、どうやって勇気を持ってステージに歩いていくことができたんだっけ?

 ――あ、そうだ。あの時は確か。

 

 

「カズ君!!」

 

 

 考えがまとまるより先に大きな声が出た。私の隣に居た観客達が何事かと驚いたようにこっちを見たけど、私はそんな事気にも留めなかった。

 

 私の声に気付いたカズ君は、はっとした表情できょろきょろと見渡して、私と目がばちりと合った。

 

 

「ちゃんと、聴いてるから!」

 

 

 だから聴かせて。カズ君の、最高のロックを。

 

 

 伝わっただろうか。伝わっていて欲しい。あの日、カズ君に励まされた言葉。あれがどれだけ私に勇気を与えてくれたのか。

 今、私は一緒のステージにはいない。カズ君と一緒に、笑われてあげる事は出来ないけど。知っていて欲しい。

 

 私は遠くても、ここにいるってことを。ちゃんと見てるってことを。

 

「…………」

 

 私と目が合ったカズ君が小さく、頷いてくれた気がした。

 

 

「じゃあ、歌います。サード・アイ・ブラインドの――『Wounded(負傷者)』」

 

 

 そして、カズ君の歌が始まった。

 それまでブレーキが付いていない車が暴走しているかのように走り続けていた演奏は、急に落ち着いた大人びた演奏へと変貌する。

 サードアイブラインドのこの曲は、カズ君がカラオケで何度も歌っていた持ち歌だ。けれど、SIDEROSの人達によってアレンジが加えられ、そして支えられたカズ君の演奏は、私が知っている曲とは全く違くて。

 音程の取り方とか、カズ君の不慣れさを感じる。

 けれど今にも裏返りそうな震えた声も、緊張を抑えようとただ必死に歌い続ける姿も、今はただ私達の胸を打つばかりだ。

 さっきまで切り裂く様に弾いていたギターは、聴いている人の見えない傷を労わるかのように。カズ君の優しい、まだ少年の幼さが残る歌声は、聴いている人の傷を癒していく。

 

 ――どくん

 

 この感覚は、覚えがある。

 初めてQueenのSomebody To Loveを聞かされた時のような。初めてライブハウスで歌った時のような。

 自分の魂の窪みに、カチリと何かがハマるような。

 真っ白な無地のキャンパスに、淡い青の色彩(BLUE)で塗り潰されていく。

 

 ――ああ、分かる。これは、自分が何かに満たされる感覚だ。

 

 ()()()()に乾いた心に、冷たくて綺麗な水が注がれて、潤っていく感覚。いつまでも味わっていたくて、この感動を手放したくない。ずっと味わい続けて居たいと願う気持ちが湧き上がる。

 

 でも。今の私にはとても寂しくて悲しい。満たされているのに、どこかに穴が空いてそこから零れ落ちてしまっているようだった。

 自分の心が、今の状況に追いついていない。濁流のように生まれていく感動と、それに伴うように消えていく喪失感がいっぺんに私を襲ってきて、どうすればいいか分からずただ涙を流す事しか抗う術がない。

 目の前で歌っているカズ君に追いつけていないんだ。まるで自分の心をどこかへ落としてきてしまったような。自分の大切な熱や感情、衝動、そう言った全てをどこかへ落として、忘れてきてしまったような。

 

 この涙は。

 

 カズ君が遠くへ行ってしまって、寂しがっている私の心の悲鳴だ。

 

 隣に居たはずの大切な人が、どこかへ消えて行ってしまう痛み。

 私とカズ君、そして結束バンドのみんながいる部屋から、カズ君だけがどこかへと出かけて、もう、戻ってこない。

 胸の中をどくんどくんと、痛みがのたうち回っている。私にとってそれらは未知の感覚で、どう扱えばいいのか分からなかった。拒絶すればいいのか、それとも受け入れるべきなのか。でも、今それを受け入れてしまったら、子供のように泣き叫んでしまいそうで。

 どうして私は観客席側にいるしかできなかったのか。どうしてカズ君の隣に私がいなかったのか。

 そんな惨めな自問自答に、すぐに答えは返ってくる。

 分かってる――実力も何もかもが、私には足りなくて。今の私には、あそこに立つ権利も、挑戦する権利もないんだってことを。

 

 分からされた。

 

 理屈ではなく、本能で。

 

 カズ君は、SIDEROSの人達と一緒に居た方が、良い曲を奏でられるってことを。

 

 拍手喝采と大声の歓声だけが、最高の賞賛とはなり得ない。

 私の周りにいる観客達が、その証明だ。彼らは拍手をするわけでも、大声で叫んだりするわけでもなく、ただ黙って聴き入っていた。

 SIDEROSの演奏は、カズ君の歌は、それぐらい透き通っていて、いつまでも聴いていたいぐらい綺麗な物だったから。

 

 頭の中の整理が追いつかない。徐々に私の心が置いて行かれていく。

 

 私も、カズ君の隣に立ちたい。あの光の下で、カズ君と一緒に歌いたい。一緒にギターを弾きたい。一緒に声を重ねて歌うことができたら、どんなに楽しいだろう。どんな美しい歌が出来上がるのだろう。

 

 でもダメだ。今の私は、あちら側に立つ資格がない。いくら手を伸ばそうとしても、夜空に浮かぶ星に触る事が出来ないように。美しい鳥を、鳥かごの中に閉じ込める行為が愚かな事であるように。

 

 なら、最後まで、最後までちゃんと聴こう。私はただ、自分の中の体温がこれ以上喪くならないように、カズ君の陽だまりのように暖かい歌声を聴き続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「――ちゃん、喜多ちゃん?」

「あ、はい!?」

 

 聞き馴染のある声と肩を揺さぶる感触で我に返る。ふと周りを見渡せば、そこはライブハウスの外だった。心配そうな表情で虹夏先輩が私の肩を揺さぶっていた。

 冷たい風が頬を突き刺し、ライブを観終わって満足気に感想を言い合う観客達が新宿駅へと向かっていく風景が周りにあって。私はその時、ようやくライブが終わっていた事を実感する。夢から覚めて現実に戻って来たような感覚だった。

 

「大丈夫?ライブ終わってからずっと上の空で……」

「だ、大丈夫です。ごめんなさい」

 

 私はコートを着直しながら心配してくれる虹夏先輩に謝った。けれどそんな謝罪も上の空だ。

 

 カズ君が歌い終わった瞬間、冷たくて心地よい風が、自分の中を通り抜けた気がした。

 決して、世界中の人を驚かす様な万人受けの歌ではなかったと思う。でも、誰かの心臓を突き刺す歌だった。少なくとも、私はカズ君の歌をもう一度聴きたいと思ってしまっている。

 静かで優しい風のような歌だった。カズ君の歌が終わった後、しばらく私は放心して、やがて観客達の後ろに戻ってリョウ先輩達と合流した……気がする。あまり良く覚えていない。

 最後の曲を、SIDEROSの人達が何を歌ったかは分からない。観客達の地響きのような歓声と拍手で、上手に聞き取れなかったし。

 SIDEROSのミニライブが終わった後からずっと、私の体の中でカズ君の歌が残響のように響いていた。目を閉じれば、耳をすませば、カズ君の歌がどこからか響いてきて、私の心を震わしてくる。

 

「す、すごかったです……SIDEROSの大槻さん。ボーカルをやりながらあんな高速ピッキングまで……。あんなリフ、歌いながらやるなんて私には無理です」

「そうだね。でも、私的にはベースの子が一番好きなサウンドだった。メタルの根幹とも言える、硬いサウンド。息を忘れるぐらい呑まれちゃった」

「私はやっぱりドラムの子かな?結束バンドはあんなハイテンポの曲やらないから、あんなエッジが効いた叩き方、今まで聴いた事がなかった!すごい勉強になったよ」

「ねえ、ぼっち。SIDEROSの曲を聴いてたら私いいフレーズ思いついたかも。今からSTARRY戻ってちょっと音合わせてみない?」

「あ、はい。私も、ちょっと歌詞を思いついたので、良ければご一緒に……」

「あーずるい!私も混ぜてよ!」

 

 次々と語っていく先輩達。SIDEROSのライブは先輩達に良い刺激を与えたみたいで、その表情は明るい。あれだけのライブを聴いた後なのにもう次の曲に目が向いているらしく、最近取り掛かっているオリジナル曲の事をああしようこうしようと話しているのが聞こえた。散々遊びつくした後なのに、まだまだ遊びたいとはしゃぐ子供みたいだと私は思った。私はまだ、ライブの余韻が抜け切れていないのに。

 

「それで、カズはこれからどうなるのかな」

「あー……それ今話す?」

 

 虹夏先輩が困ったように反問する。

 

「今だからこそだよ。カズがあんなに凄い演奏したのに、私達はただぼっと聴いてましたじゃダメ。私達の大事なメンバーの事なんだから。カズの演奏を聴いて、その上でどうするのか、私達もちゃんと決めないと」

「うぐっ、こういう時だけ正論を……」

「カズはもう、私達のアシスタントじゃいられない。だってあれは、ロックにはまった奴の顔だった。皆も分かるでしょ?」

 

 その言葉に、皆がそれぞれ息を呑んで、頷く。後藤さんも、虹夏先輩も。

 ライブが終わって、歓声に包まれているカズ君の顔は、ロックンローラーなら、ミュージシャンを目指すなら、皆が通った道だったから。私も見覚えがあったし、身に覚えがあった。

 

 1度目は、私が合唱コンクールでボーカルをした時。

 2度目は、後藤さんがSTARRYで『星座になれたら』を弾き終わった時。

 

 カズ君はロックが大好きだった。けれど、カズ君はロックを聴くんじゃなく演奏する本当の楽しさを知ってしまった。あの顔を見れば分かる。きっともう以前のカズ君には戻れないだろう。

 ただ聴き専をしているだけでは得ることができない楽しさを、あの体験をカズ君はきっと忘れない。ずっと強い記憶として、大人になっても残り続ける。

 大勢の人の前で歌って、演奏して、それを拍手で迎えられる感覚を。体中に叩きつけられる歓声を。

 

 そして、またそれを求めてステージに登る。そんな確信に近い予感がある。

 

「カズは、やっぱりこっち側だった。今までカズは本気を出した事がない。って言うより、本気の出し方が分からなかったんだと思う。聴き専で居た弊害かな。必要に駆られて全力で演奏するって言う気持ちがあまり湧かなかったんだ。少なくとも、私達と演奏している時は、そういう気にさせてあげることができなかった。本当は、私達がそうさせてあげたかった」

 

 リョウ先輩が少し目線を俯かせて呟く。

 

「でも今日本気で演奏して、歌って、きっとこれからは自分からステージに登ると思う。一人のロックンローラーとして」

「だよね……嬉しいけど、少し複雑だ。カズ君の歌、私も少し泣きそうになっちゃったし」

 

 虹夏先輩がどこか寂しそうに笑って言った。

 

「リーダーとして虹夏はどう思う?」

「そりゃもちろん、カズ君とはずっと一緒に演奏したいよ。でも肝心のカズ君が……もしSIDEROSで演りたいって言うなら、止める事は出来ないよ」

「うん。私も同感。正直、すごい妬けるけど。ぼっちは?」

「私は……カズさんと色々演奏したり、音楽の話をするのは、き、嫌いじゃないですけど……」

 

 どちらでもいい、というどっちつかずとも取れる言葉だった。後藤さんもそれは自覚していたのだろう。罪悪感を帯びたような表情で言いながら、私の方を見た。

 いつの間にか人が捌けたライブハウス前。もうここには私達しかいなかった。車の走行音と電車の音が遠くから響いている気がした。

 

「郁代は?」

 

 リョウ先輩がそう言うと、虹夏先輩も、後藤さんも、真剣に私を見た。

 最終的な判断は、私に委ねる。そう視線に伝えて。

 

「私、は」

 

 私は味のしない唾を呑み込んで、吐き出した。

 

「カズ君が望むなら、私は、応援します」

 

 私は自分の声が震えないように言うのが精いっぱいだった。

 けれど、取り繕った薄っぺらい嘘は、すぐに虹夏先輩に見破られた。

 

「喜多ちゃんって、嘘つけないよね。「身を引きます」って顔、全然してないよ?」

「っ」

 

 困ったように笑うその言葉は、私の胸に深く刺さる鋭い針のようだった。自分でも苦虫を噛み潰したような顔をしてるって気付いていたから。

 

「…………でも、私、カズ君の足を引っ張りたくはなくて……。私、はっ」

「大丈夫、言っていいんだよ、郁代」

 

 リョウ先輩が優しく私の背中を押したせいで、もう決壊寸前だった。

 声を上手く出せない。だって、これは私の我儘だ。独善的で、ひどく醜くて、身勝手で、こんなのが私の願いだなんて、私自身が認めたくなかった。

 でも、蓋をしようとしてもどこかへ捨てようとしても、それはどこからか湧き出す様に出てきて止められない。

 

「私はっ……」

 

 私はやがて、途切れ途切れに、息を吸う事も忘れて、やがて絞り尽くすように私の言葉が流れた。

 

「カズ君に、SIDEROSに行って欲しくないっ……カズ君の隣には、私が居たい……」

 

 それは私の嘘偽りのない本音の一部だった。

 どこにも行かないで欲しい。いつまでも私達の傍に居て欲しい。一番前で、ずっと私の歌を聴いて欲しい。

 

 その想いは、あの夏の、ビートルズの『Hey Jude』を歌った時から何も変わらない。いや、それよりもっと強くなっている。

 

 私がカズ君の一番になりたい。だって、それは私の願いであると同時に、ロックンローラーを目指す原点で、カズ君への恩返しで、私の独占欲だ。

 でも、私の願いがカズ君の足を縛り付けるのも事実だ。

 カズ君には音楽の才能がある。私の思いは、カズ君のその才能を縛り付ける。

 私達の隣に居た時には見せなかった、真剣な表情。本気の本気で、心血を絞り尽くす演奏だった。

 それを引き出したのは、私や結束バンドの皆じゃなく、SIDEROSだ。あの心を震わせて相手を支配する演奏に、私は心を折られかけている。だって、私がいくら歌っても、ギターを一生懸命弾いても、カズ君にあんな顔をさせてあげれるイメージが、どうしてもできないのだ。

 

「でも、カズ君の、邪魔、したくなくてっ……どうしたらいいかっ、わかんなくってっ」

 

 一度吐き出し始めたら、もう止まらなかった。色んな色が混ざった感情が、壊れたように零れてくる。

 嫉妬、焦り、不安、憧れ、夢。バケツの底を引っ繰り返したように私の頬を熱く濡らした。

 カズ君が居なくなったら、私が音楽をし続ける理由が消えてしまいそうな気がした。そうしたら、私はまた、何もなかった頃の空っぽの自分に戻ってしまいそうで。

 

 自分でも訳の分からない感情に支配されかけた、そんな時だった。

 

 俯いて言葉を絞り出す私の手を、誰かが掴んだ。

 

 顔を上げると、その手は後藤さんだった。

 手袋をしていない私の手を、そっと包んでくれた。まるで自分の体温を分け与えようとしてるみたいに。

 後藤さんは真っすぐと私の方を見ながら、

 

「わ、私っ、カズさんの歌より、喜多さんの歌の方が好きです!」

 

 突然、後藤さんが告白してきて心臓がどきんと跳ねた。

 

「……あ、ありがとう?でもそれが何の」

 

 私が戸惑いながらも視線を返す。普段目を合わそうともしてくれない後藤さんが、珍しくばっちりと目線がかち合った。

 

「喜多さんにしか、多分、できないんですっ。私、一年以上前に喜多さんの歌を聴いて、私も、喜多さんの隣で演奏したいって思ったんです!だから、きっとカズさんもっ、そう思ってくれてるはずで、えーっと、えーっと……だから、えっと」

 

 言葉足らずな後藤さんの言葉は最後まで続かなかった。勢いで形になっていない想いを私にぶつけてきて、最後は何を言っているかよく分からなかった。右往左往する後藤さんは、自分の口が上手く回ってくれない事をもどかしく感じたのか、最後は半ばやけっぱちに大声で、叫んだ。

 

「あのSIDEROSの人より、もっと最高のロックを弾けばいいんですっ!」

 

 しん、と私達以外誰もいない夜の道に後藤さんの声が響いた。

 私達はしばらくそれに呆気に取られて、しばらくすると虹夏先輩が笑みをこぼした。最初は笑いをこらえてたけど、最後には我慢できずに肩を揺らして笑い始めた。

 

「あはは、そうだよね!そうだよ。私達がSIDEROSの人達よりもっと上手くなれば万事解決じゃん。ぼっちちゃんさすがだね~」

「え、いえ、その、あはは……」

 

 肩をばしばしと叩かれる後藤さんは、戸惑いながらもどこか嬉しそうだった。

 

「じゃあ今度は何の曲にしよっか!次の曲を選ぶのは確かリョウだったよね。何にする?今はオリジナル曲の練習中だけど、動画投稿は続けたいし。好きな曲を皆で弾けば、カズ君から『一緒に演らせてください』って頭下げてくるよ。なんたって、カズ君は喜多ちゃんの声が性癖なんだもんね!」

 

 虹夏先輩が楽しそうに言うと、リョウ先輩はその言葉に一瞬だけぽかんとして、突然くくっと珍しく楽しそうに笑った。

 

「そうだね……。悩んだら、好きな曲を皆と演奏すればよかったんだ。細かい事を考えずに。どうしてそんな簡単な事に気付かなかったんだろ」

 

 リョウ先輩の言葉を、私達は最後まではっきりと訊き取る事が出来なかった。すぐ傍の道路にトラックが走り抜けたからだ。真っ黒なタイヤはリョウ先輩の言葉を潰すようにかき消してしまった。

 けれど、私は一瞬、ほんの一瞬だけ、リョウ先輩の頬に涙が零れたのが見えた気がした。

 

「リョウ?どしたの?」

「ん、大丈夫。この間はシンプルプランだったけど、たまには変わり種の曲にでもする?UPSAHの『Lunatic』とか」

「えー。あの曲は私達には合わないでしょ。メンヘラの怨念を煮詰めたような曲だよ?私はAlter Bridgeの『Open Your Eyes』とかにしたいなぁ」

「それなら『I Only Have Eyes For You』は?Art Garfunkelのカバー聴いて、いつか弾いてみたいなって思ってたんだ」

「おぉーいいねぇ!ぼっちちゃんは?」

「あ、な、ならFor Tracy Hydeの『Floor』を弾きたいです……近い内にギターヒーローのアカウントで弾いてみようと思ってたんですけど、出来たら結束バンドの皆と演りたくて温めてて……えへへ……」

「えー!それもっと早く言ってよ!リョウの選曲は却下!ぼっちちゃんの曲で決まりー!」

「それは聞き捨てならない。もっと良くて私が弾きたい曲はたくさんある。そもそも次の曲を選ぶのは私の権利。持ち回りでやるって最初に決めたのは虹夏でしょ」

 

 わいわいと、いつの間にか暗い雰囲気は消えて、先輩達はいつものミーティングの時の雑談みたいに、自分が弾きたい曲を言い合っている。私はそれを見て、何故か急にほっとした。

 

 SIDEROSよりもっといい歌を歌う――。

 

 途轍もない目標に想えた。だってそれは、SIDEROSを越えた日本一のバンドになるという意味だから。後藤さんがそこまで考えて言ったかは分からないけど。

 楽観的かもしれない。けれど、この人達と一緒なら。不思議とそう思えてきた。

 私がそう思いながら見守っていると、会議は変な方向にこじれていく。

 

「じゃあSupercellの『君が知らない物語』とか『LOVE & ROLL』でいいじゃん!」

「甘いね虹夏。カズの好みはひねくれてるからそんな王道を聴かせても心に響かないよ。MKTOの『Classic』とかBefore You Exitの『Settle For Less』みたいな、オサレでガツンと来る曲じゃないと」

「えー!甘くてエモい曲の方がいいに決まってるじゃん!それに、カズ君って意外と王道な曲好きじゃない?ORANGE RANGEの『花』とか秦基博の『Rain』とか」

「甘い甘い。チョコレートより甘いよ虹夏。恋愛映画の主題歌ぐらいじゃカズは満足しない。Zombiesの『This Will Be Our Year』ぐらい持ってこないと」

「それゼクシィのCM曲じゃん……。んーとじゃあね、Billy Joelの『Just the Way You Are』とかThe Lumineers の『Sleep On The Floor』とか?」

「そうそうそういうのでいいんだよ」

「あの……先輩?」

 

 黙って傍観者でいようと思ったけど、私は我慢できずに口を挟んだ。

 だってこの流れ、前にも見た事ある。

 

「何、どうしたの郁代」

「選曲に偏りがありませんか?」

「「ソンナコトナイヨー」」

「去年と同じこと言ってる!!」

「もう面倒だから喜多ちゃんはミスチルの『365日』か『しるし』とか歌ってカズ君に告って付き合っちゃいなよ」

「虹夏先輩!?」

 

 とうとう虹夏先輩が冗談とかじゃなく直球で私に言ってきた。

 だから私とカズ君はそういうのじゃないって何度も――。

 

「そうだね。郁代はカズに恋してなんかないもんね」

「そ、そうですよ。私は別に――」

 

 

 

「郁代は、カズの事を愛しているからね」

 

 

 

 リョウ先輩の言葉は、すぅーっと私の胸の中に溶けていった。

 

 恋じゃなくて、愛。

 

 ああ、そっか。 

 

 理解するより先に、私は納得した。自分の胸の中に渦巻く嵐の正体が何なのか、それを私は識る。

 愛、アイ、あい……。これは、恋じゃなかった。

 脳が理解する前に、心がそう納得した。

 私が求めていた答えがあった。なんで気付かなかったんだろう。恋や愛を説く音楽は耳にタコができるぐらい、散々聴いてきたはずなのに、どうしてそんな簡単な事に気付かなかったんだろう。

 

「あっ……」

 

 ダメ。泣いちゃダメなのに。もう今日何回泣いたか分かんない。これ以上泣いちゃったら、私の心はカラカラに渇いちゃう。

 慌てて袖で涙を拭うが、それでもとめどなく溢れてくる。心臓にじくじくと、愛しくて手放しがたい暖かな痛みと一緒に。

 

「喜多ちゃん……」

 

 心配そうな虹夏先輩の目に、私は申し訳なくなってくる。

 止まって、止まってよ。そう心の中で命じながら涙を拭っても、やっぱり止まってくれはしなかった。

 リョウ先輩は、泣いている私を見かねて、静かにそっと寄ってきて私をそっと抱きしめてくれた。私の鼻先をリョウ先輩の柔らかいコートが包んでくる。私の涙で肩が濡れる事も厭わずに。

 

「やっぱり、郁代はロックンローラーの才能があるよ。恋なんて誰でも歌えるけど、愛を歌えるのはロックンローラーだけだからね」

「え、何それ。誰の詩?」

「私。今適当に考えた」

「何それ……」

 

 虹夏先輩は呆れたようにジト目だったけど、「やれやれ」と言わんばかりに笑ったかと思えばリョウ先輩と重なるように、私にハグしてくれた。

 

「でも、そうだね。喜多ちゃん、友情とか恋をすっ飛ばして愛しちゃってたんなら、頑なに否定してたのもなんとなく分かった気がするよ」

 

 私の顔の両方に、敬愛する先輩達の顔がある。柔らかい髪の毛が私の頬を撫でる。

 寒くて冷えていた私の体温に、先輩達の温もりが触れ合っている部分から伝わってきた気がした。

 

「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」

「そうそう、サンボマスターも歌ってたし!喜多ちゃん、カズ君に確かめてきてみなよ。自分の思いと、カズ君の思いを、ちゃんと話し合ってさ。大丈夫、そうすれば絶対良い方向へ進めるよ!」

 

「……はい」

 

 その時、私は心の底からこう思えた。

 

 

 ……ああ、この人達と同じバンドでよかったなぁ。

 

 

 先輩達に抱きしめられた私は、カズ君に無性に逢いたくなった。

 ステージに居た演者の井上和正じゃなくて、幼馴染のカズ君に逢いたくなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ところでぼっちちゃんは?ここはぼっちちゃんも一緒にハグする流れでしょ」

「あ、あそこ」

「ああ!?ぼっちちゃんがビニールみたいにペラペラになって風に吹き飛ばされてる!?」

「いつ空気が抜けたんだろ。気付かなかった」

「えぇ……」

 

 青春コンプレックスを刺激されたらしい後藤さんは、その辺に捨てられていたコンビニのビニール袋みたいにひらひらに潰されて風に煽られて飛ばされていた。

 私の涙はすんと止まり、急いで後藤さんを回収する作業が始まった。

 

 

 

*1
バックドロップシンデレラの楽曲『アメリカでウンザウンザを踊る』より。

*2
Bloodborneの登場キャラの台詞。書いている人の個人的ゲームのサントラNo.1。皆も地底人になろう!

*3
FERN PLANET『ソルジャーガールズ』より。




作中に登場したバンド名&曲名
バックドロップシンデレラ - アメリカでウンザウンザを踊る
FERN PLANET - ソルジャーガールズ
Sarah McLachlan
Avril Lavigne
Taylor Swift
Judas Priest - Electric Eye
Against The Current - Legends Never Die
UPSAH - Lunatic
Alter Bridge - Open Your Eyes
Art Garfunkel - I Only Have Eyes For You
For Tracy Hyde - Floor
Supercell - 君が知らない物語 
     - LOVE & ROLL
MKTO - Classic
Before You Exit - Settle For Less
ORANGE RANGE - 花
秦基博 - Rain
Zombies - This Will Be Our Year
Billy Joel - Just the Way You Are
The Lumineers - Sleep On The Floor
Mr.Children - しるし
      - 365日
サンボマスター - 世界はそれを愛と呼ぶんだぜ


 貴公、良いロックンローラーだな……


 前回もたくさんの感想、評価、誤字、ここすきありがとうございます。いつもチェックして書く元気をもらってます。低評価入れた人は【不適切な表現】You。


 愛は「愛しみ」と書いて「かなしみ」と読む。
 涙が出るくらい相手を想う事、世界はそれを愛と呼ぶんだぜ。

 今回はラブソングを中心に名曲を挙げてみました。

 100曲ぐらいラブソングを探して来て聴いてたんですが、ラブソングでロックと言ったらサンボマスター入れなきゃダメじゃん!ってなったので書きました。

 本当は5万字ぐらい書いていたんですが、もう少しかかりそうなこと、3/19がミュージックの日と言う事で、ちょっと区切りが良い場所を探して差し込みました。3/19がミュージックの日とか昨日初耳だったんですが、まあ記念日はなんぼあってもええですからね。でもこれなら前回の幕間をくっつけてもよかったなぁ。24000字が凄く少なく見える……。

 前回に引き続きまた誰も歌わせられてないのが唯一の心残り。でもエタらずにちゃんと いい物を書けることを最優先したので多少はねってことでどうぞよろしゃす。

 次回は喜多ちゃんが歌います。書いている人の人生を変えた曲です。そしてSIDEROS編というか第二部最終話。
 今月末か4月初旬に投稿できるように頑張るぞい。

 ↓いつもの宣伝

Xのアカウントでのんびり呟いてます。

X(旧Twitter)

 カーラジオと言う名義で新しく作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などが励みになっているので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
 

 感想もっともっともっと欲しいんだ……高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


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