Someone To You
「わ、私みたいなゴミクズを表現する英語って、あ、あります?」
「どうした急に」
夜の帰り道、ピンクジャージ妖怪こと後藤ひとりを駅まで送っていると、彼女は死んだ目で僕にそう尋ねて来た。
その日は珍しい事に、バイトは僕と後藤二人だけのシフトだった。
リョウさんは学年末の試験で赤点を取って学校で補習、虹夏先輩は久しぶりに出張から帰って来たお父さんとお出かけ、喜多は卒業旅行に中学のクラスメイト達とディズニーランドへ遊びに出かけている。僕?喜多には誘われたがシフト優先だったので普通に断った。
「せっかく皆で制服着てディズニーランド行こうって盛り上がってたのに!」と喜多は悔しそうに言っていたが、シフトは先月の時点で決まってたんだから今更休む訳にもいかないだろ。
「き、今日も、わわ、私、接客全然できなかったですし……ずず、ずっとカズさんにフォローしてもらって……」
「気にしなくていいよ」
思わず反射的にそう答えてしまったが、後藤は益々気落ちするように表情を曇らせて俯いてしまう。後藤は繊細で自分の失敗を責めてしまう性格だ。「気にするな」って言っても気にするに決まってる。
この日のバイトは忙しい訳でもかと言ってずっと暇と言う訳でもなく、僕と後藤は二人で仕事を熟しながら偶に好きなバンドや動画の事で雑談し、休憩時間は二人でギター練習をして過ごしていた。しかしドリンクを担当していた後藤が少しガラの悪い客に絡まれてプチパニックを起こし、飲み物を床にぶちまけてしまったのだ。すぐに僕がフォローに回ったのでなんとか持ち直したが、軽く店長さんに注意されてしまってそれを引きずっているようだった。
「それで、なんで急に英語?」
「カ、カズさん英語得意だから……もし今の私を表現する言葉があるなら……なんて言うかなって……ふと気になって……。そ、それにもし私がアメリカでデビューして全米一位になってインタビュー受けたらすぐに答えられるようにって……へ、へへへ」
「ネガティブなのかポジティブなのかどっちかにして?」
自己嫌悪とたくましい妄想の比率が合ってないよ。これは相当参ってる……のか?まあいつも通りの後藤とも言える。
しかし、後藤を表現する言葉か。うーん、察するに彼女が求めている英文は『I'm Loser』とかか?
でもそんな言葉を彼女に教えて日常的に『私は負け犬です』と言うようになっても困るな。ていうかそんな言葉を教えたら絶対虹夏先輩に叱られる。
……そうだ。
「んーっとね、じゃあ……『I'm on Fire』ってのはどう?」
「アイム・オン・ファイアー……私に火が着いてる、ですか?」
「直訳だとそう書くけどね。スラングだと別の意味になるんだ。ブルース・スプリングスティーンも歌ってたけど」
「ブルースは聴いた事ないですけど……わ、私は火が着かないと動けないとか、私は燃えるゴミですとか、そういう意味ですか?」
「ソウダヨーヨクワカッタネーゴトウニピッタリダヨー」
「アイムオンファイアー……ふ、ふひひ。カッコイイ……まさかこんなカッコいいワードが燃えないゴミの私にぴったりだなんて……これからはファイアーひとりって名乗ろうかな……」
うへへと顔を蕩かせて気持ち悪く笑う後藤。中二男子の心を持つ後藤はどうやらお気に召したらしい。男の子はファイアーとかアイスストームとか魔法っぽい単語を好む傾向がある。ソースは前世の僕。でもファイアーひとりはダサいからやめた方がいいぞ。
「気分が悪い時とか、何かミスって落ち込んだ時にも使える言葉だから。後はライブとかで喜多にMCを振られたら言うといいんじゃないかな?」
「え、そ、そんな暗い言葉をライブのMCに使っていいんですか……?」
「大丈夫大丈夫」
実際はそんな暗い意味を持つスラングではない。ライブで叫べば、きっと客席は大盛り上がりのはずだ。
あと、僕から後藤へのちょっとしたおまじないも兼ねている。
ギターヒーローへ、そして後藤ひとりという幼い少女に手向けるおまじない。
「あいむおんふぁいあー、あ、あいむおんふぁいあー……」
不慣れな発音で呟きながら駅に向かって歩く彼女の背中を見ながら、僕は思う。
ネガティブな彼女は、自分が大した事がない人間だと常に思い込んでいる。その気持ちは結構共感できるし、そういう痛みや鬱屈した思いはロックンローラーに向いていると思う。彼女が書いてくれる結束バンドの曲の歌詞は、そういう誰もが持っているセンチメンタルな心を響かす力がある。
けれどそれ以上に、後藤ひとりという少女は僕なんかとは比べ物にならない、才能と可能性に満ちた女の子だと思えるんだ。
ギター歴がもうすぐ一年になる喜多が中級者レベルまで上手くなれたのも間違いなく後藤が付きっ切りでギターを教えてくれるおかげだし、コミュ障なのに苦手な接客業をバンドの為と一緒にやってくれたり、この間は僕が好きなBeachside talksの『Big Sky』をリクエストしたらギターヒーローのアカウントでアレンジカバー動画をアップしてくれたし。
それに、ここ最近の結束バンドのチャンネルが伸びているのは、間違いなく後藤の力によるところが大きい。
ギターヒーローのアカウントで拡散したとかではなく、純粋に技量が高い後藤が加わったお陰で演奏のクオリティが上がったのだ。少なくとも、僕がリードギターをした時より再生数や高評価が増えているのは疑いようのない事実。結束バンドの曲をあそこまで伸ばす事が出来たのは間違いなくこれは後藤の功績だ。まあ身内の撮影現場なら神がかった演奏をする後藤だけど、人前に出ると緊張してがくんと下手糞になってしまうのが難点だが……それはまあさておき。
僕にはない魅力を後藤は持っていて、後藤はそれに気付いていない。
だからこそ、後藤は自分の魅力を、自分の力をもう少し信じて上げて欲しいと思う。でも僕がそう言っても、後藤はお世辞だと思って本気で受け止めてはくれないだろう。
「後藤ー」
「は、はい、なななな、なんでしょうか……」
「思うんだけどさ、後藤は――」
願わくば、この言葉がギターヒーローに少しでも力を与えてくれる魔法の呪文になって欲しい。僕はそう願わずにはいられなかった。
「自分なんかが」と口から零してしまう前に、『I'm on Fire』と唱えてくれたら。
もうすぐ、僕らは高校生になる。
僕がアメリカに発つまで、あと半年。
中学を無事卒業した僕の春休みは、陽キャの星からやってきた宇宙人キターン星人こと喜多郁代の侵略を受けていた。
全ての原因は、僕の母親が合鍵を喜多に渡してしまった事がきっかけ。
母さんと喜多がどんなやり取りをしたのかは知らないが、家の合鍵を渡してしまったせいで喜多が家の玄関を簡単に通過できるようになったのだ。おかげで僕の春休みのほとんどが喜多に差し押さえられてしまうようになった。もう暇さえあれば僕の都合に構わず突撃してくるようになったのである。
「あ、カズ君まだ寝てる!起きなさいもう朝の7時よ!」
「……」
目を開くと太陽が僕の部屋にいた。違った喜多だった。眩しい。なんならカーテンの隙間から入ってくる朝陽の光より眩しいよ。本当にこれ、体に悪影響ないの?
寝ぼけ眼で時計を見ると、喜多の言う通りまだ朝の7時前だった。春休みの朝7時に起きるのはいくらなんでも健康的が過ぎる。
「今日は一緒に映画観に行きましょ!そしたらスタバで新作のスイーツを食べてウィンドウショッピング!春の新作のファッションがもう出てるの、カズ君の服も選んであげるから!ほら起きて!おーきーてー!」
がくんがくんと身体を揺すられて頭の中の脳みそをシェイクされながら思う。シンプルに「辛い」と。
ラブコメでよく見る『幼馴染の女の子に朝起こしてもらう』と言う前世の友人に言えば羨ましがられるような状況だが、少なくとも僕にとっては最悪だ。休日のお父さんが子供に遊びに連れて行って欲しいと強請られている気分である。
ていうか今日の午後はSTARRYでスタジオ練習の予定があるじゃん。昼まで寝てても許されると思うんだけど、ダメなの?
「ダメ!」
さいですか。
僕は喜多を無視して布団を頭から被った。全力で布団を体にくっつけるように力いっぱい握り締め、枕に顔を押し付けて芋虫モードへと変形する。嫌だ。絶対に起きないぞ。午後から練習なのに朝からそんなハードスケジュールはヤバすぎる。インドア派オタクの体力を舐めないで欲しい。
バスケ部の助っ人を頼まれるぐらい体力が有り余っている喜多と、学校の体育以外身体を動かす機会がない僕とは基本的にバイタリティが違う。そんな彼女に付き合わされたら解放される頃にはもうへとへとで疲れてしまうのだ。
僕には昼まで二度寝して起きたらゆっくり昼食を食べながら音楽を聴いて過ごすって言う何物にも代えがたい崇高な時間がある。学校がある平日ならともかく春休みに早起きする程僕は真面目じゃない。喜多に邪魔されてたまるか!
布団にくるまって芋虫になってしばらく抵抗していると、布団を揺さぶる力が急に弱まった。
「…………ふーん、じゃあ起きられるようにしてあげる」
なんだ、何をする気なんだ?
耳を澄ましてみると、部屋の棚を物色する音と何か操作する音が聞こえる。CDをいじってるのかと思ったら僕の部屋のスピーカーから突然爆音で嵐のようなヴァイオリンのメロディーが流れて来た。
ヴィヴァルディの協奏曲第2番ト短調……『四季』の中でも有名な『夏』の第3楽章である。
「ぐぉぉぉぉやめろおぉぉぉ……せめてペールギュントの『朝』にしてくれぇぇぇぇ……!」
朝から『四季』はきつい。寝起きの人間に脂っこい料理が食べられないのと同じ、朝から爆音でヴィヴァルディはカロリーが高すぎる。僕は降参して眠たい目をこすりながらベッドから這い出る事になった。
「おはようカズ君!ほら、顔洗って着替えたらお出かけしましょ!今日もたくさん写真撮るわよ~!」
「……拒否権は?」
「もちろんないわ!」
「ぎゃー引っ張るなー!」
僕が嫌だと粘っても体力お化けの喜多に敵う訳がなく、抵抗虚しくまたもや僕の一日は喜多に侵略されてしまったのである。
これまでは喜多が朝から僕を拉致しようとやってきても居留守を使ったり事前にSTARRYや近くのCDショップに逃げる事で難を逃れていたが、僕が寝ている間に喜多が入ってきてしまえば逃げる余裕すらない。
そんな感じでSTARRYのバイト以外の日は、喜多によって朝から外に連れ出されて映えスポットに連れまわされたり、カラオケに連れて行かれたり、金欠の時は家で映画を観たり、それ以外はギターや歌の練習に付き合わされた。練習に関しては、僕もしなくちゃいけなかったからいいんだけども。けれどそれが春休みの間毎日続くとなればインドア派にとって地獄となんら変わらない。
ちなみに、喜多には何度も「合鍵を返してくれ」と交渉を試みたがその度にとびっきりの笑顔で「嫌!」と拒否された。
ひょっとしてこれ、僕がアメリカに出るまでの間ずっと続くのか?
僕は半年と待たず中学卒業と同時に日本を発つべきだったと少し後悔した。
一応、「男の家の合鍵を幼馴染とはいえ女の子に渡すのは良くないんじゃないか」と母さんにそれとなく直談判してみた所。
「いいじゃない。喜多ちゃん可愛いし、明るくていい子だし。あれが将来の私の義娘になるのね……。あんたも毎日部屋に引き籠って音楽聴いてないで、あの子を見習って外に出てもう少し健康的な生活をしなさいな」
そりゃ、部屋に引き籠ってるよりは外に出かける方が健康的なのは違いないが、原宿や渋谷に通うだけでどうして健康的になれるんだ?
母さんもどちらかと言えば陽キャ寄りの思考をしているので、原宿でクレープを食べてタピオカを呑めば若者は元気になれると考えている節がある。それで元気になれるのはギャルと喜多だけなんだよ。
「少し不安だったのよね~。和正はこのまま趣味をこじらせてエリック・サティみたいな人生を送るんじゃないかと心配してたのよ」
「失礼な!」
エリック・サティは『音楽界の異端児』とも呼ばれるフランスの作曲家で、生涯を独身で過ごし最終的には孤独死した事で知られる音楽家だ。彼が過ごしたアパートの一室には大量の未開封の手紙や葉書、そして未発表の作品があったと言う、骨の髄まで音楽家で偏屈な性格だったことが窺い知れる音楽史の偉人。
エリック・サティに比喩されるのは悪い気はしないけど実の母親から『孤独死しそうだ』と笑われることなんてある?
「でもあんた、喜多ちゃんが居なかったらずぅーっと引き籠ってCD聴いてる人生送ってなかったって、断言できんの?」
「うぐっ」
母さんの言葉は、あまり人と関わらず音楽漬けで過ごしていた前世がある僕にとっては身に覚えがありすぎて、反論する事もできなかった。
「喜多ちゃんのおかげでお洒落もある程度するようになったし、ギターも真剣にやるようになったし、本当に良い事尽くめ!あの子には感謝しても仕切れないわよ」
「だからって、ほとんど一人暮らししてるような男子の家の合鍵を渡す?いくら幼馴染だからって……」
「けど和正もなんだかんだ楽しんでるんじゃないの?本気であの子の事が嫌ならそれこそ毎日デートに付き合わないでしょ」
「……それはまあそうだけど」
「あ。でも避妊はちゃんとしなきゃダメよ和正。いくらなんでも学生の内から出来ちゃった婚なんて洒落にならないし久留代さんに申し訳立たないから。しちゃダメよ?絶対にしちゃダメよ?」
「ご忠告どうも!」
さすがと言うべきか、元できちゃった婚のロックンローラー。貞操観念が微妙にズレてて笑えねえんだわ。
にやにや顔で煽ってくる僕の母親は想像以上に小憎たらしくて、「僕はこの人の血を半分継いでるのか」とうんざりした。
こんな感じで、春休みに突入した僕はSTARRYのバイトと結束バンドの練習と喜多とのお出かけに付き合わされる毎日を過ごしていた。その傍ら、留学の手続きや試験の勉強などを片手間にやりつつ……いや嘘だ。正直勉強の方には全然手が回ってない。一応、虹夏先輩と店長さんが気を利かせてくれてバイトやバンドの仕事量は減らしてもらっているが、それでも十分できているとは思えない。親父曰く「和正ならあの学校ぐらい余裕だろ」と保証してもらってはいるが……。ひょっとしたら喜多は向こうの学校の試験に落ちさせようと遠まわしに邪魔してるんじゃないだろうか?恐ろしい子。
僕の春休みは、去年の3倍は忙しく、慌ただしく過ぎていく。
そして少しずつ近づいてくる……そう。
「「オアシス復活!!オアシス復活!!」」
伝説のバンド、『Oasis』の15年振りの復活が!!
「ちーがーうーでーしょー!リョウもカズ君も、Oasisじゃなくて明日の心配してよ!いよいよ結束バンドのライブなんだよ!?」
虹夏先輩が憤慨しながら肩を組んで踊っていた僕とリョウさんの頭を引っ叩いた。先輩が指さす方にはSTARRYの日めくりカレンダーが置いてあり、そこには『ライブまであと1日!』とカワイイ女の子の丸文字で描かれている。バイト先の備品を私物化するんじゃあないよ。
「それどころじゃない、虹夏。あの伝説のバンドが復活するんだよ?今祝わないでいつするの?」
「そうですよ虹夏先輩。明日のライブどころじゃないですよ。乗るしかないでしょこのビッグウェーブに」
「この音楽オタク共!」
僕とリョウさんは肩を組んだままドン引きする虹夏先輩に抗議する。
あの不仲で有名だったギャラガー兄弟が再結成、しかもそのままツアーまで敢行するんだよ?オアシスの大ファンである僕とリョウさんにとっては、まさしく神の復活に等しい。はしゃがない理由があるだろうか、いや、ない!
「もうオアシスの曲は二度と生音で聴けないと思ってた。生きてて良かったと思う」
「何が何でもチケット取りに行くしかないですね」
「だね。日本公演はあるかな?カズはいいよね、オアシスなら絶対アメリカでライブするし」
「いやいや、アメリカは人が多いから倍率も桁違いだから観れると決まった訳じゃ……。そうだ、先輩も喜多もチケット取るの協力してよ!」
「えー?二人共オアシス好きなのは知ってたけどさ~……。喜多ちゃんは?」
「私もオアシスは好きですけど、カズ君程じゃ……。虹夏先輩はファンじゃないんですか?」
「私は一時期リョウに滅茶苦茶勧められて永遠リピートで聴かされたけど……そんなにかな……」
虹夏先輩が苦い顔で呟いた。あれは無限に聴かされて逆に嫌になったパターンだな……。
「でも、そこまで喜ぶ事かな?確かに復活するのはめでたいけど」
「何てこと言うんですか先輩。オアシスを生で聴けるなんて一生に一度、いや生まれ変わっても聴けるもんじゃないんですよ!?」
「言う事が大袈裟過ぎない?」
昨晩、突然SNSにオアシス復活のニュースが流れて来た時は寝耳に水だった。昨日深夜近くまで僕の家でいつも通り作曲をしていたリョウさんと僕はこれを知ってどったんばったん大騒ぎ。前世の世界ではオアシスは復活しないままだったので、僕にとっては本当に青天の霹靂だったのだ。
僕とリョウさんが好むバンドの多くが海の向こうにいて、引退してるか解散してしまっている。彼等がこの小さな島国に来る事なんてほとんどない。日本に来る前に天国の階段を登ってしまってもう二度と生で聴けなくなってしまったバンドのニュースを知って何度涙を流した事か。もうCDやレコードの中にしか彼らの音楽は残っていない。
けれどオアシスの生の音を聴けるチャンスが芽生えた事にはしゃがずにはいられない。
『Don't Look Back In Anger』、『Falling Down』、『Live forever』、『Wonderwall 』、『Stand By Me』!
オアシスの歌を生で聴けるどころか、新曲を歌ってアルバムを出してくれる可能性すらもある。これを祝わずいつ祝うんだ。
ニュースを知った僕らはそのまま一晩家でオアシスのベストアルバムを永遠リピートしてパーティしてオールナイトミュージックした。最高に楽しかった。
「オアシスのツアーは来年の話でしょ!私達のライブと全然関係ないじゃん!それに今バイト中だよ!」
「お前らふざけるのもいい加減にしないと、時給引くからなー」
店長さんに睨まれながらそう言われ、僕とリョウさんは渋々と星型のパーティサングラスを外して掃除に戻った。せっかく気分が乗ってたのに……。
「それよりも明日楽しみですね、虹夏先輩!」
「うん!喜多ちゃんも、明日のライブ期待してるよ!入学式と日程が被っちゃったのは申し訳ないけど……」
明日は4月1日。リョウさんと虹夏先輩が2年生に進級。そして僕と後藤と喜多、中学組が秀華高校へ入学する日でもあり、そして結束バンドのライブの日だ。前回は僕が後藤と交代してアンコール演奏をやったが、事実上結束バンドのメンバー全員が揃った初ライブと言う事になる。アルバムジャケットに写っていた4人が改めて並んでステージに立つと思うと、ここまで長かったような短かったような、不思議な感覚だ。
「大丈夫です!私、明日の為にずっと頑張ってきましたし!もう本当に心の底から楽しみで……!」
「よかった!よーし、明日のライブは大成功させちゃうぞー!」
「「おー!」」
「……郁代、なんか目にヤバい光が宿ってない?」
「春休みの間、ほとんど練習ばっかりでしたから。ストレス溜まってるんじゃないですか?」
ひょっとしてこの春休みの間ずっと僕の家に突撃してきたのは無意識にそのストレスを解消する為でもあったのか?おかげで僕の春休みと財布の中身は喜多に潰されてしまった訳か。泣ける。
やっぱり割り勘にするべきだったのかなぁ……。僕の諭吉……。
「カズ」
するとリョウさんが僕の肩に手を置いて笑った。
「楽しみだね、明日」
僕も頷き返す。この日の為に動画のチャンネルと演奏技術を育ててきたのだ。
先週上げた動画の概要欄にSTARRYでのライブの告知をしておいたおかげで、コメント欄には何人かが「絶対行きます」と書き込んでくれている。
中学のクラスメイト達も、佐々木を筆頭にノルマチケットを買ってくれたので、ライブ当日の客席は空っぽでした、なんていう事態にはならないだろう。
「僕も明日のライブ楽しみにしてますから、良い演奏期待してますよ」
「任せて。カズは打ち上げの焼肉の店、ちゃんと厳選しといてね」
「はいはい」
親指を立てて涎を垂らすこの人はいつも通りだ。失敗なんて頭にないって顔してる。本当に時々脳みそが空っぽになるので途中で歌詞や譜面が飛ばなければいいが……。この間は春休みの補習のせいで「ベースの弾き方忘れた」とかほざいていたが……まあ大丈夫かな……?
「そういえばぼっちは?」
「今日は午後からのシフトらしいんで、もうすぐ来るんじゃないですかね」
「じゃあぼっちが来る前に倉庫の片づけやっつけちゃお。そしてぼっちが来たら空いた時間でオアシスの曲を何曲か弾いて遊ぼうよ」
「お、いいですね。店長さん、あとでスタジオ借りていいですか?」
「時給から引いとくな」
「虹夏先輩、実はちょっと相談したい事が……」
「え、喜多ちゃんが相談事?なんか珍しー」
時計を見るともうすぐ針は12時になろうとしていた。
結束バンドのライブまで、後30時間。
「ぼっちちゃんの様子がおかしい?」
「そうなんですよ」
喜多が少し言い難そうに虹夏先輩に相談をし始めたのは、昼休憩の時だった。僕が持ち込んだ小さなBluetoothスピーカーでProcol Harumのアルバムを聴きながら皆で昼食を取っていた時だ。
倉庫の整理作業をやっとこさ片付け終えた僕とリョウさんは、少ししょっぱいおにぎりを頬張りながらスピーカーから流れる『A Whiter Shade of Pale』に耳を澄ましていた。リョウさんは僕の弁当のおにぎりをよく摘まんでいくので、最近はそれを見越して多めに作ってくるようにしている。
曲がちょうど間奏に入った所で喜多が思い出したように喋り始めたので、僕とリョウさんはおにぎりを頬張りながら先輩と喜多の会話を聞き始めた。
「ここ最近、目が虚ろでぶつぶつ独り言が多くて、正直ちょっと怖いんです……」
ふむ。後藤が目を虚ろ気にしながら独り言をぶつぶつ言っている?
「それはいつも通りの後藤では?」
「だよね。カズの言う通りだよ」
「何言ってるの!?」
後藤が唐突に何の脈絡もなく自分の世界に入ってぶつぶつ独り言を呟くのは割とよく在る事だ。どうしてそんなに深刻そうにしてるのか、僕とリョウさんは分からなかった。
「でもでも、泣き始めたかと思えば急に奇声を上げて虚ろな表情でフレデリックの『オドループ』とかサカナクションの『新宝島』とか踊り始めるんですよ!」
「あのMV好き」
「分かる」
「もうカズ君っ、気安くリョウ先輩とグータッチしない!もっと真剣に考えてよっ」
「でもそれぐらいなら普通じゃない?ぼっちちゃんってフレデリックとかサカナクション好きだから、唐突に踊る事ぐらい……まあそんなにはないけどぼっちちゃんならよくあるって」
「ありませんって!虹夏先輩正気に戻ってくださいっ」
虹夏先輩も大分後藤の生態に毒されている感があるな。いやまあ僕らもだが。
けれど後藤が唐突に踊っていない夜がない事が気に入らなくて踊ってたって、そんなに珍しい事では……。
「それに、昨日なんか先輩達が買い出しに行っている間に唐突に完熟マンゴーの段ボールを被って……えっと、なんだったかしらあのダンス……」
「シャッフルダンス?」
「そうそれよカズ君!挙句の果てにキレッキレのブレイクダンスをしようとして大転倒してたんです!後藤さん超が付く運動音痴なのに!転んで頭を打ってたのに変な笑い声上げて、おまけに狭い段ボール被ってダンスしてたから息切れして酸欠起こしてたんですよ!なのに不気味に笑ってて、軽くホラーだったんですからね!」
「……それはちょっと私の想像を超えるヤバさだね」
さっきまで苦笑していた虹夏先輩の顔が引きつる。僕もそれを想像して少し引いた。後藤の奇行はいつもの事だが、もしかしたら普段の奇行が見慣れ過ぎてて結構ヤバい事になっているのでは?
すると、リョウさんが僕の肩をつんつんと指先で叩いた。
「カズ、ぼっちが踊ってたのってもしかしてLMFAOかな」
そう言われて僕はすぐにピンとくる。
「……あー。段ボールでシャッフルダンスと言えば『Party Rock Anthem』か」
「だよね。きっとMVのShuffle Bot*1のモノマネだよ。やっぱりぼっち、いいセンスしてる。パリピの曲だけどあのMVのダンスは全人類好き」
「分かる~」
「二人共、共鳴し合ってる場合じゃないでしょ!ぼっちちゃんがパリピの曲を踊るなんてどう考えてもおかしいじゃん!」
「「……確かに」」
「お前らひでーな」
少し離れたカウンターでノーパソをいじりながら僕らの会話を聞いていた店長さんの言葉は無視する。
虹夏先輩に言われて僕もリョウさんもようやく気付いた。そうだよ、よくよく考えなくても唐突に虚ろな顔でダンスを踊るなんて異常事態じゃん。
「本人の奇行が当たり前すぎて慣れてたね。ぼっちのああいう所、面白くて好きだけど。でも郁代、なんでぼっちに『踊ってる場合か!』*2ってツッコミしないの?」
「はい!え、はい?」
「きっとぼっちはツッコミ待ちだったんだよ。相方でツッコミ担当だったらちゃんと返してあげなきゃ。郁代はMCもやるんだからそういうボケにも咄嗟に返さないと」
「つ、ツッコミ……?あれって後藤さんボケてたの……?」
「断罪断罪また断罪!*3」
「え、えぇ……私達ってお笑いグループだった……?」
「リョウさん、筋肉少女帯とか分かりにくいネタを喜多に振らないでください。まだその辺の世代の曲は聴かせてないんですから」
「カズ、まだ郁代に大槻ケンヂ聴かせてないの?」
「今度履修させるつもりです」
「ならヨシ」
筋肉少女帯って何よカズ君一体何を聴かせる気なのと喚く喜多を放って、僕は思考する。けれどここ最近は普通にバイトとバンド練習をしてたはずなんだけどな。何か変なトラブルとかあったっけ?
「んー……先輩、後藤が変になるような事、ここ最近ありました?特に思い当たる事が……」
「「……………………」」
するとリョウさんと虹夏先輩が揃ってジトっとした粘着質な目つきで僕らを見はじめた。
「先輩方、なんで僕と喜多をじっと見るんですか?」
「ふふぁりふぁふぁんふぁひひゃんやひゃいお?」
「リョウさん、意地汚いです」
喜多の弁当に入っていたから揚げを頬張って喋るから何言ってるか分かんねーよ。
「二人がなんかしてたんじゃないの?」
口の中の物を飲み込んだリョウさんが改めてそう言うと虹夏先輩も同意するように頷く。
「してたって、僕らが後藤に何かしたってことですか?喜多はともかく僕は仲良しのつもりなんですけど」
「カズ君!? 私はともかくってどういうことよ!? 先輩、私も後藤さんとはよく一緒にお出かけに誘ったりしてますよ?」
「あーうん、喜多ちゃんはなぁ……」
「虹夏先輩!?」
困り顔で苦笑する虹夏先輩とガチでショックを受けている喜多。
喜多は定期的によく後藤を殺してリスポーンさせてる。キルスコアだけならこのバンド内ではダントツトップだ。後藤は光耐性がマイナスに振り切っているので、喜多が近くにいるだけでもスリップダメージを受けるしなんならクリティカルダメージを受けて致命傷になる。
「いじめとかハブとかはしてるつもりはないんですけど」
あらぬ疑いをかけられた気がした僕は少し不満げにそう言うと、先輩は「違う違う」と少し慌てて弁解した。
「そうじゃなくて、二人の絡みはぼっちちゃんにとって劇毒だからさ」
「うん。無自覚にいちゃついて、ぼっちを流れ弾で殺した可能性が」
「してないですって!!」
「してないです」
「例えば、喜多ちゃんのギターケースをさりげなくカズ君が持ってあげたり、コンビニでお菓子を買う時互いの好物を無自覚に選んだり……」
「二人でどこか買い物や映画……もといデートに行く約束をしたり、ワイヤレスイヤホンを二人で片耳ずつ使って音楽を分け合ったりとか……」
「ししし、してないですって!!」
「してますよ」
「カズ君っ!!」
「半分ぐらい事実だろ」
「顔真っ赤にして言っても説得力ないよ、喜多ちゃん!も~可愛いな~!」
「虹夏先輩恥ずかしいからやめてください……!」
「カズはもう少し恥を覚えるべき。温度差がひどすぎてイジリ甲斐がない」
「ほっぺたを指で突かないでもらえます?」
ぐりぐりとリョウさんが人差し指の先端を僕の頬にめり込ませてくる。うっとおしいことこの上なかった。この程度のイジリで動揺するほど人生二周目はやっていない。
「先輩達こそ、後藤が情緒不安定になってる原因に心当たりはないんですか?」
リョウさんの腕を払いのけながら僕は問い返す。後藤が変になってる原因が僕らにあるのなら、彼女は遠回しにSOSをリョウさんか虹夏先輩に送ってると思うのだが。
「んー……特にそういう相談は受けてないけど」
「あ」
「どしたのリョウ。ひょっとして思い当たる事があった?」
「明日入学式だからじゃないの?」
リョウさんのその言葉に、僕らは「あー……」と声を揃えた。
「私も新学期はかったるいからぼっちの気持ち、少し分かる」
「私も憂鬱だよ……どうせまたリョウと同じクラスにされるんだよ……。先生達、リョウの面倒を見る係は私みたいな感じにしてるし、春休み前だって先生に『次の学年も山田の面倒頼むぞ』って言われちゃったし……」
「また明日からよろしく。あ、春休みの宿題あとで写させてね」
「後藤さん、私達と同じ学校に来るの嫌なのかしら……?」
「んー、そうだったら僕らと同じ高校に通う為に勉強合宿とかしないと思うし……」
虹夏先輩がリョウさんを追い回す光景を後目に僕と喜多は頭を悩ませる。
……まさか単に明日高校に入学するのが嫌ってだけで情緒不安定になってるんじゃ……。
「こうなったらもう本人に聞くしかないんじゃない?」
「そうよね……やっぱりこういうことはちゃんと本人から聞いた方が――」
そんなことを話していると、STARRYの入り口の方から扉が開く音が聞こえた。
「あ、後藤来たみたいですよ」
「え、扉の音した?相変わらず耳いいねーカズ君は。ぼっちちゃーん、おはよー……」
虹夏先輩が入り口の方へ明るく挨拶を投げるが、途中でその言葉は空気が抜けていく風船のように萎んでいった。
「え、えへへ、あ、あいむおんふぁいあー……」
そこにはどこから持ってきたのか卒塔婆を肩に担いだ圧倒的陰のオーラを纏う後藤ひとりがいた。上半身は動画撮影の時とかに使う喜多セレクションの一張羅、下半身はいつものピンクジャージと言う「そんな恰好で来たの?」と言いたくなるような恰好。更には顔面を崩壊させてキュビズムを追求したピカソの絵のようになっていた。
どうしてこんなになるまで放っておいたんですか?
私、後藤ひとりには「負けた」事が2回ある。
1度目は、喜多さんの合唱コンクールの動画を観て触発されて、自分が『Somebody To Love』を弾いた時。
2度目は――
「ぼっちちゃんはコミュ障だし、ギターも全然ダメダメだからクビね!」
「え?」
「じゃあね、ぼっち」
「へ」
「虹夏先輩!私の愛しの幼馴染はギターだけじゃなくボーカルもピアノも何でもできるクレイジー音楽オタクですよ!」
「後藤、後は僕に任せろ」
「えぇ⁉」
「カズ君、これから結束バンドは暗いどよーんとした歌詞じゃなくてエモエモでラブラブなラブソングを歌っていきましょう!エルトン・ジョンの『Your Song』みたいな!」
「いやそこは『I'm Still Standing』だろ常識的に考えて。イエーイ、ロッキュー」
「「「イェ―――イ!!ロッキュー!!」」」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!」
「おかあさーん、おねえちゃん帰ってきたけどマーモットみたいになっちゃったー」
玄関で発狂してしまった所を妹にばっちり見られてしまった。また家族ヒエラルキーが下がる……。
「ただいま……」
片道二時間の道を終えて、部屋に辿り着いた時が一番安心する。部屋の中は真っ暗で、私は部屋に敷きっぱなしの布団に倒れ込む。暗闇の中に埋まっていく。お母さんがいつの間に干してくれたのかな、今日の布団、少し暖かくていい匂いがする……。
このまま寝ちゃえば……。
「……ギターヒーローの動画、早く撮らなきゃ」
ずっと続いている2日ごとの更新。今途絶えさせるのはもったいない。こんな私の演奏でも、再生して、聴いて、コメント書いて、評価してくれてる人がいる。ストックは準備してあるが、来週から高校生だ。結束バンドの練習時間をもう少し多く入れたいし、あといくつかストックの動画を作っておきたい。
私は起き上がって、部屋の押し入れの扉を開けた。
ノートパソコンとギタースタンド、ヘッドホン、録音機材、KANA-BOON、アジカンのポスター……。
ここが私の小さな秘密基地。
撮影も編集もギター練習も、ギターヒーローの全部がここにある。
いつものようにパソコンを起動したら、私は真っ先にギターヒーローのチャンネルを開く。
中身を見てみると最新のメッセージがいくつか入っていた。私の事を応援してるコメント、ヤジみたいなコメント……そんな中に、匿名でリクエスト曲が書かれたメッセージが混ざっていた。
倉橋ヨエコの『夜な夜な夜な』を弾いてください――
弾けなくはないけど、普通こんな暗い曲をリクエストする?メッセージを送ってきた人には悪いが少し感性を疑ってしまうチョイスだった。
……この曲をリクエストした人は私と同じで、自分の事が嫌いな人なのかな。
今の自分にはぴったりな曲だと思った私は、おもむろにギターの準備をし始める。ギターのネックが押入れの天板や壁に当たらないように構えて、記憶の中にあるピアノのメロディーを掘り起こすようにピックで弾き始めた。
陰湿で、粘着的な曲調と暗い歌詞。けれど弾いていてあまり暗い気持ちにはならない。この歌には共感できる部分が多いからかな?
サビの手前まで軽く弾いて、止める。動画の視聴者層の事を考えるとアップロードはできない。けれど自分が好きな曲を弾いたからか、少し気持ちが落ち着いて、やっと私は大きく息を吸える。
「はぁ」
こんなに小さくて埃っぽくて狭い空間が、私にはとても居心地が良くて。ここだけが私の居場所なんじゃないかと時々思えてしまう。私なんかがあのバンドに居ていいのか、時々本当に分からなくなる。ここでずっと動画を撮り続けるのが、私にはちょうどいいんじゃないか。
だって、私がいなくなってもカズさんがいれば……。
「次の動画の曲、何にしよ。そうだ、カズさんに教えてもらった曲が……えっと……Acresの『Lonely World』……どれだろ」
ノートパソコンでその曲名を検索してみるとすぐにヒットした。私はそのままサブスクで再生し、ヘッドホンで聴いてみる。
「……あ、良い曲」
薄暗い押し入れの中でパソコンの液晶が輝く。本当に、カズさんが選んでくる曲はいつも私の柔らかい部分をそっと撫でるような神曲ばかりだ。私が明るい曲を好まない事を知っているからいつもこういう曲を選んでくれて……いや、多分そう言う事は全然考えてないんだろうな。単純に私に聴いて欲しいとか弾いて欲しいってだけでオススメしてきたんだろう。私にCinderellaの『Through The Rain』とかLenny Kravitzの『Are You Gonna Go My Way』とか洋楽を薦めてくるお父さんと同じ目をしてたし……。
本当に音楽が大好きな人って感じで……お兄ちゃんみたいな感じで……私もあんな風になれたら……。
「……練習しよ」
一瞬だけ湧き上がった黒い気持ちを押し込むように、私はピックを握りしめ弦を弾き始める。宅録前の練習だ。これぐらいの曲をコピーするなら1時間ぐらいあれば十分だろう。
30分ほど耳コピで覚えたメロディーラインを指に覚え込ませる。宅録での練習も手慣れた物だ。何回か弾くと指が慣れてきた感触が合ったので、試しに一度、通しで演奏して録音してみる。大きなミスはないか、テンポが狂ってないか、大雑把に確認する為に聴き直してみる。
「これが本番でも出来たなら……」
でも、出来たとしても……これは、良いギターの音なの?自分の演奏を聴き直して出た感想がそれだった。
ギターを奏でるのは好きだ。でも、自分の音を好きになれない。「これが自分のギターだ」って、はっきりと、堂々と言えたのなら。リョウさんや喜多さんや虹夏ちゃんみたいに、これが私達のバンドだって、はっきり言えたのなら。もっと自信を持って結束バンドのリードギターだって、胸を張って言えるのかな?
でも結束バンドに入って、皆と一緒に練習したり過ごすようになってから少しは成長をしたはずだ。
模試でC判定を喰らってカズさんと虹夏ちゃんに付きっ切りで勉強教えてもらったり……。
喜多ちゃんに恋する乙女の波動を喰らって爆散したり……。
バイトするのはいいけど接客全然ダメだし飲み物とか床にぶちまけて……。
ライブのオーディションではちゃんと演奏できたのは良いけど緊張とストレスで胃がひっくり返ってマーライオンになっちゃったし……。
ノルマのチケットは中学卒業間近の時点で友達0人の私に売れる訳がなく喜多さんとカズさんにほとんど捌いてもらった……。
ダメだろくでもない失敗の記憶ばっかりフラッシュバックしてくる。
やっぱり私……何も成長していない?
せっかく夢だったバンドを組めて練習できても、今までのミジンコの私からまったく成長できていないのではと不安になる。
でも結束バンドの皆と演奏するのは、虹夏ちゃん達と一緒に過ごすのはとても楽しくて……この4人で来年のフェスに出れたらって思うけど……。
私は、結束バンドのみんなが本当に大切だと思える。こんな素敵な人達と一緒にバンドが組めるなんて、今でも夢なんじゃないかと疑ってしまう。カズさんがいなくなっちゃえばこんなに悩まなくてもいいのに――
ガン!
押し入れの柱に自分の頭を叩きつける。
自分の中にふと湧いて出てきたいつもの嫌な気持ちを叩き潰す。
「嫌だなぁ」
薄暗い圧迫感のあるこの空間で、私の独り言はよく響いた。でもこの狭い押し入れは安心する。私の停滞も焦燥も、ここでは何の意味も持たないから。
でも、ここに居続けちゃダメだと頭では分かってる。私も前に進まなきゃいけないんだ。
そう分かっているのに……。
もうすぐ高校の入学式。そして私達のライブがある。でも、少しずつ迫ってくる時間が、私を追い詰めてくる。
「誰か、私を……この秘密基地から、連れ出してくれないかなぁ……」
夜は、自己嫌悪で忙しい。
「えーっと……子・丑・申・寅・辰・亥……」
「……はっ!」
「あーぼっちちゃん目を覚ました!よかったー」
「カズが穢土転生の術を知ってなかったらやばかった。戻ってこれなかった所だよぼっち」
「え、は、はい」
「いや適当にモノマネしただけなんですけど……」
リョウさんに「ぼっちを穢土転生の術で蘇生するんだ」とか無茶ぶりされて、見よう見まねでやったらまさか蘇生が成功するとは……僕は大蛇丸だった可能性が?
「後藤さんよかったー。とりあえず着替えましょ?その恰好似合わな――じゃなくてえっと予備のジャージ、確かスタッフルームにあったわよね!ほら、上着脱いで」
「あ、は、はい。ぬぬ、脱ぎます……」
後藤が上着を脱ごうとした瞬間、「ばるん」という音が響いたかと思った。
「後藤さん、やっぱりスタッフルームに着替えに行きましょ」
……やっぱデカいよなぁ後藤。
「……スケベ」
「うっさい」
喜多が冷ややかな声で僕を罵倒すると後藤の手を掴んで控室に連れて行った。
「カズくーん。目線が露骨すぎだよ」
「虹夏先輩も釘付けだったじゃないですか」
「いやあんなの同じ女でも観ちゃうよ……」
あんなデカイおもち、見るなと言う方が無理がある。
「やはりぼっちはダイヤの原石の可能性が……?ビジュ方面で売り出すのもありか……」
目を欲望に満ちた「$」にしているリョウさんの頭を小突いた虹夏先輩は小さくため息を吐いた。
「ぼっちちゃん結構深刻に悩んでるっぽいよね」
「……ですねぇ」
繊細な後藤が落ち込みやすいのはいつものことだが、あそこまでやべーことになってるとは想像してなかった。普段だったらともかく、ライブが明日に迫っているこのタイミングで後藤が不安定になるのはあまりよろしくない。明日のバンドの結果次第では、結束バンドの今後を左右してしまうかもしれないのに。
だからといって僕が相談に乗るってのは……相談に乗ること自体は良いんだけど後藤は気後れして、あまり本音で話してくれなさそうな気はする。
僕がどうしようか悩んでいると、虹夏先輩がちょんちょんと肩を突いた。
「私、ぼっちちゃんと話してくるよ。だからカズ君、私に預けてくれないかな?」
「いいんですか?」
「任せてよ!私、これでも結束バンドのリーダーだからね!」
私が虹夏ちゃんに呼び出されたのは、バイトの隙間時間の時だった。
「ぼっちちゃん、待ってたよ~!何がいい?コーラ?」
「あ、はい」
STARRYから少し離れた自販機の前に、私は虹夏ちゃんに呼び出された。他の3人のバンドメンバーには内緒でとのことだったので、私はこそこそと音を出さないようにSTARRYから出てきた。
「あ、あああの、バイト抜け出して来てよかったんですか……?」
「大丈夫だよ~!他の3人が頑張ってくれてるし。今日はあんま忙しくならなさそうだしね~」
「そそ、そうですか……」
「はい、ぼっちちゃん、コーラでいい……って、どうしたの急に封筒出して来て。ナニコレ?」
「え、あ、あの、とうとうクビ宣告されるのかと覚悟して懇願書を」
「違うよ?」
違った。とうとう最後通告をされると思っていた私の肩から緊張が抜ける。
「もーぼっちちゃんは大袈裟だなぁ」
虹夏ちゃんは私の言葉を冗談だと思ったのか、けらけらと笑いながら自分で買ったコーラを口に着けた。私も釣られるように虹夏ちゃんから受け取ったコーラのプルタブを開ける。
「ありがとうございます、奢ってもらって……」
「いーのいーの。気にしないで~」
しゅわしゅわと心地よい、炭酸が弾ける音。遠くから聞こえる電車の音。ふと横を見ると、自動販売機の電灯がばちばちと光り始める。上を見上げたら、空は茜色に染まり始めていた。明日には三月も終わってもう四月だけど、外はまだ少し肌寒い。春先とはいえ下北沢の夜は冷える。
もう、
長かったような気もするし、あっという間だったような気もする。
「改めてさ、ぼっちちゃん。あの時はごめんね?」
「へ?」
ノスタルジーな感情にふけっていたら、突然虹夏ちゃんがそう私に謝った。
何で謝られたのか分からず目をぱちくりさせていると、虹夏ちゃんは困ったように言った。
「ほら、去年の11月。私達の初ライブで、カズ君が挑発してぼっちちゃんをステージに無理やり上げたでしょ?今思うと、あの時の事ちゃんと謝っていなかったなぁって」
「え……あ、ああ」
11月のライブ。カズさんにチケットを渡されて観に行った、私がまだいない結束バンドの初ライブ。
私は自分が書いた歌詞を使った曲を歌ってくれる。それもあの合唱コンクールのボーカルが弾いてくれる。それだけを楽しみに、お父さんに車でライブハウスまで送ってもらった。初めてのライブハウスに恐れ慄いたり、喜多さんと同じ中学だって言う知らない人に絡まれたりとか、散々な目に遭ってたけど。
……結束バンドの演奏が始まってから、そんな私の怯えはどこかへ消えてしまった。
「ぼっちちゃん、怒ってたよね。あのステージでの演奏」
「……え?お、怒ってました?」
「怒ってたよ?自覚なかったの?」
怒り……怒り?私はあの時怒っていたのかな。いまいちピンと来ない言葉だった。
「ほら、カズ君が弦をいじってわざと音をずらして『星座になれたら』を弾いてさ。そしたらぼっちちゃん、怒ってステージに登ってきたじゃん」
「ああああああの、あれはあまり思い出したくないやらかしと言いますか……!」
私がうろたえながらそう懇願すると虹夏ちゃんは楽しそうに「無理だよ~」と笑って流されてしまった。気づいたらステージに登って乱入してそのまま結束バンドのリードギターをしちゃうだなんて……!一歩間違えればステージを台無しにしかねなかった、私の人生最大の黒歴史……!「なんであんな子が急にステージに乱入してくんの?」とか思われてたら……うっ、想像だけで吐き気が。
「カズ君がなんとかぼっちちゃんをステージに引きずり出そうって言ってさ。良くない事だとは思ったけど、私もそれを容認しちゃったんだよね。それにぼっちちゃんがこのバンドに入ってくれたのも、あの時の勢い任せな所があったし。だから一度、ちゃんと謝っておこうと思って」
「虹夏ちゃん……」
「ぼっちちゃん、このバンドに入って後悔してな――」
「そんなことないですっ!」
頭で考えるより、「あの」とか「その」とか、口がどもるより先に、私の喉の奥の、身体のずっと奥底からそんな言葉が飛び出してきた。
私自身、こんなに大きな声を出すつもりはこれっぽちもなくて、虹夏ちゃんは驚いたように目を見開いた。
やらかしたことに気付いた私は慌てて首をぶんぶんと横に振りながら謝った。
「ああああのごめんなさいこんなに大声出して……!」
「だ、大丈夫だよぼっちちゃん!ごめん、ちょっとびっくりしちゃって」
「あ、はい……」
「……ぼっちちゃんは、このバンド入れて良かった?」
不安そうに、虹夏ちゃんがそう確認してくる。
「あ、あの……こ、このバンドに入れて……ずっと良かったと思ってます……私なんかには勿体ないくらいで……」
練習終わり、5人皆でマクドナルドに立ち寄って一緒に食べたハンバーガーの味。
初めての渋谷、池袋、新宿。同い年の喜多さんと一緒に歩き回ったショッピング。
カズさんの家で私の好きなゲシュタルト乙女の『神様』を流しながら、好きなバンドや曲を夜通し皆でお喋りした事。
虹夏ちゃんに教えてもらったドリンクや接客の基礎。
リョウさんに歌詞を見てもらったり、作曲やアレンジについてあれこれたくさん話した事。
そして……皆でたくさん撮った演奏動画。
カズさんが選んだThe Cabの『Angel With a Shotgun』。
喜多さんが選んだリーガルリリーの『リッケンバッカー』。
私が選んだBUMP OF CHIKENの『ハンマーソングと痛みの塔』。
虹夏ちゃんが選んだフジファブリックの『若者のすべて』。
リョウさんが選んだジャクソン・ブラウンの『Running On Empty』。
動画サイトにアップしてたくさん再生された物もあれば、あまり練習時間が取れずに没になってお蔵入りになった動画もたくさんある。でも、どれも練習から撮影まで全部が本当に楽しくて、私は撮った動画をいつも電車の中でスマホで観て思い出に耽っていた。
この半年間、私は今まで経験した事がないたくさんの事を皆から与えてもらった。生まれてからずっと一人ぼっちだった私には勿体ない程の、たくさんの思い出。独りでずっと家に籠ってギターを弾いていただけじゃ、絶対に手に入らなかった夢みたいな経験だった。
でも、皆との演奏動画を観返す度に、いつも思う。
「でも、それと同時に、思っちゃうんです……私なんかがリードギターをしてていいのかって」
「……どうしてそう思っちゃったの?」
虹夏ちゃんが少し悲しそうに私を見つめながら、そう尋ねて来た。
私は自分の爪先を見つめながら、自分の内側にある言葉を探した。私がここ一か月……ひょっとしたらずっと前からあったような、私の内側にこびり付いた黒い何かを見つめて、それを口に出していく。
「私より上手で、明るいギタリストなんてたくさんいるから……それこそ、カズさんがリードギターをすればいいんじゃないかって……それに……一月前に、き、喜多さんとカズさんが歌った、『中央線』。あれを聴いてから、ずっと思うんです。わ、私より、カズさんがリードギターをやった方がいいんじゃないかって……」
あの日の『中央線』は、本当に特別だった。
元々仲が良くて、息が合ってた喜多さんとカズさん。あの時、カズさんのアコギに合わせて歌っている喜多さんは、本当に綺麗だった。歌声も、ギターの音も、全てが一つになった曲だった。あの瞬間だけまるで二人の周りの時間が止まっていたんじゃないかと思えた。
アコースティックギター特有の優しい音色と、喜多さんの透明感のある歌声が重なって、結晶になって、砕けて辺りに散っていく。ライブハウスのライトに照らされてきらめく、二人だけの音楽の世界。
もし音楽と言う目に見えない生物に理想とか、完成された形と言う物があるなら、ああいう姿になるんじゃないかと私は感じた。それはきっと、カズさんのギターだけでは、喜多さんの歌声だけでは、絶対に届かない場所。聴く人全ての心を奪う、魔法のような音楽。
「さ、さっき、虹夏ちゃんは私がステージに上がった時……怒ってるって言いましたけど、多分、違います。私はあの時……
ぽつりと呟いたその言葉は、すとんと私自身を納得させた。ここしばらくの間、私がカズさんに対して抱いていた物の正体は、怒りとかじゃなくて……悔しさと、嫉妬。
私、後藤ひとりには「負けた」事が2回ある。
1度目は、喜多さんの合唱コンクールの動画を観て触発されて、自分が『Somebody To Love』を弾いた時。
2度目は――喜多さんとカズさんがデュエットで、『中央線』を聞かされた時。
「どうして私は、ステージの上じゃなくて、観客席側にいるんだ、って……私、カズさんの事が羨ましかったんです。11月の時も、二人のデュオの時も。――それであの後、対抗するみたいに皆でフェスに出てみないかなんて柄にもなく提案しちゃったんですけど……」
目を閉じると時々、瞼の裏にイメージが映る。
フェスのステージに立っている結束バンドの、皆の姿が見える。でも、そこにいるのはリョウさんと、虹夏ちゃんと、喜多さんと……カズさんだ。私の姿はどこにもない。
少し前までステージに登ることに消極的だったカズさんがあの日以来、やる気を急に出し始めてどんどん上手くなった。ううん、上手くなっているというより、元々実力があってそれを表面に出すことを躊躇わなくなったんだ。しかもギターだけじゃなく、ピアノやボーカル……最近はベースも覚えようと考えているらしい。
もしリードギターに、カズさんが選ばれたら。コミュ障で陰キャで人前じゃギターヒーローみたいに弾けない私より、カズさんが選ばれたら?
私なんか、もう必要じゃなくなるんじゃないか?
一度でもそう考えてしまったら、もう止まらなかった。不安は手の平にくっついて、そこから心臓に向かって根を伸ばし続けてる。今この瞬間も少しずつ。
私は私が嫌いだ。こんな嫌な考えをしてしまう私が、虹夏ちゃん達を信じきれない私が、カズさんがいなくなっちゃえばいいだなんてほんのちょっとでも考えてしまう自分が。
そんな私の嫌な気持ちが滲み出ているのか、私がピックを弾く度に、一つ一つ音を紡いでいくたびに、結束バンドの歌がつまらない音になっていくような感覚がある。自分独りで動画を撮る為に演奏していた時にはなかった感触。ギターヒーローがギターを弾くだけで、リョウさんの……結束バンドの曲がダメになって行く。
他人の目を見るのが苦手。他人の呼吸を意識するのが苦手。私はどこまで行っても陰キャで、せっかくバンドを組めて練習をしても、なかなか改善しなかった。改善しようと色々試みて、サングラスを着けたり段ボールを被ったりしてみたけど結果は惨敗。そして私の努力がなかなか芽吹かない間に、リョウさんや虹夏先輩、そして喜多さんはぐんぐんと成長して、私だけが置いて行かれていく感覚が生まれ始めた。
喜多さんが目に見えて成長しているのは私にも伝わった。それは素直に嬉しいと思う。私も喜多さんの歌声好きだし。
でも、私のギターだけが置いて行かれて――私の周りには誰もいない。また同じ、一人ぼっちになっちゃうんだ。
「さ、最低、ですよね……こんな気持ちでギターをするなんてやっぱり……」
「分かるよ、ぼっちちゃん」
「え?」
不意に、私の肩に虹夏ちゃんが手を置いた。ドラムスティックを毎日叩いて、少し大きくて暖かい手だった。
「あの時の喜多ちゃんとカズ君。ステージの外から観てたら、本当に二人が、見えない糸で通じ合って、喋らなくてもお互いが考えている事が通じ合っているんじゃないかって想えたんだ。もちろん、それが本当かどうかは多分二人にしか分からない事だけど……。でも、私もいつか、って。いつか私もああなれたら、って想えたんだよ。リョウや喜多ちゃんと、そして、ぼっちちゃんと、言葉が無くても通じ合えて、最高の音を紡げていけたらなって……はっ!」
虹夏ちゃんは急にぼっと顔を赤くして照れ臭さを誤魔化すように言った。
「な、なーんちゃって!ごめんね、ちょっとクサかったかな?」
「い、いえ……私も……そう思います」
結束バンドのメンバーで、最高の音を紡げたら。大きなステージの上で最高のロックを奏でる事が出来たのなら。それはどんなに楽しいんだろう。
11月のライブに私が参加できたのはたった一曲だけだったし、その演奏も夢中でギターを鳴らす事に集中していたから、あまりよく覚えていない。
覚えているのは、顔を濡らす汗と、身体をびりびり打つ拍手と歓声と、肋骨の内側で暴れまわる心臓の音。
「あの二人みたいな演奏を、私達もやれたら、……いいですよね」
「……うん」
私の不安で、小さな願いに同意するように、虹夏ちゃんは優しく頷いてくれた。そしてしばらく、小さな沈黙が私達の間に生まれた。普段だったら何か喋らなきゃとか焦ってしまう私だけど、どうしてか、今この時はそんな不安には襲われなかった。
しばらくスニーカーの爪先で地面に円を描いていた虹夏ちゃんは、夜になりつつある空を見上げながら独り言みたいに話し始めた。
「私もさ、一応バンドのリーダーになっているけど、このバンドの発起人は喜多ちゃんとリョウでさ。私はリョウにドラムをやってくれないかって誘われたんだよ」
「え、そ、そうなんですか?」
「うん。リョウが私がドラムをやってるって知ってて、向こうから誘ってくれたんだ。私のドラム、悪くないからって。ひねくれた言い方だったけど、リョウなりに私のドラムを認めてくれてたんだって、あの時はちょっと嬉しかったな……」
懐かしむように虹夏ちゃんは小さくため息を吐いて、コーラを一気に飲み込むように口につけた。
「ぷはー」と満足げに息を吐いた虹夏ちゃんは、言葉を続ける。
「でもさ。私より上手いドラマーなんてたくさんいる。私のドラムは必要ないってもしリョウに言われたら……なんて、考えた事もたくさんあったよ」
「虹夏ちゃんも……?」
「うん」
少し照れ臭そうに虹夏ちゃんが笑った。不安を覆い隠したような、少し寂しい笑顔。
「きっとさ。みんなそうなんだよ。口に出して言わないだけで。リョウや喜多ちゃん、それにカズ君も。自分の居場所を守る為に皆必死で、その為に努力してる。
虹夏ちゃんのその言葉を聞いた時、急に、息が軽くなった気がした。
「だからぼっちちゃんのその気持ち、私分かっちゃうよ。嫉妬する気持ちも、焦っちゃう気持ちも」
虹夏ちゃんは「にひひ」と照れ臭さを誤魔化す様に笑うと、空になったコーラのアルミ缶を潰して、近くのゴミ箱に放り投げた。綺麗な放物線を描いた空き缶は――ゴミ箱に少し届かずに落ちた。「あちゃー」とため息を吐きながら虹夏ちゃんはそれを拾って、ゴミ箱に入れ直す。
「今ね、私ボーカルの練習してるんだ」
「へぇ……え、ええ!?虹夏ちゃんが!?」
「そんなに驚く?」
ゴミを片付けながらなんでもないようにあっさりと宣言されて咄嗟に反応できなかった。
「だだだって、虹夏ちゃんがボーカルって、つまり……」
「そう、
ドラムボーカル。文字通り、ドラムスとボーカルを兼任するドラマーの事だ。ギターやベースを弾きながらボーカルをするアーティストは多くいるが、ドラムスを兼任するボーカルは圧倒的に数が少ない。理由は単純。ドラムを叩きながら歌うのは難易度が跳ね上がるからだ。
両手でドラムスティックを操りながら、両足でペダルを踏みながら、バンド全体のリズムを管理してマイクに声を載せる。曲にもよるけど、同時に5つ以上の作業をしなくちゃいけない。派手でリズムが激しい曲をするとなれば、更に難易度が跳ねあがる。何にせよ、一曲を歌いながらドラムを熟すには相当な体力と技術を要求されるのだ。私も一時期、歌いながらギターを弾こうとした事があるので、ボーカルを兼任する事の難しさはよく分かる。結局、「人前で歌うなんて絶対無理」ってなって断念しちゃったけど……。
「声の出し方とかカラオケとかで研究中で、まだ人に聴かせられたもんじゃないんだけどね。それに今は結束バンドのオリジナル曲の練習で手一杯な所があるから、本格的にドラムスを叩きながら歌う練習はまだできてないんだけど。あ、これリョウ達には内緒ね?絶対あれこれ揶揄ってくるだろうし、言ったら絶対歌わされてその後で批評されるだろうし!リョウに上から目線であれこれアドバイスされると思うと……想像しただけでなんか腹立ってきた」
「あー……」
腕を組みながらあれこれ虹夏ちゃんに指摘するリョウさんの姿が何故か鮮明にイメージできてしまった……。
「だからとりあえず音程をちゃんと取って歌えるのが目標!目指せロジャー・テイラー*4!」
「あ、はい……何歌うか、もう決まってるんですか?」
「えっとね、一曲だけ決めてあるんだ。BANNERSの『Someone To You』って曲。知ってる?」
「あ、し、知らないです……」
「ふふふー。じゃあぼっちちゃんにも布教して進ぜよう!はいこれ!」
にやりといたずらを企むように笑った虹夏ちゃんは、ポケットからワイヤレスイヤホンを取り出した。いつも虹夏ちゃんが使っているAir Podsだ。私が何か言う前にケースから取り出したイヤホンをひとつ、虹夏ちゃんは私の左耳にすぽりと押し込んだ。そしてもう片方はそのまま自分の耳にセットした虹夏ちゃんはどこか嬉しそうにスマホを操作し始める。
するとすぐに、その曲が流れ始めた。
耳に流れてくるのは、アップテンポのビート。明るいギターメロディー。そこに加わっていくドラムとベースとバイオリン。
シンプルで、力強いイントロ。それを聴いて最初に出てきた感想が『虹夏ちゃんが好きそうな曲だ』と言うそんな感想だった。そう思っている間に、曲は加速するように高まっていく。
耳の中で火花が散っていく感触だった。散った火花は分散して、その先で更に破裂して、それを繰り返して、やがて大きな花火のように広がっていく。BANNERSの、意味も分からない英語の歌詞に、どうして心がこうも揺さぶられるのか分からない。英語は苦手だ、けれど何を言っているかは何となく伝わってくる気がしている。
悲しくて、興奮して、怖くて、楽しい曲。
ふと隣を横目で見てみると、虹夏ちゃんが目を閉じてその曲に耳を委ねていた。足元はたんたんとリズムを刻んでいる。私には、透明なバスドラムのペダルが虹夏ちゃんの靴の裏に張り付いているように見えた。
サビを越えて、やがて曲が終わりに近づいていく。
線香花火の火花がやがて萎んで消えていくのを感じるように、もうすぐこの曲も終わるのかと思っていると、虹夏ちゃんが静かに口を開いた。
「I wanna be somebody to someone……誰かにとって意味のある人間になりたい、って言う意味なんだって」
「そ、そうなんですか……」
「私もそう思うよ。私も、喜多ちゃんやリョウ、カズ君に……ギターヒーローに負けたくない」
「え?」
ふと顔を上げると、虹夏ちゃんは真っすぐに私を見ていた。
綺麗な目だと思った。花火みたいな激しい輝きが虹夏ちゃんの瞳に宿っているように見えて、思わず魅入られる。
「私に……ですか?」
「そうだよ?そもそもぼっちちゃんはギターヒーローで、登録者数7万人行ってるんだよ? 私、この半年間負けないようにって、ぼっちちゃんの足を引っ張らないようにって、ずっと戦って、技術を身に着けてきたんだよっ!なのにぼっちちゃんは喜多ちゃんとカズ君の事ばっかり……も~!」
「すすすす、すみません!」
虹夏ちゃんが頬を膨らませて憤ったのを見て、私はほぼ反射的に腰を90度折り曲げて謝罪してしまう。
「……ぷっ、あははっ。いーよ。いつか私以外のドラマーじゃ嫌だって、ぼっちちゃんに言わせてやるからっ」
虹夏ちゃんは花が咲いたように笑ってそう言うと、私の耳からイヤホンをそっと引っこ抜いて、踵を返した。
「さ、お話は終わり。ぼっちちゃん。明日のライブ頑張ろ!お互い悩みは尽きないけど……でも、明日は楽しもうよ。音楽って、演奏してる人の感情が出てくるからさ。緊張もするし、怖いけど。それでも楽しんで演奏する事だけは心がけようよ!」
「あ……はい!」
――あれ。
なんだか少し、息が軽い。肩の力も抜けている気がする。
虹夏ちゃんの背中を半歩後ろから追いかけながら、私は首を傾げる。なんだか、さっきまでの悩みが少し薄まったような……。胸につっかえていた何かが、どこかへ消えた感覚だった。
私の前にいる、小さいのに頼りがいのある背中があるから……なのかな。
「あ、そういえばぼっちちゃん、私達のバンド名の由来って教えたっけ?」
「あ、はい。えっと、リョウさんがただのダジャレだって……」
「そうだよ~。リョウもセンス変だよね……バンド名をダジャレにするなんて……」
呆れたように肩を竦める虹夏ちゃんだけど、その声音は明るい。
「わ、私は仲良しみたいな感じでけけけ、結構好きです……虹夏ちゃんは好きじゃないんですか?」
「ううん。私も気に入ってる。最初はただのすべったダジャレで変えようと思ったんだけど……ある人が意味をくれたんだ。結束バンドって配線ケーブルを束ねるベルトだけど、
「……え」
「私、もうぼっちちゃんの事もこのバンドに縛ったつもりなんだから。だから、そう簡単にこのバンドから離れられるとは思わないでよねっ」
いたずらが成功した子供みたいに、虹夏ちゃんは笑ってそのままSTARRYへ走り始めた。
呆気にとられた私は少し出遅れてその後ろを追いかけていった。
「私も……」
誰かにとって、意味のある人に。虹夏ちゃんにとって、喜多さんにとって、リョウさんにとって、結束バンドのギターヒーローになれるのかな……。
ううん、なれるかなじゃない。
なりたいんだ。
私のお腹の底で、何かが沸き出した気がした。お臍の辺りが熱い。小さな火種が薪に火をぶつかって、少しずつ大きな炎になっていくような……。
あとでカズさんにCD貸してもらおう。そんなことを考えながら、私もSTARRYへ駆け足で向かった。
STARRYに戻った私達はサボリの現行犯として店長さんにみっちり叱られた。
――翌日。
「えぇ!? ぼっちちゃんが消えたぁ!?」
作中に登場したバンド名&曲名
Beachside talks - Big Sky
Bruce Springsteen - I'm On Fire
アントニオ・ヴィヴァルディ - 『四季』協奏曲第2番ト短調『夏』第三楽章
エドヴァルド・グリーグ - 『ペール・ギュント』組曲『朝』
エリック・サティ - 『ジムノペディ』
Oasis - Don't Look Back In Anger
Falling Down
Live forever
Wonderwall
Stand By Me
Procol Harum - A Whiter Shade of Pale
フレデリック - オドループ
サカナクション - 新宝島
LMAFO - Party Rock Anthem
筋肉少女帯 - 踊るダメ人間
Elton John - Your Song
- I'm Still Standing
倉橋ヨエコ - 夜な夜な夜な
Acres - Lonely World
Cinderella - Through The Rain
Lenny Kravitz - Are You Gonna Go My Way
ゲシュタルト乙女 - 神様
The Cab - Angel With a Shotgun
リーガルリリー - リッケンバッカー
BUMP OF CHIKEN - ハンマーソングと痛みの塔
フジファブリック - 若者のすべて
Jackson Browne - Running On Empty
QUEEN - I'm In Love With My Car
BANNERS - Someone To You
だが、分かるよ。ロックは良いものだ(マリア感)
お久しぶりです。
第三部、またーり書いていきます。
ストックはないので一か月間隔で書いていこうと思っています(書けるとは言ってない)
前回もたくさんの感想、評価、誤字、ここすき、Xでの感想ポストありがとうございます。昔の感想を読み返したり、時々投稿した短編の感想で励ましの感想をもらったお陰で、なんとか第三部に着手する事ができました。低評価入れた人はFU【不適切な表現】ou。
この数か月間、映画を観たり、小説を読んだり、ロックを聴いたりしながら過ごしていました。
一番印象に残っているのは、海外の通販サイトでレコードを購入した事。届くか届かないかわくわくと不安を混ぜ合わせた状態で3週間近く待って届いたレコードを受け取った時は嬉しかったです。
そのアルバムは、自分の人生で一番好きな曲、そしてこの小説で最後に歌わせようと思っている曲が入っています。
届いたその日にレコードにさっそく掛けて、何回も聴きました。
「こんなもんか」と思う事もあったし、「何度聴いても最高だな」と思ったりしながら、ロックの素晴らしさを改めてかみしめたり……。相変らずの音楽漬けな毎日です。この曲を早く喜多ちゃんに歌わせるべく、頑張って行こうと思います。
それにしても今回のお話で登場した曲のラインナップ……とっ散らかっててやべえなって思いました。でもまあ好きな曲だし聴いて欲しい曲だしいっかぁってなったので、この調子でやっていきます(開き直り)
そんな感じで書いている人は相変らず雑ですが、第三部が最終章です。
全部で7~8話程の予定。どうぞ最後までお付き合いいただけると嬉しいです。
↓いつものコピペ宣伝
Xのアカウントでのんびり呟いてます。
X(旧Twitter)
カーラジオと言う名義で作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりぼざろのイラストを無限リポストしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。
あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。
喜多ちゃんに推したい音楽
ここすき、Twitterで宣伝、感想などで幸福度を上昇させてるので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
それではいつもので〆させていただきます。
感想もっともっともっと欲しいんだ……!
高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)