【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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 人を泣かせる歌を作るには、氷のような心を持たねばならない。


井上陽水



帰れない二人

 

 

 

 

「はい!じゃあ前回のライブのギャラと、先月のバイト代、まとめて配っちゃうよー!」

「YEAHHHHHH!」

 

 ライブの翌日、僕らは放課後にSTARRYに集まっていつもの丸テーブルを占領しダベっていると、景気よく元気よく、虹夏先輩が嬉しそうに宣言した。

 虹夏先輩の手には封筒が4人分。僕達は色めき立った。特にリョウさんが。

 

「皆の給料から次のノルマ代を差し引いても、結構あるから安心してね!」

「やったわね、後藤さん!私達の初給料!春休みバイト頑張った甲斐があったわ!」

「は、はい……!黒字になったとは聞いてましたけど、ギャラも貰えるなんて……!」

「昨日のライブは、結束バンド目当ての客が多かったからな」

 

 虹夏先輩の横で見ていた店長さんが、補足するように付け足した。

 

「まさか50人以上も客を連れてくるとは思わなかったよ。おかげで平日のライブにしては大盛況。つーかどうやって連れて来たんだ?脅した?」

「そんなことしてませんよ!中学のクラスの友達とか、高校で出来た友達を誘っただけです!その友達に別の友達を連れて来てってお願いしただけです!」

「それだけであんだけ客を連れてくるのはもはや才能だな……」

 

 店長さんがドン引きするが、正直気持ちは分かる。

 佐々木や中学のクラスの連中の助力があったとはいえ、駆け出しバンドのブッキングライブにあれだけの客を呼び込めるのはもはや才能と言う他ない。入学初日でクラス外にも交友の幅を広げる事が出来るコミュ力お化けの喜多には頭が上がらないよ。

 

「本当はバンドの貯金に当てようとは思ったんだけどね。でも今回は喜多ちゃんが集客頑張ったおかげで黒字になれたからご褒美って事で!はい、カズ君も!」

「え、僕も良いんですか?」

 

 ノーギャラというか、僕はライブの報酬なんて出ないもんだと思い込んでいたので、虹夏先輩が差し出してきた封筒を思わず受け取れずにいた。コミュ力お化けの喜多や佐々木が宣伝しまくってくれたおかげで箱が満杯になったからって、駆け出しのバンドの取り分はそんな大した額じゃないはずなのに。僕にまで分配したら虹夏先輩達の取り分がもっと減っちゃうじゃないか。

 

「何言ってんの!カズ君にはいつもマネージャーとして頑張ってもらってるし。それに、一曲だけとは言えシンセで参加してくれたじゃん!だからこれは、正当な報酬だよ。むしろ少なくてゴメンね」

 

 改めてこの人、人間が出来過ぎている。本当に天使の生まれ変わりか何かか?僕は恐る恐る封筒を受け取ると、虹夏先輩は嬉しそうにニカっと笑った。これが僕の人生初のギャラか……中を覗いてみると、バイト代とは別に千円札が五枚ほど余分に多く入ってる。これが今回の僕の取り分?つまり、結束バンドのギャラは大体2万5千円か。予想よりもずっと多い。薄っぺらい紙切れたった五枚が、何故かとても重たく感じる。

 

「……じゃあ、ありがたく頂きます」

「うん、頂いちゃって!」

 

 気持ちがいいくらいの笑顔で言うので、僕も釣られて笑ってしまう。

 本当、後ろではしゃいでいる借金クズベーシストにも爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。

 

「この日を待っていた。ようやくこれで1ヵ月野草生活から解放される……!もう校舎裏の野草を摘ままなくていい。郁代、今回の集客よくやった。誉めて遣わす」

「きゃー!!リョウ先輩!もっと頭撫でてもらっていいんですよ!」

「1か月間も野草生活してた割には随分健康そうですよね。定期的にカツアゲしたおかげですか?」

「カズ、失礼。私がそんなジャイアンみたいに見える?カツアゲだなんて、そんなのは事実無根」

 

 この一か月、週3で僕の家に夕飯を食べに来てたくせによく言うよ。

 

「は、初めてのギャラ……!初めての給料……!私の血と汗と涙の結晶……!な、何買おうかな……うへへ」

「こ、こんなに!?て、店長さん、給料間違えてませんか?少し多いような……」

「ちゃんと計算合ってるぞー。喜多ちゃんは春休みの間結構シフトに入ってくれたからな、大助かりだ。次もよろしくな」

「はい!ありがとうございます!よかったね、後藤さん!」

「は、はい!苦手な接客、が、頑張ってよかったぁ……」

 

 封筒の中身を数えて嬉しそうに頬を緩ませる喜多と後藤。

 初めての給料、それに初めてのギャラ。

 

「なんか……」

 

 封筒を両手で大切そうに受け取った後藤は、ぽつりと呟いた。

 

「なんか、いい、ですね……働いてもらった給料もそうですけど……。音楽で……結束バンドの皆でライブを奏でて、稼げたお金……すごく、嬉しいです……。私達の歌に、価値があるんだって思える気がして」

「ぼっち、これはまだまだ序の口。もっと売れて、ブッキングライブじゃなくてワンマンで演れるようになればもっともっと稼げる。その為にもまた次の歌詞よろしくね。目指せタワマン」

「後藤さん、これからももっともっと頑張っていきましょう!来年のフェスで優勝する為にも!」

「は、はい!」

 

 えへへと嬉しそうに微笑む後藤に、僕らも釣られて笑う。 

 

「スタートダッシュとしては最高ですね」

「そうだね、カズ君。私もギャラを貰えるぐらい結束バンドの曲を聴きに来てくれた人がいたとは思わなかった。喜多ちゃん様様だよ」

 

 初めてのライブが上手く行かずにコケてしまった、なんていう失敗エピソードはどこにでもある。ノルマ分も捌けず赤字になってしまうアマチュアバンドだって星の数ほどある。

 けれど結束バンドはそれを乗り越え、こうやってギャラを稼げたと言う事実は大きい。バイトで貰った給料と比べるとそんなに多くはないとはいえ、音楽でお金を稼ぐと言うのは本当に難易度が高いのだ。

 けれど、僕らの手には結束バンドがライブをして稼げた結果が形として残った。

 この五千円は、自分達の音楽にチケットを買って聴く価値があると言う証明に他ならないから。

 

「もっともっとファンを増やしていかなきゃですね」

「そうだね!もっともっとライブを熟さなきゃ!それじゃあ次のライブのノルマ代を集金するからね。一人当たり3千円で!」

「え、少なくないですか?スタジオ代とかは…」

 

 駆け出しの結束バンドの懐事情は、僕が把握してる限りはそんなに温かくはないはずだ。スタジオ代のことも考えるともっと必要なはずだが。けれど虹夏先輩は僕の心配を拭うようにばしばしと僕の二の腕を叩いた。

 

「それについては問題なし!バンドの貯金で賄えるから安心して。最近はカズ君の家でも練習させてもらったおかげでスタジオ代が少し浮いてたんだよ」

「ああ、なるほど」

 

 僕の家の地下室は、広くはないがバンドメンバーが集まって練習ができる程度には機材とスペースがある。広さとかアンプの大きさとかはさすがにSTARRYの設備に負けるが、それでも音を合わせるには十分な練習場所になるので、STARRYのスタジオが使えない時は僕の家に偶に集まっていたのだ。そのおかげで貯蓄が蓄えられたのなら場所を貸した甲斐もある。

 

「でも来月からは容赦なく徴収していくからそのつもりでね!今度のライブはTシャツ作って出たいし、スタジオ代とかレコーディング代とか考えたら、貯金だけじゃ賄えないし」

「そりゃそうだ」

 

 とりあえず封筒から3千円を抜き取り手渡しておく。

 けれど3千円を抜き取っても、給料とギャラを含めてまだまだ封筒には厚みがあった。

 となると、やっぱりこのギャラはバンドの資金に回すべきなんじゃないかと思うが、それを察したのか虹夏先輩は「ダメだよカズ君」と先回りされてしまった。

 

「せっかくの初ギャラなんだから、カズ君の為に使いなよ!」

「僕の為に……うーん」

 

 急にぽんと出て来た、棚ぼた的な形で手に入れたお金。正直に言っていきなり渡されてもすぐに思いつかない。

 

「カズいらないの?なら私に頂戴」

「リョウさんにあげるぐらいならコンビニで募金しますよ」

「じゃあ私に募金するべき」

「何がどうして『じゃあ』に繋がるんです?リョウさんに募金して何に還元されるんですか」

「私の胃袋が満たされ、幸福度が上がる」

「何言ってんだこの人は」

 

 しかし、今の所まったく使い道が思いつかない。目をつけていた新作のCDやレコードはあらかた予約済みだし、今のところ狙っているアンプやヘッドホンもない……かと言って『バンドの貯金に充ててください』って言っても虹夏先輩には断られそうだし、やっぱり貯金かなぁ。

 

「後藤は何に使う?」

「わ、私はお母さんとお父さんにケーキを……ふ、普段の感謝の気持ちを込めて」

「良い子すぎか?」

「き、喜多さん、あの、この辺で美味しいケーキ屋さん教えてください……私一人じゃお洒落なお店に入れないので……」

「もちろんいいわ!一緒に買いに行きましょ!(キターン!)

「グアッ」

 

 なんて親孝行な子なんだ。普段は奇行ばっかり目立つ後藤だが、普通に純粋でいい子なんだよな。

 

「喜多はどうすんの?」

「私も無難に貯金かしら?コスメとか新作のファッションとか街歩きのお小遣いに取っておくわ!」

「あーうん、そうしてくれると助かるよ」

 

 主に僕の財布が。

 週一でイソスタ更新の街歩きに付き合わされるんだからな僕は。SNSの更新の為に街を歩くってのも未だに意味分かんない。毎回律儀に付き合う僕も大概だけど。

 

「カズ君はどうするの?」

「んー……どうしようかな」

 

 貯金しようかな、と答えようとした瞬間、意外にも後藤がぽつりと思いついたように口を挟んだ。

 

「な、ならエレキギターを買うのはど、どうでしょうか」

「エレキギター?」

「だ、だってカズさん、自前のギター、アコギしか持ってないから」

「あっ」

 

 そうだ、後藤の言う通り僕はエレキギターを持っていない。今日までずっと僕はセッションやライブに参加する時、リョウさんや喜多のギターを借りて参加していた事を今更思い出した。そうだよ、今の僕に一番必要じゃんエレキギター。

 

「いいじゃない!後藤さん、ナイスアイデアよ!今までずっと私かリョウ先輩のギター借りてばっかりだもん!」

「え、えへへへ……」

「え、何々、カズ君ギター買うの?いいじゃん!アコギも良いけど、カズ君もエレキギター一本持っておくべきだって!」

「むしろ、なんで今まで持ってなかったの?」

「いや、楽器屋とかあんまり馴染みがなくて……全然思いつかなかった」

 

 アコギの弦も通販で済ましてるし、大抵の楽器は僕の家の地下室にあるからエレキギターがなくても困らないので、楽器屋に行ってエレキを買おうと言う発想自体思い浮かばなかったのだ。普段メインに使っているのはアコースティックギターだし。

 

「でも、エレキならカズ君の家のどっかにあるんじゃないの?」

「うーん……」

 

 確かに、家を探せば親父か母さんの使ってないギターはあるかもしれない。

 でも……せっかくだから、自分で手に入れたい。親からのおさがりじゃなく、自分で稼いだお金で。 

 となれば、思い立ったが吉日だ。早速、明日の放課後にでも楽器屋に行ってみるか。

 

「せっかくだし、明日帰り道に買いに行ってみます」

「え、マジ?カズ君、思い切ったね!あ、そうだ!私もついて行っていい?」

「あ、私も私も!ギターストラップ、新しいのにそろそろ変えようと思ってたの!」

「いいよ。後藤はどうする?」

「な、なら私も……ギター、観に行きたいです。店員さん怖いですけど」

「じゃあ明日、駅に集合って事でいいですか?」

「もちろん!でもカズ君、予算は大丈夫?エレキって結構高いよ?」

「ちょっと待ってくださいね」

 

 こつこつと貯めていたへそくり全額と今回の給料とギャラ、それに母さんから貰ってる生活費を合わせて……そこからスタジオ代とか食費とか、4月に使うであろう必要経費を大雑把に抜くと……予算としては9万ぐらいか。

 

「少し心許ないな。リョウさん」

「何?私はこれからハードオフに行かなきゃいけないから忙しい」

「先月と先々月に貸した金返してください。牛丼代とラーメン代と飲み物代とマック代と、あとこの間から僕が作ってる弁当とかその他諸々の食費代。給料入ったら返すって言ってましたよね、返してください」

 

 そう告げた瞬間リョウさんが脱兎の如く駆け出したが、この程度で動揺してはいけない。僕はすぐさまリョウさんの首根っこを掴んで右手にある封筒を没収するべく掴んだ。けれどリョウさんは半泣きのまま「イヤイヤ」と首を振って抵抗し始める。ちいかわのモノマネしてもダメな物はダメ。このっ、手を放せっての!

 僕は無理やりリョウさんから封筒を引ったくり、しわくちゃになった封筒から先月貸した分の金を抜き取っていく。リョウさんは僕の足にみっともなくしがみ付いて「ふざけるな!ふざけるな!バカヤロォォォォ!」と騒いでいるが無視。これは強盗ではなく正当な借金の回収である。真正面から「金を返せ」と言ってもリョウさんはのらりくらりと躱してしまうのでこれぐらい強引じゃないと永久に貸した金は返ってこないのだ。2月の給料日に学習済みである。同じ轍は踏まない。

 

「ひーふーみー、ちっ、シケてんな」

「カズ君、顔おっかないわよ……借金取りみたい」

「そりゃ借金取り立てているからね」

「鬼、悪魔、ルシファー、カス。人の給料を奪うなんて……」

「ちゃんと今月分の食費は残してたんで、これで今月生きてください」

「自業自得だよまったく。これで少しは懲りたら?」

「りょ、リョウ先輩……元気出してください」

「うぅ……」

「…………」

 

 蹲るリョウさんを観ていた喜多が、ポケットから財布を取り出そうとしていたのが見えたので釘を刺す。

 

「喜多、約束覚えてるよね?」

「わ、分かってるわよ!なんていうか、ちょっと可哀想になっちゃったというか、道端に捨てられていた子犬に餌をあげなきゃいけない使命感に似た衝動に駆られたと言うか……!」

「絆されてるじゃないかしっかりしろ」

「リョ、リョウさん……」

「ぼ、ぼっち……助け」

「わ、私も返してください……先月のカレー代とか、カフェとか本屋で建て替えたお金とか……」

 

 今度こそリョウさんは膝から崩れ落ちた。ていうか後藤からも借りてたのかよ。

 

「か、カズ様……どうか慈悲を……お慈悲を!」

「だが断る」

 

 残念ながら同情の余地はない。その辺の草でも食って反省してろ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の放課後。虹夏先輩のおすすめで、かつて店長がバイトをしていたらしい楽器店に向かうべく結束バンドのメンバー全員で御茶ノ水に訪れていた。学校帰りなので全員が制服を着たままだ。ただし後藤は登校3日目からいつものピンクジャージを羽織っている。目立つのが嫌だとかなんとか言う癖にこういう所はロックガールだ。

 ちなみに給料とギャラがほとんど借金の返済に吸われたリョウさんは、最初不貞腐れて楽器屋に行くことを渋っていた。けれど「じゃあ僕ら4人だけで行きますね」と言ったら「仲間外れは良くない」と結局リョウさんもついてきた。

 

「あ、ここだよ!昔お姉ちゃんがバイトしていた楽器店!」

「「「おぉ~!」」」

 

『ISHIBASHI MUSIC』と看板が掲げられたそこは結構大きめな楽器店で、ビルの1階から3階まで全てのフロアが楽器関連の品物で埋まっていた。1階はアクセサリーやピック、アンプやエフェクター関連、それと中古のギターが所せましと並んでおり、2階はエントリーモデルからミドルグレードのギター、3階はハイエンドコーナーと分けられている。天井まで並べられた数々のギターは、普段楽器店に入らない僕でも壮観な風景だ。

 

「さすが楽器街と名高い御茶ノ水。初めて来たけど良い店だなぁ……」

「でしょでしょ!まあ、ギター専門店だからドラムがないのが残念なんだけど……」

「虹夏先輩もギター始めたらいいんじゃないですか?結構似合うと思いますよ」

「そうしてみたいけど、今からドラム以外を練習するのはちょっと勇気いるなぁ……。カズ君みたいに二足の草鞋は履けないからさ」

 

 言われてみれば、普通ミュージシャンって複数の楽器じゃなく楽器を一つに絞って練習していく物だ。僕は色んな楽器を練習していく事に抵抗はないが、ある程度絞った方がやっぱりいいのかな。

 

「でもベースとかやってみたくなりません?」

「カズ君は欲張りだねえ……さすがクレイジー音楽オタク。本当にベースも始める気なの?」

「練習しようかなとは思ってますよ。それにこの間、リョウさんが作ったプレイリストを聴いてみたらKasabianの『Club Foot』が入っていて、ベース熱がちょっと来てるんですよね……」

「カズ君、目!目が物欲に支配され始めてるよ!」

 

 あと、元からLed Zeppelinの『Good Times Bad Times』とか『Black Dog』とか、エレキギターの旋律の中で確かに光る骨太のベースの音は大好きなので、自分でも弾いてみたいと言う欲求が最近ふつふつと湧いてきてしまっているのだ。……やばい、着々とリョウさんの罠にかかっている気がする。僕もベース沼に引きずり込もうと的確に僕の欲を突いてくるのだあの人。

 

「まあ、さすがにベースとエレキを買う余裕はないから、今回はエレキだけですかね。ベースは家に置いてあるのを探してやってみますよ。ああ、でもスクワイヤーのクラシックバイブかっこよ……」

「カズ君、そっちに行っちゃダメだよ!正気に戻って!」

 

 ちょっとまずいな、目の前にたくさんのエフェクターやらベースやらギターやらが置いてあるから、むくむくと購入欲が肥大化している。やはり楽器は沼。

 

「あ、虹夏先輩見てください!ギターストラップがこんなにたくさん!あ、これ花柄模様でカワイイ~!」

「お、いいじゃん、華やかな喜多ちゃんにぴったりだよ!」

「このハイエンドギター……木目が美しい。これを入荷した店員は分かってる。まさしく芸術品……」

「あはは、見て見て後藤さん!この木目、後藤さんの顔が崩壊した時にそっくりだわ~!」

「え、あ、あははー……そうですかね?」

「…………」

「イタタタタタリョウ先輩なんで怒ってるんですか!?」

 

 盛り上がっている先輩達からそっと離れた僕は、店の中を徘徊し物色し始める。目当てはやはり、2階のミドルグレードのギターコーナーだ。

 フェンダー、ギブソン、PRS、YAMAHA。古今東西の老舗メーカーが輩出したギターの値札と自分の財布をにらめっこしながら、候補を絞っていく。

 

「カズ君、決まった?」

 

 すると、隣にいつの間にか喜多がやってきて僕の顔を覗き込んできた。

 

「んーまだ迷ってる。喜多は?ていうか先輩達は?」

「私はもう買ったわ、新品のギターストラップ!」そう言って喜多は店名が印字されたビニール袋を僕に掲げて見せた。多分、さっき見ていた花柄のストラップが入っているんだろう。「先輩達と後藤さんは中古コーナーで色々話してたわ。エフェクターがどうとかで次のライブに使えるかどうか相談してた。私はまだ、エフェクターとかあまりよく分からないから抜けてきちゃった」

 

 そう言えば偶に忘れそうになるが、喜多はギターを始めてまだ1年も経ってないんだよな。今度エフェクターについても色々教えるべきか。まあ僕が教えなくても機材オタクのリョウさんが勝手に嬉々として喜多にあれこれと教え込むだろう。

 と、思っていたら階下からベースの音が急に鳴り始めた。ああ、これ多分リョウさんのベースだな。弾き方に癖が出てる。店員さんに頼んで試奏させてもらっているんだろう。金がなくて買う気がないのによくやるよ。

 

「多分、リョウさんがベース弾いてるよ。聴きに行かなくていいの?」

 

 僕がそう尋ねると、喜多は腰を曲げてまるで僕の顔を下から覗き込むように見て、にっと笑った。

 

「ここでいいの!」

「……何が?」

「なんでも!」

 

 その日一番の楽しそうな笑顔で喜多は言った。なんだよ、意味分かんねえ。

 

「まあいいけどさ」

 

 僕がそう言ってギターの選別作業に戻った。喜多は黙ってギターを物色している僕の隣で、拳一個分離れたまま、僕と同じようにギターを見上げていた。

 

「……何?」

「ふふ、何でもないわよ」

 

 でも時々ちらりと喜多の方を盗み観ると、喜多が僕の横顔をじっと見ていたことに気づく。僕の方を見て何が楽しいのか、子供がおもちゃを真剣に選んでいるのを見守る親のように優しく微笑んでいた。

 僕はそれをむず痒く感じながら、照れ臭さを誤魔化す様にギター選びに出来るだけ集中するように意識を並んでいるギターの方に向けた。

 すると不意に、ぴかぴかに新品なギターのボディに、僕と喜多が並んで反射している事に気付いた。ちょうど喜多も同じギターを観ていたらしく、僕らはボディ越しに目が合った。

 僕と喜多が照れ臭くなり、そのギターから無言で目を逸らしたのはほとんど同じタイミングだった。

 何故か頬が妙に熱くて僕は上手く集中できず、ギターを選ぶのに結局20分近くの時間を要した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 STARRYに戻って買って来た新品のギターの弦を早速交換していると、PAさんと店長さんが僕のギターに気付いて興味津々とこっちに絡んできた。

 

「あれ、井上君、今日はいつものアコギじゃないんですね?ひょっとして新しいギターですか?」

「ホントだ。お前、昨日の今日でもう新しいギター買って来たのか?カズは時々、顔に似合わず思い切った事するよな」

「その日の内に多弦ベースをエレキギターと間違えて買ってくる奴には負けますよ」

「カズ君!!」

 

 ギターを買い終えた僕はバイトもないのでそのまま帰ろうと思ったのだが、喜多が「このままカズ君のギターのお披露目会をしましょう!」と提案してきた。最初は弦の交換をしたいので断ろうと思ったのだが、虹夏先輩が「工具ならSTARRYにあるし、そこで交換しちゃえば?」と言ってきたので、そのままSTARRYに寄り道する事になった。やっぱり、ギターを弾くならデカいアンプに繋げたい。家にあるアンプでも良いのだが、一発目の演奏はせっかくなら極限まで妥協せず気持ちよく演りたいのが男の子心だ。

 

「いいデザインですね~。フェンダーのギターですか?」

「正解です、PAさん」

 

 悩みまくった末、僕が相棒として選んだのはFenderの『Player Series Stratocaster』だった。 

 フェラーリのボディを思わせるメタリックレッド――フェンダーの代表的なカラー、キャンディアップルレッドが眩しく輝いている。お値段はスタッフが気を利かせてくれて少し値引いてもらえて、なんと約10万!クソが。ついでに予備の弦を1本買って、これで僕の今月の給料とギャラとへそくりはすっからかんだ。

 ギターの弦を交換し終えて、試しに肩にストラップを掛けて構えてみる。

 空っぽになった財布とは対照的にずっしりと肩に伸し掛かる僕の新しいギターは、本当に新しいギターを買えたんだと言う実感が重みになって伝わってくる。それがなんだか悪くない。

 

「いいじゃんカズ君、カッコイイよ!」 

「王道のギターだね。カズらしい、いいチョイスだよ。後で私にも触らせて」

 

 STARRYに戻ってギターケースから虹夏先輩とリョウさんはまるで自分の事のように喜んでくれた。

 フェンダーのギターはクリーンな音から歪んだ音まで、幅広く奏でる事が出来るオールラウンドなギターだ。色んな曲をジャンル問わずに弾く僕にはぴったりのギターだ。

 デザイン的にはグレッチのG2622と迷ったが、実用性を選んでこっちになった。

 

「赤色カラー、良いよね~。可愛いしカッコイイ!カズ君によく似合ってるよ!」

「白と迷ったんですけど、僕も赤は結構好きなんで。そう言ってくれると嬉しいです」

「……」

「『私の髪と同じ色選んだんだ……』って顔してる、今の郁代」

「りょ、リョウ先輩!私の心の中を読まないでください!」

「カ、カズさんのギター、すごくカッコイイ……いいなぁ」

「後藤は結局ギター買わなかったの?」

「あ、えっと……気になったギターが見つからなくて……そ、それと店員さんに声かけられてびっくりしちゃって……ギターの事頭からすっぽ抜けちゃって……」

 

 そう言えば僕が会計している間、ギターを眺めていた後藤は突然声を掛けて来た店員にビビッて急にヘドバンし始めたりいっこく堂の人形みたいになったりしてたな。まあ、気になるギターがないなら無理に買う必要もないだろう。

 

「確か後藤もお父さんから借りてるんだっけ」

「は、はい。わ、私も、その内自分のギターを買いたいなって……また今度、行ってみます」 

「一人で行けるの?」

「……!」

「そんな悲愴な決意を固めた顔しないでくれる……?また皆と行こうよ」

 

 死を覚悟した兵士みたいな顔しなくても、誘ってもらえれば付き合うからさ。

 

「改造はすんのか?」

「良いですね~。ピックアップの交換とか配線をいじるのは楽しいですよ?」

 

 店長さんとPAさんが楽しそうに言った。ピックアップはギターの心臓とも言われるパーツで、ここを変えると音がくっきりと変わる。他にも配線をいじると音がクリアになったり、人によってはボディを削って空洞を作ったりするらしい。

 

「お金ないんで改造なんてできません」

「んだよ、つまんねーな」

 

 店長さんがつまらなそうに吐き捨てる。改造なんて、そんな更なる沼に足を突っ込めるほど懐に余裕はないよ。あとギターの改造となるとさすがに専門的な知識が必要になるし、第一、下手にいじくりまわして壊したらと思うとおいそれと手は出せない。

 するとリョウさんはつんつん、と僕の肩を指先で叩いた。

 

「カズ、何か試しに弾いてよ」

「え、今ここでですか?」

「ん。ついでに私のリクエストに応えて」

「なんでリョウさんのリクエストを……。一発目に弾くのはビートルズって決めてるんですけど」

「そのギターは私のお金で買えたんだから、実質そのギターは私の物ということ。だから私のリクエストに応える義務がある」

「なぁーに言ってんですか」

 

 呆れる僕を無視して、リョウさんはFacesの『Stay With Me』や『Ooh La La』を弾き語れだの、Blind Faithの『Presence of the Lord』を歌えだの、Bob Dylanの『Knockin' On Heaven's Door』をアレンジしろだの、好き勝手言いやがる。相変らず自由だなこの人。

 でも、その割に借金を強引に取り立てた事にはそこまで根に持ってないみたいだ。

 ……リョウさんの戯言も偶には綺麗に流してやろう。今日の僕はテンションが自分でも分かるほど高い。やはり衝動買いは楽しいし、My New Gear*1は気持ちが上がる。僕の手にある真新しい武器が、それに応えようと疼いている。

 リョウさんがつらつらと馴染がある曲名を並べてくる中、僕が時々アコギで弾いていた曲があったので、それを弾く事にした。

 

「じゃ、その曲で」

「お、いいの?」

「自分も井上ですし、偶には良いかなって。店長さん、ステージのアンプ借りていいです?」

「一曲だけな」

 

 店長さんからため息混じりの許可を貰えたので、僕は早速と言わんばかりにステージ裏からシールドを引っ張ってきてアンプと自分のギターを接続する。もうすぐリハが始まるので、ステージはいつでも使えるように本番と遜色ない形でセッティングされている。

 本番と同じ音響でギターを弾けるなんてラッキーだな、と興奮を堪えつつ、裏からステージに戻ると、そこには僕と同じようにギターを肩に下げた後藤が待っていた。いつの間にかシールドも別のアンプに繋げられている。

 

「あれ、後藤?」

「か、カズさん、せっかくなので、私も混ぜてもらっていいですか」

 

 驚いた。後藤が自分から演奏に「混ざりたい」って言ってくるなんて、ひょっとしなくても初めてじゃないか?しかも僕のソロに。

 

「良いけど……知ってるの?この曲」

「さ、さっき急いでサブスクで聴いたんで……。でもまだ覚えて切れてないから、そ、それっぽいアレンジを加えますけど……あとは即興で」

 

 普段の後藤からは感じられないエネルギーが、空気を伝って僕の肌を撫でている気がした。

 多分……後藤も変わろうとしてるんだな。自分なりに変わって、前に進もうとしてるんだ。

 

「えぇーいいなぁ二人だけで!ズルいよ!それなら私もドラムで混ざりたかった!ね、喜多ちゃん!」

「わ、私は……どっちかって言うとカズ君の歌聴きたいから、今日はこっちでいいかなって」

「え~?ふ~ん?そっか~、喜多ちゃんはそっちか~」

「な、なんですか虹夏先輩!」

「いいじゃん。ぼっちがどんな風に即興ねじ込むか興味ある」

「分かった。じゃあ後藤、リズムはこれぐらいで……いける?」

「は、はい。大丈夫です」

 

 指をぱちぱちと弾いて指示すると、後藤はすぐに頷いた。

 ステージの上に立ったまま正面を見ると、いつぞやの時と同じようにリョウ先輩、虹夏先輩、そして店長さんとPAさんが僕の方を見て演奏が始まるのを待っていた。あの時と違うのは、後藤と喜多の位置が違う事。僕がアコギではなくエレキを持っている事。

 試しにピックをダウンさせて弦を弾くと、エフェクターも噛ませていない僕の新しい武器は僕が知らない音を奏でた。

 リョウさんのハイエンドギターとも、銀ちゃんのギターとも違う。新品の僕のストラトキャスターは、まるで他人から借りた、自分の物じゃないような感触があった。

 けれど弦を弾く度に、ピックの硬い感触から伝わる振動が、僕の腕の血管を通っていく。血管と血と肉を震わせ、僕の奥底にある魂と繋がっていく。

 

「ワン、トゥー、スリー、フォー」

 

 僕の4カウントと同時に、僕ら二人はピックをダウンさせた。

 アンプからはいつもの激しい音とは違う、どこか哀愁を感じる小さな音が、まるで静かな水面に雨粒が落ちたように波紋を広げていく。音の粒は更に振り続け、やがて水面は雨粒で、たくさんの波紋を刻み続けた。

 昭和のフォークロック、その中でも代表的な井上陽水。僕と同じ、どこにでもありふれた苗字を持つ伝説的なシンガーソングライター。彼ともう一人、後にザ・キング・オブ・ロックの異名を冠する、忌野清志郎の共作。まだ二十歳そこそこと言う若者だった二人が生み出したこの曲を、僕と後藤のエレキで増幅された音でメロディーを編み出していく。

 

『帰れない二人』。

 

 二人分のエレキギターで重ねたメロディーは、STARRYの空調の音を塗り潰し、ただ優しい旋律だけが反響していった。

 

 やっぱ後藤ってすげえな。

 

 イントロから口ずさむように歌いながら、僕は心の中で素直に賞賛した。

 今さっき知ったばかりの曲を、ここまで綺麗に噛み合わせることが出来るの、本当にスゴい。

 冬はもうとっくに終わり、今日の天気は晴れていたはずなのに、冷たい夜の、穏やかな冷たい風を想わせるメロディーライン。でも確かにある、ギターの弦の硬い感触と、僕と後藤の間にある、目に見えないエネルギーが充満し始めたのを感じる。

 歌が一巡し、後藤がギターソロに入る。

 

「!」

 

 彼女はここだと言わんばかりに鋭くギターの弦を吼えさせた。暗闇の中に篝火を焚いたような強いギターソロ。まるで僕を急かすように、テンポと音量を上げて来てる。

 

「ははっ」

 

 気付けば、ただお試しに、新品のギターを慣らす為に軽く弾くつもりだったのに、いつの間にか本気でギターを弾いている事に今更気付いた。僕の手の中にあるギターはもはや借り物ではなく自分の一部になりつつあるのを感じる。左手の指でブリッジを探り、僕も負けないと言わんばかりにピックで抗った。

 まるでギターのコードがアンプではなく自分の血管に繋がってるんじゃないかと思えるぐらい、心が震えた。目に見えない炎が爆ぜ、火の粉が噴出したのを幻視した。

 いつの間にか、僕と後藤はステージ正面ではなく、お互い向かい合うようにギターを弾き始めていた。

 まるでどっちのギターが上か、比べ合うみたいに。

 もう井上陽水でも、忌野清志郎の曲でもない。

 これは、ギターヒーローの曲なんだと。彼女のアレンジは、それ程強烈で幻想的だった。僕のスケールを覆い被さるような、膨大な熱量。それが彼女のギターにはあった。

 僕が追い縋ろうとすると、後藤はそれを突き放すように走り始める。僕はそれを聞いて、慌てて更にピックに力を込めた。

 でも、僕はすぐに悟る。

 ああ、ダメだ。追いつけない。

 メロディーラインが、スケールの広さが、経験値が、僕よりずっと上だ。彼女の引き出しは僕よりずっとある。もちろん、音楽の知識や曲名とかだったら負けないだろうけど、彼女の指、骨の髄まで沁み込ませた努力に付いていけてない。

 僕が何百と言う曲を聴いていく中で、後藤は何百と言う曲を弾き続けたんだ。

 これが、ギターと言う武器をずっと研ぎ澄ませてきたヒーローの力。僕が何年もずっとスピーカーの前で曲を聴いている間、ギターを磨き続けた少女の力。少し前までずっと聴き専でいた弊害が、ここで僕に牙を剥いた。

 指が追いつかない。

 なんだっけ、この感覚。前もあった。

 そうだ、確か――SIDEROSの、ヨヨコさんと一緒に練習をしていた時だ。

 圧倒的な技量を持つ人間と並んで弾いてるからこそ、伝わる、実感する、痛感する。時に音楽は残酷な事実を与えてくる事を、僕は久しぶりに思い出した。

 そして、同時に思い出す。

 

 この子は、『ぼっち・ざ・ろっく!』と言う漫画の主人公で、ギターヒーローだと言う事実を。

  

 ――私の、勝ちです

 

 後藤はそんな事言わない。でも、曲が終わって汗まみれで、それでも楽しそうに堂々とこっちを見て笑う後藤は、どこかすっきりとしたような表情で、まるで勝ち誇ってるように思えた。

 

「こんにゃろ……」

 

 頬を伝う汗を袖で拭いながら、僕も思わず釣られて笑う。膝に手を突いて、酸素を何度も肺の中へ送り込む。

 果てしない技量の差が、後藤と僕の間にあったような気はする。

 きっとこの努力の差は、そう易々とは縮まらないだろう。

 でも、ああ、なんだろう。

 

「あ゛ー練習してぇな……」 

 

 僕はステージの縁に座り込みながら、ぽつりとそう呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 後藤との演奏が終わった後、正直に言うと会場の空気は微妙だった。当然だ、演者が突然アレンジを噛ませたかと思えばソロパートで急に二人だけが盛り上がって音の衝突を繰り返していたんだから。客側から見れば置いていかれたのも同然だ。リョウさんも虹夏先輩も、なんてコメントしたらいいか分かんないようだったし。店長さんとPAさんは「若気の至りだなー」なんて笑っていたけど。

 白けた空気を感じ取ったのか、さっきまで楽しそうにしていた後藤は案の定意識不明になってしまい、今は棺桶の中で寝かされている。結局、気絶した後藤は目を覚ます気配がなく、後藤の楽器とシールドも全部僕が片付けるハメになった。

 僕がステージの上を掃除していると、不意に喜多が僕に尋ねて来た。

 

「カズ君、アコギはこれからどうするの?」

「アコギ?アコギはこれからもやるよ。なんだかんだ、一番使ってきた楽器だからさ。でもエレキで弾く機会が増えれば、当分は弾く機会は少なくなるかな……」

 

 シンセもピアノもギターも、僕はまだ全然だ。その事実に、僕は気付かされた。

 でも、どれかを捨ててどれかを選び取るなんて、今更僕にはできない。だって、どの楽器にもそれぞれの魅力があって、僕は全部を演奏するのが好きになってしまったのだから。

 例え二足の草鞋でも、僕は全部をやり尽くしたい。

 

「しばらくはエレキとピアノの方に専念するかな……もちろん、偶に触るつもりではあるけど……どうしたの?」

「……ねえ、カズ君」

 

 すると喜多は、僕の目を真剣な表情で真っすぐに見つめ返して言った。

 

「カズ君のアコギ、私にくれない?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ピアノは、鍵盤楽器と呼ばれる楽器に分類される。

 鍵を押すと、鍵に連動して中のハンマーが弦を叩く事で音を発する。打楽器でもあり、弦楽器でもあると言う不思議な特徴を持ったクラシック楽器だ。

 

「アンタ、指で鍵を叩いてるわね?もっと骨で叩く事を意識しなさいよ下手糞」

「いや言い方よ」

 

 出張ばかりしている母親が珍しく帰って来ていたので、「母さん、ピアノ教えて」と頼んでみた。

 帰っていきなり僕にそう頼まれた母さんは少し悩まし気に唸ったけど、「何か一曲弾いてみなさい。どれぐらい出来るようになったか見てあげる」と言われたので、最近は結束バンドのたまり場になりつつある地下室で『カルミナ・ブラーナ』のピアノ編曲版をさっくり弾いたらこの言われようである。

 

「何がダメなのさ」

「まず、全体的に音の強弱が着けられてない。シンセや電子ピアノばっかり弾いてる弊害ね、音が全体的にだるだるで聴いてらんない」

「ぐふっ」

 

 初っ端から火力が高すぎる一撃が飛んできた。けれど母さんの酷評はまだまだ止まらない。

 

「特にメゾピアノとメゾフォルテの使い分けが全くと言っていい程出来てない。ピアノ始めたての半年ぐらい前の方がまだ上手かったわよ、あの頃はちゃんと一音一音弾く事を意識していたから。でも今は鍵盤の扱いにも慣れて来た分、その辺りが雑。もっとダイナミクスを意識して弾きなさい」

「ぐっ」

「あと、難しい部分をいくつか省いて弾いたでしょ。なまじ耳が良いから聴き心地が良いようにしてる。アレンジとしては悪くないけど、私から言わせてみれば自分の力量不足を棚に上げて悪足掻いてるだけね、0点」

「ぐぅ……」

「それに何より、左手ね。利き手の方がやりやすいからって左がおざなりになってる。上手く弾けない事に自分で気付いてるからビビッてもたついてガタガタ。なのになまじ耳が良すぎるせいで『クラシックっぽく』弾けるから、普通に聴いてる私からすれば虚飾塗れもいいとこ。コンクールやったら入賞なんて夢のまた夢ね」

「勘弁してくれません?」

 

 淡々と酷評を実の母親に下されて僕は鍵盤の上に突っ伏してやりたくなった。なまじ自分でも下手だと理解してる分、そこを穿られると辛い。それでも母さんの酷評は全て正しいので、黙って受け入れるか耳を塞いで聴かなかったフリをするしかないのが余計にきつい。息子なんだからもうちょっと優しくしてくれてもいいんじゃないの?

 

「何言ってんの、私が息子を甘やかすタイプに見える?」

「見えません……」

 

 全体的に放任主義が目立つ母だが、やると決めた事は徹底的にやるタイプなのである。これがあるから幼い頃ピアノの練習が嫌になってギターをこっそり始めていたのだ。この人の下で勉強をしている大学生達が哀れに思えるよ。

 

「ま、今のを聴いただけでも、ピアノの練習は欠かしてないのは分かるわ。受験勉強しながらの練習の割にはちゃんと上手くなってるから、これからも続けていけばもっと安定する。精進しなさい」

「はい……」

 

 項垂れる僕の頭をぽんぽんと柔らかく撫でる母さんの手は、元ピアニストの手らしく、細くて硬い。一音もミスする事を許されない、厳しいクラシックのコンクールで戦い抜いたピアニストの手だ。

 

「それにしても、なんで急に私に教わろうと思ったの。珍しい。あんなに私に教わるの嫌がってたくせに」

「……」

 

 女の子にギターでコテンパンに理解らされたのでもっと技術を身に着けたいですとは言わない。言ったら絶対笑われる。

 そこでふと、さっき母さんが言っていた一言が気になった僕は頭を撫でられながら質問を返した。

 

「『骨で叩く』ってどういう事?」

「そのままの意味よ。指の肉じゃなく、骨の中心を意識するの。ロシア奏法って、教えた事なかったかしら?」

 

 母さんはそう言って、鍵盤の白鍵に置いたままの僕の右手の中指を、人差し指でつん、と叩いた。ちょうど第一関節の真ん中で、母さんの硬い骨と自分の骨がぶつかる感触があった。

 

「指にただ力を入れるんじゃなくて、指の骨の中心で叩く事を意識しなさい。鍵盤は打楽器なのよ。自分の骨で鍵を叩くの。特にフォルテを弾く時ね。骨で強くグランドピアノを叩くと、音に芯ができるのよ。このピアノもそれなりに音は出るから、試しに弾いてみなさい」

 

 言われるがままに僕は、白鍵の中心と指の芯が合うように、強く白鍵を打ち付けた。

 壁に備えられたアップライトピアノは、僕が想像している以上に強い音が響いた。

 音に芯が一本、ぴんと張ったような、根が伸びた小さな木の苗みたいな、そんなしっかりとした一音の響きのせいか、それとも白鍵を力いっぱい叩いたからか、僕の指が痛い程痺れさせた。

 僕が呆気に取られていると、母さんはどこか嬉しそうに笑った。

 

「他にも色んな弾き方を試してみなさい。撫でるようにタッチしたり、指の肉をクッションにしたり。そこが出来たら、次は腕の重みと芯も意識して。腕の重心を利用して演奏する、これをロシア奏法って言うの。シンセだとその辺りの音は上手く出ないから、ピアノの練習をするときは出来るだけこのピアノを使うように。そうすれば、もう少しましになるわ」

「……分かった」

 

 なるほど、シンセではできない演奏だ。ただ押し込めば望んだ音がいつでも同じように出力されるシンセサイザーとは違う、指への意識一つで音の質が全く別物へと変貌する。

 僕は改めて、ピアニストと言うのが如何に大変で偉大な職業なのかを痛感した。この白と黒の鍵盤、約80本を巧みに操る為に日夜戦っているのだ。

 

「後は左手ね。こればっかりは毎日練習して慣れさせるしかない。運指(フィンガリング)が左でも出来るようになれば、もっといろんな曲を弾けるようになるわ」

「ねえ、そこまでひどい?僕の左」

「ひどすぎて笑えないぐらい酷い。低音はピアノの命よ、左がダメなピアニストはもう全部がダメ。こんなのでよくステージに立てたわね?恥ずかしくないの?」

「泣いていい?」

「いいわけないでしょ、ピアノが汚れる。でも右は良い線行ってるわ」

「フォローありがと……」

 

 これだから母さんにピアノ教わるの嫌なんだよなぁ……。少し前に母さんから説教を受けた佐藤さんの気持ちが分かってしまった。

 

「まあ」

「ん?」

「和正は、昔あっさりピアノ止めちゃったから。こうしてまた、ピアノを教える事になるとは思わなかったわ」

 

 懐かしそうに感慨深く呟く母さん。そうしみじみと独り言みたいに呟かれると、改めて母さんから勧められたピアノから逃げてしまった事に罪悪感が沸いてしまう。僕は慌てて「ごめん。あの時は」と謝ろうとしたが、母さんは僕の謝罪を最後まで待たずに続けた。

 

「いいのよ。ただあの時のアンタには、ピアノは合わなかっただけ。それだけの事。それにこうやって今はピアノをしている。元ピアニストとしても、親としても冥利に尽きるわよ」

 

 それに、と母さんはいたずらっぽく笑いながら、こう付け加えた。

 

「それに、あんたは私とあいつの息子よ?いつか絶対、こっちに来てくれると思ってたわ」

「……うん」

「そう言えばアンタ、エレキ買ったんだって?後でそっちも聴かせて頂戴。一度してみたかったのよ、息子のギターを聴きながらゆっくりとコーヒーを飲むの」

「何が聴きたい?知ってる曲ならリクエストに応えるけど」

「じゃあね、小田和正の『さよなら』とか弾いてもらおうかしら。下手だったらタダじゃおかないから」

「無茶苦茶言いやがる……」

 

 こうしてこの日は久しぶりに、僕は母さんに言われるがままギターやピアノを弾かされた。まだピアノを母さんに教わってた頃、『月光』や『きらきら星』を言われるがままに弾かされた時以来だ。

 途中、奥田民生の『エンジン』をふざけて弾いていたら母さんが「歌ってみなさいな、ボーカルやれるんでしょ」と言うので試しに弾き語りを披露すると、「まだまだ」とだけ言って缶ビールを呷った。

 その後、珍しく酔った母さんはいつもの数倍上機嫌になって、僕と同じようにピアノで色んな曲を披露してくれた。母さんが僕の目の前でピアノを演奏するのを見るのは、やっぱり幼少期以来だったので、僕は絶対ボロクソ言ってやろう――そう身構えていた。

 けれどショパンのエチュード イ短調――通称『木枯らし』を暴風雨みたいに強いフォルテッシモで弾かれ、僕のそんな目論見は粉々に吹き飛ばされた。腰を抜かすんじゃないかと思えるぐらい上手かった。

 

「ピアノはこういう風に弾くもんなのよ。数年前に引退したババアのピアニストにも及ばないのよアンタは」

 

 母さんにそう笑われてしまい、悔しい事に僕は何も言い返せない。木枯らしとは思えない程のショパンを目の前で披露されてしまっては文句も何も言えないよ。

 その後は井上陽水の『心もよう』や『傘がない』をアレンジを絡めて弾いたり、途中からは僕もアコースティックギターを持ち出して荒井由実の『やさしさに包まれたなら』や『雨の街を』とかを混ざって弾いて、過ごした。不思議な事に、一緒に奏でている間、母さんは僕にいつもの酷評を下さなかった。ただ時々噴き出す様に笑っては、次から次へと飛び移るように曲を奏で始めるので、僕はそれに慌てて着いて行った。

 母さんがピアノを弾く傍らで僕がギターを弾くのは、実は今夜が初めてだったことに気付いたのはセッションを終えて布団に潜り込んだ時だった。

 ずっと音楽一家だったのに、母親とセッションをするのは人生で初めてだった事に今更僕は気付いた。喜多や先輩達と奏でる感覚とは違う、不思議な充足感が爪先から頭のてっぺんまで、血管を張り巡らす様に満たされている事に、ようやく僕は気付く。

 きっと何年経っても、時々この夜の事を思い出すんだろうなと思えるような、優しい夜だった。

 

 

 

 

 

 

*1
マイニューギア




作中に登場したバンド名&曲名
Kasabian - Club Foot
Led Zeppelin - Good Times Bad Times
       - Black Dog
Faces - Stay With Me
    - Ooh La La
Blind Faith - Presence of the Lord
Bob Dylan - Knockin' On Heaven's Door
ショパン - 木枯らし
井上陽水 - 心もよう
     - 傘がない
     - 帰れない二人
小田和正 - さよなら
奥田民生 - エンジン
荒井由実 - やさしさに包まれたなら
     - 雨の街を

 私こそがロックだ!(スネイル感)

 前回もたくさんの感想、評価、誤字報告、ここすき、Xでの感想ポストありがとうございます。低評価入れた人はFU【不適切な表現】ou。


 プロット通りに上手く書けないのはよく在る事ですが、最初は池袋のクソブッカー編を書いていたはずなのに前回のエピローグ的な話になっちゃいました。所詮書いてる人の想像力不足ですよーだ。でも登場人物が勝手に動き出すからねしょうがない。それと今日雨が降ってて井上陽水を聴きたくなっただけです。

 遅くなりましたが、ぼざろ二期おめでとうございます!ずっと応援し続けてた甲斐があった……。嬉しくてハッピーハッピーハッピーです。
 二期はついにヨヨコとSIDEROSが喋って動くのを見れる……でもアニメ勢でこの小説を読んでる人の中には「喜多知らを呼んでヨヨコのファンになりました!」とか言ってくれた人がいましたが、果たして原作と二次創作のギャップについて行けるのか、今から不安です。
 仮にギャップでやられても責任は取らないのであしからず。

 でも、ヨヨコのメタルを聴けるのは今から本当の楽しみですし、結束バンドの「グルーミーグッドバイ」が聴けるんだと思うと、まだまだやっていけるような元気が沸いてきます。頑張れクローバーワークス。
 あと、「ロックは淑女の嗜みでして」もアニメ化。
 来てる…!圧倒的ロックブームが来てる…!
 これを機に皆がロックをすこってくれることを祈ってます。




 次回は4月中にアップする事を目標に書いていこうと思います。まだまだ続くのでどうぞよしなに。



 
 ↓いつものコピペ宣伝

Xのアカウントでのんびり呟いてます。

X(旧Twitter)

 カーラジオと言う名義で作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりぼざろのイラストを無限リポストしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などで幸福度を上昇させてるので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
 


 それではいつもので〆させていただきます。

 
 感想もっともっともっと欲しいんだ……!
 高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


 
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