【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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命にふさわしい

 

 音楽を漁り始めて、最初に自分の小遣いで買ったアルバムは、Bob Dylanの『追憶のハイウェイ61』だった。

 当時、まだ小学生だった僕はなけなしの小遣いを握りしめ、近所のCDショップに直行し、たくさんのCDが並べられた棚からそれを選んだ。最初に選んだ理由は、ネットで検索したら『自由を尊ぶロックンローラー』と言う売り文句に惹かれたからだ。

 ディランの『Like a Rolling Stone』は英語も分からない幼い僕の心に突き刺さり、それから毎月、少ない小遣いをCDに費やす日々が始まった。僕のロックオタクのスタート地点は、ボブ・ディランだったのだ。

 The Beatles、Led Zeppelin、Mr.Big、Queen、Pink Floyd、Radiohead……メタルを除く古典ロックをあらかた掘り尽くせば次は現代へ。Coldplay、Muse、The Killers、Foo Fighters、Linkin Park、Kings of Leon。ヒットチャートに載っているバンドのCDはあらかた掘り尽くし。やがてヒットチャートの音楽だけじゃ満足できなくなり、インディーズバンドのCDも漁るようになった。ひどい時には日本では流通していないCDを海外からわざわざネットを使って取り寄せた事もあった。

 

 あの時の感動を、もう一度味わいたい。

 

 人間ってのは不思議な物で、最初は「この曲なら一生聴いていられる!」ってぐらい大好きな曲も、何回も何十回も何百回も何千回もリピートしていると、少しずつ感動が薄くなる。水で薄くしたカルピスみたいで、最終的には水そのものになる。

 もちろんその曲は、今でも時々聴いてる。人生二回目に転生した今世でさえ、発売日当日にレコードとCD両方を購入した。

 でも最初に病室で聴いた時の感動は、もう二度と味わえない。最初の出会いが、人生で一番最初に味わったあの感動は一回きりの特別な魔法で、その場限りの賞味期限付きなのだ。

 でも僕は我儘で貪欲だったから。空っぽで、壊れたロボットのように動かなかった僕の心を照らしたあのエネルギーを、もっと強い刺激を、もう一度。ただその一心だったと思う。

 振り返ってみると、まるで麻薬中毒者だ。音楽という快楽に取り憑かれた、哀れなジャンキー。さらに問題なのは、僕は普通の中毒者よりもずっと症状が重かったのだろう。飽きもせずひたすらに、音楽を漁り続けて飢えと渇きを癒そうとした。渇いたら次のアーティスト、次のバンド、次の曲へ……。

 そんな感じで一心不乱に洋楽に浸り続けていたものだから、高校二年生になる頃には「流行りのJ-POPより昔の洋楽聴いてる俺SUGEEEEE」とかほざく立派なイキリオタクに成り果てていた。僕の黒歴史である。

 そんな僕に見かねたのか、それとも単純に布教したかったのかは今となっては分からなかったけど、僕の唯一の親友がアルバムを僕にプレゼントした事があった。しかもJ-POPだった。

 

「J-POP?なんで今更僕に……そもそも、僕は根っからの洋楽派だって君も知ってるだろ?」

「そーだけどさぁ。言うじゃん、J-POPも聴く、アニソンも聴く……ロック、ポップ、クラシック、その他諸々全てを素晴らしいと感じ、血肉に変える度量こそ音楽には肝要だって」

「初めて聞いたよそんな事」

 

 範馬勇次郎を笑いながら引用する親友は、ゲーム漫画アニメ、ありとあらゆるジャンルを網羅する、ある意味僕よりやべーオタクだった。僕程じゃないにせよ音楽にも精通していて、時々僕が知らない曲を奨めてくる事が多々あった。

 

「まーまー!良いから聴いてみなって。この間の結束バンドのアルバムだってお前気に入ってただろ?」

「……まぁ、悪くはなかったけど」

 

 自他共に認める洋楽マニアの僕が素直に認めるのはなんとなく癪だった。だから、ぶっきらぼうにそう返したけれど、友人はただにんまりと嬉しそうに笑うだけで、僕はそれ以上悪態をつく気になれなかった。

 

「だったら大丈夫!絶対に気に入るからさ!」

 

 親友に促されるがままに、僕は受け取ったCDをお気に入りのコンポにセットし、曲を流した。

 

 ――結果から言えば、僕は見事にその曲に打ちのめされた。

 

 細く小さな木のように繊細で、それでいて風雨に晒され続けたかのようなざらついた声。切なさを孕みながらも、怒りを隠さない強いメロディー。心の表面をやすりで削るような、荒々しくもどこか悲しい詩。その世界観に、僕はただ呑み込まれるしかなかった。

 一応言っておくと、日本のアーティストを見くびっていたつもりはない。R&Bを広めた宇多田ヒカルも、平成初期に大衆から人気を勝ち取ったMr.Childrenも好きだったし、日本の音楽をまったく聴かなかったわけでもない。彼らの存在はリスペクトしていた。

 

 ――でも。

 

 心のどこかで、「日本の曲がビートルズやツェッペリンに敵うわけがない」とか、「僕の心を突き刺すような歌を歌うアーティストなんて、日本にはいない」なんて、そんなふうに思い込んでいたのも、また事実だったんだろう。

 洋楽至上主義だった僕のくだらない固定観念は、その曲によってあっという間に打ち壊された。彼らは、僕が知らなかった世界の音楽を届けてくれた。

 とっくにくたばった死人のアルバムや、日本に来る気配すらない海の向こうのミュージシャンたちの音楽だけじゃなく、ずっと身近にある歌にも価値があるんだと――僕はその日、初めて知った。

 ……とはいえ、それからというもの、J-POPや邦ロックにまで手を出し始めた僕は、他人から見れば「拗らせたオタクがさらに拗らせた」だけの存在でしかない。

 この状況を作り出した親友に、感謝すべきか、それとも悪態のひとつでも吐くべきか。僕は未だにその答えを見つけられずにいる。

 

「カズ君、これにしよ!」

 

 虹夏先輩が僕のCDラックから一枚のアルバムを抜き取り、曲を選んだその瞬間、僕の頭の片隅に前世の友人の顔がよぎった。

 

「カズ君?どしたの?」

「……あ、いや……なんでもないです。それより良いんですか?これで。ピアノとドラムの曲なら、Ben Folds Fiveの『Jackson Cannery』とかあるのに」

「うん。確かに、ピアノとドラムの為に編まれたみたいな曲もあるけど……。私、この曲が好きなんだ。寂しくて、氷みたいに冷たいのに、綺麗で……」

 

 何かに思いを馳せるように、寂し気な表情で呟く虹夏先輩を見て、僕は「そっか」と思った。「分かる」と思った。

 その曲が好きで、その曲を練習したいならしょうがない。ついでに言えば僕もその曲は好きで、いつか練習したいと思っていたし。

 それだけでいい。僕らはやりたいと言う気持ちを燃料に、音楽をやっているのだから。

 

 amazarashiの『命にふさわしい』。

 

 前世じゃ、僕はただ椅子に座って聴いているだけだった。彼らの叫びをただ受け取り、自分の内に秘めてそれを外側に放出する事もせず、ただ心の奥底にしまったままだった。

 でも、今はもう違う。

 今は彼等と同じようにステージに立てる。音楽を奏でられる。

 僕はこの曲に相応しい演奏をしたいと、心の中でそう祈った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 空腹を報せる腹の音が大音量で鳴ったかと思ったら、案の定その音の発生源はリョウさんだった。

 

「もっとライブしてお金稼ぎたい」

 

 受付で頬杖を突きながらリョウさんがぼやくと、それに続くように再び大音量の空腹を訴える音が響く。

 

「いきなりなんですか、リョウさん。バイト中にそんな事ぼやいても、給料は降ってはきませんよ」

 

 STARRYの入り口になる階段を箒で掃除しながら雑に返すと、リョウさんはだん!と拳をテーブルに突き立てた。

 

「三食全て野草で過ごす人間の辛さが……血も涙もない借金取りにはこの苦しみは分かるまい……『そろそろセミとか食べなきゃいけないかな』と選択の余地もない人の気持ちは……!」

「分かりたくねーよ」

 

 およよとウソ泣きしているが、この人、つい先日僕と後藤が借金を取り立てたのに、それに懲りず豪遊していた。昨日なんか自慢げに新しいイヤホンとウォークマンを買っただの見せびらかしていた。要は自業自得。

 

「カズ、今日の夕飯食べに行って――」

「忙しいから無理です」

「……カズは私の事、嫌い?」

「メンヘラみたいな事言わないでくださいよ……」

 

 棄てられた子犬みたいな目で僕の良心に訴えかけないで欲しい。僕が悪者みたいな気分になるだろ。

 

「だからしばらく家に来ないでって言ってるじゃないですか。今ピアノとかギターを真剣に練習してるからって」

 

 少し前にマイニューギアを買った試し弾きで後藤とセッションをしてみた所、自分のギターが下手だと思い知らされたので、ここ数日は真剣に自分の練習に時間を費やしてる。普段出張ばかりしている母さんも、最近は関東を中心に仕事があるらしく大学に泊まり込んでいるらしい。

 昨日も服や荷物を取りに帰ってきて、ついでにと僕にあれこれ指導をしてくれた。おかけで左手の使い方や強弱は前よりだいぶマシになった……らしい。母さん曰く「まだまだヘタクソ」らしいが。

 ともかく、今の僕は自分の事にかかりっきりでリョウさんの面倒を見ている暇がない。なので当面の間、僕の家への立ち入り禁止令を発令した……と言うのが、今回のことの経緯である。

 

「私が可哀想だとは思わんのか」

「別に思わないよ」

「郁代には普通に出入りさせてる癖に、差別ヨクナイ。特別扱いヨクナイ」

「いや、別に喜多を特別扱いしてる訳じゃ……」

 

 ていうか、最近の喜多は僕の家に来ない。いや、まったく来ない訳じゃないが。

 学校がある日は朝になれば「カズ君、朝よ!学校へ行きましょう!(キターン!)」と頼んでもいないのに起こしに来るし、土日も「カズ君、休みよ!一緒に街歩きに行きましょう!(キターン!)」と僕の家に突撃しに来る。

 でも、前みたいに夕飯を食べたり、宿題を片付けたり、一緒に音楽鑑賞会をしたりっていうのは少なくなった。バイトや練習が終わるとまっすぐ家に帰ってしまう。

 いやまあ、これが普通なんですけどね?もう一年以上、ほぼ毎日家に来るのが当たり前になってたせいで、すっかり感覚がバグっているな。

 ……それにしても、喜多の用事ってなんだろう?

 何の用事か訊いても「な、なんでもないわよ!カズ君には内緒!」とか言われてはぐらかされてしまったが。自主練習に時間を割きたい僕にとっては有り難いけど……。

 

 ……ひょっとして男か?

 

 いや、まさか喜多がな。中学の時はクラスの男子を魅了しまくってたけど、結局そう言う浮ついた話は出てなかったし。でも喜多は根っからの男殺しの女王様(キラークイーン)だから、普通に彼氏とかボーイフレンドとか知らない間に作ってもおかしくなさそうだし……。

 

「カズ、どうしたの。不安そうな顔して」

「別に不安そうな顔なんてしてませんけどっ?」

「声裏返ってるよ」

 

 僕の心情を知ってか知らずか、リョウさんは益々不機嫌そうに溜息を吐くばかりだった。

 

「カズがこんな薄情者だとは思わなかった。結束バンドの為に出来る事はするって言ってたのに、あの誓いはどうしたの?もっとマネージャーの自覚を持ってくれないと困る」

「自覚って……」

「最近のカズはせいぜい私の昼の弁当を用意してくれたり動画編集したり音源を編集したりしかしてないじゃん」

「めちゃくちゃ貢献してるだろ!」

「私に一生飯を捧げたいんだって、あんなに熱く語ってくれたのに……」

「別にリョウさんの専属マネージャーになった覚えはないんですがね!」

 

 勝手に記憶を捏造しないで欲しい。

 

「冗談はさておいて……。カズ、もっと知名度を広げる為にもライブをしなきゃ」

 

 さっきまでのふざけた態度を潜めたリョウさんは、僕に真剣な顔を向けた。

 

「今、私達のバンドは勢いがノリ始めてる。ぼっちの演奏も今までよりずっと安定して実力を出せるようになりつつあるし、郁代も最近上達が凄まじいし。この流れを途切れさせたくない」

 

 結束バンドのライブから2週間が過ぎた。僕らがあの夜に蓄えた熱が、腹の底にずっと放出されずに留まり続けている感覚があった。それをどこに吐き出せばいいのかも分からないまま、日々が流れている感覚がある。

 STARRYと言う小さな箱がパンク寸前まで客が集まり、結果的には黒字で大成功。初ライブとしては最高のスタートダッシュを切る事が出来たとは思う。けれど、問題点がなかった訳じゃない。

 

「箱が満杯になるほど客を集めても、あれはほとんどが身内だった。私達は独力で客を集めて稼げるようにならなきゃ。あれを続けても、私達の次に繋げられない」

「次に繋ぐ……」

 

 バンドの解散と言う憂き目を経験していたリョウさんらしい、厳しくて、そしてどこまでもその通りな正論だった。

 ライブを1回成功させればそれで終わり、という訳じゃない。どんどんライブをして知名度を広げていかなければ、バンドはいずれ停滞し、そのまま風化するように消えてしまう。常に走り続けて行かないと、どこかで失速し墜落する。何万と言うバンドがメジャーデビューを目指すこの世界で、大半が辿り着けずに燃え尽きる。それが音楽と言う世界だった。

 

「新曲も出来てきてるしネットに動画をアップするのもいいけど、やっぱり箱で演ってどんどん稼いでいかないと首が回っていかない。カズ、この辺で演れそうな箱、見つかったの?」

「……一応、色んなライブハウスに交渉してみてはいるんですけど」

 

 バズっていない学生バンドを演らせてくれるライブハウスは多くはない。一応デモ音源を送ったり、僕が直接交渉に行ったりしているのだが、今の所芳しくはない。中には僕が高校生のガキと言うだけで門前払いしてくるブッカーもいたぐらいだ。

 そもそも、大して蓄えがない僕らがSTARRY以外の箱でライブをするのもハードルが高い。設備は良くてもノルマ代が馬鹿高いライブハウスだったり、交通の便があまりよくなかったり、箱が大きすぎて僕らの集客力ではノルマを達成できない危険があったりと、色んな要因が重なって未だにライブが出来る場所を見つけられていないのが現状だった。

 

「喜多の友達や中学のクラスメイトに声を掛けるのも良いけど、あれはあまり多用したくないですしね」

 

 声を掛ければ彼らはきっと何度もライブハウスに来てくれる。でも、彼等だって学生で、使えるお金は限られている。毎回のようにノルマに協力させるのは忍びない。

 

「……やっぱり、必要なのはお金か」

 

 リョウさんが溜息を吐きながら気怠そうに受付の背もたれに身体を預けた。結局、この問題に戻ってきてしまう。まさに堂々巡りだ。

 

「当分はSTARRYで地道にやらしてもらうしかないですね」

「だね。分かってたけど、もっと楽に稼げないかな。ノルマ代免除で箱が300人ぐらい入るライブハウスからオファーが来たりしないものか……」

「来たら苦労しませんよ」

「早く稼げるようになってこの野草生活から抜け出したい……」

「そっちが本音かよ……」

「二人共ー!サボってたらダメだよー!」

「「うぃー」」

「もうちょっとやる気のある返事してよ!」

 

 虹夏先輩に注意され、僕達は会話を中断しそれぞれの作業に戻った。

 

「ん?」

 

 それからしばらく経って、STARRYが開店しライブが始まった頃。

 僕のスマホに一通のメールが届いた。差出人は――佐藤さんからだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は少し戻り、4月1日。結束バンドのライブ当日に遡る。電話での応対を終えた僕は簡単な作業を終えて受付に入った。

 STARRYの受付は、客側からは見えないようにこっそり足元に菓子や飲み物、漫画雑誌が置かれている。大体がリョウさんが持ち込んだ私物だが、女の子らしい可愛いボールペンやマグカップが隅に置かれていて、喜多や虹夏先輩の痕跡が感じられた。

 僕は大抵、力仕事が必要な裏方作業だったり、PAさんの補助をするアシスタントが中心なので、受付に入るのは久々で少し緊張する。後藤?後藤は受付するとビビッて融けるので基本ドリンクか裏方だ。

 時計を見ると、開店までもうあと少しだった。ホールからは今日のラストのバンドが鳴らしている。リハーサルも順調に終わったみたいだし、ここまで大きなトラブルもない。変なミスしないように少し気を張らないと。

 そんな事を考えていると、STARRYの入口の扉が普段より割増で勢いよく開いた音がした。受付から扉の方を見ると、ぽいずんやみ、もとい佐藤さんが大股でずんずんとこっちに向かってきた。心なしか鼻息が荒い。

 

「来たわよ!」

「うわ」

「うわって何よ。こちとら客よ?レビューに星1着けちゃうわよ?」

「その恰好思い出すんですよ、初対面の時の事」

 

 佐藤さんの今日の格好は、仕事モードのキャリアウーマンスタイルではなく、ピンク色のロリータ系ファッションだった。これが驚くことに、本人の童顔とめちゃくちゃ合っていて、パッとみたら学生に見えなくもない。

 けれど実年齢を知っている僕にとっては言っちゃあれだけどどうみても痛すぎるファッションにしか見えない上に、初対面の時も似たような格好をしていたのでどうしても待ち伏せされた時の事を思い出してしまう。そりゃ「うわ」ってなるよ。

 

「いいでしょ別にオフのファッションぐらい好きにしたって!」

「いやまあそうですけど……ていうか佐藤さんがオフ?珍しい」

 

 母さん程じゃないけど、佐藤さんはよく全国各地のライブハウスを渡り歩いているので、結構忙しそうにしているイメージがある。けれど僕の一言に佐藤さんは更に憤慨した。

 

「アンタが今日の取材はなしって言ったんでしょ!」

「……あ、あぁ~……」

「何よその顔」

「いや覚えてましたよ、全然覚えてました」

「覚えてない奴の定型句じゃない!」

 

 2ヵ月近くの前の事なんですっかり忘れていた。僕は自分の気まずさを誤魔化すように咳払いしつつ、今にも噛みついてきそうな佐藤さんに向き直る。

 

「はい。じゃあ何のバンドを観に来ましたか?」

「結束バンド!」

 

 若干棒読みな僕の受付に、佐藤さんは苛立ち混じりに僕にチケットを差し出してきた。そのチケットは前回会った時、僕が自腹で渡した前売りのチケットだった。

 僕がそれを受け取ると、佐藤さんは「ああ、待って」と言葉を挟んだ。ドリンクチケットを取り出そうとした僕の手が止まる。

 

「あれ、どうしました?」

「付き添いが一人いるのよ。もう一枚用意して」

 

 そう言って佐藤さんは後ろを振り向いた。

 釣られてと見ると、佐藤さんの後ろにもう一人の女性が立っている事に遅くなりながらも気付いた。

 

「こんばんは」

 

 その人はぴんと背筋が伸びた、キャリアウーマンだった。肩を越えるぐらいまで伸びた髪、きちんと清潔感が漂うスーツ。まるで六本木辺りを歩いていそうな、やり手の女性社会人を思わせる雰囲気を漂わせている大人の女性だった。

 

「あなたが井上さんですね?佐藤さんからよく話は聞かされてます。生意気だけど見所がある少年だと」

「ちょっと!あたしそこまでこいつの事褒めてないんだけど!?」

「えっと、どなたですか?」

 

 僕が恐る恐る尋ねると、その人は「ああ、失礼しました」と小さく頭を下げ、懐から名刺ケースを出すと手のひらサイズの小さな紙を差し出してきた。

 

「私、ストレイビートと言うレーベルのマネージャーをしている、司馬都と申します。今日はやみさんの紹介で結束バンドのライブを観に来ました。当日券を1枚、お願いしてもいいですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 午前9時、まだ準備中のSTARRYの前に向かうと、虹夏先輩がそわそわしながら僕を待っていた。

 

「ふぁああ~!緊張するよカズ君!」

 

 手をばたばたさせながら、嬉しそうに虹夏先輩が言った。肌から泡立つ喜色を堪え切れないように、さっきからどうにも落ち着きがない。

 いつも練習やミーティングで観るパーカーにホットパンツと言うラフな格好ではなく、今日の虹夏先輩は清潔そうな白のシャツに紺色のロングスカートと言う余所行きのカジュアルなファッションだった。

 

「どんだけ楽しみにしてたんですか」

「だってだって!レーベルだよ!まさかレーベルの人に呼ばれるなんて!浮かれるなって言う方が無理に決まってるじゃん!私昨日カズ君に連絡貰ってからほとんど寝れてないんだからね!?」

「いや、話をしたいって言われただけですよ?レーベル所属のスカウトとか、そう言う話が出た訳じゃ……。それにメインはネット記事の簡単な取材ですよ」

「そうだけどさ!」

 

 興奮混じりに僕の肩をべしべしと叩いてくる。痛い。

 

「逆にカズ君はなんでそんなに落ち着いていられんの?ほんとに私の一つ下?」

「一つ下ですよ」人生二周目、という注意書きは着くけども。

 

 結束バンドのチャンネルを設立したついでに作ったメールアドレス。そこに佐藤さんからメールが届いたのは二日ほど前の事。

 件名は『結束バンドの取材依頼』。

 佐藤さんは「ぽいずん♡やみ」と言う珍妙なペンネームで音楽記事を執筆するネット記事のライターだ。以前から結束バンド――と言うより、ネットで活動しているギターヒーローこと後藤ひとりと、二年前に合唱コンクールの動画をバズらせた喜多に目を着けていたので、ここらで一度顔を繋げておこうと言う魂胆なのだろう。

 僕はこのメールを虹夏先輩に転送し、すぐに取材を受けることを決めた。最近、あの人のネット記事は評判が良く多くの読者に読まれている。うまくいけば結束バンドの知名度も上がるはずだ。認知度が広がれば、新たなファンを獲得するきっかけにもなるし、STARRY以外のライブハウスからオファーが来る可能性もある。断る理由を探す方が難しい。

 なので最初、メンバー全員で佐藤さんの取材に参加し、ばっちり記事を書いてもらおうと画策していたのだが、返事のメールで状況が一変する。

 

『ストレイビートの司馬が、あんたとバンドのリーダーに話があるってさ。詳しくは直接会って伝えたいみたい。バンドリーダーは確かドラムの子よね?その子に時間があれば来て欲しいと伝えておいて』

 

 司馬都さん。多分、以前佐藤さんが話していた『レーベルのツテ』と言うのが、ストレイビートの事なのだろう。そのレーベルで働いている司馬さんが、僕ら結束バンドに興味を持っている。メールを読み終えた時は驚いた。

 観客席で少し話した限りでは、真面目で悪い人ではなさそうだった。「仕事終わりに佐藤さんに誘われてきたんです」と言っていたのでそれ以上話す事は出来なかったが。

 

「れ、レーベル?取材だけじゃなくて?カズ君本当!?嘘じゃないよね!!?」

 

 LINEで説明すると、虹夏先輩の興奮はあっという間に爆発した。

 佐藤さんの取材だけでなく司馬さんが出張ってくるとなると話が変わってくる。レーベル関係者がライブを観に来て、さらに佐藤さんを通して連絡までしてきたとなると、やはり事務所所属のオファーなのでは、と期待してしまう。虹夏先輩が浮足立ってしまうのも無理はなかった。

 

「う~ん……!でもやっぱりドキドキするよ。バンド発足から半年、地道に毎日練習して動画撮ってアップし続けた甲斐があったなぁ……太ももフェチの人から『太ももおおおおお』ってコメント来ても、今ならそれすら許せる気がするよ……」

 

 ほわほわとした表情で語るが、言葉の節々にちょっと怨念が込められているのが感じた。やっぱりあのコメント、通報しておくべきだったかな。

 

「とりあえず行って話を聞きに行きましょ。今後の活動方針に影響があるかもしれませんし。あ、リョウさんには言わないで来ましたよね?」

 

 ちなみに、今日僕と虹夏先輩がストレイビートで取材を受ける事を知っているのは、喜多と後藤だけ。リョウさんには一切教えてない。

 

「うん。喜多ちゃんとぼっちちゃんには一応個別に分けて連絡したけど……そういえば今日取材受けるの、私だけでよかったの?」

「大勢でいきなり押し掛けるのもあれですし、佐藤さんもリーダーの虹夏先輩が来てくれれば十分だって話してくれてたので。それに、取材とかレーベルから話が来たとかリョウさんに言ったら早とちりしてハイエンドベースとか買って来そうじゃないですか」

「うーん、確かに!」

 

 そう言う事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストレイビートはSTARRYから徒歩10分と言うご近所にあった。

 

「ここ……かな」

「ここ……ですね」

 

 古いレンガビルの二階。昭和に建てられたであろうその建物は、遠目から見ても年季が入っていて、ぶっちゃけた話ボロかった。

 

「す、すごいねこれ……下北もそれなりに古い街だけど、ここまで年季が入ったのはなかなかないよ」

 

 大丈夫かここ。壁にひび入ってるし、さっきから堂々とドブネズミが地面を徘徊しているぞ。

 以前ネットで調べてみたら僕でも知ってるバンドがいくつか所属してるし、最近だと『クリムトの夜』という新人だけど実力があるユニットはストレイビートが発掘したって言う話だったから、それなりに実績がある企業だと思ったんだけど……。インディーズレーベルだからこんなもんなのか?

 案の定、エレベーターなんて大層なものはついてないので階段を上っていくと、オフィスの入り口に見知った顔が僕らを待ち構えていた。佐藤さんだ。今日はレディースのスーツを着た、ばっちりとした仕事モードだ。

 

「こ、こんにちは!」

 

 虹夏先輩が若干緊張した面持ちで挨拶をすると、佐藤さんは小さく頭を下げた。

 

「こんにちは、結束バンドさん。本日は取材に応じて頂きありがとうございます」

 

 うわ気持ち悪っ……と思わず口から零しそうになったのを、ぎりぎり喉の辺りで押し留めた自分を誉めたい。

 

「あ、ど、どうも、ご丁寧に……」

「私がライターのぽいずん♡やみです」

「……なんて?」

「虹夏先輩、確かに珍妙なペンネームですけど、間違ってないですよ。この人です、今日取材してくれるライターさん」

 

 顔に疑問符を浮かべている虹夏先輩とは対照的に、佐藤さんは虹夏先輩の反応が予想外だったのか額に青筋を浮かべて僕に刺々しく睨みつけてきた。

 

「ちょっと和正、あんたどんな風に私の事を伝えたのよ?」

「僕は反町隆史ファンのライターだよって言いましたけど」

「その言い方100パーセント誤解するじゃない!私のペンネームぐらいちゃんと伝えなさいよ!」

「じゃあなんですか。元々僕をストーキングしてきたクソ記事ライターだって言えば良かったんですか?」

「言うんじゃないわよ私の黒歴史を!」

 

 僕の返しにぽいずんやみの猫かぶりは直ぐに剥がれ、佐藤さんの素が顔を出してきた。そうそうこういう感じだよな佐藤さんって。仕事モードの佐藤さんは正直に言うと鳥肌が立つくらい気持ち悪いのでこっちの方が助かる。

 

「先輩。こんな感じの人なんで、別に緊張する必要ないでイデデ」

「あんたは一度、年上の人間に対する口の利き方を教えなきゃいけないみたいね……!」

 

 ほっぺたを指でつまみながらがみがみと佐藤さんは僕の耳元で毒を吐き始めた。

 

「なんか……想像してたのと違った」

 

 引き攣った笑みを浮かべて虹夏先輩はそうポツリと零した。

 佐藤さんは「あんたは前から思ってたけど色々雑なのよ目上の人への態度が特に!」とか「先生の息子さんじゃなかったら絶対関わんなかったクソガキ!」とか散々文句を噴出させて、やがて満足したのかそれとも不満を出し切れたのか、小さくため息を吐いて虹夏先輩に向き直った。

 

「……ごめんなさい、取り乱した。もう取り繕うのも面倒だから、このままの口調でいいかしら?」

「あ、は、はい。大丈夫です……やみさん?」

「そう呼んで。私は虹夏さんでいい?」

「は、はい。えっと、カズ君とは……?」

「こいつには少し前からネット記事の校正を頼んでるの」

「へぇ~……」

 

「なんで教えてくれなかったの」と言わんばかりにじとーっとした粘着質な目で僕を睨みつけてくる。これは後でお小言を頂きそうだ……。

 

「こいつはあたしのペンネームをダサイとか珍妙過ぎるとか言うけど、キャラ付の為に試行錯誤して付けた名前だから、今じゃ愛着あんのよ」

 

 佐藤さんは虹夏先輩に握手を求めながら言った。

 

「あははー……確かにキュートですね!」

 

 正直私も珍妙だと思った……って顔してるな、今の虹夏先輩。おずおずと虹夏先輩が握り返すと、佐藤さんは僕の方を睨みながら溜息を吐いた。

 

「さっきストーキングとか言ったのは聴かなかった事にして、見解の相違だから。そうよね?」

「いやあれはどう考えても佐藤さんが――イッテェ!」

「とにかく、中に入って頂戴。司馬ももう待ってるから」

「あ、はい……」

「いってぇー……チクショー……今度の記事ボロクソに修正してやる」

 

 蹴られた向う脛を擦りながら、僕は佐藤さんへの小さな復讐を考えつつ、二人の後ろを追って中に入っていく。

 

「ねえ、ほんとに大丈夫なのこの人?癖が強すぎるペンネームとか、ストーキングとか、一気に不安になってきたんだけど……」

 

 虹夏先輩はさっきまでのうきうきの表情とは打って変わって、僕にしか聞こえない声量で不安気に問いかける。ちらちらと前を歩く佐藤さんの背中に視線をやりながら。

 

「大丈夫ですよ。元々炎上体質ですし、口は悪いですし、僕の事を舐めてるのはいつも通りですし」

「一個も信用できる要素ないんだけど……」

「でも、ちゃんと仕事をする人ですよ」

 

 それは1年間近く、佐藤さんの記事を通して関わって来たからこそ知っている物。僕とはスタンスも何もかもが違うけど、佐藤さんは本当に音楽が好きでライターをしている。その事実だけが、犬猿の仲である僕と佐藤さんをビジネスライクに繋ぎ留める。

 

「それだけは信じて大丈夫ですよ」

「……分かったよ」

 

 虹夏先輩は渋々と言った感じで溜息を吐き、そのまま歩みを進めていく。

 ストレイビートのオフィスは、外面はボロボロだったけど中は清潔感がある綺麗なオフィスだった。

 

「へぇー、中は結構綺麗で」

「あ、ダメよそこ入っちゃ!……ったくもう。司馬は片付けらんないのよ」

「……なるほどね?」

 

 隣の部屋は見なかった事にしよ……。

 僕達は客用の会議室に案内され、中に入ると奥の会議用テーブルに一人の女性が座って待っていた。司馬さんだった。初対面だった時と同じく、ぴちっとしたスーツで厳かな雰囲気を醸し出している。僕らが部屋に入って来た事に気付くと、司馬さんは見惚れる程綺麗な所作で虹夏先輩に名刺を差し出した。

 

「初めまして。本日はご足労頂きありがとうございます。私、ストレイビートの司馬都です」

「は、初めまして!結束バンドの伊地知虹夏です!」

「マネージャーの井上和正です。あ、これ名刺です」

「カズ君名刺なんて持ってたの!?」

「昨日作りました」

 

 先日、司馬さんに名刺を貰って「作って置いた方がいいかなー」と感じたので、念のために刷っておいたのだ。これも前世で取った杵柄と言うか、社会を生き残る為に叩き込まれたマナーと言うか。

 

「そういえばあの時、連絡先を渡してなくてすみません。電話は自分のスマホに直通で、メールはバンド名義の物なんで基本どっちかに掛けてもらえば」

「ご丁寧にありがとうございます」

「虹夏先輩はバンドのリーダーなんで、先輩名義の名刺も刷っておきますね」

「え?あ、うんよろしく!」

「出来るマネージャーさんですね」

 

 名刺を交換しながら司馬さんはそう言ってくれた。本職の人に褒められると少し嬉しい。

 

「それじゃあ、まずはあたしの取材からさせてもらうわ。ボイスレコーダーで記録するけど、大丈夫かしら?」

「あ、はい!大丈夫です!」

「それじゃあ、始めていきましょ。和正、あんたには基本質問しないけど、何か気になる事があったら普通に口を出していいから」

「了解です」

「では、私は飲み物を用意しましょう。3人は先に始めてください」

 

 こうして、結束バンドの初の取材がスタートした。

 

「それじゃあ、まずはバンド結成の経緯を教えてもらっていいですか?」

「あ、はい。最初はベースのリョウ……えっと、山田リョウと」

「大丈夫よ。呼びやすいように砕いて話して大丈夫だから。文字起しする時にその辺りは調整するから安心して好きに喋って」

「わ、分かりました。えっと、私達結束バンドは、最初リョウと喜多ちゃんが――」

 

 取材は、初めて受ける割にスムーズに進んだ。これは多分、佐藤さんの喋り方が上手なのだろう。口は悪い人だけど、仕事モードの佐藤さんは虹夏先輩が慌てたり緊張しないよう、ゆっくりとしたテンポで丁寧に質問を重ねていく。

 時々なんの関係もない話題を振ったり、音楽業界の裏話とか雑談を交えて佐藤さんは会話をリードしていった。渡り歩く様に繰り返される質問と返答の応酬は、傍で聞いてるだけの僕も集中して聞いてしまう程だった。ライブハウスで働いている虹夏先輩も共感できる話題が多く、途中から虹夏先輩も緊張が抜けて自然体になっていき、20分も経つ頃には虹夏先輩からも積極的に言葉を交わしていくようになった。

 そしてぽんぽんと会話を進めていく中、佐藤さんは忙しなく右手を動かしてメモを取り続けていく。気づけば時間はあっという間に過ぎていき、佐藤さんのメモ帳は文字の空白がなくなるほどびっしり書き込まれていた。

 

「音楽スタイルとしては、エモを追求したバンドにしていきたいと思ってます」

「つまり、オリジナル曲を中心にこれから活動を続けていくと?」

「はい!でも、Youtubeの動画を観てもらえば分かる通り、ジャンルとかは特にこだわらずに色んな曲を練習しているので……最近はアジカンとか、私達が好きな歌をカバーできるように練習しているので、自分達が楽しめる音楽を奏でていければなって思ってます」

「ふむふむ……なるほど、オッケーね!これで今日の取材はおしまい。お疲れ様!」

 

 そう言って佐藤さんがレコーダーのスイッチを切ると、緊張の糸も切れたのか、虹夏先輩は晴れやかな表情で椅子の背にもたれかかった。

 

「ふぅー……緊張したー!」

「お疲れ様です、虹夏先輩」

 

 テーブルに置かれた紅茶はとっくに空になっていた。時計を見ると、もうすぐ一時間過ぎようとしている。結局、僕が口を挟む隙間もなく、二人の話をただ聞いてるだけになってしまった。これ、僕がいなくても良かったんじゃないか?

 

「ううん、カズ君が居なかったらもっと緊張してたと思うし……いてくれてよかったよ、ありがと」

「そうですか?ならいいんですけど。それにしても佐藤さん、本当にライターみたいでしたね」

()()()って何よ、失礼ね」

「実際の現場で佐藤さん見るの初めてですし。母さんに鍛えられたおかげですかね?」

「……あんまり思い出させないで頂戴。今でも時々悪夢で観るのよ……」

 

 げんなりとした表情で佐藤さんは溜息を吐いた。どうやら僕が知らない所で、相当母さんに絞られたらしい。ちょっと申し訳ない気持ちになった。母さんの厳しさは僕も嫌という程よく知っているから。

 

「記事が出来たら和正にチェックしてもらって、それからネットに掲載するわ」

「取材費とか今日の報酬とかはどうなるんですか?」

「今回は個人ライターのあたしがバンド側に取材を依頼したと言う形になるから、基本あたしの自費と言う形になるわね。バンドへの報酬は、無料でネットに広告した、という形にしてくれると助かるのだけれど」

「それで大丈夫です。虹夏先輩も今回はそれでいいですよね?」

「う、うん。宣伝をしてくれるなら、私達としても願ったり叶ったりだし」

「オッケー。ちゃんと良い記事書くから任せて頂戴。近い内にまた結束バンドのライブか、練習風景を撮らせてもらう為にアポを取るから、そのつもりで」

「分かりました」

 

 その後も簡単に取材スケジュールを取り決め、佐藤さんは手帳に予定をすらすらと書き込んでいった。

 

「本当ならちゃんと金銭でやり取りするのが一流だって、先生には言われたけど……。私はまだ二流だから、今回はこれで勘弁して頂戴」

「あの、さっきから先生って誰?カズ君の知り合い?」

「僕の母さん。音楽教授で、佐藤さんは元教え子。その縁で、佐藤さんの記事を校正させられているんです」

「なるほどねー……。そういえばカズ君のお母さん、音楽の先生だって言ってたね。何の楽器をやる人なの?」

「僕のピアノも母さんに教わったんですけど、ギターとかドラムとか、楽器はあらかた弾ける人です」

「へースゴい!なら私もドラム教えてもらおうかな」

「やめた方がいいですよ。死にますから」

「死ぬの!?」

「バチクソに厳しいんですよ」

「カズ君がそこまで言う程?」

 

 虹夏先輩が信じられないように言うが、僕と佐藤さんは真剣に頷いて返す。マジで死ぬよ、心が。

 

「一区切りつきましたか?」

 

 すると、奥の椅子に座って僕らの話を聞いていた司馬さんが佐藤さんの隣に移動してきた。

 

「待たせて悪かったわね、司馬」

「良いですよ。将来有望なバンドといつも顔つなぎしてくれて助かります」

「……」

 

 有望なバンド、と言われて頬がにやける虹夏先輩の横顔が見えた。

 

「伊地知さん、井上さん。本日は時間を作っていただきありがとうございます。佐藤さんが『結束バンドに取材を依頼する』と言っていたので、場所を貸す代わりに私も顔つなぎをさせてもらおうと、今回は同席させていただきました」

「ど、どうも……」虹夏先輩がガチガチに肩を強張らせながら頭を小さく下げる。

「弊社は基本的に、ネットやライブハウスで活動するバンドやユニットと契約し、レコーディングやサブスクなどをプロモーションさせて頂いてます。場合によってはフェスやCM出演等も。伊地知さん……と言うより、結束バンドの皆さんは今後、レーベルに所属する気はありますか?」

「え、あ、ひょ、ひょっとしてここに所属させて頂けるって事ですか?」

「いえ、無理です」

「えっ」

 

 虹夏先輩が期待を込めた目で司馬さんに問いかけたが、返ってきたのはバッサリとした冷たい返しだった。冷水を頭から掛けられたように、虹夏先輩が固まる。

 

「結束バンドの皆さんは、まだ弊社がスカウトする基準に満たしていないのです」

「え、えっと……つまり?」

「知名度が足りないのよ、今の結束バンドはまだ」

 

 僕が恐る恐る尋ねると、隣で冷めた紅茶を飲んでいた佐藤さんが口を開いた。

 

「今のメンバーだとまだ1回ライブハウスでライブをしただけ。おまけに前のライブ、客の大半は知り合いがほとんど。それじゃあまだレーベルに所属は出来ないわ。動画チャンネルは登録者数が少し多いけれど、今の所、実績が何もない無名と言っても差し支えがないもの」

 

 ぶっきらぼうで乱暴な言い方に僕は少しムッとするが、佐藤さんの言う事は1から10まで正論だったので、僕は口を噤むしかなかった。

 

「それに、私はまだ入社してから一月にも満たない新人なので。新しいバンドにオファーを出せる程、権限を持ち合わせていないのです」

「……へ?」

 

 信じられない一言が司馬さんから飛び出し、僕と虹夏先輩は目を丸くして話を少し止めた。

 

「え、ちょっと待ってください。入社1月目?司馬さんが?」

 

 僕と虹夏先輩は困惑を隠せず縋るように佐藤さんを見るが、佐藤さんは呆れたように首を振るだけだった。

 

「そうですよ。私、これでも今年から新社会人です。絶賛試用期間中です。イエーイ」

「こう見えてもこいつ、私より年下なのよ……」

「えぇ……バリバリのキャリアウーマンだと思ってた……」

 

 顔色一つ変えないまま両手でお茶目にピースを作る司馬さんは、どうやって見てもやっぱり入社数年目のキャリアウーマンにしか見えない。年齢詐称?いや、この見た目で新社会人とかバグでしょ。アラサーって言われても全然違和感ないのに。

 

「よーするに老け顔――ぐえっ」

「童顔の佐藤さんに言われたくはありません」

 

 佐藤さんが突然苦しそうに脇腹を抑えて悶絶している。見事なエルボーだ。僕じゃなきゃ見逃しちゃうね。

 

「こほん……私が皆さんに声を掛けさせていただいたのは、今後どのように活動するのかお聞きしたかったからです。期待させてしまったのなら、申し訳ありません」

 

 うーん、やっぱりか。分かっていた事だが、改めて本職に言われると、道程は遠いと突き付けられる。

 僕も佐藤さんから「レーベル勧誘の話ではない」と予め伝えられていたので、理解はしていた。でも僕も心の中のどこかで、「ひょっとしたら勧誘されるかも」と言う期待があったのも事実だ。

 今のところ、個人で録音や撮影は出来ているが、企業のバックアップがあればもっとクオリティを上げられる。所詮素人のレコーディングと本職のレコーディングとでは、天と地ほどの差がある。バンドとして成功するには、いずれどこかでレーベルに所属するのは必須条件だった。

 インディーズとは言えレーベルに所属が出来れば虹夏先輩の――と言うより、結束バンドの夢に一歩近づく事ができるから。

 でもそれがばっさりと「実績なし」と言われてしまうと、少し心に来る物があった。

 僕は少し心配しながら隣に座っている虹夏先輩の顔を見た。虹夏先輩もショックを受けたりとかしてるんじゃ――

 

「あ、あの。司馬さん」

「はい、なんでしょう?」

「私達のバンドは、価値はありますか?」

 

 そんな心配は杞憂だった。

 ショックを受けたとか心が萎んだとか、そう言う気配はまったくない。力強い意志が宿った目で、司馬さんを見つめていた。

 

「私達は、司馬さんの目から見て、売り出す価値はあるんですか?」

 

 言葉の節々には、目に見えないだけで不安が滲んでいたかもしれない。でも、虹夏先輩はそんな事おくびにも出さずに、しっかりと、現状を見つめようとしていた。毅然とした態度で。

 司馬さんはそんな彼女に一瞬驚いたように目を丸くしたが、すぐに姿勢をピンと正し、虹夏先輩に真っすぐに返した。

 

「――あります。少なくともあの晩、私はそう感じました」

 

 僕は思わず息を呑んだ。やった、という嬉しさが漏れ出そうになるのを、僕は必死に押し留める。虹夏先輩も僕と同じ気持ちだったのかもしれない。「あ、えっと」と少し慌てて、でも頬を赤く染めながら司馬さんに質問を重ねた。

 

「どこに、そう感じましたか?」

「ポテンシャルです」

 

 虹夏先輩の問いかけに司馬さんは即答し、そのまま僕らを諭す様な口調で話し始めた。

 

「冷静に、客観的に考えてください。普通のバンドはQueenをアレンジで演りませんし、それで会場を盛り上げる事なんて普通出来ませんよ?」

「「……確かに」」

「納得すんのねそれは……。洋楽をカバーするバンドは少なくはないけど、その中でもQueenを演り切るのはなかなかハードルが高いわ。あたしも実際初めて観たし。本当に良かったわ、ギターヒーローの……ううん、結束バンドの『Somebody To Love』」

 

 毒舌の佐藤さんからも大絶賛の評価が出て、僕は恐れ多くて反射的に否定の材料を探してしまう。

 

「でも、あれは喜多が……あ、えっと。ボーカルの中学のクラスメイトがたくさんいた、身内が観客にたくさんいたライブで。下地があったおかげで、あれだけ盛り上がれただけって言うか……」

「確かに、身内が観客の中心だったと言うのもあるでしょう。でもそれだけであそこまで盛り上げるのは難しいと思いますよ。本当に難しいんです。いくらカバーとはいえ、洋楽でライブをすると言うのは」

「大体が英語通じなくて冷めた空気になるのがオチよ。あたしが知ってるインディーズバンドで、洋楽をカバーしてコンスタントに盛り上げる事が出来るのは……この辺だとSIDEROSぐらいね」

「シデロス……」

 

 脳裏にヨヨコさん達SIDEROSの面々の顔が浮かび上がる。全員が10代とは思えない程強く、そして深い音を奏でるバンドだ。

 

「そういえばあんた、2月のSIDEROSのライブにサポートギターで入ったらしいわね!」

「げっ、バレてた」

「バレるわよあれだけネットで騒がれてたんだから!取材NGのSIDEROSにサポートで入ったとか……!あとで話聞かせなさいよ!」

 

 佐藤さんにぎゃいぎゃいと騒がれつつほっぺたを抓られながら、僕はSIDEROSのライブを思い出していた。

 日本人の、十代女子とは思えない程、重くて強い音を奏でるロックガールズ。海外志向が強いヨヨコさんの方針で、オリジナル曲以外に洋楽をメタルアレンジにして奏でているらしいけど、それでもあれだけライブを盛り上げられるテクニックは簡単に身に着けられる物じゃない。それは、サポートギターとしてライブに参加した僕が一番よく知っている。彼女達のおかげで最近はメタルやハードロックを聴くようになってしまったのだから。

 

「伊地知さん、日本ではどうしてアメリカやイギリスの音楽が流行しないか、分かりますか?」

「え、えっと……やっぱり、言語と文化の違いですか?」

「それもあります。ですが、一番の原因は――」

「J-POPが強すぎるから」

「正解です、井上さん」

「え、どういうこと、カズ君?」

 

 首を傾げる虹夏先輩に僕は軽く説明する。

 

「簡潔に言うと、日本の音楽市場ってJ-POPやらアニソンやらアイドルの歌が強すぎて、海外の音楽が入り込む隙間が殆どないんです」

「よくご存じですね。俗に言う『ガラパゴス化現象*1』です。極端な言い方ですけど」

「ガラパ……え、どういう意味?」

 

 聞き馴染のない専門用語の出現に、虹夏先輩が困惑気に首を傾げた。

 

「えっとですね」

 

 日本の音楽は、かなり特異的な成長を遂げている。

 第二次世界大戦以降、ビートルズやエルヴィス・プレスリーと言ったロックンローラー達の登場により、日本も漏れなくロックンロールの大流行が起こった。当時これを聴いた若者達がこぞって彼等をリスペクトし、ギターを持って彼等の歌を歌い、いつしか自分達のロックを生み出していった。

 それから更に時代が進み、山下達郎、大滝詠一の登場によってJ-POPの原型が生まれ始め、松田聖子のような伝説的なアイドルが誕生した。更に更に2000年代からはJ-POPが全盛期へと進み、モーニング娘やAKB48、ジャニーズと言ったアイドル達がテレビやネットのトレンドを独占し――それに伴って日本国内で洋楽が衰退し始める。

 本当に少しずつ、日陰に追いやられるように洋楽が日本のメディアから消え始めたのだ。海外がインターネットによる音楽の配信サービスを始めていたにも関わらず、日本の音楽市場は変わらずCD媒体が中心だったのも原因の一つだとも言われている。ヒットチャートが国内音楽に染まり、海外の音楽は日本に浸透せずなかなか入って来なくなった。

 結果、若者達の関心は洋楽ではなくJ-POPに集まり、音楽市場はJ-POPが溢れ返り、プロモーターも海外の曲を売り出す事が少なくなった――というのが、ざっくりとした日本の音楽市場の歴史だ。

 僕がざっくり説明すると、虹夏先輩も思い当たる節があるように呟いた。

 

「へ~……あ、でも確かにそうかも。CDショップ行っても、洋楽よりやっぱりJ-POPのCDの方が圧倒的に多かった!そっか、そもそも洋楽を耳にする機会すら少ないんだ。なんだか最近、カズ君とリョウに洋楽聴かされてばっかだから全然気づかなかったよ」

「やはり伊地知さんも洋楽を嗜まれるんですか?」

「はい、カズ君とうちのベーシストが生粋の洋楽マニアで。二人に勧められてよく聴かされます」

「なるほど。最近はどんな曲を?」

「最近聴かされたのはえーっと……Museの『Hysteria』とかStarsetの『My Demons』とか、REDの『Breathe Into Me』……あとGreen Dayの『Boulevard Of Broken Dreams』!」

「へー。結構聴くのね……」

「あとTenacious D*2の『Tribute』でした」

「ど……独特なチョイスですね?」

「あんたテネシャスDとか女子高生に何を布教してんのよ!」

「冤罪です」

 

 面白がってテネシャスDを先輩や喜多に聴かせたのはリョウさんの仕業だ。いやまあ、リョウさんに教えたのは僕なんだけど。

 

「やっぱり、日本で英語詞の歌を広めるのは難しいんですか?」

「はい。海外のレーベルが日本で音楽を売る為には、膨大な資金と労力が必要になります。翻訳やライセンス、権利、プロモーション……様々な課題を解決する為には大量の資本が必要となり、その上で投資した資金を回収する為に日本でヒットさせなければいけない」

「よーするにコストが見合っていないのよ」

 

 どこか残念そうに、佐藤さんがぼやいた。

 

「わざわざ日本に海外のアーティストを呼び込むより、国内のアーティストを売り出した方が手っ取り早く儲けられるって皆が知っている。その結果、更に海外の音楽が日本に入り込む隙間がなくなる、っていう悪循環が続いてんのよ」

「ただ、おかげでJ-POPは世界に誇る一つの文化となりました。世界中で評価されるJ-POPもたくさん生まれ、日本の音楽は素晴らしいと証明出来ました。それは確かです。しかしグローバルに適応し続けない市場は、いずれどこかで限界が来ます。私は音楽業界の一人の人間として、更に盛り上げていきたい。その為には、世界で活躍できるアーティストを海外にどんどん送り出す必要があると考えています」

 

 世界、という途轍もないスケールの話に圧倒されたように、虹夏先輩はぽつりと「世界」と反復するように呟いた。

 

「先日のライブで観ました。まだ結成から半年しか経っていない学生バンドが、Queenをカバーし、会場を沸かした光景を。あれを聴いて、確信しました。このバンドは、必ず日本を代表するバンドになると」

「お、大袈裟な……そこまで過大評価されちゃうとちょっと照れちゃいますよ」

「いいえ、大袈裟ではないですよ伊地知さん。洋楽も、邦楽も、関係ないんです。音楽に国境はないんだと、私は体験したんです。あのステージで、オリジナル曲も、『Somebody To Love』も、どちらも全力で楽しんで歌う皆さんに、私は心惹かれた」

 

 思いもよらない演奏だったと、司馬さんは語った。

 佐藤さんが推すバンドで、動画もいくつか聴いたから一定の実力はある事を知っていた。けれど、あの晩にまさかQueenを演奏するとは思いもよらなかったと。そしてその演奏が、自分の心を揺さぶっていると言う事実に驚いたと。

 司馬さんは表情を変えないまま語っていたけど、その目には強い熱が宿っている。僕らの、そして結束バンドの音楽を、信じてくれている目だ。

 

「そして何より、『結束バンド』と言うバンドが、これからどんな曲を奏でてくれるのか――それを楽しみにしている自分がいるのです」

 

 司馬さんはそう言って初めて、無表情を崩して微笑んだ。

 

「結束バンドの皆さんには才能があります。けれどネットが発展し、簡単に音楽を聴けるようになった現代で、新しい才能を世の中に広めるのはとても難しい状況になっています。だからこそ、その才能を支援する味方が必要だと私は考えています。その味方は、出来る事なら私にも一任させて欲しいと」

「えっと……要するに、司馬さんが今日僕らを呼んだのは……」

「青田買いよ。他のレーベルに掻っ攫われる前に、唾つけておこうとしてんのよ」

 

 呆れ混じりの佐藤さんの補足に、僕らの目が驚愕に染まる。本当かどうか確かめたくて、司馬さんの方を見てみると、彼女は否定せずに力強く頷いた。

 

「試用期間が終われば私もマネージャーを任されるようになります。その時、私がこの会社で一番最初にプロデュースする事が出来るなら、結束バンドをお手伝いするのは、他の誰でもなく私がやりたいと、心からそう思えたのです。どうか、是非ご一考を」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、この辺りでライブが出来そうな箱やレコーディングが出来そうな場所を紹介してもらった。ついでにマネージャー業としてどんな事をしているのか、同じく結束バンドをサポートしている身として本業の司馬さんに尋ねてみた。結果、僕が想像していたよりも十倍以上大変で専門的なタスクを聞かされ、自分がやっていたことが『マネージャーもどき』の仕事だったと言う事実が発覚し、凹んだ。

 

「それでも、話を聞く限り井上さんはよくやっている方だと思いますよ。受験シーズン中に自分の作業をしながら併行して動画編集やバイトなんて」

「いや……言い訳にしかならないですから……」

 

 まだまだ自分がやって来たことは甘かったと、心に刻む。

 

「『自分はこれだけやったんだぞ』って満足する為にこのバンドを手伝ってる訳じゃないんで。僕がいなくなった後でも活躍できるようにするのが、僕がここに居る意味なんです」

「――」

 

 司馬さんは僕の言葉に何を感じ取ったのか、しばらく目を丸くして「お若いのに、二人共立派ですね」と言ってくれた。

 

「もし、何か気になる事や知りたい事があれば私に連絡してください。出来る限りサポートさせてもらいますから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 会議室の外で窓枠に寄り掛かって項垂れていると、扉が開く音がした。振り返ってみると、佐藤さんだった。

 佐藤さんは無言のまま僕の隣まで来ると、僕の許可も取らずにポケットから煙草を取り出した。

 

「禁煙じゃないんですかここ?」

「別にそんなルールないわよ」

 

 未成年の僕がいるのに、佐藤さんは断りもなく煙草に火を着けて吸い始めた。こういう所が佐藤さんの事を好きになれない理由のひとつである。それにしても、童顔の佐藤さんが煙草を吸うと犯罪臭が凄い。スーツ姿じゃなければ未成年喫煙と間違われて補導されてもおかしくなさそうだ。

 僕がそんな事を考えていると、煙草の煙を2口程吸っていた佐藤さんは僕に問いかけた。

 

「あんた、これからも結束バンドに混ざってステージに登るつもりなの?」

「うーん……機会があったら、とは思いますけど。でも基本的に僕はサポーターで、主役は先輩達なのは変わりませんよ」

「新しいメンバーを集めてバンドを作るとかは?」

「そういうのは……ないですね、今のところは」

 

 いつか、自分でバンドを組んで誰かと共に奏でる事があるのだろうか。そう自分に問いかけてみたら、不意にヨヨコさんと喜多の顔が浮かび上がった。でも、僕にはそんな時間も余裕もない。

 ……今からでも留学を取りやめて、そっちの方へ舵を切って行けば。

 でも、僕はその未練のような物を振り払って答えた。

 

「いつか誰かと組むような事はあるかもしれないですけど、日本にいる間はないですね。それに――」

「それに?」

「今は自分の事より、彼女達の傍で支えたいんですよ。音楽をどうやっていくかは、アメリカに行った後にでも考えますよ」

 

 僕がそう答えると、佐藤さんは「ふん」とちょっと不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「傲慢ね」

「そうですか?」

「自分はどうとでもなるみたいな言い方。気に入らない。ホント生意気なガキよ、あんたは」

「そんなつもりではないんですけど……」

 

 大きくため息を吐いた佐藤さんは携帯灰皿にぐりぐりと煙草を押し付けて火を消すと、僕の方を見ずにスマホをいじりながら、ぶっきらぼうに言った。

 

「今のバンドをもっと強くさせたいなら、まず虹夏さん……ドラマーが変わらなきゃいけないわ」

「……虹夏先輩が?」

 

 僕がそう訊き返すと、佐藤さんはいつの間にかスマホから目を放して、僕の目を真っすぐに見ていた。

 

「司馬には言うなって、反対されたけどね。でもあんたは、あの子達のマネージャーなんでしょ?なら、独りの音楽ライターとして言わせてもらう。今の結束バンドは、ドラマーが一番弱い」

 

 弱い?

 

「何が弱いんです?」

「ギターヒーローの音やベースの子の音に負けてんのよ。音をまとめてリズムキープをする事に専念しすぎてる」

 

 そういえば……母さんも似たような事を言っていたな。『もっと個性を出してもいい』。それが虹夏先輩のドラムを聴いた、母さんの感想だった。

 

「2月ぐらい前なら、今ぐらいの技量でも問題はなかったと思う。でもこの間のライブ……ギターヒーローの音とボーカルとベースが、私が想像していた時よりずっと強くて成長していた」

「つまり……虹夏先輩が成長できてない、って事です?」

「出来てない訳じゃないわ。初期の動画と比べると、本当に上手になってる。これは本当よ。でも……なんて言ったらいいのかしら……」

 

 僕に気遣っているのか、言葉を探るように唸った。普段歯に着せぬ物言いをする佐藤さんにしては珍しく悩んでいる。

 

 ――ガタリ。

 

「ん?」

「どうしたの?」

 

 今……手洗い場の方から、音が聞こえた。多分、扉が閉まる音。

 ……そういえばさっき、虹夏先輩、手洗いに行くって出てったな。

 

「いえ……それより、はっきり言っちゃってくださいよ」

「な、何よいきなり。そんなに食いつく様に」

「僕、佐藤さんの事は本当に苦手で嫌いですけど」

「あんた本当に度胸あるわね……!」

「でも、信頼してますから」

「……何を?」

「ロックが好きだと言う心。だから、佐藤さんのアドバイスは信頼できる」

 

 僕がそう言うと、佐藤さんが呆気に取られたように口をぽかんと開けて、やがて「はぁ~~」とバカでかくて長い、毒気が抜かれたような溜息を吐いた。

 

「あんたってそういう……本当に、先生の子だって今心底思ったわ」

 

 肺の奥底から涌き出て呆れを隠さずじっとりと睨まれ、僕は思わず首を傾げる。

 

「そうですか?母さんと僕、そんなに似てます?」

「似てるわよ、そういう人を下げて上げる所とか……マジでいつか刺されるわよあんた」

 

 そうだろうか。一応血が繋がった親子ではあるけども、母親より父親似だと思っていたのでそう言われるのは少し違和感がある。

 佐藤さんはもう何度目か分からない溜息を吐くと、「これは、私が色んなバンドを聴いて回った考えなんだけど」と前置きを置いて、続けた。

 

「上手いドラマーってのは例外なく、メンバーの音を()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。音をしっかり前に出して引っ張り上げていくのがドラマーの仕事なのよ」

「つまり?」

「もっと好き勝手に叩いていいのよ。バンドってのはドラマーのリズムを指標に弾くんだから。それに虹夏さんは、タイム感がいいのかリズムがブレないドラミングが得意みたい。だから、あえて基礎を少し崩して、我儘に叩いた方が良くなると思うわ」

 

「我儘に……」

 

「……でも正直意外でした」

「何がよ?」

「佐藤さんの事だから、『ドラマーを変えろ』とか言うんじゃないかと思ってました」

「言った所であんたは絶対拒否するでしょうし、そういうのはバンドが決める事でしょ。私がとやかく言う権利はないわよ。それにさっきも言ったでしょ。結束バンドは想像していたよりも速いスピードで強くなってる。一番最初の動画から追っかけてた私が保証する。正直、取材を申し込むのだってもっと先にするつもりだったのに」

「そうなんですか?」

 

 結束バンド……というより、喜多と後藤に目を付けている事を知っている僕からすれば、佐藤さんが取材を申し込んできたのは遅いくらいだと感じていたのに。

 

「あのねぇ……和正。フリーのライターだって、全ての新人バンドを取材出来るほど時間に余裕がある訳じゃない。あんたは想像できないかもしれないけど、世の中にはもっとしょうもないバンドがたくさんあんのよ。ギターは上手くても他がダメ、ボーカルはまともだけど演奏はぐだぐだ。身内だけしか観客に来ないライブしかできなくて、ライブよりも居酒屋の打ち上げがメインで、『いつかプロになるんだ』って口だけは立派なバンドなんて、いくらでもいるのよ。そういう連中に時間を使うほど無駄な事はない。先生もきっとそう言うでしょ?」

「……まぁ確かに」

 

 淡々と笑いながら毒を吐く母さんが容易に想像ついた。

 

「本当はじっくりと見極めるつもりだった。ギターヒーローが入ったバンドが、どんなライブをして、どういう風に成長するのか。でも、蓋を開けてみればいきなりQueenを演るわ、オリジナル曲もやるわ、大成功させるわ……本当、私の想像の斜め上を行かれて、正直ここまで面白そうなバンドもあまり見ない。それに、一番見所があると思えたのは、虹夏さんよ」

「え」

 

 信じられなかった。いや『虹夏先輩に見所がある』という言葉ではなく、少し前まで『喜多と後藤をそれぞれソロデビューさせる』なんてことを目論んでいた上に、さっきまで『ドラムが一番弱い』なんて言っていた人の言葉とは思えなかったのだ。

 

「確かに演奏はまだまだだと思うわ。でもさっきの司馬と虹夏さんの会話を聞いて、感じたのよ。あの子、この音楽業界で強くなっていく意志があるって。司馬に堂々と『自分達の音楽に価値があるか』って訊き返した時は、思わず感心しちゃったわ」

 

 どこか嬉しそうに笑いながら、佐藤さんは続けた。

 

「ステージに登り、客の前でライブをすれば、もう立派なアーティストだって。自分の曲を売るために競い合うこの世界に、とっくに足を踏み込んでることに気付いてるのよ。実力さえあれば年齢も出身も何も関係ない、音楽の良し悪しで勝敗が決まるこの世界に足を踏み入れているって」

 

 佐藤さんはそう言って、いつ買って来ていたのか、ポケットから缶コーヒーを取り出して僕の胸にどん、と押し付けた。「あんたも例外じゃないのよ」と忠告も添えて。元々あったかいコーヒーだったんだろう。微かに温もりが……いやもう冷めててぬるいなこれ。

 

「のし上がってやろう、って言う意志は、虹夏さんから感じられた。後は、結果を出せるかどうか。メンバーにベストを出させるのも、あんたの仕事よ。覚えておきなさい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ストレイビートからの帰り道。

 

「あの~……虹夏先輩?」

「むっすー……」

「怒ってます?」

「怒ってない!」

「怒ってるじゃん……」

 

 僕が予想していた通り、虹夏先輩はあの時、手洗い場にいた。そして案の定、僕と佐藤さんの会話をばっちり全部聞いていたらしい。おまけに僕が虹夏先輩が聞いている事に気付いているにも関わらず、佐藤さんにあれこれ全部言わせた事にも気付かれてしまった。

 司馬さんと佐藤さんがいる前ではいつものSTARRYでの接客モードで、最後まで和やかに会話していたのに、ストレイビートのビルから出た途端、この膨れっ面である。

 

「別に?ショックなんて受けてないし。どうせ私が一番下手ですよとか思ってないもん!」

「もんって」

「言ってない!別にやみさんに言われた事に怒ってる訳じゃないし!」

「じゃあ何拗ねてるんですか」

「拗ねてない!女の子は複雑なの!」

 

 分かりやすく拗ねてるのに何に拗ねてるのか分かり難い……。女の子って難し過ぎる。

 

「もー、機嫌直してくださいよ……。あ、なんか飯食べていきます?」

 

 気まずさを誤魔化す様に、僕はちょうど通りがかったラーメン屋を指差す。スマホの時計を見ると、もう11時を過ぎている。あと少しで昼時だ。僕の言葉に釣られて先輩が足を止めるのと同時に、僕と先輩の鼻をくすぐる濃厚なとんこつラーメンの匂いが漂ってきた。

 

「……先輩?」

「奢って。トッピング全盛で!替え玉もつけて!そしたら許してあげる」

「……はい」

 

 これは従わざるを得ないな……。ギター買って金欠なのにお金足りるかなぁ。

 

「あと、カズ君」

「はい?」

 

「STARRYのバイトが終わったら、カズ君の家で練習させて」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ラーメンを腹いっぱいに食べてSTARRYに戻ってバイトが始まると、さすがに時間が経ったおかげで虹夏先輩も落ち着いたらしい。バイトの隙間時間に「さっきは拗ねちゃってごめんね」と謝って来た。

 その後はいつも通りの業務をこなし、最後のバンドがライブを終えると、先輩は自宅から大荷物をリュックで抱えて持って来て、まだ締め作業の最中だった店長さんに言った。

 

「お姉ちゃん、私カズ君の家で練習してるから!あとお願い!」

「え、今日の私の夕飯は……?」

「一人で牛丼でも食べに行ってて!じゃあカズ君、行こう!」

 

 店長さんは悲しそうに肩を落としていたのを後目に、僕らはSTARRYから出立した。

 ずんずんと大股で歩き始めた虹夏先輩はまず近場のコンビニに立ち寄って、エナドリやらサンドイッチやら、片手でエネルギーが補給できる食料を一通り買い揃えて、僕の家に向かった。

 

「それで、練習って何するんです?」

「練習は練習だよ。まず基礎からやって。それと、今ある私達の曲って5曲だよね。それ全部見直す。そしたらソロやって、何か適当な曲も練習する」

「え……今からですかっ?」

 

 もう時計の針はとっくに夜の8時を越えている。「カズ君の家で練習させて」と言ってきた瞬間から嫌な予感がしていたが、その予感は徐々に確信に変わり始めた。それも猛烈に嫌な確信だ。

 

「ちょっと軽く叩くとかじゃなくて、そんなガッツリ演ってくつもりですか?」

「そうだよ?その為に泊まり込みの着替えとか食べ物とか持ってきたし」

「は?泊まり?ていうか、え?明日学校は?」

「サボる!」

 

 真面目な虹夏先輩からは信じられない単語が飛び出してきた。ロック過ぎるだろそれは!

 

「いや先に言ってくださいよ!」

「だって言ったら絶対拒否するでしょカズ君」

「当たり前だよ!ていうか店長さんには?」

「もちろん内緒!」

「僕が殺されるんですけどっ?」

 

 ていうか、その為のエナドリかよ!ひょっとしなくても夜通しでやりまくるつもりかっ?

 

「STARRYでやったらいいじゃないですか」

「STARRYでやれないよ。お姉ちゃん、お金取るし。家だと壁が薄いからドラムなんか叩けないし。カズ君の地下室ならずっと叩きまくれるじゃん?」

 

 じゃん?じゃないよ。可愛く言わないで欲しい。

 

「お願いカズ君」

 

 虹夏先輩は足を止めて、真剣な表情で僕に訴えかける。

 普段温和な虹夏先輩だけど、こうと決めた時は結構頑固に突っ走る癖がある事を忘れていた。これ、僕が首を振ったら本当に何をするか分からないな……。深夜に開放しているスタジオなんてこの辺にはないし、こんな夜遅くに先輩を帰らせるのも気が引ける。

 

「いや、でも、家に泊まるとなると話が別っていうか……」

「何言ってんの、喜多ちゃんとか半同棲みたいな状態になってるのに!」

「思ってても言わないでくださいよ!」

 

 僕もうっすらそう思い始めてたけど!意識しないようにしてたのに!

 

「それにカズ君、言ったじゃん」

「はい?」

「息抜きには付き合うって!」

「……あっ!?」

「だから、ちゃんと責任取ってよね!」

 

 この日程、過去の僕をぶん殴りたくなった日はない。

 

「い、いや、でもあれは……」

「カズ君は嘘なんて吐かないよね?私の気晴らしに付き合ってくれるって言ったもんね!」

「……~~~~!」

 

 意地悪く笑いながら僕の顔を覗き込む虹夏先輩を見て、自分がとっくに詰んでいることに気づいた。もちろん、約束を反故にしてすっとぼけることもできただろう。でも、大天使ニジカエルにはノルマ代とかスタジオ代とか、これまで色々と世話になってるので、ここで逃げるのは僕の道徳的観念に反する。

 つまるところ、原因を追求すれば考えなしにあんなことを言ってしまった僕が悪い。それが真実だった。

 

「あーもう、分かりましたよっ」

「やたー!」

 

 折れて俯く僕とは対照的に、虹夏先輩は両手を挙げて大喜び。

 それにしても、虹夏先輩が僕の家に泊まるのか……。リョウさんや喜多が流れで家に泊まった事があるとはいえなぁ。年頃の女の子を、ほぼ一人暮らしの僕の家に……。

 店長さんに2,3発ぐらい殴られるのを覚悟しなきゃな……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 家に到着した僕らは、さっそく地下室に舞い込んだ。

 荷物を置いて、手首を入念にストレッチでほぐした虹夏先輩が、ドラムの椅子に座る。僕の家のドラムセットを叩くのは基本的に虹夏先輩しかいない。ここのドラムは、もうずいぶん前から虹夏先輩用にカスタマイズされている。

 

「カメラの位置はここで?」

「うん、手首が見える位置で……」

 

 動画撮影に使っている撮影機材。ビデオカメラと少し高い三脚を、ドラムのハイハットの横に置いた。ちょうど虹夏先輩の手首とドラムセットが写るように画角を調整する。

 虹夏先輩が椅子の高さを調整し終えて、家から持ってきたスティックを握ると、すぐにウォーミングアップを始めた。

 最初は基礎的なシングルビート。慣れ親しんだ8ビートから始まり、ドラムのそれぞれのタムとペダルの感触を確かめるように、スティックを叩きつけ始める。やがてシンバルからタムへ、タムからシンバルへ。両手のスティックがそれぞれ自我を持った別々の生き物のように飛び回っていく。時折ゴーストノート*3を織り交ぜ、最後はシンバルに強い一撃を叩き加えた。

 3分ほど叩き続けた虹夏先輩は、じんわりと額ににじむ汗を拭って僕の方を見た。それを察した僕は、セットして置いたカメラの録画機能を作動させる。

 

「じゃあ、1曲目……『星座になれたら』」

 

 そして、虹夏先輩の特訓がスタートした。

 真剣な表情でドラムを叩き始め、僕はそれをソファに座って見守っている。何か気付いた事があったら言って欲しい、とのことだった。

 とりあえず一通り、いつもの叩き方をすんのかな。

 そう思った矢先、雷が走ったかのような強い一撃がシンバルに叩きつけられた。思わず反射的に耳を塞ぎたくなる一撃から始まり、16ビートへと移行していく。

 

「音強っ……」

 

 1音1音を強く叩いてる。シンバルも、バスドラムも、全部がいつもより音が強い。……強すぎなくらいに。

 

「……どうかな」

 

 1曲目が終わり、ウォーミングアップの時よりも噴き出る汗を拭いながら、虹夏先輩がスティックを置いて僕に尋ねて来た。

 

「……めっちゃ強く音を叩いてましたね」

「うん。安直だけど、まずはシンプルにいつもより強めに叩いてみました。どうだった?」

「……聴いてみます?」

 

 セットして置いたカメラを虹夏先輩と一緒に、さっきの演奏を再生してみる。

 

「音ばらばらだね」

「強く叩く事に意識向きすぎて普段よりリズムがぐちゃぐちゃになってますね。後半なんか体力が切れ始めてるじゃないですか」

 

 僕がそう言うと、虹夏先輩は目に見えて肩を落とした。でも、すぐに俯いていた顔を持ち上げたかと思えば、近くのテーブルに置いてあったエナドリを一気飲みにし、再びドラムの椅子にどん、と座り込んだ。両手のスティックを強く握り締めて。

 

「次はもっとちゃんとやるから!目指せデイヴ・グロール*4!」

「いや無茶でしょ」

「無茶じゃない!」

 

 ヤケクソになってるのか虹夏先輩がそう吠えた。

 これは徹夜かな……。僕は少し覚悟しながら、再びセットしたカメラのスイッチを押し込んだ。

 夜は――いや。虹夏先輩の特訓は、始まったばかりだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「おはよ、カズ君!さ、今日も一緒に学校……」

「ふぁぁ……あれ、喜多ちゃん?おはよー」

「……ん?あ、やべ喜多だ」

「……いやああああああああ!カズ君が虹夏先輩に寝取られた―――!!」

 

 次の日の朝、地下室で寝過ごした僕と虹夏先輩を発見し、喜多が発狂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 初日は流れで僕の家に泊まったが、やっぱりと言うか案の定というか、次の日には店長さんと喜多にめちゃくちゃ怒られた為、泊まりは禁止になった。

 

「カ~ズ~……お前、スケコマシだとは思ってたが、虹夏にも手を出そうとするとはいい度胸してるじゃねーか……」

「冤罪っ!!」

 

 怒り顔の店長さんから5発ほど腹パンを貰ったが、たった5発で許してくれたのは店長さんにしては大分温情かもしれない。

 

「だから何度も言ってるじゃない!男女が同じ屋根の下に二人きりで過ごしちゃダメだって!カズ君はそう言う所、本当にどうにかした方が良いと思うよ!?」

「毎日僕の家に合鍵を使って入ってくる奴がそれを言うのか……」

 

 鏡観てから言って欲しいよ。もしくはその鍵返して欲しい。

 

「あははー、ごめんね喜多ちゃん。どうしてもドラム叩きたくってさー。STARRY以外で自主練できる所、カズ君の家以外ないんだよー。それにほら、前にも言ったけど、カズ君は喜多ちゃんのだから安心して?」

「安心できないんですよね……」

「え?」

「カズ君、目を離すとすぐ知らない女の子引っ掛けてくるから……この間も私の友達からカズ君の事色々訊かれたし……もう今年はクラスが違うから前みたいにはできないし……遠まわしに牽制したり近づかれないように手を回すのがどれだけ大変だと思ってるんですか……」

「く、苦労してるんだね喜多ちゃん……」

 

 何をしてるんだよ、僕が知らない間に。

 

「カズはアメリカに行ったらすぐ知らない女を家に連れ込みそう」

「人聞きが悪い事言わないでくださいよ」

 

 ホールの椅子に座っていたリョウさんが他人事みたいに言った。その口調はどこか刺々しく、いつにも増して不機嫌そうだった。

 

「それより、私には禁止令を出しておいて虹夏は家に連れ込むなんて。待遇差別にも程がある。そろそろ禁止令を撤廃するべき」

「連れ込んでないですし、仮に撤廃してもあんた夕飯をたかりにくるだけでしょ……。それに、先輩には場所を貸す為に交換条件があるんですよ」

「交換条件?」

「夕飯を代わりに作ってもらうんですよ。リョウさんは出来るんですか?料理」

「ふっ……カズ、私が料理なんて出来ると思う?自慢じゃないけど、包丁なんて持ったことないよ」

 

 本当に自慢にもならなくて笑えない。

 

「他にも洗濯とか掃除とか……頼んでもいないのにやってくれるんですよ。僕の家に来て飯を喰らってはレコードを漁るだけのリョウさんとは天と地ほどの差があるんです。扱いも差が出るってもんでしょ」

「ひどい」

「ひどくねえわ」

「夕飯食わせろー、レコード漁らせろー。カズの家の音響じゃないともう満足できない体にされたんだから、責任を持って最後までペットは飼うべきだよ」

「ペット扱いでいいのか?もうちょっと人間としてのプライドを持ってくださいよ」

「ご飯が食えるならプライドなんていくらでも捨ててやるさ」

「すごくカッコいいのにすごくダサイな……」

「りょ、リョウ先輩がペット……!? 何それすごく飼いたい……!お金いくら出したら引き取らせてもらえるのかしら……!」

 

 こんな飼育費用が馬鹿にならないペットのどこがいいんだ喜多、目を覚ませ。僕はやだよ、こんなペットの面倒を見るのは。

 僕がそう呆れていると、ちょうどホールを掃除していて話を立ち聞きしていた後藤はぽつりと言った。

 

「そ、それって……虹夏ちゃん、実質カズさんの通い妻では……?」

 

 後藤がそれを言った瞬間、再び喜多が発狂した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日から虹夏先輩はバンドの練習やバイトが終わり次第、僕の家に直行してくるようになった。

 ある時、どうして急にそんなやる気になったか訊いてみると、虹夏先輩は真剣に答えてくれた。

 

「司馬さんにレーベルにはスカウトできないって言われた時ね。正直、ちょっとショックだった。やみさんに『ドラムが弱い』って言われて、ガチで凹んだ。でもさ、その後に私達の歌には価値があるって言ってもらえて、見所があるって言ってもらえてさ。ずっと遠くにあって手が届かない場所にあると思ってた目標が、実はそんなに遠くないんじゃないかと思えたの。私が無謀な夢なんじゃないかと思い込んでただけで。そしたらさ、急に『やろう』って気分になっちゃったんだ」

 

 あの取材の日以来、虹夏先輩はいつにも増して積極的に練習に励んでいる。元々活発的な人だとは思ってたけど、それが燃料を注がれて更に勢いが増した感じだ。

 夕飯をちゃっちゃと作ってもらい、食べ終わって片付けた後は時計の針が11時頃までドラムを叩き続けて、練習が終わったら僕が虹夏先輩を家まで送り届ける。

 学校、バイト、家事、バンドの合わせ練習、動画編集、そして自主練。最近は学校の休み時間は全部居眠りに使っている。そうしないと体力が持たない。

 留学の為に英語の勉強をしなきゃいけないのに、やる気はどこにも見当たらなかった。

 

「カズ君、今日もよろしくっ!今夜は麻婆豆腐だよ!」

「おぉっ!」

 

 でも、虹夏先輩の手料理は滅茶苦茶美味しくて、尽きかけた体力は直ぐに回復する。虹夏先輩の元気が自分の中にも注がれているんじゃないかと疑ってしまう程だ。リョウさん、いつもこんなうまい飯をたかってるのか……羨ましい。

 

「ゴールデンウィークはバンドの練習よりライブに時間充てたいね!STARRYとか箱で出来なくても、路上ライブとかやれるようにしないと……」

「なら場所取りと警察への申請ですね。ああいうのって、近場の交番とかで許可取れるんでしたっけ?」

「カズ君って意外とそう言う所は真面目だよね。手続きとか取らないでやるのがロックでしょとか言うと思ってた」

「ロックンローラーの伝統に従うのもいいですけど、やるなら後ろ指を指されないよう、ちゃんと正規の手続きを取ってやりましょ。それに結束バンドはそういうのは似合わないですし」

 

 今後の活動方針とか、今日の練習はどうだったかとか、次の動画の曲は何にするかとか、僕らは夕飯を食べながら打合せをする。

 虹夏先輩が僕の家に通うようになって一番助かったのは、家事を手伝ってくれることだ。

 伊地知家では長年、家事担当は虹夏先輩だったらしく、手際の良さは僕よりもずっと上だった。一人ではかったるくて時間が掛かるが、二人で家事をするとあっという間に終わるので、お陰で洗濯やら片付けやらに使うはずだった時間もピアノの練習に充てる事が出来ている。本格的にピアノの練習をしている僕にとっても、虹夏先輩が来てくれるのは本当にありがたかった。おまけに料理も僕が作る飯より美味しい。至れり尽くせり。

 きっと、今の僕の状況を見たら多くの男子は嫉妬の念を向けるだろう。誰だってそうする。僕だってそうする。

 

「カズ君、虹夏先輩に迷惑かけてないわよね?」

 

 朝、喜多と一緒に学校へ登校する度に、喜多はジトっとした目で僕を問い詰めるのがお決まりのやりとりになりつつあった。

 寝不足で少し機嫌が悪い僕はぶっきらぼうに答える。

 

「してないよ。昨日だって一緒に飯食べて、一緒に自主練して、家まで送った。そんだけだよ」

「ほんとにぃ~?」

 

 疑り深い幼馴染だ。もうちょっと僕を信用してくれてもいいだろ。

 

「どうだか!カズ君って肝心な事は黙ってる癖があるから、イマイチ信用できないのよね。知らない間に家出娘とかかくまって、そのまま甘いラブストーリーとかに持ち込んでそうで……」

「少女漫画の読みすぎだろ」

 

 嫌に具体的な想像だな。僕ってそんなに女の子を連れ込みそうな男に見えるのか?失礼な。前世では……まあそういう相手が全くいなかった訳じゃないけど、独身だったんだぞ。

 

「そういう喜多こそ、最近は何してんだよ」

「ぎくっ、何が?」

「最近、放課後になっても僕の家にまったく寄り付かないじゃん。僕が貸したアコギとかどうしたんだよ?スタジオ練習にも持ってこないし……」

「べ、別にいいでしょ!第一、私が放課後、どこで何をしていようとカズ君に何か関係あるのっ?」

「あるよ。最近、喜多と会う回数が減ってるから、僕の調子が狂うんだよ」

「…………は?」

「ぶっちゃけると寂しいって言うか。一緒に音楽聴いたり、僕が作ったご飯を食べてもらったり、宿題を片付けたりするの、嫌じゃなかったんだよ?なのにさ、少し前まで僕の家にずっと入り浸ってたのに、僕のアコギを貸した途端来なくなってさ。そりゃ、朝は毎日のように会ってるし、バイトとか練習の時は顔を合わせるから喜多はそれで十分かもしんないけど、偶には――あれ?喜多?どうし――し、死んでる」

 

 この後、顔をゆでだこみたいに真っ赤にして気絶した喜多をおんぶし、学校の教室まで送り届けた。問い詰めて来た佐々木に何があったか説明したら大爆笑された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、喜多は虹夏先輩が僕の家に通い詰めている事をあれこれ邪推してきたけど、僕と先輩の間にそんな甘い空気は全然ない。

 何故かって?虹夏先輩にそんな脈は全くと言っていい程ないからだよ。

 

「カズ君?いやーないない!だってカズ君だよ?少なくとも私は彼氏には絶対選ばないタイプかな!」

「泣いていいっすか」

「あと、リョウみたいな音楽オタクはこりごりだし!」

「いや、それは納得いかない」

 

 リョウさんみたいなクズベーシストと一緒にされるなど甚だ遺憾である。訴訟したら名誉棄損かなんかで勝てるんじゃね?

 

「カズ君、それじゃあ準備いい?」

「いいですよ。BPMはどれぐらいにします?」

「じゃーねー……こんぐらいで」

 

 地下室に濃密で力強いドラムの音が響く。僕はそれに合わせて鍵盤を指に沈めていく。

 この練習を監視しているのは、一台のカメラだけ。僕らが普段動画を撮影する時に使う為の専用カメラだ。脚立に支えられてセットされたカメラは無機質に、僕らに拍手も罵声も浴びせることなくただじっと僕らの演奏を捉え続けている。

 

「んー……出来てないなぁ。やっぱり力を入れるとリズムがブレる……」

「僕のピアノも、もっと強い音が出るようにしないとなぁ……もういっそのこと肘で打つか……?」

「いや肘で打っちゃダメでしょ……ピアノ壊れるよ?」

「虹夏先輩こそ、もう少しコンパクトに叩いてもいいんじゃないですか?いくら強い音出したいからってリズム崩したら元も子もないでしょ」

「うーん、でも高い位置から下ろさないと強い音は出ないしなぁ……」

 

 カメラで撮った動画を目で確認して、聴いて、僕らは粗を見つけ出していく。結局の所、楽器が上手くなるには地道な反復練習しかない。

 何度か動画を撮っては修正して、という作業を繰り返しているうちに、僕のピアノと虹夏先輩のドラムの課題は、実は少し似ている事が発覚した。お互い音の強弱をきっちりと意識出来ていないと言う弱点が浮き上がったのだ。僕は左のタッチが甘く、虹夏先輩はスネアやハイハットの強弱が出来ていない。使う楽器は違えど、課題は似ているので意見の交換はしやすかった。

 

「ぜぇ、ぜぇ……い、いったん休憩しましょ……」

「そ、そだね……」

 

 集中して楽器を弾き続け、腕や指先に力を込めて楽器を演奏するのはシンプルに筋肉を使うので、体力の消耗も普段の倍以上だ。

 

「じゃあもっかい!」

「うぃー」

「もっとやる気出して!」

 

 正直、ただひたすらに自分達の課題と向き合うのはキツイ作業だった。疲れるし、指が痛くなる。

 鍵盤に押し込む指の筋肉は痛みを訴えている。虹夏先輩の指には絆創膏がいくつも巻かれている。

 でもそれ以上に、少しずつ上手くなっていると言う実感が、僕らの疲れを忘れさせてくれる。最近、佐藤さんが言っていた『ドラムは押し上げるんじゃなくて引っ張り上げる』と言う言葉が、何となく分かって来た。虹夏先輩が少し前に出て叩いてくれるおかげで、僕のピアノもリズムを見失わずに弾く事に集中できている。

 半歩前を先導する虹夏先輩の力強いドラムは、僕のピアノを引っ張り上げる。それはもう、力強く、頼もしいくらいに。

 そんな日々が、10日ほど続いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「カズ君、今のスゴイよかったよ!アレンジも綺麗だし、力強くてこの曲に合ってきてる!」

「先輩も、パワーとリズムの両立が良くなってます。おかげで滅茶苦茶弾きやすくて助かりますよ」

「えへへ、ありがと!」

 

 僕らが練習しているのは、amazarashiの『命にふさわしい』だった。

 もちろん、結束バンドの曲である『なにが悪い』や『Distortion!!』も併行して練習している。でもギターやベースより、ピアノとドラムが前に出るこの曲は、二人で練習するにはちょうど良かったのだ。

 さすがにボーカルを差し込める余裕はないけど。

 

「なんでこの曲を選んだんです?」

 

 休憩中、ふと気になったので訊いてみた。

 

「ん-とね……ぼっちちゃんが勧めてくれた曲なんだ」

「へぇ……後藤、amazarashiが好きだったんだ」

「うん。時々好きな曲を教え合ってるんだ。ぼっちちゃん、孤独とか寂しさを訴える曲が好きみたいで」

 

 そういえばギターヒーロー名義でもamazarashiの曲を何曲かカバーしてたな。『空に歌えば』とか『季節は次々死んでいく』とか、すごく良かったのを覚えてる。

 

「私はパンクとかメロコアとかばっか聴いてたから、ぼっちちゃんが教えてくれる曲は知らない世界から届いた手紙みたいで……。だからかな、カズ君のCDラックでこれを見つけた時、演りたいなって想えたの」

「へえ……それはいいですね」

 

 元々、後藤と虹夏先輩は仲がいいと思ってたけど、互いの好きな曲を共有し合うぐらい仲が良くなってたとは。なんだか前世の友人の事を思い出す。

 僕とは趣味も価値観も何もかもが異なる奴だったけど、僕の趣味をリスペクトしてくれてたし、あいつのオタク趣味には色々助けられた記憶がある。時々好きな物を持ち寄っては共有し合っていた。

 僕はロックを、あいつは漫画を。あいつが居なかったら第二の人生で結束バンドの皆とこうやって一緒に演奏する事もなかっただろうし、あいつには感謝しても仕切れな――あ、でもツェッペリンを「古臭い音楽」と貶した事は絶対許さない。

 

「まあ、私が聴く曲はエモいのが多いから、偶にぼっちちゃんのコンプレックスを刺激しちゃうみたいで……この間なんか、プレイリストに混ざってたBocchiの『君は夏風』が流れた瞬間、融けて死んじゃったり……」

「いや、それは虹夏先輩が悪いんじゃないですか?『君は夏風』とか、後藤の青春コンプレックスを刺激するNGワードを全盛りした曲なのに」

 

 聞かせたらまず間違いなく後藤が即死する曲だ。意図的に聴かせたのだとしたら殺人罪に問われる可能性もあり得るよ。

 

「あ、あれは事故だよっ、私が無理やり聞かせた訳じゃないって!私は好きだけどあれはぼっちちゃんの好みに合わないっては分かってたから聴かせないようにはしてたよ?でもぼっちちゃんにスマホのプレイリスト見せてたら何の脈絡もなく急に笑顔になって再生ボタンを押しちゃったの!」

「……なんか想像つきます」

 

 可哀想に。多分プレイリストの中にあったBocchiの曲を見かけて『これって何の曲だろ……バンド名が私と同じあだ名だ!きっと陰キャの為の暗くてどよーんとしたじめじめソングに違いない!』って感じで再生してしまったんだろう。対後藤ホイホイの即死トラップだ。

 最近、むやみやたらに死ぬ事は少なくなった後藤だけど、そう言う所はやはりまだまだみたいだった。

 

「でもさ、昔は全然想像してなかった。憧れのギターヒーローとバンドを組めて、ライブをして……レーベルの人達に価値があるって認めてくれる所まで来た。私って、今すごく恵まれてるって思う。全部カズ君のおかげだよ」

「え、なんですか突然……世辞はいりませんよ」

「お世辞なんかじゃないよ!」

 

 虹夏先輩は突然座っていたソファから立ち上がって、僕の方まで歩いて来たかと思えば、いつかと同じように僕の額を指で小突いた。

 

「カズ君のおかげで、私のロックは人生で一番報われてる。あの時、カズ君を誘ったのは間違いじゃなかったよ。カズ君が居なかったらなんて、もう想像もできないぐらいに。だから、胸を張って!」

 

 裏表なく真っ直ぐに褒めてくれる虹夏先輩は眩しくて、僕は直視できなくて思わず顔を背けた。

 虹夏先輩はそんな僕の心情を見透かしたように微笑んで、そのまま僕に問いかける。

 

「カズ君は?……このバンドに入って、後悔してない?」

「――僕は」

 

 そう答えようとした瞬間、僕のスマホがバイブレーションで震えた。

 

「電話?」

「……司馬さんからです」

 

 画面を見てみれば、つい先日連絡先を交換したばかりの司馬さんからの電話だった。

 急いで液晶をタップして電話に出ると、司馬さんの抑揚のない声が響いた。

 

『夜分遅くにすみません。井上さんの電話でお間違いないですか?』

「は、はい。井上です」

『急な話で大変申し訳ないのですが、明後日の夜、空いてますか?……できれば、結束バンドの皆さんにご依頼がありまして』

 

 依頼、と聞いて僕の背中が強張った気がした。なんていうかはっきりと物を言う司馬さんにしては言い難そうというか、引け目があるような声音だったからだ。 

 

『弊社と関わりがあるライブハウスで、トラブルがあったんです。明後日のライブに欠員が出たらしく、先方は代役のバンドを探しているみたいで。結束バンドの皆さんが良ければ、出演されてみませんか』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 翌日の放課後。STARRYに集まった僕らは緊急のミーティングを始めた。

 

「大丈夫なの、このブッキングライブ」

 

 リョウさんが少し訝し気に言った。

 

「昨日、そのライブハウス調べたけどレビューが2だし。どう見ても地雷案件だよ」

「……一応、信頼できる人からの紹介ですけど。なんかややこしい事情があるみたいで」

 

 僕は簡潔に事情を説明する。

 

「どうもそのライブハウスは、司馬さんの前任者のツテを辿って連絡して来たらしくて。ブッキングライブの穴を埋める為に手あたり次第声を掛けてるみたいなんです」

 

 司馬さんが言いにくそうにしていたのはこれが理由だった。本当は僕らにオファーするのも大分躊躇ったらしい。けれど僕らがライブをする場所を探している事を司馬さんは知っていたので、「何も言わないよりかは」と今回のオファーをわざわざ伝えてくれたのだ。

 司馬さんの前任者は、池袋のブッカー柳さん――正確には、その先代の店長と深い関わりがあったらしい。ストレイビート創設当初から付き合いのあるライブハウスで、有望なバンドを紹介してもらうことも何度かあったという。

 それを知ってか知らずか、現在の店長である柳さんが司馬さんに連絡を寄越してきた。『とにかくバンドなら誰でもいいから、スケジュールの穴埋めに紹介してくれ』と。本来、司馬さんにそんな義務はないのだが。

 

『先代の時と比べて、今のあのライブハウスの悪い評判はよく耳にします。ですが、ノルマ免除であの規模の箱で演奏できるのは、皆さんにとっても悪い話にはならないかと。もちろん、お断りしていただいても問題ありません』

「……司馬さん的には出た方がいいと思うんですか?」

『私個人が正直に言うと――出ない方が良いと思います。あの箱で演奏するのは、普通のライブを成功させるよりずっと難しい』

 

 悩まし気に司馬さんは、正直にそう答えてくれた。

 言い難いであろう業界の裏事情を、僕らの為に説明してくれて感謝しかなかった。

 

「司馬さんと佐藤さん曰く、ブッキングライブなのにジャンルがバラバラのアーティストを集めるから闇鍋みたいな箱なんだとか」

 

 ブッキングライブは、複数のバンドやアーティストがそれぞれ参加して行うライブだ。基本的に、イベントを主催するライブハウスはそれぞれのアーティストの音源を基に、出来るだけ方向性が近いバンド同士を組み合わせて相乗効果を狙って行く。

 けれどブッカーである柳さんは、そのセオリーをガン無視。スケジュール埋めを優先してバンドやアーティストを集めるので、ジャンルがばらばらの酷いライブになる事が多いらしい。もうこの時点で音楽に対するリスペクトが低い事が察せられて、僕の中での会った事もない柳さんへの評価は低い。

 ちなみに、一応佐藤さんにもそのライブハウスについて訊いてみたら「あそこでやるのだけはマジでやめなさい!」と割と真剣に止められた。あの佐藤さんがガチで「やばい」と言うのなら、やはり地雷案件なのは疑いようのない事実なのだろう。

 

「……まあ、カズと虹夏が私に内緒で取材を受けたうえにレーベルと話してきたのは後で問い詰めるとして」

 

 リョウさんがじとーっとした目つきで僕と虹夏先輩を一瞥してきたのを、僕らは黙って目を逸らした。話の流れ上、僕らが佐藤さんの取材を受けた事を話さなきゃいけなかったのだ。喜多と後藤には説明していたので、仲間外れにされていたリョウさんはかなり不満そうだった。基本孤独を好む人だけど、ハブられていることを察すると子供みたいに拗ねるからなこの人。

 

「そこはかとない地雷臭がする箱でやる意味はないと思う」

「そんなにですか?私は出ても大丈夫ですけど……」

 

 喜多が気遣うように言うが、リョウさんは「甘いよ郁代」と咎めた。

 

「そういう箱は経験上信用できないし、リスクも大きい。客層も予想し難いし、私達の演奏が受けるとは限らない」

「でも、箱はそこそこ大きいしノルマは免除ですよ。それにギャラもちゃんと出るんで、これに出ればライブTシャツも作れる目途が立つんです」

 

 今回は緊急の穴埋めと言う事もあって、ギャラもブッカー側から出してもらえる。資金難に喘いでいる結束バンドの懐事情を考えれば、ここに出演して少しでも資金の足しにしたいと言う考えがあった。

 

「そういう問題じゃない。こっちだってステージを選ぶ権利はある。それに、ノルマチケットが免除と言う事は、身内がほとんどいない完璧なアウェー。盛り上げるハードルも高い」

 

 普段おちゃらけてて自由人なリョウさんからはなかなか想像できない、真剣な表情で僕をじっと見つめてきた。

 

「……後藤はどう思う?」

 

 剣呑な空気を感じ取った僕は、逃げるように後藤に質問を投げかけてみる。突然声をかけられた後藤は「ひえっ」と慌てて返事をした。

 

「わ、わわ、私は出来たら、慣れているSTARRYの方が……ま、まだ別の箱でちゃんと演れる、確信がないから……」

 

 顔を俯けながらも不安を隠さずに、後藤は素直にそう打ち明けてくれた。

 

「だよね、やっぱり難し――」

「で、でも」

 

 けれど後藤は俯かせていた顔を上げて、僕を真っすぐに見て言った。

 

「た、試してみたい、です。わ、私達の音が、ど、どこまで通じるのか、ちょ、挑戦したいって思います……」

「……おー」

 

 僕は心の中で舌を巻いた。人と話す事はもちろん、誰かの前で演奏をすることも苦手だったあの後藤ひとりが、進んで自分から他所のライブハウスで「試したい」と言うなんて。最近の後藤はいつにも増して成長が著しくて、僕も自分の事のように嬉しくなる。

 

「後藤さん、すごいじゃない!そこまで言えるようになるまで成長していたなんて……!」

「え、うぇへへ私がんばりまおろろろろろろ」

「キャー!汚いっ!」

「体と心は正直。全力で拒絶反応が出てる」

 

 と思ったらこれだよ。以前より成長してるとはいえ、後藤はやはり後藤だったか……。

 そのまま倒れ込んだ後藤は案の定動かなくなったので、ゴム手袋を装着した僕と喜多は、後藤の口から漏れ出たピンク色のねばねばした謎の液体を戻す作業を始めた。直接自分の皮膚に触らないよう慎重に下敷きで掬っていく。このピンク色の液体を間違って触れたり口の中に入ってしまうと鬱病になって死にかける危険性があるのは既に経験済みである。

 

「後藤さん、成長したと思ったらやっぱりまだまだねー……」

「でも大分進歩してる方だよ。引っ込み思案な後藤が他所のライブハウスで演りたいって言うなんて、少し前までなら考えられなかったし」

「そうよね……後藤さんも成長しようと必死なのね」

 

 気化した後藤を吸い込まないように、しっかりガスマスクを装着しながら作業は慎重に行われた。

 液体を後藤の中になんとか注ぎ終えると、無事に意識を取り戻してくれたので、僕は溜め息を吐きながら椅子に座り込む。今回の死に方は蘇生するのに集中力必要だから疲れるんだよなぁ。

 ……ところで何の話をしてたっけ?

 

「だから、ライブに出るか出ないかだよ」

 

 リョウさんが真剣な表情で仕切り直した。

 

「カズ。前にも言ったよね。今このバンドは勢いがあるって。ライブなら、私だってやりたい。でもここでコケるリスクを取る必要はない。失敗したらお通夜みたいになるか、最悪ブーイングの嵐で地獄だよ」

「……それは」

「私はこの箱でのライブが、『次に繋がる』とは思えない」

 

 リョウさんの考えは的を射ている。

 司馬さんの紹介とはいえ、今回のオファーはメリットよりリスクの方が大きい。慣れない箱、予想できない客層。博打の要素が強すぎる。もしここで失敗してしまえば、ギャラは得られてもモチベーションを無意味に下げただけの結果になるかもしれない。それを考えれば、マネージャーとしてはやっぱり断るべきか。

 僕が少し悩んでいると、ここまでずっと黙っていた虹夏先輩が口を開いた。

 

「リョウにしては慎重だね?」

 

 虹夏先輩の口調は、どこかからかうような響きを含んでいた。真剣に訴えているのに茶化されたリョウさんは、わずかに苛立った声で返す。

 

「当たり前じゃん。バンドのことを考えたら、今回の出演は得策じゃない」

「うん……私もそう思う。でも——」

 

「出ようよ。ライブ」

 

 真剣な口調でそう告げる虹夏先輩を、リョウさんは怪訝そうに眉を歪めた。

 

「……話聞いてなかったの?」

「ちゃんと聞いてた。それでも、出ようよ」

「それでもって何?」

「りょ、リョウ先輩?虹夏先輩?」

 

 虹夏先輩とリョウさんの間に、ピリついた空気が生まれ始める。喜多もそれを感じ取ったのか、不安そうに僕の袖をそっとつまんだ。

 幼馴染同士らしく気安い関係の二人が対立するのは珍しい。それ以上に、リョウさんが真剣な表情でわずかに怒りを滲ませているのに対し、虹夏先輩がどこか余裕のある笑みを浮かべていることが、その場の空気を張り詰めさせていた。

 

「STARRYでバイトして、ここでライブが出来るのをじっと待っててもいいと思う。でも、ステージの方から私達を迎えに来てくれたのなら、どんな場所でも立つべきだよ。それに――」

「それに?」

「勝てるステージだけ選んでライブをするのは、正しくないと思うんだ」

 

 その言葉に、僕も、俯いていた後藤も、不安げに僕の袖をつまんでいた喜多も、そしてリョウさんも、一瞬はっとして虹夏先輩を見つめた。

 彼女は自信満々というわけではない。でも、不安も見せない。ただ「やるべきことをやる」という強い意志が、その目に宿っていた。

 あの取材の日から虹夏先輩はどんどん意欲的になっていたと思う。でも今は、それ以上に落ち着きがあった。バンドを前に進めるために、自らリーダーシップを発揮して皆をまとめようとしている。

 少し前までの虹夏先輩とはまるで別人みたいだった。毎日のように一緒に練習していたのに、知らない内にここまで頼もしく思えるほど大きくなっていたのか?

 

「少し前から考えてたんだけど」

 

 先輩は後藤から順にぐるりと僕らの顔を見渡して、最後に、リョウさんを真っ直ぐに見た。

 

「前まではずっと、STARRYで経験をゆっくり積んでいけばいいと思ってた。でも、来年の『未確認ライオット』に出場して勝つ為には、それじゃあダメなんだと思う。私達はこの半年間、ずっと準備をして、ようやくデビューが出来た。リョウの『勢いを途切れさせたくない』って考えも分かる。でも結局の所、私達はまだ無名の駆け出しバンドで、ステージに立てるならどんな場所でも立つべき段階なんだって思えるの」

 

 虹夏先輩の視線は強く、迷いがなかった。

 

「これからたくさんのステージに立つ為にも、私達の()()の為にも。挑戦して、ベストを尽くすべきって思うんだ。それに、自分達から挑戦したなら、たとえ失敗しても得るものは大きいはず。だから、私はリーダーとして――このライブに出るべきだと思う」

「……本気?」

 

 リョウさんが恐る恐る、小さく問いかけた。けれど、どこか怖がっているリョウさんの恐怖を跳ね飛ばすように、虹夏先輩は笑った。

 

「大丈夫だって!私達の演奏なら、お客さん全員ファンにするぐらい楽勝だよ!」

 

 結局、この一言でリョウさんは折れ、結束バンドは明日のライブに出演する事になった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに、明日のライブの為にメンバー全員がSTARRYのバイトに出る事が難しくなったので、シフトをいじってもらうよう店長さんに頼みに行ったら。

 

「……店長さん、なんで泣いてるんですか?」

「さっき結束バンドの皆さんの話を聞いてからずっとこうなんですよ~。可愛いですね~店長」

「うるせえな。この年になると、子供の成長は涙腺に来るんだよ……」

 

 バックヤードで嬉しそうに目を赤く腫らしていた師匠の事は、僕とPAさんだけの秘密だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ミーティングの後、明日のライブのセトリと集合時間を決めた。リョウさんと虹夏先輩はバイト、喜多と後藤はシフトがないので、既にスタジオで練習を始めている。

 僕は司馬さんに連絡してライブ出演の旨を伝えた後、STARRYのシフトに入った。今日はPAさんのアシスタントが主な業務なので、開場まで少し暇だった。やることもないので、いつかと同じように入り口付近の階段を掃除していると、受付で頬杖を突いていたリョウさんがぽつりと言った。

 

「虹夏って、あんな強かったっけ」

 

 頬杖を突きながらいつもの無表情で――でも、どこか寂しそうにリョウさんがぽつりと独り言みたいに呟いた。多分、僕の返答は求めていなかったんだろうけど、僕も思う事があったので箒で埃を掃きながら返事を返した。

 

「僕も驚きました。最近は良く一緒に練習してて、やる気があるなーとは思ってたんですけど」

「そだね。私が独り寂しくしてる間に二人でレーベルと話したり自主練したりしてたもんね」

「その話は悪かったって言ったじゃないですか……」

「今度、マック奢ってくれたら許す」

 

 ちゃっかりしてるなこの人は。

 

「私が知ってる前までの虹夏なら、今回のオファーは絶対見送ると思ってた。なのに、あんな風に説得してくるとは思わなかった」

 

 僕は頷いた。

 

「元々意志が強い人だなとは思ったんですけど、なんだかそれに一本芯が通ったみたいな感じでしたね」

 

 多分、司馬さんと佐藤さん、音楽業界で働く二人の大人と話して、虹夏先輩の内側で何か変化があったんだと思う。目に見えない、心の成長。

 あの時、佐藤さんの意見をわざと聴かせたのは、あわよくば先輩が少しでも何か成長するきっかけになればと思ってのことだった。でも、僕が想像していたよりもずっと頼もしく、良い方向に成長してくれていた。

 ドラマーとしても、バンドのリーダーとしても、一回り大きくなってくれていた。

 店長さんが泣くほど感動する気持ちが、実は少し分かる。

 

「うん。普段の虹夏なら短絡的に突っ走って失敗する事も少なくなかったのに、なんだか今日は落ち着きが加わってるみたいだった。それに最近はドラムの音も強くなってて、私好みのサウンドになってる」

「……でも、いい傾向なのに、リョウさんはなんかつまらなそうと言うか、嫌そうですね?」

 

 そう言うと、リョウさんは首をぶんぶんと振って否定した。

 

「ううん……嫌じゃない。虹夏が成長しているのは私も嬉しい。自分の事みたいに」

 

 そう言って微笑んだけど、リョウさんは少し寂しそうで、すぐに顔を俯かせた。

 

「でも、さ。私はこのバンドの事を考えて、今回のオファーは見送ろうとしてた。無意識に立ち止まろうとしてた。でも、虹夏は……進もうとしてた。自分から厳しい道を選んだ。それがなんだか……ロックンローラーとして、負けたな、って思っちゃったんだ」

 

 確かに、いくら地雷案件とはいえ、あそこまで頑なに反対するリョウさんは少し「らしくない」と感じた。無表情で、とぼけたり、だらしないところを隠そうともしないせいで図太く見られがちだけど、この人の本質はもっと繊細だ。ただ、それを隠すのが上手すぎて、普通なら気づけないだけで。

 

「私ってこんな臆病だったかな?」

 

 ……リョウさんは、バンドが崩壊する事を極端に恐れている節がある。

 それは多分、前に所属していた『ざ・はむきたす』が、自分の心変わりがきっかけで解散させてしまったと言う負い目と悲しさから生まれた恐れ。

 自分の大切な居場所と、自分が好きな音楽を失う――その恐怖が、この人の根っこのところにまだ残っている。 

 あの解散はリョウさんも『ざ・はむきたす』のメンバーも悪くはない。なるべくしてなったとも言えるし、リョウさんなりに出来るだけの事をしていたと思う。

 けど、リョウさんにとってはそうじゃないのだろう。半年も経って、傷はもうとっくに塞がっているはず。でも、それでも、この人にとっては忘れがたい大きな傷跡になって残っている。

 

「虹夏も、ぼっちも郁代も成長してるのに、私だけまだ子供みたい」

「……そんな事ないですよ。リョウさんは僕にとってはお手本のロックンローラーで、最低のクズベーシストです」

「照れる」

 

 半分は貶してるのに、よくそこまで嬉しそうにできるなこの人。そんなに嬉しそうにされるとなんだか居心地が悪い。

 ――要するに、幼馴染で同い年の虹夏先輩に置いていかれる感覚が、この人に寂しさとか悔しさとか、複雑な感情を抱かせているんだろう。僕も身に覚えがあるので、リョウさんの気持ちはなんとなく分かった。

 

「そんなに負けたくないなら、偶にはバックボーカル*5じゃなくてメインをやってみてもいいんじゃないですか?」

 

 呆れと冗談交じりに僕はそんな事を提案してみる。

 前世のアルバムでは山田リョウがボーカルを務める楽曲がいくつか収録されていたのを覚えているが、この世界でリョウさんがボーカルとして歌ってる場面は一度も見た事がない。せいぜい、僕の家でNirvanaやTOOLを聴いていた時、大ファンのリョウさんが深夜テンションをぶち上げてカラオケしたぐらいだ。ざ・はむきたすの頃もベースに専念していたらしいし、結束バンドでもメインボーカルは一切やらずに喜多のサポートをするバックボーカルに徹していた。

 前世で結束バンドのアルバムを何度も聴いていた僕としては、リョウさんの生歌も聴きたいなと思っていた。だから「リョウさんってボーカルやんないんですか?」と訊いてみたことがある。

 

「私がフロントマンまでやったら、私のワンマンバンドになってバンドを潰しちゃう」

 

 どこから冗談でどこまで本気なのか分からない。そんな答えが返ってきて、呆れた僕はそれ以来何も訊かずにいた。ボーカルはやる気がないと言う、リョウさんなりの意志表示なんだと僕はそう勝手に解釈した。

 けれど、僕の家でリョウさんが歌った『Smells Like Teen Spirit』や『Sober』は息抜きのカラオケとは思えないほど上手だったのが印象に残ってる。喜多程じゃないにせよ、英語詞の発音が上手で声量もあって、そもそも中性的で綺麗な声帯を持っているリョウさんがニルヴァーナを歌えば、僕の印象に残るのも当然だった。もしこの人が本気で歌ったら、ひょっとしたら本当にそこらのバンドを簡単に潰してしまうかも――なんて、そう思えてしまう程だ。

 だからこそ、心のどこかで惜しいと思っていた。

 いつか山田リョウと言うベーシストが本気で歌ったら――そんな風につい未練がましく提案してしまったのだ。

 

「……」

 

 すぐに茶化されるか、即座に断られると思っていた。けれど、リョウさんは眉間に皺を寄せ、珍しく考え込む。

 

「リョウさん?」

「ん、なんでもない。ちょっと考えとく」

 

 僕の提案に思うところがあったのか、それだけ言うと「話は終わり」とばかりに受付の作業に戻ってしまった。

 中途半端に会話を切られた僕は、それ以上深掘りすることもできず、肩をすくめて掃除の作業に戻るしかなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 5月初めの水曜日。

 ライブ当日、僕らは学校を終えた後に池袋駅で集合し、そのままライブハウスに向かった。

 

「え~っとどちらさんでしたっけ。輪ゴム?あ、けっそく?バンドさんっすね~。出演頂きありがとうございますブッキングマネージャーの柳っす。そんじゃリハやるんで準備お願いします分かんないことがあったらその辺のスタッフに聞いてくださ~い。あ、ゆみちゃ~ん?ごめん今仕事中でさ~今度の同伴は一緒にイタリアン行かない~?」

 

 ライブハウスに到着し、ブッカーに挨拶をすると、柳さんは僕が想像していた通り――いや想像の10倍ひどいブッカーだった。ライブの欠員の穴埋めでわざわざ来たのに柳さんはへらへらと笑ってそのまま電話に戻ってしまった。結束バンドより風俗嬢との電話の方が大事らしい。

 

「すいません、うちの店長が……観ての通り、音楽にまっっったく興味がない人で。オーナーのお孫さんと言う事で就任してきたんですけど、いつもあんな調子で……本当に申し訳ありません」

 

 唯一の救いは、この箱のPAを担当している石河さんだった。30代ぐらいのおじさんで、顔を青くして疲れ切ったような表情で、今日出演するバンド全員、一人一人にそれぞれ謝罪して回っている。特に、結束バンドに対しては今にも地面に頭を突き刺すんじゃないかと思えるぐらい、何度もぺこぺこと勢いよく頭を下げてきた。なんだかこの人の苦労が窺い知れて、僕も思わず同情してしまいそうになった。

 

「おはようございます~。ヴィジュアル系バンドの『氷葬レクイエム』で~す。会場にいる奴ら全員エターナルブリザードかましていくんで、よろしく~」

「どうもー……デスメタルバンドの『地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)』っす。どうぞよろしくっす」

「地下アイドルの『天使のキューティクル』です!今日はよろしくお願いしまーす!」

 

 ホールに集まっている恐らく今日出演するバンドにも挨拶回りをしてみたが、前評判の通りジャンルはバラバラ。デスメタル、ヴィジュアル系バンド、地下アイドル……普通に学校の制服で来てしまった僕らが逆に浮いているみたいな感じじゃないか。

 

「いや~想像以上にひどいね!」

 

 スタッフに案内してもらって楽屋に入ると、あっはっはと引き攣った笑みを隠さず虹夏先輩は笑った。もう笑うしかないと言う状況だ。

 

「なにかしら、他のバンドの衣装……地下アイドルみたいな人達もいたし、仮装大会?私、ライブハウスってSTARRYとFOLTしか入った事がないから、すごくついていけない感じが……ここでちゃんと歌えるかしら」

「これ、逆に私達の方が浮いてない?私服で来た方がまだマシだったかも」

「こんだけ個性的な衣装の人達が揃ってるなら、まだ制服の方が目立つよ!……多分」

「自信なくなってるじゃん」

「でもライブ用の衣装はやっぱり必須だね。制服も良いけど、来月までには発注できるようにしないと!」

「いいですね、虹夏先輩!そしたら私、ライブTシャツのデザイン考えたいです!」

「期待してるよ、喜多ちゃん!今度またミーティングで決めよっか」

「それより虹夏、私達の持ち時間は30分だっけ」

「うん、そうだよ。大体MC含めて出来るのは5曲ぐらいかな。それがどうかしたの?」

「ちょっとセトリ変えよう」

「え、どうして?」

「確か私達の出演は3番目だったよね。で、トップバッターがビジュ系の人達で、2番目がデスメタル。昨日のセトリは1曲目が『星座になれたら』だったけど、あの二組のバンドは結構ハードロック寄りの演奏をするみたいだから、あの曲じゃ合わない可能性がある」

「あーそっか。お客さん、ギャップで戸惑っちゃうもんね。じゃあ一曲目はもう少し激しい曲にする?この間動画で撮ったHump Backの『月まで』とか」

「それでもいいけど、出来たらオリジナル曲でやろう。郁代、『あのバンド』は歌える?」

「はい、もちろんです!」

「ぼっちは――」

「√﹀╲_︿╱﹀╲/╲︿_/︺╲▁︹_/﹀╲_︿╱▔︺╲/╲︹▁╱﹀▔╲」

「に、虹夏先輩!後藤さんが!後藤さんの心拍音が凄い事に!」

「ありゃー委縮しちゃってるね……ぼっちちゃん落ち着いてー!そのままだと心臓が口から飛び出るよー!」

「どうしよう、また後藤さん死んじゃいそう……カズ君?どうしたの、具合でも悪い?」

 

 ぎゃいぎゃいといつものように騒いでいる結束バンドの皆の横で、僕の心臓は嫌な鼓動を打っていた。

 出来る事はする、そう言ってこのライブハウスのステージに出演する事を決めた僕らだけど、やっぱりやめておけばよかった、という後悔がじわじわと滲んでくる。

 

「ごめん、喜多……やっぱり断っておくべきだったかな」

 

 思わず、僕はそうぽつりとこぼしてしまった。

 

「カズ君、大丈夫?」

「あ、いや……」

 

 心配そうに僕の顔を覗いてくる喜多の目を、気まずくて直視できない。

 頭の中で別の僕が「お前の責任だろ」と訴えかけてくる。これから喜多を、結束バンドの皆をこのライブハウスのステージに上がらせる事が、とても心苦しい。今日は僕がステージに出る訳じゃないのに、心臓を冷たい手で握られたような感じだ。さっきから指先は妙に冷たいし、嫌な汗がじわじわと滲んでくる。

 僕がもっとまともなライブハウスと交渉していれば、こんな所で演る必要はなかったはずなのに。

 疑問と後悔が入り乱れ、僕は思わず顔を覆って大きく溜息を吐いた。

 

 言い訳はいくらでも出てくる。でも、突き詰めれば結局の所、僕の怠慢が招いた事だ。

 

 ちゃんと、皆の灯台になるって決めたのに。皆の為にプロデューサー業を頑張ると決めていたのに。僕は間違った選択をしてしまったんじゃないか――。

 

「「こらっ」」

「あいだっ!」

 

 脳天と脇腹に衝撃が走る。リョウさんが僕の脳天にチョップを、虹夏先輩が僕の脇腹に正拳突きをしてきたのだ。

 

「……何するんですか!」

「カズが珍しく凹んでいるから。気合を注入してやった」

「そーそー。ほら、根性注入って奴だよ!ね、喜多ちゃん」

「はいっ!カズ君!」

 

 返事と同時に、喜多が僕の背中を思いっきり叩いた。よろけてしまうほどの衝撃に、思わず声が漏れる。

 

「~~~~~~いってぇっ!喜多ぁ!」

「きゃー!カズ君が怒ったー!」

 

 睨みつけると、喜多はいたずらが成功したみたいに無邪気に笑って、リョウさんの背中に隠れた。喜多をどうとっちめてやろうか考えていると、今度は僕の左の二の腕に、ぽむ、っという柔らかい感触があった。

 振り返ってみると、後藤がおずおずと僕の二の腕にパンチをしていた。拳を当てる瞬間目を瞑ってぽむ、ぽむ、と拳を当ててくるけど、へっぴり腰で繰り出される拳は叩いてると言うより押しているという感じで、全然痛くない。

 

「え、えへへ……すいません」

 

 僕と目が合った後藤は何度もぺこぺこと頭を下げて、慌てて虹夏先輩の背中に隠れた。

 顔を上げた僕は、皆と向かい合う。虹夏先輩は不敵に笑って、リョウさんは澄ました顔で、喜多は満面の笑みで、後藤は下手糞に笑って、頷く。

 

「――大丈夫だよ、カズ君!」

 

 一呼吸置いて、喜多はまっすぐ僕を見た。

 

「私達を信じて!カズ君が推すバンドは、ちゃんと強くなってるから!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 リハが始まると、会場は少し慌ただしくなる。ライブ準備の流れはSTARRYと大して変わりはない。相変らずブッカーの柳さんは風俗嬢との電話に夢中になっているけど、それ以外のスタッフさん達は割かしまともで、僕はできるだけ柳さんを視界に入れないようにしながらフロアを立ち回っていた。

 

「いやぁ、すいません。井上さん。お招きした側なのに、手伝いまでしてもらっちゃって」

 

 フロアを仕切っているのはほとんど石河さんらしく、箱のスタッフも、柳さんではなく石河さんの指示に従って動いていた。柳さんが適当な分、この人が中心になってライブを取り持っているのだろう。ブッカーが滅茶苦茶なわりにこの箱がライブハウスとしての体裁を保っていられるのは、恐らくこの人がいるおかげなのだと察せられた。

 

「それにしても、さっきから顔が赤いですけど大丈夫ですか?空調は効いてると思うんですけど」

「えっ!?あっ、いや大丈夫ですよっ!」

 

 結束バンドの皆から根性注入を受けて、気恥ずかしくなってしまった僕は、逃げるようにフロアの準備を手伝っていた。プロデューサーが根性入れられてどうするんだよと思ったけど、それも言えなかった。

 なぜだか、さっきの喜多の表情が瞼に焼き付いてしまったように離れなくて、妙に浮ついた気分があったからだ。頬や顔が妙に熱いのは、先輩や喜多のテンションに充てられただけだと思い込みたかった。

 ふわふわとした落ち着かない気分をどうにか消したくて、僕は手を動かし続ける。

 

「――ん?」

 

 ふと、ステージの横――僕の背より大きなスピーカーの裏に、何かがあることに気付く。ステージの照明の光がわずかに反射する、光沢のある何か大きな物が置いてある。

 それが妙に気になった僕は、ステージ上でリハをしているバンドの邪魔をしないよう、僕は大回りで静かに近づいた。

 そこは物置のスペースになっていた。スピーカーと黒いカーテンの仕切りによって、観客側からは絶妙に見えない場所。音響機材や照明機材の箱が積まれていて、嫌に埃っぽい匂いが鼻をつく。

 そんな埃と機材ケースの間に、場違いなほど立派なグランドピアノがひっそりと鎮座していた。

 

「……なんでこんなところにピアノが?」

 

 YAMAHAのグランドピアノだ。それも多分、僕の高校や中学にあるピアノよりも高級な物。真っ黒な巨体の上には、何かの書類やガラクタが詰め込まれた段ボール箱が埃と一緒に積まれている。

 もうずっと長い事放置されているのは、鍵盤の蓋に載った埃が物語っていた。かつて大切に使われていたであろうグランドピアノは、静かに眠っているようにも、死んでしまったようにも思えた。

 けれどグランドピアノの黒い光沢と巨体は、埃が溜まっても、ステージの脇に追いやられても、圧倒的な存在感を放っていた。まるで誰かを待ち続けているように。

 ステージから降りた僕は、石河さんにピアノの事を尋ねてみた。 

 

「ああ、あのピアノですか?もうずっと昔からあるんですよ――ああいえ、このライブハウスができるよりずっと前です。元々この建物ってジャズクラブかなんかだったらしくて、その頃に使われていたピアノらしいんですよ。オーナーがこのビルを買い取った時に、ピアノも丸ごと引き受けたみたいで。でも、最後に使われたのはもう数年前かな……。店長曰く、今年中には撤去するらしいですよ。あのピアノ」

「そうなんですか?」

「今じゃシンセやキーボードが主流になってますから。それに、この箱を使いたがるミュージシャンは基本ロックバンドばかりなんで、もう出番がないんですよ」

 

 石河さんはそう言って、自分の作業に戻ってしまった。

 僕は思わずフロアの真ん中でピアノを吸い寄せられるように見てしまう。ステージでリハをしているバンドの音より、あのピアノがどんな音を奏でるのかが気になって仕方がなかった。

 何故か分からないけど、あの古いピアノは――僕を呼んでいる気がした。

 

 もう一度、奏でたいと。あのピアノはそう叫んでいる気がしたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 今日のプログラムに出演する全員のリハが無事に終わり、ライブハウスが開場されると、次々と客が入り始めた。

 フロアには多種多様な客が入り始める。地下アイドル目当てであろう推しうちわとペンライトを握りしめた男の集団、V系バンドの顔目当てのいわゆる地雷系の女性達、デスメタル目当ての世紀末みたいな風貌のモヒカンの集団達。

 一応、結束バンドのSNSでも今日のライブに出る事を告知しているけど、結束バンド目当ての客は――当たり前だけど見つける事は出来なかった。緊急の告知だったし、昨日今日で客がここまで来てくれるとは考え難い。大学生ぐらいの女性二人が居たけど、前回のライブの客の顔を覚えられていないので、二人が結束バンドのファンかどうか僕は確かめる術もない。

 結束バンドにとって、完璧なアウェー。僕はフロアの最後尾で、ステージが始まるのをじっと待っていた。もう僕が出来る事は何もない。

 あとは無事に結束バンドの皆が、演奏を終えるのを待つ事しか出来ない。

 

「本当にこの箱で演るとは思わなかった」

 

 突然、僕の隣で声がした。そっちを見ると、ビールが注がれたプラカップを片手にステージを見つめる佐藤さんが立っていた。今日はオフモードらしい。

 

「来たんですか?」

「好きなバンドのライブを観に来るのは、当然でしょ?――かぁー、美味いわぁビール」

「犯罪臭が凄い」

 

 とことん、煙草とビールが似合わない人だ……。

 

「ん?なんですかそれ」

 

 よく見ると、佐藤さんの首元に見慣れないカードが下げられている。『Media』と印字されたラミネートカードだ。

 

「ああ、これ?取材許可のパス。さっき頼んでもらったのよ。ついでだからバンドの写真も撮らせてもらおうと思って」

「いつの間にアポ取ってたんですか?」

「さっき柳とか言うブッカーに頼んだら「あ~取材っすか?おっけーおっけー」って貰えたけど」

「適当過ぎるでしょ……」

「それより、大丈夫なの?結束バンドは」

「心配してくれてるんですか?」

「当たり前でしょ!将来有望なバンドが潰れたら目も当てられないもの。こんなイロモノ集団の中で演奏するなんて――ひうっ、あ、いえ、なんでもありませ~ん!」

 

 佐藤さんがぽろりと毒を吐いた瞬間、僕らの周りにいたファン達の視線が一斉に集まった。

 

 ――何、私達の推しの文句言った?

 

 その視線には明確な敵意が宿っていた。自分の推しを貶されると、ファンはまるで自分のことのように怒る。派閥がまったく異なる彼らは、推しを馬鹿にされたことにより佐藤さんへの殺意で心をひとつにしていた。

 さすがに今のは佐藤さんが100パーセント悪いので僕は何も擁護しない。僕は無関係です。だからモヒカンのお兄さん、僕を睨まないでください。

 引き攣った笑みで佐藤さんが何度かぺこぺこと頭を下げると、周りにいた観客達は「今回は見逃してやる」と言わんばかりに舌打ちしてステージの方へ向き直った。

 

「え、えへへ~……あー焦った」

「何やってんですか……」

 

 呆れて言葉も出ない。やっぱり佐藤さんはどこまで行ってもぽいずん♡やみなんだよなぁ……。こういう炎上体質が無ければ素直に尊敬できるのに。

 

「まあ、心配してくれてありがとうございます。でも――多分心配はしなくてもいいと思いますよ」

「どうしてよ?」

「あの4人は前よりずっと強くなってますから」

 

 僕がそう言うと、佐藤さんは目をしばらく丸くして、ビールを一口呷った。そしてカバンから一眼レフカメラを取り出し、いつでもシャッターを切れるよう両手で構えた。

 

「お手並み拝見ね」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 V系バンド『氷葬レクイエム』のライブは意外と良かった。

 最初、スプレーとワックスでガチガチに固めた髪型やメイクを最大限に活かしたビジュアルでファンを釣ってるだけかと思いきや、彼等のパフォーマンスは十分凄かった。

 ジャンルとしてはゴシックメタルに分類されるのだろうか?不気味なエレクトロサウンドと、硬質的なギター。そして冷たく恐怖を煽るボーカル。特にボーカルは、デスボイスとハスキーボイスを巧みに使い分け、煽情的に女性達を煽っていた。色っぽい歌詞と歌声で異性を虜にする、女性たちの黄色い歓声で会場が沸き立つのも無理はなかった。

 

「何これ、メタル?」

「歌詞が聴き取り難くて分かんないよ」

「こんなのロックじゃねえ!」

 

 ただ、会場に集まったのは氷葬レクイエムのファンだけじゃない。地雷系女子達が大騒ぎしている中、客達の反応は戸惑いと困惑が漏れ出ていた。最高に興奮しているファン達と、冷ややかな反応を示す客達とで、会場の反応は二分されてしまっている。

 

「だから闇鍋ライブはダメなのよね……。客が盛り上がってないとパフォーマーもやり難いでしょうに」

 

 佐藤さんが残念そうに呟く。後ろから見ている僕らでも困惑が伝わるのだから、きっと観客の顔が一望できるステージの上からならもっと伝わっているだろう。

 けれど氷葬レクイエムは、そんな観客達に惑わされる事なく、最後まで堂々と演奏をやり切った。観客達の中には氷葬レクイエムの曲が刺さった客も何人かいるようで、演奏が終わる頃にはフロアの空気もかなり良くなっている。

 

「メンバー全員、最後まで演奏をやり切りましたね。ゴシックメタルってあんま聴いた事なかったですけど、勉強になりました」

「あら。あんたでも聴いた事ないのね?」

「ゴシック系ならDarling Violetta の『A Smaller God』とか好きなんですけど。でもメタルを聴き始めたのは割と最近なんで、レパートリー少ないんですよ。佐藤さんのオススメは何かあります?」

「そうね……あんたが好みそうなのはType O Negativeとかかしら。時間があったら聴いてみなさい。『Love You To Death』とかかなり良いわよ」

「後で聴いてみます。にしても氷葬レクイエムのボーカルさん、滅茶苦茶上手いですよね?あんなにデスボイスとハスキーボイスを使い分けるボーカル、生で聴いたの初めてですよ」

「確かにそうね。あの若さでここまで出来るなら、他の箱で演ればもっと盛り上がれるでしょ。次のライブに期待ね」

 

 今日はオフモードのはずなのに、佐藤さんはこんな時でもメモを欠かさず取っていた。きっと近い内、取材をしに出向くのだろう。

 しかし、問題なのは次のバンドだった。

 

「テメェら、頭振れやァァァァ!!」

 

 デスメタルバンド地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)

 ネットの情報曰く、『観客との殴り合い』をコンセプトにする、お手本のようなデスメタルバンドだった。

 黒を基調としたレザージャケットを着こみ、モヒカン頭を振り回しながら繰り出される高速ギターリフ。そして観客達を挑発するかのように中指を立てて煽る過激なパフォーマンス。その上、はっきり言ってこのバンド、滅茶苦茶下手糞だ。ギターやベースの演奏はともかく、正直ボーカルは聴けたもんじゃない。

 デスメタルと言う、元々万人受けしないジャンル。その上、耳障りな騒音と捉えられても仕方がない演奏。客達からブーイングが飛び始めるのには、そんなに時間はかからなかった。

 

「ぶー!」

「やめろ下手糞ー!」

「ファックオフ!この曲の良さが分からねえなら、とっとと帰りやがれクズどもめ!」

 

 デスメタルは過激なバンドが多い――というのはよく在る話だが、腹を立て始めた観客達に対してボーカルが煽り始めたのも良くなかった。おまけに、地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)を目当てに入って来た客達も地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)の暴動を目当てにやって来たような連中だったので、ブーイングを止めるどころか彼等も自分から暴れ始める。火に油を注ぐように怒声があちこちで上がり始め、中には飲み物が入ったコップがステージに投げ込まれる。

 開始から10分。会場はもはや音楽を聴く場ではなく、罵声と怒号が飛び交うカオスな戦場になっていた。

 ボーカルは中指を突き立て「上等だクソども!」と叫ぶが、もはや演奏を聴こうとする観客はほとんどいない。どこからか投げ込まれたドリンクがギターのエフェクターに直撃し、バチッと音を立てた。音が一瞬途切れギターがノイズまみれになるが、地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)はそれでもなおギターで暴れまわろうとするが――

 

「飲み物を投げ込まないでください!」

 

 スタッフのアナウンスが響くと同時に、地獄の看守(ヘルズ・ウォーデン)はスタッフ達に強引に連れて行かれ、あっけなく舞台裏に撤退させられた。

 

「嫌な予感当たっちゃった……」

「どんなバンドかろくに調べもせずに集めるからこんな事になるのよ」

 

 騒動に巻き込まれないよう、後ろの壁際に避難していた僕は小さくため息を吐いた。佐藤さんは苛立ちを隠さずに悪態を吐いている。

 スタッフ達が急いでゴミが散乱するステージを片付けする中、マイクを持った石河さんが疲れ切った表情で『大変申し訳ありません』と謝罪する。しかし、観客達の反応は冷たい。

 幸い、怪我人は出ていないようだが、それでも後味の悪さが残っていた。呆れた観客達――特に、『氷葬レクイエム』のファン達はちらほらと帰り始めてる。もう目的のバンドはパフォーマンスを終えているのだ。そのまま帰ってもおかしくはない。会場の空気は、最悪だった。

 けれど、どんなに最悪な状況でも、ステージは進む。

 

「正念場ね」

 

 不満げにしていた佐藤さんが、カメラを構えて集中する。

 フロアから出口に向かう客が何人もいる中、虹夏先輩、喜多、リョウさん、後藤。4人全員がステージに現れた。

 

「あーもう、気分悪い。氷葬レクイエムは観れたし、もう帰りましょ?」

「ちょっと待ってよ、せっかく高いお金払ったのに。あと少し見て行こうよ」

「嫌よ、さっきみたいなバンドのライブ観るのは」

「制服着てんじゃん。あれ学生バンドか?勘弁してくれよ」

「らふぁえるたんを観るまでは帰れない……頼むからまともなの頼むよ~」

「が、頑張れー!結束バンドー!」

 

 ステージに上がった結束バンドは黙々と演奏の準備を始めている。一言も喋らずに準備をする彼女達を見て、観客達は不安そうにステージを見つめていた。

 

「喜多……リョウさん……後藤……虹夏先輩……」

 

 4人が今立っているステージ。あそこにどんなプレッシャーが生まれ、それが渦巻いているかは分からない。針の筵かもしれないし、深海のように息が出来ない場所かもしれない。

 ――でも。

 

「――頑張れ」

 

 一曲でいい。

 このステージに、さっきのバンドに負けないぐらい、綺麗で繊細で、荒々しい音を刻んでくれ。

 このフロアで、君達に勝てる奴はいない。

 だって、僕が推しているバンドなんだから。

 

「――ワンツースリーフォー!」

 

 結束バンドの2回目のライブ。自己紹介も曲の紹介も挟まず、演奏は始まった。

 虹夏先輩がハイハットのシンバルに4カウントを刻み、フロアの生ぬるく、そして淀み濁った空気を切り裂いた。後藤のギターリフが荒々しく吹き荒れ、リョウさんのベースは重く質感のあるビートをアンプで放ち、フロア全体を包むように伸し掛かった。喜多の幼くも美しい歌声は、心臓を突き刺し、地面に繋ぎ留めていく。

 

 結束バンドの『あのバンド』。

 

 あのバンドの歌がわたしには

 甲高く響く笑い声に聞こえる

 あのバンドの歌がわたしには

 つんざく踏切の音みたい

 

「驚いた……これは本物だわ」

 

 カメラでシャッターを何枚か切っていた佐藤さんが、心の底から感心したように呟いた。

 音楽は、魔法だ。人の理解を越えた力がある。

 津波のような強い音は、お腹の底を足元から震わせる。その心地良さは全身に響き渡る快楽だ。人から考える力を奪い去る。

 帰ろうとする客の足を地面に縫い付け、上から押し潰すように抑えられ、身じろぎする事すら許されない。僕らはあのバンドが歌を終えるまで、逃げる事ができない。

 ていうか――。

 

「喜多の歌とギター……こんなに凄かったか?」

 

 ピックを力任せに掻き鳴らしながら、背中を仰け反らせ、僕の幼馴染がマイクに吼える。

 以前だったら歌に集中しすぎて雑になる事が多かった喜多のギターが、崩れない。僕はあんな弾き方を教えていないはずなのに。

 

 背中を押すなよ

 もうそこに列車が来る

 

 私達の音を聴け。私達の歌を聴け。

 それ以外の事に目を向けるな。ただ私達の音を聴いていろ。

 そんな言葉が、メロディーと歌声の裏に潜んで、飛び掛かってきてるみたいだった。

 

 目を閉じる 暗闇に差す後光

 耳塞ぐ 確かに刻む鼓動

 胸の奥 身を揺らす心臓

 

 気付けば、文句を垂れていた客も、外に出て帰ろうとした客も、全員が足を止めて身体をステージに向けていた。無意識に肩を揺らし、足でリズムに乗った。

 四人全員の音の粒が揃って、共鳴する。眩い照明の光、散りばめられたギターリフ、火花を散らすシンバルと地面を揺らすバスドラムの衝撃。それらすべてのバラバラの音を繋ぎ留めるベース。

 そして吼えるように歌っていた喜多が、まるで耳元で囁くようにか細く、それでいてはっきりとした言葉で蠱惑的に歌った。

 

 ほかに何も聴きたくない

 わたしが放つ音以外

 

 ぞくぞく、と背筋に鳥肌が駆け抜ける。どろりと蜜のように甘く、蒸留酒のようなビターな歌声は鼓膜を震わせ、僕の心を溶かそうとしていく。

 僕が知らない喜多の歌。あんな歌い方、僕は教えていないし、聞いた事がない。ステージの上で汗を飛び散らせながら煽情的に嗤う喜多は、近寄り難くも可憐な悪魔のようだった。

 

「……ごめん、ゆきちゃん。電話切るわ」

 

 ふと気づくと、僕の隣には柳さんがいた。

 さっきまでステージにまったく興味を持たず、石河さんに全て丸投げしてスマホで女と喋っていた柳さんが、茫然とステージを見つめている。

 そうだよな。音楽に興味ない人間でも、良い音楽は惹きつけ、魅了する。

 それが本当の良い歌ってもんだよな。

 分かるよ。前世の僕もそうだった。J-POPもアニソンもそれほど興味を持たなかった、洋楽至上主義の僕の固定観念をぶっ壊したんだ。ここにいる全員がそうなってもおかしくないだろ?

 

 だが、歌がBパートを終えて、佳境へと突入しようとした瞬間――突如、スピーカーから黒板を爪で引っ掻いたようなノイズが大音量で響いた。

 

「!?」

 

 観客達が反射的に耳を塞ぐより先に、異常に気付いて弦を弾くピックを止めたのは後藤だった。しかし亀裂を入れるようなノイズは止まらない。続いて喜多が演奏を止め、それに続いてリョウさんも停止し、最高潮のドラムを叩いていた虹夏先輩も、自然と演奏を止めた。

 

「え、何。今の何の音?」

「ノイズうるさっ……機材トラブル?」

「どーなってんだ!」

 

 黙って音を聴いていた観客たちが、強引に夢から現実に引きずり出されたようにどよめきの声を上げた。

 

「ただいま機材確認を行います、少々お待ちくださいっ!」

 

 慌てた喜多が咄嗟に、マイクに向かってそう叫んだ。

 すると我に返ったライブハウスのスタッフ――柳さんも含めて、ステージ裏に駆け出すのが見えた。薄暗いフロアの中、スタッフTシャツに身を包んだ男達が舞台裏へと進む。

 

「僕も様子見てきますっ!」

 

 人混みの中を抜け、スタッフ専用の通路を走って舞台裏に抜けると、スタッフ達が観客たちには聞こえない声量で怒声を飛ばしていた。

 

「どーなってんだ、早く配線のチェックをしろ!」

「予備のアンプも出せ!シールドも!」

「石河さん、何があったんですか?」

 

 無線機で慌てて指示を飛ばしている石河さんに問いかけると、僕に気付いた彼は申し訳なさそうに頭を下げた。

 

「申し訳ない、井上さん!機材トラブルです!どうやらさっき観客が投げたドリンクがアンプを濡らして漏電したみたいで……」

 

 そう訊いた僕は、ぐらり、とめまいがした。気を強く持っていないと、その場で倒れてしまいそうだった。

 

「石河さん、マイクはまだ生きてるみたいです!多分配線じゃなくアンプ自体がダメになってるかと思われ――」

「ならとっとと予備を取りに行け!せっかくいい演奏してくれたんだぞ、こういう時ぐらいちゃんと働け!」

 

 スタッフ達の怒声を聴きながら、僕は壁に寄り掛かって項垂れる。

  最悪だ、なんでこんな時に。最悪な空気だった会場を、喜多達は最高の演奏でまとめ直して、これからだって時に、どうして。

 頭を絶望でぶん殴られ、鈍い頭痛と倦怠感で今目の前にある現実を拒絶したくなる。もうこのまま、ライブハウス側に責任を押し付けて逃げ帰るのが最適解なんじゃないか。これは結束バンドのミスじゃない、喜多達は最大限のパフォーマンスをしてくれた。ここで引き揚げれば傷は最小限に――

 

「――そんなのダメだ」

 

 考えろ。

 このままじゃダメだ。こんな、こんな形でライブが台無しになるなんてダメだ。

 喜多の、結束バンドの皆のライブが報われないなんてダメだ。そんな事、僕が絶対に許さない。

 考えろ。

 舞台袖から、ステージの上で待機している結束バンドの皆が見える。

 おろおろと不安げに辺りを見渡している後藤。悔しそうに歯噛みしているリョウさん。スティックを握ったまま項垂れる虹夏先輩の表情が見える。

 悔しかった。

 先輩たちにあんな表情をさせてしまったことも、その上で何もできない自分も、悔しい。

 

「すいませーん、皆さーん!」

 

 すると、会場のスピーカーから、喜多の声が響いた。彼女の声は、ステージ袖にいる僕にも若干くぐもって響いてくる。

 

「今、ちょっとアンプが機嫌を拗ねちゃったみたいでー……ちょっとお注射してあげなきゃいけないみたいです! 今、スタッフさんが全力で直しているので、だからもう少し待っててください!」

 

「――直ったら、もっと最高の歌をお届けするのでっ!」

 

 喜多はこんなトラブルに見舞われても、明るく振舞って、観客たちに笑顔を届けていた。

 いや、こんな時だからこそ。会場にいる人達を不安にさえないよう、楽しませようと、彼女は笑顔を絶やさない。

 完璧なアウェーと化した会場。ブーイングが漏れる観客達の不満。前のバンドの暴走が引き起こした機材トラブル。

 やけっぱちになってステージを投げ出しても、誰も文句を言わないのに。

 喜多はそれでも笑顔を絶やさない。

 それを見た虹夏先輩は、一瞬ぽかんと目を丸くするが、喜多につられるように笑みを取り戻す。後藤もリョウさんも、絶望に染まった表情が徐々に晴れ、下を向いていた顔が上がった。

 

「そういえば、自己紹介がまだでした!」

 

 ここで虹夏先輩が、MC用のマイクを掴んで元気よく叫んだ。

 

「私達は、結束バンドです!」

 

 静寂に包まれていたホールに響く、彼女達の名乗り。だが、それが導火線に火を着けたみたいだった。

 ホールのあちこちから、さっきの演奏を讃える拍手が漏れ始める。まばらだった拍手は徐々に大きくなり、やがてホール全体を震わせていく。

 

 ――マイクは生きている。ステージはまだ、終わってない。喜多達のライブは、死んでない。

 なら、僕に出来る事は。

 

 僕は慌ただしくしている石河さんの腕を掴んで引き留め、問いかけた。

 

「石河さん!機材交換までに何分ぐらい掛かりますか!」

「はい!? 井上さん、何を――」

「何分必要ですか!?」 

 

 僕の必死の問いかけに、石河さんは呆気に取られながらも、すぐに返してくれた。

 

「15分――いや10分です!必ず10分で戻して見せます!」

 

「――なら、僕が時間を稼ぎます」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いらっしゃいませ、本日は何を観に――え、嘘。あんた、SIDEROSの――」

 

「当日券一枚。結束バンドで」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 反対側の舞台袖に移った僕は、MCをしている喜多を横目に、物置スペースで眠っているグランドピアノへ駆け寄った。

 

「――頼む、力を貸してくれ」

 

 そう念じながら、周囲やグランドピアノの屋根に積まれた段ボール箱を次々と退けていく。

 埃が舞い、鼻がムズムズする。だが、くしゃみなんかしてる暇はない。

 

「クッソ……重たい……!」

 

 箱の中身は機材か、書類か。それにしても、いちいち重すぎるだろ!こちとらインドアオタクだぞ!どれも20キロはありそうで、残っている箱を数えるだけで気が遠くなりそうだった。

 でも時間がない。僕は自分の足に活を入れるよう叩きながら、箱を持ち上げようとすると――僕の横を突如、大きな影が通り過ぎ、その影は僕と同じように段ボール箱を軽々と持ち上げた。 

 

「――柳さん?」

 

 その影の正体は、柳さんだった。

 

「これ、退かせばいいんすよね。座っててください。出演者がここで体力使っちゃダメでしょ」

 

 有無を言わせぬ口調でそう言うと、さっきまでへらへらしていたのが嘘みたいに、静かに淡々と作業を進めていく。 

 

「――はい。お願いします」

 

 僕はお言葉に甘え、柳さんの邪魔にならない位置に座り込むと、指のストレッチを始めた。何でここに――とか、訊きたい事はあるけれど、今はお言葉に甘えよう。

 息を荒げ、額に汗を滲ませながらも、柳さんは黙々と箱を退けていく。

 やがて、埃とガラクタに埋もれていたグランドピアノが、その全貌を露わにした。

 

「ぜぇ……ぜぇ……この位置で、いいんすか」

「はい。あとは、任せてください」

 

 さすがにピアノを運ぶのは僕と柳さん二人でやった。キャスターが付いていないピアノの向きと位置を調整する。音の指向性を会場の方へ向けるためだ。出来ることならステージの上に直接運びたかったけど、大型のスピーカーが邪魔でそれは叶わない。それでも柳さんはぎりぎりまでグランドピアノをステージのすぐ傍に運んでくれた。

 

「――カズ君?」

 

 ピアノを運んでいると、虹夏先輩と目が合った。 埃を少し被ったグランドピアノと僕を交互に見比べ、先輩は僕の狙いに気づく。

 

「……リョウ、喜多ちゃん、ぼっちちゃん!」

 

 先輩はステージにいるメンバーに声をかけ、素早く指示を飛ばす。呼ばれた三人はドラムセットの周りに集まり、頭を突き合わせて相談を始めた。

 

「私とカズ君で――」

「え、ずるい。私も演りたい」

「で、でも、アンプがダメだから、私達の出番は――」

「どうしましょう、なら私がボーカルを――」

「待って、郁代。今日は私が――」

「あ、それ素敵です!なら私はハモリを――」

「直り次第、ぼっちがギター入ってきて――」

「わ、分かりました」

「喜多ちゃんMCやって!カズ君が準備してる間に曲の紹介を――」

 

 4人が何か相談している間に僕はピアノの重い屋根を持ち上げ、突っ張り棒を引っ掛けた。

 真っ黒で大きな屋根が、まるで黒い鳥の翼のように天井へと広がり、ピアノの内臓が露わになる。パッと見た感じ、異常は見当たらない。グランドピアノにこれまでほとんど触った事がない僕にとっては素人目にしか判断できないけれど、響板*6にヒビが入っている訳でも弦やハンマーが壊れてはいないみたいだ。精密に美しく並べられたパーツの数々。これだけでも、芸術品として一級品だ。

 

「――ん、なんだあれ、ピアノ?」

「え?ピアノなんてあったの?誰が座ってる?」

 

 ステージ正面からは僕とピアノは舞台袖の幕とスピーカーに隠れて見えない。しかし、右側から覗けば、黒々としたグランドピアノがその存在感を示しているはずだ。

 多分、鍵盤の前に座っている僕の姿は観客達からは見えないだろうけど――それでいい。それで構わない。そんなのは些細な問題だ。

 ステージの脇に退いたリョウさんと後藤と喜多が、僕を見ている。

 虹夏先輩がスティックを構えて、静かに僕を見つめている。

 この4人が僕が弾いていると知ってくれているだけで、十分だった。

 

「――よしっ」

 

 鍵盤の前に座った僕は、一番低いAの白鍵と黒鍵を交互に鳴らしながら波のように鍵盤を滑らせる。

 

「――ピアノの音?」

「え、どこどこ?どこからこの音が鳴ってるの?」 

 

 観客達のざわめきを他所に、僕は八十八鍵の最高音であるC音に辿り着く。

 ――想像していたけど、やっぱり酷い。長い間放置されていたピアノはチューニングがめちゃくちゃだ。ぱっと聞いただけでも、4分の1ぐらいの鍵がズレてる。他の音も多少差はあれど、完璧とは言い難い。

 おまけにグランドピアノの鍵盤は、僕が想像するよりもずっと重くて硬い。普段使っているアップライトピアノやシンセサイザーとは比べ物にならない。軽く押し込もうとすると、グランドピアノの鍵盤は固く僕の指を拒絶するように跳ね返す。しっかり力を入れて弾かないと、まともに弾く事も出来ないだろう。

 

 ――でも。

 

 僕が知る楽器の中で、最高に美しい音だ。

 多くのピアニストと職人が長い時間を掛けて育てた、音楽史を代表する楽器だ。

 壮大で厳かで、それでも美しいピアノの音色。何百年も経った今でも、ベートーヴェンやショパンを弾き続けるピアニストの気持ちが分かる。

 長い間死んでいたこのピアノにも、その力がある。今まさに命を取り戻そうとしている。

 

「柳さん」

 

 僕は舞台袖で汗をまだ拭っている柳さんに声を掛けた。

 

「ありがとうございます。僕にこの楽器を使わせてくれて」

 

 柳さんがどんな表情をしたかは分からない。僕はそっちを観ないまま、鍵盤に指を添えた。ちらりと虹夏先輩を観ると、彼女はもうとっくにスティックを構えて僕が弾きだすのを今か今かと待っていた。

 アンプと言う現代技術の結晶はいらない。電気ではなく僕らの命を火にくべて動かす事が出来る。今、このステージをもたせる事が出来るのは、僕と虹夏先輩だけだ。

 僕が頷くと、虹夏先輩も頷いた。

 お互いに演るべき曲は分かってる。

 指を鍵盤に添えて、僕は小さく息を吸い込んだ。

 

 ――今、命を吹き込んでやるからな。

 

 僕は骨に力を入れて叩いた。

 

「――うわ、何、すごい綺麗な音」

「今、鳥肌が――」

 

 amazarashiの『命にふさわしい』。

 

 この10日間、虹夏先輩と一緒に飽きるぐらい聴いて弾いた曲。譜面は見なくても頭の中に染み付いて、いつでも浮かび上がる。僕の指は勝手に、白く冷たい鍵盤の上を交錯し始めた。

 ペダルを踏み込み、上半身ごと白鍵を叩く。

 虹夏先輩もバスドラムを力強く踏み込み、シンバルとタムを激しく叩き始めた。僕のグランドピアノと虹夏先輩のドラムによる、二人だけのアンサンブル。

 舞台袖で弾いている僕のもとまで、虹夏先輩のドラムが強烈に響いてくる。真横から飛んでくるシンバルの一撃は、グランドピアノの音色を一瞬で突き破り、床を伝うバスドラムの振動は、骨に直接響いてくるようだ。

 いつもよりも激しく、勢い任せに叩いている。まるで、この瞬間に全てを賭けるような叩き方だ。僕のピアノに合わせるような遠慮は微塵もない。我儘に、無邪気に。後先を考えず、ただ全力でぶつかってくる。

 なのに、僕の音の一歩先をぴたりと走る。引っ張られるように僕の指にも力を籠める。

 何度も何度も、夜の地下室を突き破るぐらい弾いて叩いてきたはずだった。

 なのに、まるで聞いた事がないハーモニーになった。アップライトピアノとはまるで別物の、重厚でどこまでも深い音色。音がずれた白鍵に出来るだけ触れずに、聴き心地がいいようにそれっぽく弾こうとした。けれど、表面をなぞる様に奏でようとした僕を、グランドピアノは容赦なく海底に引きずり込もうとする。

 

 やっべえ、これすげえ楽しい!

 

 ギターやシンセを弾く時とは違う。僕が今まで培ってきたテクニックはまるで通じない。僕はこの楽器をまったく上手く使いこなせていない!

 脳が熱を持って沸騰しそうだ。使い慣れないグランドピアノ、調律が不完全な鍵を避けながらその場その場で音を組み立てるアドリブ、そして指の一本一本、音の一粒一粒に全神経を注がないと、今にも演奏が崩れかねないというプレッシャー。

 体力は物凄い勢いでピアノに吸われ、僕の精神を削ってくる。

 なのに、こんなにも心が沸き立つ。

 忘れられ、放置され、死んでいたはずのピアノ。僕が奏でているとは思えない。ダイナミックに広がる音色は、どこまでも透き通るような冷たい輝きを放っている。

 鋼鉄とコンクリート、暗く薄暗い廃墟。無機質な絶望で塗りたくられたamazarashiの詩の中に眠る、希望のような力。

 無意識に僕の腰は徐々に浮き始めた。お行儀よく座ってなんかいられない。椅子が転がるように倒れるのも気にしないまま、僕は弾き続けた。

 虹夏先輩も僕の音に負けないと言わんばかりに更に加速した。インストとは思えない程の激しい音の応酬が、こんなにも楽しい。虹夏先輩の表情を観る余裕はないけれど、きっとあの人も満面の笑みで、汗の粒をそのままにドラムを叩いているだろう。

 舞台袖にいるせいで観客達の反応は何一つ見えないし感じ取る余裕もないけど、それでも最高の気分だった。

 ああ、でもだからこそ、本当に惜しい。ここにギターとベース、そしてボーカルがいてくれたら。この曲はもっと――

 

 失くした何かの埋め合わせを 探してばかりいるけど

 そうじゃなく 喪失も正解と言えるような

 

 突然、歌声が割り込んできた。

 喜多じゃない――誰だ?

 ピアノに意識を割きながら、視線だけをステージに向ける

 本来、ボーカルの喜多が立っているはずのポジションにいたのは――リョウさんだった。

 

 逆転劇を期待してる そしてそれは決して不可能じゃない

 途絶えた足跡も 旅路と呼べ

 

 僕らの激しい殴り合いのようなアンサンブルの中に紛れ込んできた少女の歌声。普段は無気力で淡々としているリョウさんが、まるで別人のように歌っていた。戦場の中に突如出現した自動人形(オートマタ)が、冷たい水のように蒼く澄み渡った美しい声で歌っている。

 女性的で少年のような透き通る歌声は、僕らのアンサンブルを邪魔することなく、その上で優雅に踊っている。一回も練習で合わせた事なんてなかったのに、アドリブで乱入してきたリョウさんはぴたりと僕らの演奏に着いてくる。Bパートまで黙っていたのは、僕と虹夏先輩のリズムを掴む為だったのか?

 知らない間にベースのポジションに移動していた喜多が、本当に心の底から嬉しそうに、リョウさんの声に自分の歌声をハモらせた。

 二人の歌声が融けて、絡み合って、マイクから微弱な電気信号となった二人の声は配線を通り、スピーカーで増幅され、放出される。

 舞台袖でピアノを弾きながら聴いた瞬間、涙が出るかと思った。

 ガラス細工のように綺麗な二人のコーラスは、僕が理想とする音の一つだった。

 

 世界を欺くに値する 僕らのこれまでは

 一人になれなかった 寂しがりや共が集って

 道すがら何があった? 傷つけて当然な顔して

 

 本当に――僕が推すバンドは、凄い。

 僕の想像の枠を簡単に飛び越えて、こんな曲を奏でてくれるだなんて。

 

「カズ君は?……このバンドに入って、後悔してない?」

 

 少し前の夜に、地下室で虹夏先輩に問いかけられた事を思い出す。

 後悔なんてしているはずがない。むしろ感謝したいくらいだった。

 僕をここまで連れて来てくれた人達に。先輩達に。そして僕の幼馴染に。

 

 そんなに悲しむことなんて無かったのにな

 心さえ 心さえ 心さえ なかったなら

 

 ああ、でも忘れる所だった。

 このバンドには、ちゃんと主役がいるよな。

 

 愛した物を守りたい故に 壊してしまった数々

 あっけなく打ち砕かれた 願いの数々 

 その破片を裸足で渡るような 次の一歩で滑落して 

 

 僕のピアノソロと、リョウさんと喜多の切ないコーラスに呼び出されるように、舞台袖から新しいシールドと自分のギターを繋ぎ直した後藤がゆっくりと現れる。

 時間稼ぎは十分だったみたいだ。

 反対側の舞台袖に、石河さんが僕に向かって親指を立てている。

 

 さあ、ぶちかませヒーロー。おぜん立ては十分だろ?

 

 僕のそんな心情を察したように、ピックを握りしめた後藤の白い手が勢いよく弦に向かって振り下ろされる。

 

 そこで死んでもいいと 思える一歩こそ 

 ただ、ただ、それこそが 命にふさわしい

 

 戦場になった廃墟の街。そこに現れたもう一体の自動人形が、雷のようなギターリフを走らせる。

 僕が鍵盤に指を沈め、虹夏先輩がスティックを頂点から振り下ろし、リョウさんと喜多が声を吐き出すのは、同じタイミングだった。

 

 心を失くすのに値した その喪失は

 喜びと悲しみは 引き換えじゃなかったはずだ

 道すがら何があった? その答えこそ今の僕で

 希望なんて いとも容易く投げ捨てる事はできる

 

 形に出来ないたくさんの想いが僕らを象り、誰かが立ち止まったら絶対にここまでたどり着けなかった。悲しみ、喜び、絶望、希望。響いては消えていく僕らの命の欠片のようなメロディーは、ここにいる人達全員の未来に繋がっているだろうか?

 そんなこと、僕らにだって、神様にだって分からない。

 この命に相応しい曲を、ここにいる全ての人に届いてくれたら。僕はそんな祈りを込めて、鍵盤を叩き続けた。

 

 心さえ 心さえ 心さえなかったなら

 心さえ 心さえ 心さえなかったなら

 

 光と陰 光と陰 光と陰 光と陰

 光と陰 光と陰 光と陰 光と陰

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 大量の汗が全身を濡らしていた。肺の中にあった酸素はとっくに尽きて、体中の細胞が呼吸を求めている。鍵盤をずっと力いっぱいに弾き続けたせいで、指先は痛みを通り越してもう感覚がない。

 ライブハウスを揺り動かし、天井を突き抜けるような大歓声がどこか遠くのように感じる。

 僕はもう息も絶え絶えで椅子に座って休もうとしたけど、ピアノの椅子はさっき立ち上がった時に倒れた事を僕は忘れていた。僕はそのまま転がるように床に倒れ込む。

 すると、誰かが倒れている僕の腕を引っ張り上げた。

 ぼんやりとする視界の中で、喜多が笑っていた。

 僕は喜多に支えられ、おぼつかない足取りでステージの中央へ向かう。

 瞬間、僕の身体を叩きつけるような拍手が響いた。

 

「この子が、私達のバンドのマネージャーで、最高のピアニストの、井上和正君です!」

 

 虹夏先輩がそう言ってくれるけど、僕はもう手を振り返す気力もない。

 ただ――

 

「ヤッベェ、あいつがマジでピアノ弾いてたのかよ!」

「バンドのマネージャーだって!? 嘘だろ、あんな演奏できるのにっ?」

「井上くんすげぇ!最高過ぎんだろ!」

「演奏ヤバすぎて鳥肌立ったんだけど!」

「和正ーっ! かっこよかったぞーっ!」

「ピアノってあんな音出せるんだ……」

「最後のとこ、涙出た……」

「あのピアノに合わせて歌ってた二人もすごかったよな!」

「後藤さんのギターもマジで痺れた……!」

「いやいや、ドラムの方がやべーだろ!音響なしであんなに殴り合って!」

「きゃあああああっちょもう待って無理!バンドの皆様の演奏だけでも良かったのに全員顔良すぎてきゃぱおーばー寸前なのに!ピアノの人が顔良すぎて無理!汗で濡れた髪がセクシーすぎてあぁああぁ―――!生きてて良かったしゅき―――!」

 

 たくさんの黄色い歓声は、火照っていた僕の顔を更に熱くする。どんな表情を返せば分からなくて、僕は腕で自分のにやけそうな口元を隠す。

 そんな僕の様子を見ていた喜多と目が合った。恥ずかしそうにはにかむ喜多を見て、僕も釣られるように笑う。

 僕の、独善的で、身勝手な演奏は、この人達に届いたのか。

 観客達の歓声に揺さぶられるように、徐々に僕の中でも達成感が湧き上がる。いつまでも喜多の肩を借りる訳にはいかず、何とか自分の両足で立ち上がって、観客達に礼を言おうと向き直ると――

 

 観客達の最後尾にいた佐藤さんが、僕の方を真っすぐ見て静かに拍手を送ってくれていた。

 

「やるじゃない、和正」

 

 そう聞こえた気がした。

 

「カズ。ありがと。アンプ直ったらしいから、休んでていいよ」

 

 リョウさんに促され、僕はよろよろと舞台袖に戻り、観客達からは見えない位置で座り込む。

 すると、僕の後を追いかけるように、虹夏先輩がこっちにやってきた。

 

「疲れたぁ~~~~……」 

 

 疲れ切ったように先輩が冷たい床に転がる。どうしたんですか、という質問なんてするまでもない。あんな、体力を全部消耗するような叩き方をしたのだ。僕も虹夏先輩も、溜まった熱を排出してクールダウンをしなければならなかった。

 

「お二人共、水っす」

 

 すると、倒れている僕らの頭の横に2本のスポドリが置かれた。柳さんだった。

 柳さんの表情は、舞台裏が暗くてよく見えなかったけど――目が赤くなっていた、ような気がした。半分酸欠状態だった僕らはお礼をなんとか言うが、柳さんはそれより先に舞台裏の方へ向かってしまう。

 ペットボトルに口を着けると、身体はずっと水分を欲していたらしい。スポドリはあっという間に空になり、一息ついた僕らは静かに拳をぶつけ合った。

 

「……やったね、カズ君」

「はい……」

「間違いなく、今日のベストだよね」

「間違いなく」

「私達……」

 

 虹夏先輩の声音が、段々弱々しく、涙で濡れる。

 

「私……あんな演奏出来て……嬉しい……。もうだめかと思った、アンプが動かなくなって、ライブが台無しになっちゃう所だったけど……!カズ君がいたから、皆が居てくれたから……!このバンドで……ドラムやってて……本当に良かった……!ありがとう、カズ君……本当にありがとう……!」

 

 虹夏先輩はとうとう、涙を堪え切れずに嗚咽を漏らした。

 

「――僕もです」

 

『次の曲、やりたいんだけど。ドラマーとピアノが頑張りすぎてノックダウンしたから、バラードやるよ。ゆっくり手拍子してくれると助かる』

 

 リョウさんが淡々とマイクでMCを続ける。会場は、少し前までの底冷えしたような空気はもうどこにもない。

 誰もがステージに集中し、次の音楽はまだか、とそわそわし始める。

 リョウさんが真ん中に、喜多と後藤が両サイドに立ち、静かにギターを奏で始めた。

 

『曲は結束バンドで――『カラカラ』』

 

 煮えたぎった客達の温度を焦がさないよう、慎重なリズムで後藤がギターを奏でる。エレキギターの鋭さを抑え、柔らかく触れても傷つかないような速度。

 そのギターにリョウさんと喜多が再び歌を載せる。

 僕と虹夏先輩は床に座り込んだまま、3人が並んでバラードアレンジした『カラカラ』を静かに聴き続けた。出来る事なら、僕らの涙が止まるまで、続けていて欲しい。

 そう思えるような優しいバラードが、ゆっくりと染みわたるように響き始める。僕と先輩は、横並びする3人を眺めながら、そんな心地の良い歌声に身を委ねた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 結束バンドの出演時間が終わり、大量のアンコールを求める拍手と叫び声に名残惜しさを感じながら楽屋に戻る。スタッフ用の通路で次に出演する地下アイドル――黒髪の清純派アイドルとすれ違ったが、そのうちの一人が目にハートマークを浮かべるようなうっとりした表情で僕をずっと見ていて、釣られるように僕も見つめ返してしまった。

 

「はうぅ……顔良すぎる……あんなイケメンであんな演奏をしてくれるなんて、推すしかない幸せ……」

「カズ君、ぼぉーっとしてないで早く歩いてよ!」

「いってぇ、蹴るなよいきなり!」

「きゃー!公式カプの絡み供給まじ尊くてしゅき……」

 

 急に不機嫌になった喜多に蹴られながら楽屋に入ると、そこには柳さんと石河さんが僕らを待っていた。

 

「こちらの不手際で結束バンドの皆さんにご迷惑をおかけして、マジですいませんっした」

 

 柳さんは、真剣な表情で頭を深く下げた。

 

「俺、本当に……感動したっす。マジで。ロックとかどれ聴いても一緒だと思ってたんすけど、皆さんの曲は、マジで、震えました」

 

 僕らは目を丸くする。あの適当な態度で仕事をしていた人と、今目の前にいる人は本当に同一人物なのか?

 呆気に取られて何も言えずにいると、その隣に居た石河さんが、柳さんと同じように小さく頭を下げ、懐から封筒を取り出した。

 

「この度は、こちらがブッキングしたバンドのトラブルにより、皆様に多大なご迷惑をおかけしましたこと、お詫び申します。そして、あのような状況下でも素晴らしいパフォーマンスで会場を盛り上げてくださって、本当に感謝します。少しばかりではありますが、感謝の気持ちと迷惑料を含め、報酬を上乗せさせていただきました。どうか受け取ってください」

「いくら入ってる?」

「リョウ!受け取ってすぐに検めないの!失礼でしょ!」

 

 リョウさんが金額を確認しようと封筒を覗き込む。ちらりと中身が見えてしまったが、封筒の中には諭吉がざっと5人は入っている。緊急の穴埋めで入ったとはいえ、想定よりずっと額が多い。

 

「こ、こんなに貰っていいんですか?」

「もちろんです。今回の件については、全てこちらの責任です。皆様でなければ、ライブ自体が成立しなかったでしょう。遠慮せず受け取りください」

「やった。皆で打ち上げ行こう。焼肉行こう焼肉」

「ダメだよリョウ!これは次のライブとTシャツの資金にするんだから!」

「やったわね、後藤さん!一時はどうなるかと思ったけど、なんとか成功できて――「もう、疲れたよパトラッシュ……」ご、後藤さん!?真っ白に燃え尽きてる!」

 

 あんなライブが終わった後だと言うのに、結束バンドのメンバーは相変らずだ。これを大物の風格と言うには少し躊躇われるな。

 

「井上さん」

 

 顔を上げた柳さんは僕の前に立つと、僕の右手を取って、力強く両手で握った。

 

「え、あの……」

「あのピアノ、その、ちゃんと手入れするんで。ちゃんと、ちゅーにんぐ?って奴、しとくんで」

 

 柳さんは真っすぐに、僕の目を見て言った。

 

「あれ、撤去する予定だったんすけど――その、こんなこと、俺が何言ってんだって感じなんすけど。――また、演りに来てください。それまでに、もっとちゃんと、ライブとか、ロックとか、色んなことガチで勉強するんで。だから、その――また、井上さんのピアノ聴きたいっす」

 

 僕の手をがっちりと握ったまま、柳さんは「お願いします」と真剣に頭を下げた。

 

 ――僕のピアノは、まだまだ下手糞だ。グランドピアノの力に振り回された僕の演奏を、母さんが聴いたらこれでもかと言わんばかりに酷評を下すだろう。あれは、母さんなりに僕が己惚れないようにと教えようとしているのだ。だから僕も、自分は下手糞だと言い聞かせてピアノを弾いた。

 

「はい。その、またよろしくお願いします」

 

 僕は無表情を装い、なんでもないように振る舞って答えた。にやけそうになる頬を隠すのに必死だったけど、柳さんの手を無意識に強く握り返してしまったから、きっと僕の気持ちは伝わってしまった。

 柳さんは心底嬉しそうに笑って「よろしくっす」と答えた。その表情を見て、ふと――前世で初めてロックを聴いた時も、僕はこんな顔をしていたのだろうか、とそんなことを思った。

 

「カズ」

「あ、はい?」

 

 ぼけっとしていた僕の背中を叩く感触。振り返ってみると、リョウさんが立っていた。

 

「なんですかいきなり」

「そろそろ外出るよ。客が待ってる」

「客?なんで――」

 

 とっくにライブは終わってるのに、今度は何するの?

 

「何言ってんの。ライブが終わったらファンサに決まってるでしょ?サインとか握手して欲しいって、入り口で客が固まってるんだって。帰る気配がないから私達が出ないと近所迷惑になる。それに、カズのサインを欲しがってる子もたくさんいるらしいよ」

「サイン!?」

 

 寝耳に水だった。サインの練習なんてしたことないぞ。ていうか結束バンドのサインならともかく、僕のサインなんてもらってどうするんだ?

 

「あんな演奏しておいて自分は無関係ですなんて通らない。ファンサも私達の仕事。ほら行くよ。郁代もいくよ」

「リョウ先輩だから私の名前を連呼しないでください!」

「やだ」

「くぅう……でも意地悪なリョウ先輩も好き……!」

「わ、私もサインとか求められちゃうのかな!? うわ、どきどきしちゃう!ぼっちちゃんは?」

「あ、こんな時に備えて100種類ぐらいサインのバリエーションは考えてあります!」

「いや多すぎ多すぎ!どれかひとつに絞りなよ!」

 

 相変らず大騒ぎをしながら、リョウさんを先頭に、メンバー全員が出口に向かって歩き始める。

 僕も少し遅れて、最後尾の後藤の背中を追いかけた。

 ファンサなんてどうすりゃいいんだ。

 そんな風に頭を抱えながらも、やはり喜びの色を隠せない。結束バンドも――そして僕も、ちゃんと次に進めている感覚が、僕の手の平の中にあるような気がしたからだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「もしもし、あくび?え?何騒いでるの――え、楓子がライブ行きたかったって泣き喚いてる?はぁ。……はぁ。分かったわよ。それより――」

 

 

「結束バンド、私達の前座に呼ぶ事にした。――ええ、一応カズの頼みだから。――うん。それなりに聴けるようにはなったわ。一応観に行っておいてよかった。ドラムとベースも。けど一番上手だったのはリードギターだったわ。私達に比べたらまだまだだけど、前座なら十分演れるでしょ。は、はぁ?カズの演奏?あいつは――ま、まあまあだったわ。――ツンデレじゃない!別にあいつなんかなんとも想ってないって――あくび、後で覚えておきなさいよ……それじゃあ。――はぁ」

 

 

「まったく……あんなボーカルのどこがいいんだか」

 

 

 

 

*1
日本のビジネス用語のひとつで、孤立した環境で製品やサービスの最適化が著しく進行すると、外部の製品との互換性を失い孤立して取り残されるだけでなく、適応性や汎用性、低コストの製品や技術が外部から導入され、最終的に淘汰される危険に陥るという、進化論におけるガラパゴス諸島の生態系になぞらえた警句である。(Wikipediaより引用)

*2
俳優のジャック・ブラックとカイル・ガスの二人組コメディロックバンド。ロックの神に愛された(と彼らが信じている)ロック界の異端児。一部の人達からカルト的な人気を支持されている。どんな曲を歌ったかは自分で調べてみよう!

*3
スネアを「めちゃくちゃ小さな音」で叩く技術。これが加わると、演奏が立体的になる。

*4
ニルヴァーナの元ドラマー、フー・ファイターズのボーカルギターを務める。ドラムはシンプルなストロークが中心だがかなり力を入れて叩く為、音が滅茶苦茶力強い。

*5
主にハモリやコーラスを担当し、楽曲に厚みを加える役割を持つ。ベースやリードギターが兼任することが多く、曲によってはメインボーカルの一部を歌うこともある。

*6
ピアノのパーツ。音響部材の板のことで、音を増幅させたり豊かにしたりする役割がある。




作中に登場したバンド名&曲名
Bob Dylan - Like a Rolling Stone
Ben Folds Five - Jackson Cannery
Muse - Hysteria
Starset - My Demons
RED - Breathe Into Me
Green Day - Boulevard Of Broken Dreams
Tenacious D - Tribute
Bocchi - 君は夏風
Nirvana - Smells Like Teen Spirit
TOOL - Sober
Hump Back - 月まで
Darling Violetta - A Smaller God
Type O Negative - Love You To Death
結束バンド - あのバンド
      - なにが悪い
      - Distortion!!
      - カラカラ
amazarashi - 季節は次々死んでいく
      - 空に歌えば
      - 命にふさわしい

 ロックとは、つまりまったくそれでよいのだ。(ダクソ感)



 前回もたくさんの感想、評価、誤字報告、ここすき、Xでの感想ポストありがとうございます。低評価入れた人はFU【不適切な表現】ou。



 今回登場したバンド、氷葬レクイエムと地獄の看守と言うバンドは、AIに適当に考えてもらったV系バンドっぽい名前とデスメタルバンドっぽい名前です。現実にあるバンドとは全く無関係なのでその辺りどうぞよしなに。

 ボブディランの人生を映画にした『名もなき者』を観て、amazarashiを聴いていたら思った以上にモチベーションが沸いて気付いたら6万字も書いてました。バカでしょ。
 本当は真ん中あたりで区切るべきかなと思ってたんですけど、ままええやろの精神で書き上げました。YEAH。
 どうせもうこんなクソ長小説読んでる人なんていーひんいーひん。大丈夫大丈夫誰も感想とか評価しないんだから……いやごめん嘘。もっと欲しいし感想を栄養にして生きてるのでもっと読んで欲しい。感想くれ~評価くれ~!
 
 
 佐藤さんや司馬さんとの会話によって成長する僕の考えた最強の虹夏先輩と、それに引っ張られて覚醒するリョウさんを観てよ!命を振り絞るように演奏する結束バンド+カズ君。
 大変だったけど、これでamazarashiを聴いてくれる人が少しでも増えてくれれば……ん?何話か前にamazarashi紹介してたし、あのバンドとかボブディランは紹介済みじゃないかって?
 何度紹介してもいい。何度登場させてもいい。つまりはそう言う事だ。

 次回は、喜多ちゃんと2期で登場を期待されている最強チワワ系ボーカルの話から。

 今回の話でエネルギー使い果たしたので、4月はおやすみです…ゴメンネ!



 
 ↓いつものコピペ宣伝

Xのアカウントでのんびり呟いてます。

X(旧Twitter)

 カーラジオと言う名義で作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりぼざろのイラストを無限リポストしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などで幸福度を上昇させてるので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
 


 それではいつもので〆させていただきます。

 
 感想もっともっともっと欲しいんだ……!
 高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


 
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