【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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この先どこへ向かうのかは分からない。でも退屈にはならないよ。


David Bowie



Kid Blue

 

 昔の記憶だ、と私は思った。

 幼稚園の、入ったばかりの頃の、小さくて、無垢で、もう思い出す事もない。とっくの昔に通り過ぎた光景。

 けれどそれでも、大切な私の記憶。

 

 

 

 幼稚園生の私は、寂しさとか、大人の先生とか、そういう見えない怖さに怯えながら、倉庫の隅に独り隠れている。

 そうだ。この時は確か、同じクラスの女の子と喧嘩しちゃって、そのショックでここで独りで隠れて泣いていたんだ。

 弾みで起きた喧嘩だった。

 砂場で私が小さな城を作って遊んでいたら、追いかけっこをしていた女の子が砂場で転んでそのまま私の砂の城を壊してしまったのだ。

 それに怒った私が涙を流しながら酷い悪口をその子に言って、その女の子も傷ついて泣き出してしまって……勢いのまま悪口を言ってしまった私は、湧き上がってくる罪悪感と嫌悪感から逃げるようにこの物置に隠れた。

 私が通っていた幼稚園には、普段園児たちが使う校舎に隣り合うように講堂が建っていた。入園式や演劇で使う建物で、小さな体育館のような場所だと想像するとわかりやすいかもしれない。

 その建物の奥に、物置として使われている小さな部屋があった。

 そこには園児が使う跳び箱や体操マット、演劇で使う小道具や衣装が置かれていた。色あせた段ボール箱には、使われなくなった玩具やぬいぐるみがぎゅうぎゅうに詰め込まれて積まれ、壁際の棚には折り紙や画用紙、クレヨンやのりの箱が雑然と並んでいた。

 埃っぽくて、薄暗い。たくさんの物が置かれたその部屋は、小さな子どもが独り隠れるには十分な場所だった。

 先生が外で「いくよちゃーん?」と呼んで探しているのが聞こえる。けれど私は耳を塞いで目をぎゅっと強く閉じてやり過ごす。

 普段この部屋に鍵が掛かっているけれど、小さな窓の鍵が壊れていて外から簡単に開けられることを先生達は知らない。外の木に登って窓枠を潜り抜ければ、小さな子どもでも簡単に出入りできることを、私だけが知っていた。

 閉め切った倉庫には淀んだ温い空気がこもっている。

 ひやりとした、床の冷たく硬い感触。

 小さな窓から差し込む太陽の光。

 置き去りにされたガラクタの山に囲まれて、私はここで小さく怯えているしかなかった。

 

「ぐすっ、ぐすっ……」

 

 おかあさん、おとうさん、はやくおむかえにきて。ドラえもんでもプリキュアでもいいから、わたしをここからいえにかえしてください。

 

 そう心のなかで何度も唱えていた。

 あの子が悪い事をしたわけじゃない。あんなひどい言葉を言って傷つけるつもりなんかなかった。素直に謝って、明日もまた一緒に遊びたかった。

 けれど、このまま教室に戻ってあの子と顔を合わせたくない気持ちでいっぱいだった。幼い私はどうしたらいいかなんてわからなくて、けれど『悪いことをしてしまった』と言う事だけははっきりと分かっていて、外に出れば先生が怒って私はひどい目に合わされると思い込んでいた。クラスの友達と、また仲良く遊んで鬼ごっこやお絵かきが出来なくなると信じていた。

 謝るなんて単純なことが怖くてできなくて、私は勇気を出せずにここに隠れていることしかできなかった。

 時間が早く過ぎて、お母さんが迎えに来てくれるようにと願う。こんな怖いところから、どうか早く連れ出してほしいと祈っていた。

 

 そんな時、がちゃり、という音がした。

 

 扉が開く音じゃなかった。窓が開いた音だ。私以外、あの窓が開いていることを知らないはずなのに――

 

「お、あいてんじゃーん」

 

 男の子の声だった。

 スモックに身を包んだ男の子は、顔にお祭りで付けるような、ドラえもんのお面を顔に付けていた。その子は軽快に窓枠に足をかけると、物置のマットに綺麗に着地した。

 

「はぁー。お遊戯会なんてやってられないよ……こちとら人生二周目のおっさんだってのに」

 

 お面のせいで顔は見えなくて、声はくぐもっていて、誰かは分からなかった。けれどその男の子は少し疲れたように溜息を吐いていた。

 

「ん?」

「あっ」

 

 棚の影に隠れていた私と目がばちりと合う。私は「見つかった!」と焦って大急ぎで物陰に隠れた。けれど今更隠れきれることなんて当然できなくて、男の子は私の方に近づいてくる。

 

「君は?」

「あう……」

 

 観念した私は泣き腫らした目と鼻水を拭いながら、その子の前に出る。お面で隠れているのに、その男の子の表情はひどく心配しているように見えた。

 

「どしたの、大丈夫?」

「……」

 

 友達と喧嘩してて泣いたなんて、同い年の男の子に言いたくなかった。照れ臭さとか、恥ずかしさとか、そう言う物を男の子たちに見せると彼等はすぐに私を揶揄ってくるから。幼い男の子って涙を流すのは恥ずかしいことだと思ってる、そういうデリカシーのない生き物だ。だから誤魔化す様に私はそっぽを向いて、柔らかい体操マットの上に座り込む。

 けれど男の子は私の素っ気ない反応に何も言わず、私の隣に静かに座った。私はそれに何も反応を返さず、ただ膝を抱えて静かに口を閉ざした。

 物置の中に不思議な沈黙が満ちた。子供の喧噪が遠くから聞こえるだけで、男の子も私も何もしゃべらない。その間、男の子が何か言い出すのを私は待っていた。「どうしてこんな所に隠れているんだ」とか「なんで泣いているんだ」とか訊いてくると警戒して、しばらくの間身構えていた。

 けれど男の子は壁に寄り掛かって鼻歌を歌ってたり、窓から差し込む陽だまりを眺めて居たり、静かに欠伸をしていたりするだけで、何も言わなかった。ただ、隣にいる男の子の小さな息遣いと肩に触れる小さな暖かさだけがあった。

 

「なにも、きかないの?」

 

 結局、話しかけたのは私の方からだった。

 

「だって、聞いて欲しくなさそうだったから。でも、放っておくのも、なんか嫌だったからさ」

 

 ゆっくりとした口調で、彼は私にそう答えた。

 そこで私は、ふと気づいた。

 

「ばんそーこー……」

 

 彼の右手の指には、たくさんの絆創膏が巻かれていた。小さくて細い指に小さな絆創膏が痛々しく巻かれている。私の目線が絆創膏を追っている事に気付いた彼は、「ああ、これ?」と笑った。

 

「これはね。ギターの練習で出来たんだ。痛くはないから、大丈夫」

「……ギター?」

「あー……えっとね。ピアノの親戚みたいな楽器なんだ」

「ピアノならしってる!」

 

 私は声を弾ませた。当時の私は、ピアノは大人だけが使う事が出来る魔法の道具だと思っていたからだ。幼稚園の先生は、ピアノでなんでも弾ける上手な先生で、ドラえもんの歌……当時私が大好きだった、BUMP OF CHICKENの『友達の唄』を何度もアレンジして弾いてくれた。

 先生の大きくて細い指が、鍵盤の上で踊るように動き回る。そして、とても綺麗で、幼い私の心を揺さぶった。それを聞くと、いつも楽しくて明るい気持ちになれて――まるで魔法みたいだと思っていたのだ。

 だから、まさかこんな同い年の男の子が使えるだなんて思いもしなくて、興奮を隠し切れないように私は言った。

 

「ひけるの?」

「弾けるよ~。まだまだ下手っぴだけどね」 

 

 お面の下でいたずらっぽく笑った彼が立ち上がると、物置の奥の方へと進んでいく。

 その後を追いかけると、小さな電子ピアノが置いてあった。イベントの時に先生が使うピアノだ。

 彼はそれを手慣れた手つきでセットし始める。どうやらこの物置に来るのは、これが初めてじゃないらしい。

 

「いつもここで練習していたんだ。先生に見つかると面倒だから、一応お面してるんだけど」

 

 棚から電源タップを探し出し、電源コードを引っ張り出して繋げて、蓋を開けて、スイッチを押して、音量がぎりぎり外に漏れない程度に調整して……。

 気付けば私の涙はいつの間にか止まっていた。大人びた、不思議な雰囲気を持つ男の子のペースに巻き込まれ、いつの間にか悲しかったことを忘れてしまっていたみたいだった。

 

「そういえば、名前は?まだ訊いてなかった」

 

 男の子はそう私に尋ねた。

 そういえばなまえいってなかった、という事に気付いた私はすぐに答えた。

 

「いくよ!きたいくよ!」

「なるほど、きたいくよ……喜多郁代!?」

「へ?」

 

 そこで初めて取り乱したように、男の子は私の方をぎゅいんっと振り向いた。そしてしばらく私の髪の毛や顔をまじまじと見つめる。

 

「……どしたの?」

「いやっ……なんでも……あるんだけど……今初めて自分がいる世界がどこか分かったと言うか……百合の間に挟みたいとか言っているあの神様の言っている意味が分かったと言うか……」

「?」

 

 何を言っているのか意味が分からない。けれど彼にとっては深刻そうで、でも割としょうもないことを悩んでいるようだった。頭を抱えてしばらく悶えていたが、彼はやがて諦めたように小さく溜息を吐いてピアノの準備を再開した。

 

「まあいいや。あとでまた考えよ」

 

 そして、ピアノの準備が整った。大人用の大きな椅子に飛び移る様に座り込む。当然だけど彼の小さい脚じゃ地面に着かなくてぷらぷらと浮いた。

 

「なにひくのー?」

 

 私は彼の指がピアノの鍵盤の上で踊るのを一番近くで見たくて、隣に座る。大人用の大きな椅子は、小さな私達二人が並んで座っても全く問題なかった。

 私はわくわくする気持ちを堪え切れず、男の子と肩が触れるのも気にせずに鍵盤を覗き込む。

 

「んー。まだレパートリー少ないから……じゃあ、僕が一番好きな曲を弾くね。■■■■の『■■■■■■■』」

 

 小さな指が鍵盤の上に乗る。

 その聞いたこともない曲名に、私は心を躍らせて――夢はそこで途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そっと目を開けると、体中に気怠さが、胸の中に一杯の懐かしさが溢れている事に気付いた。あとついでに、お腹の上に重い何かがのしかかっている感触も。

 

「あー……やっちゃった」

 

 右手にはピック。そしてお腹の上にはアコースティックギターが我が物顔で鎮座していた。

 練習をしていて、疲れでそのまま床で寝ちゃったんだと思い出す。お腹に乗っていたギターを退かして、スマホで時間を確認すると、まだ夜の10時だった。大体30分ぐらい寝ていたみたい。

 辺りを見渡すと、そこはいつも私と先生が使っている音大の練習室だった。

 先生の姿はどこにもない。グランドピアノの蓋の上にマグカップが一つ置いてあるのが見えるだけだ。多分、別の教室に行っているんだろう。先生の生徒はやる気がある人が多いから、この時間にも居残りをして練習をする生徒が何人かいるのだ。

 目をこすりながら、私は身体を起こす。

 ……とても懐かしい夢を見ていた気がする。

 私がまだ幼稚園児の頃の夢だ。

 あの頃はまだ、自分がギターをやることになるだなんて想像もしていなかったっけ。

 

 結局、あの曲はなんだったんだろう。

 

 ずっと思い出していなかった。ずっと忘れていた。あの男の子のことを。

 だって、あれっきりあの男の子は物置のピアノの前には現れなかったのだ。幼稚園中を何度も探し回ったり、あのピアノの前で彼を待ち伏せていたけど、あの男の子は煙みたいに消えてしまった。今にして思えば名前を聞く事も忘れてしまっていたのが、少し悔やまれる。

 結局、いつの間にか私は彼を探すのを諦めて。自分の興味は見知らぬお面をした男の子から離れて行った。いつの間にか仲直りしていた友達とまた遊ぶようになっていた。

 あの物置で聴いた曲は、埃を被って静かに眠っていた。

 

「…………」

 

 確か、こんな曲だったような……。

 ストラップを肩に掛けてギターを構える。心の中にあった、気持ち悪い引っかかりを捉えるように、弦を弾く。思い出したいのに思い出せなくて。手が届きそうに届かない。そんなもどかしい気持ちをなんとかしたくて、それを形に出そうと、ギターのネックを掴む左手に力が入る。

 ……違う、こんなメロディーじゃない。もっと柔らかくて、優しくて――

 

「なんであんた、こっち側に来たのよ」

 

 あれ。思い通りに弾けない……。もう一回……。

 

「なんでも持ってる癖に」

 

 今度はポップな感じで――

 

「友達も。親も。何もかも恵まれてるのに、どうしてこっちに来たのよ?」

 

 違う、違う違う!私は上手になったはずだよ!これで、結束バンドの皆と一緒に――

 

「別に、ロックじゃなくてもよかったくせに」

 

 指がぴたりと止まった。

 

「……はぁあっ……」

 

 自分の内側から、どす黒い何かがせり上がって、喉を()くような感覚があった。痛くて、熱くて、私の心を蝕み、内臓を全て腐らせてしまう負の感情。私はそれを無理やり息と一緒に飲み込んだ。

 目元が熱い。ダメ。ここで泣いちゃうのはダメ。

 涙は弱さの象徴だから。この気持ちは、私が負けていると無意識に認めてしまう証になってしまうから。

 自分を責めてずたぼろにしたくなる気分だった。頭を掻き毟ってぐちゃぐちゃにしたい最低な気分。どうして私は下手なんだ、上手く弾けないんだって、自分で自分を責めたくなる。

 でも、こんな傷つけるような気持ちじゃダメ。音楽は、自分の気持ちがダイレクトに響いちゃうから。こんな汚い気持ちは持ち込みたくない。

 もっと楽しく、明るい気持ちで。結束バンドの皆とライブをした時のことを思い出そう。

 クラスの皆と合唱コンクールで歌った時のように。

 カズ君と一緒に、二人で歌った時のように――

 

「あれ」

 

 ギターが重い。

 ピックが冷たい。腕に力が入らない感じ……。頭から思考しようっていう、気力自体が抜けていくような……。

 ていうかあの時は、どんな気持ちで歌ってたんだっけ……。

 

「ぐぅう……」

 

 私はギターのストラップを外してそっと床に置くと、そのまま並ぶように、身体をフローリングの床に投げ出した。

 硬くて冷たい床の感触が頬を伝ってくる。その底冷えするような冷たさは、私の芯まで冷たくしようと私の皮膚を覆ってくる。爪先から足のてっぺんまで、おどろおどろしくて真っ黒なタールみたいな黒い液体が這いまわってる。

 夜の海みたいに、呑み込まれそうになってる……。私、今海の底にいる感じだ……。

 息苦しくて……体が重くて……。息を吸うために海面に浮上したいのに、水中をもがく手は水を擦り抜けて、私の意志をあざ笑うように、海の底に引きずり込まれるように沈んでるみたいで。

 なんで私、ロックが好きなのに、ロックでこんなにぐちゃぐちゃになってるんだろう?なんでこんな苦しい想いをしなくちゃいけないんだろう?

 

「ぐすっ」

 

 冷たくて暗い絶望的な気分をなんとかしたくて、私はスマホの音楽アプリを開いた。

 最近使っているプレイリストで、適当な曲を再生した。

 スマホの小さなスピーカーから、優しいピアノの音とドラムの音が響いてくる。

 

 Sam Smithの『Stay With Me』だった。

 

 歩く様に緩やかなテンポで刻まれるピアノやドラム。愛しさと切なさを隠し切れない、男性の心情を歌ったサム・スミスのゴスペル。よくあるバラードのような甘ったるい感じはなくて……澄んでて優しい歌い方なのにパワーに満ちていて……。

 

 ああ、どうか このまま傍にいてくれないか?

 君がいてくれれば それだけでいいんだ

 これは愛じゃない それだけは分かってるんだ

 それでも愛しい人よ 傍にいて欲しいんだ

 

「カズ君……リョウ先輩……虹夏先輩……ひとりちゃん……」

 

 カズ君。ギター弾くのって、ロックって、楽しいことばかりじゃないんだね。

 苦しいよ。怖いよ。辛いよ。

 カズ君に会いたい……。皆に会いたい。皆に、私が今抱えてる苦しみを打ち明けたい。

 大槻さんがいなければもっと楽しく歌を歌えたのにって。

『辛い』って。『苦しい』って。そうカズ君に伝えることができればきっと、私はこの苦しみから解放される。きっと前みたいに笑って歌えるだろう。

 でも、自己満足な告白は、私に仮初の自由を与えてくれるだけだということは分かっている。今目の前にある大きな壁を打ち崩してはくれない。見て見ぬふりをして、逃げて――何日か、何週間か、何か月か……それとも何年も先か、それは分からないけれど。

 きっとまた私の前に立ち塞がる。今よりももっと大きな壁になって。

 その時の私は、おそらくその壁を乗り越える力はないだろう。大きな壁を前にした私は、登ることも逃げることも、壊すことも選べずに。ただただ、立ち尽くして、歩みを止めてしまう。そんな確信に近い予感がある。

 

 私は、独りで、自分の足でステージに立てる実力が欲しい。

 

 メンタルや周りの言葉に左右されない、確固たる強さが欲しい。どんな嵐の中でも突き進んでいけるような心が欲しい。自分を傷つけようとするナイフみたいな言葉を投げかけられても平気で笑って受け流せるような、堂々と結束バンドのボーカルなんだと誇れるような強さが。

 

 その為に、結束バンドを抜けてこうして独りで練習を続けている。 

 

 ここで逃げ出しちゃうのは、虹夏先輩やリョウ先輩、後藤さんにも。ここを使わせてくれている先生にも失礼だ。

 私はまた、身体を起こして、ギターを握る。

 ギターをやめて逃げ出しちゃえば、私は楽になれる。

 でも、楽になれた先に、『なりたい私』はきっといない。

 だから。

 何もかも投げ出して逃げ出したくなっても。例え水の中に石が沈むように落ち込んだって。

 進み続けるしかないんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜の新宿駅はたくさんの人で溢れていた。陽はとっくに沈んで空は真っ黒なのに、東京の夜は目がちかちかする程眩しく騒がしい。

 SIDEROSの路上ライブ。たった一曲だけを聴き終えた私達は、人のうねりに飲み込まれるようにいつの間にか流れに乗って駅の改札口まで戻っていた。

 虹夏先輩とカズ君は歩きながら、さっきのライブの感想を興奮混じりに言い合っている。

 

「すごかったね、SIDEROSのライブ……信じられない、2月のライブからまだそんなに経ってないのに、またすごく上手になってた」

「新しいリードギターが入ったおかげですかね。僕がヘルプで入った時よりも数段音の密度が上がって……ヨヨコさんのリフに力負けしない、本当に凄いギタリストだった!さすがだなぁ。でもあのギタリストの女の子、どっかで見たような気が……」

「私達、あれの前座をやるのかぁ」

 

 虹夏先輩が溜息と苦笑交じりにそう呟く。

 

「ビビりました?」

「まさか!むしろ、前より気合入ったよ。確かに、技術もファン数も格も負けてるけどさ。でも、私達の全部が劣ってるとは思わない。私達が出来る演奏を全力でやって、必ず私達の糧にして見せるよ!」

 

 虹夏先輩がやる気十分、と言わんばかりに拳を力強く握ると、カズ君が意地悪く笑った。

 

「その意気で頑張ってください。SIDEROSの客ともなればヨヨコさん達の歌で耳は肥えてるでしょうし、半端な気持ちでステージ上ったらすぐに野次が飛んできますよ」

「ちょっとなんでプレッシャーかけてくるの!?」

 

 虹夏先輩が笑いながらカズ君の肩を打つ。笑いながらカズ君はそれをひょろりと避けた。

 私は無言で、雑踏や電車、車の騒音が響く中、虹夏先輩とカズ君が歩く一歩後ろを、ゆっくりと追うように静かに歩いていた。

 

「次のライブはいつだっけ?」

「10日後にSTARRYですね。その翌週にも余裕があればってオファーが神田の箱から来てます。あと小さな喫茶店ですけど簡単な曲を弾いてくれないかって依頼があって」

「ライブハウスはともかく、喫茶店?」

「小さなイベントを開くみたいなんですよ。場所を他の人に貸し出してフリマみたいなことをするんで、盛り上げるためにそこで何曲か弾いてくれって。仮設ですけど小さなステージも作って何組かバンドが来るみたいです」

「おーいいねぇ。でも私達、ばりばりのロックバンドだし、デカイ音出して大丈夫かな?」

「曲次第じゃないですか?きのこ帝国の『ロンググッドバイ』とか、レディオヘッドの『High and Dry』とかなら……」

「えー、レディオヘッドはさすがに渋すぎない?」

「いいじゃないですかレディオヘッド」

「そりゃいい曲だけどさぁ、イベントなら小さい子供とか親子とかも来るんじゃない?渋すぎて誰もついてこれないよ」

「猶更やるべきですね、子供の脳をレディオヘッドのダウナーなメロディーで溶かしてやりましょ」

「なんてこと考えるの。あ、そうだ私ボーカルやってもいい?ドラムボーカル、そろそろ人前で演ってみたいの!」

「マジすか?とうとう虹夏先輩の歌が聴けるのかぁ……」

「ちょっと、あんまり期待しないでよ?まだまだ練習中なんだから」

「何の曲を演るんです?」

「ミスチルの『GIFT』!最近カラオケとかでずっと練習してるんだ」

「お~……虹夏先輩、すっかりミスチルのファンですね」

「カズ君が布教してきたせいだからね。そろそろいい加減にして?」

「待って。なんで今僕怒られた?」

 

 あんなライブを観た後なのに、二人はもう次のライブのことに目を向けている。

 それがとても、眩しく思えた。私はこんな暗い気持ちで、明日のことなんて考える余裕もないのに。

 頭の中に響くのは、SIDEROS――大槻さん達の路上ライブ。

 Icon For Hire。ボーカルのアリエル・ブルーマーを筆頭にしたアメリカのロックバンド。元々アリエルの声や、彼等が作る曲の歌詞にもパワフルな力が備わっているけど、大槻ヨヨコさん達のアレンジカヴァーは、更にその上を越えていた気がした。

 まず、メンバーそれぞれがとんでもなく技量が高い。ここ一ヵ月近くギターの練習に打ち込んだせいか、SIDEROSの技術がどれほど高いか、それが分かる。

 機械のように正確で最後までスピードを緩めないドラム。ひっそりと影のように後ろに付き、存在感を失わないベース。ドラムとベースに更に燃料を注ぐように高速のギターリフを走らせるリードギター。個性的で主張の強いメンバー全員の音をまとめ上げ、夜空に駆け上がるようなボーカルのギターと歌声。まるで大学の先輩達のオーケストラを連想させるような、ひとつの生物の鼓動のような曲だった。

 そして――とにかく、強い歌声だった。

 血管を喲くような歌声と、街中の建物を震わせる地響きのようなビート、雷のように轟くエレキギターとベースの激しいうねりが、ずっと頭の中に染み付いて、取れない。

 特に、大槻さんの歌声が……骨の芯まで届くように響いて、離れない。

 ……オオカミ。そう、狼の遠吠えのような叫びだった。

 冷たい雪山で、降り積もる雪の中をただ孤独に怒りを叫ぶ、狼。

 2月のライブの時は分からなかった。あの人の歌がどんなものなのか。どう言う風に叩き上げられた歌声なのか。ほんの少ししか触ることができなかった。

 でも今なら分かる。あの人の歌声は、本当に、作り物みたいに綺麗で、それでいて激しい怒りに満ちている。

 駅のホームに鳴り響くスピーカー越しの駅員の案内やベルの音も、線路を走る列車のブレーキ音でも拭えない。

 自分の魂だけが、まだあの新宿の大通りに取り残されている。

 

「あの、虹夏先輩」

「ん?どうしたの、喜多ちゃん」

 

 私の声に反応した虹夏先輩が足を止めて、自然とつられるようにカズ君の足も止まった。

 

「喜多?どうしたの。早くしないと、次の電車行っちゃうよ?」

「……あ、えっと……」

 

 どう、しよう。出来たらカズ君には……あんまり話したくないんだけど……。

 タイミングがいいのか悪いのか、ちょうど下北沢に向かう電車がプラットフォームに入ってきてしまった。空気が抜けるような音と共に扉が開き、大勢の人が飲み込まれるように列車の中に乗っていく。

 このまま電車に乗り込んでしまったら、下北沢に着くまで何も話せない。今話さないと、私の中にある決心が、どんどん萎んで消えてしまいそうで。

 言い淀んでいると、虹夏先輩は私の気持ちを察してくれたのか、困ったように笑ってカズ君に言い放った。

 

「……しょうがないな。カズ君、先に乗って帰ってて!」

「え?なんでです?もう少しさっきのライブについての語り合いを……」

「女の子同士、秘密の話があるの!男子禁制!」

「えぇ……」

「ほらさっさと乗る!クレイジー音楽オタクに用はないから!」

 

 急かされるようにカズ君の背中をぐいぐいと、列車に押し込むように押す虹夏先輩。最初は少し抵抗していたカズ君だけど、列車が発車するベルが鳴り響くとついに諦めたのか口を噤み、とぼとぼと電車に乗り込んだ。

 

「……ドナドナ」

「ぶっ」

 

 虹夏先輩の一言に、私は思わず吹き出してしまう。

 カズ君には申し訳ないけど、電車が走り出してもしょんぼり顔で窓からこっちを見続けるカズ君は、少し可愛くて面白かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はい、喜多ちゃんこれ!」

 

 プラットホームに設置されている自販機で、虹夏先輩は私の好きなカルピスウォーターを奢ってくれた。ひんやりと冷たいペットボトルを受け取って礼を言うと、虹夏先輩は「いいよいいよー」と優しく笑って自分の分のアクエリアスを買っていた。

 そしてペットボトルの蓋を開けて、アクエリアスを一口飲んだ先輩は、早速と言わんばかりに本題に入る。

 

「それで、どうしたの?カズ君に聞かれたくない話って、結構大事な話ってことだよね」

「……」

 

 言っても、いいことなんだろうか。

 さっきまでちゃんと虹夏先輩に話そうと思ったのに、急に喉に石がつっかえたみたいに喋れなくなる。

 だってこれは――私の問題。そう、私だけの問題だ。

 結束バンドやカズ君とは何の関係もない。個人的で、利己的で、独善的な私のちっぽけなプライドが生み出した問題だ。

 その問題に、この人を巻き込んでいいのだろうか。私の尊敬する先輩を……。

 

「あ、あの、やっぱりなんでも――」

「喜多ちゃん」

「っ」

 

 怖くなった私が思わず誤魔化そうとした瞬間、虹夏先輩が私の名前を呼んだ。

 先輩は私の方を観ないで、真っ直ぐ反対側のホームに滑り込んできた列車を眺めながら、はっきりと言った。

 

「喜多ちゃんのそういう、私を気遣ってくれるところ、好きだけどさ。隠さないでよ。寂しいじゃん。私達は同じバンドの仲間なんだからさ」

 

 独り言みたいに、私の方を観ないまま、虹夏先輩はそう言った。

 きっと、この人は優しいから――私が仮にここで「なんでもないです」って言えばすぐに退いてくれる。明日からまた普通に接してくれるだろう。何事もなかったみたいに。

 

「私は、リーダーとしてそんなに頼りないかな。カズ君とかリョウじゃないと、何も話せない?」

「い、いえっ!そんなことないです!」

「うおっ、びっくりした!」

 

 虹夏先輩の表情が少し俯いてしまったのを見て、私は慌てて弁解する。

 

「虹夏先輩は、私にとって……本当に、尊敬する先輩です!」

「喜多ちゃん……」

「リョウ先輩の次に!」

「……」

 

 あれ。どうしてそんな渇いた笑みを浮かべているんだろう。大真面目に言ったつもりなんだけどな……。

 拍子抜けした私を見て、虹夏先輩は大きく溜息を吐いた。

 

「リョウより下ってのはなんか納得いかないけど……まあそれは置いといて」虹夏先輩は小さく咳ばらいをして、改めて私に向き直った。「言ってよ喜多ちゃん。さっきのライブを観て、何か悩んでるんでしょ」

「……バレました?」

「当たり前だよ!もう一年近く一緒にバンドをやってるんだから!」

 

 1年……。そっか。

 最近ずっと、カズ君とのお別れまであと半年だ―とかあと少しだーってことばかり考えてたけど。 

 先輩達と一緒にバンドをやるようになってから、もう一年にもなるんだ。

 

「喜多ちゃんの事も、結構分かって来たつもりだよ。真面目で、努力を怠らなくて、意外と負けず嫌いで、カズ君のことが大好きで――」「先輩!」「ごめんごめん。でもさ、喜多ちゃんって思ったより1人で抱え込んじゃうことがあるじゃん。メンバーの空気をいつも盛り上げてくれるけど。そういう、一歩踏み込んだ本心を話してくれないのは、『これ以上入ってくるな』って言われてるみたいで、少し寂しい」

 

 虹夏先輩はそう言って、ぱっと見だと普通に笑ったけど、でも、1年も一緒に過ごしてきたからか――この人が本当に寂しそうに笑っているのが分かってしまって、何故か私の心もきゅうっと締め付けられたみたいになる。

 その表情は、私の心の奥底に沈みかけた思いを引きずり出す。

 

「これ……あんまり、言っていいことじゃないとは分かってるんですけど……」

「うん」

 

 焦燥に駆られるように私は自分の中にある思いを探しながら言葉にする。

 虹夏先輩は急かさず、私が言葉にして出すのを待ってくれていた。

 

「さっきのライブ……本当に感動しちゃって……」

「うん。本当に凄かった。私も、昔のことを思い出して泣いちゃったし……。喜多ちゃんは、どう思ったの?」

「その……衝撃をそのままぶつけられたみたいな……確かに、凄くて、びっくりして、ずっと聴いていたいって思えるぐらい……」

 

 冗談みたいに、本気(マジ)じゃないみたいに振舞うように、私は明るく言おうとした。

 

「でも、その10倍ぐらい……悔しいんです」

 

 けれど今の私、自分でもブサイクだと笑っちゃうぐらい、引き攣った笑みを浮かべてると思う。

 先生の指導で、前よりずっとずっとギターも歌もうまくなったはずだった。ギターも後藤さんやカズ君程じゃないけど弾けるようになって、自分の歌声でたくさんの人を楽しませることが出来ていると言う自覚があった。

 自惚れではなく、ひとつの結果として、私の歌は価値があるんだと、自信になってくれていたはずだった。

 けれど、SIDEROSの、大槻さんの歌は、私の自信を粉々に打ち砕いた。

 

「本当に、お腹の底が煮えくり返るみたいに嫌で……」

 

 同世代で私より歌が上手な人がいるなんて嫌だ。認めたくない。

 

「そんな風に思ってる自分も嫌で……」

 

 私より胸に響く演奏をする大槻さんが嫌だ。認めたくない。

 

「カズ君に、こんな気持ちが私の中にあるって、知られたくなくて……」

 

 カズ君の視線を釘付けにしてしまう、あんな歌が、結束バンドじゃなくてSIDEROSが歌ったという事実が、許せない。

 

「だから喜多ちゃん、カズ君には聞かれたくなかったんだ?」

 

 私は頷いた。

 

「こんな……こんなどす黒くて、自分でも嫌な気持ちを……カズ君に知られたくなくて……幻滅されたくなくて……って、虹夏先輩、なんですか?」

「……いいなぁ」

 

 何故か羨ましい物を観るかのように、虹夏先輩が唇を尖らして呟いた。

 

「私も彼氏欲しいなぁ」

「かれっ……彼氏じゃないですっ!!」

「えー。あれで付き合ってないってのも……逆になんなの?」

「なんなのってなんですか!?」

「なんなの?はなんなのだよ。二人のただならぬ関係性で、観てるこっちがやきもきするんだよ」

「なんですか!こっちは真剣に話してるんですよっ、そ、そっ、それに今はカズ君の事じゃなくて……!」

「はいはい、分かってるよ」

 

 虹夏先輩はそう言ってあきれたように笑う。今度は寂しそうな感じはまったくなくて、私も毒気を抜かれたみたいに肩の力が抜けてしまった。

 

「でもさ。やっぱりカズ君にも相談するべきなんじゃないの?カズ君のことだから、きっと喜多ちゃんのことを考えて何かアイデア出してくれるよ」

「私も、そう思ったんですけど」

 

 すぐに想像できる。きっとカズ君は、私の為にあれこれと考えてくれる。私を手助けしてくれる。私を導いてくれる。

 

「でも……カズ君にいつものように頼っちゃいけないって思っちゃったんです」

 

 あの人の、氷みたいに冷たい歌は、強い怒りが込められている。とても強いエネルギーが歌に載って伝わってくる。

 ただ技術があるからじゃない。ただ経験があるからじゃない。

 大槻さんの歌は、きっと――あの人にしか歌えない、心臓にナイフを突き立てることができる、特別な歌だ。

 脳裏に響く、その衝撃をそのまま音にしたような歌を思い出しながら――私は決心する。

 

「虹夏先輩」

「ん?」

「少しの間――7月ぐらいまで、バンドを抜けてもいいですか」

 

 それがなんなのか、私は確かめたい。

 私にはなくて、大槻さんにはある『特別』を。カズ君に頼らずに、自分だけの力で。

 

「少し、見つめ直したいんです。独りで練習して……どうすればああいう風に歌えるのか」

 

 私がそう言うと、虹夏先輩は目を見開いて、しばらく唸って、そして真剣な表情で私を見つめ直した。

 

「バンドの練習を休んで?」

「出来たら……バイトも」

「次のライブはどうするの?」

「出れないです。……ごめんなさい」

「そっか」

 

 虹夏先輩はペットボトルに残った液体を呑み干し、ゴミ箱に投げ入れると私に向き直り、口を開いた。

 

「分かった。お姉ちゃんとか、バンドの皆には私から言っておくよ」

「いいんですか?」

「うん。喜多ちゃんにとっては大事なことなんでしょ?ならやるべきだよ」

 

 先輩はそう言って、私の肩をがしっと力強く掴んで、笑った。

 

「喜多ちゃんも、戦う時が来たんだね。応援してる。バンドの仲間として、1人の先輩として!」

 

 本当に私は、この人がバンドのリーダーで、私の先輩でよかったと心の底から思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その後、下北沢行きの電車に揺られながら、虹夏先輩とこれからのことを話し合った。

 しばらくの間、毎週投稿する動画やライブはリョウ先輩とカズ君がボーカルを担当すること。

 アルバイトはしばらく休ませてもらうこと。

そして、七月のSIDEROSのライブまでには必ず戻って、結束バンドの曲の練習にも間に合わせること。

 つまり、遅くとも6月末には復帰する、という約束だ。

 大体、約1ヵ月と少し。それが私に許された時間だ。

 

「じゃあね、喜多ちゃん。何か困った事とか、悩み事があったら、すぐに連絡してね!」

「はい!ありがとうございます!」

 

 下北沢駅のロータリーで、虹夏先輩とそう言って別れた。

 先輩の背中が見えなくなるまで見送って、私はスマホで先生の番号を押した。

 

「先生、こんばんは!」

『あら、喜多ちゃんじゃない。どうしたの、今日は路上ライブの日じゃなかったの?』

「さっき終わりました。それで、その……相談があって」

 

 次の日。

 HRを終えた私は、学生鞄とギターを抱えて速攻で大学へ向かった。

 いつもの練習室に入ると、ピアノの椅子には先生が座って私を待っていた。グランドピアノに腰かけ、優雅に文庫本をめくる先生は、一枚の絵画みたいにカッコよかった。

 

「待ってたわよ喜多ちゃん」

「先生……すいません」

「いいのよ。そろそろ喜多ちゃんのレッスンも、次のステップに行かなきゃいけないと思ってたし」

 

 私が昨晩、先生に頼んだことはシンプル。

 もっと上手くなりたいから、もっと厳しくしてほしい。

 電話口でそう頼んだら先生はしばらく大笑いして、直ぐに快諾してくれた。

 

「まさか喜多ちゃんの方から頼まれるとは思ってもいなかったけど!喜多ちゃんには特訓メニューを用意したわ。私が毎年、受け持った生徒に渡してる課題よ」

「はい!」

 

 そう言って先生は、一枚のプリント用紙を私に差し出した。

 受け取ったプリントには、パソコンから出力された無機質な文字の羅列がいくつもあって、けれど私は一番上の行に書かれた文字に目を奪われた。

 

 ――50曲コピーすること。

 

 やめておけばよかったかもしれない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日の夜。

 電話で事情を説明すると、リョウ先輩は心なしか少しがっかりしたようにため息を吐きながら画面越しの私を見つめていた。頬杖を突きながらじっと私を見つめるダウナーな眼つきはどこか冷たい。

 

『自分を見つめ直す為にバンドをしばらく抜けるって虹夏から聞かされたその日の内に、郁代から電話してくるとは思ってもいなかったよ。ロックなことするなーって感心してたから、少しがっかり』

「はい……返す言葉もございません……でもそうも言っていられる状況じゃなくて……」

 

 私はしょんぼりしたまま、スマホの画面に映るリョウ先輩に謝罪する。さすがに、自分の都合でバンドを抜けて置いて1日も経たずにリョウ先輩に泣きつくのは恥ずかしかった。けれど、なりふり構っている場合じゃないのは自分が一番よくわかっている。

 

「……(カシュシュシュシュシュシュシュシュシュ)」

『郁代?何今の音』

「あ、すみませんなんでもないです」

 

 ビデオ通話で画面に写っているリョウ先輩は、濃い青を基調とした高級そうなパジャマに身を包んでいた。作曲の途中だったらしく、背景には2回しか行ったことがない先輩の自室の壁と、先輩の懐には見慣れないアコースティックギターが存在感を放っている。

 平謝りしながら私は貴重なパジャマ姿のリョウ先輩をスマホのスクリーンショットで連射してしまう。パジャマ姿のリョウ先輩を写真に収めないなんて、人類の損失だから。これは貴重な文化財の保護活動なの。だから断じて、盗撮じゃない。

 

『それで、50曲もコピーするんだって?その先生も随分無茶苦茶なことを言うね。カズからスパルタ教師だって聴かされてたけど、誇張表現じゃなくマジでスパルタなんだ』

「そうなんです……大学の先輩方にも訊いてみたら、先生の生徒は皆この課題を毎年与えられて……全部達成する生徒は少ないぐらい、厳しい課題みたいなんです」

『東音の生徒でも難しい課題を?えぇ……』

 

 画面の中のリョウ先輩がドン引きしていた。本当に心底嫌そうだった。

 

『とりあえず、その課題を送って見せてよ』

「分かりました」

 

 私は改めて、先生から渡されたプリントに視線を落とす。そこには与えられた課題の概要が細かく書き込まれている。

 

 

・任意のジャンルから50曲をコピーすること。

・コピーした曲を譜面に起こすこと。

・演奏した曲を録音、または映像で記録し、指定のメールアドレスへ提出すること。記録はスマホなどでも構わない。

 ※ボーカリストは弾き語りでの演奏を記録すること。

・講評のため、演奏記録は週に一度、最低でも1曲を提出すること。

 ※なお、週に一度の提出が途切れた場合、その時点で課題放棄とみなす。

 

 うん……たった一枚のプリントが凄く重たく感じるぐらい、厳しい。出したくないため息が零れてしまう。

 そのプリントをスマホで写真で撮って、リョウ先輩に共有すると、ドン引きした顔を更にドン引かせて、舌を出して呻いた。

 

『私だったらこの課題渡された時点でもうバックレてるよ。本気でやるの?』

「はい!私が上手くなるための特訓ですから!こうなったら何がなんでも根性でやってやりますよ!」

『おお、さすが陽キャ。体育会系な思考だ』

「そう思わないと正直やってられません!」

『あ、違った。ちょっと現実逃避入ってた』

 

 先輩達の話によると、毎年、先生の講義を受けている生徒はこの課題を渡されるらしい。強制ではなく自主的な課題として。

 仮に達成できなかったとしても、単位を落とされると言ったペナルティはないと先輩は言っていたが、この課題を熟したか熟していないかで、見違えるほど伸びると先輩は話していた。

 けど、これをやるにさしあたって、問題がひとつ。

 

『時間が圧倒的に足りないね』

 

 曲をコピーして覚えることだけなら、放課後、がむしゃらに練習すればなんとかなったかもしれない。

 けど、譜面起こしや録音も含まれるとなると、どう考えても圧倒的に時間が足りないのは火を見るよりも明らかだ。大学生と言う、比較的自由に時間を使える人達ならまだしも、昼間は学校がある高校生の私。しかも6月までと言う制限がある。おまけに、譜面起こしはカズ君や後藤さんにちょっと教わった程度しかできない。イソスタをやってる場合ではなかった。

 カレンダーの日付を逆算すると、SIDEROSのライブまでおおよそ50日。結束バンドの練習のことも考えれば、最低でも1週間前には復帰しなければいけないので、時間の余裕がまったくない。

 この課題を最初渡されて、私は真っ先にそのことを訴えた。

 

「50曲もやるんですか!?無茶ですって先生!」

「あっはっは、さすがに50曲全部やれとは言わないわよー」

「で、ですよね……さすがにそこまで鬼じゃ――」

「最低でも40曲はやって欲しいわねー」

 

 残念ながら先生は鬼だった。

 一曲が大体三分弱としても、50曲で約二時間半。

 譜面を起こし、歌詞を覚え、録音や撮影の手間と、それを50日以内にやらなければいけないことを考えれば――いけない。考えるだけで気が重くなってきた……。

 結束バンドの「一週間で1曲マスターする」練習だって大変だと思っていたのに、その上を行くメニューを突きつけられた気分だ。そもそも私、譜面起こしやったこともないし、耳コピだってそんなに得意じゃないのに……。

 頭の中で何度も計算して、結論はどうしてもこうなる。

 ……やっぱりどう考えても無理よね?

 

「あの……こんなに曲をコピーする必要ってあるんですか?」

「あら。どうしてそう思うの?」

「どうしてって……あれ。どうして?」

 

 すぐには答えられなかった。

 先生はそんな戸惑う私を見て、微笑みながら言った。

 

「いい?喜多ちゃん。これは大事な事だから、よく覚えておきなさい。ロックの基礎は、コピーなのよ」

「基……礎?え。じゃあ今までのレッスンは……」

「あれは基礎する為の基礎よ」

「基礎をする為の基礎!?」

 

 あんなおたまじゃくしで真っ黒な譜面を押し付けて「出来るまで帰さない♪」なんて笑顔で言っておいて!基礎練習とは言ってたけどどう考えても上級者向けの練習だったじゃないですか!

 

「いやー喜多ちゃんは素直だから助かったわー。あんな練習、他の子達に言ったら絶対文句言ってくるもの。私も逆の立場だったら絶対文句言って逃げてたわ」

 

 あっはっはと軽快に嗤う先生を見て、いつか絶対目にもの見せてやると心の中で誓った。

 

『郁代って作曲とか譜面起こしやった事ないでしょ?』

「そうなんです。それで、リョウ先輩に譜面起こしのやり方を教えてもらいたくて」

『本気?一日一曲でも間に合うかどうかわからない量だよ』

「覚悟の上です!」

『イソスタとか、放課後の遊びとかやってる暇ないよ』

「…………覚悟の、上です!イソスタのアプリアンインストールしてやります!」

『おお、SNS中毒の郁代が。ガチなんだね、今回は』

 

 本当は泣きたいくらい悲しい。受験から解放されて、高校に入れて、せっかく新しいクラスの人達と馴染めたこれからって言う時に限って!

 GWから夏休みまでの間にどれぐらいたくさんのトレンドを共有できるかで、今後の友達関係も変わってくるし、これからどれだけいい写真を撮ってもイソスタにアップできないなんて、考えただけで涙が出てきてしまう。私の華やかで今時な女子高生ライフはもうだめかもしれない。

 

『でも、この課題は今の郁代に必要な課題だよ。無茶苦茶だけど、理に適ってる』

「え、どういうことなんですかリョウ先輩?」

『簡単。郁代は、まだまだ曲の引き出しが足りない。その為の課題だよ、これ』

「……音のスケールが少ない、ってことですか?」

『そう』

 

 スケール。音の並び方の型のこと。曲を構成する上で避けて通る事の出来ないパーツの一部だ。

 音楽をやらない人には難しく聞こえるかもしれないけど(実際、私もギターを始めたばかりの頃はさっぱりわからなかった)要は数学の公式みたいなもの。例えば一番有名なのは“ドレミファソラシド”。これもスケールの一種だ。

 数学と違うのは、音の組み合わせ次第で無限にスケールを作ることだってできるってところ。泣ける曲も、楽しくなる曲も、全部このスケールから生まれてくるんだ。

 

『この一年、郁代の練習を観てる私から言わせてもらえば、郁代は真面目にちゃんと練習してきてる』

 

 不意に褒められ、私は口元がだらしなく緩むのを我慢しながらリョウ先輩の話に耳を傾ける。

 

『けれど、人間って無意識に慣れた動きを追いかけちゃうんだ。ソロをさせたら似たようなフレーズばかり……なんてギタリストは少なくない。でも……例えばぼっち。人と演奏するのは苦手だけど、ソロで弾かせたらプロにも劣らない』

 

 確かに、後藤さんは人と合わせることは苦手だけど、ソロだとまるで別人のようにギターを奏でる事が出来る。それに、最近だと練習中に「こ、こここ、ここを、す、少し変えませんか……」とリョウ先輩の曲にアレンジを提案している姿もよく見かけるようになった。

 バンドの皆と曲を合わせている時は、私は基本的にリョウ先輩に言われるがままに弾いていることが多い。歌い方とかは自分なりにアレンジを加えることはあるけど、半年前までは歌詞やメロディーに何か提案する事は怖くてできなかった。素人の私が、自分よりずっと楽器に関わっていたリョウ先輩や後藤さんの曲に口を挟むこと自体が間違いなんじゃないかと思っていた。今でこそ、その認識は間違いだと分かるんだけど。

 だからああいうソロとか、曲に途中で手を加えるとかは、才能がある人にしかできないことだと思っていた。でもひょっとして、後藤さんも『引き出しが多い』からこそ出来る、当たり前の、身に着けることができる『技術』なのかしら。

 

『音楽が上手い人間って言うのは、総じてこの使える引き出し(スケール)がたくさんあるんだよね。とにかく、指に覚え込ませたスケールの数が本当に多い。だから、手っ取り早くたくさんの曲をコピーするのは、郁代をもっと上達させてくれると思うよ』

 

 なら、私も続ければ……。

 

「私も、ああいう風になれるってことですか?」

『今すぐは無理。一気に100レベルアップできるような練習じゃない。けど、引き出しの数はそのギタリストの実力に直結する。練習を続けていればいつか、郁代もあれぐらい弾けるようになれるかもね』

 

 ぞくり、と皮膚が泡立った気がした。

 今まで漠然としていた、後藤さんと自分の間にある距離――プロと呼ばれる人間と、そうじゃない人間の境が、一瞬だけ見えた気がしたのだ。

 

『とにかく、トライアンドエラーでやらせようって魂胆なんだと思う。ジャンル問わずに曲を練習するのは色んな演奏法を取り入れることにも繋がるし、とにかく数を熟させて指に色んなスケールを覚えさせることが、その先生の目的なんじゃないかな。短期間にレベルアップするには、これが一番だと私も思うよ』

 

 課題を渡された時は無茶苦茶な課題にも程があると思ってたけど……リョウ先輩の説明は筋が通っていて、私は納得してしまった。先生は私に課題を渡した後、何の解説もせずにそのままボーカルレッスンに入ってしまったから理由は結局聞けず仕舞いだったし。やっぱり、ただのドSな先生じゃなかったのね。

 やっぱり、結束バンドとバイトからしばらく抜けさせてもらったのは正解だったと改めて思う。この課題は、今の私の足りない部分を補ってくれるかもしれないのだ。

 今更迷ってなんかいられない。例え苦しくても、絶対にカズ君の隣を追いかけると決めたんだから。もたもたとしていたらきっと彼は私を置いて、ずっとずっと遠くへ行ってしまう。アメリカと言う、物理的に遠い国ではなく、1人のミュージシャンとしての距離が、開いていってしまう。

 だから私は私のやり方で、突き進むしかない。これで本当に上手くなれるかは分からないけれど。

 それでも、本気で頑張ろう。それが今の私に出来ることなのだから。

 目の前の机に置かれた、まだ何の手も加えられていない新品の五譜線ノートを見て、そう心の中で決意を固める。

 すると、リョウ先輩は前髪をいじりながら私に尋ねて来た。

 

『それで、郁代。最初は何の曲をコピーするの?』

「えっと……CSNYの『Helpless』を……」

『え、渋っ。何その選曲。女子高生がチョイスする曲じゃなくない?』

「……私だってもっとキラキラで今時な曲をコピーしたいですよっ!」

 

 リョウ先輩の辛辣な言葉に思わず私は噛みついた。

 CSNYは、フォークロック界の伝説的なミュージシャンたちが集結したスーパーグループ*1だ。

 デヴィッド・クロスビー、スティーヴン・スティルス、グラハム・ナッシュ、ニール・ヤング。

 伝説的なメンバーが集まった、夢のグループ。彼等の頭文字を取って生まれたのがCSNYだ。ニールヤングが書き出し、クロスビー達が奏で、紡いだ、静かに助けを求めるノスタルジックな歌。

 

「そもそも、CSNYをオススメしたのはリョウ先輩じゃないですかっ」

『そうだっけ?』

「そうです!」

 

 カズ君からアコギを借りたきっかけで、少し前までの私はジョーン・バエズやボブ・ディランとかのフォークロックを聴き漁っていた。そんな私にCSNYを勧めてきたのはリョウ先輩だった。

 ニール・ヤングも大好きだった私はこのバンドのアルバムを聴いて一発で惚れこんでしまい、しばらくの間CSNYの曲ばかり聴いていたせいで、最初にコピーするならCSNYだと思ったのだ。テンポが緩くて聴き取りやすい、譜面起こしもまだ難易度が低いと思ったから。

 でも本当はもっと、今時でTiktokで使われている曲みたいなのを弾きたいのに!そう頭の中では思っていても、CSNYの曲の方が私にとってはずっと良くて……。

 自分の音楽の趣味がどんどん古典的な方へ寄って行っているのはとっくに気付いてはいたけど、リョウ先輩に言われると改めてそれを実感する。

 

『このまま課題を進めてたら、郁代がコピーする曲、冗談じゃなくオールディーズで埋まりそうだね。しわしわ郁代……ぷぷっ、最高』

「怖い事言わないでください!」

『私はそれでもいいと思うけどね。でもせっかくの機会だから、色んな曲を練習するのもいいんじゃない?』

「色んな曲ですか?」

『そうそう。自分の好きな曲だけじゃなく、例えば友達とかに好きな曲を訊いて、それをコピーするとかさ。そうすれば曲被りせずに色んな曲を練習できるじゃん』

「……じゃあリョウ先輩のオススメ曲を聴きたいです!」

 

 私がそう尋ねると、リョウ先輩は待ってましたと言わんばかりにアコギを構えて弾き始めた。

 

 絶え間なく起きる民族紛争 何故 人は傷つき 傷付け合うのだろう

 

 おお、と思わず感嘆の声を漏らしそうになる。

 ベースが本業のはずなのに、アコースティックギターを構えるリョウ先輩は、山崎まさよしや吉田拓郎、竹原ピストルみたいに堂に入ってて、私は思わず目と耳を奪われる。歌詞も戦争や紛争へのアンチ的なメッセージが直球に歌われててとても――

 

 冷やし中華始めました

 

「え?」

 

 なんでそこで冷やし中華を……?

 曲に没頭しそうになった瞬間、急に冷やし中華を頭から掛けられて冷やされてしまう。すると、スマホのスピーカーからも分かるぐらい、大きなお腹の音が響いた。

 

『……お腹空いた。郁代、今度中華行こう。ホイコーロー定食食べたい』

「そこは冷やし中華じゃないんですか……」

 

 リョウ先輩には申し訳なかったけど、さすがにAMEMIYAの『冷やし中華はじめました』はコピーしなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズ君直伝!授業中先生にバレないように音楽を聴く方法!

 用意するものはワイヤレスイヤホンではなく有線イヤホンと接続するスマホやウォークマン。

 そして大事なのが、長袖の制服!

 夏服の半袖の時期には上着を着るようにしましょう。

 聴く方法は簡単。スカートのポケットにスマホを入れて、有線で接続したら服の内側にイヤホンのコードを通します。そしてそのまま袖の方へ!

 袖から少しはみ出すぐらいに長さを調節したら準備完了。あとは音漏れをしない程度にボリュームを調節して、音楽を流すだけ!

 これで、頬杖を突くふりをして袖からはみ出したイヤホンを耳に当てれば、なんということでしょう。

 ぱっと見れば気だるげに授業のノートを取るフリをしながら好きな音楽を聴けるではありませんか!

 是非皆も真似してみてね!

 ただし、伸びをしたり、コードを入れた腕を大きく動かすと、スマホに刺していたイヤホンのプラグが引っこ抜けてプレイヤーの音がそのまま駄々洩れする可能性があります。気をつけましょう。

 

 ぶちっ。

 

「あっ!」

 

 教室にスマホのスピーカーからDaniel Powter の『Bad Day』が流れ始める。授業中、教室はほぼ無音だったせいで、スマホの小さな音量でも教室にやけに大きく響き渡ってしまっている。

 国語の小説を朗読していた、普段は優しい先生がにこにことした表情を崩さないまま私の席のほうへ歩み寄って来た。

 

「喜多さん」

「はい」

「先生も好きなのよね~この曲」

「あ、あはは~……」

「没収。あとで職員室ね」

「はい……」

 

 言い逃れも何もできず、大人しくスマホとイヤホンを先生に差し出すしかなかった。

 他の生徒達のくすくすとした笑い声を聞きながら、私は恥ずかしさで顔が真っ赤になるのを感じた。なんてついてない日なんだろう……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 先生の課題を始めてから、一週間が経過した。

 結果として、コピーできた曲は……まだたった3曲。

 

 CSNYの『Helpless』 、Garbageの『Not Your Kind of People』とCarpentersの『A Song for You』だけ。

 

 正直に言うと、あまり……いやまったく進んでいないのが現状だった。

 歌詞を覚えて歌う事は、今まで通り出来ている。けれどその反面、譜面起こしがダメダメでまったく進まない。自分で曲を聞き取って、それを楽譜に起こす。簡単そうに聞こえて、実際はとても難しい。慣れ親しんだ音符達が、まるで未来からやって来た暗号のようになってしまう。

 今までリョウ先輩が編曲したり、作曲して書き出した楽譜を何も考えず受け取って弾いて来たツケがここで回ってきてしまったんだと思う。リョウ先輩が普段なんでもないことのようにやってきた編曲や作曲が本当に凄くて大変な事なんだなと改めて噛み締める。

 そして同時に――先生が、これをロックの基礎と言っていた理由も理解する。ギター譜に起こしていると、前に結束バンドで練習していた曲や自分が聴いてきた曲の中にいくつか同じコードが使われていたのだ。何十年も前の曲で使われたコードが、現代でも息づいている。

 昔のロックの曲の血が、脈々と現代の曲へと受け継がれて歌われているんだと知って、なんだかロックの歴史の一部に触れているような、不思議な気持ちになった。

 そうやって悪戦苦闘しながらも曲を楽譜にして、自分なりにアレンジして弾き語りをするのは達成感があった。録画した映像を先生に提出したらこれでもかと酷評をもらったけど。

 

「一週間で三曲ね。今まで譜面を書いたことがないことを考えたらよくできてる方だけど、これじゃあ七月まで半分も行くか怪しいわね?」

 

 先生の言う通り、一週間かけて完成したのがたった3曲じゃ、七月までまったく間に合わない。

 だから今日は朝の七時前には学校に登校し、朝のHRが始まるまで教室で譜面を起こし、休み時間にはギターに出来るだけ触れてコードを練習して、それでもと授業中に先生の目を盗んでイヤホンを使って耳コピしていたんだけど……結果はさっき見ての通り、コードが誤って抜けてしまって、先生にバレてしまったという訳だ。

 でも、先生に怒られた程度でくじけている場合じゃない。なにしろ時間がないのだ。

 私は次の休み時間、教室から一番離れた階段の踊り場でカズ君を待っていた。

 LINEで呼び出されたカズ君は呆れと笑いを含んだような口調で私に言った。

 

「喜多、職員室に呼び出されたんだって?僕が教えたアレ、マジでやるとは思わなかった」

「え、なんでカズ君が知ってるの?」

「佐々木がLINEで教えてくれた」

「さっつー……」

 

 私の脳裏に腐れ縁の親友の顔が浮かび上がる。多分笑いながらカズ君に連絡したのがたやすく想像できて、なんだか悔しい。

 

「はい。これは没収されないようにしてよ?」

 

 カズ君はそう言って、普段予備として持ち歩いているらしいイヤホンを差し出した。

 ……多分、このイヤホンも、私が知らないだけでとんでもなく高い代物なんだろうなぁと薄々感づきつつも、素直にそれを受け取る。

 

「それより喜多、大丈夫?」

「へ?」

「寝れてる?一週間ぶりに会ったけど、顔色悪いし、少しやつれてるよ」

「そうかしら……でも、最近夜遅くまで起きてることが多いから……」

 

 課題はもちろんだけど、先生のレッスンも毎日欠かさずに受けている。必然的に帰宅は夜の10時を越えるし、更にそこから課題もやらなきゃいけないので、最近はベッドに入るのが深夜を回ることが多かった気がする。

 

「最近は朝、僕の家にも来ないし。何やってるか知らないけど、身体を壊すのだけはやめてよ?」

「……うん」

 

 私は曖昧に頷いた。

 カズ君には、結束バンドをしばらく抜けた理由を話していない。カズ君のお母さんから指導を受けている事も。ひょっとしたら、とっくに誰かから聞いているかもしれないけど、カズ君は一度もその事で私に問い質したりはしなかった。

 どうして何も訊かないのと、廊下ですれ違った時に尋ねてみた事がある。

 

「喜多がそうしたいのなら、僕は止めないよ。僕は喜多を信じて待ってる」

 

 カズ君はそれだけ……寂しそうに言ってくれた。

 

「それじゃあこれ」

「え……なにこの袋」

「おにぎり。具は梅とシャケ、あとおかかね。喜多好きだっただろ?」

 

 カズ君はそう言いながら、私に手作りのおにぎりが詰め込まれたタッパーが入った袋を手渡された。

 

「その様子だと、どうせ朝ごはんも食べてないんだろ?ちゃんと食べないと、身体が持たないよ」

「……うん」

「あとこれ。喉、少し痛めてるでしょ。のど飴買って来たから、これも食べておいて……て、顔滅茶苦茶真っ赤だけど、大丈夫?」

「う、ううん!?なんでもないわよ大丈夫!」

 

 好き。もう本当好き。出来たら抱きしめたいしたくさんありがとうって言いたいけど、口に出したら止まらなくなりそう。でも本当に大好き!愛してる!

 

「じゃ、次の授業があるから、僕はもう行くね」

「あ、カズ君っ」

 

 私は咄嗟に、教室へ戻ろうとするカズ君の制服を掴んでしまう。

 

「ん?どしたの喜多」

「あ、えっと……」

 

 どうしよう。久しぶりにカズ君に会って話したから、これでお別れするのがなんだか寂しくて反射でつい引き留めてしまった。練習でカズ君の家に行くのは控えていたから、LINEでちょくちょく連絡は取ってたけど、もっと一緒にいたい。

 でも素直にそんなこと言えなくて、私は誤魔化すように咄嗟に……。

 

「お、お礼!何がいい!? そうだ良かったら今度、カズ君の好きな歌、歌ってあげる!」

 

 咄嗟の言い訳にしては、上手く出来ていたと思う。

 するとカズ君はしばらく考え込んで、こう答えた。

 

「喜多の(うた)がいいな」

「私の歌?だから、私が歌ってあげるって……」

「そうじゃなくて。誰かの曲のカバーじゃなくて。喜多が書いた詩を聴いてみたい」

 

 私の、詩?

 つまり……私が作詞した曲を、聴きたいってこと?

 私が固まっていると、カズ君は困ったようにぽりぽりと頬を掻いた。

 

「……ごめん、無茶振りだった?」

「う、ううん!で、でも……私の詩なんかで、いいの?」

「もちろん。喜多の詩がいい」

 

 私の戸惑いをばっさりと切る様に、カズ君は即答してくれた。

 

 ――どくん。

 

 ああ、もうやめてよ。これ以上カズ君のことを好きにさせて、私をどうする気なの?

 胸の鼓動が高鳴る。やっぱりカズ君のこと、大好きなんだな私って改めて自覚する。

 だって――こんな一言で、私の身体に、エネルギーが溢れてくるんだもの。

 

「いつか聴かせてよ。まだこの世に生まれていない、僕が知らない喜多の(ロック)を!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「作詞のコツ……ですか?」

 

 その日の昼休み。お昼ご飯を一緒に食べるついでに、結束バンドの作詞担当である後藤さんにコツを尋ねてみることにした。

 ちなみにカズ君は、アメリカ留学に向けて本格的に準備に取り掛かるらしく、英語の先生と付きっ切りで英会話の特訓中らしい。だから最近の昼休みは私と後藤さん、二人きりで自主練をして過ごすことが多くなっている。後藤さんはライブと週末に撮影する曲の練習を、私は課題の譜面起こしと弾き語りの練習だ。

 カズ君から貰ったおにぎりを食べながら私は持ってきたノートを後藤さんに見せる。

 

「そうなの。さっき休み時間で試しに一曲書いてみたんだけど、後藤さんみたいにカッコイイ詩にならなくて……」

「か、かっこいい?わ、私の詩がですかぁ?え、えへへ。任せてくださいよぉ長年の図書室通いで培った私の国語力で喜多さんにアドバイスしてあげますから!」

「本当っ!?ありがとう!」

「じゃ、じゃあさっそく、歌詞をみ、見せてもらってもいいですか?」

「もちろん!はいこれ!」

「あ、ありがとうございます……どれどれ……う゛ボッ゛(ペシャ)

「きゃー!? 後藤さん大丈夫!?」

 

 手渡したノートを後藤さんが開いた瞬間、突然後藤さんはぺしゃりと音を立てて潰れてしまった。

 どうして!? そんな変な歌詞じゃないはずなのに、後藤さんのコンプレックスを刺激しちゃったみたい!このままだと音楽室の床が潰れた後藤さんから零れる液体で汚れちゃう!

 えーっと、今回のパターンなら……!

 

「囁き……祈り……詠唱……念じろ!」

「はっ!?」

「よかったー!後藤さんすぐに生き返ったわー!」

「あ……はい……」

「それでどうだったかしら。私の歌詞は!」

「あ、えーっと……(喜多さんの歌詞ノート……あれはヤバすぎる……カズさんへの甘い想いにホイップクリームを山盛りにしたみたいな、糖分で出来たみたいな歌詞……あれをもう一度見たら二度と戻ってこれない気がする……)わ、私の好みではないですけど、さ、刺さる人には刺さるんじゃないでしょうか……」

「後藤さん、言いたいことがあったらはっきり言って?」

 

 目を逸らしながら「全然良くなかった」という顔で言われても、何の慰めにもならなかった。

 私がそう言うと、後藤さんは言い難そうにおずおずと言葉を紡いだ。

 

「あ、えっと……わ、悪いわけじゃないんですけど……で、でも、まだ言葉の練りが甘いというか……恋愛をテーマにしてるのは分かるんですけど、どこかで聞いたことがあるような歌詞を繋ぎ合わせたような感じで……なんというか、別の誰かの歌詞を焼きまわしにしたような感じがして……ちょっと、あまり好きじゃなくて……」

「……」

「す、すすすすみません!偉そうにアドバイスしちゃって……!」

「ううん、ありがとう後藤さん!すっごく為になる!」

「へ?」

 

 確かに、表現がストレート過ぎて、改めて読み直してみるとどこにでもあるような歌詞っぽく見える!さすが、結束バンドの作詞大臣!

 

「やっぱりそのまま書き出すだけじゃダメね……。自分としてはちゃんと書いたつもりでも、読み直してみるとイマイチで心に響かないって言うか……。作詞って、やっぱり難しいのね」

「え、えっと……どうして急に作詞を?」

「……べ、別に、ちょっと興味が出ただけで……カズ君とかは関係ないわよ!?」

「(あ、これ間違いなくカズさんが絡んでる。これ以上追及すると私が死にかねないからやめよう……)」

「本当はもっと、深い歌詞と言うか……後藤さんが書く詩みたいに抽象的な言い回しで書いてみたいのよね」

「え、えっと……私の歌詞もそんなに大したことないっていうか……自分の不満とかをそれっぽく出力しただけなんで……」

 

 手をあたふたと振りながら後藤さんは弁明する。謙遜とかじゃなく、本当にそう思っていってるみたい。

 

「わ、私はひねくれてて、暗いことばっか考えちゃう陰キャだから……歌詞がそう言う風になっちゃうだけだとお、思います。言葉って、内面をそのまま打ち出しちゃうから……。だ、だから、き、喜多さんが真っ直ぐに書きたいことがあるなら……その通りに書くのが、一番だと思います……き、喜多さんはとても素敵な人だから……出てくる歌詞も、きっと、素敵な言葉になると思いますし……」

「後藤さん……」

「あ、でもラブソングだけは絶対にやめてください。本当に死にますから殺さないでください」

「そんなにひどいの!?」

 

 普段物怖じしてあまりはっきりと言わない後藤さんが私の目を真っ直ぐに見て真顔で言ってくるなんて……そんなにひどいのかしら、私の歌詞。

 Christina Perriの『A Thousand Years』みたいな素敵な歌詞にしたかっただけなんだけどな……。

 

「でも、どうしたらいいのかしら。明確なテーマとか、哲学とか、そういうのをしっかり決めて書き出すべきなのかしら……」

「べ、別にそういうのがなくても……いいんじゃないでしょうか?」

「え?」

「明確なテーマがなくても……自分の周りで起こったこととか、感じたことを書き出していけば……あ、案外、その辺にヒントは転がってるかもしれませんよ……え、えへへ」

「感じたことを……」

 

 私が感じたことを、そのまま言葉にしていい。

 大層なテーマがなくてもいい。

 後藤さんのそのアドバイスは、私の胸にすとんと落っこちて来た。

 

「……ありがとう後藤さ……。ううん、()()()()()()

「へ、へへ、そんなお礼を言われることじゃ……え、え?い、今下の名前呼び……」

「それじゃあ、ひとりちゃんはどんな歌詞が好き?」

 

 私は照れ臭さを誤魔化す様に、ひとりちゃんの言葉に話を被せた。

 そうよね。私の歌詞ってことは、結束バンドの歌ってことだもの。

 なら、私はカズ君だけの為の歌じゃなく……虹夏先輩、リョウ先輩、ひとりちゃん、そしてカズ君。結束バンドみんなの為の詩にしたいな。

 

「えっ、えっとぉ、ひとひらの『つくる』とか……昔のボーカロイドだったら、『ローリンガール』とか、Lilyの『+REVERSE』とか、『-ERROR』とか、神曲……」

「あ、ボーカロイドね!私も色々調べたわ!『Tell Your World』とか、凄い良かったの!」

「あっ、あっ、き、喜多さんも、ボーカロイド聴き始めたんですか?」

「そうなの!最近聴く様になったんだけど、TiktokとかのBGMでも使われてる曲がいくつもあって、びっくりしちゃった!私、それまでほとんどボーカロイド聴いたことがなかったけど、本当に凄い曲もたくさんあるのよね!」

「え、か、カズさんは布教してこなかったんですか?」

「カズ君はボーカロイドの声は機械っぽくてあんまりしっくり来ないからって、知識としては知っててもアルバムはあんまり持ってなかったの。普段もネットで偶に聴く程度だって言ってたわ」

「あ、な、なるほど……耳に合う合わないはありますしね……」

「ねえねえ、他には何かいい曲はあるかしら?」

「ほ、他は……『トリノコシティ』とか……ねこぼーろの『自傷無色』とか『戯言スピーカー』とか……」

「私は『No Logic』って曲が好きだったわ!メロディーが爽やかで明るい曲がやっぱり私好きなんだと思う」

「わ、私は暗い歌詞が共感できて好きで……で、でも喜多さんが聴く曲なら……明るい曲も、ちょっと聴いてみたいです……」

「ホント!? 嬉しいわ、私、ひとりちゃんにおすすめしたい曲がいくつかあって!Knuckle Puckの『Evergreen』って曲が本当にカッコよくて!」

「あっ、あっ、す、すみません、まだ英語そんなに分からなくて……」

「あ、そうだった。ひとりちゃんは洋楽はまだあんまり聴かないものね……でも、歌詞が本当に素敵なの。別れを思わすような歌詞なのに、『君は種から育ち、大木のように永遠に強く、変わることのない新緑のままに』って言葉が本当に素敵で!」

「い、いいですね……(わ、私も英語、べ、勉強してみようかな……)」

「本当に良い曲なの!だからいつか聴いてみてね!ひとりちゃんは何かオススメの曲はある?」

「あ、えっと……暗いけど好きな曲が……Enfantsの『Kid Blue』が好きで……今週末、リョウさんがボーカルで歌うんですけど……」

「えー!? リョウ先輩が歌うの!?私も一緒に歌いたかった!」

 

 そこからしばらくの間、ひとりちゃんと色んな歌の歌詞について話した。

 明るくて前向きな歌詞が好きな私とは対照的に、ひとりちゃんは暗い歌詞……でも、ただ鬱々とした曲じゃなくて、普段普通に生活してて、無視しちゃったり、忘れちゃったりするような、細やかだけど大切な心を映し出したような歌詞を好んでいるみたいだと話していて思った。

 

「私は……根暗で陰キャな自分が嫌いで……そんな自分を変えたくてギターを始めて……今のバンドに入ってから、自分でも驚くぐらい、たくさんの事を経験できました……」

 

 ひとりちゃんが結束バンドの曲を、どういう風に考えて書いたのか、全部を理解する事はできなかった。でも、分かる事もたくさんあった。

 

「こ、こんな私でも、少しは、変わることが出来たんです……き、喜多さんなら、も、もっといい歌詞を書けますよ……」

 

 誰かの隣に居たいと言う気持ち。他の人に認められたいと言う気持ち。自分を変えたいと言う気持ち。

 ひとりちゃんはそんな誰でも持ってるような想いを、自分の言葉で伝えていただけ。

 私が聴いて来たたくさんの名曲は、海の向こうで生きてきた人達の心の一部を写したもので。私が歌ってきた結束バンドの歌は、ひとりちゃんの心の一部なんだと、今更気付く。

 

「……ありがとう、ひとりちゃん」

 

 ……作曲とか、作詞とか、私は少し、創作について重く考えすぎていたのかもしれない。

 もちろん、簡単な事ではないと思う。それは最近、良く身に染みている。たくさんのアーティストが、どれだけ身を削って、メロディーを書き出し、歌詞を編み出し、紡いでいるのか。

 触れてきた曲を譜面に起こすだけでも大変なのに。まったくの0から曲を生み出すアーティストは、どんな苦悩の中を生きているのか。

 でも、創作って……特別な才能を持った人に許された専売特許ではなく。心の奥底にある形のない想いを言葉にする権利は、誰にだってあるんだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「つまり、光とは波であって――」

 

 昼休みが終わって、5時間目は化学の授業だった。

 カズ君のおにぎりで満たされたお腹と、少し暖かい教室の空気。あまり好きじゃない科学の授業ということも相まって、瞼がいつもの倍以上重い。油断したらすぐに眠気に負けてしまいそうだ。

 袖に通したイヤホンからは、Enfantsの『Kid Blue』が流れている。

 ひとりちゃんの言ってた通り、とてもいい詩だった。

 暗い歌詞なのに、空みたいに透けていて、通り抜ける風みたいな疾走感がある。聴いていて心地が良い。自分が今まで気づかなかった気持ちを言葉にして、メロディーにしてくれている。時々、自分が考えていた事や感じていた気持ちを歌っているんじゃないかと思えるぐらい、素敵な歌詞だった。

 近い内に私もこれを歌えるようにしたいな。今日の分のコピーが出来たら、明日はこの曲を演ろうかしら。コード進行もそこまで複雑じゃなさそうだし……。少し簡略化すれば、弾き語りでも十分歌えそう。

 やっぱりひとりちゃんも、音楽のセンスがいい。さすがギターヒーロー。曲のレパートリーは人一倍あるのよね。音楽と訊けばなんでも手を出すレコードオタクのカズ君ほどじゃないけど、それでもこんな素敵な曲を知っているのがすごいなぁと、素直に尊敬してしまう。

 他にも色んな曲を教えてもらっちゃった。

 

 食堂ガールの『Mosla』。

 眩暈SIRENの『夕立ち』。

 時速36kmの『ハロー』。

 Hakubiの『Error』。

 9mm Parabellum Bulletの『Answer And Answer』。

 

 まだ曲をプレイリストに登録しただけで、まだちゃんと聴いてはいない。でも、きっと普段の私は聴かないような曲なんだろうな。それが今からちょっと楽しみ!

 

「ふふっ」

 

 すると、背中にツンツンと言う感触があった。

 振り返ってみると、さっつーがボールペンの先っぽを私に押し付けていた。

 

「どーしたん喜多ー。なんかご機嫌じゃーん」

「ふふ、ちょっと良い事があったの!」

「へー、放課後職員室なのに、良かったねー」

「嫌なこと思い出させないで……」

 

 がっくり項垂れると、さっつーは何が面白いのかけらけらと笑う。もう、せっかくいい気分だったのに!

 

「はい、喜多さん、佐々木さん、おしゃべりは私の授業が終わった後でお願いしますよ!」

「はーい、すいませーん」

「もう、ちゃんと返事しなさい!」

 

 さっつーと私の声が聞こえたのか、板書中だった先生が私達を軽く注意した。

 先生は私達と同じく、今年から赴任してきた新人の教師だ。大学を卒業したばかりらしく、先生と言うよりは皆の優しいお姉さん、という感じで親しまれている優しい先生だ。最初はあまり似合ってなかった若々しい社会人用スーツも、この2ヵ月で随分と様になってきている。

 

「じゃあ授業を続けますね。さっき光は波という話をしましたが、同じ波の仲間に音があります」

 

 チョークが黒板をかつん、と叩いた音が響く。

 

「光は波長の違いで色が決まります。赤・緑・青の三原色を組み合わせると、いろんな色に見えるのはそのためです。音も、違う高さの音が重なったり、強さや響き方が変わったりして、音色が生まれます。混ざり方は光とはちょっと違いますが、どちらも波が作る現象なんです」

 

 色……色?

 そういえば、リョウ先輩がいつだったか言ってた。

 

「郁代の歌声は、暖色だね」

 

 あれ、リョウ先輩なりに私の歌声を例えて褒めていたんだと思ったけど……実は、何か科学的な根拠があったりするのかしら。

 

「先生!」

「はい、喜多さん。どうしました?」

「音を、暖かいとか、冷たいとか、そう言う風に例えることがあるんですけど、そういうのって何か理由があったりするんですか?」

 

 私がそう手を挙げて質問すると、先生は嬉しそうに目を輝かせて応えてくれた。

 

「“暖かい音”とか“冷たい音”という表現は、聴く人の感覚だけじゃなくて、音そのものの成分も関係しています。たとえば、音には“倍音”といって、元の音に重なる小さな音がたくさん含まれています。この倍音が多くて柔らかい響きになると“暖かい”と感じられやすくて、逆に倍音が少なかったり、高い成分だけが強調されると“冷たい”と表現されることがあります。でも、これはあくまで人の感じ方なので、完全に決まった基準があるわけじゃありません。同じ音でも、文化や性格によって“どちらに聞こえるか”が変わることもあります」

 

 先生はそう言って、黒板に『音の色』と書き出した。

 

「そして、昔から人は音の印象を“色”にたとえてきました。これが“音色(ねいろ)”という言葉です。実際に色が見えているわけじゃなくても、音の質や特徴を色でイメージする――そういう感覚が言葉として残っているんですね」

 

 先生の説明に、私だけじゃなく教室の生徒全員が『おぉ……』と感嘆の息を漏らした。

 それを見た先生は照れ臭そうに、でもどこか嬉しそうに「じゃあ次いきますよ!」とはりきって教科書のページをめくり始める。

 

 音色……。私の歌声が暖色だったら……カズ君の歌声は寒色かしら?でも、ギターはどちらかと言えば暖かく聞こえるような……。夕焼けみたいな、暖かいオレンジ。

 ひとりちゃんは……どっちかしら。冷たくて暗い音も出すし、熱くてこっちが火傷するような赤い音も出す。曲によって弾き方を変えるから、どっちか分からない。

 リョウ先輩は圧倒的に寒色ね。イメージはもちろん青色。それも軽い青色じゃなくて、海みたいに濃い青色かしら。聴いている人を呑み込むような、冷たい青。

 虹夏先輩のドラムは暖かいと思う。イメージは黄色かしら。最近、力強く叩くのが印象的だけど、リズムを崩さなくて、柔らかくて、優しく支えてもらって……それでいて明るく楽しいドラム。

 

 ……じゃあ、私の歌声って、どんな色なのかしら?

 

「…………」

 

 シャープペンで、ノートに文字を書き連ねる。

 思い浮かんだ言葉をそのままに。頭ではなく胸から思いつく言葉を綴っていく。

 書いては消して。書いては、消して。ノートに何回も消しゴムでこするから、紙がくしゃくしゃになっていく。

 でも、そんなことも気にせずに、左手で、まだ少し不恰好だけど、読めるようになってきた字を書き続けていく。

 

 ああ 夕焼けみたい

 みんなの世界 眺めている 

 太陽のレッド 深くなるブルー

 瞬くイエロー 色づいていく

 

 チャイムが鳴り、授業が終わっても、私がノートに文字を書くのは止められなかった。

 白紙の地図で何のあてもなく歩いている気分だった。でも、なんだか今の私、無敵って感じがする。自分の脳から出て来た衝動をそのまま文字として出力しているみたい。

 私の色は、まだ分からないけど。私の特別は、まだ見つからないけど。

 この白紙のノートを自分の気持ちで埋める事が出来たら。

 何かが変わる予感がするんだ。

 

 

*1
すでに成功した有名ミュージシャンたちが集まって結成した音楽グループやバンドのこと。スーパーグループ、もしくはスーパーバンドと呼称される。




作中に登場したバンド名&曲名
 BUMP OF CHICKEN - 友達の唄
 Sam Smith - Stay With Me
 きのこ帝国 - ロンググッドバイ
 Radiohead - High and Dry
 Mr.Children - GIFT
 CSNY - Helpless
 AMEMIYA - 冷やし中華はじめました
 Daniel Powter - Bad Day
 Garbage - Not Your Kind of People
 Carpenters - A Song for You
 Christina Perri - A Thousand Years
 ひとひら - つくる
 wowaka - ローリンガール(feat:初音ミク)
 niki - +REVERSE (feat:Lily)
niki - -ERROR (feat:Lily)
Livetune - Tell Your World (feat:初音ミク)
 40mP - トリノコシティ (feat:初音ミク)
 ねこぼーろ - 自傷無色 (feat:初音ミク)
ねこぼーろ - 戯言スピーカー (feat:初音ミク)
 ジミーサムP - No Logic(feat:巡音ルカ)
 Knuckle Puck - Evergreen
 Enfants - Kid Blue
 食堂ガール - Mosla
 眩暈SIREN - 夕立ち
 時速36km - ハロー
 Hakubi - Error
 9mm Parabellum Bullet - Answer And Answer

 
 ロックは宙にある。『聖歌隊』


 マタセタナ。
 ひとまず満足いくところまで書き上げる事が出来たので初投稿です。ガンバッタ・・・
 ああ、やっぱり(今年中に完結は)ダメだったよ。作者は話を書けないからな。そうだな。次はこれを読んでいる奴にも(感想を書くのを)付き合ってもらうよ。
 
 トラブルだったり環境の変化に追いつけなかったことによる執筆の遅れで、半年近く投稿ができなかったこと、改めてお詫びします。絶対今回はエタらないぞ…(前科持ち)
 そんな訳で、来年にもつれ込みます。ほんとにこいつはね。もっと書けるようになりたいなぁ。あと時間が欲しい……。
 まだまだ続くので、生暖かい目で見守ってください。
 
 前回は中途半端な出来の所での投稿だったにも関わらず、感想、評価、誤字、ここすきありがとうございます。低評価入れた人はFUCK【不適切な表現】ou。
 
 話とは全く関係ないですが、気分を一新させるべく、最近大人のウォトコの買い物をしてきました。ヘッドホンとDAPです。詳しい金額を言うのは憚られますが、まあ渋沢栄一30人分が消し飛んだとだけ……。
 数年振りにヘッドホンとDAPを新しく買いましたが、やっぱり技術の進化は凄いですね。昔より断然音の質が変わり、今使っているスピーカーやワイヤレスイヤホンの音が変に安っぽく聴こえて……これがハイエンド沼って奴よ(白目)
 お前も音響沼にハマらないか?
 
 今月末に最新刊のぼざろが出ます。みんな予約したかい?
 書いている人は単行本派なので、続きがどうなったか滅茶苦茶楽しみです。しかもヨヨコが表紙!これは買わざるを得ない……。
 
 次回はまだ未定です。恐らく今年度中は難しいかなと……。
 気長に待っていてください! 
 

 あーでもなー。もし読者の人が感想をくれたり、高評価してくれれば、モチベが上がって執筆速度が上がるかもしれないなー……(チラッチラッ)



 ↓いつものコピペ宣伝

Xのアカウントでのんびり呟いてます。

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 カーラジオと言う名義で作ったアカウントです。ここではその時の気分で聴く曲を垂れ流したり小説の更新予告をしたりぼざろのイラストを無限リポストしてます。この小説内で紹介しきれなかったロックもここに載せていくつもりなので、よければフォローとかしてくれると嬉しいです。
あと、オススメ曲とかあればぜひこのアカウントに送り付けて欲しい。DMでもリプでも、推し曲があれば良ければ教えてください。絶対に聴きますので。

 あと、活動報告にて推し曲募集中です。どうぞ、どしどし送ってください。

喜多ちゃんに推したい音楽

 ここすき、Twitterで宣伝、感想などで幸福度を上昇させてるので、たくさんもらえればきっとモチベーションが上がるのでください(正直)
 


 それではいつもので〆させていただきます。

 
 感想もっともっともっと欲しいんだ……!
 高評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)
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