【最終章開始】喜多ちゃんが知らない音楽   作:ガオーさん

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Don’t Stop Believin’ / Hey Jude

 

 

 親父と母さんは、夫婦と言うより気のいい友人と言った感じの、かなり雑な関係性だった。夫婦としてイチャイチャしていた場面なんてほとんど見たことがなく、ルームシェアをしている友達同士と言う印象の方が強い。

 二人共音楽が好きで、夕飯を食べる時はどの曲をリビングに流すかよく揉めていた。母さんはロック派、親父はクラシック派。夕食の度に全面戦争が起こった。

 きっと僕が前世からの音楽オタクじゃなかったとしても、この一家に生まれた子供は両親の手によって音楽オタクに育て上げられたと思う。

 けれどもそんな派閥違いの二人は、一時期バンドを組んでいたと言う話を聞いたことがある。酔った親父が楽しそうに話をしてた時、そんな昔話を口から滑らせる様にぽろりと零した。実際どんな活動をしていたのかまでは知らない、母さんにとっては黒歴史らしく詳しく話そうとはしてくれなかったし、酔った勢いでぽろりと零した親父を母さんはぼこぼこにしていた。僕自身もそこまで興味はなかったのでその辺は闇に包まれたままである。

 やがて親父は僕が小学校3年生になった頃、クラシックを専門とした評論家に転向し、拠点を海外に移した。単身赴任という奴だ。「出版社の金でウィーンのオペラ聴けるの最高」とか馬鹿な事を言ってたのを母さんは呆れていた。好き放題に音楽を聴いてそれで適当に文章をこねくり回して金を貰えるなら、きっと親父にとって評論家は天職だったんだろう。

 僕も音楽は好きだから、好きなミュージシャンの歌を聴いて文章を書いて生活ができるなら僕も音楽と関われる仕事に就きたいと憧れた。前世では普通のサラリーマンだったから、今世は好きな事をして生きたかったという願望もある。だから翻訳家になりたいとぼんやりと願ったのは自然の成り行きだったかもしれない。

 親父とは月に一度帰ってくる時以外、あまり顔を合わせなくなった。寂しくないと言えば嘘になる。でも偶に電話をかけて来てくれたし、向こうのレコードやCDを山ほど送り付けてくれるので僕としてはそこまで悲しいと思った事はない。母さんとの仲も特に変化は起こらなかった。

 

 だから僕が中学二年生になった頃、なんの前触れもなく母さんから突然「離婚することになった」と軽い感じで報告された時はビビった。

 

「何故!?」と滅茶苦茶驚いたが一旦落ち着いて話を聞いてみる。単身赴任中の親父に代わって母さんから色々と話を聞かされたが、大雑把に要約するとその理由は『結婚して同じ姓にしておく必要がなくなった』と言う他人が聞いたらぽかんとする理由だ。

 

「そもそもあたしら、別に恋愛感情があった訳じゃなかったんだよ。ただ音楽の趣味が合うってだけの男友達。ただ結婚しておけば税金とか生活費とか共同になって楽だから結婚してただけ。そうじゃなかったらあたしら今頃独身貴族してる」

 

 それは薄々察していた。二人は恋愛感情の延長で夫婦になった訳でない事は、普段の生活とドライな関係性でなんとなく察せる。本当にシンプルに、結婚すれば金銭面で有利と言う事で結婚しただけだった。

 ていうか話を聞いてみたらそもそも僕が生まれたのはできちゃった婚らしい。「ただの友達ではあるけどやることはやる」とのこと。聞きたくなかったそんな生々しい事情。

 

「それで、子供が成長して生活が安定するまでは結婚しておこうって約束で夫婦になった。あたしも稼げるようになったし、あいつも評論家としてある程度名が売れた。ついでに和正も中学上がったし、そろそろ離婚してもいいかなって。それにあいつ海外に行っちゃって、あたしも大学の講義で日本中飛び回ってる。月1でしか顔を合わせないのは夫婦じゃなくて友人だしな」

 

 つまり二人にとって結婚はメリットがあるからそうしていただけで、二人共『夫婦』という肩書にこだわりがなかった。というより母さんの話を聞くに、二人共夫婦と言う枠組みに無理やりカテゴライズされる事を嫌っていた節もあった。多分親戚の付き合いとか親のせっつきとか色々なことがあったんだと思われる。それが煩わしくて結婚したんじゃないかなと僕は考えている。

 この二人の関係性に名称を付ける事はきっとどんな言語学者も作家もできないと思う。

 そんな訳で僕が中学に上がった今、「夫婦をしている理由がなくなったしとっとと前の関係性に戻ろう」という事になったわけだ。「振り回してごめんね」と母さんは謝ってきたけど、振り回されるのは今に始まった事じゃない。それにこんな理由で離婚をするのはなんだか母さんと親父らしいなって僕は納得した。

 

 僕は安心した。

 少なくとも、二人はどこか別の人と浮気したとか、好きな奴ができたとか、犯罪に走ったとか、そんな誰もが呆れるような渇いた理由で離婚する訳じゃないと言う事だけは分かったからだ。

 それだけでよかった。僕の両親はよそ様から見れば夫婦と言うには少し奇妙な関係性だけれど、二人が決めた事なら僕は特に反対するつもりはなかったけど、両親を嫌いになりそうな理由で離婚する訳じゃない事に、僕は心底安心した。

 僕の両親は夫婦ではなくなっても、僕にとっては父と母であり、父と母は、いつまでも気が合う友人のままなんだと。

 

「それで親権なんだけど、あんたはどっちに付いて行きたい?」

「どっちって。そんな夕飯のメニューを決めるような感覚で訊く?」

「あ、ちゃんとあんたはあたしらの息子だからその辺は安心して。大学卒業まではあたしとあいつであんたの面倒見る。偶に食事会もするし遊びに行く。家族ではあるから心配しないで。でも一応あんたの意見も聞いておきたいから。で、あいつからの提案なんだけど――」

 

 アメリカに来ないか。お前、洋楽好きだし翻訳家になりたいんだろ。英語学ぶためにこっち来て暮らすか。

 

「どうする?」

 

 僕はその時、特に考えずに『行く』と答えてしまった。ラッキーだと思った。アメリカ、本場のロック。そして英語。英語は得意な方だけど、本場でネイティブと話せるのと話せないのでは経験値の質がまったく違う。翻訳家になりたいと願っていた僕にとっては、ふっと湧いてきたチャンスだった。

 

 後に日本で強い未練が出来てしまうというのに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 下北沢でもセミは結構いるんだな、と僕はベンチに座ってぼんやりと思った。STARRYからそう離れていない、日陰がちょうどいいベンチに座って、ここに来る途中で買ったコーラを口に付ける。上を見ると、辟易する程の青い空と太陽が浮かんでいた。

 ヘッドフォンは着けずに、町の喧噪とセミの声に耳を傾ける。この時期のヘッドホンは汗で蒸れてイヤーパッドがダメになる。イヤホンを持ってくればよかったなーと、現実逃避をするように思う。

 

「セミ歌下手~……そんなんじゃメスは寄ってこないぞ~……」

 

 セミにヤジを飛ばすが、セミはそんなこと知らんと言わんばかりにジージー鳴いている。セミもモテるために必死だ。男がギターを始める八割の理由はモテる為だと誰かが言っていたが、人間も虫もやる事は変わらないな。

 けれどセミの声じゃ、僕の今の気分を塗り替えてはくれない。

 立ち上がるのも億劫になるほどの陰鬱な気持ちを、吹き飛ばしてはくれなかった。

 

「両親が離婚する」

「親父がアメリカに住んでて、そっちに住んで向こうの高校に通う」

「高1の秋までがタイムリミット」

 

 そんなことを、ざっくりと結束バンドの皆に伝えた。

 悪い事をしている訳じゃないのに、僕は何故か罪悪感で胸が押しつぶされるような気分で、上手く声に出せたかは分からなかった。

 

 虹夏先輩は少しショックを受けたようだった。リョウ先輩は相変らず無表情だったけど目が少し揺れていたようだった。

 

 喜多は――泣いていた。

 

「あ、いた」

 

 ふと聞き覚えのある声がして顔を上げると、そこには額に汗を滲ませた虹夏先輩のお姉さん……名前はまだ知らないけど、店長さんが呆れたようにこちらを見ていた。手にコンビニの袋を下げて。

 

「いいのか、お前」

「店長さん」

「お前の幼馴染。喜多ちゃんだっけ?泣いてたぞ。逃げて来ていいのか?」

 

 僕はうつむいてしまう。喜多が泣き出した瞬間、僕は何も考えられなくなって飛び出すように逃げ出してしまった。我ながら情けない。

 

「……いずれこうなってましたから。むしろ遅すぎたぐらいで」

 

 本当に。実際はもっと早く彼女に言うつもりだった。

 けれど彼女とロックを聴くのは嫌いじゃなくて、バンドを組む事が出来るまで見守っていたくて、ずるずると引き摺るようにこの問題を肩に乗せたまま来てしまった。問題の先送りをした結果がこれだった。

 

「でも言うタイミングはもっとあったろ。何もバンド結成した今日言う必要なんかない」

「……今日言わなかったら、明日言えばよかったんですか?」

 

 断言できる。今日言えなかったら、僕は結局また同じように問題を先送りにして、なぁなぁで彼女達と一緒にいてしまう。ずっとアメリカに行くことを言えないまま。

 ただでさえ勇気を出せずにずっと喜多に言い出せなくて、罪悪感のような自己嫌悪で嫌になっていたというのに。もっとしっかりと場を整えて、ちゃんと告げたかったのに。

 結局言い逃げして僕は突き放してしまった。もし手元にロープがあったら輪っかを作って首を吊り下げていただろう。それぐらい、今の自分が情けなくて嫌いだった。

 

「……はあ。ったく」

 

 店長さんは僕の隣に気怠そうに座りながら、コンビニのレジ袋から煙草の箱を取り出した。買ったばかりの新品のタバコの封を、慣れた手つきで剥がし始める。

 

「タバコ、吸うんですか?」

「昔の名残でな。タバコはロックンローラーに必須だからって、カッコつけて吸ってた。別に美味いとは一度も思った事はないし、最近は吸ってなかったけど。気まずい話題をする時はタバコ吸ってた方が話しやすい。お前も吸うか?」

「未成年ですよ」

「そういうのもロックだろ」

 

 ロックかな?ロックだな。

 ヤニとドラッグと酒と女はロックバンドとは切っても切り離せない。冗談ではなく、彼等は退廃的な娯楽を好む人種だったから。ロックの歴史は、反社会的な娯楽と切っても切り離せない。

 当時まだ麻薬とかそういった規制が緩かったと言うのもあり、演奏中に喫煙や酒を飲むロックバンドは多くいた。もちろん、今だって多く存在する。ロックの先祖達に倣った伝統と言う訳だ。

 結果、ドラッグをキメた時の幻覚を音で再現した「サイケデリックロック」と言うジャンルが生まれ、今も尚そう言った音楽を好む人は多い。

 僕が喫煙を断ると、店長さんも当たり前だが冗談だったようで、特に何も言わずに適当な100円ライターで火を点け、深く煙を肺に吸い込んで吐き出した。

 タバコの煙が、夏のコンクリートに溶けるように霧散していく。

 

「個人的な興味なんだけど、訊いてもいいか?」

「なんです?」

「なんで高校一年の秋なんだ?向こうの学校が秋に始まるってのは知ってるけど、別にアメリカに越すんなら中学卒業と同時でもよかっただろ。なんでそのタイミングなんだ?」

 

「それは……」

「誰にも言わねえよ、ん、言ってみ」

 

 言い難そうにしている僕を見かねて、店長はタバコを咥えながら促してくる。……まあこの人、口堅そうだしいいか。これがリョウさんだったら絶対言わないけど。喜多の声が性癖とか言いふらした事絶対許さないからな。

 そんな訳で、僕がその理由を説明すると、店長さんは呆れたように、そして若干引いたように言った。

 

「――お前ちょっと気持ち悪いな」

「やめてくださいよ!自分でもこじらせてるの分かってますから!」

 

 自分でもキショイのは分かってる。だから誰にも言いたくなかったし、特に喜多になんか絶対に知られたくない!だからひっそりと消えたかったのに!こんなこじらせ人間のこじらせた願望、マジキショイ。

 

 

「…………うわぁ~~~……死にてぇ~~~……」

「悪かったって。そんな凹むな。いいじゃんか、思春期の男子中学生っぽくて。ほら、ガム喰うか?」

「励ますの下手!」

 

 

 店長さんはこっちの気も知らず何が面白いのかけらけらと笑った。この人笑うと、虹夏先輩にそっくりだな。ライブハウスの中だとぶすっとして威圧感出してるのに、外だとこんなラフな人なのか。いや、多分こっちが素か。

 笑い声が消えると、しばらく僕達は夏の下北沢を眺めてぼんやりと座っていた。店長さんは何も言わず、ただタバコをしばらく吸い続けた。この人なんで僕を追いかけてきたんだろ。まあ、理由はなんとなく察しがつくけど……。

 

 姉がいたらこんな感じなのかな。

 

 三本目のタバコに火が点く。強いヤニの匂いは、僕はあんまり臭いとは感じなかった。煙の匂いの余韻に浸りながら、店長さんは言った。

 

「一方的に突き放して別れると、後で痛い目見るからやめとけ」

 

 ああ、やっぱり喜多のことか。わざわざ外まで僕を追いかけてきたのは年上なりのお節介、と言う訳だろう。僕はガキンチョらしく面倒くさいなと思った。面倒な教師に目を付けられたな、と言う嫌な感情。

 なまじライブハウスから飛び出してきたばかりでさっきの出来事を消化しきれてないから、僕は苛立ち交じりに返答をしてしまう。

 

「それは、年上としてのアドバイス?」

 

 なんだろう。男と別れた事でもあるのだろうか。

 少し厭味ったらしい思いが言葉に載って吐き出される。

 

「いや、経験からのアドバイスだ。私、昔母親を事故で亡くしてな」

 

 返ってきたのは、僕の頭をがつんと殴って冷やさせる一発だった。

 僕の中に、冷たい風が吹き込んだのを感じた。その冷たさは僕の思考と指先の温度を奪っていく。

 

「事故で、って」

 

 辛うじて出せたのはそんな陳腐で乾いた言葉だった。だって、店長のお母さんと言う事は、虹夏先輩の……。

 

「玉突き事故の巻き添えでな。あっという間だった。私は最後に会った時もくだらないことしか母さんに言えずに、母さんは死んじまった。私みたいなろくでなしじゃない、善人だったってのに。神様はセンスがないクソ野郎だよ」

 

 懐かしむように、けれどやはりどこか悲しそうに、店長さんは僕に過去の古傷を見せてきた。もう塞がって癒えた、けれど生々しく、痛々しく残り続ける傷跡を。

 僕は何も言えず、黙ってうつむいてしまう。思い出したくもないであろう過去を思い出させてしまって申し訳なく思ったけど、それを謝るのはなんだか違うと思ってしまって、結局何も言えなかった。

 

「悪い事は言わねえから、仲直りしておけ」

「別に……喧嘩した訳じゃ」

「例え喧嘩じゃなくたって、そういう不和はできるもんだろ。人間は自分が知らないところで死んじまう。つまんない別れ方が、今生の別れにしちまうことだってある」

 

 今生の別れ。僕は二度目の人生を幸か不幸か、百合に男を挟む事が性癖のド畜生な神様によって与えられたけど、僕がもう一度死んだ時、彼女達の音楽を聴けないと思うと、喜多やリョウさんともう話せないと思うと、言い様のない悲しさが胸から溢れた。

 

「…………僕があのバンドに居てもいいんですかね。ほとんど部外者なのに。たった一年しか一緒に居られないのに。無責任じゃないですか?たった一年一緒に居たら、こっちの都合で勝手に消えるなんて。時間制限付きの関係なんて、僕は嫌なんですよ」

 

 絞り出すように言えたのは、そんな情けない言葉だった。

 時間制限付きの関係。楽しい未来に終わりがいつかやってくる、そんなことを意識しながらあの人達と、喜多と一緒に居るのは嫌だったのだ。

 けれど店長さんは「んなことはねーよ」とぶっきらぼうに僕の嫌悪感を否定した。

 

「バカで金遣いが荒すぎるが、あんなんでもリョウは人を見る目はある。そいつが認めたロックンローラーなんだから、お前が結束バンドにいる意味はきっとあるよ。例えそれが時間制限付きの、限られた夢だとしても」

「……詩人ですね」

「元ロックンローラーだからな」

 

「お前もそうなんだろ」と言いながら店長は吸っていたタバコを潰し、携帯灰皿に押し付けて火を消した。

 

「僕は……別にギタリストって訳じゃ」

 

 言い訳がましく僕が言うと、店長さんは「ちげーよ」と僕の頭を軽く小突いた。

 

「そうじゃない。分かってるんだろ、ロックの本質を」

「本質?」

「ロックンロールは自分と世界を繋ぐツールだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。お前もロックがないと、誰とも関われないんだろ?」

 

 音楽がないと、世界と関われない。

 店長さんの言葉は、すとんと僕の胸の中に落っこちてきた。空白のジグソーパズルに、ぴたりとはまったような感触。まるでそれが真実だと、僕自身の心が理解しているように、あっさりと受け入れた。

 

 だってそうだ。僕は喜多郁代に、『Somebody To Love』を歌わせた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 確かに彼女の歌声は前世から好きだったが、僕は『ぼっち・ざ・ろっく!』と言う漫画に興味を持たず読もうともしなかった。音楽を歌う人間の素性に興味を持たないタイプだったからだ。ベートーベンの耳が聞こえないからって、僕が彼の音楽を嫌う理由にはならない。逆に言えば、音楽さえ良ければ作曲者の人格にどれだけ問題があっても僕は文句を言わない。

 けれど世の人間は、アイドルや芸能人が浮気やトラブルを起こすとファン達が『裏切られた』と騒ぐ。幻滅するのはまだ理解できるが、フレディが同性愛者だっただの、マイケルジャクソンが性的虐待をしただの、憶測か真実かも分からない話を聞いて彼等を叩く連中を僕は軽蔑したし、愚かしい行為だと思っていた。

 そういうのを咎める権利は僕にはないし、無駄に大きな声でプライベートをあーだこーだ言う連中が嫌いだったから、意識してアーティストのプライベートは覗き見ないようにしていたのだ。

 

 それが僕のポリシーだ。

 

 音楽を生み出す彼等に敬意を持ち、彼等の素性(プライベート)を暴かないし、追わない。

 

 転生してからもポリシーは変わらなかった。だから、幼馴染に喜多郁代がいると知った時、僕は必要以上に彼女と関わろうとはしなかった。未来に彼女がロックを歌うことを知っていたから。

 中学を卒業したあとにいつか彼女達の歌を聴ければなと、そんな願いだけを胸に抱いて、見守るつもりだったのだ。

 

「ロックがあったから、お前はリョウ達と関われたんだ。でもロックがなかったら、お前は関われなかったろ? きっとロックの神様がお節介してお前とあいつらを引き合わせたんだよ」

 

 けれどいつからか僕の中に喜多を歌わせたいと言う欲求が生まれ、あの時合唱コンクールのボーカルに喜多を選んだことで僕と喜多が結びついたのだ。ロックンロールが、この世界のキャラクターの一人である喜多郁代との関係を結ばせた。

 いつの間にか僕はポリシーを忘れ、彼女と行動を共にするようになった。一緒に音楽を聴き、一緒に遊び、喜多が結束バンドを組めるように動いた。

 時々ポリシーを思い出しては自戒するけど、そんなこと喜多は知りもせずに僕を振り回した。僕が必死に遠ざけようとしても彼女が僕と共に居てくれたのだ。

 

 僕がこの架空の、でも確かに存在する世界に関われた始まりの出発点は、喜多郁代の存在と、ロックだ。

 

「お前も音楽がないと生きてこれなかったんだろ。分かるよ。この世界は嫌な雑音が溢れているから。最初にSTARRYに来た時、なんとなくこいつも同じだなって思ったんだ」

 

 店長さんは悲し気に僕に同意した。まるで僕の心を見透かしているように、店長さんは汗で湿った僕の頭をそっと撫でた。

 

「音楽は血液だって毎晩歌ってた」

「……Icon for Hireっすね……」

「本当に良く知ってんな、あんなインディーズバンド」

 

 けらけらと呆れたように、でもどこか嬉しそうに店長さんは笑った。

 

 アリエルのパワフルで、そして地球の裏まで届きそうな心からの叫びが僕の脳裏に響く。

 当時聴いた時、彼女の叫びが多くの音楽ファンの心を揺り動かすだろうなと僕は感じた。音楽を愛する人なら、きっとアリエルの叫びを真摯に受け取る事が出来ると思ったから。

 店長もきっと、そうだったんだろう。

 

 この人も、ロックに救われた人なんだ。

 

「本当に心底思ってた。音楽がないと私はこの世界じゃ生きていけねえって信じてた。眠れない夜を何度歌聴いて過ごしたか分からねぇぐらい、本当にロックが大好きだった」

 

 懐かしむように、懐古の情を滲ませながら店長は呟く。

 

「店長さんは、なんでロックを止めたんです?」

 

 ふと気になってそんなことを尋ねてしまう。すると店長さんは僕に微笑みながら言った。

 

「単純な話。私はロックよりも大切な物があった。そいつがいれば世界と一緒に生きていける事に気付いた。そうなったらもうロックに縋る必要はなくなるんだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ロックより大切な物。

 店長さんにとって、今まで自分の人生を賭けていたそれを捨ててもいいと思えるぐらい、大切な物。

 それが何なのか、僕にはちっともわからなかったし、想像もできなかった。でも、店長さんにとってかけがえのない物がある事に、僕は羨ましく感じた。

 

「まあ私はロックンローラーを止めたけど、全部棄てた訳じゃない。あのライブハウスが、私の今の生き甲斐。でもお前はどうするんだ? お前が何にビビってるのかは知らないけど、幼馴染を泣かせた挙句、世界とも関われないなら、一体何者になれるんだ?」

 

 その問いかけに、僕はすぐに返答する事ができなかった。

 

「……分からないです」

「それが分からないなら、ロックンローラーとしてはお前もまだ半人前だ。たくさんバンド知って曲を聴いてりゃいいってもんじゃない」

 

 本当に、その通りだ。

 CDに埋もれて、山ほどの音楽を浴びるように聴いてれば見つけられる答えじゃない。他人から与えられるような答えでも、教えられるような物でもない。

 

「でもあいつらと一緒なら、それが見つかるかもしれない。お前が何者になれるのか」

「僕が……何者になれるのか、ですか」

「そう。だから、自分の一生を注いでも良いって思える唯一を見つけな。そうすりゃ、今より楽になるよ」

「それでも、見つからなかったらどうすればいいんですか?」

 

 僕がそう縋るように尋ねると、店長さんは立ち上がって乱暴に僕の頭を撫でて言った。

 

「んなの、決まってるだろ。Livin' on a Prayer(祈って生きろ)*1だ。つっても、私は神様が嫌いだからオススメはしない。だから、いつかお前だけのロックを見つけられるといいな」

 

 

 店長さんはそれだけを僕に伝えたかったのか、満足したように笑うと、僕の肩をぱんぱんと音が出るくらい強く叩いて歩いて行った。

 肩にびりびりと痛みが残る。けれどその痛みは心地よく、僕は歩き去っていく店長さんの背中を茫然と見つめていた。

 

 

 

「あの人超かっけえな……」

 

 

 何がロックンローラーは卒業しただよ。超イカしてるしどう見ても現役じゃん。

 僕が男でよかった。女だったら絶対惚れてたわ。あの人の事はこれから師匠って呼ぼう。

 あの人が奏でるロックも、きっと誰かを殴りつける演奏だったのだろう。僕は聴いた事もないあの師匠のバンドが既にないことをとても惜しく感じた。音楽の腕じゃなく、人間性で惹きつけられたのは初めての体験だったから。

 

「おねえちゃーん、コンビニもう行ってきたの?ならカズ君探すの手伝って……ってうわ、タバコ臭っ!」

「げっ、虹夏……」

「もう!お姉ちゃんったらタバコはやめてって言ったでしょ!身体によくないし臭いんだから!ちゃんとファブリーズして店に戻ってよ!」

「わぁーった、わぁーったって。あいつはあそこのベンチにいるよ」

「え?あ、ほんとだ!お姉ちゃんありがとー!」

 

 すると、道の反対側からやって来た虹夏先輩と言い合いしているのが見えた。ああしてみると、仲がいい姉妹だ。

 その様子を見ていて、なんとなく僕は察する。

 

「……大切な物って、先輩の事か」

 

 面倒くさそうに、けれどどこか愛おしそうに妹をあしらう姉。その姿を見れば、どうしてロックをあの人が卒業したのかなんとなく分かった。

 そして店長さんと入れ替わるように虹夏先輩がこっちに走ってくる。

 

「おーい、カズくーん!」

 

 虹夏先輩は手を振りながらこっちに駆けてくる。

 僕は立ち上がって虹夏先輩に謝った。

 

「先輩、すいません。急に飛び出して逃げちゃって」

「ううん、大丈夫だよ」

 

 あちこちを走り回ったのだろう。炎天下の中を駆け回ったから先輩は汗がだらだらで、息も荒かった。それを見かねた僕はリュックから使っていないタオルを手渡す。

 

「ありがとー。ふぅー、いい汗掻いちゃったよ。今度洗って返すね」

「いや、いいですよ、棄てちゃっても」

「ううん、ちゃんと返すよ。そうすれば返す為にまた会えるでしょ?」

「……いや、いいですけど」

 

 この人さらりとよくこんなこと言えるな。同級生の男の子にも似たような事言ってない?大丈夫?男子達の初恋キラーになってそう。

 

「なんで拝んでるの?」

「いえ、先輩のクラスメイトが可哀そうだなって……」

「なんで急にそんな同情心を!?」

 

 喜多に負けず劣らず『Killer Queen(男殺しの女王様)』の素質があって、僕は会った事もない虹夏先輩のクラスメイトに同じ男として思わず同情した。こんな人と同じクラスになったら女性観を壊されて青春が滅茶苦茶になっちゃう。カワイソウ。

 そんな冗談は脇に置き、虹夏先輩に気になった事を尋ねた。

 

「……それで、喜多の様子はどうです?」

「今は落ち着いてるよ。リョウが慰めてる。喜多ちゃんが落ち着いたら一緒にカズ君探しに行こうって提案したんだけど、リョウが『暑いからやだ』って……」

「ドが付くマイペースだ……」

 

 今日の温度30℃行ってるからね。仕方ない。むしろ暑い中僕を探しに来た虹夏先輩と店長さんが優しすぎる。

 

「今日はどうする?喜多ちゃん、もう泣き止んでると思うけど」

「……今日はもう帰ります。僕も喜多も、頭冷やした方がいいと思いますし。後で、ちゃんと謝っておきます」

「そっか。それで、やっぱり結束バンドには入れないかな?」

 

 虹夏先輩は僕の顔を覗き込んでそう直球に尋ねてきた。彼女の表情に悪感情はなかった。きっと僕が断っても断らなくても、彼女は僕の意志を尊重してくれる。そんな優しさを感じた。

 けれどやっぱり、彼女も僕に結束バンドに入って欲しかったのだろう。何が彼女に気に入られたのかは分からないけども。僕が首を振ると、虹夏先輩は惜しむように「そっか」とつぶやいた。

 

「残念だなー。結束バンドに入れば喜多ちゃんの歌声聞き放題なのに」

「いややめてくださいよ。そのネタ、永遠に僕をイジるつもりですか?」

「うん、言い続けるよ。ずっとね」

「……勘弁してほしいんですけど」

「カズ君が結束バンドに入ってくれたら考えてあげる」

 

 虹夏先輩の言葉に、僕はぎょっとした。先輩はいたずらが成功したように「にひー」と子供っぽく笑ってくる。

 

「今は『いいえ』でもいい。でも、いつか絶対カズ君の方から『入りたい』って言わせてみせるよ」

 

 なんでこの人はそこまで僕を買ってくれるのだろう。僕にはそんな価値があるようには思えなかった。

 

「なんで僕にそこまで……」

「んー、なんとなくかなぁ」

「すげぇざっくりしてる」

「ふふ、冗談だよ。でもね、私まだカズ君に会ってちゃんと話してから一日も経ってないんだよ。私はまだ、リョウや喜多ちゃんほどカズ君の事は知らないんだ」

 

 言われてみればそうだ。僕は結束バンドの曲は知ってはいたけど、彼女の人柄はこれっぽちも知りもしない。

 

「でもさ、こうも思うんだ。たくさんのロックを知っているカズ君は、きっと私達が知らない事を知っていて、知っている分だけ私達を助けてくれる。素直に尊敬してるんだよ? トレンドガールの喜多ちゃんにあれだけロックを教え込んだのもそうだし、合唱コンクールにフレディを選んだこともそう。バカみたいに落ち込んでベースを辞めようとしたリョウも元気にした。ロックは人を変える力があるって誰かが言ってたけど、それを体現したようなカズ君の行動力、私はすごいなって尊敬した」

「それは、フレディとかブラインドフェイスとかが偉大だったからで」

「でも、選んだのはカズ君で、行動したのはカズ君だよ」

 

 僕の言い訳を遮るように、虹夏先輩は断言する。

「私だったらそんなことできないよ」と苦笑し、僕の額をとんと押した。言うことを聞かない子供に言い聞かせるように。

 

「それにカズ君言ったじゃん。結束バンドは一度束ねたら外せないって。私、結構嬉しかったんだよ? リョウがフィーリングと語感で決めたバンド名。スベってて、私はそのうち絶対に変えようと思ってたのに。あんな風に言ってくれて、嬉しくて。何の由来も思い入れもないバンド名に意味を与えた。『このバンド名がいいな』ってなっちゃったの。ほら、私もカズ君に変えられた。君にそんな気はなくても、君は周りを変える力がある」

 

 虹夏先輩がにっこりと笑う。愛嬌と茶目っ気を含んだ、いたずらが成功したような笑顔は太陽みたいに明るかった。

 

「一度結んだら外すには切るしかないでしょ? でも私、まだこのバンドを切るつもりもないし、もうカズ君のことも縛ったつもりなんだから。忘れないでね。私達はちゃんと待ってるって」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 その日は真っすぐ帰って、喜多にLINEで『ごめん』と送った。何を言えばいいか分からなくて、出てきたのはそんなポテトの残骸みたいな少ない言葉。

 汗を流す為にシャワーを浴びた。出て来てスマホを確認すると、既読だけは付いた。

 

 その日はクーラーをつけて寝た。喜多は音楽鑑賞会に来なかった。

 

 次の日の朝、既読が付いたままのLINEには何のメッセージも入っていなかった。

 

 

 

 

 喜多は夏休みに入ってからも、一度も音楽鑑賞会には来なかった。

 

 

 

 

 僕の部屋に、toeの『グッドバイ』が虚しく響く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ヘッドホンから流れる、心を探ってくるような音色は疲れた私の脳を少し癒してくれる。toeの『グッドバイ』は、洋楽マニアのカズ君が珍しく聴いていた日本の曲で、私もたまに聴きたくてスマホのプレイリストに入れている。

 気分を盛り上げるような曲じゃない。けれど、火照った身体を沈ませるには、これぐらいの音が私にはちょうどよかった。

 

 こんな優しい音色、どうやって弾いているんだろう。私もいつか弾けるようになるのだろうか。

 

 聴いてて泣きたくなるような、こんな悲しくて優しさに溢れたような音。

 

 まだまだ私は、音楽を理解できない。私がこの歌を歌っても、私がこの曲から受けた優しさを、他の人に与える事はまだできない。

 

 ずっと沈み込むように、深い海の中に沈み込んでいく感覚。でも恐怖はなくて、ずっとその音に耳を委ねたくなる。

 

「――よ。郁代?」

「え、あ、はい!?」

 

 着けていたヘッドホンを誰かに外され、私は自分の世界から現実に引き戻される。するといつの間に入ってきたのだろうか、リョウ先輩が私の顔をじっと覗き込んでいた。無表情だけど確かな熱がある眼は、いつも私を悶えさせる。本当にカッコいい。でも不意打ちのリョウ先輩の顔のアップは私には心臓に悪い。

 

「リョウ先輩、ど、どうしたんですか? バイトの方は……」

「今、休憩時間。だから郁代のギターの練習がどうなってるか、様子を見に来た。サボってたね」

「ううぅう、ごめんなさいごめんなさい!ほんのちょっと、ほんの少し練習の息抜きをするつもりで……」

「謝らなくていい。サボりは大事。でも、ほどほどにね。ここのレンタル料もタダじゃないから」

「はい……」

 

 リョウ先輩に軽く注意され、私は少し凹んでしまう。ほんの少し、1、2曲聴くだけのつもりがあれよあれよと……一度聴き出すと止まらなくなるのは、音楽マニアあるあるなのだろうか。

 

「ところで、このヘッドホン。随分使い込んでるね。カズの?」

「あ、はい。ずっと借りたままで……」

「いいセンスしてる。でもイヤーパッドが傷み始めてるから、今度交換した方がいい」

「そ、そうですね……」

「……まあいいけど」

 

 夏休みが始まってから今日でちょうど10日目。明日からは8月になる。

 ここは『STARRY』の練習スタジオ。私は最近、ここに来ては毎日スタジオをお借りしてギターの練習に励んでいる。

 虹夏先輩と店長さんのご厚意で、格安でこのスタジオを借りさせてもらっている。リョウ先輩に、「ギターの練習をするなら絶対アンプを着けろ」と強く言われたからだ。

 私の家は普通の家だから、カズ君の家やSTARRYのスタジオのように防音仕様にはなっていない。アンプを着けて自分の部屋で練習をしたら、一発で隣家からクレームが届く。だから私は、少ないお小遣いを泣く泣くSTARRYに払ってスタジオを借りていると言う訳だ。

 リョウ先輩と虹夏先輩は私がギターの練習をしている間、STARRYのバイトをやっていて、休憩時間や空いた時間に私のギターの練習をちょくちょく見に来てくれる。バイトが無い日は一緒に簡単なセッションをしたり、虹夏先輩のドラムの練習を眺めたり。中3の夏休みの私は、ほとんどSTARRYで過ごしている。

 家に帰ったらずっと基礎練習。アンプは使えないけど、指を動かす練習は毎日眠くなるまでずっとやっていた。ギターの練習をしている間は、余計なことを考えなくて済むから。

 ……カズ君の家に行けば、きっと練習はさせてくれる。でも、今カズ君と会っても、なんて言えばいいか分からなくて。私は避難するようにここに隠れてギターを弾いているのだ。

 

「じゃあ、私が聴いてみるから。頭から弾いてみて。気になった所は終わったら言うから、通しで最後まで」

「はい!」

 

 ヘッドホンを置き、ギターを掛け直してピックを持ち直す。リョウ先輩に見てもらえてるんだ、ちゃんとしっかりやろう。

 気合を入れ直し、爪が短くなった指先で弦を押さえる。ネイルの為に伸ばしていた爪は、今や見る影もない。でも、後悔はなかった。私は今、結束バンドのボーカル兼ギタリストなんだから。

 

 私は左手の指先を、所定のフレット*2の位置に持っていき、ピックでそっと弾き出した。

 どこか懐かしく聞こえる、低音のギターの音がアンプから吐き出される。その音の重なりは、ずっとずっと昔に観た、内容も朧げな映画の記憶を掘り返してくる。4人の小さな男の子たちが、線路に沿って死体を探しに行く小さな冒険の物語。誰の記憶にも残らないような少年の思い出が、弦を弾くごとに私の中へ伝わってくるようだった。

 

 Ben E. Kingの『Stand by Me』。

 

 リョウ先輩が選んだ私の練習曲は10曲くらい。

 見覚えのある曲がいくつもあり、リョウ先輩が実際に演奏してどんな弾き方になるのか見せてもらった(お金を払おうとしたら虹夏先輩に止められた)。

 

 その中で初心者の私でも短い期間で弾けそうで、かつ自分が好きな曲だったからと言う理由で選んだのは、Ben E. Kingの『Stand by Me』だった。

 

「本当はベースで弾く曲なんだけど、エレキでも問題なく弾けるから。私も初めてベースを手にした時に最初にマスターしたのはこれ。勝手な考えだけど、ギタリストもベーシストも、皆この曲から出発してるんじゃないかなって思う」

 

 リョウ先輩の言う通り、『Stand by Me』は音色だけじゃなく初心者の私に優しい歌だった。テンポもゆっくりで、押さえなきゃいけないコードの数も多くはない。まだ弦を指で押さえる事に集中する必要がある私に優しい曲だ。

 Ben E. King、生まれてきてくれてありがとうございます……。会った事もないソングライターに私は感謝の念を送る。Fコードを押さえる事も未だにままならなくて、偶に心が折れかける私の心をそっと癒してくれる。ギター歴一か月にも満たない私でも、一つの音楽を弾くことができていると実感させてくれる。私の手の中から、確かに素敵な音が生まれているのだ。そう考えるだけで、私は嬉しくなる。

 

 戸惑い、時々ミスをしながらも私はなんとか『Stand by Me』を弾き切る事を達成する。

 

「郁代、よくできたね。さすが」

「あ、ありがとうございます!先輩が教えてくれたおかげでなんとか……」

「うん。でも時々テンポ狂ったし、中盤のもつれ方は聴いててひどかった。まだまだ練習が必要」

「ぐはっ」

 

 リョウ先輩は意外とスパルタで厳しかった。普段マイペースな感じからは連想できない真逆の厳しさ……でもそんなギャップも素敵。

 

「でもちゃんと練習毎日してきてるのは伝わる。指も固くなってるし、蟹歩き*3もちゃんと毎日頑張ってるね」

「はい!家でも毎日頑張ってます!アンプは使えないから、蟹歩きぐらいしか練習できないんですけど……」

「うん。それでいいよ。ゆっくりやっていこ」

「はい!」

「それで、カズとは仲直りできた?」

「ガホッ」

 

 何の躊躇いも脈絡もなくリョウ先輩は私の触れられたくない部分にミサイル級の話題を飛ばしてきた。

 

「郁代がカズと仲直りしてくれないと、私がカズの家に遊びに行けない。だから早く仲直りして」

「えっと、その……」

「こらこらー。デリケートな部分なんだから、自分勝手に振り回さないのー」

「……虹夏」

 

 私がどう答えようか悩んでいると、スタジオの扉から虹夏先輩が顔を覗き込ませてリョウ先輩を注意した。今の私にとっては救世主に見える、最高のタイミングだった。さすが虹夏先輩……。

 

「虹夏先輩、お疲れ様ですっ!」

「どーせまたカズ君にご飯たかろうとか考えてるんでしょ!ほーら、そろそろ休憩時間終わり!お客さんが入り始めるから、リョウも受付戻って!」

「えー」

「文句言わない!喜多ちゃん。こっちのバイトももう少しであがりだから、終わったら一緒に『Stand by Me』弾こうね!」

「はい!」

 

 虹夏先輩が言う『Stand by Me』はビートルズのジョン・レノンがカバーした『Stand by Me』の事だ。ベースが中心の原曲と違ってこっちはギターやドラムも活躍するようにアレンジされているから、結束バンドでセッションする時はこの曲を通しで練習している。私もカズ君に何度も聴かされたから歌詞はばっちりだ。

 とは言っても、私はまだジョン・レノンの『Stand by Me』は弾けない。原曲よりテンポが少し早くて指がまだ追いつけないからだ。だからリョウ先輩がエレキギターで、私はギターは持たずにボーカルとしてセッションに参加する。私の発声練習も兼ねた練習だ。やっぱり歌うのは好きだから楽しくはあるんだけど、どうしてもギターの数が少なくなるから音の厚みに物足りなさを感じてしまう。早くギターを弾きながら歌えるようになりたい。

 

「あー……もう休憩終わりか。時間が経つのは早い……」

「ほら、早く!お姉ちゃん怒るよ?」

「うぃー。今行く」

 

 虹夏先輩はリョウ先輩を呼び出しにきただけなのだろう。時計を見たらそろそろライブのチケットを販売し始める時間だった。いつの間にか3時間近くずっとここで練習してたんだ。

 少し気怠そうに返事をしたリョウ先輩は扉の外へ向かう。私も先輩達を手伝いたかったけど、まだ中学生でバイトを禁止にされている私はSTARRYでバイトをすることはできない。虹夏先輩は高校生になったらライブ代を稼ぐためにバイトをしなきゃって言ってたから、いつかここで一緒にバイトできたらなと少し楽しみにしている。

 

「あ、そうだ」

 

 するとリョウ先輩は扉の前で立ち止まって、私の方へ振り返った。

 

「郁代。いつまでも逃げてちゃダメ」

「え?」

「カズは私の事を待っていない。カズがいつも推すのは、私じゃなくて郁代だから。きっと、カズを変える事が出来るのも郁代だけ。だから、早く仲直りしてね」

 

 リョウ先輩はそれだけを言い残してスタジオから出て行った。

 私は何も言えず、茫然と見送ることしかできなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 スタジオのレンタル時間が終わってSTARRYを出る頃には、もう夜の7時を回ろうとしていた。

 家に真っすぐ帰る前に、ついカズ君の家に今から寄ろうか考えてしまう。少し悩んで、結局私はまっすぐ家に帰る事にした。

 

 カズ君から送ってこられたぶっきらぼうな謝罪のLINEは、既読スルーしたままだ。

 どう返せばいいか分からなかった。いつもだったら既読スルーなんて絶対にしないし、今までしたこともなかった。でも返信しようと指を構えても、私の指は文字を打ってくれない。

 

 カズ君が来年の秋に留学する。来年の秋と言ったら、あと一年と少ししかない。高校生になったら、半年しかない。

 

 私とカズ君は幼馴染でずっと同じクラスだった。幼稚園の頃から数えたら12年も連続で。まるで神様か何かが狙ってやってるようにしか思えない確率だ。

 だから高校に入学しても、ずっと一緒だと思ってた。

 私がバンドに入っても、一番前でずっと応援してくれると思ってた。

 合唱コンクールでタクトを持ったカズ君が、一番前で私の歌を聴いてくれたときのように。

 

 なのに、私とカズ君の関係は、タイムリミットがあって。それは今も刻々と終わりに近づいている。

 

 その事実が、私の指と頭をぐちゃぐちゃにして停止させる。言語化できない嫌な感情が全身を包んで来るの。

 

「……もっと早く、友達になっておけばよかった」

 

 カズ君と友達になってから、もうすぐ一年が経つ。色んなところに遊びに連れて行って、色んな音楽を一緒に聴いて。でも、まだ一緒に海にも行ってないし夏祭りも行けてない。やりたい事はまだまだたくさんあったはずなのに。

 もっと早く私がカズ君の事に気付いていればな。

 でもそんな後悔を今更しても遅いんだ。

 

「……やめやめ、こんなの!そもそも私、なんでクレイジー音楽オタクのカス君の為に頭を悩ませなきゃ行けないの!あーやだやだ!」

 

 頭の中を覆い尽くす霧みたいな嫌な感情を振り払うように、私は自分に言い聞かせる。

 そうよ、あんなクレイジーオタクのせいで頭を悩ますなんて全然イケてない!「ギターの弾き方教えて」って頼んだのに断るし、ロックが好きすぎて私のおすすめの映画とかファッションとかそう言うの全然聞いてくれないし!出かけようって言ってもいっつも嫌そうな顔するし!服もいつも地味なのばっかだし!料理が上手なせいで少し太らされたし!インドアだし、オタクだし、デリカシーないし!私のイソスタもフォローしないし!なんだかだんだん腹が立ってきた。

 そうだ、きっとこれは本来の私に戻るちょうどいいチャンスなんだ。ここ最近はずっとカズ君と行動を一緒にしていたせいで、いつの間にかトレンドを乗り遅れてしまっていた。今思えばきっとあれは全部カズ君の洗脳なんだわ。絶対そう。私は悪くない。全部カズ君が悪い(責任転嫁)

 私は中学3年生の可愛い喜多ちゃん。イソスタフォロワー1万人を超えるトレンドガール。決して半世紀前のロックをこする時代遅れの女の子なんかじゃないの。……気付かなかった私もどうかしてたけど。

 もちろん、QUEENもビートルズも最高よ? 今も大好きだし、これからもきっと聴き続けると思う。

 でも来年は中学を卒業して高校生になる。東京の女子高生として生きていくからには、流行りに遅れたら絶対ダメ。ずっとロックばかりは聴いていられない。

 私がこするべきなのは、オリコン、ドラマ、ファッション、芸能人、映画!お洒落なスイーツ、お洒落なカフェ。季節限定のスタバのドリンク!

 それらを知らない、流行りと話題に乗り遅れる無知な女の子はしかないの。比喩ではなく。陽キャは陽キャでいる為にたくさんやらなくちゃいけないことがある。

 カズ君みたいに「流行り?なんで興味がない物をわざわざ追いかけないといけないの?それよりツェッペリン聴け」*4とか言っちゃいけないの。これだから古典派のインドアオタク君は……。

 これからは今時を生きて、最新を身に纏わなきゃ。

 目指すは原宿ガール。路上ライブでたくさんの若者から尊敬を集める女の子。

 アオハルで綺麗でエモい歌を歌う、ロックガール喜多!うん、これで行こう。

 

 もう教室でトーキングヘッズをこする昭和のシワシワ古女、喜多郁代は死んだの……。

 

 これからは流行りを身に纏うトレンドガール喜多ちゃんで行くわ!

 

「そうと決まったら、早速オリコンチャートをチェックしなくちゃ!」

 

 

 

 私はそう考えながら、スキップを刻んで家に帰った。

 門限はとっくに過ぎててお母さんに怒られた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……なんか違う」

 

 家に帰って、お母さんにちょっと怒られて、夕ご飯を食べて。

 イソスタを確認しながらお風呂に入って寝る準備をして。

 

 ちょっと寝る前にオリコンに載っている、今の流行りの曲を何曲かダウンロードして聴いてみた。

 久しぶりのJ-POP。流行りの曲。もう何年も聴いていないような感覚。最近までずっと昔のロックばかり聴いてたから、私はわくわくしながら再生ボタンを押した。

 

 でも、一位の曲も二位の曲も。私の耳にしっくり来なかった。とても綺麗でいい歌なのに。どうしてか、私の心を揺さぶってくれない。 

 一年前の私なら、カラオケで歌う為に歌詞を覚えていたと思う。でも、とてもそんな気にならなかった。

 

 もちろん、オリコンの中には私好みのロックやPOPミュージックはいくつもあった。けれど、どうしてか好きになれない。1回聞けば十分と感じてしまうのだ。

 どうして好きになれないんだろう。みんなが好きな曲なんだから、私も好きになって当然なのに。

 

 純粋な疑問として、どうして私がこの曲を好きになれないのか、私は確かめる為にもう一度この曲をリピートする。

 今度は一音ずつ。一応歌詞も追いながら。自分なりに『好きになれない理由』を考えていく。

 

 そして2回ほどリピートして、なんとなくだけど、理解した。

 

 頭の中で色々理屈を捏ねてみたけれど、結局のところ、私がこのヒットチャートを好きになれないのは単純な理由だ。

 

「……私、好みがもう前と全然違うのね」

 

 歌が変なんじゃない。私が変わっただけなんだ。耳にしっくりこないのは、私の好みが大きく変わってしまっていたからだ。

 これもまたカズ君の洗脳のせいなのだろうか。

 カズ君にたくさん古いロックを聴かされて、私の音の好みは一年前とは全く別の物に変えられた。

 今考えると、カラオケで歌う曲も昔と今じゃ全然違う。これを成長したと捉えるべきか、それともカズ君の悪影響だと考えるべきなのか。

 

「私、前までカラオケで何歌ってたっけ……」

 

 すぐに曲の名前が出てこない。友達とよく行って、楽しく歌ったカラオケ。その風景自体は思い出せる。スマホの写真を見てみると、その時に撮った写真が何枚も残っている。でも、何を歌ったかすぐに思い出せなかった。

 そしてすぐに気付いた。

 私、今まで音楽を聴いているようで、ちゃんと聴いていなかった。「ただ流行りだから」と言うだけで好きになって、軽く口ずさむ程度に練習して、カラオケで歌ってみんなと笑った。

 

 

 そんなの、聴いてないのと同じじゃない。

 

 

 私は今まで聴いてきて、でもちゃんと覚える事ができなかったJ-POPに、とても悪い事をしたような気がした。

 これから私が結束バンドでボーカルをして、私の歌を聞いた人がもし今の私みたいなことを言ったら、私はとても悲しくなる。

 自分の歌が心に刻まれなかっただなんて、それはきっとロックンローラーとしては敗北したのと同じだし、歌った人へ失礼だ。

 

「……何聴こう」

 

 気分を変える為に、カズ君に借りっぱなしのヘッドホンを手に取って、Bluetoothでスマホを接続する。ほとんど借りパクみたいな状態になったヘッドホンは、毎日使っているせいかイヤーパッドが少しボロボロになり始めている。でも、今更これを返して新しいのを買おうっていう気にはならなかった。

 

 

 今日は――何を聴こう。

 ……いいや。シャッフルで。

 

 私はポチポチとスマホの設定をいじった。どの曲が一番最初に来るかは分からない。でもできれば、この陰鬱な気持ちを吹っ飛ばしてくれる曲がいいな――

 

 

 

 流れてきたのはピアノの音。

 その曲の名前はすぐに思い出した。一時期、ずっと狂ったようにヘビロテをして、今ではカラオケで持ち歌のひとつとなったロック。

 

 Queenの『Somebody To Love』が私の最初のお気に入りのロック。

 けれどこの歌は、ひょっとしたら私の中でフレディを超える最高の歌。

 

 

 

「『Don’t Stop Believin’(信じるのを止めるな)』……」

 

 

 

 スティーヴ・ペリーの歌声が流れた瞬間、この曲を知った日の記憶が私の中で溢れ出すように押し寄せてくる。

 

 

 この曲は、カズ君から初めて借りたアルバムに入っていたロックだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 私のクラスの合唱曲が『Somebody To Love』に決まり、各々が練習に励んで大体一週間が過ぎた頃。いつものように防音仕様のカズ君の家でボーカルの練習を終えた後。

 

「他の曲を知りたい?喜多ちゃんが?」

 

 私のお願いに、カズ君は目を丸くして驚いていた。

 

「そうなの!私、スマホでフレディの『Somebody To Love』を毎日聴いてるんだけどちょっとマンネリ感が出てきちゃって。それで気分転換に何か別のロックを聴いてみたいなと思ったの!」

「なるほどね……喜多ちゃんが……」

 

 カズ君の部屋は、CDと音楽雑誌で溢れていた。ラックからは零れそうなぐらいたくさんのCDが詰め込まれていたし、棚の奥にはテレビの中でしか見たことがなかったカセットテープやレコード盤なんかも埃を被って保存されている。

 それより目を引くのは、たくさんのヘッドホンやイヤホンと言ったAV機器。見覚えのあるメーカーから、見た事もないメーカーまで、たくさんの機材が置いてあった。話を聞いてみると、メーカーによって音に差が出るらしく、聴く曲に合わせてヘッドホンを変えて聴いているらしい。当時の私は、そのこだわりにはピンと来なかった。

 

「自分で探すより音楽に詳しいカズ君に訊いた方がいいかなって。何かオススメの曲、教えてくれないかしら?」

「……ちなみに、普段どんな曲聴いてるの」

 

 カズ君が困り顔でそう尋ねてきたので、私はスマホのプレイリストを彼に見せた。

 

「何、このプレイリスト名。『友情・努力・勝利』って」

「言葉通りの意味よ?元気が出る曲って言うか、ずっと聴いていたい曲というか!」

「ナチュラルでジャンプ派とは。他には『恋愛系』『切ない系』……なんていうか、喜多ちゃんらしいね?」

「そうかしら?ありがとう!」

「いや別に誉めてはいないんだけど……んー……こういう曲を好むなら……まあ無難にあの辺りかなぁ。トーキングヘッズとか聴かせてみたくはあるけど……あれ結構シュールだしなぁ。やっぱあのアルバムかなぁ」

 

 彼は悩まし気に唸りながらCDのラックを漁り始める。

 そしてしばらく選ぶのに時間が掛かっていたけれど、やがて一枚のアルバムを私に差し出してきた。 

 

「はいこれ。これが多分、喜多ちゃんが一番気に入ると思う」

「ありがとう!えっと……ジャー……なんて読むのかしら」

「ジャーニーだよ。Journey。アメリカのロックバンド。個人的には2008年のアルバムもいいけど……。やっぱり原曲の方を最初に聴いて欲しいや」

「2008年……へー、結構昔のなのね」

「まあ昔と言えば昔だけど。最近の方だよ。聴いてみる?」

「もちろん!」

 

 後で知ったけど、2008年のアルバムは再レコーディングされたアルバムで、私が聴かされたレコーディング前のアルバムは、1981年のもっと古い曲だった。もしその時40年近く前の古い曲だって言われたら多分その時の私は食わず嫌いをして聴かなかったと思う。

 

「じゃあ流すね。『Don’t Stop Believin’』」

 

 カズ君がコンポを操作していくつか曲をスキップし、そのバンドの代表曲だと言われるトラックを再生する。

 

 結果、私は冒頭のイントロであっという間に引き込まれ、スティーヴ・ペリーの力強い歌声に魅了された。

 私はすぐにこの曲を気に入った。カズ君に歌詞の和訳を見せられて、この曲をもっと気に入った。

 

 これから先の人生で、何度も何度も聴く事になる、私の中のヒットチャートとなったのだ。

 

 だからジャーニーのアルバムとこの曲は、私にとって本当に特別な物。

 

『Somebody To Love』が私のロックンローラーとしての原点なら。

 

『Don’t Stop Believin’』は、私が走り出す為の燃料だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャーニーの『Don’t Stop Believin’』は、都会へ旅立つ若者の応援歌だと解釈する事ができるとカズ君が話していた。夢を追い求めて生きる若者を励すこの曲は、作曲者のジョナサン・ケインが、父親に『信じる事をやめるな』と何度も励まされた事が背景になって生み出されたんだって。

 

「この曲のタイトルのフレーズがサビにも使われてるんだけど、この曲のすごい所は『Don’t Stop Believin’』のフレーズが最後のコーラスでしか使われない部分にあるんだ。普通、サビって何度も何度も繰り返すでしょ? でもこの曲のサビは最後にしか歌わない。ずっと力を溜めて溜めて、最後に爆発させるように歌ってくるんだ。この曲を嫌いになる人は、よほどつまらない人だよ」

 

 小さな町の少女と都会の少年が、何かを求めて夜行列車に乗ってあてもなく彷徨う。

 街灯に照らされた若者たちが夜の街で何かを求めて彷徨っている。

 

 ジャーニーはそんな彼等を寄り添うに、励ます様に、あるいは勇気を注入するように、歌った。

 

「喜多ちゃん、こういうの好きでしょ」

 

 得意げにカズ君は笑った。

 その通りだった。私は応援歌みたいな、誰かを励ます曲が大好きだった。カズ君はそんな私の好みを見抜いてこの曲を教えてくれた。

 

 私が行った事がない知らない町、知らない人、知らない空気。音を伝って響くイメージ。

 ベッドの上で何度も寝転がりながら聴いた。子守唄と言うには激しすぎる、それでも何度聴いても飽きない、不思議な歌。

 

 私はこの歌を心の底から気に入った。ひょっとしたら、QUEENの『Somebody To Love』を私の中で超えるぐらい、この曲が好きになった。カズ君に倣って自分で和訳した。翻訳サイトと辞書を交互ににらめっこしながら、自分なりの和訳歌詞を作って。でも結局カズ君の和訳の方がいいなって棄てちゃって。それで自分の部屋で何度も歌ったり大音量で流して、お母さんにうるさいって何度も怒られた。

 それぐらい、お気に入りの曲だった。

 

 きっと自分が元気をなくした時、この曲を聴けばまた最高の気分になれると私は信じていた。

 

 

Don’t Stop Believin’(信じるのを止めるな)…】

 

 

 閉め忘れた蛇口から水滴がぽたぽたと落ちるように、口から言葉が勝手に漏れる。

 

 

Hold on to that feelin’(その想いを放さないで)

 

 

 ヘッドホンから伝わるドラムの音が、ギターの音が、私の鼓動を早めていく。

 

 

Streetlights, people(街灯の下の若者よ)

 

 

 甲高く響くギターが、私の耳の中の奥にある小さな魂を震わすんだ。ちっぽけでどこまでも普通な私を震わす勇気の呪文。

 

 

Don’t Stop Believin’(信じるのを止めるな) Hold on that feelin’(その気持ちを抱き続けるんだ)……」

 

 

 そしてヘッドフォンの向こうにいるスティーヴ・ペリーが私の頭の中に問いかけてくるんだ。「信じる事を止めて、そこに蹲って閉じこもってていいのか」って。

 

「……いいわけない!」

 

 ロックって不思議。魔法みたい。

 リョウ先輩や虹夏先輩、そしてカズ君を夢中にさせてしまう力があるのを感じる。理屈ではなく心が叫んでいるの。私に力をくれてるって証明してくれてるの。

 

 異国の地の言葉なのに、私の心の奥底に語り掛けて来てくるの。

 

 あんなに萎えていた気持ちに、ぼっと小さい火が点いたのを感じる。その火がどんどん大きくなっていくんだ。私の陰鬱で沈んでいた気持ちを薪にして燃やしていく。

 それは私の燃料となり、血液を沸騰させていくんだ。

 

 

 

 

 私はその日、一睡もすることはできなかった。胸の中をメラメラと燃える火が、私を寝かしつけてくれなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズ君がギターを弾けると知った時、最初はびっくりした。びっくりして、少し悲しかった。でもカズ君とのセッションは楽しかったし、その後のリョウ先輩との演奏会は今でも夢で見るほど楽しくて、その悲しみはすぐに癒えた。

 でも、あの後に改めて「ギターを教えて」って頼み込んだら。

 

「いや、僕は教えられないよ。リョウさんに教えてもらえばいい」

「だってリョウさんの方が上手だし。僕は人に教えられるほどじゃないよ」

 

 私の言葉を押し除けるように、カズ君は言った。

 あの時と一緒だった。中学2年のコンクールの時。打ち上げの焼き肉屋へとみんなで向かった、夜の道。

 終わった後、カズ君が私から遠ざかろうとしたあの時と同じ感覚だった。

 

 私はカズ君にギターを教えるのを断られた時、まるで裏切られたような気分になったのだ。

 

 だって気付いてしまったのだ。カズ君が私の前から、いなくなろうとしているんだって。

 だからカズ君に「留学する」って聞かされた時、驚きよりも納得の方が大きかった。怒りよりも悲しみの方が大きかった。

 ギターを弾ける事を隠していたのはいい。カズ君は自分の事を開けっ広げに話すタイプじゃないから。留学する話も、許せないけど仕方ない。家庭の事情もあるだろうし、何よりカズ君は翻訳家になりたいって前から言っていた。きっと夢を叶える為に必要な事なんだろう。

 

 でも、だからってなんで私から離れようとするの?

 

 残り一年しか居られないなら、その間ずっと一緒にいればいい。なのに、私の、私達の前から消えようとしている。

 幼馴染歴12年、ちゃんと遊ぶようになってからはまだ一年にも満たない。なのに、それを最初から全部無かったことのように私から離れようとするのが、私は我慢がならなかった。私は許せなかった。

 

 今にして思えばそうだ。カズ君があまり喋りたがらないのも、私とのお出かけを嫌がるのも、私と一緒に写真に写りたがらないのも、全部全部、私の前から消える為だった。

 

 どうせ、そっけなくしていれば、私の印象から薄れるようにしていけば、少しずつ離れていけば、いずれ忘れてくれるだろうって。

 

 

 できるわけないでしょ!

 

 こんな個性的な幼馴染の事を、大切な幼馴染の事を!私に大切な事を教えてくれた幼馴染を!

 

 絶対に、()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日の朝。というより一回も寝てないから朝と言う感じはしない。

 気分は明るい夜だ。結局日が昇るまでギターの練習をしてしまった。

 この日程、アンプが使えない事が悔しかった事はない。早くこの胸の中で燃え続ける感情を、ギターに乗せて吐き出したかった。

 私は身支度を整え、ギターを抱えて『STARRY』へ向かった。

 

 リョウ先輩と、虹夏先輩に、頼み事をする為に。

 

「ライブがしたい?急にどうしたの喜多ちゃん。っていうか、その目の隈何?夜更かしでもした?」

「郁代。逸る気持ちは分かるけど、技量的にまだライブは難しい。どうしたの?」

 

 心配そうに顔を覗き込む優しい先輩達に、私は言い放つ。

 

 

 

「私、ロックでぶん殴りたい人がいた事に気付いたんです。だから、お願いします!力を貸してください!」

 

 

 誠心誠意、頭を下げる。

 私に技量がないのは分かっている。でも、やらなきゃいけないんだ。その為には、リョウ先輩と虹夏先輩の力を借りなきゃいけない。

 我儘だって分かってる。でも私のギターが達人レベルになるまで、カズ君は待ってくれないから。

 

 私が顔を上げると、リョウ先輩と虹夏先輩は嬉しそうに笑っていた。

 

「やっと郁代がその気になってくれた。遅すぎ」

「喜多ちゃんは本当にカズ君が大切なんだねえ」

「は、は!? に、虹夏先輩、一体何を言ってるんですか、私があんなクレイジー音楽マニアなんて、一言も!」

「クレイジー音楽マニアて(笑)」

「郁代、照れなくていい。私達は応援している」

「リョウ先輩まで!?」

 

 

 待ってて、カズ君。

 私、ロックをしに行くから。逃げないで、ちゃんと聴いて。

 

 

 

「それじゃあ第二回結束バンド作戦会議!どの(ロック)でカズ君をぶん殴るか決めよう!」

「郁代、カズがよく聴くバンドはこの辺りで合ってるんだよね?」

「はい。私が一緒に音楽鑑賞会でよく流してたアルバムはビートルズ……あとはツェッペリンが中心で。後はその日の気分でアルバムをよく選んでたんですけど。頻度が多かったのはQUEENとか、偶に思い出したかのように山下達郎とか流してました」

「完全な洋楽専門じゃないんだよねカズ君は。でもそうなると、やっぱりビートルズかツェッペリンの中から曲を選んだ方がいいかな?」

「私も同意見。でも、他のバンドの曲も郁代に歌わせたい。Mr.Bigの『To Be with You』とかカーペンターズの『Top of the World』とか。エアロスミスの『I Don't Want To Miss A Thing』もいいと思う」

「そうだねぇ。イーグルスの『Love Will Keep Us Alive』とか10ccの『I'm Not in Love』とか……あっ、『マイアヒ』*5は?」

「いいね。これでカズも郁代の声にメロメロ。そしてそのままバンドに加入。完璧な作戦。ノマノマイェイ」

「……リョウ先輩、虹夏先輩。選曲に偏りがありませんか?」

「「ソンナコトナイヨー」」

「私だって曲がりなりにもロックを聴いてるんですよ!今挙げた曲、全部ラブソングじゃないですか!私とカズ君はそんなんじゃないっていつも言ってるのに!」

「ごめんごめんって」

「正直、郁代がドストレートに『カズの事が好きだからずっと一緒に居て欲しい』って言った方が一番手っ取り早いと思う。それで押し倒して責任取らせれば海外なんて行ってる余裕はなくなる」

「――――」

「あ、固まった」

「リョウってば!また喜多ちゃんフリーズさせちゃってるじゃん!ダメでしょ、カズ君関係でそういう事言うとすぐ喜多ちゃんオーバーヒートするんだから」

「ごめんごめん。だってまどろっこしくて……」

「気持ちは分かるけどさぁ……。本当、喜多ちゃんも早く素直になればいいのに。おーい喜多ちゃん起きてー!」(バシバシッ)

「本当。でも、郁代はロックンローラーの才能があるよ。爆発する程の強い思いを持つボーカルは最強だって古事記にも書かれている」

「古事記には書かれてないだろうけど、それは同感。まったく、カズ君は本当に罪な男だよ」

「ね。どうしようもない。……だめだ。郁代、全然再起動しないや」

「しょうがない。ちょっと休ませておこっか。ただでさえずっとギターの練習ばかりだったんだから疲れてるだろうし。でもどうしよっか。ビートルズの曲を選んだとしても、喜多ちゃんの技量的に選べる曲はかなり限定されちゃうんじゃ……」

 

 

「大丈夫。私達には頼れるギタリストが一人いる」

 

 

「あん?なんだリョウ、こっちを見てきて……は?」

 

 

 

 

 

 そして2週間。

 

 

 今日は、私達の初めてのライブの日。観客はカズ君だけ。

 たった一人の為のライブが、始まる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「騙された」

「まーまー、機嫌直してよカズ君!」

 

 開口一番にカズ君は不機嫌を隠さずそう言った。

 時刻は正午ちょうど。まだライブハウスは開店もしていない。室内には私達と、店長さんと、照明とサウンドを調整するPAさんだけ。ほんの一時間だけ、店長さん特権でSTARRYを貸し切ってもらったのだ。

 ちなみにカズ君は虹夏先輩に「タオル返したいから、STARRY来てねー!」と言うLINEでホイホイ呼び出された。

 なんともちょろい幼馴染である。

 

「それで、わざわざここに呼び出して一体何を……」

「……」

「……するんですかね」

 

 カズ君と一瞬、擦れ違うように視線がカチ合う。でもカズ君は気まずそうに明後日の方向へ顔を逸らした。私はその様子にイラっとしながら、黙ってギターのペグを回してチューニングする。

 

「ていうか、店長さん、ギター……」

 

 逸らした視線の先には、ステージの上でエレキギターの弦を調律する店長さん……伊地知星歌さんの姿があった。

 カズ君が入ってきた事に気付いた店長さんは「やっと来たか、半人前」と笑ってカズ君を歓迎した。

 ギターのストラップを肩にかけてピックを構える店長さんは、熟練のギタリストだった。「久しぶりにギターを持った」って言ってたけど、そんなブランクなんて感じさせないカッコよさが滲み出ている。

 

「ギター持ったならやる事はひとつだろ。何言ってんだ」

「え、ええ?ロックやめたんじゃ」

「私が頼んだ」

 

 カズ君の疑問に答えたのは、リョウ先輩だ。

 

「これから演る曲はどうしてもリードギターが必要だったから。ダメ元で虹夏と一緒に頼んだらOKもらえた」

「久しぶりのサポートギターだ。お前の為にひと肌脱いでやってんだから、ちゃんと聴いてけよ」

「えへへ、お姉ちゃんと一緒にステージの上で演奏できるなんて思わなかった!頼んでみるもんだね!」

「ちゃんとやれよ、ドラム。非公式の演奏とはいえ、ミスったらただじゃおかねーからな」

「任せてよ!」

 

 先輩達が笑い合う。

 虹夏先輩はライブよりも、お姉さんと演奏できることが純粋に嬉しそうだった。練習中も楽しそうに会話していることがあったし。店長さんも心なしか嬉しそう。

 でも、今日までの地獄の特訓会は本当につらかった……。

 店長さんは演奏に妥協しないし、何ならリョウ先輩よりずっと厳しかった。しかも威圧感マシマシで注意してくるから、何度も心折れそうになったし何なら泣きそうになった。間に虹夏先輩が入ってくれなかったら逃げ出していたかもしれない……。実力は間違いなく……まあまだ初心者の域を脱してはいないけど、それでもリョウ先輩や店長さんから及第点を貰える程度には弾けるようになった。

 この二週間の特訓の成果、絶対にカズ君に叩きつけてやるの……。

 

「カズ君、今日はね。カズ君の為のライブなんだ。結束バンドの最初のライブは、カズ君の為に演奏したいって喜多ちゃんが言い出して、私達もそれに乗っかったの」

「喜多が?さっきからすんごいオーラ出して僕を睨んで来てますけど……」

「そりゃ、『カズ君ぶっ飛ばす』ってずっと言ってたからねー。しょうがないよ」

「うん。閣下*6にも負けない鬼気迫る迫力で練習してたから」

「……ひょっとして今から僕はライブを聴かされるんじゃなくて処刑されるのでは……?」

 

 虹夏先輩の言葉に、カズ君は困惑を隠せずに私の方を見てくる。

 戸惑いと困惑と不安が混じった目が、やぼったい前髪の隙間から見える。

 

「僕の為にライブって、わざわざ?」

「うん。リョウも私も、カズ君に入って欲しいから。でもいくら言葉で説得しようとしても、カズ君はきっと引け目を感じて断っちゃう。だから今の私達ができる全力で、カズ君を説得しようって」

「カズが私にしてきた事と同じ。ロックンローラーにはロックで理解(わか)らせる。あと、これは私にとって個人的な仕返しも兼ねている。私をあんな強引にロックの道に引き戻しておいて、自分だけアメリカ行くなんて私は許さない。責任取ってもらう。そして一生ご飯奢ってもらう」

「こらこら、ご飯は奢らすな!……そういう訳で、覚悟してね、カズ君」

 

 虹夏先輩は、そう笑って宣言をすると演奏する準備に入る。リョウ先輩もチューニングが終わり、店長さんもとっくに準備は出来ている。

 先輩達が私の目を見て、頷く。私も頷き返し、カズ君に向き直った。

 息を深く吸って、カズ君をぎっと睨みつける。

 

 

 覚悟してよ、カズ君。

 これは、私の挑戦状。

 私と結束バンドの、カズ君に対する挑戦。分からず屋のカズ君をぶっ飛ばすライブだ。

 マイクを強く握って、息を整える。私達『結束バンド』が演奏する曲を、全部あなたにぶつけるから。

 

 

 

 

「カズ君、歌うよ。――『Hey Jude』」

 

「――1,2,3,4!」

 

 虹夏先輩のカウントと同時に、私は喉から歌声を迸らせた。

 

 

「【ヘイジュード 悪く考えるのはよそうよ】」

「【悲しい歌も明るく歌えばいいんだ】」

「【彼女に心を開く事を忘れちゃダメだよ】」

「【そうすれば気分も明るくなっていくさ】」

 

 

 リョウ先輩が編曲した、ビートルズの『Hey Jude』は、今の結束バンドがしっかりと演奏できるように最適に編曲されている。

 まだギターの腕前が半人前以下、けれど歌うことができる私のパートはできるだけシンプルな旋律に。代わりに店長さんのリードギターに多く負担を強いる編曲になっている。

 けれど店長さんの久しぶりだと言うエレキギターはまるでブランクを感じさせないピック捌きで弦を鳴らしていく。まるで最初からこの曲の音を楽譜通りに弾くようプログラミングしている機械みたいに、正確なリズムを刻んでいく。私だったらすぐにつまずくコードをなんなく弾いていく。

 ライブ前に、店長さんに私はこう言われた。

 

「私が引っ張ってやる。その分、お前は叫んで歌え。フォローはしてやるから、ミスしても気にすんな」

 

 店長さんは本当にカッコよくて、その言葉に虹夏先輩もリョウ先輩も聞き惚れてしまった。

 本当に、ギタリストという生物はどうしてこんなにも焦がれる程カッコよく在れるんだろう。何者でもない私もいつか、あんな風になれるのかな?

 

 

「【ヘイジュード 怖がらないで】」

「【君は彼女と出会う為に生まれてきたんだ】」

「【彼女を抱きしめてあげて】」

「【そうすれば良い方向へ進めるから】」

 

 

 リョウ先輩がアレンジしたこの曲は、ビートルズのポール・マッカートニーがジョン・レノンの息子であるジュリアンに贈った勇気の歌。

 ジョン・レノンが最初の妻と別れる時、悲しみに暮れていた息子ジュリアンを励まそうと、ポールが生み出した勇気の歌。

 虹夏先輩とリョウ先輩、3人で頭を悩ませてこの曲を選んだ時、リョウ先輩は本当に嬉しそうだった。

 

「ポールは私の憧れのベーシストだから。その人の曲をいじくって、それをこのバンドで弾けるのは本当に嬉しいし上がる。私、今ならポール・マッカートニーを越えられるよ。多分」

 

 たった一日でアレンジを編み上げたリョウ先輩は、本当に素敵でカッコいい。これが原曲と少し違うって、カズ君ならきっとすぐに気付く。私が最初に憧れたベーシストがアレンジしたんだよって自慢したい。ビートルズの為の曲じゃない。これは『結束バンド』の為に編まれた曲なんだ!私はその人の隣で、演奏しているんだよ。

 リョウ先輩は、私の拙いギターと歌を、店長さんのリードギターと虹夏先輩のドラムを繋ぎ合わせて、一つの音楽として編み出してくれている。

 私の歌声を支えるようにベースを弾く、憧れの先輩。ちらりと視線を向けると、リョウ先輩はこっちを見て楽しそうに口角を上げた。私も吊られて、笑みが零れる。

 本当に心強くて、私は安心して歌に集中できる。

 

 

「【辛い時はね ヘイジュード 耐えるんだよ】」

「【でも独りで世界を抱え込んじゃいけないんだ】」

「【君も知っているだろ?クール振るのは馬鹿がすることだって】」

「【自分の世界を冷めたものにしちゃうんだ】」

 

 

 虹夏先輩は、練習で心が折れそうな私を何度も励ましてくれた。威勢よく「ライブがしたい」と頼んだはいいけれど、私の大言を真剣に受け止めてくれた虹夏先輩には頭が上がらない。

 それに、私の次に店長さんに厳しく指導されていたのが、虹夏先輩だ。

 何度も何度も通しの練習中に「リズムがずれてる」と止められ、注意されて、やり直しをさせられた。けれど虹夏先輩はへこたれず、何度も「もう一回!」と笑ってドラムを叩いた。

 この二週間で私の指の絆創膏は増えたけど、虹夏先輩の指にできた豆は、私以上だ。中には潰れてしまって、スティックが血で汚れた事もあった。けれど虹夏先輩は指の痛みをおくびにも出さずにスティックを持ち続けた。店長さんは厳しくしすぎたかなと狼狽えてたけど、虹夏先輩は「今のままでいい」と店長さんに頼んでいた。

 リョウ先輩が憧れの先輩なら、虹夏先輩は尊敬できる先輩。私今まで部活とか入ったことがなかったから、頼れる先輩がいる事が本当に嬉しい。

 

「喜多ちゃんがこの曲に賭けてるのは分かるから。私も力になりたいんだ。それにね、このメンバーならいつか……ううん。これはまだ内緒。でもね、手が動かなくなっても、リック・アレン*7みたいに諦めずに続けたい気分なんだ。だから喜多ちゃん、思いっきりカズ君をぶっ飛ばしてね!」

 

 私はまだ、ドラムがどうとか語れる知識はない。けれど、虹夏先輩の努力を感じるこのドラムのビートは、結束バンド(私達)になくてはならない物だって感じる。ずっと先輩と演奏したいって感じる!

 

 

「【ヘイジュード がっかりさせないで】」

「【彼女に出会ったんなら 抱きしめに行くんだ】」

「【彼女に心を開くのを忘れないで】」

「【そうすればきっと全部上手くいくから!】」

 

 

 私はカズ君に目を合わせた。私達の歌を聴くカズ君は、ぽかんと目を丸くして口を開けたままこっちを見ている。

 驚いた? 私、ここまで弾けるようになったんだよ。一生懸命頑張ったんだよ。

 リョウ先輩と虹夏先輩と一緒に、頑張ったんだよ。全部カズ君にこの歌を聴かせるために、頑張ったんだ。

 

 カズ君が私の事、避けようとしてたのはなんとなく分かる。12年、ずっと幼馴染で、ずっと同じクラスだったけど、私カズ君の事何も知らなかったから。

 でも、カズ君は何も分かってない!今更私達、離れられないし、離さないよ!だって教えてくれたじゃない!

 

 

 ロックは、人を繋げて、結びつけるって!

 

 

 フレディがいなかったら私、カズ君と友達にならないまま中学卒業してた。

 ビートルズがいなかったら、英語を勉強しようなんて思わなかった。

 合唱コンクールで私がボーカルをやらなかったら、ギターを触ろうとも思わなかった。

 ブラインドフェイスがいなかったら、リョウ先輩を説得して一緒に今ビートルズなんて歌えなかった。

 

 ロックは平凡な私のことをたくさん変えてくれた。そのロックを教えたのはカズ君でしょ!今更友達未満の知り合い以下の関係に戻れるわけないじゃない!

 消しゴムでかき消すみたいに、簡単に私達のロック(繋がり)がっ、消える訳ない!

 

 視界が霞む。目から涙が零れてくる。頭の中がぐちゃぐちゃで、私、ちゃんと歌えてるか分からない。

 

 私は確かに、友達もたくさんいるし、勉強も運動もそれなりにできる。でもそれだけだ。私は特別じゃなかった。

 日本中探せば、私みたいな人はたくさんいる。私よりもっとすごい人はたくさんいる。

 私は特別じゃないって、うっすらと思ってた。でも知らないふりをして、何にもない中学を卒業して、高校生になって、ぼんやりと大人になって行くんだってどこかで分かっていた。

 

 でも、カズ君にフレディを聴かされて。ボーカルにされて。毎日毎日Somebody To Loveを歌って。2千人の前でロックを歌った。

 今でも思い出せる。背中を押し上げるクラスメイトのコーラス。喉を裂くように迸る、私の声。足元を揺らすドラムとギターの振動。カズ君が振り上げるタクト。空中に踊るように飛んでいくピアノの旋律。そして終わった後の、雪崩のように押し寄せて、雷みたいに身体に叩きつけてきた観客の拍手。

 

 私のちっぽけな世界は、確かにあの時、変わった。もう前の自分に戻れないと分かるぐらい、決定的に私の中の何かを変えてしまった。

 

 平凡な私を変えたのはロックなんだよ。平凡な私を特別にしてくれたのはカズ君なんだよ。

 

 私たくさんロックを聴いた、たくさんの音楽を知った。けれどまだまだロックの事は分かってない、

 でも、もう私の一部にフレディやジョン・レノンがいるの。私の中にリョウ先輩が、虹夏先輩が、カズ君が!私の心の一部だって感じるの!

 

 どうしようもなく普通だった私を変えたのは、カズ君なんだよ。前より今の自分をもっと好きになれたのは、カズ君のおかげなんだよ!

 

 だから、カズ君にもっとたくさんお礼したい! カズ君ともっと一緒にいたいの! だから私を遠ざけないで! 勝手に独りにならないでっ! たとえ時間が限られててもっ、一緒にロックをしたいの!

 

 

 

 

 

 

「逃げないでよ!私の気持ちから目を背けないでよ!」

 

 

「だから……そばにいてよぉ」

 

 

 

 いつの間にか、演奏は終わっていた。リョウ先輩達が、どんな顔で私を見ているかは分からない。私はステージの上で膝を突いて、蹲ってしまった。先輩達の荒い呼吸をマイクが微かに拾って、スピーカーから響いているのが聞こえる。

 私はみっともなく涙と鼻水を流して泣いていた。子供みたいに。なんで涙が溢れてくるのかは分からない。こんなこと、本番のステージでやったら観客は大ブーイングしてくるよ。

 服の袖で拭っても拭っても涙は止まってくれない。

 

 

「うわあぁぁぁぁぁん!」

 

 目が腫れぼったくなってるのが分かる。化粧も崩れて、最悪だ。最悪。こんな私、見ないで。

 私がこのバンドで歌う時は、カッコいいヒーローでいたいのに。どっかのクレイジー音楽オタクを夢中にさせるボーカルでいたいのに。

 

 こんなのじゃ、私、幻滅されちゃう。

 

 そう思っている時だった。

 

 

 

 

「降参。分かったよ、僕の負けだ」

 

 

 

 私の肩に、誰かが優しく触れてきた。

 この感触は覚えてる。

 

「ちゃんと聞こえたよ、最高の君のロック。だからもう、泣き止んでよ」

 

 合唱コンクールで『Somebody To Love』を歌い終えた後、カズ君は優しく肩を叩いてくれた。私の歌を讃えるみたいに。

 

 顔を上げると、嬉しそうな、悲しそうな、複雑そうに眉間を歪めるカズ君が、私の顔を覗き込んでいた。

 

「本当に聞こえた……?」

「本当。君の勝ちだよ」

「もう、隠し事しない?」

「それは時と場合による」

「そこは嘘でもしないって言いなさいよ!」

「嘘ついたら怒るだろ」

「……うん」

「どうすりゃいいんだ」

「留学行かないなら許す……」

「それはごめんできない。イタっ、ちょ痛い!殴るなって!」

 

 本当にっ、最後までデリカシーがないんだからこの幼馴染はっ!

 

「なんで高一の秋なの、そんな中途半端な時期に!それじゃあたった半年しか一緒に高校生出来ないじゃない! そんな短いなら、中学卒業したと同時にすっぱりアメリカでもイギリスでもどこへでも行けば良かったのにっ!この薄情者!」

「痛い、痛いって!しょうがないだろ、もう色々手続きされてるし!そもそも留学は両親が離婚してなくても行くつもりだったんだ!秀華高校を選んだのも英語と留学に強くて、でも親父の離婚の話が出たから前倒しになって!タイミング的にも高一の秋がちょうどいいからっ」

「知らないわよそんなこと!サイテー!馬鹿!クレイジー音楽オタク!あなたなんか、地震が起きた時倒れたラックの下敷きになってCDに埋もれて窒息死すればいいっ!」

 

 私がこのサイテーな幼馴染の頬に一発張り手でもいれようかと思ったその時だった。

 

「ちげーよ、喜多ちゃん」

「……店長さん?」

 

 暴れる私を制したのは、ギターを降ろしてタオルで汗を拭いている店長さんだった。店長さんは呆れた顔で、カズ君を指さす。

 

「そいつが高一の秋まで日本に滞在するのは喜多ちゃんのためだよ」

「私の……為?」

 

 店長さんの言葉に、慌てたように顔を青ざめさせたのはカズ君だった。

 

「ちょ、店長さん!それは言わないって約束を!」

「知らねぇ。ここまで来たら腹括れ。リョウ、虹夏、そいつ押さえつけておけ」

 

「はーい!」

「ラジャッ」

 

「ちょ、なんでこんな時ばっかそんな無駄な結束力を発揮するんだっ……力強っ!やめろ放せ!放せー!!」

 

 

「こいつが秋まで残るのは、喜多ちゃんの文化祭ライブを聴くためだよ」

 

 

「ガッ……」

 

 店長さんのその言葉で、カズ君は電池が切れたロボットみたいにフリーズした。

 

「文化祭……ライブ?私の?」

 

 どういうこと?それとカズ君の留学が、一体何の関係があるの?

 

「あっ。確か喜多ちゃん達の進学先の秀華高校の文化祭って……」

「10月。秋に開催するって聞いたことがある」

 

 するとカズ君を羽交い絞めにする虹夏先輩とリョウ先輩が、思い出したように顔を見合わせながら口にする。

 10月の文化祭と言えば、確か秀華高校のメインイベントの一つ。学校のパンフレットに確か載っていた。軽音部や有志のグループが、文化祭の日に体育館のステージで演技やパフォーマンス、バンドの演奏をするんだって。

 それって、もしかして。

 

「開催は10月だ。こいつは、喜多ちゃんが組んだバンドを文化祭ライブで聴きたくて親父に無理言って粘ってたんだよ」

 

 私の、歌?ただ私の歌を聴きたくて、高1の秋に留学する事にしていたの?お父さんに頼んでまで高校一年生の秋までずらしたの?

 

「何、それ。でも、私がバンド組めるなんて保証、どこにも…」

「保証がどうとかじゃない。組めたか組めなかったじゃない。シンプルな事実としてあるのは、こいつがただ喜多の歌を聞きたくて留学のタイミングを合わせていたってことだ」

 

 戸惑う私に、店長さんは真実を淡々と告げた。その言葉は私に嘘を吐いているとかじゃなく、本当に、本当に?ただ私の歌が聴きたかっただけで高校に進学するの?

 

「コロシテ……コロシテ……」

「おぉ……マジなんだ。カズ、やばいね。他人から見られたらストーカーと言われても仕方ないよ」

「カズ君は本当に喜多ちゃんの歌が好きなんだねえ。筋金入りだねえ!アオハルだよ!すごい胸がきゅんきゅんするよ~!」

「さすが、郁代の声が性癖だと公言しただけの事はある」

「公言した事なんかねえよ一度も!言い触らしたのはアンタでしょ山田ァ!」

「あ、カズが怒った。やーいやーい。図星突かれてやんのー」

「リョウさん……あんたとは一度ケリを付けないといけないみたいですね……!」

 

 リョウ先輩とカズ君の追いかけっこが始まる。虹夏先輩はニコニコと笑い、店長さんは呆れたようにそれを見てて。

 

「くく、なに、それっ」

「……喜多?」

 

 私は堪え切れず、噴き出してしまった。今まで泣いていたのが嘘みたいに。

 お腹が痛い。こんなに、身体の底から楽しくて笑うのは久しぶりな気がする。

 

「あ、あはははは!おかしい!私の歌が聴きたくて秋まで日本に残るなんて!あは、あははは!」

 

 笑いがあふれ出すみたいに止まらない。よじれてお腹の中がひっくり返っちゃいそう!こんなに、身体の底から楽しくて笑うのは久しぶりな気がする!

 

「き、喜多ちゃん?大丈夫?」

「大丈夫ですよ、虹夏先輩!だって、あ、あんまりにも可笑しくて!でも、でもちょっと、さすがに、それは気持ち悪いわね、カズ君!」

「ガハァ!?」

「カズく――――ん!?」

 

 どうやらカズ君自身も気持ち悪いと言う自覚はあったらしい。私の一言が図星だったのか、カズ君はライブハウスの床に背中から倒れ込んだ。

 

「お、おお……!だから知られたくなったのに……店長さん……!裏切ったなぁ……!」

「知らん」

「ぐ、ぐぬぬ……!わ、分かってるよ!でもしょうがないだろ、最高の歌を聴かされちゃったんだから!僕は君のファン1号なんだよ!?ずっと聴いていたいんだよ!」

「カズ、開き直った」

「リョウさんは黙ってて!」

「あーおかしい……やっぱりカズ君、クレイジー音楽オタクよ……くくくっ!」

「自覚してるよ!あーもう、本当に恥ずかしい……!店長さんとリョウさんマジ恨みますからね……」

「知らねえって。バカバカしい。最初から素直に『歌が聴きたかった』って言えばよかったんだ」

「本当にそれ。逆恨みも甚だしい。カズの性癖がこじれているのが悪いんでしょ」

「だから性癖じゃないんだってば!それ言うの止めてくださいよ!」

 

 カズ君は顔を真っ赤にして、誤魔化す様に頭をがしがしと搔きむしった。それを見たら、私が感じていた悲しみも不満も、全部すっきりと消え去ってくれた。カズ君にこんな顔をさせることができたなら、私が大泣きしながら歌った甲斐もある。

 涙はもう止まった。気分は曇っていた空が晴れたみたいに清々しかった。

 なんで私、こんなに悩んでたんだろう。バカみたい。私もカズ君も。

 

 まだ顔の火照りが静まらないカズ君に、私は手をそっと差し出した。

 

「私の歌、一番前で聴いてくれるんでしょ。だから、これからも一緒にロックしてよ。カズ君」

「……本当にいいの?あと一年しかいられないのに」

「あと一年だからよ、カズ君」

「そうだよ!」

 

 私の言葉に同意したのは、虹夏先輩だ。その隣には、リョウ先輩もいる。

 

「カズ君。喜多ちゃんにはカズ君が必要なんだよ。私がドラムをやるためにリョウと喜多ちゃんが必要だったみたいに。喜多ちゃんにはカズ君が必要なんだよ」

「そう。それに、カズも自分で言ってた。ロックは共に奏でてくれる誰かが必要だって。郁代に必要なのはカズだよ。だから、カズも結束バンドに居て欲しい」

「……分かりましたよ」

 

 

 虹夏先輩達の言葉に、カズ君は大きくため息を返して、やがて観念したように私の手をがっしりと掴んだ。

 

 

「入らせてください、結束バンドに。何ができるか分からないですけど、短い間ですけど、力にならせてください」

 

 

 照れ臭そうに、ぶっきらぼうに言い放つカズ君の言葉に、私達はぱっと笑顔になる。

 

 

 

「「「もちろん!」」」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 カズ君の結束バンドとしての最初の仕事は、ステージの後片付けだった。アンプやコード、私達が使っていた楽器全てのお片付けである。

 元々カズの為にやったライブなんだから、片付けるのもカズがやるべきだろう、と言うリョウ先輩の指示だ。最初は少しごねていたカズ君だが、虹夏先輩が「リーダー命令!カズ君は今までのお詫びとして片付けの刑に処す!」と宣告した事で、カズ君は渋々と片付け始めた。

 

 虹夏先輩も、リョウ先輩も、カズ君以外観客がいないライブだったとはいえ、こうして結束バンドの初演奏ができた事が楽しかったのだろう。一息ついて汗をタオルで拭きながら「楽しかったね」と感想を言い合っている。

 それに対して、大人組はそれぞれ何故かダメージを負っていた。 

 

「この歳になると涙腺が脆くてな……」

「私は一体何を見せられたんでしょうか……あんなキラキラな青春時代……私にもあったでしょうか……?」

 

 店長さんは目尻を赤くしてずっとティッシュ箱を手放せずにいるし、PAさんは何故か暗い顔をして俯いている。

 特にPAさんは顔を青ざめさせてぶつぶつと何か呟いていて、少し不気味だった。

 

「感動ドキュメンタリーとか青春映画に弱いお姉ちゃんが泣いちゃうのはともかく、PAさんにはちょっと悪い事しちゃったかも……」

「あんなキラキラ青春劇見せられたら、誰だって脳を焼かれる。当事者の私達も結構凄い衝撃だったのに。ほとんど部外者だったPAさんには劇毒が過ぎる」

「泣いてねえっつうの……ていうか虹夏、お前またドラムミスってたな?」

「うわ地獄耳!気づかれてないと思ったのに!」

「私は気付いてた」

「終わった後なら何とでも言えるよね!ごめんってお姉ちゃん!だって喜多ちゃんが急に泣き出してびっくりしちゃってさぁ~!」

「まあ……それは仕方ないか。ていうかあいつら、あの距離感で付き合ってないってマジ?」

「マジなんだよーお姉ちゃん。微笑ましいねー」

「郁代を手に入れたいならまず私を倒してもらわないと困る」

「お前ら何目線なんだよ……それで、なんで今回の主役が一番悶絶してるんだ」

 

 対して私は、ライブハウスの床で頭を抱えてのた打ち回っていた。

 

「郁代、最高にロックだった。きっと今日の演奏は私達結束バンドの伝説の始まり。私今日の事ちゃんと日記に付けておく。いつか結束バンドの自伝出して印税稼ぐときの為に」

「そうだね喜多ちゃん、最高にエモくてロックだったよ!お陰でプロデューサー兼マネージャーゲット!一歩前進だね!」

「うぅぅう~~~!忘れてください~~~!」

 

 恥ずかしい!恥ずかしい恥ずかしい恥ずかしい!!

 恥ずかしすぎて顔から火が出ちゃう!

 大泣きして、大笑いして、そして一周周って冷静になったら――急に酔いが冷めたみたいに、私の中の羞恥心が大爆発を起こした。今の私の顔、化粧もひどいし絶対顔真っ赤になってる!それに何より、私何口走っちゃってるの!?カズ君に対して!「傍にいて」とか「逃げないで」とか!歌っている最中は没頭して頭がハイテンションになる癖は練習中でも何度かあったけど、だからって何訳が分からない事叫んじゃったのよ!?

 私、これからビートルズや『Hey Jude』歌ったり聴く度に今日の事思い出さないといけないの!? 死んじゃう!死んじゃうわよ!

 

「片付け終わりましたー……って、喜多は何をやってるんです?」

「お、カズ君お疲れ~!」

「お疲れ。郁代は初ライブの余韻に浸ってるから、邪魔しなくていいと思う」

「僕には黒歴史を製造してしまって悶絶してるだけにしか見えないんですが」

「大丈夫だよ、ああいうのもきっとロックだよ!」

「そうかな……?そうかも……」

「そんな事より、カズ君どうだった?私達の演奏!」

「郁代の渾身の歌声、メロメロになった?」

「メロメロって……良かったですよ。リョウさんのベースも虹夏先輩のドラムも。でもやっぱり店長さんのギターが飛び抜けて上手だったせいで、まだまだ改善の余地ありだなって思いました。でも、たった一か月で『Hey Jude』を演奏してくるとは予想してなかったから……頑張ったんだなって、伝わってきました。最高だったよ、喜多」

「「おお~~!」」 

「喜多ちゃん喜多ちゃん、今の聞いた!? べた褒めだよべた褒め!やっぱり幼馴染の心からの声が届いたんだよ~!」

「うぅ……虹夏先輩、それ以上は……ホントヤメテ……」

「おぉ、郁代がまだフリーズしてない。耐性ができてきた」

 

 もうやだ……恥ずかしくて恥ずかしくて死んじゃいそうなのに、口が勝手ににやけちゃう。こんな顔、見られたくないよ……。

 

「それじゃあ、カズ君の歓迎会と今回のライブの反省会をするために打ち上げにいこっかー!」

 

 

「あ、虹夏先輩。それ無理です」

 

 虹夏先輩の提案は、カズ君が突如冷えた包丁でぶった切るように一蹴した。

 

「え?な、なんで? カズ君今日都合悪い?」

「いや、問題なのは喜多なんですよ」

「喜多ちゃんが?」

 

 突如名指しされ、私はおそるおそる顔を上げる。

 そこには、にっこりと笑うカズ君が私を静かに見下ろしていた。

 

「喜多」

「な、なに?」

 

 

「君、夏休みの課題何もやってないだろ」

 

 

「あ」

 

 

 カズ君のその言葉は、私の火照っていた体を一気に冷めさせた。

 ライブの余韻を全て無に帰す一発だった。

 

 

「知ってるよ。まったく課題が手付かずなのも。夏休みが始まってから『図書館で勉強してくる』って適当言ってSTARRYに入り浸ってた事も。練習以外の時はクラスの連中と楽しく街歩きしてたことも」

「ななな、なんでカズ君がそこまで知ってるの!?ストーカー!?」

「失礼な。佐々木さんとか委員長ちゃんから時々報告されてたんだよ。何より君のお母さんとこの間スーパーで鉢合わせてたんだ。ここしばらくずっとSTARRYで練習してたんだろ?午前中は友達と遊んで午後はバンドの練習、なるほど最高の夏休みだな!受験生と言う事を忘れていなければ!」

「とと、友達との遊びはちょっとだけよ!イソスタ更新したりとか、カフェをちょっと巡っただけで……!それに、練習はカズ君にビートルズを聴かせる為で!」

「それはそれ、これはこれだ。確かにライブは最高だった、拍手を送るよ。でも喜多のお母さんめちゃくちゃ心配してたぞ。幼稚園以来顔を合わせてない幼馴染の母親に久しぶりに出くわしたと思ったら「あの子ったら変な男に騙されてない?金遣いが荒いクズベーシストとか…」なんて真剣に相談された僕の気持ちが分かるか!? なまじ微妙に当たってるからなんて反応返せばいいか分からなかったわ!だから今から帰って宿題やるからな。もう夏休みが終わるまであと10日もないんだから。ていうか知ってるんだぞ期末の点数落ちてたの!バンド云々言う前にまず学生の本分を全うしろ!秀華高校は進学校じゃないけど偏差値はそれなりにあるんだから落ちる可能性もあるんだ!ちゃんとやれ!バンドの練習はできて受験勉強はできないなんて言い訳は聞かないからな!」

「か、カズ君!? なんだかいつもとキャラが違うわよ!? そんなグイグイ来る性格だった!?」

「何言ってんだよ。僕をプロデューサー兼マネージャーに仕立て上げたのは君だろ。今更遠慮すると思ってるのか。本当に……僕が墓まで持ってくつもりだった秘密を暴き立てておいて何を言ってるんだ……!」

 

 笑顔で頬に青筋を浮かべているカズ君は、今までに見たことがないくらい、怒っていた。

 

「あ、暴き立てたのは私じゃなくて店長さんよ!私は悪くないわ!冤罪よ!」

「オイ」

「店長さん大丈夫です。喜多よ、言い訳無用問答無用だ。今まで僕が君と距離を取ろうとしてたのは認める。けれどここまで来たならいちいち気を遣ったりしないから。マジ覚悟してよ喜多。これから10日間、夏休みを遊んで過ごせると思うな!」

 

 カズ君の普段無気力で落ち着いている顔からは想像もできない、エネルギーが詰まったカズ君の表情。12年間幼馴染だったけど私カズ君の事全然知らなかったんだなって改めて思い知る。

 でも確かに今分かるのは――このままだと私、夏休みの課題から逃げられないってこと。カズ君がガチで私を逃がすつもりがないってことだけは伝わった。このままだと家に監禁されて課題漬けの毎日に――!

 

 

「――た、助けて虹夏先輩、リョウ先輩っ!私の夏休みがっ、カズ君に侵略されちゃうっ!明日夏祭りあるのに!海にもまだ行ってないんです助けてください!……なんで目を背けるんですか!? 私達は結束バンドの最高の仲間だったはずでしょ!?」

 

「まったく勉強していない受験生を助ける訳ないだろ。ほら行くぞ!」

 

「い、いやぁぁぁぁ!助けてっ、リョウせんぱ―――(ギィィ、バタン)」

 

 

 

「……喜多ちゃん、攫われちゃった」

「だね」

「……リョウはどうする?」

「ごめん虹夏、私もここ最近練習漬けで眠い…今日はシフト入ってないし帰る……」

「えっ!?」

「バイバイ(ギィィ、バタン)」

 

 

 

 

 

「……結束力全然ないっ!!」

 

 

 

「お前らバンド名変えた方がいんじゃねえの」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はあ。2学期が始まったのに、今日も友達出来なかった……。もう中学三年なのに。文化祭ライブのバンドも組める気が全然しない……このまま卒業していっちゃうのかな……いいや、もう。私の居場所はネット。中学は諦めて高校生活に全部を賭けて……ん?」

 

 

 

 

 

「……新しい弾いてみたの動画だ……この曲なんだろ。洋楽かな……チャンネル名は……『結束バンド』?」

 

 

 

 

 

 

*1
Bon Joviの楽曲『 Livin' On A Prayer』より

*2
弦を押し付けることで音程を作り出す金属パーツの事。ざっくり言うとピアノの鍵盤のような部分。ここを指で押さえて弦を弾き、狙った音を出す。

*3
人差し指から小指まで、順番にフレットを抑えながら一音ずつ弾いていく練習。ピアノで例えると鍵盤の「ドレミファソラシド」を順番に引いて、指に動きを覚えさせる事を目的とした反復練習の事。ギタリストの基礎練習。

*4
本人はそんなこと一言も言ってない。

*5
O-Zoneの代表曲『恋のマイアヒ』。正式な曲名は『Dragostea Din Tei』。正式名を知っている日本人がいるのかは謎。

*6
日本のヘヴィメタルバンド聖飢魔IIのリーダー・デーモン小暮の愛称。「お前も蝋人形にしてやろうか」と言う台詞が有名。

*7
イングランドロックバンド『Def Leppard』のドラム担当。交通事故で左腕を切断しながらも、現役ドラマーとして活躍をし続ける不屈の男。




作中に登場したバンド名
Icon for Hire
山下達郎

作中に登場した曲
Bon Jovi - Livin' on a Prayer
toe - グッドバイ
Ben E. King - Stand by Me
John Lennon - Stand by Me
Journey - Don't Stop Believin'
Mr.Big - To Be with You
Carpenters - Top of the World
Aerosmith - I Don't Want To Miss A Thing
Eagles - Love Will Keep Us Alive
O-Zone - 恋のマイアヒ
10cc - I'm Not in Love
The Beatls - Hey Jude


前回の続き。
カズ君ようやく結束バンドに加入。

虹夏先輩と星歌さんがセッションしてる場面を描きたかった。
喜多ちゃんが大声で泣きながら歌うシーンを書きたかった。
リョウがクズじゃなく先輩らしく喜多の背中を押す姿を見たかった。

喜多ちゃんには絶対にビートルズを歌わせるんだという固い意志があり、ついにそれを達成できました。もう完結していいんじゃないかな。

また、今回のビートルズの「Hey Jude」の訳は筆者が個人的解釈に基づいて歌詞を簡単に和訳しています。
翻訳違うじゃん!とか儂の解釈と違う!こんなんロックじゃないやい!と思っても大目に見てね。

前話もたくさんの評価、感想、曲のリクエスト、ありがとうございました。誤字報告してくれた方も大変助かりました。
トーキングヘッズに頭をやられた方、Queenからいろんな洋楽を聴くようになった方、邦ロック専門だったが洋楽を聴き始めた方。いろんな方がいろんなロックを聴いてくださるようになったのを知るたびににまにましております。
ただちょっとトラブルがありました。
活動報告にも書きましたが、感想欄にリクエストだけを書き込むと「設定の改変の強要」「リクエスト」と運営に見なされて、既にいくつか削除されています。小説の感想と抱き合わせだと大丈夫みたいですが、曲のリクエストがある方は是非活動報告の方へ。

でも感想もっと欲しいんだ……評価くれ~感想くれ~!(承認欲求モンスター感)


この辺にぃ、主人公が登場しないぼざろ二次創作があるらしいんですよぉ。
ごめんねぼっちちゃん……ようやく君を登場させられるよ。でもほんとごめん、次回が最終回なんだ。
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