♂♀ 1:1世界の平凡高校生 ⇔ ♂♀ 1:100世界のハイスペ美少女 作:緑茶わいん
事務所に行くとエントランスに笹が飾られていた。
近づいてみると短冊がいくつも下がっている。願いごとを書いているのは当然、事務所の関係者──役者や歌手、モデルの名前もある。
脇のテーブルに何も書かれていない短冊とペンが置かれていたので、わたしも関係者の端くれとして書かせてもらう。
『声優になれますように』。
ピンクの短冊に書いて笹に吊るしていると、
「美桜ちゃんはもう声優になってるんじゃない?」
「あ、マネージャーさん。おはようございます」
マネージャーさんに挨拶をしつつ「そうなんだろうか」と思う。
「確かに声のお仕事はいただきましたけど、なんだか実感がないです」
「今日からあなたは声優です、って言われたわけじゃないものね。でも、それを言ったら
確かに、実感するチャンスをみすみすスルーしてしまっていたのかも。
「それじゃあ、打ち合わせを始めても大丈夫?」
「はい。よろしくお願いします」
会議室へ移動したわたしはマネージャーさん、それから上の人も交えて今後のことについて話し合った。
「夏休みなんだけど、このチャンスにできるだけレッスンを入れたいの」
「はい。わたしも上手くなるチャンスを生かしたいです」
なんだかんだ、わたしの予定はけっこう埋まっている。
モデル業では定期的な雑誌の撮影に加えてちょっとした広告のお仕事がいくつか入った。CMじゃないのでわりと地味な露出になるけど立派なお仕事。
声優業ではマンガのPV第三弾をどこかで録る予定。
俳優業はエキストラの仕事をいくつか入れてもらった。駆け出しの今はとにかく現場経験を積むのも大事なことだと思う。
それぞれオーディションの応募もしているし、書類審査に合格したら実技審査で出かけることになる。
マンガの打ち合わせもあるし、ゲーム会社に行ってアイデアの提案もしないといけない。
「……美桜ちゃん。夏休みほとんどなくなっちゃうけど大丈夫?」
「あはは、そうですね。できれば二件、お泊まりの予定が入れられたらいいんですけど……」
「お泊まり?」
「はい。祖母の家に遊びに行くのと、それから友達──いえ、大切な人との旅行なんです」
こっちの世界では昔ながらの「家」とか「実家」の概念がだいぶ薄くなっている。
父親不在の家庭が多く、そのぶんフットワークが軽くなっているからだ。
子供を産まない女性もいるし、産んだ女性も子供が一人立ちしてしまえば自由になる。定年した夫の世話なんてものは存在しない。田舎に引っ込むもよし、一人暮らしにちょうどいい家に引っ越してのんびり暮らすもよし。同じように自由になった友人とシェアハウスなんて選択肢もある。
育った家がもうないことも多いため、そもそも「帰省」という言葉があまり使われない。
うちの祖母もそんな感じでのほほんと暮らしているらしく、うちのお母さんがお仕事で忙しいのもあって「別に毎年会いに行かなくてもいいでしょ」というノリ。
そんなわけで去年一昨年は祖母に会いに行っていなかったんだけど「さすがに今年は孫を連れてきなさい」とお達しがあった。
『来年は美姫も美桜もそんな暇なくなるかもしれないしね。今のうちに顔を見せておきましょうか』
うまいことこの忙しさが来年まで続くかはわからないものの、わたしもお母さんの意見には賛成した。
それからもう一件はもちろん恋、玲奈との旅行だ。
一昨年も去年も行ったけど、今年は意味合いが大きく変わってしまった。
付き合い始めて初めての夏。
どこにも行かずに済ませるのは心苦しいというかわたしも寂しい。中一の夏は一回しかないんだし、三人で思い出を作っておきたい。
これにはマネージャーさんたちも「それは仕方ないだろう」と頷いてくれて、
「どこに予定が入るかわかりますか?」
「はい。えっと、こことこことなんですけど……」
「わかりました。そこには予定を入れないように調整しましょう」
「ありがとうございます」
その代わり他の日はほぼ毎日何かしらの予定が入ることになった。
レッスンだけで見たらお休みはしっかりあるんだけど……これは半日とかの中途半端な自由時間を上手くリフレッシュに使っていかないと大変なことになりそうだ。
っていうか夏休みの宿題。
なるべく早く終わらせないとガチで存在を忘れかねない。忙しさのせいで下がり気味な成績をこれ以上下げないためにもちゃんとやっておかなくては。
「プライベートの時間にピアノの練習もしたいから大変だよ」
「美桜ちゃん、ちゃんと休むのも大事だよ? 何度も言うけど頑張りすぎないようにね?」
打ち合わせの後、レッスンを受けてから葉と合流した。
今日は余裕があったので一葉モードにチェンジした彼とカフェでおやつタイム。
一葉モードだとほんとに同性みたいな気分なのですごく話しやすい。
わたしのほうもバレにくいように髪型を変えて伊達眼鏡(一葉の私物)をかけたりしてちょっとした変装をしている。
「睡眠時間は確保してるし、休憩もちゃんと取るようにするよ。……っていうか一葉のほうが忙しいんじゃないの? スケジュール管理どうやってるの?」
彼はドラマや映画の予定が途切れず入っているうえ、合間にCM撮影とかバラエティ番組への出演までこなしている。
とても暇とは思えない。
むしろわたしより忙しいはずなんだけど、
「私は慣れてるし。美桜ちゃんよりやることはシンプルだからそんなに大変じゃないよ」
「うそだ」
「ほんとだってば。移動はだいたい人任せだし」
「ああ、それは大きいかも」
わたしは仕事場まで電車移動が多いけど、葉くらいになると送り迎えが必ずつく。……っていうか男子は破格の値段でタクシー使えるから電車乗る意味があんまりない。
「移動の時は男の子が羨ましくなるよね」
「私は不便でも女の子がいいかなあ」
女の子そのものの表情で微笑む一葉。
心に決めた人がいなかったらどきっとしていたところだ。
「そっか。一葉のリフレッシュ方法はお洒落なのかな?」
「そうだね。幸せな気分になると元気が湧いてくる」
女装がストレス解消の手段でもあるわけだ。
彼女、もとい彼には大いに趣味に興じてほしい。
「ショッピングとかならいつでも付き合──えないのかあ」
「ありがとう。気持ちだけもらっておく。お仕事も大事だもんね」
「ごめんね。ありがとう」
気兼ねなく話ができるうえにお仕事の相談までできる相手、というのは本当に貴重だ。
「一葉とは大きくなっても友達でいられたらいいな」
心からの想いをこぼすと、少女は「そうだね」と頷いて──それから切なそうに目を細めた。
「でも、私はまだ大人になりたくないな」
どうして、と尋ねかけたわたしは彼が本当は男の子であることを思い出す。
女だって年齢と共に肌が衰えたり体型が崩れたりいろいろあるのに、男の子だったら猶更だ。まだまだ成長期の今でさえ少しずつ男と女の違いが現れて、女の子を装うのが難しくなっているはず。
元男なのに女の子であることを選んだわたしは、一葉の悩みを想像して寒気を覚えた。
たとえばわたしが元の身体に戻ったとして女の子をやれるかと言ったら……。それこそ誰かと入れ替わりでもしない限り無理だ。
美少女に見える容姿をしている時点で一葉──葉は勝ち組なんだろうけど、それでも。
「夏休みが三百日くらいあったらいいのにね」
気休めも慰めも言えなくなったわたしが代わりに口にした願望に、一葉は「そうだね」とおかしそうに笑ってくれた。