♂♀ 1:1世界の平凡高校生 ⇔ ♂♀ 1:100世界のハイスペ美少女 作:緑茶わいん
「広いホール……!」
「大したことないわよ、このくらい。もっと大きいところなんていくらでもあるし」
会場の外観を見渡すように立った僕は叶音の憎まれ口に苦笑した。
そりゃ、ドームとかに比べたら狭いのは確かだけど、ライブをする側からしたら夢の舞台の一つだ。
収容人数は二千人ちょっと。
五人組のユニットだから一人あたり四百人のお客さんを引きこまないといけないわけで、
「少なくとも推してくれてる人が四百人いるってことでしょ……?」
実際、会場に吸い込まれていくお客さんもちょっと数えきれない。
「まあ、そう考えると……。いやいや。四百人程度じゃぜんぜん足りないし」
ライブは複数日にわたって行われるわけなので実際はもっとファンがいる。
逆に言うとそれだけのパフォーマンス、魅力がなければお仕事として成り立たないということ。
「すごいね、声優って」
「ええ。すごいわよね、アイドルって」
実際に生で会場を見てその果てしなさに感動と脅威を覚えていると、お姉さんが「ほら、行きましょう?」と促してくれた。
お姉さんはどこか寂しそうな表情に見えた。
これからライブを見るっていうのにどうしてそんな顔をするのか、僕にはわからない。
「ああそうだ。はいこれ、ペンライト」
「あ、わたしも持ってきたよ、ほら」
事前に調べて買ったものを見せると叶音は「やるじゃない」と言った後で首を振って、
「でも、まだまだね。色が足りてないわ。私の予備も使いなさい」
別に使い分けないと駄目、というルールはないものの、個別色とグループ色、それから特殊なタイミングで使う専用色などがあって全部持っているのがベターなのだという。
それはバレンタインデーと同じ販売側の陰謀なのでは?
「古参のファンの中にはコーレスとかそのへんのマナーに厳しい人もいるから気をつけなさい」
「そんなことやってたら新規が入って来なくて廃れるんじゃないの……?」
「馬鹿。そんなことここで言ったらどうなるかわからないわよ……!?」
慌てて僕の口を押さえて辺りを見回す叶音。
大袈裟なような、そこまで言われるとさすがに怖いような。
「二人とも、トイレは平気? ちょっとでも不安なら行っておいたほうがいいと思う」
「あ、念のため行っておきます」
「私も」
ライブ開始までに時間があるうちに済ませておく。
男子と違って女子はトイレが近い、というのは美桜の身体になってから痛感している。そのくせ混むのだから理不尽だけど、この世界ではその辺はわりと配慮されているほうだ。
男子トイレは小さくてもそんなに困らないのでその分だけ広さや数を用意できる。
女子校に男子トイレが職員用くらいしかないのと同じで、文句を言われても「単純に人数比の問題ですがなにか?」と言えるのは強い。
「飲み物は事前に買ったし、ペンライトもOK。念のために双眼鏡も持ってきたし……ああ、あともう一回予習をしておこうかしら」
席に落ち着いたと思ったらさらにそわそわする叶音。
「あんたも、初心者なのは仕方ないけど、できるだけ周りに合わせなさいよ?」
「う、うん。なんか観に来た側なのに鬼気迫ってるね……?」
「当然でしょ。ライブは戦場なんだから」
「って言っても、この子も二回目なんだけどね?」
「お姉ちゃん!」
話している間にも会場内にはぞくぞくとお客さんが増えてきている。
ホールに響くのは女性たちの高い声だ。
今のところ汗臭いとかはないんだけど、その代わりに香水や化粧品の匂いが。
眉をひそめる僕の肩をお姉さんがとんとんと叩いて、
「美桜ちゃん、美桜ちゃん。これ、良かったら使って」
「マスク。……いいんですか?」
「もちろん、使い捨てのやつだし。ただ、息苦しくなるかもだから気をつけて」
この分だと、ライブが始まったら熱気も凄そうだ。
少し悩んでから、僕はギリギリまでマスクを着けておくことにした。
席はどんどん埋まって、開場の時間に。
鳴り響くBGM。
期待を盛り上げた上で登場するユニットメンバーに歓声が湧いた。
『今日は来てくれてありがとうございます!』
マイクを通して会場に届けられる声。
ざっと見た感じ、九割近くの席が埋まっている。
二千人近いファンから注目されるのはどんな感覚なんだろう。横目で叶音を窺うと、彼女は興奮から顔を真っ赤にしていた。本当にアイドルが好きなんだな、と思う。
お姉さんもライブに注目しているものの、こちらはなんだか複雑な表情。憧れに、嫉妬だろうか? 唇をきゅっと結んだままじっと視線を送っている。
僕もステージ上、そしてスクリーンへと視線を送ると、そこからはもう時間を忘れた。
声優やアイドルは上手ければいいわけじゃない。
奏先生が前に言っていたのを思い出す。
初めて生で見る「声優アイドル」のライブは会場との一体感によって作り出される、ある種の異空間だった。
きっと、同じ空間は別のメンバーじゃ作れない。
歌が上手いだけ、ダンスが上手いだけなら本職のアーティストを追いかければいい。
向こう側に立ちたいなら、技術だけじゃない「何か」を提供しないといけない。
今の僕には向こう側の景色はまだ想像できない。
今までの人生で一番の晴れ舞台は元の世界で小学生だった頃の合唱コンクールだろうか。
市民ホールでクラスメートと立ったあの場だってものすごく緊張した。果たしてあんな舞台に耐えられるのか。あんな舞台を望んでいいのか。
他の観客の真似をしてペンライトを振り、ステージからの声にレスポンスをしながら、僕は彼女たちを追いかける方法を考えていた。
「どう? 参考になったでしょ?」
ライブの演目をアンコールまで終えて静けさを取り戻す──かと思ったら別の喧騒に包まれた会場内で、まだ頬を染めたままの叶音が尋ねてくる。
僕は「うん」と深く頷くと笑って、
「すごいね。来てよかった」
「そうよね」
叶音も同じようにして笑った。
「まさか、怖気づいて『声優目指すの止める』なんて言わないでしょう?」
「言わないよ。一度やるって決めたんだから、そんなに簡単に諦めたりなんかしない」
僕は今までの人生で主役になったことなんてない。
香坂美桜という身体を借りて、というのが情けないけど、チャンスがあるなら挑戦してみたい。手を伸ばしてみたい。
平凡で、単調で、それが当たり前だと思っていた人生を変えてみたい。
だから。
「じゃあ目指しましょうか、アイドル」
差し出された叶音の小指を僕は真っすぐに見つめた。
指きり。
恥ずかしいにも程がある。高校生男子だったら冗談でも気持ち悪いところだけど、今の僕たちは女子小学生。そう考えるとセーフなんだろう。お姉さんも困ったように、けれどどこか微笑ましそうに僕たちを見つめるだけ。
仕方ないので自分の指を絡ませて約束する。
「目指すよ、声優」
自分の夢が相手とちょっと違うというのは譲らない。
約束しながら突っぱねられる、という体験をした叶音はむしろ嬉しそうにふっと笑って、
「やめてくれない? そうやって軽い気持ちでこの世界をかきまわすのは」
僕は、思いがけないところから来た思いがけない台詞に絶句した。
声が来たのは隣に座っているお姉さんのさらに隣。
ライブの間は特に注目もしていなかった他のお客さん──大学生くらいの一人の女性だった。