■
それから、グラスワンダーとライスシャワー、二人での練習が始まった。
といっても基本的にはライスシャワーの指導に集中し、それにグラスワンダーを添わせるような形になった。元より、彼女は来春まで大きなレースの予定もなく、ここしばらくは基礎的な練習を予定していたため、むしろ丁度いいくらいだった。ライスシャワーのような生徒と併走する方が、彼女の成長にも繋がるだろう。
二人の仲は、俺が見る限りではおおむね良好なようだった。予想通り二人とも、落ち着いた性格のため気が合ったのだろう。学園でも二人で一緒にいるところを、たびたび見かけるようになった。どうやら先輩・後輩としての関係も良好らしい。
目標である有馬記念に向けての調整も、滞りなく何一つ進んでいる。
……ただ、一つだけ気になることがあるとすれば。
「私はこれで、失礼しますね」
グラスワンダーが、普段よりも早く練習を切り上げるようになったくらいか。
「またか?」
「はい。ライスさんの練習に合わせていると、私の体力では足りなくて」
「…………そうか」
確かに、無理に付き合って体を壊されるよりは、よっぽどマシだが。
ただ、どちらかといえば彼女は、無茶をしてでもライスシャワーに喰らいつくと思っていたから、そこが意外だった。言ってしまえば……あまり、彼女らしくない。それこそ彼女は、同期の中でも人一倍、勝利に対して貪欲な生徒だ。だから彼女の振る舞いを不自然に感じてしまうのも、無理のない話だった。
「それでは、また。明日もよろしくお願いします」
「……ああ、お疲れさま。また明日な」
恭しく一礼をしてから、グラスワンダーがコートから立ち去る。
その後ろ姿を見送ってから、俺は手元のトレーニングメニューへと目を落とした。
有馬記念までの調整は、順調に進んでいる。というのも、ライスシャワー自身の実力が非常に高いため、大きな手を加える必要がない、というのが正直なところだ。それこそ、長距離において彼女の右に出る者など、この世代には存在しないだろう。そんな確信を得られるほど、ライスシャワーは強いウマ娘だった。
……菊花賞は最も強いウマ娘が勝つ、なんてジンクスがこの世にはあるが。
きっとそれは、こういうことなのだろう。
「グラスさん、いい人だね」
記録表に並ぶタイムを眺めながらそんなことを考えていると、ライスシャワーが視界の端から俺の顔を覗き込んで、そんな声をかけてくる。
「そうだな。練習にも素直に取り組んでくれる。扱いやすい生徒だ」
「あなたはもっと、言い方を選んだ方がいいと思うな」
くすくすと小さく微笑みながら、ライスシャワーが続ける。
「でも、そうだね。優しくて、言うこともきちんと聞いてくれる、いい後輩だよ」
「……気に入ったか?」
「うん。いいシュミしてる、って言ってたのは、まだ許してないけど」
「だから何なんだ、お前らのそれは」
年頃の女子が考えることは、よく分からん。
「……それで?」
「うん」
「まだ、お前は残って練習するんだろ?」
「もう少しだけね。だから、あなたも見ててくれると嬉しいな」
「そうか」
…………………………。
「当てつけか?」
休憩を終えて、コースに戻ろうとするライスシャワーに、俺は。
ついに耐えきれなくなって、そんな言葉を口にしてしまった。
「……当てつけ、って?」
「お前の担当だった頃、俺はお前の練習をちゃんと見てやれなかった。分かってる。お前は、俺のことを恨んでるんだろ? だからお前は、その恨みを晴らすために、こうして自分が練習しているところを俺に見せ続けてる。違うか?」
「まさか。ライス、そこまでヒクツじゃないよ」
「だったら、グラスワンダーを先に帰らせているのはどうしてだ?」
「………………」
言葉は返ってこなかった。だが、言い淀んでいる様子も見られなかった。彼女はただ、素っ気ない表情で明後日の方に視線を投げているだけ。ともすれば、呆れてものも言えないといったような、そんな表情を浮かべていた。
大人げないと思う。十八にも満たない子供に、こんな感情を吐露することなど。この光景を見る人間に見られたら、俺はトレーナーバッジを剥奪されるのだろう。
ただ、彼女の振る舞いには、そうした感情が潜んでいるとしか思えなくて。
だから俺は、前々から伝えられなかった言葉を、口にした。
「──すまなかった」
あの頃からずっと、伝えられなかった言葉を。
「……え?」
「別に、恨むなとは言っていない。むしろ、お前のその対応は当然のことだと思う。今だから打ち明けられることだが……あの頃の俺は、お前と向き合うだけの勇気がなかったんだ。俺は……お前に、中身のない言葉をかけることしかできなかった。そうすることで、安心してたんだ。お前のために何かしてやれている、と」
酷く傲慢で、独りよがりなやり方だと思う。到底、大の大人のすることではない。だが、そうでもしなければ、俺まで彼女のことを不幸な奴だと思ってしまいそうで。
「仕方がなかった、なんて今更、卑怯な言い訳をするつもりはない。お前の恨みは正しいものだ。気が済むまで、俺のことを恨んでくれて構わない。ただ……」
「……ただ?」
「頼むから、グラスワンダーにだけは迷惑をかけないでやってくれ」
そもそも原因が俺にあることは、理解している。こんな頼みをすること自体が、見当違いであることも。今の俺に、そんなことを言う資格がないことすらも。
それでも、これだけは伝えなければならないと、思った。
だって俺はトレーナーで、今はグラスワンダーというウマ娘の担当なのだ。
その成長の妨げになることがあれば、できる限りで是正しなければならない。
きっと彼女は、こんな俺を更に恨んでしまうのだろう。だが、それでいいんだ。好きなだけ恨んでくれて、構わない。彼女にはその正当な権利があるのだから。
だが、それで彼女の邪魔をすることだけは、どうかやめてほしい。
未来あるウマ娘ときちんと向き合い、その夢を後押しすること。
それが、今の俺が成すべきことなのだから。
……いや、違う。本当は。
そうすることで俺は、あの頃の清算がしたかったんだ。
「……ふふっ」
やがてライスシャワーは、そうやっておかしそうに笑ってから。
「あなたも相当、グラスさんのこと気に入ってるんだね」
「……ああ。そうでなければ、彼女の担当になっていない」
「一目惚れなのは、相変わらず?」
思えば彼女を選んだのも、ステイヤーとしての実力に未来を感じたからだった。
「でも、やきもちは焼かないよ。だってライスは先輩だもん。もう、子供じゃない」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
それから彼女は息を整えると、俺のことをまっすぐ見つめ直してから。
「ライスね、あなたのことは恨んでないの」
なんて。
「嘘だ」
「ウソじゃないよ」
俺の言葉に被せるように、彼女がそう返してくる。
それから、しばらくの沈黙が流れた。俺も彼女も、何も言葉を口にしなかった。だからこそ、彼女の発言が嘘ではないと、理解するしかなかった。
静寂と共に過ぎ去っていくのは、秋の終わりごろに吹く冷たい風で。
「でも、当てつけっていうのも案外、間違いじゃないのかも」
流れていく髪を押さえながら、ライスシャワーはそう笑った。
「だってライス、ずっとあなたと一緒にトレーニングしたかったもん」
「……俺、と?」
「うん。だからね、この時間はあの頃の埋め合わせだよ」
その言葉の意味が理解できないわけでは、ない。
おそらく彼女は、俺が向き合えなかったあの時間を取り戻そうとしているのだ。こうしてグラスワンダーを一人で帰らせ、俺と一対一でトレーニングを行うことで。そこまでは、分かる。改めて考えてみれば、当然の帰結だとも思う。
ただ俺には、彼女がそうするだけの理由が、どうしても分からなくて。
「そろそろ、冬だね」
問いかけるよりも前に、淡い茜色に染まる空を見上げながら、彼女が呟く。
「冷えるか?」
「去年よりは、暖かいよ」
「……去年より?」
「だって、ライスはもう一人じゃないもん」
そんな言葉を残して、トレーニングを続ける彼女の背中を。
俺はただただ、眺めることしかできなかった。
■
「お疲れさまです」
チームルームに立ち入ると、ソファーに座るグラスワンダーに声をかけられる。
「一人か?」
「はい。ライスさんは本日、急な用事ができたので遅れると」
「……急な用事?」
言葉を返したところで、机の上に置かれたライスシャワーの荷物を見つけた。
「つい先ほどまで、こちらにいらしたのですが」
「みたいだな。……どんな用事かは、聞いてるか?」
「急いでいるご様子でしたので、そこまでは……すみません」
「いや、いいんだ。戻って来るとは言ってたんだよな? それなら、大丈夫だ」
今が大事な時期だということは、誰よりも本人が一番理解しているはず。
その上で用事を優先したというなら、それなりの理由があるのだろう。
信頼と呼べるほどのものではないが、それくらいの認識はあった。
「そういえば」
言い訳じみた思考をしていると、彼女が思い出したように呟いて。
「私が来た時、ライスさんがこちらの記事を読まれていましたよ」
言葉と同時に、グラスワンダーからスポーツ紙を渡された。
一面には、昨月にあった菊花賞のことが、写真と共に記されている。
珍しいことではあった。確かに話題性に富んだレースだと思うが、それを一月も引きずっているというのは、あまり見たことがない。それこそ今は秋の天皇賞や、ジャパンカップについての記事で持ち切りのはず。
それなのに、どうして。
「今年の菊花賞は、悪い言い方をすれば荒れていましたから」
……ああ、なるほど。
「だから、あいつは悪役なんて似合わない名前で呼ばれてるのか」
記事の中で目についたのは、そんな単語だった。
由来はもしかしなくても、ミホノブルボンの三冠を阻止したことだろう。
彼女らの走りに魅入られた者たちが、相応しい二つ名をつけることはあるが。
これでは、あまりにも。
「あいつ、何か言ってたか?」
「いえ、何も」
……なに?
「本当か?」
「はい。眉一つ動かさずに、じっと読まれていましたよ」
「……そうか」
彼女の性格を考えれば、必要以上に落ち込むと思っていたが。
「そもそもの話には、なるのですが」
「なんだ」
「こんな記事一つで気分を悪くされるのなら、ライスさんは今頃トレーナーさんを選ばず、一人で塞ぎ込んでいらっしゃると思いますよ」
グラスワンダーが答えたのと、トレーナー室の扉が開かれたのはほとんど同時で。
振り返るとそこには、少し息を切らしたライスシャワーの姿があった。
「あら、ライスさん。用事はもう済んだのですか?」
「ううん、もう少しだけ。忘れ物っていうか、取りに来たものがあって……」
答えるライスシャワーの視線は、俺の──正確には、俺の持っている新聞記事を見つけたところで、ぴたりと止まって。
「……それ、ライスの記事だよね?」
「ああ」
「見てくれた?」
「一通りは。……お前が、どう呼ばれているかも」
「そっか」
すると彼女は、くすりと小さく笑ってから。
「なら、これはもう必要ないよね?」
俺の答えを待たずに、その記事をひょいと奪っていった。
「お前、何して……」
「そうだ、二人もいっしょに来る?」
「先程の用事ですか?」
「うん。トレーニングには、少し遅れちゃうけど」
「……いったい何の用事なんだ、それ。ちゃんと話せ」
半ば詰めるようになってしまった俺の問いかけに、ライスシャワーは。
「ブルボンさんの退院祝いだよ」
そう、答えたのだった。
■
連れてこられたのは、学園から離れたところにある、大きな公園だった。
離れた、といってもそこまでは距離が開いているわけでもなく、場合によってはトレーニングコースとして利用することも少なくない。また目立つ遊具もないため、子供の姿も少なく、よく言えば静かでのどかな、悪く言えば人気のなく閑散とした、そんな場所でもあった。だからこそ、練習するには都合が良かったりするんだが。
「その……こちらで本当に合ってるんですか?」
川沿いに設置された歩道を進みながら、グラスワンダーが不安そうに問いかける。
疑問に思うのも尤もだった。俺もはじめは病院へ向かうものだと思っていたから。
「大丈夫だよ。タンホイザさんが、ここでやろうって言ってたから」
「マチカネタンホイザが?」
「うん。ブルボンさんが退院したら一緒にお祝いしよう、って約束してたんだ」
彼女の名前が出てきたのは意外だったが、よく考えれば当然のことだった。
菊花賞という大舞台を共に走れば、それくらいの仲にはなるか。
「あ、お~い! ライスさん、こっちこっち~!」
やがて歩道を抜け、噴水のある広場に辿り着くと、遠くからそう声をかけられる。
そこにいたのは、こちらに大きく手を振るマチカネタンホイザと。
「……ライスさん」
車椅子に座ったままこちらのことを見つめる、ミホノブルボンだった。
「ごめんね、少し遅くなっちゃった」
「ぜんぜん大丈夫ですよぉ。私もちょうど今きたところですし。ねえ?」
「はい。およそ十五分ほどの待機時間でしたので、問題はありません」
「ちょっと、ブルボンさん! そこはハッキリ言っちゃダメですよ!」
「あはは……」
楽しげに話す彼女を見て、先程のグラスワンダーの言葉を今になって理解した。確かにあんな記事一つで落ち込むようでは、彼女は今、二人の前に立つことすらもできていないのだろう。そう考えると、俺は彼女のことを未だに何一つ理解できていない気がした。それこそ、彼女は俺のことをある程度理解しているはずなのに。
なんてことを考えていると、ミホノブルボンの視線がこちらに向けられて。
「ライスさん、その……あちらのお方は、もしかして」
「うん。ライスの今のトレーナーと、後輩のグラスさんだよ」
「……どうも」
遠慮がちに頭を下げてきたので、こちらも同じように返す。
「すみません。皆さんのお邪魔をするつもりは、なかったのですが」
「いえいえ、いいんですよぉ。むしろ、人は多い方が助かりますから!」
「……助かる?」
問いかけに、マチカネタンホイザは先程から抱えていた紙袋を見せて。
「実は、うっかり三人じゃ食べきれないくらい買ってきちゃったので」
「何をだ?」
「おいもさんですよぉ」
………………。
「もしかして……」
「落ち葉やアルミホイルの準備は既に、タンホイザさんがしてくださいました」
「ほら、もう秋も終わりますし! 今のうちにやっちゃいましょう、やきいも!」
おー、なんて一人で間延びした声を上げる、マチカネタンホイザに。
俺とグラスワンダーはただ、互いの顔を見合わせることしかできなかった。
「ブルボンさんはおいも、いくつ食べる?」
「二つほどお願いします」
「遠慮しなくて大丈夫ですよ。おいも、まだまだたくさんありますから!」
「……では、みっつ」
そんな俺たちを置いて、二人がどんどん積もった落ち葉に芋を沈めていく。
……何というか、まあ。
「退院祝いにしては、随分と逞しいな」
「……花より団子、というのはこういう時に使うんでしょうか?」
「確かに、そうかもですねえ」
グラスワンダーの呟きに答えたのは、マチカネタンホイザで。
「花束よりこっちのほうが、私たちっぽいですもん」
微笑んでそう言う彼女に、俺もグラスワンダーもそれ以上は何も返さなかった。
「それにしても、意外と早かったよね、退院。年明けまでかかると思ってた」
「本来であれば、それくらいの期間まで入院する予定でした。ですが、担当医から学園のリハビリ施設の利用を勧められて……こちらの学園の施設であれば、十分なリハビリも可能だと。ですので、このような早期の退院の流れに」
「そう考えると、やっぱりトレセン学園の施設ってすごいんですねぇ」
「……復帰はどれくらいになるって?」
「早ければ、来年の宝塚記念に。遅くても、秋の天皇賞の出走は見込めると」
「そっか」
素っ気ない答えだったが、彼女の表情には確かな期待の色が浮かんでいた。
「また、この三人で走りましょうね! ぜったい!」
「……ええ、そうですね。特にライスさんには、菊花賞での借りを返さなければ」
「私もそれまでに、強くなりますので! 二人を追い抜いちゃうくらい!」
「うん。期待してるね」
二人の言葉に、ライスシャワーが笑う。それはいつもの遠慮がちな笑みではなく、しっかりと二人の気持ちを受け取った友人として、そして同じレースを駆け抜けた戦友に送る、どこか勇ましさを感じる笑顔だった。
やがて準備を終えたマチカネタンホイザが、ライスシャワーに向かって。
「軍手、こちらに用意しておきましたので、どうぞ」
「ありがとう」
「それと、頼んでおいた火種の方は持ってきてくれましたか?」
「うん。新聞紙も、ほら」
「では着火の方、よろしくお願いします!」
「わかったよ」
そうしてライスシャワーは積もった落ち葉に──ではなく。
なぜか、俺の方に歩いてきたかと思うと、おもむろにその手を差し出してきて。
「ライター、貸してくれる?」
なんて、そんなことを突然、聞いてきた。
「どうして俺に」
「だってあなた、タバコ吸うから。持ってるかな、って思って」
………………。
「ちょっと待て。お前、いつから……」
「契約した時から、ずっと。お仕事終わった後にいつも吸ってるよね?」
「……見てたのか?」
「何回かだけ。それに……ほら。あなた、そういう香りするもん」
なんてことをはっきり言われて、思わずため息が漏れた。
ただでさえ、この学園は女子高なのだ。喫煙者など針のむしろだろう。だから、色々と手は打ったつもりだが、ウマ娘の嗅覚には何の意味もなかったらしい。
というより、そういう香りがするということは。
……まさか。
「まあ、趣味嗜好の範囲ですから……」
慌ててグラスワンダーの方に振り返ると、そんな困ったような言葉が返ってくる。
「お前ら、嫌なら嫌ってちゃんと言え。俺もある程度、自重はするから」
「イヤじゃないよ?」
「…………」
すぐに返ってきた答えに、俺は何も言い返せなかった。
だって、こうやって即答するときの彼女は嘘を吐かないと、理解していたから。
……まあ、というよりかは。
これ以上この話題について、深く掘り下げないでほしいというのが本音だった。
「……気を付けて使えよ」
「ライス、そんなに子供じゃないよ」
くすりと笑いながら、ライスシャワーは俺の渡したライターを受け取った。
そうして一度、火が点くかどうかと確認した後、新聞紙を取り出して。
「あ、それって……」
マチカネタンホイザの言葉を待たずに、その記事を丸め始めた。
「……よろしいのですか?」
「なにが?」
「いえ、ですから……そちらの、記事は」
「いいの。ライスは、これで」
会話を無理やり終わらせるように、ライスシャワーがライターに火を灯す。
じわじわと蝕むように広がっていく火は、やがて記事にある彼女の写真へ至り、瞬く間にその写真をただの黒い炭へと変えていく。浮かべていた遠慮がちな笑顔も、今ではもう分からない。もう二度と元に戻ることは、なかった。
その様子をライスシャワーは、口を閉ざしたままじっと眺めていて。
やがて積もった落ち葉の山へと、火種を投げ入れた。
それからしばらくは、誰も口を開かなかった。ぱちぱちと炎の弾ける音だけが、公園の広場に響き渡っている。白い煙が、秋の空へゆっくりと昇っていった。
「……変わりましたね、ライスさん」
続く静寂を断ち切ったのは、ミホノブルボンだった。
「変わった?」
「はい。少なくとも菊花賞を走る前のあなたは、こんなことしませんでした」
「……今のライスは嫌い?」
「まだ、分かりません。ですが、私は今のあなたと走りたいと思っています」
「そっか」
少しだけ嬉しそうに、ライスシャワーは微笑んだ。
「二人はもう知ってると思うけど、みんなライスのこと悪役って呼んでるんだ」
「ほんと、失礼ですよね。ライスさんには、お姫さまとかの方が似合いますもん」
「ありがとう。でもね、それも仕方のないことなのかな、って思ってる」
落ち葉の山を木の枝でかき混ぜながら、ライスシャワーが答える。
「……本当はね。ライス、みんなと走れるだけですごく嬉しかったの」
「嬉しい……ですか?」
「うん。だってライス、トレセン学園に入ったころは菊花賞に出走できるなんて、思ってもなかったもん。そのうえ、一着も取れて……本当はこんなことを言ったら、怒られるかもしれないけどね? ライス、ここで終わってもいいや、って思った」
おかしいよね、なんて廃れた笑みを浮かべながら、彼女が続ける。
「でも、終われなかった。みんな、ライスを悪役って呼んでたから。ライスは……ライスシャワーは、ミホノブルボンを負かしたウマ娘で終わりたくなかったから。だから……」
それは、あの日彼女の口から聞いた言葉だった。
「勝たなくちゃ、いけないんだ。ブルボンさんだけじゃなくて、他のみんなにも」
「……そしたら、また悪役って言われちゃうかもですよ?」
「いいよ、それでも」
マチカネタンホイザの不安そうな問いかけに、彼女は笑いながら。
「どうせならただの悪役じゃなくて、名悪役にならなくちゃね」
はっきりと、そう告げたのだった。
「ブルボンさんだけじゃない。他のみんなを負かすくらい、強いウマ娘になるんだ。……ひどいことを言ってるのは、分かってる。でも、ライスに残された道はもう、それくらいしか残ってないから。ライスはその道を進むしか、ないんだ」
「……自棄になってるのか?」
「かもね。でも、一人で塞ぎ込むよりは、そっちの方がよっぽどマシだよ」
「それ、は……」
返ってきたその言葉を、俺は素直に受け止めることができなかった。
これから彼女が進もうとしている道は、いわば覇道だ。向けられる軽蔑の視線や誹りを、全て自身の実力で捻じ伏せようとしている。そんな道を進ませることなど、トレーナーとして、そして何より担当として、認めるわけにはいけなかった。
けれど、それを否定できるだけの理由を、俺は持ち合わせていなくて。
押し黙ってしまった俺を見て、彼女は小さく微笑んでから。
「ごめんね。また、あなたに迷惑かけることになっちゃって」
「……謝らなくていい」
そんな強がった言葉しか返せない自分を、ひどく恨んだ。
「でもね、ライスはあなたがいい、ってずっと前から決めてたから」
言葉の意味を質そうとする前に──あるいは、それを遮るように彼女が続けて。
「そろそろ焼けたかな?」
「みたいですねぇ。あ、これとかいい具合なんじゃないですか?」
「ほんとだ。じゃあこれ、ブルボンさんにあげるね」
「……ありがとうございます」
そうして彼女は、拾い上げたサツマイモをブルボンへと手渡した。
……二人とも、何も言わなかった。いや、違う。言葉にする必要がなかったんだ。そうしなくても、彼女の意志の強さと覚悟の深さは理解できたから。それはきっと、菊花賞という舞台を共に走った彼女たちだからこそ、できることだった。
「……菊花賞は最も強いウマ娘が勝つ、か」
同じ舞台を走り抜けたあの二人だからこそ、信じているのだろう。
ライスシャワーというウマ娘の、確かな強さを。
「羨ましいんですか?」
ふと、グラスワンダーが俺の顔を覗き込みながら、そんなことを問いかけてきて。
「……何の話だ」
「あのお二人のように、もっとライスさんのことを知りたいのかと」
「どうしてそう思う」
「顔に書いてありましたから」
……そんなに考えていることが顔に出やすいのか、俺は。
「もう少し、ライスさんと仲良くされては?」
「充分してやってるだろ。あいつの無茶な頼みを聞いて、メニューも作って……」
「ですから、そうではなく」
「何だ」
すると彼女は、呆れたようにため息をついてから。
「贈り物の一つでも、されてみてはいかがでしょうか?」
なんて、妙に難しいことを提案してきたのだった。
「……………………」
「ご相談なら、いつでもしてくださって構いませんよ」
「……近いうちに、頼む」
そうやって会話を続けていると、ライスシャワーがこちらへ駆け寄ってきて。
「はい、グラスさんとあなたの分。それと、ライター」
「ありがとうございます」
「熱いから、気を付けて食べてね」
言葉を残して、彼女はまたあの二人の元へと戻っていく。
そんな彼女の横顔を眺めていると、どうしても疑問に思ってしまうことがあって。
「……今日はオフにするか」
「よろしいのですか?」
「お前も休んでくれていい。その代わり……ひとつ、相談したいんだが」
「あら、随分とお早いですね?」
「それとは違う」
「……というと?」
不思議そうに首を傾げるグラスワンダーに、言葉を続ける。
「あいつ、ずっと前から俺がいい、ってさっき言ってたよな?」
「ええ。はっきりとお伝えになられていましたね」
「……どうして俺なんだと思う?」
彼女からの答えが返ってくるのは、思ったよりも早くて。
「地獄へ共に連れていくのなら、トレーナーさんだと思ったのでは?」
「……何の冗談だ」
「ふふっ」
からかうように笑ってくる彼女に、深いため息をひとつ。
……やっぱり、子供の考えることはよく分からん。
■