「栗林さんから話が来たときはまさかとは思ったけれど、本当にこう来るとはね」
函館湾口、函館山の西で待ち構えていた彼女は、ヴィオの姿を認めるなりそう言った。
「悪い?」
「不審者じやないだけマシってとこ」
できればやめてほしいけどね、と言いながら、彼女は俺の方を見た。そして少しだけ驚いたように目を見開くと、俺の顔のすこし右側の方を指差した。
「それで、そちらの貴女。……その髪飾りは」
「ん? これか?」
彼女が指さしたのは、真っ赤な片仮名の「エ」の文字のような形をした髪飾りだ。気がついたときからつけていたものだから、そのままつけ続けていたが、どうやら彼女はこれに何か思うところがあるらしい。
「いえ、何でもない。ヴァイオレット号。彼女は?」
「ありゃ、知らなかったんだ。知ってると思ったのに」
「いいから、質問に答えてください?」
そう言うと彼女はヴィオにゆっくりと近寄った。それに押されるようにゆっくりとヴィオが後進すると、2人は俺を置いてそのまま追いかけっこをはじめたような形になって、そしてぐるりと湾口で円を描くように周遊してから戻ってきた。
「コアマ号。先程は失礼した。私はロセマ。その耳に覚えは?」
「いや、ない。横浜で初めて聞いた」
実際、ロセマなんてキャラは原作では……登場していたかもしれないが、記憶に残るような活躍はしてはいなかった、と思う。
だけど俺の答えを聞いたロセマの反応はどこか悲しそうで、うっすらと罪悪感が浮かび上がる。よく考えたら、コアマだって原作での描写はなかったんだから、描写のなかった者同士あのストーリーの裏で交流が本当はあったのかもしれない。そうだとしたら非常に申し訳ないのだが、それはそれこそ『俺』の知らない事であって、流石にここで嘘を吐くわけにはいかないのだ。
「……そうか。ヴァイオレット号、彼女を
「そうじゃなかったらわざわざ連れてくる? 連絡した上でさ」
「それもそうだな。で、
そしてロセマはくるりと向きを変えて、函館湾内へと戻ってゆく。そんな彼女に連れられるまま、俺達は防波堤を通り函館港に到着したのだった。
そしてその防波堤の切れ目からくるりと南へと進路を変えて、函館港の奥へ奥へと進んでいくと、そのどん詰まりのところに大きな船――摩周丸と記されている――が繋ぎ止められていた。その手前にある桟橋の下を潜って摩周丸の右舷側に到達し、ロセマが摩周丸に話しかければ、バタンと上の方で扉が開いて、そこから縄梯子がするすると降りてきたではないか。
「さぁ、こちらへ」
そのままロセマに続き縄梯子を登り、船内へと入る。床に線路が引かれているあたり、どうやら車両甲板のようだ。彼女は扉のすぐ横に立っていて、俺とヴィオが入ったのを確認したのち、慣れた手付きではしごを引っ張りあげて扉を閉めた。
そしてその車両甲板から階段を降りた先の船室に俺達は案内された。到着するや否や、ロセマはここならいいだろうと俺に問いかけた。
「さて、コアマ号。まず1つ重要なことを聞いておかなくてはならないね。――全てを思い出す覚悟はあるか?」
「全て、とは」
「全てとは全てだ。貴女が忘れてしまった事の中には、二度と思い出したくないと過去の貴女自身が封印したものがあるだろう。藍き方舟はそれすらも思い出させてしまう。もっとも、そのリスクはそちらのヴァイオレット号が一番良く分かっているだろうけれど」
そう言うと、ロセマはヴィオを睨みつけた。だがヴィオもそれは想定済みだと言わんばかりに、胸を張ってはっきりとそれに応える。
「知ってるよ。私自身わかっててコアマちゃんを連れてきたんだもん」
「ならばいい。さて、コアマ号。貴女が思い出す前に、伝えておかなければならないことがある。これは私達にとっては当たり前のことではあるが、それが十分に共有されていないのであれば、貴方が衝撃的な記憶に触れることになる可能性があるのでな」
そう前置きを置いて、ロセマは言った。タイヨーアライズはエゴイズムの集合体であり、そこにいかなる正義も存在しない、と。
「私とて、己のエゴイズムのためにタイヨーアライズに協力し、この津軽海峡での活動をしているに過ぎない。ヴァイオレット号、貴女も似たようなものだろう」
「当たり前じゃん! 正義なんてあやふやなものに縋っちゃったら、タイヨーアライズはなんにもできなくなっちゃうよ! 私達がやるべきことは、みんなを守る事、ただそれだけ。そのためには、どんな方法だって!」
「だからといって人の話押し切って強引に連れてったりするのはやめたほうがいいんじゃないか?」
でもまぁ、そういうことなのだろう。ヴィオが人の話を聞かずに勝手な行動をするのは。今のロセマの言葉でそれがようやく腑に落ちたような気がした。
……そして、サンヂヱゴのことも。
「覚悟はできている。サンヂヱゴの懺悔を聞いた時から。彼女は、彼女の目的の為に過去にコアマに度し難いことをしたんだってね」
だがそれでも、コアマがタイヨーアライズに身を差し出したという過去は変わらない。それも過去のコアマが望んだものだということも。ならば俺は、そのコアマの身体に入った者として、その決定を尊重し、方針を継続しよう。
そう決意を込めながら、ロセマの目を見た。彼女もまた、俺の目を見ていた。
「……そうか。覚悟はできているのだな。ならば行こうか」
そう言ってロセマが扉を開けると、ヴィオが真っ先に部屋から飛び出していった。ロセマは一瞬だけ顔を顰めたが、すぐに表情を戻した。そして俺が彼女の横を通った時、小さな声で俺を呼び止めた。
「何?」
「貴女はなぜ、感情を取り戻して尚タイヨーアライズに居続けるのか。私にはそれがわからない」
そう言うロセマの目は、どこか物憂げなものだった。
「さぁな。それすらも記憶と共に消えていってしまったさ。ただ俺の考えとして、過去にコアマがした約束や決定は、記憶を失っても決して覆ることはない、というものがある。それだけだ」
「そうか。だが……仮に、仮にの話だ。貴女が貴女の記憶に触れた後にタイヨーアライズを離れたいと考えるのならば、誰の反対があってもそうすべきだ。過去というものは、縛られるためだけに存在するものではないからな」
そして俺達は、ヴィオを追って摩周丸の外に出た。
この時の俺はまだ気がついていなかったんだ。ロセマが指さしていた俺の髪飾りのそのマークと同じマークを、彼女もまた身につけていたことに。