函館駅前からなぜか路線バスに揺られること2時間。俺達はロセマに案内されて、函館の東にある山、
『ご乗車お疲れ様でした、恵山御崎ィ〜、終点です』
わざわざロセマが俺たちをこんな東の方まで連れてきたのにはもちろん意味があるらしく、バスの中でいろいろと教えてくれた。曰く、単純に津軽海峡、特に函館湾の周りは商船も漁船も多く、また潮の流れも単純ではないためいろいろと不都合が発生するのだそうだ。それで俺達はこの東の果てまで、わざわざ路線バスで移動することになったのだ。
バスを降りると、そこは小さな漁港のある集落だった。今朝の漁から戻ってきたのであろう、何人かの漁師達がそれぞれの船で何かを作業しているのが見える。
「おや、ロセマ号じゃないか。見回りかい?」
「えぇ。なにか海に変なところはありましたか?」
ロセマはそんなふうに漁師何人かと軽く会話を交わしてから、漁港の
そして少しだけ沖へ出たところで、ロセマはこう告げた。
「漁業関係者の皆様方の話を考慮すれば、今日は少し東に出たほうがいいかな」
「そんなに場所が限られるものなのか?」
「場所は取りはしない。だがそこに長い間留まることになるから、流されたとしても邪魔にはならない地点へと赴かなければならなくてね」
そこから東へ進むことおよそ20分。恵山岬の灯台を西北西に見て、陸地からおよそ3海里ほど離れたこの場所でロセマは錨を投げた。どうやらここがちょうどいい場所らしい。
「コアマ号。貴女の記憶に、向き合う時が来ました。ヴァイオレット号はワッチヨロタム」
「R、まっかせてー!」
ドドドッと勢いよく、俺達から離れて、円を描くように俺達の周りを周回し始めるヴィオ。それを確認すると、俺の返事を待たぬままに、ロセマはただ一言つぶやいた。
「《
瞬間。海が、燃えた。
俺達の周り、ヴィオの周回より内側に、通る者の行く手を阻むように炎の壁が燃え上がったのだ。
あぁ、これが『技』か。コアマの身体で目覚めてからだいぶ経つけれど、ここまで派手なそれを見るのは初めてだった。
『技』とは神秘である。草木、火炎、土砂、金属、水流。あるいは――古今東西様々なものを己の手足として扱う能力。
それはかつて乗り物だった頃も、あるいは普通の人間には使役できぬもので、『成った』存在だけが手にすることのできる能力。これがあるがゆえ、タイヨーアライズは脅威から航行の安全の確保を行うことができるのだ。
しかしそれは逆に言えば、『技』がなければそれはできないということでもある。だからこそ、俺がタイヨーアライズの中でやっていくためにはその『技』をより強く、より洗練していかなくてはならないのだ。
「準備はできているかい、コアマ号」
ロセマがそう問いかけてきたので、俺は答えた。
「もちろんだ」
「よろしい。ならば、はじめよう」
そして、それは始まった。
ロセマの頭の上に、魔法陣のような、あるいは舵のような不思議な模様が青く光り出すと、その模様はゆっくりと回りながらどんどんと大きく、そして光は強くなっていく。
その真ん中に、ロセマは手を触れた。
「いでよ、《
模様の回転ははやくなり、波の音はいつの間にやら聞こえなくなる。どこからかか鐘の音が響いて、それが身体の中に染み渡る。
そんな雰囲気もあって、光に照らされて、そちらへと手を伸ばすロセマの姿はどこか神々しくも見える。
そしてロセマは、俺の方へともう片方の手を伸ばした。
「さぁ、コアマ号。貴女を貴女の記憶の函へと連れてゆく方舟はもうここにある。隠された記憶へとアクセスする覚悟はいいか?」
「よくなかったらここにいるか?」
「では……ボン・ボヤージュ!」
ロセマが俺に手を触れると、一瞬だけ吸い上げられるような浮遊感に襲われて――そして、俺の意識は暗転した。
次に目を開けた時、俺は真っ青な空間にいた。
どこまでも続く、何もない空間だ。――いや、ところどころに何かが漂っているような感じはしたが、その1つに手を伸ばせばその気配は溶けるようにスッと消えてしまった。恐らくほかのものもそうなんだろう。
「ここが、藍き方舟か? ロセマ?」
その呟きに答えるものは誰もいなかった。
だがそのかわりに、突然どこからか析出したかのように、眼の前に水色の立方体がなにもないところから表れた。それはゆっくりと回転しながら、うっすらと優しさを感じるような光を浮かべている。
これはなんだろうか? 俺はそれに意識を向け、近づこうとした。すると突然それは溶けて――同時にその体積を増やしながら粘土のように形を変えはじめる。それとともにだんだんとその発する光も強くなって、目を開いていられなくなってしまう。
そして、その光が収まり、再び目にすることができたそれは――。
「……俺?」
鏡を、水面を見るたびにそこに映り、いやというほど俺のものだということを理解させられ続けていたもの――コアマの身体が、そこにはあった。
だけどそうやって認識させられる俺とはいくつか違う点もあった。もっとも大きな違いは、そのコアマの頭の上。そこには天使の輪めいて、先程ロセマが出していた模様と似た模様が浮かんでいるのだ。
「いや……。お前が、本当のコアマなのか?」
しかし返事はなく、ただ虚ろな顔が俺の後のはるか遠くを見つめていた。それはまるで精巧な石像がごとく微動だにしない。
けれども、彼女の頭の上に浮かぶ円盤状の模様だけは、ゆっくりと回りつづけていた。
『藍き方舟からどうその保存記録を得るのか――それは人それぞれで、一律にどうこうというものではない』
ロセマはそうは言っていたが、一体この状態でどうしろというのだろうか。ただ、目の前にいる
「なぁ、コアマ。教えてくれやしないか? お前に何があったのかを」
しかしコアマは答えない。何も言わない。動かない。の頭の上を見れば時間だけは確かに過ぎていることはわかったが、ただそれだけだ。
「頼むよ。俺はお前のことが知りたいんだ。お前の身体を動かしている者として。お前が何をしたかったのかを。なぁ」
そう、頼みこむように俺はコアマの肩に手を置いた。
ヌプリ。
「……え?」
手を置いた、はずだった。それはあまりにも迂闊な行為だった。
置いたはずの手は、そのコアマの中へとめりこむように入り込み、強く引っ張り出そうとしても抜けやしない。
だがしかし、逆に力を加えれば簡単にズブズブと入り込み、藻掻けば藻掻くほどそうなってしまう始末。
「おい、どうなってるんだ、これ!」
そして、気がついた時には吸い込まれるようにそのコアマの中へと引きずり込まれてしまったのだった。