「『恵山岬灯台から方位――東南東105度。距離3カイリ5ケーブル』っと。時刻15時21分、ロセマがコアマちゃんに
津軽海峡の東の外れで、ヴァイオレットは周囲を警戒しながら航海日誌に記述を残していた。
ヴィオの背には、昼間にも関わらず漁火めいて海上に火柱が立っている。ロセマの《
もちろん事前にロセマから当局には連絡済みではあるし、ヴィオも無線で何度も事故によるものではなく意図的に制御されたものであることは呼びかけてはいる。そもそも津軽海峡ではロセマが一時的にこの技を用いて不審なものを閉じ込めることは珍しくもないことであり、周辺住民にとっては慣れっこのことだ。
そのためこの一見異様な風景ですらあまり騒ぎにはなっておらず、せいぜい函館空港にアプローチする航空機から撮影された写真が拡散され、インターネットで普段通りに小さな騒ぎになっている程度である。
しかしながら、事情を知らない者からすれば異常なものであると思われるのもまた事実。その火柱に向かって、人影が1つ、それを訝しんで近づいてきていた。
「おっと、そこのきみ。見えてると思うけど、近寄ったらどうなっちゃうかわかんないから近寄らないでねー」
ヴィオは近寄ってきたその者に気づき、そう呼びかけた。しかし彼女は聞こえていないのか、近づく速度を緩めない。
「はいストップ、ストーップ!」
流石に怪しいと感じたのか、ヴィオは『
これらの旗の意味を知らぬものは海の上にはいないだろう。もちろん、それぞれ『貴船の進路に危険あり』『貴船は停船されたい』を示す国際的な信号である。
だがしかし、それでもその不審者はヴィオの警告信号に従わなかった。ヴィオはため息を吐くと、今度は『SQ』の旗の下に更に『1』の旗を付加した。
これにより、その信号の意味は物騒な意図が追加されることになる。『さもなくば攻撃を加える』と。
それを見て流石に危機感を覚えたのだろうか、その不審者は速度を落とすと、ヴィオの前に停まった。
「その青と赤――切り欠いた『
「必要ならどんな手段を取ることも厭わないのがタイヨーアライズだよっ!」
そう言いながら、ヴィオはあげていた旗をしまって彼女の前に立った。
「それで、何の用かな、お姉さん?」
「妾としては、炎が気になっただけに過ぎません」
「そっか、ならなんでもないよ」
「えぇ。
次の瞬間、ヴィオの
ヴィオはといえばとっさに飛び上がってそれをかわして、空中で翻りながら姿勢を切り替えている。一見大きな隙の生まれそうなこの動きの中ですら、ヴィオはその目線を不審者から外すことはない。
「近づいたことで赤い炎に隠されていたものを見ることがかないました。かの青い光を」
「……そう。でもそれは無予告で攻撃する理由にはならないよね?」
「話をしましても、通すおつもりはございませんのでしょう?」
そして、2人の間に火花が散った。
ヴィオは着水するよりも前に錨を構え、そして水面を蹴ってその不審者へと近寄る。
それを彼女は片手で受け流すと、もう片方の手で反撃の準備をはじめた。
「《
「んなっ……」
一発。ただ一発、不審者はヴィオを殴っただけだった。にも関わらず、ヴィオは大きく弾き飛ばされることになった。それだけその一発が重かったのだ。
しかしヴィオに与えられた衝撃は、何も物理的なものだけではなかった。
「どうして――どうして、
しかし不審者は答えない。かわりにヴィオを弾き飛ばしたことにより隔てるものがなくなった炎柱との間に注目すると、ゆっくりとそちらへと向けて動き出す。
「『無視』、しないでよ、ねっ! 《タツマキヘル》!」
不審者の足元から勢いよく水柱が立ち、彼女は空中へと吹き飛ばされる。
しかしその間ですら、彼女は視線をヴィオにむけなかった。彼女はずっと見ていたのだ。その炎柱の中央の青い光を。
そして、そこに2つの人影を認めた。
その片方に注目すると、ニイッと笑みを浮かべながら着水。その着水地点と炎柱の狭間には、突き飛ばしたヴィオが戻ってきていた。
敵意をむき出しにし、錨を構えるヴィオ。そんなヴィオに向けて不審者は頭を下げた。
「感謝します。お陰で確認することができました」
「何をさ」
「そこにこのライスシャワァの
不審者――ライスシャワァの手から放たれる雷撃。とっさに動いて辛うじて躱したヴィオには当たらなかったそれは、その後ろの炎の中へと消えてゆく。
だがしかし、ヴィオもやられっぱなしと言うわけではない。これまで彼女があまり積極的に動かなかったのは、シャワァの動きを見るためだった。近接と遠隔への攻撃手段を確認した今、ヴィオは本格的に動き出した。
「お姉様、ねぇ。浦賀……じゃなさそー。ま、それは置いといて、それじゃ、《ウミヘル》」
青い海は今、ヴィオの領域となった――気がつけばシャワァの足は粘度の高い水に覆われ、まともに動くことすらできない。その一方でヴィオはこの粘着く海を自在に動くのだ。
続けてヴィオの鮮やかな錨撃がシャワァを襲う。上体のバランスを崩したとて、この海に倒れてしまえば次に一体どうなってしまうのか――その警戒感が、それだけでさらにシャワァの行動を縛った。ここからはじまるのは、ヴィオによる一方的かつ徹底的なシャワァの無力化、《チノイケヘル》である。
しかしその最中ですら、シャワァの様子にはどこか余裕があった。ヴィオはそれを訝しみながらも、確実にシャワァを拘束し――それを終えた、まさにその時のことであった。
ヴィオの後ろ、ロセマにより築かれた炎の壁。
それが、溶けるように崩壊した。