壊狂の女王、ライスシャワァ。それが彼女につけられていた渾名。
シャワァは
ならば、説得はできるはず。少なくとも、それすらわかっていなかった時よりは。何よりも、それを知っている俺には、しなければならないことがある。
「ライスシャワァ、と言ったな? お前の目的はわかった。ならばどうしてロセマに用がある」
「記録の残っていないほどの古の記憶に、妾共は頼らなくてはならないのです」
『黄金のソレイユ』はルドルフが成ってギリシャから帰国した2011年から始まる話だ。そしてその内容も過去の清算がメインのストーリーがゆえ、同じ作者の他の作品よりも少し古い時代の話になっている。ルドルフがタイヨーアライズの代表に擁立されて完結した時ですら、物語の始まりから10年しか経過していない。
何が言いたいのかといえば――今日の日付を鑑みれば、
「その記憶をもとに『
「何を言っているのだ、コアマ号……?」
波が立った。すこしだけ、シャワァの足元が動いたのだ。彼女の視線はわずかに、だが確実に俺の方へと移っている。
知らなかったなら話は別だった。だけど俺は知っていた。そして気がついてしまった。ならば俺は動かなきゃいけない。
ロセマとの間を遮るように、俺は割り入った。ずっとロセマだけを見つめていたシャワァの目は、今確実に俺をとらえている。先程までとは違う、強い目で。
「……貴女、どこまで知っておられるのですか」
少し低くなった声が俺に届く。
どこまで、ねぇ。俺が知っているのは、シャワァが真実の星夜を起こした結果として世界の理が書き換えられてしまうという描写だけ。その後はそっちの物語の方で対処こそされはするものの、結局書き換わってしまったルールはそのままで事実上の敗北を期す、というバッドエンド。
だが今なら、それを止める事ができる。
「さぁね。どこまでで全てなのかすらも知らねぇよ」
「いや、
違う。だがここで俺が原作の事を話してしまうのは良くないだろう。そう思って黙ってシャワァを睨みつけると、彼女はこちらを睨み返して、それから一歩俺の方へと踏み出した。
「ならば余計に頼らなければなりませんね」
先に決定的な動きを見せたのはシャワァだった。錨を振り回し、衝撃が飛んでくる。おそらくはロセマが使ってたのと同じ《
だが、こういう連続的で面積の広い攻撃というものは、得てして一点での突破がやりやすい。藍き方舟が見せてくれたコアマの記憶で彼女が何度もそうしていたように!
「たぶん、こうだぁっ!」
こうなれば、もうやるしかない。俺は錨を握りしめて前に突き出し、力を込めながら身体ごと前進する。飛んできた衝撃にぶつかったときには確かにこちらへと押してくる力を感じはしたが、それでもグッと力を込めて錨を前に押してやる。するとふとしたタイミングで向こうからの力は消えて、そして体の両脇を撫でるように何かが通過した。
俺はその勢いで距離を詰める。しかしその先端にある錨は、シャワァの錨によって受け止められてしまう。
だが、それでも。俺はシャワァの前にいる。表情が見えるほどに。
「なぁ、今俺を排除しようとしたな?」
俺は尋ねた。ようやく間近で見えたシャワァの目は虚ろだった。そして変わらない様子でこう答えた。
「妾共の目的の障りとなるでしょうから」
どうやらロセマを連れて行くというシャワァの目的は変わらないらしい。
「ならば、俺はそれを止める」
「そこにお姉様の意思はございまして?」
「関係ない。要するに、お前に彼女を渡す訳にはいかないってことだ」
錨と錨の鍔迫り合い。お互いの力が拮抗して動かない今、有利なのはどっちだ?
それは、もちろん。
「加勢するよ、コアマちゃん!」
数で勝る俺達の方に他ならない!
後ろから飛んできたヴィオは瞬く間に力の拮抗を崩壊させ、そしてシャワァを弾き飛ばした。
「いろいろ聞きたいことはあるけど、それは後。まずはアイツを拘束する……で、いいよね?」
「もちろんだ」
肩を並べて戦うのが初めてであるとはいえ、それは些細な支障にすらならない。何せヴィオはキロ86の戦い方を知っているし、俺はヴィオの戦い方を知っているのだから。
シャワァが俺に攻撃を加えようとすればヴィオがそれを妨げる。ヴィオの攻撃を受け止めようとすれば、俺の攻撃が容赦なく通る。仮にそれを防げたとしても、数を重ねるたびに俺たちが徐々に有利。
ものの数分もしない間にシャワァは両の錨をそれぞれ俺とヴィオに1つずつ巻き取られ、そして錨鎖により引っ張られる形でその場で動きを止めさせられることになった。
だが、それでもシャワァの平静は崩れなかった。その足のプロペラすら海の外へと引き上げられて身動きはほとんど取ることができないにも関わらず、彼女は落ち着いた様子で俺とヴィオとを交互に見た。
……何かがおかしい。そう思ったのも束の間のこと。
「《
いくらその攻撃が素早いものだと言えど、それは宙に浮き、目標地点も定まらぬままの不安定な攻撃。普通に考えれば、それが錨鎖を引っ張るために大きく離れている俺達に当たることはない。
だが――それは目標が離れていれば、との前提付きの話だ。シャワァが《鬢長雷撃》を打ったのは、
破れかぶれの自滅か? 最初はそう思った。だがシャワァの狙いが他にあったのを、俺は身を以て知ることになった。
錨鎖。それは金属でできている。
金属というのは電気を通しやすいものだ。空気や海水よりも、ずっと。
シャワァに着弾した雷撃は、そのまま錨鎖を走る。その錨鎖の先を持ち、海へと接地している俺達はどうなったか? 説明するまでもない。
雷撃を受け、麻痺して動けなくなった俺達と、そのおかげで錨鎖を巻取り自由を取り戻したシャワァ。結果として、一瞬の間に形勢は逆転してしまったのだ。
「これで障害は取り除かれました。後は方舟を迎えに行くだけ」
「待てよ、シャワァ」
俺は声を荒らげた。もはや敵ではないとみなされ、向けられた背中に向かって。
「お前がしようとしていることはロセマの拉致だ。どうしてそれが罪じゃないって言える? お前は罪を償うって言ってるのに、どうして罪を重ねるんだ?」
「……罪、ですか。確かに、ロセマ号の合意なきままに連れ去るのであれば、それは罪と言えるかもしれません」
「言えるかもしれないじやない。明確に、罪だろうが」
だが、それに対する反論は――意外なところからもたらされた。
「同意があれば、罪ではないのだな」
「……え?」
「許してほしい、ヴァイオレット号、コアマ号。こうなってしまった今、私は彼女が罪を重ねることに耐えられんのだ」
そうはっきり発したのは、ロセマ本人だった。
なぜ? その疑問が喉元から捻り出る。だがそれは、ロセマには届かない。
「来て、いただけるのですね」
「あぁ。だが藍き方舟を使うと決めた訳では無い。その選択肢は常に私にある」
「わかりました。それでも構いません」
ロセマは、シャワァの手を取ったのだ。余りにも想定外のその動きを、痺れていた俺とヴィオはただ見ていることしかできなかった。
「済まない。そして、ありがとう」
その言葉を残して、ロセマは大海原へと進んでいった。
俺達が動けるようになったのは、彼女達が水平線の彼方へと消えてから5分ほど経ってのことだった。