「シンガポールじゃないとして……どこに向かっているのかしら」
オリオンの抱いたその疑問はもっともなものだった。リゼの持ってきた資料によると、そのクィムガンが最初に確認されたのはベトナムのビンディン省の港町、クイニョンの近くであったとされている。
そして次に発見されたのはアナンバス諸島の北である。ここには、台湾とフィリピンの間のバシー海峡からシンガポールに向けて南シナ海を一直線に縦断する大幹線とも言えるシーレーンが走っている。ということは、そのクィムガンの動向として常識的に考えればこのルートに乗ってシンガポールの方へ向かい、マラッカ海峡を抜けてインド洋へと抜けるというものが浮かび上がってくる。だからこそ、俺達もタイヨーアライズの本部もそうだと考えきっていた。
だが、実際にそのクィムガンが次に見つかったのはシンガポールではなくタンベラン諸島である。アナンバス諸島からそこに向かうのであれば、これまた普通に考えるとそのさらに先のカリマタ海峡を抜けてジャワ海へと進む航路が思い浮かぶ。しかしその前の予測が外れていたことを考えると、安直にこれだと決めつけるわけにもいかない。
「そもそも、ジャワ海の方に行きたいんだったらアナンバス諸島の西じゃなくて、その東のナトゥナ諸島との間の方を通るはずだよね。アナンバス諸島までは来ない」
シンガポール周辺の海図を指さしながらタカサゴはそう指摘した。そこなのだ。クィムガンとて、最短経路ではなくわざわざこの航路に沿って遠回りをする必要はないはずだ。
「水深は……十分にありそうだわ」
水深があまりにも浅いのならば、そこを通れない船だって出てくる。クィムガンのような歪な形ならばより深さが必要になるかもしれない。だが、海図を見る限りではその線も薄そうだ。
……となれば。
「2つ思いついた。流されたか、
「うわ、いやな可能性引っ張ってきたね」
こうタカサゴが言うのも無理はない。本当にあのクィムガンが何も考えていないのならば、この海図に基づいた予測というプロセスは完全に莫迦莫迦しいものとなり、無意味に帰してしまうからだ。
「目的がないってのも十分あり得る。そもそもアナンバスの時だって近づくまで何もしてこなかったじゃないか」
「それもそうなんだけどね」
「それを推定するには、背景情報が足りてねぇ」
クィムガンは乗り物の幽霊のような存在であるとされている。仮にそれが不幸な最期を遂げた船の成れはてだとするのならば、本当にただ海の上でぷかぷか浮いていたいだけ――なんてのも不思議な話はないのである。
もっとも、近づいただけであれだけ激しい攻撃をしてくるようであれば、往来への危険を鑑みて処理しなくてはならないことに変わりはないのだが。
そう考えを巡らせていると、ものすごく言いにくそうにリゼが口を挟んだ。
「あー……。それなのだが」
「ん? 何かあるの?」
何か心当たりでもあるのか、それかクリティカルな情報でも掴んでいたのか。俺達は静かにリゼを見つめた。
「あのクィムガンの元になった船は……実はもう本部の方で同定が済んでいる」
「そうなの? このレポートには書いてないけど」
「機密情報だからだ。私とルドルフでそうしたんだ」
なぜ。その言葉を発する必要もなかった。ただ発言するだけだというのに言い淀んでしまうほどのリゼの深刻そうなその様子を見れば、内容の重大さは推して測れよう。
「俄には信じがたいものだ。さらに、それが真実であれば……」
ここでリゼの言葉は途切れた。それは言葉にするのを躊躇しているようにも見えた。
部屋の中に沈黙が訪れた。しかし今度はタカサゴもリゼを急かすことはせずに黙って見守っていた。
「……済まない、とても言えそうにない。だが、これを言えば私の言いたいことは伝わると思う。クイニョン近海であること、そして確認されたコールサインの2点から、まず間違いないと思われるのだが、残念ながらあのクィムガンは……かつての、
「それは……サンヂヱゴにとっ……て……?」
いや、待てよ。サンヂヱゴって確か、
だが、その
リゼの顔を見て、続けてタカサゴに目線を移す。俺達は出すべき言葉を失っていた。
「サンヂヱゴさんって、妹がいらしたのね……」
唯一オリオンだけが、言葉を失わなかった。だがそれは、無知によるもののような気がする。
「オリ、オン……」
「どうしたの? コアマさん」
「サンヂヱゴはな……妹だけじゃない。姉も、同じ仕事の仲間も。みな失ってるんだ。
なんとか言葉を紡ぐ。海でそこまで
「なぁリゼ。そのクィムガンが船として終わったのは……
あの時代を生き抜いた者ならば、誰だって知っている。サンヂヱゴが唯一の生き残りなのは――。
「……20年の1月だ」
――ルースの落し子の発生した26年10月よりも、ずっと前からのことだったということを。
「え? それって……」
遅れて言葉を失ったオリオン。どうやらようやく事の重大さに気がついたらしい。
「『前』だ。はじまりのクィムガン、ルースの落し子よりも、遥かに」
「そんな……あり得ないわ」
はじまりのクィムガン、ルースの落し子。その発生が文字通り全てのはじまりで、
そしてその前提があったからこそ、過去の海難事故や海賊などの被害をベースとした警戒区域の設定とそれに合わせた配置により、タイヨーアライズはクィムガンによる守るべき船への被害を抑えることができていた。これは横浜での研修の中で改めて聞かされていたことだ。
だが
「西太平洋が、危ない」
タカサゴが小さな声で、そうつぶやいた。