天井すら消し飛んだ船橋の真ん中で、リゼはその鐘を高く掲げた。そんな彼女の下へとリゼの向こうの煤だらけで真っ黒の瓦礫の山から飛び出してきたタカサゴと一緒に駆け寄って、そしてタカサゴが声をかけた。
「お疲れ、ライズちゃん。お見事だったよ」
「見事……か。正直に言えば、破れかぶれになって打った博打だった。上手く行って良かったと言うしかない」
「思いっきり捕まってたもんな。あのままだったらどうなってたことか」
クィムガンだってリゼを近くに引き寄せたのには理由があるはずだ。奴が何をしたかったのかは結局リゼが阻止したからわからなかったが、それが実現できてしまったとしたら事態は悪い方向へと向かっていたのは間違いがない。
しかしそのクィムガンそのものとも言える鐘が今は、リゼの手の中で静かになっていた。
「ライズちゃん。それ、ちょっと貸して」
「ん? あぁ」
タカサゴがその鐘を受け取ると、彼女それを横にしてその内側を覗き込んだ。
「……やっぱり」
「どうした?」
「ほら、ここ」
その鐘はそれほど大きくないにも関わらず、その内側は急にまっ暗闇になっている。それは鐘の向きを変えても、さらに言えばこっちから照らしても同じで、その内側は闇で満たされているようだった。
タカサゴは懐から包帯と布テープを取り出して、その鐘に蓋をするように開口部を塞いだ。
「これでよし、と。……リオちゃんは?」
「リオならあそこで転がっているな」
そう言ってリゼが指さした先では、煤だらけになって真っ黒なオリオンが今にも崩れそうな壁にもたれかかるようにして横たわっていた。さっきのオリオンの技で吹き飛ばされたんだろう。
「あちゃー、モロに受けちゃったかぁ」
「まるで真っ黒焦げなほどに煤だらけだ」
「それはコアちゃんもだよ?」
「えっ? うわ、本当だ」
スカート……はもともと黒かったからおいておいて、ソックスや上被も確かに真っ黒だ。
手で軽く叩いて煤を払う。少しでも叩くたびに服などから飛び出た真っ黒な炭素の粉が埃のように宙に漂い、ゆっくりと地面へと落ちてゆく。
「むしろコアマ号、貴女はどうしてケロッとしているんだ……」
そんな俺の様子を見ながら、リゼはそうポロリと零した。
「ケロッとって。ふっ飛ばされないように耐えるだけでも大変だったんだぞ」
俺は苦笑いをしながらそう答えた。しかしリゼは納得がいかない様子でいやいやと首を傾げている。
……なんでと言われても、結果論として耐えられたのだとしか言いようがないんだがな。何か特別なことをしたという訳でもないので、そこに理由を求められても答えられるものは全くない。
そこからさらに返す言葉も思い浮かばずに詰まらせていると、コツンとおでこを突っつかれる。タカサゴだ。彼女はにししと笑ってからポンと俺の左肩に手を置いて、未だ腑に落ちていないリゼに向かって言った。
「まぁコアちゃんだからね。ライズちゃんだって知ってるでしょ、『キロ86』の事は」
「確かにそうだが、それでも、だ」
「そもそもコアちゃんはね、戦前のきな臭ーい世の中で、政府が日本一の商船をって金に飽かして大事に造られたんだよ。ちょっとやそっとじゃ崩れはしない。もちろん絶対に倒れない訳じゃないけど、そうなるのは他のみんながみんな去った後、最後の最後にひとり、静かに倒れるんだ」
コアマの事なのに、なぜか自分のことのように誇らしげにタカサゴは言う。そのコアマの生い立ちは俺も知らないものだったが、まぁ自信たっぷりに話すタカサゴの様子、そしてコロンボからずっと俺に対して大きな感情を向けてきていることを考えれば、恐らくそこには嘘は無さそうだ。
そして「持ってて」と俺に鐘を預けると、まだ納得がいかぬといった顔つきのリゼを置いてオリオンの方へと向かっていった。
しかし、タカサゴが担いで連れてきたオリオンの様子を見た瞬間、俺の自分に対する疑問は大きくなった。
オリオンの様子は、それはもう酷いと言えるもので、無事だとはとても言いがたいものだった。五体満足を保っているとはいえ、身体のあちこちは切り傷や擦り傷でいっぱいだし、軽く見ただけでも打撲していると思われる所もいくつかあった。煤でコーティングされているから見えないだけで、恐らく火傷だっていくつもあるのだろう。
それと比べて、俺は。服だって汚れているとは言え、破れたり切れたりしているという訳ですらなく、肌も煤を払えばきれいなまんまだ。これがコアマという身体のスペックなのか? いや、身体はスペックで説明できたとしても、着衣はそれこそ無事なのはおかしいんじゃないだろうか? 頭の中をいくつもの疑問符が駆け巡った。
「コアちゃん、大丈夫?」
気がつけば、俺の顔の前には俺を覗き込むタカサゴの顔。どうやら思考の渦は相当深いところまで回っていたらしい。
「……はっ」
「あ、良かった。反応がなかったからさ。元気そうには見えたけど、コアちゃんだってやっぱりどっかやっちゃってたのかと」
「仮にそうだとしたら、いくら絶体絶命だったかもしれないとは言ってもリゼは明らかにやりすぎだ。現にオリオンだってだいぶひどいんじゃないか?」
「大丈夫。あれくらいだったら私がすぐ治すから! たぶん1週間もしたら元気になると思う」
……あぁ。そういやそうだったな。タカサゴはそもそも、治療が最も長けている分野だった。あのオリオンが長期離脱にはならずに1週間で治るってのは俄には信じられないが、タカサゴならば出来てもおかしくないな、と思わせるだけの力が彼女にはあるのだ。でもなぁ。
「だからって味方を巻き込んで負傷させるか?」
「それだけライズちゃんも私を信じてくれてたって事でしょ? 私ならどんな怪我でも治せるって。今までのタンゴ14だって、私が治せるからってけっこう無茶とかしてたしね。ささ、ジャカルタに戻ろっか」
そう言いながらタカサゴは俺の持っていた鐘をヒョイと回収すると、袖を引っ張って船橋の端のほうを指さした。
そこから下の海を見れば、リゼとオリオンはもう降りていて、ゴムボートの上にオリオンは横たえられていた。……スリランカでの俺もあんな感じだったのかなぁ。
それから俺とタカサゴも海面へと降りる。外に出る瞬間、タカサゴの胸に抱えた鐘がかすかに音を鳴らしたような気がした。
俺達がオリオンの乗るゴムボートを曳いて、クィムガンから離れた頃。急にまた鐘が今度は強く1つ音を鳴らして、そして大きく震えだした。慌ててタカサゴがそれをまた強く抑えつければ、間もなくまた鐘はうんともすんとも言わなくなる。
「ふぅ……。びっくりした」
安堵の声を漏らすタカサゴ。だがその後ろで大きな変化が発生していた。あの場所に残してきていたクィムガンの船体である。
いつの間にか、クィムガンの表面に小さな
パキリ。
そんな音が聞こえたわけではないが、そう形容したくもなる光景が目の前に広がった。広がった
次の瞬間。
その