「じれったいわね、これ……」
「ダメ! まだそこくっついてないから動かしちゃダメって言ってるでしょ!」
ジャカルタに戻ってから数日。オリオンの治療も恐ろしいほどに早く進み、彼女ももう普通に話せる程度には回復してきていた。タカサゴが普通に今借りているこの拠点の一室で治療をしているのもあって毎日昼休みにはお見舞いに訪れているのだが、来るたびに彼女が元気を取り戻しているのは明らかだった。
「……もう。スリランカでのコアちゃんのほうがまだ大人しかったよ?」
「あの時の俺はそもそも体を動かすことすらできなかったんだけどな」
「リオちゃんと違って内側までズッタズタだったからねぇ」
それで言えば、オリオンの負傷の程度はかなり表層的な負傷に限られていたようだった。とはいっても、素人目に見てもとても軽症だと言えるようなものでもなかったが。
しかしそんな見てもいられないような状態だったオリオンが、ものの数日でここまで回復するというのは、タカサゴの技術には脱帽せざるを得ないな、と思う。そもそも船だったとしたらあのレベルで外板が真っ黒こげなんかになったらドックインして数か月コースだし、人間なら言わずもがなの大けがだ。
タカサゴはこう言う。
「機械としてのメンテナンス性。生物としての自己治癒能力。その両方を兼ねそろえているのが私達なんだから。そりゃちゃんとやれば普通のその両方とは比べ物にはなんないくらい治るのは早いよ」
どうも俺達は生物における免疫の概念が緩く、外部からの移植の拒絶反応が起こることがあまりなく、組み込まれたそれを簡単に自己のシステムとして作動させうるという機械的な性質があるらしい。それでいて機械とは違って、摩耗や錆びつきを始めとしたある程度の損傷ならば放っておいても勝手に治るという生物的な自然治癒力も持ち合わせているため、的確に外科的手術を行うことにより比較的短期間での修復が簡単にできるらしい。
しかしそれを考慮に入れたとて、タカサゴによる治療が異常な早さなのは間違いない。そりゃ安心もするし、アリマサンの懸念だってさもありなんというところだ。
「待ちなさいよ。私だって気を抜いてたわけじゃないのよ? むしろコアマさん、アナタどうしてリゼのあの技をまともに食らってピンピンしていたのよ」
あの時リゼに聞かれたのと同じようなことを改めて聞いてくるオリオン。って言われてもなぁ。
「それは……経験の差?」
「それでどうにかなる問題じゃないわよ、ねぇ?」
オリオンはタカサゴに問いかけた。いやまぁ、俺だって出鱈目を言っているつもりはちゃんとあるんだが、どうやらそれじゃ誤魔化せはしなさそうだ。
「コアちゃんはねぇ……昔っから、頑丈だったよ、うん」
「ほら見なさいよ」
「いや、さ。そんな事を言われても自分が頑丈な理由なんて分からんものは分からないとしか言いようがないって言うか」
「諦めろ。私もお前が倒れている間に聞いたがコアマ号からは明確な答えは返ってこなかった。おそらく彼女自身もその理由はわかっていないのだろう」
そもそもである。確かに俺だって、実はコアマは耐久力は強いんじゃないかという疑いは持ってはいた。
するとタカサゴが大きなため息を吐いて、こう言った。
「そうだよね。コアちゃんだからって言うしかないよね。エクスレー41の面倒見に行った時もさ、他の子がガンガン怪我して治療に回ってたのにひとりだけなかなか来ないのがしょっちゅうだったもん、いっつも。コアちゃんってずーっと最前線にいたはずなのに」
それで不思議に思って検査を臨時にやったこともあるそうなのだが、結果はいたって正常の健康体で、一切の損傷がなく無傷同然だったらしい。ただ単に固い、ということだけがわかったのだとか。もちろん、実運用上はその理由なんてものはあまり問題にはならず、その事実の確実性が保証されていて信頼できるならばそれだけでいいのだが。
しかしコアマがそうだったのならば……いや、ちょっと待てよ?
「……なぁ、タカサゴ」
「なぁに?」
「あの日……スリランカでぶっ倒れた時、俺は何してたんだ? ちょっとそこがどうしても思い出せなくてな」
「あっ。い、今はリオちゃんの治療に専念しなきゃだから」
タカサゴの目は泳いでいて、あからさまにあたふたとし始めている。こりゃなんか隠してるな。誰が見たってそう思うような態度だ。
「そもそもコアマがエクスレー41を離れるということ自体の驚きに隠れてしまってはいたが、確かにそこには私も引っかかるところがあった。あのキロ86が、というのはな」
「ライズちゃんまで。……もう、わかったよ。今日の分のリオちゃんのオペと調薬まで終わったら話すから」
「言ったな、タカサゴ」
「ちゃんと話すって。その頃にはアリマさんだって着いてると思うしね」
……なんかこれでもだいぶ引き伸ばしにされているような気がするけれど、本当に大丈夫か?
そんな一抹の不安を抱えながら、俺達は引き続き本部に送る報告書の作成業務へと戻った。
そして夕方、アナンバス諸島からジャワ海へと至る長々とした報告書の方もようやく形になってきたころ。この日はスラバヤの方で一仕事を終えたアリマサンが俺達のいるジャカルタの拠点を訪ねてくることになっていた……のだが。
「どうしてアンタがここにいるんだい?」
「それはこっちの台詞だ。エクスレー41はどうしたんだよ?」
アリマサンはやってきた。それはいい。でもなんで
「どういうことだ、アリマ。なぜクアラルンプールにいる筈のコアマがここに居る」
「そんなに怖いお顔をされなくても。彼女はただ、そのクィムガンを追い続けてこちらまで着いていたに過ぎませんわ。それで言いますと、事情が事情ですからわたくしからキヨカワに連絡を差し上げたのはそうですけれど……どうしてサンヂヱゴ、貴女がスカルノ・ハッタ空港においでで?」
自分は知らないとでも言いたげなアリマサンだが、勝手にキヨカワを連れてくるだけでも大概ダメだと思うぞ? そもそも事前にそんな連絡受けてたか?
すると騒がしさに気づいたのだろうか、奥の部屋からタカサゴがやってきて、一言。
「聞いてないんだけど」
「おい。そもそもアリマサン、じゃあそのキヨカワはどこにいるんだよ」
「いるわよ?」
死角から当たり前のようにヒョコリと現れるキヨカワ。年齢を感じさせない程にエネルギッシュで、見ているだけで活力に溢れているのがヒシヒシと伝わってくる。原作の頃からタイヨーアライズという巨大組織の長とは思えないほどのフットワークの軽さをプライベートでは持っていた彼女だが、そんな枷から解き放たれた今はむしろ当時よりも生き生きとしているようにも見えた。
キヨカワはアリマサンとサンヂヱゴの肩に手を置きながらその間に立った。
「こうなるのがわかっていたのでしたら、事後報告といたしましたのに……」
「そもそも呼ぶなら一言言ってよね。来るなら来るなりにこっちにも準備ってものがあるんだよ?」
こればっかりはタカサゴに同情する。そもそも彼女はオリオンの治療につきっきりで、報告書の方なんかはほぼ俺とリゼに丸投げしていたくらいなのだ。こんな大物揃いの対応の準備なんてできている訳がなかった。
「まぁ、いいよ。とりあえずみんな中に入って。どっちにしろ、伝えなきゃいけないことだから。コアちゃんとライズちゃんは一旦待ってて」
そう言ってタカサゴはアリマサン達を奥の部屋へと案内した。そもそもアリマサンと回復したオリオンとを会わせるための来訪だったはずなのに、どうしてこうなるんだか。
少しばかり呆れながら待っていると、タカサゴの話が終わったのだろうか、ずいぶんと弱った様子のサンヂヱゴがやってきて、倒れるようにソファに横たわった。
「どうしたよ」
「妹の件、タカサゴから聞いた。途端に泣き崩れてしまって。済まないけど、もう動けそうにない」
俺はそれに何も答えることができなかった。そりゃ、知らない間に自分の妹が――それも生き別れて何十年も経った妹がクィムガンと化していた。そんな話を突然聞かされたら放心状態にもなるか。
「今からゴルフェに気持ちの整理のために休みを取ることを伝えようと思う」
「そっか……」
「亡き妹のためだから戦えているアタイみたいなのもいるんだ。アタイはアンタを絶対に許さない」
「おい待て、どうしてそうなる?」
その語気が変わったのを感じ取って、俺はサンヂヱゴの方を見た。彼女がその手に握っていたのは、タカサゴが無力化していたはずの彼女の妹の鐘。
「どうして、アタイに最後の時間をくれなかった。ずっとアタイの隣にいたアンタがそこにいたのに」
「お前にそんな余裕があったとは思えないし、そうする必要があるなら本部から聞かされることになるだろ」
「それでも! そういうことがあったんだったら、アタイはアンタからその言葉を聞きたかった。それにアタイはあの子の本当の声だって、一度でもいいから聞きたかった。どんなに歪なものだったとしても、その姿を一目でも見てみたかった。なのに形見として残っているのが、この鐘だけだなんて。認められるかい、そんなのは」
そしてサンヂヱゴは、その鐘を一度叩いた。何度もクィムガンの中で聞いたそれよりも軽く小さな鐘の音が響く。
しかしこれがきっかけになったのだろうか、想定していなかった奇跡が起きた。サンヂヱゴに返事をするように、鐘がしっかりと音を響かせたのだ。
「シウル、ナス……?」
続けてその鐘は弱弱しくも、しかし確かに紫色に光りだすと、サンヂヱゴの手を離れて宙に浮かび上がる。
しかし起きたのは奇跡だけではなかった。浮かび上がった鐘は、突然と俺の方に飛んできて、そして
ゴォン、ゴォン。鐘の音が響く。響いて響いて、俺の頭の中を埋め尽くしてゆく。
「あちゃー。そうなっちゃったかぁ」
薄れゆく意識の中で、そんなキヨカワの声が遠くに聞こえた気がした。