それからタイヨーアライズの保有するマンションに入居し横浜での拠点を整えて――どうもスリランカに行く前はサンヂヱゴと同居していたらしい――から、リゼの研修はすぐに始まった。
東京都大田区平和島、勝島南運河。
普段はボートレース平和島として使われるこの運河のどん詰まりに、リゼは俺を呼びつけた。
のだが……。
バシャン!
「……思っていたよりも重症だね」
「なんか……すまない」
リハビリのはずの軽い航走で、俺は旋回できずにバランスを崩して何度も何度も顔から海に突っ込んでしまっていた。原作ではみんな普通に動き回ってたのでそこまで難しいものではないと油断していたのだが、水上で思ったとおりに動くのは意外にもとても難しい。
そもそもの話だ。普通に考えて、なんで膝から下だけを水に入れた程度で浮いてしまえるんだよ。一歩引いて考えるとかなりおかしい。普通だったら首がそこらまで水の下にまで入らなきゃ浮かぶなんてことはできないはずだ。
……そりゃ、こんな時点で躓いてたら、当然上手く海を
「まさかあれだけの活躍をしていたほどの貴女が、これほどまでに舵取りに苦労するなんて思わなかったよ」
「身体は覚えてくれていると期待していたのが間違いだったらしい。俺のことは過去のコアマという色眼鏡を外して、まっさらな新人だと思って……」
「新しい子でもここまで酷い子はあんまりいないよ? とりあえず、一旦上陸してストレッチとか、そっちの方から入ろうか」
どうやら原作でも長い間新人教育をしていたとされているリゼから見ても、俺は初心者未満らしい。
ということで、陸に上がっての体操、ということになったのだが……。
「はいそのまま1、2、3、4、5……はい力を抜いて。うーん?」
リゼはまた、頭を抱えていた。
俺がバランスをとれなかったからじゃない。むしろ逆で、指示されたストレッチやバランストレーニングなんかは完璧にこなしていた。多少バランスを崩したのもあったが、それは例えばY字バランスで思ったよりも足が上がってしまうなどコアマの体の柔軟性が俺が思っていたよりもあったせいで多少ふらついてしまった程度のもの。限界を認知してもう一度やればそういったことにはならなかったし、全体的に見れば問題はまったくないといえるものだった。
ならばなぜリゼが頭を抱えているのかと言うと。
「陸上ではバランスをきちんと取れてるのに、どうして水上であんなことになるかな?」
そう、陸上で普通にバランスが取れているからこそ、かえって水上でバランスを崩してしまった理由がわからなくなってしまったからだ。リゼが言うには、バランス感覚の欠如で重心の位置をコントロールすることができずにあらぬところに行ってしまうのが水上でクラッシュしてしまう大きな要因なのだという。だがしかし
なら、もう1回水上へ……と、航ってみたのだが。案の定というか、またしても海面とキスする羽目に。どうして。
「実に奇妙だね。バランスが取れないわけでもないのに、どうして転覆してしまうのか」
運河の上で手をついて四つん這いになって上体を起こそうとする俺に手を差し伸べながら、リゼはそう呟いた。
「俺だってそれがわかってたらこんなに
「それもそうだね……んん?」
するとリゼは閃いたかのように手を叩いた。
「そうか、そこの可能性があるのか! 1つ、調べておいたほうがよさそうなものがあったね。一旦
そう言いながら、リゼは俺に
「……やはりか」
「何がです?」
「曳いていくときには、貴女は体勢を崩さない。そして自力の時も、直進ならば崩れていなかった。だとしたら問題があるとすれば――」
――舵だね。
リゼはそう、言い切った。
桟橋に上がると、リゼは俺の足元を見ながら20ノットでこのターンポイントを曲がるときの舵を取ってほしいと頼んできた。そしてそれを見るなりすぐに、
「それは取りすぎだね。そんな急旋回をしたら、転けちゃうに決まってる」
と俺が曲がれない理由を指摘してきたのだった。
「でも不思議なのは、私は何年も新入りの子を見てきたけど、いくら新入りの子だとしても自分の舵がわからないなんて子はほとんどいなかったんだよね。なのに貴女はわかっていない」
「それは……俺に記憶がないことと関係しているのかもしれない」
そもそも新入りといえども、タイヨーアライズに入ってくる子は元々が船で、何度も何度も航海を重ねてきて、どんな速度でどんな風に舵を切ればどれだけ曲がるのかというのが当然わかっている。バランスを崩すと言っても人型になったことでの体の動かし方の理解が進んでいない、という方向性でのミスになるのも当然だろう。
だが俺は逆だ。コアマの体の動かし方は解っているし、バランスはスリランカでのリハビリでなんとなく掴んではいる。だがそもそも船としての記憶がないから
それをリゼに伝えると、彼女は納得したふうに頷いた。
「記憶喪失だとそうなっちゃうのか。これは新たな知見だよ。あとでタカサゴとも共有しておかなければならないね」
そして、ならば舵取りのトレーニングだと、低い速力から徹底的にゆっくりとやり直すことになった。
その甲斐もあってか、俺はその日の夕方にはまだ全速力とまではいかないものの、ある程度は速力と曲がりたい半径、そして取るべき舵についてつかむことができたのであった。