ダンジョン・フラグメント   作:トラロック

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メメント・モリ
11 出会いのクロニクル


 その日、一柱の神が地上に舞い降りた。いや、落下してきた。

 神々は娯楽を求めて地上を目指し、独自の規則(ルール)を守る限りにおいて生活が保障される。

 その最初の一歩目から早速躓いて気絶した。しかも、迷宮都市(オラリオ)を目指していた()()()()()()()()にぶち当たるという風雲さ。

 いつもであれば危機を察知して避けられる筈が、偶々(たまたま)才能を失ってしまったばかりに失態を犯す結果となってしまった。

 

(……なんだ? 何に当たった?)

 

 灰色の髪の女性冒険者は頭を振りつつ辺りを見渡す。

 遠くにオラリオの城壁が見えていた。あと少しというところで何者かの邪魔が入るとは想定外、と軽く悪態をつく。

 原因となる存在は近くに倒れていた。

 黒く長い髪の女神。薄着で裸足。頭にタンコブを作って目を回していた。

 

「……女神、か? 空から、ということは降臨したてか……」

 

 口に出して感想を述べるのは癖の様なもの。

 発声は魔法を詠唱する魔導士(メイガス)にとっては大事なもの。常日頃から喉の様子を気にしている。

 彼女はそれほど口が達者というわけではないが、無口というほどでもない。

 それと地面で気絶している女神を無視するよりは連れて行った方が何かと利用できるかもしれない、とささやかな算段をする。

 これもまた(えにし)だ、と。

 女性の細腕とは思えない腕力にて女神を背中に担ぐ。

 

(……高い所から激突してよく無事だった。女神もそのまま地面にぶつかればそのまま送還されていたのではないか? その辺りはどうしているのだろうな)

 

 痛む頭は城壁に着く頃には治まった。

 検問の行列が続くが灰髪の女性は列に並び、のんびりと待っていた。

 以前であれば問答無用で押し通っていたところだが、事を荒立てるつもりは無く、けれども向かってくる障害は排除する心積もりだ。

 一時間ほど経って自分の番が来た時、偽名を使わず素直に答えると憲兵が大慌てで追加の人員を寄こし、武器を突き付けてきた。

 都市の防衛に割かれている冒険者の強さはせいぜいレベル(ツー)(スリー)止まり。

 軽く手を振れば排除できるが、あまり事を荒立てると先に入ったであろう甥っ子に迷惑がかかるかもしれない、と思い至る。――今の今まで忘れていた。

 少しだけ思案に暮れていると見知った人物が現われた。

 

「……地獄から蘇ってきたのか。復讐か?」

 

 ぶしつけな物言いで手甲を装備する女性冒険者は都市防衛を担う【ガネーシャ・ファミリア】の現団長シャクティ・ヴァルマだ。

 灰髪の女性にとって因縁の相手ではあるが当時の印象としてはその他大勢の雑魚の一人で、記憶にあまり残っていなかった。

 オラリオに来たのは冒険者として働く事で、ついでに拾った女神を届けようと思った、と。

 

「復讐される程冒険者の(てい)たらくが目に余れば……、似たような被害が出るかもしれないな」

「……私程度にお前を止められるとは思っていないが……。追い返す事が不可能ならば……」

 

 と、言いおいてシャクティは歯噛みする。

 残念だが自分の実力では敵わないと認めるしかない。今、この場には大勢の旅行客や冒険者志望の人間が居るからだ。

 戦闘が始まれば余計な被害が出る。

 

「ガネーシャをここに連れてこい。そうすれば嘘偽りかどうか分かるだろう? オラリオは勝った。勝者に従うのが流儀であるならば……、私はそれを尊重しよう」

「……分かった」

 

 確かに話しも聞かず、煩い雑音め、とは言わなかった。

 圧倒的な強者は言葉が通じない事がままある。(むし)ろ、大人しくしている人物は珍しい。

 シャクティは不本意だが都市防衛の観点から最も適した選択を取ることにした。

 その後、多少の騒動があったものの灰髪の女性は――監視付きだが――オラリオに入ることが認められた。これが毎回起きればさすがに手が出るかもしれない、と女性冒険者は思った。

 

 
 

 

 しばし時が過ぎ、冒険者を志す白髪の少年は街角で女神に出会う。

 暗黒期から七年。

 正義の使徒が地上に帰還し、森妖精(エルフ)の少女が闇派閥(イヴィルス)の罠から生還して五年。

 『学区』からオラリオに移籍してきた者達が根を下ろして二年。

 灰髪の冒険者が凱旋して数か月。

 毎年のように騒動が起きるオラリオがまた一つ新年を迎えた。

 多くの犠牲とたくさんの冒険者に支えられた都市は一段と賑やかさを増す。それと同時に暗躍する者達の胎動もいくつか。

 目まぐるしく変わりゆく上であまり変わらないものもある。

 天空に浮かぶ三つの大都市。

 『月の湖(メストリアパン)』と『白鷺(アストラン)』が双子都市として定着。

 最後の討伐対象『隻眼の黒竜』が住む『竜の谷』の攻防。

 モンスターが地上進出してから千年――

 

「……行く者、残る者。毎年の光景とはいえ神々は少しのんびりし過ぎではないかと思うんだよね」

 

 オラリオを見渡せる場所で一柱の男神がぼやく。彼の側には黒い甲冑を模した巫女服をまとった黒髪の女性が佇んでいた。

 彼女は異邦人の代表者の一人で神との交渉を請け負っている。

 冷徹にして落ち着いた表情からは何を考えているのか読み取るのは神でも難しいと評される程。

 

「俺達が望むのは英雄の活躍だ。だが、神が楽しみの為に作り出しては本末転倒……。待って待って待って、ただ待ち続けるのは精神的にもつらいが、全知零能に出来る事なんてたかが知れる」

「………」

「君達自身は大人しく活動しているみたいだけど、ずっとこのままかい?」

「何が言いたいのか分かりかねます、神ヘルメス」

「君達の主である御方とやらは面白い事はしないのかって話しだよ。千年くらい前にも尋ねた気がするんだけど……」

 

 異邦人がこの地、星に降り立って千年。その間にしたことは神々でも不明。

 何もしていないわけではない。地味すぎて面白みが無かっただけだ。

 だが、ここ最近は冒険者として少し目立つ行動が出始めた。だから、神ヘルメスは改めて尋ねた。何か面白いことを企んでいるのなら一枚噛ませてほしい、と。

 

「我々はただ見守るだけです。一部が何かをしていたとしても、それはその者の勝手……。御方が咎めないのであれば私達も咎める事は致しません」

 

 ただ、と女性は続ける。

 この地、この星を荒らす行為だけは許容しない、と。

 全てが平坦ではない。異邦人とて娯楽を望む。

 神々のように英雄を欲していないが文化に類するものは吸収したいと思っている。

 

 
 

 

 また別の場所で。

 正義の使徒を標榜する冒険者アリーゼ・ローヴェルは悩んでいた。

 気が付けば二十歳を超えていたことに。

 若い時代はあっという間に過ぎ去る。

 特に女性にとって年齢は何かと気になる問題だ。森妖精(エルフ)のような長寿の種族であればまだ幾分か気持ち的にも余裕があるのだが。

 

「みんな貫禄が出て来たわね」

「……黙っていても年齢は増えますからねえ」

 

 極東原産の緑色のお茶を飲みつつしみじみとゴジョウノ・輝夜は言った。

 かつて相対したレベル(セブン)とほぼ同年齢になった事について、少なからず思うところはある。

 それぞれ身長が伸びたり大人びた風貌になったり、全く変わった気配を見せない者も――

 

「……小人族(パルゥム)を馬鹿にされている気配が……」

 

 と、ライラは呟くも女性に年齢は微妙な話題だな、と。

 暗黒期から七年。現在までいろんな事件に巻き込まれた。怒涛の七年と言えばいいのか、二十年近くも生き残れたことに改めて喜べばいいのか。

 年齢不詳ってことにして無理矢理自分を誤魔化すべきか。

 

「男性冒険者なら味が出てきていい具合なんでしょうけれど……」

「小ジワが気になるお年頃……。ああ、気にしたくないのに鏡を見るのが辛くなる」

「やめて。益々元気が無くなるわ」

 

 時代を駆け抜けた【アストレア・ファミリア】は加齢問題に揺れていた。

 一般人から見れば二十代は冒険者として丁度いい年代だ。(むし)ろ、十代の内から死に物狂いで活動する方が問題だ。特に命を失うのが早い事に対して。

 アリーゼ達も一歩間違えれば暗黒期で死んでいた。いや、下層で出会った未知のモンスターに全滅させられていた可能性だってある。

 いつも命の危機にさらされ、それでも今まで生き残れたのは奇跡といっても過言ではない。

 

「……一番の問題は結婚ではないでしょうか?」

 

 古参の森妖精(エルフ)セルティ・スロアの意見に全員が黙った。

 気が付けば二十歳を超えている。それはいい。

 オラリオの平和を守るために奔走してきた正義の使徒とて恋の一つもあっていいじゃないか、と言ったのはいつの頃だっただろうか。

 主神アスレトアも恋や結婚に関しては寛容で好きにしなさい、と何年か前に聞いている。

 同じ森妖精(エルフ)のリュー・リオンはその度に不純、不潔と(のたま)ったが二十歳を過ぎたころから何も言わなくなった。

 当人も二十歳を過ぎて何か思う所があるのかもしれない。

 別に無理して結婚しなければならない理由は無い。

 一生独身でも構わないし、恋をしたり結婚したからと言って【ファミリア】を抜けなければならない掟は無い。――貞潔の女神たる【アルテミス・ファミリア】であれば厳しい沙汰が下されるかもしれないが。

 

「団長命令にするわけじゃないけれど、遠慮しなくていいのよ。オラリオに殉じろなんて言わないから」

「暗黒期を生き残った【ファミリア】でもめでたい話題は聞かねえな。……相変わらず【勇者(ブレイバー)】から求婚の知らせは来ねえし」

(……それは)

(一生無理では?)

 

 色恋沙汰の他に大きな変化があるとすれば新しい団員を受け入れた事くらい。

 歳は十代ばかり。若さのオーラにアリーゼ達も顔を手で覆うほど。

 (まぶ)しいまでの瑞々しさを自分達も持っていたのに、今はどこかに落としたまま見つからない。

 冒険者は入れ替わりが激しい職業と言われている。それはダンジョンに夢見て英雄を目指し、あっさりと命を失う。

 アリーゼ達も深層攻略において何度も危機に見舞われている。その時になって命の重みがのしかかってくる。

 自分達は後どれくらい冒険者として活動できるのか、考えないようにしたいが無視も出来ない。

 そして、今日もため息が漏れる。――その度に老けたかな、と思わないでもない。

 

 
 

 

 正義の使徒が現実逃避している頃、廃墟同然の教会を立て直すべくオラリオにやってきた灰髪の女性冒険者は簡素なテント暮らしを始めていた。

 改修工事が終わるまで宿暮らしをしようかと思ったが、人の居る場所は何かと煩わしいと思って閑静な場所に拠点を作ろうとして今に至る。

 【ガネーシャ・ファミリア】の監視があるが、それは別に構わず、目下のところは暗黒期の犠牲者への対応だろうか。

 自分に恥じるところは無いと自負している彼女は堂々と振る舞い、けれども手加減を交えつつ粛々とギルドに通っていた。

 歯向かう者は黙れ、の一言で事足りる。

 先日は因縁の相手である【アストレア・ファミリア】と相対した。だが、別に恨みがあるわけではないので軽い挨拶で別れた。

 

(……老朽化が激しいから工事が終わるのに一か月ほどか)

 

 正義の使徒との戦いから七年。

 ふと、時がそれだ過ぎた事を思い出す。

 (ちまた)の噂で目立った英雄の話題は聞かない。ゼウスとヘラに代わって二大派閥と言われるようになった【ロキ・ファミリア】と【フレイヤ・ファミリア】は堅実な活動以外は大人しくしていた。

 隆盛を誇っていた時代は毎日のように死闘が繰り広げられたものだが、今はギルド側がそれらを抑止している。

 無用の私闘を禁じているからだ。だが、冒険者の全てが仲良くなったわけではないし、暗躍も無きにしも非ず。

 正義と悪の胎動は何度も起きるものだ。

 

(……メーテリア。もうすぐお前を迎えに行ける)

 

 自分にとって心の拠り所で()()()双子の妹

 悪魔の様な者達との契約は既に果たされているが今の時代に彼女を迎え入れる事に随分と悩んだ。

 オラリオの外は今も変わらず脅威が拡散している。異邦人の存在によって進攻速度はゆるかになっているようだが、全てを任せるわけにはいかない。

 この地は自分達の者だ。余所者の手は借りたくない。

 だが、それを成す力が自分達には無い事もまた事実だ。

 

(ため息が増えたか。……歳は取りたくないと思っても時は止められない)

 

 先日会った小娘共も大人びた面構えになっていた。いつまでも若者として扱う事は出来ない。だから、小娘共、と言うのは(はばか)られた。

 彼らとて年を取り、次代に意志などを受け継がせる。

 受け取る側から託す側へ。それを思うと言葉が出なくなった。

 言いたいことは言った。全力でぶつかった。今更、もう一度同じことをしようとは思わない。

 後進に意志を託した今、彼ら彼女らを相手取るのは無粋だ。

 よって自分から背を向けて引き下がった。

 それが正しいかはどうでもいい。そんな事よりも灰髪の女性は別の事が気になって仕方がない。

 

 
 

 

 オラリオの中心にある中央広場(セントラルパーク)にて小人族(パルゥム)のリリルカ・アーデと森妖精(エルフ)のフィルヴィス・シャリアは()()である半森妖精(ハーフエルフ)のアンティリーネの到着を待っていた。

 鍛練については充分こなし、今はそれぞれが所属する【ファミリア】に収める上納金稼ぎに邁進していた。

 個人でも戦える強さになったが複数人による戦闘には(いささ)か不安が残る。

 

「なあなあで参加しているが別に強制ではないのだろう?」

「そうなんですが、アンティリーネ様は金払いが良いですし。週の半分は稼ぎ時でもあります。それを逃すわけにはまいりません」

 

 以前までなら毎日のように中層域に潜っていたが今は月に数回程度の探索に減っていた。

 アンティリーネの言い分ではやりたいことが見つからない。弟子は充分に強くなった。新たな弟子を見つけるにしても目標が無いと駄目よね、と。

 彼女の本来の本拠(ホーム)は商業地区として大きくなっており、冒険者としての仕事は(もっぱ)ら都市防衛くらい。外敵に対する以外は結構暇だと言った。

 主神ウィツィロポチトリもアンティリーネを自由にさせているし、眷族の多くが建築や商人ばかりだ。

 オラリオのようにダンジョンを抱えているわけではない、というのもある。

 黒髪の森妖精(エルフ)であるフィルヴィスは団員の多くが闇派閥(イヴィルス)の罠にかかり数人を残すのみとなった。

 再起を図る為にアンティリーネに師事し、彼女について回った。

 

(……あれから五年。未だに隊長が何を考えているのか理解できん)

 

 圧倒的な力を持っている。魔法も豊富に扱う。かの王族(ハイエルフ)すら足下に及ばない。

 それだけ恵まれているのにため息が多く、何だか満たされていない、そんな雰囲気が目立つ。

 強者と戦いたいと聞いた覚えがあるが、率先して喧嘩を売りに行ったりはしなかった。

 闘争を求めるなら闘国(テルスキュラ)に行けば叶うかもしれない、とうっかり零した事もあった。――後日に向かったらしいが帰ってきた時の酷くがっかりした顔は今でも思い出せる。

 全部女じゃない、と。

 この時初めて、隊長が男の強者を求めていたことを知り、平身低頭で謝罪した。――未確認だが闘国(テルスキュラ)に居る女戦士(アマゾネス)は全員のして来たとか。

 

「隊長も女だ。……言い分も理解できなくはない」

「……【猛者(おうじゃ)】と【ナイト・オブ・ナイト】意外に強そうな男性ってリリも存じ……。ああ、マーレ様が居りましたね。女装してますが」

「いや、あの方は駄目らしい。現地の強い男が目標とか」

 

 強者の候補にマーレは確かに居る。

 アンティリーネを軽々とあしらえる存在ではあるのだが、とにかくダメの一点張り。

 それゆえに彼女の条件に見合う強者というのは今のところ存在しない。

 といっても理想だから別に見つからなくてもいいし、居ないのであれば諦めると言っていた。

 二人が語り合っているところにアンティリーネが少し遅めに合流した。

 隊長の姿を見た二人はすぐさま背筋を伸ばして挨拶し、彼女も元気な弟子達に微笑みかける。

 強さを抜きにすれば性格的に温和な部類に入る。戦闘は確かに苛烈だが面倒見が良い事は確かだ。だからこそ、リリルカ達はアンティリーネの事を好ましく思っていた。

 

 
 

 

 ある時、念願の冒険者となった白髪の少年は地下に広がるダンジョンにて絶体絶命の危機にさらされていた。

 目の前にはレベル(ワン)では討伐不可能と言われている牛頭人(ミノタウロス)

 彼の二倍もの背丈があり、厚い筋肉に覆われた肉体を持ち、振るわれる力を一撃でも受ければ絶命は必至。

 少し調子に乗っていた自覚がある少年は行き止まりで振えていた。

 

(……こういう時、颯爽と助けてくれる人が……)

 

 物語ではそういう流れがある。だが、実際にそんなことがあり得るのだろうか。

 危機的状況は少年だけではない。数多の冒険者がダンジョンに挑み、志半ばで命を落としている。

 彼だけが特別に助かる補償など無い。だが――

 

 ()が良ければ起死回生の一手が打てなくもない。

 

 もし、彼が物語の主人公であれば運命を勝ち取るのも容易い。

 では、そうでなければ――

 壁を真っ赤に彩る塗料と化す。

 

(……武器は支給された剣だけ。他には何か無いか、何も……無い?)

 

 貧弱な『能力値(アビリティ)』に魔法一つ発現していない【ステイタス】で牛頭人(ミノタウロス)を打倒など出来ようはずもない。

 絶体絶命の危機に都合の良い能力が発現するならオラリオには大勢の英雄が生まれている事だろう。

 逃げ場のない通路の奥で来るかどうかも分からない助けに期待するのは果たして間違っているだろうか。

 そもそも、浅層に牛頭人(ミノタウロス)が居る事自体、異常事態(イレギュラー)なのだが少年はそんなことを考えている余裕はなく、ガタガタと小動物のように身体を震わせた。

 

(……倒せなくても攻撃を躱せば……)

 

 頭と身体は一緒に動ない。

 冷静な判断力が出来たとしても足腰が震えていれば一歩前に出る事もままならない。

 咆哮する牛頭人(ミノタウロス)の前に少年が出来る事は何もない。

 

 絶望の前には私でも無力になる。

 

 優し気なおばさん、いや、アルフィアお母さんの言葉を思い出す。

 希望を抱くのは現実からの逃避だ。だが、しっかり前を見ろ、と。

 お前の絶望が最後の光景から変わらなければ――

 

(……人生はとても無為で無駄だと自覚させられる)

 

 そして、それを否定できてこそ最初の位置に立つ資格を得る。

 英雄の作法を教えてやろう、という言葉はとても印象に残っていた。

 少年は自身に活を入れる。すると牛頭人(ミノタウロス)が一瞬驚て身体を止めた。

 モンスターとて冒険者が何をするのか怖いのかもしれない、と思うのはおそらく勝手な想像だ。

 すぐに気を取り直したモンスターは手に持つ武骨な大剣を容赦なく振り下ろす。それを少年は懸命に避けた。

 

(……がっ!? 瓦礫が……。でも、まだ大丈夫)

 

 撒き散らされる瓦礫が身体にぶつかったが、それだけだ。

 勇気を振り絞り逃走を図る。別に戦う必要はない。

 惨めでも生きてさえいれば――

 現実は残酷だ。希望など抱くものではない、と私は思っていた。アルフィアの言葉がまた脳裏に流れる。

 華やかな冒険者人生を歩まなかった、または歩めなかった彼女は後ろ向きな話しが多かった。

 

(こんな時に……、どうして悲しい事ばかり……。違う。現実がこうだから多くの冒険者は命を落とすって……)

「ブモォォ!」

(……モンスターは基本的に冒険者を殺しに来る。生きているだけで狙われる)

 

 彼らが手を止める時は冒険者が死んだ時だけ。だから――

 生きている間は何としてでも足掻け。立ち止まる余裕が無い事を知れ。

 少年は走った。走っていると思い込もうとした。きっと走っているに違いない。

 思うように身体が動かない。痛くて足が上手く動いているように思えない。けれども、モンスターから離れなければ殺されてしまう。まだ生きていたい。

 冒険者として始めたばかりなのに。

 

(……だ、誰か助けて。アルフィアお母さん……)

 

 その声にならない要望は果たして――

 背後の気配が一段と大きくなった時、確実に死を感じた。

 体感的には三〇分。実際には数秒でしかない出来事かもしれない。

 僅かな間に人生の大半をつぎ込んでしまったような奇跡の一幕はこれで閉じる。――そうなるはずだった。

 

「絶体絶命のピンチに駆け付けてこそ英雄的所業よね。これで昇格(ランクアップ)間違いなし?」

 

 いやに呑気で楽しそうな声が少年の耳に届いた。

 重い身体を無理に動かせばモンスターが灰に還る様子が伺えた。

 打撃。斬撃。魔法などの騒音がまるで聞こえなかった。

 一体どのようにしてモンスターを倒し得たのか。という事よりも少年の興味は別にあった。

 

「うわー。半死人……。辛うじて息してるってところね」

 

 少年は自分の身体がどうなっているのか分からなかった。

 自分ではモンスターから辛うじて逃げられた気がするのだが、移動距離が思いのほか短い。つまり逃げきれていなかった。

 少しずつ冷静になってくると自分が助かった、というのは想像の中の事だったようだ。

 身体の痛みで相手方の声が聞き取りづらい。何故だが身体が熱い。痛い。

 反応が鈍い少年の様子に危機感を覚えた救い人は何がしかの詠唱を始め、彼の傷を癒す。

 極度に疲労した為か、少年はそのまま意識を失ったようだ。

 

「……あ、あの……」

 

 そこへ新たな人影が現れる。

 背中にかかるほどの金髪に不安そうな金色の瞳の女性冒険者が()()()()()に向かって必死に弁明しようとするも言葉が出てこない。

 自分達の失態で見ず知らずの少年が危機に陥った。その責任をどう取ればいいのか、不安げな顔で佇む。

 もし、運命が別の形を取っていたならば少年は金髪の女性によって鮮やかに助けられたかもしれない。

 あるいはモンスターにそのまま殺されて彼の人生はそこで終わっていた。

 正しい選択肢は無い。これはありえたかもしれない『記録(クロニクル)』の一つ――

 そこに美談は無く、歴史に残る事も無い。そんな失われていく物語が確かに存在する。

 白い薄絹を被り、白銀の様な戦闘衣(バトル・ドレス)をまとう女性は慈愛に満ちた顔で少女を見据える。

 

「私はまだ本調子というわけじゃないから、後の事は任せてもいい?」

「……うん」

「じゃあ、この子は……。ここまで潜れるなら自力で帰れるでしょう。何なら地上まで見送ってあげて。歳も近そうだし」

 

 そう言うと金髪の少女は頭を下げた。

 口下手だが今の反応では引き受ける、と見ていいようだ。拒否ならはっきり言ってくる。

 白い髪の女性は二人と別れ、地上を目指す。

 薄絹を被った彼女に護衛は必要ない。長い療養と並行して【ステイタス】の増強も図ってきた。その結果、虚弱にもかかわらず第一級冒険者としての力を得るまでに至った。もちろん、彼女の努力の賜物だ。

 

 
 

 

 少年が冒険者になる少し前、地上に降り立った女神は宿無し状態だったので知り合いの伝手を頼りまくった。元々、自堕落な性格だったためか、殆どの神々に断られ、最後に頼ったのは鍛冶を司る女神ヘファイストス。

 ただ、明日から本気出すと言い続けて何もせず、ついには追い出される始末。

 天界では通用した方法論も地上では全く役に立たない。

 

「……というわけで、こいつをここに住まわせてあげて」

 

 と、改修工事中だった教会に自堕落な女神の首根っこを掴んで持ってきたヘファイストスは言った。

 近くでテント暮らしをしていたのは灰髪の冒険者アルフィア・クラネル。

 唐突な物言いに彼女は眉根を寄せた。

 

「………」

「寝泊まりくらいで構わないから。それでも何もしないようだったら……。叩き出していいわ」

 

 赤い髪に眼帯を付けた女神ヘファイストスはため息に似た吐息を吐きつつ手に持った自堕落な女神を突き出す。

 長い黒髪に薄着の女神の名はヘスティアという。先日、アルフィアの頭に落ちてきた女神だ。

 

「家賃三か月免除でどう?」

「それよりもこいつに支払い能力があるのか? 不要な家族を養う気は無いぞ」

「残念ながらあるとは言い難いわね」

「なんだよ、みんなして。ボクにも眷族が出来ればじゃんじゃん稼げるはずなんだ」

「……稼ぐのは眷族だけど、貴女に眷属(子供)達を導く才能なんてあったかしら? 言っとくけど、この子(アルフィア)は既に『神の恩恵(ファルナ)』を授かっているからね」

 

 ヘスティアは目の前に鎮座しているアルフィアを見つめる。

 神の目には様々な事柄が映し出される。ただ、正確なものではないため、所属【ファミリア】までは見通せない。

 アルフィアはヘファイストスを見つめた。ただし、両の目蓋は閉じていたが。

 おそらく眷族を手に入れて真っ当な【ファミリア】運営をさせたいのだろう。その為には街中に放り出すしかない。しかも怖い監督役の居るところに。

 ヘファイストスのお眼鏡に適ったのがアルフィアというわけだ。

 

(……これでは立場が逆ではないか。……いや、それほど間違ってもいないのか)

 

 【ファミリア】は様々な事柄を司る神の下に向かい眷族してもらう。その見返りにダンジョン探索などで稼ぎを上げ、それを生活費などに充てる。

 冒険者は基本的に自由な職業だ。しかし、明確な目的の一つに『隻眼の黒竜』を討伐する、というものがある。その為にはダンジョンに潜って多くのモンスターを倒し、強くなる必要がある。

 強くなるまでは確かに自由気ままに暮らす事も出来なくはない。

 眷族にしてもらった見返りに神の要求を聞く事も仕事の内だ。

 

「……それで、神ヘスティア。貴様は地上に降りて何を為したい?」

「……随分と傲慢な子だな。ボクはみんなで楽しく過ごせればそれで満足さ」

 

 そう答えた瞬間にアルフィアの表情はより険悪になった。ヘファイストスも少しだけ呆れた。

 お気楽な返答自体は理解できなくもない。けれども、ダンジョンという死地に眷族を向かわせる【ファミリア】の主神としての答えとしては無責任極まる。

 思わず脳裏にゼウスとヘラの薄ら笑いが浮かび、魔法を詠唱する所を寸でのところで自制した。――彼女が手を前に出そうとしたところをヘファイストスは見逃さなかった。

 

「甘ったれるな!」

「うわっ!」

(もっと言ってやって)

 

 その後、冒険者とはどういうものか。

 オラリオや世界の現状についての理解度の低さを懇々(こんこん)と説明し、女神としてやらねばならない仕事に就いてはヘファイストスが補足した。

 後半から地べたに正座する形で説教を受けたヘスティアは小さくなって涙を浮かべていた。

 最後に世間の厳しさを身をもって知る為にいくつかの仕事先を紹介し、それをやめずにいる限り教会での寝泊まりを許可した。

 アルフィアとしては断りたかったがヘファイストスには借りがあるので仕方なく請け負った。――家賃の三か月免除は忘れずに貰っておいた。

 

 
 

 

 天界に住まう神は全知全能と言われ、それらが地上に降りれば全知零能に成り果てる。それは時と運命を司る神であっても同様に。

 神々が自ら定めた規則(ルール)であっても抜け道や破ろうとする者が居ないとも限らない。

 全知であっても未知を求める。長い時を生きる神々は常に娯楽に飢えていた。

 今回は異邦人の参加で人類の世界に変革が起きるかと期待したが、残念ながら目に見えた変化は観測できず。けれども、小さくない変化は確実に起きていた。

 分かりやすい例が『位階魔法』だ。

 神が規則(ルール)に縛られているように異邦人も独自の規則(ルール)で自らを律している。

 対価を払えば誰でも魔法が扱える、と思われがちだが実のところは違う。

 厳格な規則(ルール)(のっと)って与えるべき人物に渡している。知らないのは当人のみ。

 

「神エニュオ。去年は稀に見る平安でしたね」

 

 『ナザリック地下大聖堂』の奥にある玉座に座する一柱の神エニュオに(かしず)くのは仮面を被った冒険者キーノ・ファスリス・インベルン。

 【ミディール・ファミリア】団長ではあるが仮面を被る女神エニュオを信奉――というよりは象徴として敬っている。

 

「……平安だったかしら?」

 

 小首を傾げつつエニュオは疑問を呈する。

 外界の情報が集まりにくい施設に居るが女神は基本的に外で活動している。隠れ蓑、という意味で言うならばどちらが本当の神の姿なのか。

 迷宮都市(オラリオ)は良い意味でも悪い意味でも慌ただしい。世界から常に狙われている面もあり、悪の暗躍も少なからず存在している。

 

「大局的に見ればいつも通り……。それに我らが一人勝ちするのは神々にとって面白くないでしょう。……そういう目的でこの地に降り立ったわけではありませんが……」

「分かっていますよ。貴女方の努力は……。けれども、人々の我慢は限界に近いと思うの。その時になれば貴女達にも働いてもらいますよ」

 

 穏やかな口調でエニュオは言った。元より地下世界に君臨する女神エニュオは非常に温和な性格だ。

 苛烈さは無く、慈愛を感じさせる。

 キーノは恭しく一礼する。

 

「……でも、そうね。確かに平安だったわ」

 

 エニュオは地上に思いを馳せる。今年はどんな事が起こるのか、秘かに楽しみにしながら席を立つ。

 キーノは黙って彼女を見送った。

 それからしばし時が過ぎた頃、オラリオの中央広場(セントラルパーク)にて異界の門が開かれる。

 人も神も異邦人も予想しえなかった異変に一人の少年が関わる事になるとは――けれども、それは未来の一つ。

 英雄を巡る戦い。復讐劇。過去の清算。

 目まぐるしく変わる混迷の時代。その火蓋は既に切って落とされているのかもしれない。

 キーノは仮面を外す。額に浮かぶ第三の目には何が映っているのか。何が見えているのか。

 ここより始まるのは血塗られた復讐の残滓。

 『記録(クロニクル)』にのみ記される――【異界復讐譚(メメント・モリ)】――

 

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