最終的におっぱいが全てを解決する   作:星組

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パパ味とママ味の狭間にて

 泊めてくれ。

 五反田泰志の元に、星野アクアが訪ねてきたのは、特に変わったことのない、ある夜のことだった。

 

「……お前、どうした? 大丈夫か?」

 

 別にアクアが突然やってくるのは珍しいことではない。ある時には終電。またある時には仕事上での情報整理の為に。他にあったといえば、アクアが倒れた……等。

 利用法は実に様々だ。まるで緊急時の避難所のように使われている感じは否めないが、五反田自身はアクアが早熟だった頃から、彼とのやり取りを純粋に楽しんでいる面もあるし、一映画監督としてアクアの行く先が気になるという感情もある。

 だから、たとえどんな厄介事でも、ある程度ならば受け止めてやりたいと思っているし、協力も惜しまないつもりだった。しかし……。

 

「(目の下にくま。髪や肌も……どうにか誤魔化しちゃいるが、いつもよりだいぶ荒れている。何よりも……全身から疲れが滲み出てやがる)」

 

 いつだってアクアは隙のない少年だった。それが、ここまで疲弊するのは、明らかにただ事ではない。

 

「とにかくあがれ。何があったのかは……話していいなら話せ。聞いてやる」

「……ありがとう」

「……重症だなオイ」

 

 こんなに素直なのもまた初めてだった。本当に何があったのだろうか。

 少し戦慄しながらもアクアを自室に案内する。着いた瞬間にアクアは周りを見渡して、丁度作業に来た時に当人が仮眠のスペースにしている一角を指差した。

 

「布団でもなんでもいい。一度、眠ってみてもいいか?」

「……特別に俺のベッドを貸してやる。高級マットレスと、個人的にお気に入りなメーカーの低反発まくら。スーパーコンボだぜ」

 

 オッサン臭いのは我慢しろ。それだけ告げて、フラフラしているアクアを横にする。

 ただ眠かっただけなのだろうか? もう家に帰るのすら不可能な程に睡眠不足だった? 自分のこととはいえ、わざわざパフォーマンスを落とすようなスケジュールをアクアが組むだろうか?

 

「(……場合によるかもな)」 

 

 感情演技の精錬の為に、自分のトラウマを掘り起こすような奴だ。必要なことならば、平気で自分を削るだろう。

 そういう危うさが彼にはあって……。

 考えても分からないので、仕事を再開することにした。立て込んでいる訳ではないが、片付けてはおきたいことでもあったので、五反田は黙々と作業を進める。

 十分程経った辺りだろうか。そういえば『十五年の嘘』についても少し話があったことを思い出す。彼が起きたなら少しだけ時間を貰って……。

 静かに寝息を立てていたアクアが呻き声を上げて魘され始めたのはそこからだった。

 

「っ……! あ……!」

 

 苦しげな呼吸を繰り返しながら、アクアはカッと目を見開くと、冷や汗をびっしょりとかきながら跳ね起きた。

 

「フッ――、はぁっ……はぁっ……」

「オ、オイ……お前……」

 

 何と声をかけたらいいか、五反田は分からなかった。たびたびパニック発作を起こすことはあった。

 だが……ここまで短いスパンで起きるものだっただろうか?

 

「……直近の仕事で、感情演技を連続で使ったか?」

「……違う」

「なら、トラウマを引き起こすような要因にでもぶち当たったか?」

「近いものはあったが……違う。寧ろいいこと……の筈なんだ」

「いいこと、ね。……何が、あった?」

「……わからない。それが関係してるのか、してないのか。寧ろ、今こうなるのがおかしいんだ。だったら、昔の方がこうなってもおかしくない状況だった」

 

 かつての事件。そして『十五年の嘘』の話を詰めている際に薄々感じていた、アクアがやろうとしていること。それを考えながら、五反田は踏み込むべきか迷いが生じていた。

 するとアクアは、そんな五反田の様子を察したのか、何処か観念したように肩を落とした。

 

「長い……話になる」

「……いいのか?」

「監督になら。……聞いて欲しい」

 

 そうしてゆっくりと語られた内容は、まだ高校生である少年が背負うには、あまりにも重すぎた。

 薄々感じていた以上のものがその語りには含まれている。もし神様がいるならば、明確な悪意を持ってアクアやその周りを追い詰めているのではないか。そう感じてしまう程に。

 

「(こんなの……何も言えねぇ……!)」

 

 無意識に拳を握りしめてしまい、手が真っ白になる。辛いな……なんて以前自分はアクアの頭に手を置いたが、彼はなるべくしてあのようになったのだと改めて認識した。

 ただ、唯一救いなのは、邪悪な存在はもういないこと。カミキヒカル(その名を聞いた時は大いに驚いた。所業を聞いて二発目の衝撃を受けた)という特大の地雷が取り除かれたことだった。

 これで少なくとも、アクアは周りの人間が殺されるかもしれないという恐怖から解放されるだろう。ただ……。

 

「(罪悪感が、まだ消えていない。奴に復讐を果たしてたら、まだマシだったか……? いや、ないな。それはそれで別の問題が生じていただろう。……ああ、だからコイツ。隠しちゃいるが、自分が消える前提で動いてたのか)」

 

 五反田はアクアの本質や考えをある程度なら理解できていた。だからこそ、話を全て聞いた今なら、なお苦しむアクアの気持ちも察することが出来ていた。

 

「このことを話した奴は?」

「……復讐に協力する斎藤社長。あかねに……あと……」

「黒川と……ああ、アイの元マネージャーか。ん? 他にも誰かいるのか?」

「……えっと、寿みなみっていう、ルビーの友達だ」

「いや待て。前二人はまぁ何となくわかるが、どっから出てきたその子は?」

「……ホントにな」

 

 黒川あかねはわかる。恐ろしく察しがいいのもあるが、アクアが信頼を置いていたのは何となく見て取れたし、実際に口も堅そうだ。

 斎藤社長は言わずもがな。表舞台から消えていたが、アクアの復讐に手を貸すということは……つまりはそういうことだろう。

 だが、その寿みなみという子は? 名前に聞き覚えはないが、ルビーの友人なら、芸能関係者だろうか? アクアが身の上を誰かにペラペラ話すとは思えないが……。結局アクア自身がそれ以上語らなかったので、五反田も追求することはしなかった。

 一応片手間で調べてみることだけにして、今はもっとアクアから聞き出さねばならないことがある。

 

「つまりは、ほとんど眠れない……であってるか? それも、カミキヒカルが死んだ日から」

「まぁ、そうなる」

「平均睡眠時間は?」

「一日、取れて二時間。前以上に寝付きが悪い上に、寝入っても悪夢で飛び起きてしまう。ここ五日ほどはずっとだ」

「病院……は、行く訳ないわな。お前は」

「アロマだとか、考えうる限りのことは試したが……駄目だった。何度も悪夢が……ホッとしたんだろう? って責める声が……」

 

 きっと今自分は、苦虫を噛み潰したかのような顔になっているのだろうな。五反田はそんなことを思う。お前はとことん復讐に向いてなかったな。とも口に出しそうになったが、多分あかね辺りに既に言われているので、辛うじて閉口した。

 ただ、少し不思議でもある。状況だけ見たならば、アクアが推測した通り、カミキヒカルが死ぬ前の方が酷く、精神的な負担も大きかった筈なのだ。

 今の状況が、より幸せへの罪悪感を増した? いや、話を聞くかぎり、一時的に復讐から解放されたという時期があった筈だ。罪悪感がトリガーならば、そこで同じ現象が起きてもおかしくない筈。

 

「カミキヒカルが死んでから、今までと明らかに変わったことはなかったか? あるいは普段やらなかったことをやったとか」

「変わった……普段やらないこと……」

 

 僅かに。本当にしっかり観察していないと気づかないレベルでアクアの顔色が変わったのを五反田は見逃さなかった。

 

「あったんだな? 辛いだろうが、それに焦点を当てるぞ。それが嫌なら、もう俺はお前に恨まれてでも病院に担ぎ込むくらいしか手がねぇ」

「い、いや……待て。でも……」

「何だ? 当然、今すぐ言いにくいなら無理するな。まずは深呼吸して……」

「…………その日は、その日だけは、よく眠れたんだ。次の日は夜までありえないくらい調子が良かった」

「…………はぁ?」

 

 五反田はますます混乱し……。直後、ある可能性に思い当たり青ざめた。

 カミキヒカルが死んだからよく寝れた。というのはありえない。アクアがそんな強心臓だったならば、ここまで苦労はしない。

 疲れが一気に来て気が抜けたなら、今も眠れないのは少しおかしい。

 ならば考えられるのは……。

 まだアクアは話してはいないが、その日に何かがあり、よく眠れたということがキーワードになる。それも、“今まででは考えられないくらいに快適に”だ。つまり……。

 

「お前まさか、今が過去最悪に寝れてないだけで……以前から慢性的に不眠気味だったのか?」

「…………っ」

 

 目を逸らすアクア。一方、こんな単純な可能性を見落としていた事実を五反田は悔やんだ。パニック発作だけではなかったのだ。彼は既にボロボロだった。その状態で突き進んで……。もし、そのまま彼が計画を実行できていたら?

 

「……バカ野郎が」

 

 背筋が寒くなるのをありありと感じながらも、五反田は少しだけ全身の力を抜くことを許して欲しかった。

 

 よく生きていてくれた。

 

 今アクアに伝えたいのはそれだけ。同時に、その不眠の謎が深まってしまったのを感じた。

 

「だが、寝れた……のか。その日だけってのも……不思議だな。何か変な薬でも飲まなかったよな?」

「……それはない。絶対に」

「まぁ、劣悪な睡眠環境が一時でも劇的に改善されて、またすぐ悪いものに戻ったら……より状態が悪化するのは不思議じゃない。勿論このまま不眠にまた慣れさせれば……かつての状態に戻るかもしれんが」

 

 俺としては、あまり推奨したくないな。

 五反田はそういいながらアクアを観察する。役者として活動していた時期もある。だからこそ、アクアがまだ何かを隠しているのは分かった。

 ただ、何故だろうか。復讐やらのドロドロしたものを引き出した時に比べて、妙に深刻さがないというか……。

 気のせいだろうか。悪夢によるものは引いたと思っていたが、アクアは顔を引きつらせながら、再びダラダラと汗を流していた。

 

「(どうなってやがる? ただ――、なんだか……似てるな。何故か今思い出したが、母ちゃんにエロ本を机にまとめられて絶叫した、若い頃の俺に)」

 

 まるで今のアクアは、後ろめたいことをやらかして、それを必死に隠す子どものように見えた。

 さり気なく、廊下を確認する。母が入ってくるタイミングはない。一応入室禁止の看板を立てようか迷うが、あの母は肝心な時にだけ文字が読めなくなるらしく、いまいち効果を発揮しない。寧ろ立てた方が入ってくる気がしてきた。

 変に警戒するのはやめよう。

 

「母ちゃんは、今は来ねぇ(多分)から、気にする必要はない。俺も絶対に秘密は守ると約束する。……お前がいいなら、話してみないか? 他に何か、あったんだろ?」

「……レモネードを、飲んだんだ」

 

 今度常備しといてやろうと、五反田は密かに決意した。本格的に作れなくても、粉末状のでもいいだろう。いや、でも結局効かなかったのか? どうなんだろうか。

 

「一人でか?」

「いや、とも、だち。……ああ、友達の家で。その日は、泊まったんだ。ソファー借りて」

「それで熟睡出来たのか? よっぽど寝心地がいいソファーだった? いや、枕が良かったのか?」

「……………………いや、まぁ。確かに……最高、だった」

 

 歯切れが悪い。五反田はますます首を傾げる。だが、そこで友達という、あまりアクアから出てこない言葉が引っかかった。同時に、真実を話した相手についても。

 片手間で操作していたスマホを本格的に動かしていく。そして――五反田はピンと来てしまう。

 

「なるほど、見えてきた。その友達とやら……女だな?」

「…………う」

「というか、真実話したってんなら、そいつは寿みなみだった。違うか?」

「…………ぐ」

「眠れた……ねぇ。てか、寿、グラドルだったのか。……まぁ、なるほどな」

「何が……言いたい?」

 

 悔しげにこちらを睨むアクア。

 ヤベェ、なかなかない反応だからちょっと楽しいぞ。なんて思いつつ、五反田はいくらか安心していた。

 

「答え、出たじゃねぇか。今からでも遅くねぇから、また寿の家行ってこい。もう一晩お前を抱かせてくれって言えば解決……痛ぇ!」

「帰る」

「オイオイ待て! 悪かった落ち着け! 俺から言わせれば寧ろ、お前は今まで甘えな過ぎたんだよ!」

 

 容赦なく飛んできたデコピンに額を抑えつつ五反田は必死にアクアを引き止めた。

 

「いいじゃねぇか! お前くらいの歳で女のケツを追っかけてるやつなんかわんさかいる! 黒川連れてきた時も思ったが、そういう年相応なとこが見れて、俺はホッとしてるぞ!」

「いや、監督がホッとしても、俺の問題は解決しないんだけど」

「正論過ぎるっ! そうじゃねぇ! 取り敢えず話してみろ! 別にセックスの様子まではいらんから。てか俺が悲しくなるからヤメロ。前後に寿と話をしたんだろ? そこにお前が寝れた鍵がある筈だ。……なかったら、あれだ。頑張って口説け」

「……いや、別にそっちはしてねぇよ。俺を何だと思ってるんだ」

「あ、マジかよ。……いやだってお前、わりと昔から有馬とか黒川引っ掛けて……なぁ?」

 

 二発目のデコピンは、甘んじて受ける事にした。

 ただ、その時のアクアのレアな表情もセットすれば……少しだけ悪くない痛みだったり。勿論、五反田だけの秘密であるが。

 

 ※

 

 恥を重ねるかのように、さらなる詳細を話した時の五反田の言葉が、妙にアクアに突き刺さっていた。

 

『たった一晩で、お前がそこまでになるんだ。要するにお前にとっては一番欲しかった安心で、救いでもあったんじゃないのか?』

 

 そんな馬鹿なと否定は出来なかった。実際にアクアは救われていたから。

 同時にアクアは、五反田からある打診を受けていた。

 

『演技を楽しむなと言ったな。勿論まだそのままでいい。ただ、言っておく。予想になるが、お前が演技を復讐に使うのは……追々出来なくなるだろう。だから――』

 

 迷いはまだある。自分にそんなことが出来るとは思えない。でも――。もし本当に、それが心から出来るようになったら?

 チクリと何かが胸を刺す。まるで自分の罪を忘れるなというように。それらを引きずったまま、アクアは夜の道を行く。

 

『酒はコミュニケーションの世界では便利なツールだ。入れば見えるものがあるからな。プロはいかなる時でも酒に呑まれたりはしないもんだが……ぶっちゃけ、呑まれちゃってもいいかって夜もある』

『どっちだよ。てか何が言いたいんだ』

『まぁ聞け。常に酒を格好良く飲むのはいいが、たまにはかっこ悪く飲んだっていいだろ。誰かに甘えるのは、恥ずかしいことじゃない。その分、その誰かが困った時に助けてやればいい』

『もちつもたれつつってか? 返せる保証もないのに』

『いいんだよ。その恩をずっと忘れないで、いつでも返せるようスタンバってるくらいが丁度いい。いいじゃねぇか。常に相手の為にって、考え続けられるんだぜ?』

 

 酷い屁理屈を聞いた気がする。だが、その屁理屈に踊らされて……アクアは彼女の……。寿みなみのマンションの玄関ホールに立っていた。

 番号は、何故か覚えていた。後は呼び出すだけ。

 ただ、少しだけ指が震えるのがわかった。

 明らかに迷惑だ。引き返せという自分と。検証の為だ。これで駄目ならもうどうしようもない。と突き放す自分。そして……。

 不思議と、彼女と話をしたいと思っている自分がいた。そこでふと、いつかの校門で彼女に伝えそこねていた言葉を思い出す。

 ああ、そうだ。それも言いたいんだ。そう思った途端、アクアの中で迷いは消えていた。

 

 部屋番号を押す。少したってから、スピーカーから久しぶりに感じる、優しい声がした。

 

『は~い……って、お、お兄さん!? どうしたん? こんな時間に?』

 

「寿、さん。突然ごめん。ただ……恥を忍んで、君に頼みがある……」

 

『う、ウチにお兄さんが? えっと……なんやろ? でもええよ? お兄さんなら何でも言うて!』

 

 頭が痛い。身体も重い。なのに、深く眠れず悪夢に苛まれる。情けない極みと自分で思うアクアには、そんな優しい言葉がよく身体に沁み渡るかのようだった。

 ……でも寿さん。何でも言ってはマズイ。何でもしちゃう……までは言ってないが、君は少し男を警戒してくれ。

 怪しいだろ。こんな夜に! 男が一人部屋を訪ねて来たんだぞ?

 自分が来ておいて、この男……もといアクアの思考はこのざまだった。ほとんど脳が死んでいると言ってもいい。結局監督の所でもロクに寝てないので、疲労も判断力もとっくの昔から限界だった。故に――。

『泊めてくれないか?』

 誓ってそう言うつもりだった。なのに――。

 

「……君を、抱かせて欲しい」

『……………………へ?』

 

 あっ、終わった。

 バグってはいても、刹那で冷静にもなってしまったアクアは、その時本気でそう思ったという。

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