星野アクアは困惑していた。
かの深掘れもどきの集会後にデートの打診が来て。ならばお互いのオフはいつかとライン上で話した時、重なりそうなのが次の日か一ヶ月半後という極端なものになってしまった。
急すぎないか? 一ヶ月半後でも大丈夫だぞ。というアクアに、あかねはそこがいい。寧ろ両方でもいいよ? なんて事を言ってきた。
流石に売れっ子女優のオフを貰いすぎだ。あかね自身の時間も大切にして欲しい。後、休める時は休め。と伝えたら、ぷくーっと膨れたウサギのスタンプと一緒に、ブーメランのスタンプまで捺されてしまった。……何故だ。
そんな訳で強行スケジュールながらあかねとデートに行く事になったのではあるが……その際にあかねは、行き先は私に任せて欲しい。と申し出た。
それは問題なかった。基本的にあかねが行きたい場所を提案し、アクアが当日までにその場所を含む周辺施設や食事処等をリサーチする。……これがビジネス交際を経て、正式な交際に至る間に構築された、二人のお出かけ分業である。
ところが今回あかねは、行き先を教えてはくれなかった。全部私にやらせて。と言ったきり。待ち合わせ場所は自宅前。
近場に何かあっただろうかと首を傾げつつ、アクアはお昼過ぎにホイホイ彼女の自宅までやってきて。
「アクアくん、デートOKしてくれてありがとう。じゃあ、上がって」
「待てあかね。ちょっと、待ってくれ」
予想外の事態に焦ることとなった。
現在、黒川家の門前。
だが、ここで話し続けるのはリスキーなので、少しだけ離れれば、あかねはこの反応を予め予測していたのか、ぷくぷくと頬を膨らませながら、素直についてきた。家の鍵もちゃんと締めてきたらしい。
「少し、歩こうか」
「私のお部屋で話そうよ」
「すまないあかね。俺の脚が今、猛烈に歩行を求めているんだ」
「……じゃあ、アクアくんの脚が満足したら、お部屋に来てくれる?」
「さすがに破局報道の後に自宅に上がるのは……ほら、あかねのご両親にも……色々と申し訳ないというか……」
それを言ったらデートも駄目ではないかと思われがちだが、一応報道内容はもっともらしい内容になっている。
お互いにこれから活動していく上で、相手に対してもっと自分や自分の時間を大切にして欲しいという気持ちになることが多くなってきました。大切な人だからこそ、相手の重荷になるのは避けたい。それ故に将来的な事を見据えて二人で話し合い。交際を解消するに到りました。いざという時には頼り合える良き友人として。今後はそれぞれの道を歩んでいきます。
要約すればこんな感じである。
実際には君が心配過ぎてGPSを付けた。なんで言ってくれないの! 言ってくれたら百個くらい付けたのに! といったすったもんだがあり。
復讐に巻き込みたくない。一緒に来てくれって言ってよ! そうしたら地獄までついて行くのに! そんなとこに連れてくなんて駄目に決まってるだろ! という、映画になりそうなやり取りの末に破局したのだが……ものは言いようである。
加えて当初は関わりを持たないようにするつもりではあったのだ。だが、復讐が予算不足で飛んだB級映画の如く頓挫してしまったので、二人は正式に話し合い、友人には戻っている。
なので、ある意味では予言書と言っていい破局報道かもしれない。閑話休題。
「……家族ね。今日はいないんだぁ。お仕事とかで明日のお昼まで」
友達だよ? お家くらいよくない? という圧があかねからヒシヒシと伝わってくる。
だが、アクアはここで首を縦に振るわけにはいかなかった。
「尚更駄目だろ。一応俺も男だぞ? 何かがあったらどうするんだ」
「……いいよって言ったら?」
「あかね。本当に、自分を大切に……」
「そんな優しいだけの言葉が、聞きたいんじゃないの」
フラフラと、あかねの家からどうにか遠ざかるように歩いていく。あかねは多分察しているだろうが、その行く先を妨げるようなことはしなかった。
やがて、二人は程よく駅に近いアウトレットモールにたどり着く。「何処かゆっくり出来るような所で座らないか」とアクアが提案するが、あかねは珍しく「やだ」と、その要求を突っぱねた。
「アクアくんは、これから私の家で私の手料理を食べるか、私に手料理を振る舞ってください」
「……あかね。だから……」
「……どうして?」
「えっ?」
声が急に遠ざかったのを感じて、アクアは立ち止まり振り返る。あかねは少し後ろでうつむいたまま、何かを堪えるかのように自分の服の袖をギュッと握り締めていた。
「どうして、寿さんの家に上がるのはよくて、私の家は駄目なの?」
ゆっくりとあかねが顔を上げ、その問いを投げかけた。
潤んだ瞳が嫌でもあかねの感情をアクアに叩きつける。アクアが目をそらしていたものを訴えかけるかのように。
※
違う。違うの。そんなことが言いたかったんじゃない。
黒川あかねは内心で違うと繰り返していた。
きっと色々な事を考慮して上がってはくれないんだろうなとは思っていた。でも万が一。例えば寝不足とかで思考が鈍りに鈍って、素直に上がってくれていたなら……よかったのに。
そうしたら、あかねはもう絶対にアクアを離さないつもりだったのだから。
お詫びの気持ちを込めたデートだというのはわかっていた。本当は楽しい一日にしたかったし、アクアだってそうしてくれるつもりだったのだろう。
けど……多分そうしたら、“それで終わってしまう”。次に会えるのはまた更に先か。何らかの形で共演を果たすくらいしか道がないだろう。
こういう時に気軽に食事に行けそうな、同じ事務所の有馬かなが心底羨ましくなる。
「……あかね。それは……」
「私が駄目なのは、破局報道があったから? 私のリスクを考慮してくれてるの? ……じゃあ、寿さんはどうなってもいいんだ?」
「そんなことあるわけないだろ。寿は……二回とも、事情があったとはいえ、本当に彼女には……いらないリスクを背負わせた。あかねは……君の道の妨げになるようなことは、避けるべきだと思ったからだ」
「アクアくんが、道の妨げになるなんて思ったこと、一度もないのに?」
止まって。そう自分に叫びたかった。これは自分の為にもならないし、アクアの為にもならない話だ。
せっかく彼が前を向いているのに。傷つきながらも必死に足掻いているのに。あかねは自分がやっていることはアクアに石を投げているに等しいと自覚していた。
「(ああ、最低だ……私。嫉妬もしてるんだ。泊まった時の詳細も。聞きたくないのに聞きたくなって……)」
涙がこぼれそうになるのを必死に堪える。だがそれ以上に聞かなければいけないことが、あかねにはあった。
「アクアくん、昨夜はちゃんと寝れたの?」
「…………ああ」
「……そっか。ルビーちゃんと、仲直り出来たからかな?」
「どうなんだろうな。たまたまかもしれないし、またこの先に寝づらくなるのかもしれない。我がことながらわからねぇよ」
自嘲するようにそう語るアクアに、あかねはゆっくりと近づいていく。彼女はそっと下から覗きこみ、アクアマリンの瞳に真っ直ぐ目を向けた。
「……さっきの話、実はウソ」
「えっ?」
「……ルビーちゃんと一緒に寝た?」
「あ、かね?」
「………自分の気持ちも、わからない?」
「オイ、一体……」
スッとあかねが目を細めながら、アクアの瞳から目線をそらし、再び歩き始める。
アクアはポカンとあかねの後ろ姿を見つめていたが、やがて思い出したかのように彼女を追っていった。
「アクアくんの嘘つきぃ……」
「あかね。俺は……」
「嘘つくくらいなら、上手に騙してよ」
「……あかねが多分、凄いんだよ」
降参するようにアクアはため息をつき、ゴメン。と小さく呟いた。
「ゴメンね。本当に眠れてたなら、それで安心できたの。でも……嘘ならやっぱり、ほっとけなかったから」
「…………お察しの通り、昨夜は、ルビーが一緒だったんだ。でも、駄目だった」
「……そっか」
予想はちょっとしていた。
対立していた時ならばともかく、アクアを大切に想うルビーならば、兄に添い寝が必要とあらば、色々言いながらも実行に移すであろうことは容易に想像できた。
「多分、思い出すような要素があると、駄目なんだろうな。あとは単純にルビーに昔の出来事を連想させるものを見せてしまったら。なんて恐怖があったのも否定出来ない」
お兄ちゃんだからな。そう苦笑いするアクアの横顔をあかねはじっと見つめ続けた。
本当に? 眠れたという嘘は見抜けても……この眠りに関する要素だけは、あかねでも読み取れなかった。多分アクア自身も真相が分からないからだろう。
「ルビーちゃんが駄目なら、私も駄目かなぁ?」
「かもな。いや、頼まないけどな。流石にこれ以上迷惑はかけたくない。あかねがそうだと思わなくても。やっぱり、考えてしまって……眠れなくなる気がする」
「…………アクアくんって、わりと面倒くさいとこあるよね」
「……おい」
「あはは……冗談だよ〜。……冗談」
アクアには気づかれないように、小さくため息をつく。
ああ、もう告白しちゃおうかな。
アクアと連れだって歩きながら、あかねはそんなことを考える。難しいことを色々と考えていたけど、それが案外正解な気もしてきた。
あかねと一緒では眠れないと証明された訳じゃないのに。死活問題なんだから、試してみようと思ってくれたっていいのに。
……気づいてるくせに。黒川あかねは、まだ星野アクアに未練があることを。
一番苦しい時に救ってはあげられなかったけど、それでも支えになりたい。寄り添いたい。……昔みたいに抱きしめて欲しいって思ってるのに。
本当は、ずっと好きだったの。お別れした後でさえも。
いつかの宮崎で自分の感情を言語化した時から。
少しずつ、嘘を本当にと祈るように日々を重ねて。指折り数えて次に会える日を楽しみにしながら。抱きしめて、いっぱい甘えて。こっちが甘やかそうとしてもそこだけは譲ってくれない男の子。
ずっとずっと、あかねが愛し続けたい人。……愛して、欲しい人。
「(うん、もう全部ぶつけちゃおう。君のせいで私の男性観はめちゃくちゃにされちゃったんだよって。私の色んな初めて奪ったんだから……責任取ってよ……! 本当に私の人生の最後まで、全部奪い尽くしてよ……!)」
歩きながら無意識に周りを見渡す。人はいない。今ならば……!
意を決して、静かに息を吸い込む。
聞いて欲しい言葉と。届けたい気持ちがあります。そうあかねが口にしようとした瞬間に――。
ふわりと。甘い――焼き菓子の匂いが何処からか香ってきて……。
アクアがハッとしたかのように足を止めて。まるで誰かを探すかのように、彼は辺りを見回した。
「(………あっ)」
大切にしていたマグカップが、落ちて割れてしまう幻覚をみた。
その時に見たアクアの顔を……あかねは多分、未来永劫忘れることはないだろう。
故に静かに。いっそ冷徹なまでに彼女は自分のスイッチを切り替えにかかった。
恋に焦がれる黒川あかねを。嫌だ嫌だ嫌だ、彼を離さないで! と泣き叫ぶ彼女を無慈悲な役作りにて食い殺す。
女優・黒川あかねを現出させたら……あとは話は簡単だ。今度は彼の前で涙を流すことなどありはしないだろう。
「匂いの元は……アレかな? ワッフル屋さんだね」
しまったという顔をしている。無意識だったんだろうなと小さな笑みすら漏れそうだった。そんな微笑ましい一面もあったんだね……と。
同時に、あまりの間の悪さに泣きたくなった。よりにもよって、このタイミングでそんなものの近くに歩いてきていただなんて。皮肉な運命にも程がある。
「お腹すいたの?」
「……っ、ああ。何か……食べに」
「はい。ここで選択肢です! 1! 私の手料理を食べる。2! アクアくんが手料理を振る舞う! 3! 一緒に何か作る……さぁ、どれにする? 因みに今なら……」
もう一度、念入りに周りを確認する。誰も見てないし、聞いていない。人はいるけど、それぞれが自分や、一緒にいる誰かとの時間を大切にしている。ちゃんと変装というか、地味めにコーディネートした自分たちに気づいてもいない。
それでも一歩踏み込んで、一応アクアにだけ聞こえるような声であかねは囁いた。
「今ならもれなく……私の添い寝が、ついてきます」
バクンバクンと、心臓が高鳴る。
アクアは目を見開いて……それこそいつかに自分がアイをトレースした時の顔をしていた。
「あか、ね……」
「ぎゅ〜って抱きしめるもよし。胸だって、好きにしていいよ? ……い、一応Dはあり、ます」
「こ、こら! そういうことは……」
「何でもしていいし、何でもしてあげるよ? ……どう、かな?」
「…………」
アクアは静かに目を閉じて、首を横に振る。あかねにそんなことさせられない。彼のスタンスは最後まで変わらなかった。
わかっていたことだけど、いざこうなると女優として設定した仮面が剥がれ落ちそうになる。普段舞台などでは絶対に揺らがないのに。
そういう意味ではアクアはやはりとんでもない人だとあかねは思った。
「そっか。じゃあ……今日はここまでにしよっか」
「…………いいのか?」
「だってアクアくん、全然乗り気じゃないんだもーん! 私はお家デートしたかったのにな〜。やっぱりもう……Gカップ以上の胸じゃなきゃ、満足できなくなっちゃったんだね……」
「待て。あかね。最後がおかしい。明らかにおか……」
「あ~、あ~! 聞こえませ〜ん。私はもう帰りま〜す。見送りもいりませ〜ん」
くるりと踵を返して一歩二歩、スキップで進んでから、あかねはピタリと立ち止まる。悪あがきくらいは許されるだろうか。爪痕残そうとして以前は失敗したけれど。
アクアにならきっといいだろう。十本指のネイル付きで、ガリッとやる勢いで。
スイッチオフ。女優の仮面を脱ぎ捨てた。
涙の川が氾濫する前に、あかねは再びアクアに近づいて、耳元へ唇を寄せた。
「アクアくんのばーか。ばーか。おっぱい星人!」
ガブッと耳たぶに噛みついてやる。わりとプニプニしていた。
「いでっ!」と仰け反るアクア。そこへ行き掛けの駄賃とばかりに、あかねは流れるように肩を掴んで――。
一生消えませんようにと呪いを込めて、彼の首筋に吸い付いた。結構すっごい音がしたけれど……知ったことか。
「好きだったよ、アクアくん。……嘘だけど」
だったなわけない。本当は今も大好きで……忘れられそうにありません。
※
耳と首がヒリヒリするが、これはある意味で自分への罰なのだろう。
数分前の事を思い出し、少しだけ放心してから、アクアは手近なベンチに腰掛けた。
これで、よかった。これでよかったのだ。
みなみとの約束もあるのにあかねの部屋にまで上がったら……流石に色々な意味で酷い奴になってしまう。リスクを増やすわけにも、負わせるわけにもいかないのだ。
現に物凄い個人的な事情に寿を巻き込んでいる自分がいるのに今さら何をという話だが。
「(……ああ、また泣かせた。何回泣かせば気が済むんだ)」
ただ、あかねの息抜きになればと思った。けど彼女は楽しい時間を過ごすより、踏み込むことを選んだ。ならばアクアも相応の形で対峙するべきで……。正直な話、今の宙ぶらりんな状態で接することが申し訳無さすぎた。
部屋に誘われた時。別にいいだろうと思う自分がいた。
あかねの手料理を久々に食べたい。食べさせてあげるのもいい。
正直、添い寝は……寝れる可能性は半々だが、試してみてもよかったのではないか?
など、様々な思惑が……誘惑がアクアにもたらされていたのは事実だ。
だが、彼は踏みとどまった。それがあかねを傷つけることをわかっていたのに。
心の中で誰かが泣いている気がする……そんな曖昧なものが引っかかって踏み込めなかったのだ。
そんな中で、心地よい香りが急に鼻をくすぐって……。気がつけば、目がここにいる筈のない人を探していて……気づいてしまった。
ああ、そうか。あかねに迷惑をかけたくないというのもあったけど、知られたくない。誤解されたくない。そう思ったから、受け入れなかったのだ。
同時にその気付きはあかねをまた泣かせる結果になったのだけど。聡く察しのいい彼女のことだ。アクアが今、曖昧に揺らいでる状態であることと、その正体に気づいたのだろう。
そんな微妙な状態を突こうとしないのもまた、彼女らしくもあった。
ガサゴソと、衝動的に買ったソレを紙袋から出すと、アクアはそれにそっと歯をたてる。
プレーンワッフルは柔らかくて、サクサクで。口の中で優しく溶けていくようで……。
「(何だろう。甘いのに苦い。そんな味なわけ無いのにな)」
誰かを幸せにするということは、誰かを不幸にするということ。何故かそんな言葉が浮かんできて。
同時に、そういえばお互いに好きとか愛してると言ったことがなかったことに気が付いてしまう。基礎を飛ばして応用編という言葉は、あまりに的を射すぎていたのだ。
アクアは切ない気持ちになりながら、吐き気がするくらい青い空を見上げた。
きっと今日も眠れないのだろう。苦しい筈なのに今は何故かそれが救いのように思えた。