最終的におっぱいが全てを解決する   作:星組

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最近焼き菓子の香りに反応しがちな星野アクア

 流石にまずいだろうと、最近の星野アクアは常々思っていた。

 主に考えることは、自分のこれからと、生み出したままになっている復讐の布石だったものについてである。

 ルビーとみなみ。あかねやかなとの対話を経てそれは日に日に強く意識せざるを得なくなってきていた。

 確かに復讐は消えたのだ。だが日々は続いていく。当人達が受け入れるか否かもお構いなしに。

 幕は上げられていて、企画も動いてしまっていた。想定キャストにオファーをかけて、これから方々に挨拶や協力を依頼していく……そうして自分は静かに目的へ向けて歩みを進めるつもりだった。十三階段を行くかのような面持ちで。

 奴は処刑台に立たされるまでは、スマートに歩みを進めるのだろう。ただ、上りきってからはきっと悪魔のように鋭い動きで抵抗してくる。そういう確信があった。

 だからこそ、それも踏まえて自分がいたのだ。ギロチン台にかけられないならば、諸共に転落死する覚悟で。その……筈だったのに。

 

「俺としては、アイとの約束もあるからな。お前とルビーの許可が取れるなら、制作を進めたくはある。ただ……」

 

 その日、アクアは五反田監督の自宅を訪れていた。有馬かなとの食事から数日後。彼の睡眠事情は相変わらずだった。

 今日の目的は、以前訪れていた時に少しだけしていた話の続き。『十五年の嘘』をどうするか……である。

 アイの遺言を叶える為でもあり、復讐計画の要でもあったこの映画だが、今はもうその役目をほとんど果たすことはない。

 

「お前がこの映画に出るのは復讐を果たす上で重要なことだった。だが、こう言ったらアレだが、もう出る必要はなくなったんだ。“お前自身を削ってまで”やる意味は……ない」

 

 感情演技によるパニック発作を克服した訳では無い。

 ましてや今回の映画にてアクアがキャストとして想定されているのは、犯人役。つまり……演技とはいえ、アイ役を殺す場面に深く関わらねばいけない。

 その精神的負荷は計り知れないものとなるだろう。

 故に五反田はアクアに問いかけているのだ。無理ならば他の役者にオファーをかけるし、今ならばまだギリギリ企画そのものをなかったことにしてもいい。

 そう言って五反田はアクアの返答を待つ。いつになく真剣な瞳に見つめられているのを感じながら、アクアは自分の手のひらに目を向ける。

 まっさらな手。血で汚れていない手がそこにあった。

 

「監督は、前に俺が演技を復讐に使うのは……追々出来なくなるだろう。だから――真剣に役者の道について考えてみてくれないか。……そう言ったよな?」

「そうだな」

「……何でそう思ったんだ? 明らかにあの時の俺はボロボロで、加えて今も……感情演技で倒れる可能性を持っている。姫川さんみたいな一流の役者達に食らいつくには……そうするしかないのに……。その手段まで出来なくなったら俺は……」

 

 そもそも、演技を復讐にという形でしか出来なかった自分から、その概念が抜け落ちるというヴィジョンが、アクアにはどうしても得られなかった。

 こんなに期待して貰えるようなものを自分は持ち合わせていないのに。そうアクアが締めくくると、五反田は眉間の皺を揉むようにしてため息をついた。

 

「不眠症は、どうだ?」

「……特にアレから変化はない」

「それはないだろ。最後に俺と会った時のままだったなら、お前はとうの昔に倒れていた筈だ。あの日は、ちゃんと眠れたんだろ?」

「…………ああ」

 

 一瞬だけ躊躇いを覚えたが、監督ならもう今更かと思い、アクアは素直に頷いた。

 ここ数日で既に近しい人物ら三名におっぱい星人呼ばわりされたばかりか、下手すると他にも数名が似たようなイメージを自分に抱いているとなれば、内心穏やかではいられない。

 わりと真剣に悩んでいるのだ。

 寿みなみの胸でしか寝れないという、字面だけ見たら地獄のようにアホな状況を、彼だって何とかしたいのである。

 

「そんな悲観するようなことか?」

「現状、迷惑しかかけてないからな」

「て言っても、二回もお前を部屋に上げたばかりか、同衾まで許してるんだろ? 少なくとも悪くは思ってねぇだろ。そうじゃなけりゃ、相当軽い女になっちまうぞ?」

「寿はそんな奴じゃない」

「即答かよ」

 

 呆れたように、だがどこか嬉しそうに五反田は苦笑いする。アクアは何故かそれを少しだけくすぐったく感じていた。気の所為かもしれないけれど。

 

「……まぁいい。どうして期待するのか。そう言ったな。図らずも今のお前は復讐って似合わねえ頸木から解放されているな? それでも……まだ苦しみはしてるが、それはいい。実際よくねぇが、今は置いとけ」

 

 今いる部屋は作業室。そこで五反田は懐かしい作品のアーカイブを棚から引っ張り出す。

 いつかにアイのバーターとして参加したものであり、有馬かなとの初共演作でもある映画だった。

 

「お前の真実を知って、その中で寿との馴れ初めを聞いた時……俺は僅かだが可能性の光を見たんだ。そして今、それは確信に近いものとなっている」

「……どういう意味だ」

「そもそも、あのお前が他人に身を預けて、無防備で弱い姿を晒すって時点で結構な大事件なんだよ。お前をよく知っている奴ら程、その衝撃はデカかっただろうな」

 

 言われてみて思い返す。確かにルビーもあかねも驚いていたし、MEMちょは変なテンションになって動画を作っていた。

 かなに至っては、色々と話したら、鉄鍋で殴りかかってきそうな勢いだったのを覚えている。

 不知火フリルは不知火フリル以外の何者でもない。それ以上でもそれ以下でもない爆弾女だから忘れることにした。

 

「それだけお前は病んでいて、でもそんなお前を寿は癒やしてみせた。関わりが薄かった者同士。ってのがまたよかったのかはわからねぇが、俺はそれを見て思ったんだ。もしかしたらお前がいつか、本当の意味で前を向ける日が来るかもしれない。なら――」

 

 そこまで言いかけて、五反田はハッとしたように口を噤んだ。すまねぇ。熱くなりすぎた。

 それだけ口にして、五反田はボリボリと頭を掻く。

 

「俺も年か。感情に振り回されるとは……」

「……いや、監督はいつもだろ。芸能界はアートの場じゃなくてビジネスの場とか言っといて、真逆なことばっかやるじゃん」

「正論パンチやめてくんない!?」

 

 お前のはより容赦ないから、特に痛いんだよ! と叫ぶ監督に、アクアは肩を竦めながら視線をズラす。

 目にするのは、やはりいつかの映画だった。

 

「監督は、俺にこの役を…………いや、いい。――少し、考えてみるよ。二日以内には結論出す」

「……そんな短くていいのか?」

「ああ。ズルズル伸ばしたら、駄目な気がするんだ」

「そうか。分かった。待ってるぞ。……なぁ、アクア」

 

 今日はありがとう。そう言って出ていこうとするアクアを五反田は呼び止める。

 

「あー。結局これから、不眠症に関してはどうする気だ?」

 

 何だと振り返るアクアに、彼は少しだけ迷う素振りを見せて……まるで誤魔化すようにそう口にした。

 

「……散々世話になったから、寿に何か願い事をしてくれって言ったんだ。そしたら何て言ったと思う?」

 

 懐かしいものを思い出すかのようにアクアは語る。つい先週の話なのに、妙に昔のことのように感じてしまう。

 今思い返しても、この願い事はアクアを心配して口にしたのではないだろうか。あまり寿の利にはなっていない気もするので、追加で何か願うよう検討中でもある。

 

『ウチ、一人暮らしやん? ……改めて、お兄さんと一緒に過ごしたら、何やかんやで安心して。寂しかったんやなぁって気づいてもうたんよ。せやから……嫌やなかったら、また遊びに来て、欲しいねん』

 

 お兄さんが眠れなくて苦しい日でも、そうじゃない日でもかまへんから……。ウチに添い寝して欲しい。

 頬を染めながら、そう言うみなみの姿が、やけに印象的で。同時に、嬉しいと思っている自分にも気がついた。

 数日前、あかねやかな。ルビーとも話した。問題はまだあれど、自分が少しずつ。回復しつつあることも実感した。“新しい何か”が心の中にあることも。だから……。

 

「また、助けさせて。……だとさ。お人好しがすぎるよな。だから、今日だけは甘えて……これ最後にしようと思ってる」

「最後って……薬にでも切り替える気か?」

「そっちの方が、多分健全なんだよ。寿にリスクを負わせ続けるのは……な」

「…………それは、お前の考えで、本心なのか?」

「……ああ」

 

 五反田の顔がわかりやすく苦渋に満ちたものになるのを尻目に、アクアは家を後にした。

 これ以上の会話は……“揺らいでしまいそうだった”からだ。

 

 ※

 

 なんでこう、不器用で自己評価が低いんだろうな。

 少しだけフラつきながら歩くアクアを見送りながら、五反田泰志はため息をつく。

 同時に、自分は今彼に何も言えないのだと気づいてもいた。

 今日彼に言いかけたことなどが、その最たる例だった。

 本当の意味で前を向ける日。もしそれが来たとしたら――、いつかの早熟ベイビーが真に成長した姿が。

 アイの為に目をギラつかせ、役者になってやると蒼い炎を燃やしていたアクアが……見られるかもしれない。

 自分が惚れ込んだ、宝石の原石が……今までの日和った加工を捨てて、最高の形で磨かれていく姿を、フィルムに収められたら……!

 

「酷ぇ、エゴだよな」

 

 自嘲するように五反田は笑う。それを決めるのはアクアであり、自分ではない。だから彼もまた、「監督は俺にこの役をやって欲しいのか?」という言葉を呑み込んだのだろう。

 親に理想を押し付けられる子ども。それと似たような構図にならなくてよかったと本当に思う。

 アクアはいずれ、復讐を演技に使うことは出来なくなる。これはもう避けては通れない。

 復讐が消えたことは事実で、これを薪にしようとしても、やがて現実との差異で整合性が取れなくなっていき、トラウマだけが心身を傷つけ続けるだろう。結果残るのは、中途半端になった演技と疲弊した己のみ。役者としての破綻を迎えてしまうだろうことは想像に難くない。

 故に『十五年の嘘』はある意味で今までのアクアの生涯、全てと対峙することと言えよう。

 役者としての道を行くとは、正しく確実に、アクアはトラウマと向き合い。苦しみながらも乗り越えなければいけないことに他ならないのだから。

 勿論、逆にこれら全てから逃げたっていい。それは責められることではないからだ。アクアは充分な程に傷ついた。自分の人生を新たに過ごす権利は、当然にある筈だ。

 だから重要なのは、何をもってアクアが自分の幸せを定義するかなのだが……。

 

「ドツボにハマりそうなんだよなぁ……アイツ一人にすると」

 

 少しでも背中を押すべきだったか? だが、それがアクアの重みになるかもしれない。

 でも、手を差し伸べずに後悔するのはもう勘弁だ。

 しかし、それならば最適なやり方とは?

 

「(わからねぇ……何もわからねぇ。寧ろ寿は、どうやってアイツを一時的でも癒やしたんだ? 添い寝で解決出来たのか?)」

 

 解決したのはおっぱいなのだが、そんなことを五反田が知る術は……この時点ではなかったという。

 

『お前の幸せを願うやつは、ここに少なくとも一人はいる。それを忘れてくれるなよ』

 

 さっき言いかけたクサイ台詞を飲み込んだまま、五反田はアクアが見えなくなるまで、ずっとその姿を見守り続けていた。

 

 ※

 

 星野アクアは夜道を行きながら考え続けていた。復讐が終わった後の『十五年の嘘』は告発というよりは、告白に近いものがある。成そうとしていたこと。隠されていた真実。そして……。

 ニュースサイトを見る。カミキヒカルを殺害した何者かは、まだ逮捕されていない。奴は今、哀れな被害者のままで終わろうとしている。

 犯人が捕まらないのは別に構わない。だが、それが闇に葬られるのは……少し納得がいかなかった。

 だからこそ、盛大な死体蹴りは必要だ。その火蓋を切る役は……他の人間には譲れない。たとえそれが、トラウマを引き起こす最大の要因であったとしても。だが……。

 

「(出来るのか……今の俺に)」

 

 それが問題だった。引き金を引く役だからこそ、キャストとして出る筈だった。

 自分の心身を著しく傷つけようと、使い潰す予定だった己に未練はなかったのだ。しかし……今の自分は捨て鉢ではない。そうなることで傷つく人間がいることを知ってしまった。だからこそ、襲ってくるであろう痛みに前よりも恐怖していた。

 大切にしたいルビーとは和解した。

 あかねやかなを利用する必要はなくなった。

 それがかえって、自分は逃げてしまってもいいという現実が、彼の足を竦ませる。そんなこと、あってはならないのに。

 向き合えと叫ぶ自分と、何もかも忘れたいと涙する自分がいた。

 

「(頭が……また、上手く働いてない)」

 

 深呼吸しつつ、アクアはぼやける視界の中で頭痛に耐える。限界が近かった。だから約束を果たしに行く。その後は、流石に寿を自由にしてあげよう。

 痛みが増す。頭か胸かはわからなくて。それを振り切るようにアクアはスマートフォンを取り出した。考えることが多すぎた故に起きた、無意識の逃避ともいえた。

 起動するのは無料通話。かける先は、自分の恩人だった。

 

『もしもし? お兄さん?』

 

 ほんわかした声が心なしか弾んでいるように聞こえるのは、きっと自分の気の所為だ。

 アクアはそう言い聞かせた。

 

「毎回突然ですまない。今、大丈夫か?」

『うん、ええですよ〜。どないしたん? あっ眠れてはります? 眠れてないなら……その……』

 

 きっともじもじしながら言ってるんだろうなと微笑ましくなりながら、アクアは口を開く。

 約束。果たしに行ってもいいか? ずっと迷惑をかけるのも忍びないから、これで最後にするよ。そう伝える筈だった。誓ってそう言うつもりだったのだ。

 だが……いざそう口にしようとした時、アクアは何かが胸につっかえるような感覚を味わって……。結果、最後だとか、約束といった取り繕いの言葉は疲れからか。あるいは別の何かによって思考から消失した。

 

「会いに行っても……いいか?」

『……へ?』

 

 残されて絞り出すようにして声にした言葉は、紛れもない本心で。

 

「……会いたいんだ。寿」

 

 受話器の向こうでみなみが息を呑む気配がする。

 ああ、まただよ。またやってしまった。

 そんなことを思いながらも、アクアの心は不思議と高揚してもいた。

 その衝動を理解できぬまま、アクアがその場に立ち尽くしていると、スピーカーの向こうから少しだけ震えた声が返ってきた。

 

『うん……来て。お兄さん。ウチも……お兄さんに会いたい』

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