「この世界は、かの神に愛された……いや、寧ろ見捨てられたが正しいのかな。まぁいいや。……あの男が堕ちた日よりずっと前から、実は道筋が分岐していたんだ」
名も知れぬビルの貯水槽の上で、少女は歌うように言葉を紡ぐ。
聞いている者は誰もいない。ただ、少女の周りには取り囲むかのようにカラス達が羽を休めていた。
「例えば、子どもおじさんに託されたDVD。その内容。渡されるタイミングが違う。もしかしたら、それこそ彼が神もろとも撃ち落とされるきっかけだったのかも。……だからもう、この世界の行く末は神様にだって分からない」
一枚の絵画にもなれそうな幻想的な雰囲気だった。……傍らに、食べかけなポップコーンのパッケージさえなかったら。
少女はニタリと笑いながら、何処か遠くを眺めていた。
「さぁ、星の子達よ。人生における試練は沢山あるけれど……今回はその一つに過ぎないよ。乗り越えてみせなさい。苦しみは確かにあるだろう。けど……人生を喜劇にするか、悲劇にするかは……最終的にはあなた達次第だよ……」
願わくば、とびっきりかつコテコテなラブコメディを魅せて欲しいな。少女はそう呟きながら空を仰ぐ。
「転生なんてものがまかり通るんだ。奇跡や魔法だってあるかもしれない。だからこそよく狙うんだ。ハッピーエンドってやつをね。――そうすれば、素敵なifやちょっとした贈り物があるかもしれないよ?」
それは独り言であり、ただの戯言だった。
何かが起きるかもしれないし、起きないかもしれない。誰にも……それこそ少女にすら分からぬ見えない力は、その存在自体が曖昧なものであった。
※
五反田泰志は何とも言えない顔で目の前の光景を見つめていた。
夕方に都内でレンタルした会議室にて鏑木Pと共に星野ルビーの面談。及び演技力の確認を行う。
手応えは上々。鏑木Pの口から演技力が無かったら話は簡単だった。という言葉を引き出せた以上、彼も心の何処かで、ルビーの演技に可能性を感じたのは間違いない。
数日前にひょんなことから苺プロの前でルビーと再会した時に受けたインスピレーションは、やはり正しかったのだ。五反田はそう確信を深めて、次にそのままアクアとの面談もとい打ち合わせに入る。――その予定だった。
鏑木Pがその場を後にしたのと入れ替わるようにして、予め約束していたアクアと……さっき退出して帰ったものだと思っていたルビーが舞い戻って来たのだ。
「カントク! ゴメンね。延長分は私がお金出すから。ちょっとだけ、お兄ちゃん貸して〜」
彼女はにこやかにそう言いつつ……アクアをまるで親の仇とばかりに睨みつけた。
「お兄ちゃん、取り敢えず正座」
「……理由の説明を求める」
「えっ? 言われなきゃ分からないの? ここで私の口から突きつけてもいいの?」
「…………」
ぺたん。と、アクアは冷たい会議室の床に無言で座り込み、トテトテとそこへ近づいたルビーもまた、同じように座り込む。
さり気なく自分の上着を素早く脱ぎ、ルビーの膝下にレジャーシートもかくやに広げているアクアの姿は、少しだけ哀愁を誘うようだった。
過保護というか、シスコンここに極まれりというべきか。自宅でのパワーバランスがよく見えるようだった。
「お兄ちゃん、何で正座させられてるか……わかる?」
「外泊は……するって、前もって言ってただろ?」
「……ほっぺ引っ張るよ?」
「…………寝過ごしたんだよ」
「私、みなみにもちゃんと経緯を聞くつもりだけど? 私が嘘嫌いなの、知ってるよね? 寝過ごした……で、間違いない?」
「……サボりました」
「なんでなんでぇ?」
「勘弁してくれよルビー……その、寿を巻き込んだから、怒ってるのか?」
「…………むぅ」
膝を突き合わせ、片や頬を膨らませる妹と、もう片方はたじたじな様子で小さくなる兄。
平和な(?)光景をもう暫く五反田は見守ることにした。
「(てか、あれか。なんやかんやで寿のとこには通うことにしたのか?)」
では睡眠などについての悩みはほぼ解決したのだろう。一歩前進だな。と、呑気に考えていた。
万が一バレたとしても、昨今ではただの熱愛程度では大した痛手にはなるまい。寿みなみは軽く調べた所、本格的なアイドル活動をしている訳ではないし、アクアも同様だ。
ならばルビーがぷりぷり怒っているのは……。
「別にね。怒ってはないよ。サボったのだってまぁ、たまにはいいじゃん? って思うよ?」
「……待て、じゃあ俺が正座させられてる意味は?」
「でもそれはそれとして、みなみのふわふわえちえちボディを堪能してたんだ〜って思ったら……何かムカついて」
「ただの八つ当たりじゃねぇか」
「複雑なの! 兄と親友が何かイイ感じ……! 喜ばしいんだけど! それはそれとして妹として複雑でもあるの! わかれ!」
それは……一人っ子な自分には分からない感覚だな。五反田はそう思いながら、どっこいせと手近なパイプ椅子に腰掛ける。
長いだろうか? だがまぁそれも悪くないかと笑みを浮かべそうになる自分がいた。
「……取り敢えず、わかったよ。色々と大変な心中だったんだな? 悪かったよ。埋め合わせはちゃんとするから……」
「うん、その言葉を待ってたよ」
「……は?」
「という訳で、私も色々と折り合いつけたいし……今度みなみを家に招きたいの。いいよね? ……まぁ、同性の友達招くのにお兄ちゃんの許可取るのも変な話だけど」
「それでお前の複雑な心境が解決するのか……イマイチ分からないが……まぁ、了解だ」
「大丈夫。最終的には、きっと全部解決するから。……こっからやっぱり駄目だ。は無しだからね」
「ん? お、おう。わかった」
「(何故だろうな。具体的な理由は浮かばないが、アクアが頭を抱えそうな事態になりそうだってのは何となく分かるな)」
今のルビーを見ていて五反田の頭に浮かぶのは……いつかのアイの顔だった。
彼女もまた、笑いながらとんでもない言動を見せることが多かった。血は争えないというべきか。
「(やはり……アイ役にはルビーを推したい)」
自分のエゴだとは分かっている。そもそも、まだここで彼女に先程の面接や演技披露の真意を教える訳にはいかない。
現状はあくまで候補。不知火フリルや……想定キャストとして名前を挙げられていた黒川あかねがオファーを受けてしまえば、それだけでもう彼女にアイを演じて貰うことは不可能だろう。どうにか出来ないものか……。
「よし、じゃぁ言質……じゃなくて、お兄ちゃんが何してたかも知れて、次の楽しみな予定も決まったし……。そろそろ収録もあるから帰るね〜」
「ああ。気をつけてな。……――ルビー」
スキップでもしそうな勢いで出口に向かいかけたルビーを、アクアが引き止める。
不思議そうな顔で振り返る彼女に、アクアは少しだけ迷うような素振りを見せてから、静かに口を開いた。
「後で……話がある。多分帰ってからにはなるが」
「……大事な話?」
「ああ。というか、本当ならもっと早く話すべきだったんだが……俺も決意するまでのタイミングというか……」
「言いにくかった的な?」
「……まぁ、そうなる」
見つめ合う兄妹。やがてルビーは柔らかく微笑みながら、「ん。わかった」と頷いた。
「今夜、もしかしたら私の方が遅いかも」
「ああ、知ってる。だから家で待ってるよ。勿論疲れてたなら後日でもいい。そこまで大急ぎな話ってわけでもない」
「オッケー。じゃ、後でね。カントク、時間取っちゃってゴメンね〜。バイバイ」
自由な風の如く、星野ルビーは去っていく。その後ろ姿をアクアと共に見送りながら、五反田はポツリと独り言のように口を開いた。
「……映画について、話すのか?」
「元々復讐と絶縁を前提で話を進めてたからな。……こんな形になって、それでも話も動いてるから、今更ルビーから了承を得られなくても止まる事は不可能だろうけど」
「ギリギリ止めれるって言えば止めれるが……まぁ不義理にはなっちまうな」
「だろ? だから、必死に謝るさ。でも、俺自身もこの映画は最後までやらなきゃとは思ってる」
「――っ。じゃあ……!」
演じられるか不透明だった。それでも結論は出すと言ってくれた。ならば……!
「犯人役は……やっぱり誰にも譲れない。やらせて……欲しい」
「そうか……そうか……!」
胸に熱いものが込み上げてくる。
向き合うことに決めた少年の決意に、今は五反田も浸っていたかった。同時に、それが簡単な道ではないと理解もしている。だからこそ、自分に出来ることならば、なんでも――。
「それに伴って……ちょっと今、実験に付き合って欲しい」
「……実験?」
首を傾げかけた五反田は……直後、言葉を失った。
「……アク、ア……?」
思わずそんな声が漏れる。
吹き出すのは濃密な死の香り。瞳に凶星を宿し、危うさを感じさせる呼吸をしながら……その人物はユラリと五反田に肉薄した。
「現状の俺が、どこまでやれるのか……確認したい。今ならまだ演技指導だとか、他の役者の目がないから……ある意味で素で演じれる。……極力見せたくないものも……出せる」
「……なる、ほどな」
つまるところ、苦手としていた感情演技を再びここで使うということか。
確かに役の都合上、彼にかかるであろう負担は、東京ブレイドの時とは比べ物にならない。アレはアレで彼の境遇に刺さるものがあったけれども……今回は、アイの半生であり、アクアの過去に直接関わるものだ。
ならば……現状を監督である自分と共有するのは悪くない。
「いいだろう。やってみろ」
「……先に、謝っとく。迷惑をかけたら……」
「俺はついさっき、お前のサポートなら何でもやるって決意したとこだ。迷惑なんざいくらでもかけられてやる。こい」
「…………ありがとう。監督」
素直になりやがって。誰の影響だ? そんな言葉を飲み込んで、五反田は正面からアクアと向き合う。
彼は……五反田泰志は想像していなかった。
迷惑くらいかけられてやるとは確かに言ったのだが。その数秒後……。過去最大級のパニックを起こしたアクアの吐瀉物を真正面から受け止めることになろうとは……思わなかったのである。
かくして、前途多難な状況の中、映画『十五年の嘘』の企画は、本格的に始動した。